大ボスのクリスは、10月1日付けで北米西部の環境部長に就任しますが、それまではオレンジ支社の暫定環境部長。私に品質管理部門の長を任せた後も「立つ鳥跡を濁さず」の構えで、監査部門から出された宿題に対する、支社としての回答取りまとめに励んでいます。しかし、これが意外に難航しているのです。
いかに大物のクリスとはいえ、他部門(交通、上下水道、建築など)に対しては何の強制力も持ちません。知らんぷりを決め込む他部門の長たちに宛て、極めて慎重な言葉遣いで回答要請メールを送り続けるクリス。彼は身長2メートル近い堂々たる体躯の男ですが、物腰はソフトで、無駄話をする時でさえ洗練された表現を忘れない、高度に「インテリ」な人物です。メールの文面を読む度に、なるほど、こういう風に書けば角が立たないのか、と勉強になります。
さて、監査部門への回答期限があと二週間と迫った金曜日、とうとうクリスは送り先(cc)に副社長クラスの面々を加えた上で、建築部長のリチャードにダメ押しメールを送りました。品質管理トレーニングを支社のPM全員が受ける、というのが宿題のひとつで、リチャードがこの責任者なのです。
「私はオレンジ支社の暫定環境部長として、監査部門からの宿題への回答を支社として取りまとめるよう言われています。建築部門が音頭を取ってトレーニングを開催することで合意が得られていましたが、その件について状況を教えて頂けますか?」
高級幹部たちをメールの宛先に加えたことで、メールの真剣味が一気にアップします。さすがに無視を続けられなくなったリチャードから、長文の回答メールが一斉送信されました。ざっと一読しただけでは意味が分からなかったのですが、幾度か目を通すうち、これは相当意地の悪い内容だぞ、ということが分かって来ました。まずはこんな文章からスタート。
“Interim role duly noted…..it’s been enunciated severally.”
は?何のことかさっぱりワカラン。Duly もenunciated も日常目にしない単語。辞書を引き引き読み解いたところ、次のような意味だと判明。
「暫定職ですね。充分承知しておりますよ。そういう断り書きを何度も頂いてますからね。」
なんという慇懃な物言いでしょう。リチャードはこう続けます。
「ひとつお断りしておきますが、そのような合意があったとは認識しておりません。」
おっと、これは穏やかでないぞ。更に、「10月の組織改編までは支社の正式な取りまとめ役など存在しない」ことを指摘し、「頼まれもしないのにしゃしゃり出て、別部門のトップ達にあれこれ指図している者がいる」と暗に糾弾しているのです。ひゃ~っ。これはヤバイんじゃない?仏のクリスも、さすがにこれは怒るでしょう。部門間抗争勃発か?
北米西部の品質管理部門長リンと電話で話したところ、
「リチャードはプライドの高い人なのよ。人にああしろこうしろって言われるのを嫌うの。」
とため息交じりの笑い。
「でもこのままだと、期限までにトレーニングが出来ないですよね。誰かが音頭取らないと。」
新参者の自分がしゃしゃり出れば角が立たないんじゃないか、と提案する私に、それは良いアイディアだわ、と喜ぶリン。
「環境部門でトレーニングを開催するので、良かったら他の部門も参加しませんか?と誘うという作戦で行きましょう。」
さっそくクリスにメールしたところ、彼から電話がかかって来ました。
「提案有難う。その線で行こうじゃないか。リチャードのメール見たよね。どう思った?」
「どうもこうも無いですよ。あれは全く持って…。」
度を越えた無礼に対する憤りをどう表現すれば良いか言葉を探していたら、クリスが遮ります。
「それ以上言わなくて良い。君があれに関して意見を持ってるということを知っただけで充分だ。」
そして彼がこう続けます。
“I have a strong opinion about it.”
「僕は大いに思うところ有りだよ。」
へ?それだけ?一斉メールの中でコケにされたのに、この表現。どこまで冷静なの?
彼がリチャードに対して送った一斉返信メールがこれ。
「おやおや(Oh my goodness)、これは不意打ち(flat-footed)でした。そちらでトレーニングを主催するとばかり思っていたものですから。近々シンスケがトレーニングを計画しているということなので、良かったらそれに参加して下さい。詳細が決まり次第、彼から連絡が行くと思います。」
結局、部門間抗争は不発に終わったのでした。大人だなあ、クリス。
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