2013年9月29日日曜日

She’s upset. 怒ってんの?悲しいの?

オレンジ支社へ出張した際、弁当を食べようとランチルームへ入ると、同僚ベスが一人で座ってブリトーにかぶりついていました。隣のテーブルに腰掛けて弁当箱を開け、軽く世間話を交わしていたところ、彼女が週末の出来事を話し始めました。

ロサンゼルス郡に住むベスには三人のお子さんがいるそうなのですが、末娘がサンディエゴの大学に進学することになり、週末に彼女を夫婦で送って来たというのです。アメリカの大学というのは全寮制が多く、「子供が大学に通い始める」イコール「独り立ち」という公式がアメリカ人の意識に浸透していると言っても良いでしょう。ロスからサンディエゴなんて車で2時間の距離なので、ものすごく遠くへ去ってしまうわけではないのです。でもこれで我が家から子供の声がすっかり消えてしまうとなると、夫婦の心にぽっかり穴が開いてしまうのですね。

「私、自分があれほどエモーショナルになるとは予想もしてなかったの。帰り道ね、二人ともすっかり落ち込んじゃった。意外だったのがうちの夫の反応で、普段はとってもドライなのに、」

そうしてベスが次に発したセリフに、箸を持つ手が止まります。

“He was upset.”
「彼、アップセットだったの。」

え?アップセットって、怒った時に使う言葉じゃなかったっけ?この文脈で、ご主人が怒ってたとは思えないんだけど…。

翌日、ダウンタウン・サンディエゴ支社へ行った際、同僚ステヴにこの質問をぶつけてみました。

「これはまた厳しいとこ突いて来たなあ。」

と唸るステヴ。

「たとえばさ、君のボスがやって来て “What did you say to Hillary? She’s upset.” (ヒラリーに何を言ったんだ?彼女はアップセットだぞ。)と言われたら、ヒラリーが怒ってるか悲しがってるか、どっちだと思う?」

暫く考えた後、彼がこう答えます。

「俺の経験から言うと、75パーセント怒りで25パーセントが悲しみかな。必ず両方の感情が入ってると思うよ。」

「ふ~ん、そうなの。日本語にはそんな言葉存在しないと思うなあ。悲しいのか怒ってんのか、どっちかしかないもん。」

そこでふと、腑に落ちない点に気づきます。「ベスの旦那がアップセットだった」という場合、75パーセント怒りというのはおかしくないか?

「なるほど。その場合、割合は逆転してるね。90パーセント悲しみで、10パーセント怒りかな。」

「ちょっと待ってよ。怒りなんかないでしょ、このケースで。」

私が反論すると、

“He’s angry at the world.”
「世の中に対して怒ってるんだよ。」

と、拳を振り上げて見せるステヴ(この場合のWorld とは、自分の周りで起こっている出来事の総体と解釈しました)。そこへ、さっきから我々の会話を楽しそうに聞いていた同僚シャノンが割り込んできます。

「もっと娘とたっぷり話をしておけば良かった、なんで俺は子供との時間をもっと大切に過ごさなかったんだろう、って自分自身に対して怒ってるっていうのも有るかもね。」

なるほど。悲しくって同時に腹を立ててる時に使うフレーズなのね。

席に戻って仕事をしてたら、ロス支社のマドンナからメールが入って来ました。

「昨日辞職届けを提出したの。二週間後に退社するわ。今まで色々有難う。」

ええっ?なんで?慌てて返事を書いて、動機を尋ねます。

「ディレクターのジェイソンが辞めてから仕事量が倍増してたでしょ。そのすぐ後に、産休に入ったヘザーのプロジェクトが全部私に回ってきたじゃない。とてもじゃないけどまともな成果を出せないわ。ずっとサポートを頼み続けてたのに、結局誰も動いてくれなかった。もう限界よ。」

なんてこった。上層部は何もしてやらなかったのか!そんなことで優秀な社員をまたひとり失うなんて…。マドンナとはずっと良いチームワークを組んで来ていたので、本当にがっかりでした。

再びステヴの席へ行き、マドンナの件を聞いてるかと切り出すと、

「うん、知ってる。残念だね。」

と苦々しい表情になって首を振ります。そこで私が、

“I’m upset!”

と小さく叫びました。彼はすぐに親指を立て、

“That’s correct!”
「それ正解!」

と答えてくれました。

“You are sad, and a little bit angry at the world.”
「悲しい気持ちもあるけど、ちょっとばかり周囲に対して怒ってるんだよね。」

その通り!

これでアップセットの意味を会得しました。

2013年9月17日火曜日

ボインの問題

半年くらい前、同僚アルフレッドが日本語の勉強を始めました。担当プロジェクトの現場までの長距離ドライブを有効活用し、語学学習用CDを聴き始めたというのです。彼が時々私のオフィスに顔を出して、

「すみませんとごめんなさいはどう違うの?」

などと微妙な質問をして来るようになり、こっちも良い勉強になるからどんどん聞いてね、と励ましています。

そんなある日、彼が決まり悪そうな表情で、

「シンスケ、実は白状しなきゃいけないことがあるんだ。」

と告白口調。

「なんで日本語の勉強を始めたか、まだ話してなかったよね。」

言われてみれば、確かに動機は聞いていませんでした。彼が私の目をじっと見つめ、こう呟きます。

“It’s enemy.”
「敵がいるんだよ。」

そう、私の耳には確かに「エネミー」と聞こえたのです。え?敵がいるから日本語を学習し始めた?一体どんなシチュエーションだ?

「ナルトって知ってるかな?」

と彼が続けます。

「漫画のNARUTOなら知ってるよ。うちの息子が好きだから。」

と私。忍者漫画の中のライバルの話でも持ち出すのかな、と思ってたら、アルフレッドは更に恥ずかしげな表情を浮かべ、

「実は僕、高校生の頃からずっとNARUTOのファンでさ、いつかきっと原書を読めるようになりたいって思ってたんだ。それで日本語をね…。」

ん?だからどうしてそれが敵の話になるの?

三秒ほど空白の時間が過ぎた後、ようやく分かりました。彼が言ったのは、「エネミー」じゃなくて「アニメ」だったのです(Animeは英単語としてアメリカで普通に流通しています)。英語でAnimeを発音すると、Enemyに聞こえるんですね。この単語は子音(しいん)が少なく、母音(ぼいん)がむき出しになった感があります。英語の母音というのは、日本人には特に難物だと思うのは私だけでしょうか?

Anime を構成する母音の発音は、以下の通り。
a は「え」に限りなく近い「あ」
i は「え」に限りなく近い「い」
e は「い」に限りなく近い「え」


はい、これでAnime を発音すると「エネミー」になりますね。

2013年9月11日水曜日

この指なあに?

金曜と土曜の二日間、アナハイムのヒルトンホテルで会社主催のPMトレーニングを受けて来ました。

「え?シンスケが教えるんじゃないの?」

と同僚達に驚かれたのですが、これは外部のプロ講師を正式に招いての全社的イベント。このトレーニングを受けてテストに合格しなかったら、PMの座を下ろされるとまで囁かれています。

登場した講師は、60代後半と見られる太った白人のおじさん。アメリカ空軍に長く勤務していたという大ベテランで、この人のパフォーマンスが期待をはるかに超えてました。

一度聞いたら忘れられないほど刺激的な彼自身の体験談を、絶妙なタイミングで放り込んで論点を補強します。ひとつひとつのエピソードが脳みそにグサグサ突き刺さり、暫く抜ける気配が無い。こういう芸当は若い者には出来ないよなあ。

レゴ・ブロックを使った演習は圧巻でした。まずは24人の受講者を二人一組の12チームに分けます。一人がPM,もう一人が作業する人。次に、スポーツカーと思しき完成写真を載せたレゴブロックのパッケージ(6~12歳用)を一つずつ渡されます。PMが中身を机にぶちまけてからインストラクションを開く。作業者は目隠しをされ、PMからの指示を口頭で受けます。PMは一切ブロックを触れません。

「与えられたレゴ・ブロックで、車を作って下さい。制限時間は10分間です。準備はいいですか?完成形をスクリーンに映しておきますね。では、スタート!」

私とペアを組んだのは、ベテラン女性PMのジョーン。目隠しをした相手にレゴを作らせるのは、思いの他困難でした。大体、ブロックの描写の仕方が分からない。

「2x6の平べったいヤツ!」

「今、右手の人差し指が触ってるピース!」

「もうちょっと手前、そう、斜め左!」

などと英語で指示するのはなかなかにキビシイのですね。一番困ったのが、右手の薬指が触れていたブロックをつまんでもらおうとした時に、この指の英語名が全く浮かばなかったこと。クスリユビ?英語でなんて言うんだっけ?

「はい、時間です!」

無情のホイッスル。一斉に唸り声で抗議する受講生たち。ぜ~んぜん終わってないよ!

同じテーブルにいた同僚達に、ひそひそ声で、

「ねえ、この指なんて言うんだっけ?」

と右手の薬指を指す私。いつも優しい同僚のレベッカが、

Ring Finger(リング・フィンガー)よ。」

と微笑みます。

「ええっ?リング(指輪)は左にするもんじゃないの?」

「両方リング・フィンガーって呼ぶのよ。」

するとベテランPMのハリーが、

「ヨーロッパでは右手の薬指に結婚指輪をするんだよ。」

と補足情報を提供してくれました。

こういうちょっとした英単語を知らないばっかりに、大幅に遅れを取ってしまった私。インストラクションの6ページまで進んだところで時間切れになってしまったのですが、大半のチームは8ページ辺りまで進んでいました。ノン・ネイティヴは、こういう時不利なんだよな、と悔しがる私…。

ところが、作業スピードが重要なのではないことを、この後すぐ悟ることになります。注目を促す講師の方を振り向くと、スクリーンに三種類のレゴ・カーが映し出されており、その中のひとつに丸がつけてあります。私達のチームが完成を目指していた形も出ていますが、それは選ばれていません。

「今回私が発注したのは、丸をつけたパターンです。この車を作っていたチームはありますか?作り方は、インストラクションの12ページ目からになっています。」

一同、あっけにとられて顔を見合わせます。

確かにレゴ・ブロックには、同じピースで数種類のパターンを作れるものがあります。でも、これがそうだとは思いもしませんでした。

「おやおや皆さん、クライアントが何を求めているかをきちんと理解してから仕事を始めなければいけないと、10分ほど前に話したばかりじゃないですか。どうして突っ走っちゃったんです?このスクリーンは、さっきからずっとこの完成形を映していましたよ。」

さらには、10分で完成させられると思った人なんて一人もいないのに、どうして誰も工期延長の要求をしなかったのか、と突っ込む講師。

「皆さん、これで分かりましたか?たとえ頭でPM理論を理解していても、目の前にプロジェクトを差し出され、制限時間を与えられると、人はいきなり走り出してしまうものなんですね。」


見事に一杯食わされました。

2013年9月1日日曜日

Contingency コンティンジェンシー

月曜日の夕方、ダウンタウン・サンディエゴ支社のトレイシーからメールが来ました。

「水曜日のスタッフ・ミーティングで5分くらい枠を空けるから、財務関連のトピックで何かプレゼンしてくれない?」

スタッフ・ミーティングとは、月に一度社員が全員集合して情報交換を図る会議です。こんな突然のリクエストでも、快く引き受ける私。というのも、話したい内容が既に頭にあったのです。

それは、Contingency(コンティンジェンシー)。

コンティンジェンシーを辞書で引くと、「不測の事態」とか「不確実性」などという訳が出て来ます。プロジェクトマネジメントの世界ではKnown unknowns(予測しうる不測の事態)をコンティンジェンシーとし、そのために積んでおく予算をContingency Reserveと呼びます。プロジェクト予算の話をする際は、この積立金自体を「コンティンジェンシー」と呼ぶのが一般的。英治郎には「偶発損失積立金」という、一口では飲み込みにくい漢語和訳が出ていますが、私が無理やり意訳するとすれば、これ。

かもしれない予算」

事故防止のために「かもしれない運転」を推奨する人がいますが、プロジェクトの予算を作成する際にもやはり、「重要な現場作業のタイミングで大雨が降るかもしれない」とか「主要メンバーが突然解雇されるかもしれない」などという不測の事態を組み込んでおくべきなのですね。特にその事態が起こった場合にかかるコストをクライアントに請求出来ない、つまり我々自身で賄わなければならない場合、これをプロジェクトの予算に予め含めておかないと大変です。不測の損失が続けばPMの組織内での信用は落ちるし、財務部門を含めた上層部からの質問攻めや資料要求に忙殺され、本来業務に集中出来なくなるのです。成果品のクオリティも落ち、スケジュールは遅れ、じわじわと泥沼に…。

「そんな地獄を見ないためには、きっちりコンティンジェンシー(かもしれない予算)を積んでおきましょう。」

プレゼンを締めくくると、皆が大きく拍手してくれました。

ミーティングを終え、席に戻って間もなく、同僚のPMシェインがやって来ます。

「プレゼン有難う。勉強になったよ。質問していいかな?」

彼の口からは、折角積んでおいたコンティンジェンシーを財務部のシェリーに削除させられたことがある、という聞き捨てならぬ実話が飛び出しました。プロジェクトの内容をよく知らない人間が、PMに向かってコンティンジェンシーを減らせと指示するのは明らかに越権行為です。もしそれが本当なら、シェリーと事を構えなければなりません。

「ちょっと待って。もう少し詳しく話してくれる?」

いきなり結論に飛びつく前に事態の詳細を知っておこうと、深掘りを開始。そうしてシェインから話を聞くうちに、じわじわと真相が明らかになって来ました。

「整理すると、こういうことだね。クライアントがコンティンジェンシーとして積んでいた予算を、プロジェクトの収入として見込んでいた。それをシェリーが予算から削れと言ってきた、と。」

「そうそう、そうなんだよ。」

「シェイン、それは僕の言ってるコンティンジェンシーとは別モノだよ。」

「え?なんで?」

クライアント側のコンティンジェンシーは「彼らにとっての」不測の事態。それが発生すれば我が社に業務が発生し、業務量に見合った金額が支払われるでしょう。しかし発生しなければ何も支払われない。それを当初から我が社の収入として見込んでおくのは、いわゆる「とらぬ狸」な発想なのです。まだ見込むのは早いから予算から削っておけ、というのは財務部として当然の判断。

「じゃ、シンスケの言ってたコンティンジェンシーはどういうこと?」

「我が社のコンティンジェンシーはクライアントの支払いと関係ないんだよ。我々のコンティンジェンシーは我々の支出であるのに対し、クライアント側のコンティンジェンシーは我々にとって収入なんだ。僕は支出の話をしてたんだよ。」

「そうか、な~るほど。やっと分かったよ。有難う!」

この後、先日支社長に就任したテリーがやってきて、私のプレゼンを誤解してる人がいるようだ、と指摘してくれました。

「クライアントのコンティンジェンシーとうちのコンティンジェンシーをごっちゃにしてる人が多いのよ。次にプレゼンする時には、その点を解きほぐしてから説明した方がいいと思うわ。」


う~む、こいつは痛い!どっちのコンティンジェンシーかを誤解する人がいる「かもしれない」という予測をし損なった、私のミスでした。