2019年12月15日日曜日

The Signs 不思議なお告げ



金曜の昼休み、部下のカンチーに誘われてランチに行きました。この二ヶ月間同居していたイタリア人の彼氏(ミラノ出身)が週末に帰国するというので、その前に会わせたいと言うのです。二人エレベーターで降りて行ったところ、ビルの足元で待っていたのは、俳優ハビエル・バルデムの青年時代を思わせる野性的なマスクの若者。学生時代、旅行先のバルセロナで衝撃の出会いをしてから十年。遠距離での友達関係をずっと保っていたが、数年前それぞれが交際相手との関係を解消してから急速に距離が縮まった。休みの度にどちらかがお互いの国に会いに行くようになり、今回はいよいよ短期間の同棲をすることになったのだ、という説明。

リトルイタリーのテラス付きイタリアンNONNAで窓際の四人掛けテーブルに着き、さっそく会話をスタートします。同居していたカンチーの両親が東海岸へ引っ越したので、その空きスペースを利用して働きながら彼女との生活を楽しむことになったフランク。主にデジタル・アニメーションのデザインをしていて、YouTubeの大会では二年連続世界一になったといいます。

最初の出会いから、これは何か絶対的な力が二人を結び付けようとしているという実感があった、とカンチー。それでも当時は「こんな離れたところに住んで文化も習慣も違う二人が真剣に交際出来るわけがない」と自分に言い聞かせて、連絡先も交換せず帰国した。ところがその後も偶然の出来事が重なって、関係は継続した。

“We saw a lot of signs.”
「沢山サインを見たの。」

とカンチー。The signs というのは「信号」とか「標識」とかの他に、神様や何かの「お告げ」という意味があるので、彼女が言いたかったのはこういうことですね。

“We saw a lot of signs.”
「何度も不思議なお告げがあったのよ。」

そのうちテクノロジーが進化して頻繁に連絡が取れるようになってみると、ひょっとしてこのまま結婚もアリか?という雰囲気になって来た。そんな矢先、同居していた両親が引っ越しを決め一人暮らしがスタートすることになったので、この機会に同棲してみたいね、という話になった。しかしイタリア人が旅行者として長期間アメリカに滞在するとなると、さすがにビザだとか旅行費用とかで実現は難しい。

「そこで、またしても奇跡が起きたんだ。」

と目を輝かせるイケメンのフランク。彼のクライアントの一人が、十一月にサンディエゴまで出張して二ヶ月ほど滞在出来ないか、と藪から棒に言い出したのだと。このタイミング、しかもピンポイントでサンディエゴを指定して来るかね!と驚嘆した二人。

「何かのお告げを感じざるを得なかったよね。」

と顔を見合わせて微笑む若いカップル。

「更にオチがついてるんだけど」

とフランク。

「そのクライアント、僕が到着する直前に出張が決まってさ。結局他の土地から遠隔でミーティングすることになった。つまり、直接会えもしないのに僕のサンディエゴ出張費を払ってくれることになったんだよ。これってすごくない?」

信心深い方じゃないけど、さすがにここまで偶然の出来事が重なると、素直に「お告げ」に耳を傾けてみようという気にさせられるよ、と笑うフランク。

「お告げと言えばさ、ついさっきエレベーターでカンチーと喋ってた話があるんだ。」

と私。

二週間前、テキサス州ヒューストンへ出張しました。この三年間、世界の全支社で使用して来たプロジェクトマネジメント・ツールEをお払い箱にし、その前まで使っていたツールAを改訂復刻させることが決まったのですが、この大転換プロジェクトをリードするために北南米各地から60人の「チャンピオン」が選抜され、真っ先にトレーニングを受けることになったのです。で、環境部門の南カリフォルニア地区を代表して派遣されたのが私。三年前のツールE使用開始に際しては、「ニンジャ」に選抜されて各地を飛び回り、オーストラリア出張まで果たしました。会社が新ツールの導入にかなりの金と人手をかけたことを肌身で感じていた私としては、たった三年でお釈迦にするとはどういうことだ?という不信感が拭えません。しかもあの頃、ツールAは「時代の遺物」とこき下ろされてたじゃないか。今さら棚から出してホコリを払ったところで、使い物になるのか?それより何より私の嫌悪感を煽っていたのが、このプロジェクトの先頭に立っているのが、飛ぶ鳥を落とす勢いで出世し短期間にアメリカ地区COOの右腕にまで上り詰めた、自らを「再建請負人」と称するR氏だということでした。就任当時、私のチームがやっている仕事を「そんなもんはプロジェクトコントロールじゃない」と鼻で笑った許し難い仇敵。あの野郎、きっと私利私欲のために権謀術数の限りを尽くしたに違いない…。

そんな不審感一杯で臨んだ出張でした。

ヒューストン支社の大会議室に到着すると、端っこに座っていたR氏が目に留まります。私の姿に気付くと笑顔になって立ち上がり、他の出席者たちをかきわけて、巨大な腹を震わせながら近づいて来ます。そして懐かしそうに私の手を握り、

「シンスケ、久しぶり!元気だったか?」

とまるでハグでも求めて来そうな勢い。え?この人こんな感じだったっけ?居心地悪くなり、適当に挨拶を交わして出来るだけ離れた席を確保します。ところがその後、ホテルのエレベーターに乗る度、ドアが開くとR氏が立っている、という偶然が重なります。う~む。話したくないんだけどなあ。三日間のトレーニングが終わって去る時も、会議室の隅でヘッドフォンをして真剣な表情で電話会議に参加している様子だったので、ジェスチャーで「お先に失礼」と遠くから挨拶をしたら、さっさとヘッドフォンを外しずんずん歩いて来て、更に硬い握手。その数時間後、今度は空港の待合所で彼を発見します。おいおい、これだけ巨大な空港で、しかも別の街に飛ぶのに何でターミナルが一緒なんだよ…。気づかれないようにそっとそこを離れ、ベーグルショップでペットボトルの水を買おうとしていたところ、またしてもR氏がやって来ます。さすがに今度は無視できず、また会ったね、と笑顔で握手して別れます。やれやれ…。

さて今週の水木は、オレンジ支社でスーパーユーザーを集めての二日間のトレーニング。私を含めた三人のチャンピオンは、会議室に並べられた最後列の机の背後、壁際のテーブルに並んで座り、必要に応じてサポートする体制。ところが開始間もなく、またしてもR氏が登場します。本社のリーダーとしてトレーニングに同席するかもしれない、という発言は前の週にヒューストンで聞いていました。予告通り現れた彼、あろうことか私の左隣に座席を確保。うわ、なんでだよ…。どんなに距離を保とうとしても、その努力をあざ笑うかのように二人を近づけようとする、何か不思議な力が働いている…。

初日の晩、地元のBBQレストランLucille’sでチームディナーが開催されました。駐車場からレストランへ向かう道を間違え、遅れ気味に到着した私。既にほとんどのメンバーが着席している大テーブルに案内されてみると、空いていた席はR氏の斜向かいのみ。またかよ、なんでだよ…。絶対宇宙のフォースが僕の背中を押しているに違いない。どうしても奴と話をしろというんだな?よし、もうこうなったらやるしかない。腹を決めた私は、彼としっかり目を合わせて会話することにしました。

「今回の顛末について色々聞きたいんだけど、いい?」

この後R氏が語ってくれた内容は、驚愕の連続でした。彼の言葉をまるまる信じるとすれば、今回の事件は至極納得の行く展開。そもそも前回のツール変更に彼は猛反対し、三ページに渡る上申書まで提出したのだそうです。

「どう考えてもうまく行くわけが無かったんだ。それでも当時のナンバー2は、頑として退かなかった。何故かCEOは彼を信頼してたからね、鵜呑みにしたんだな。」

その後起こった様々なトラブルは、最初から警告を発していた人間からしてみれば「そりゃそうだろ」と首を振るしかないほど予測可能なもので、愚かな意思決定をただただ恨むしかなかった。その張本人が会社を去った今、残されたのは「いつ見切りをつけるか」という問題だけだった…。R氏の口から、「そこまで赤裸々に語っちゃっていいの?」と戸惑うくらい際どいエピソードが次々に飛び出します。まるで居酒屋の隅っこで古い仲間に苦労話を暴露するかのように。この人、こっちが接触を避けて来たことなど露知らず、胸襟をぱっくり開き切っている…。

急に、これまでの自分の狭量さが恥ずかしくなって来ました。この二週間、何度も現れた不思議な「お告げ」は、私にこのことを教えようとしていたのかもしれない。そう思うのでした。相手が誰であれ、人を無闇に疎むなかれ、と。

トレーニング最終日の終盤、突然R氏が身を乗り出し、私の左耳に口を近づけます。そして左手で隠しながら何かごちょごちょ言い始めました。

「え?なんて言ったの?」

と聞き返すと、更に口を私の耳に近づけてこう言ったのでした。

「トレーニングのスタート時にさ、休憩時間以外はメールチェックとかしないようにって注意しといた方がいいよね。」

彼の視線の先に目をやると、最後列で講義を聞いていた女性社員のイヴォンヌが、ラップトップの画面にメールを開いていたのでした。ちゃんとトレーニングに集中しろよ、とイラついたものの直接指摘するまでの勇気は無かったのですね。

「そうだね。ほんとだね。」

と答える私。R氏はゆっくり身体を離しながら、私の目を見つめてちょっと口をすぼめつつ、小さく何度も頷くのでした。まるで私の表情から同意を読み取ろうとするかのように。

「ちゃんとお告げを聞き入れたおかげでそこまで親密な関係になれたのよ、きっと。」

とカンチー。自分達も素直にお告げに従って来たから、今こうして一緒にいられるのよね、とフランクと見つめ合います。ミラノとサンディエゴというとんでもない距離を隔て、十年間も絆を深めて来た二人。常識に囚われていたら、とっくの昔に関係を解消していたことでしょう。この先も無事障害を乗り越えて一緒に暮らせるようになるといいね、と願う私でした。

「でもさ、」

と心の中で呟く私。若い二人がゲットした甘い同棲生活に対して、今回僕の得たものが「左耳にかかるR氏の生暖かい吐息の記憶」というのは、なんか納得いかないんだよね。

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