2019年11月24日日曜日

Anthropocentric アンスロポセントリック


毎月第二水曜の昼は、特大会議室でデリバリーランチを食べながらのオールスタッフ・ミーティングがあります。支社の社員全員を対象とした無味乾燥な連絡事項が続く中、12時半頃「待ってました」的に始まるのが、お楽しみショート・プレゼン。毎回各部署から有志が登壇し、プロジェクト最前線の話をしてくれるのです。「風力発電の風車が数百台密集する砂漠地帯に飛来する鳥たちがプロペラに激突するのを防ぐための最新技術」だとか、「サウジアラビアで進行中の史上最大都市開発プロジェクト中間報告」だとか。いつもわくわくさせられます。

今回プレゼンに立ったのは、同じ環境部門のベテラン社員トムでした。アンガールズ田中のボディに森本レオの頭部をくっつけたような、独特の存在感。「山奥に棲む心優しい巨人」といったイメージでしょうか。オフィス内で姿を見かけることは稀で、過去数年間まともに会話したことがありません。出演予定者が今朝になってドタキャンしたため急遽トムに代打をお願いしたら快諾してくれたのよ、と司会のテリーが感謝の言葉を述べた後、プレゼンがスタートします。

トムがスクリーンに映し出したのは、サンディエゴ郡の地図に気象衛星からの画像を重ねたものでした。彼がとつとつと、前の晩に降った雨の分布を雲の動きと合わせて解説します。クヤマッカ湖付近では去年の同時期34ミリだったのが昨日すでに42ミリ降った。オコティヨ・ウェルズでは去年ほとんど降らなかったのに、昨日は4ミリ降ったんだ…。目尻や頬に深い皺が刻まれたトムの顔には、まるで久しぶりに懐かしい友人たちと再会したかのような興奮が滲んでいます。

正直なところ、誰かに降雨量データを延々と読み聞かされる経験がこれまで無かった私は、趣旨を図りかねて当惑していました。しかし喜色満面のトムに俄然興味をそそられ、画面に意識を集中します。太平洋から進んで来た雨雲がどのように陸地に進入し、その形態がどのように変化してサンディエゴ郡各地の降雨量にこれほどの差をもたらしたのか。ふ~ん、なるほどねえ。雨ってそういう風に降るんだ。勉強になるなあ。それにしても、この人なんでこんなに嬉しそうなんだろう…。会議室の窓をちらりと見ると、今も降り続く雨のしずくがまるで玉すだれのような模様を作っています。先週末は洗車に行かなくて正解だったな、という思いがよぎります。気が付くと、トムは最後のスライドの数字を読み終わり、サンキューと静かに会釈してから席に戻っていたのでした。

翌日の昼前、溜まっていた仕事が一段落したので、休憩がてらエレベーターホールを挟んで向かい側のエリアに足を踏み入れ、同僚ジョナサンに声をかけました。

「今日トム来てる?」

「いや、来週まで来ないよ。なんで?」

彼のプレゼンが面白かったので感想が言いたかったんだよ、と私。昨日の会議には出席しなかったというジョナサンに、

「雨のことをあれほど嬉しそうに語る人を、生まれて初めて見たんだ。それが何だか引っ掛かって、もっと詳しく聞きたいなと思って。」

と笑うと、彼が両腕を真横に拡げて手首を小さく降りつつ、こう真顔で答えたのでした。

「この辺に座ってる連中は、一様に大興奮してるよ。もちろん俺も含めて。」

「え、そうなの?なんで?」

「俺たちの専門は生物環境保護なんだぜ。雨は天の恵みじゃないか。」

あ!とこの時、何かとんでもない大失態をやらかしてしてしまったような気分に襲われました。曲がりなりにも過去十五年ほど環境部門に在籍し、雨が生態系にとっていかに大切なものかは充分承知しているつもりでいました。しかし実際のところ、全然分かっちゃいなかった。言うなれば、「腑に落ちて」いなかったのです。

「今年は特に雨季の始まりが遅くてさ、やっと今週だろ。待望の雨だ!とみんなで盛り上がってたところだよ。トムなんか、メールで週刊降雨量ニュースを我々に配信するくらいの雨オタクなんだ。人一倍喜んでるよ。」

砂漠地帯のアンザボレゴなども、タイミングさえよければわずかな降雨量でも一斉に花が咲く。近所のキャニオンだって、一雨去ると突然緑が勢いよく繁り始めるんだ、とジョナサン。

「フィールドに出てみりゃ分かるけど、空気の匂いも一変するんだぜ。」

降雨前線が近づいて来ただけで、まるで永い眠りから覚めたように萌え始める沢山の生命を想像して胸が躍るんだ、と。私は暫く呆然とした後、何故かペラペラと言い訳を始めていました。

幼い頃から、自分にとって雨は厄介者でしかなかった。日本では水害が多く、雨は「打ち勝つべき敵」という見方が染み付いていた。大学時代は土木工学科で治水(水を治める)を学んだし、卒業後の最初の仕事だってニュータウンの洪水対策だった。「雨を待ちわびる」なんて感情はついぞ浮かんだことが無かった。雨の少ない南カリフォルニアに住むことになった自分は、本当にラッキーだと思っていた。

「ま、俺たちみたいなのが少数派なのは分かってるよ。」

とジョナサン。彼は誰を批難するでもなく、こう続けたのでした。

“We live in an anthropocentric world.”
「俺たちはアンスロポセントリックな世界に住んでるんだ。」

ん?今なんて言った?慌てて記憶のテープを巻き戻します。Anthropology(文化人類学)という単語があるのは知っていたし、centric(セントリック)が「中心の」であることも分かっていたので、これが「人間(人類)中心の」という意味であることは直ちに悟りました。

“We live in an anthropocentric world.”
「俺たちは人間中心の世界に住んでるんだ。」

我々人類を「生態系を構成する一要素」として捉えるのではなく、自然と対抗するポジションに置く考え方のことですね。う~ん、なんだか突然視界が開けた気分。対象が何であれ、自分がここまで一面的な物の見方をしていたことに気付かされるというのは、なかなかにスカッとする体験です。もう少し話したかったのですが、12時から上司のセシリアとランチに行く予定があったので、そこそこにジョナサンとの会話を締めくくって自分の席に戻ります。

セシリアも私も多忙なため、ランチタイムくらいしか話す時間が無い、ということで近くのサンドイッチ屋で昼飯食べながらの会議。議題は「プロジェクトコントロールの業務にアウトソーシングの余地はあるか」という際どいものだったこともあり、まず気分を和らげる意味で先程のジョナサンとのお喋りについて話してみました。私が雨を敵対する存在として捉えていたこと、そしてトムやジョナサンの視点に驚嘆しつつも自分の物の見方を拡げるきっかけをもらえて嬉しかったこと、などを説明。するとセシリアは、目を見開いてこれに反応し、

「私もトムやジョナサンと同じ側よ。シンスケみたいな視点、私の頭には全然無かった。みんなが自分と同じように考えてるとばかり思い込んでた。」

エコロジストである彼女が私と同じ側にいる可能性は最初から想定していませんでしたが、雨を敵と捉える見解自体が頭に浮かばない、というのは面白いと思いました。

「結局のところ、人の考え方って本当に色々だって話だね。常識なんて存在しない。世界中の人がみな違う環境で育ってるんだから、それぞれ独自のバイアスをかけて物を観ていて当然なんだよね。」

そう当たり障りなく総括しながらも、心の中ではセシリア達の方が人間として上等なような気がしていました。

「実を言うとさ、水曜日にリックがフィールド・ツアーに出かけた時も、気の毒に思ってたんだ。」

と私。環境部門の大ボスであるリックがサンディエゴにやって来て、支社の管理する現場事務所を視察するというのが水曜日だったのです。折角の視察なのに、ちょうど前日から雨に降られちゃって可哀想に…。現場の社員たちだって、雨の日にお偉方を案内するなんてさぞかし気が重たかろう、と。

「え?なんで?現場の皆は大興奮だったわよ。ドンピシャで雨が降ってくれたって。」

こんな時に大ボスを迎えられるなんて俺たちはなんてラッキーなんだ!と皆で小躍りしていたというのです。よく考えてみればこれは、開発跡地などの緑を再生するために使う植物の種子を貯蔵したり、苗木を育てたりするために作られたフィールドオフィス。ここで働く者にとっては、願っても無いタイミングのお湿りだったのです。一斉に輝き始めた植物を大ボスに見てもらえたことが、何より嬉しかった、と。

一面的な物の見方についての反省をセシリア相手に吐露したばかりだというのに、またやらかしてしまった!これはいよいよヤバいぞ。自分の中の常識を疑ってかからないとな…。

さて、議論は本題に入り、我々プロジェクトコントロール・チームの業務の何を切り取ってアウトソース出来るのか、というテーマでひとしきり話し合いました。今のチームは結束が固く、非常にうまく回っていること。しかし滅茶苦茶忙しくて依頼を断るケースが増えて来たこと。タイムシート入力ミスの修正など時間ばかりかかる単純作業を外注出来れば、生産性は著しく向上するであろうこと…。

サンドイッチ屋を出てオフィスに向かって歩いている時、セシリアがクスクス笑いながらこう言いました。

「さっき私がわざと水のアナロジーを使ってたの、気がついた?」

「え?何のこと?」

「あなたのチームがぐんぐん成長してる様子を、植物がたっぷり水を吸って大きくなってることに喩えてたのよ。」

「あ、そうか!」

「そしたら、忙しくて依頼を断らなきゃいけないって話の時、溺れてる人を助けてあげられない気分だって言ったでしょ、シンスケ。あくまでも水をネガティブに捉えてるんだなって思って、可笑しくなっちゃった。」

し、しまった…。

6 件のコメント:

  1. そんなに細かい所に気づいて欲しいってのは、、、なかなか難しいよねぇ。。。日本人の会話だと「欲しがるねー」とか言われそう。

    話は全く変わりますが、ターミネーターの最新版、アメリカでの評価はどうだった? 日本では封切り日の翌日にフジTVで「T2」の再放送やったけど、エドワード・ファー・ロングを失ったのはつくづく痛かったナーと再認識しましたヨ。翌週の日曜日に見に行ったケド、超満員ではなかったな~

    返信削除
  2. まだ観てない…。これといって反応は聞こえて来ないなあ。続編を成功させるというのは期待値が高いだけに厳しいよね。今までで良かったのはゴッドファーザー2とトイストーリー2、3かな。

    返信削除
  3. エイリアン2も成功作との評判高いゾ。あとビバリーヒルズコップ2もね。

    返信削除
    返信
    1. そうだったっけ?記憶にないぞ。インディジョーンズは三作目が最高だな。

      削除
  4. そういえば、テッド・バンディの映画が上演されているらしいね。
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191217-00010006-piaeigat-movi

    もはや興味ない?

    返信削除
    返信
    1. これは数カ月前にこっちのネットフリックスで観ました。それと知らずに見始めたので、途中でテッド・バンディの話と気づき仰天。凶悪な犯罪者としてでなく普通の家庭生活を送る優しい夫として描いているので、なかなかの味わい。おすすめです。

      削除