2017年10月1日日曜日

Lead someone astray  道を誤らせる

ロスの建築設計プロジェクトをサポートし始めて数カ月。ある日、若いPMのスティーブからこんなメールが届きました。

「仕事の一部をアウトソースせよという指示が来てるんだ。製図とプロジェクトコントロールがその対象になってる。ちょっと話せないかな?」

東ヨーロッパやインドには格安で仕事を請け負う部隊がいて、彼等の手を借りれば大幅なコストカットが見込める、というのが上層部の主張。この取り組みがうまく行けば、競合他社に対する価格競争力も上がろうというもの。世界中に支社を持つ巨大企業なんだからそのメリットを活かさない手はないじゃないか、というのは自然な思考でしょう。しかし同時に、これは北米中の支社で展開される大量のレイオフ開始ののろしでもある、というどす黒い未来も垣間見えて来ました。

「強力な圧力がかかっていてね。シンスケの提供してくれてるサービスも、丸ごと外注出来るって言われたよ。」

これにはさすがにカチンと来た私。

「向こうは僕の仕事内容をどれだけ分かって言ってるのかね。単純なデータ収集だけに時間を費やしてるわけじゃないんだぜ。この仕事のキモは、素早くデータを分析して的確なアドバイスをタイミング良くPMに送るところにあるんだ。こっちが働いている時間に地球の裏側で眠ってる連中が、君と直接会話することもなく、本当に同じクオリティのサービスを提供出来ると思う?大体僕は、このプロジェクトに週3時間くらいしかチャージしてない。わざわざ引き継ぎに時間をかけてまで海外に発注する価値があるのかね?」

そりゃそうだよね、とたちまち納得するスティーブ。

「大体その連中、ちゃんと英語喋れんの?」

英語学習者の私がこんな身の程知らずないちゃもんまでつけたくなるほど、焦りを感じていたのでした。

「考えてもみなかったな。確かにそれ大事だよね。聞いてみる。」

呑気に感心しているスティーブに、更にイラっと来る私。おいおい、こっちはキャリアがかかってんだぜ…。

そして上層部との更なる協議の結果、数百時間相当の製図作業をインドのチームに任せることが決まったのでした。

「プロジェクトコントールは今の態勢で続行していいってさ。」

こうしてとりあえずは難を逃れたものの、この一件以来、心中のざわつきはおさまりません。15歳の息子には常々、

「学校でそこそこイケてるからって油断すんな。個人レベルでの壮絶な国際競争に勝ち抜かなければいけない時代が到来してるんだぞ。」

と諭している私ですが、グローバライゼーションの波しぶきで自分の顔が濡れたのは、これが初めてだったのです。

品質に差が無ければ単価の安いモノやサービスを求めるのは、世の常識。情報流通の高速化が進んだ今、知識労働の多くが物価の安い国や地域に流れて行くのは不可避でしょう。そんな状況で果たして、職の奪い合いに勝ち残れるのか?スティーブに対しては色々抵抗してみたものの、不安は拭えません。海の向こうの人々がどの程度のサービスをいくらで提供しているのかという情報が無いので、時給の差を補って余りある付加価値を主張することも出来ずにくすぶる私でした。

木曜日、スティーブからメールが届きます。製図作業費用の正式見積が、インドから送られて来たというのです。

「見てくれよ。驚異的なコストダウンだろ。調整業務分のコストを追加したとしても、プロジェクト全体の収益率は大幅アップだよ!」

彼のあからさまな浮かれように一瞬気分を害しましたが、冷静に水を差します。

「いや、ここはひとまず気を引き締めて、リスクレジスターを更新するべきだと思うな。よく考えてみてよ。見ず知らずの外国人たちと初めてチームを組むんだぜ。リスクは高まると考えて当然でしょ。結局のところ、We don’t know what they don’t know (彼等が何を知らないかを僕らは知らない)んだからね。コミュニケーションの齟齬に起因する想定外の致命的ミスや手直し、それに伴うスケジュールの遅れなども新たなリスクとして加えておいた方がいい。コンティンジェンシー・リザーブも増額するべきだね。」

この忠告は意外だったようで、

「予測される収益アップ分をまるまるコンティンジェンシーに移しとけってこと?」

と驚きの反応を示すスティーブ。

「僕ならそうするね。」

暫くしてスティーブが、こんな返事を送って来ました。

“Well, you haven’t lead me astray!”

ん?これ、どういう意味だ?

Astray(アクセントは「レ」に置いて、アストレイと読む)は「道に迷っている」状態を指します。Lead someone astrayで、誰かを迷子にしてしまうことを言うのですね。

「君はまだ僕を道に迷わせていない!」

う~ん、どうも釈然としないぞ。後で部下のアンドリューや同僚ポーラにニュアンスを確認した結果、私の日本語訳はこうなりました。

“Well, you haven’t lead me astray yet!”
「なるほど。君のおかげで道を誤らずに済んでるよ!」

そう、それそれ!そういうことを言いたかったんだよ!とひとり興奮する私。PMに寄り添い、時には耳の痛い事も言って「道を誤らせない」のがプロジェクト・コントロール部門の最大の役割。時間をかけて築いて来た彼等との信頼関係がベースであり、それこそが我々の強みなんだ!

しかしそうやって息巻きつつも、深く考え込まずにはいられませんでした。普段「世界のどこにいてもこの仕事は出来る」と公言しているだけに、業務の海外流出に歯止めをかける決定的な論理など持ち合わせていないのです。今のポジションをいつまで守れるか…。イヤな予感が、じわりと脳に拡がります。

振り返ってみると、私はずっと「道を誤らない」人生を送って来ました。反抗期も無く、不良仲間とも交わらず、普通に進学して真っ当な職を得て、酒も煙草も博打にも手を出さす、順調に中年を迎えた。英語を学び、資格を取るなどして、将来起こり得るありとあらゆる事態に柔軟に対応出来るよう慎重に準備して来たつもりだったのですが、実は案外こういう人間が一番脆いのかもしれない。若い頃に多少無茶したり遊び呆けたりしてた方が、結構適応能力が高かったりして…。う~む。今からいっちょハジケてみるか?

さて土曜の朝。助手席に乗り込むや否や、息子が

「ハッピーバースデー!」

と声を弾ませます。そう、昨日は私の誕生日だったのです。ありがとう、と明るく応えながらも、この一週間考え続けて来たテーマが頭から離れません。彼を日本語補習校へ送り届ける車中、労働環境の変化について話しました。

「前々から言ってることだけど、世界中の人たちと仕事の奪い合いをする時代に突入してるんだ。大学へ行って何を学ぶかを考える時、このことはすごく大事な要素になると思うよ。」

うんうん、分かってる、と頷く息子に、

「パパの仕事だって、3年先にどうなってるか全く分からないんだよ。来年あたり、突然職を失ってるかもしれない。面白おかしく長生きするのって、なかなか難しそうだよ。」

と弱気な締め括りをしてしまう私でした。すると彼が、

「ヒュー・ヘフナーは91歳まで生きたんだよ。」

と返します。先日亡くなったヒュー・ヘフナーは、雑誌「PLAYBOY」の発刊者。若くして巨万の富を築き、晩年は正妻を含む多数の美女と、豪邸で楽しく暮らしたそうです。

ここでなぜか英語モードになった息子が、ふざけた口調でこう言いました。

“You gotta beat that guy, Dad!”
「あの人を超えなよ、パパ!」

ハハハと笑った後、意外なことに、ムクムクと元気が湧いて来ました。


よ~し、やってやろうじゃねえか!

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