土曜の夜明け頃、隣で寝ていた妻が突然上げた奇声で目が覚めました。何か怖い夢でも見ているのか?かねてから、悪夢にうなされて苦しみが長引くようだったら揺り起こして救済する協約になっているので、がばと跳ね起きて身構える私。ところが、次に彼女が発した音声があまりに意表を突いていたので、思わず首を傾げます。
「テーン、ナーイン、エイト、セヴン!…」
え?英語でカウントダウン?彼女の頭の中で、一体何が起こっているんだろう?
それからひとしきり激しく何か叫んだ後、むにゃむにゃ言って再び深く寝入ってしまいました。すごいなこの人、「ゲラウェイ」とか何とか、誰かを怒鳴りつけてたぞ。英語で夢見るんだ、うちの奥さんって…。
渡米して17年、夢も現もきっちり日本語メインの私。40年近くも日本で暮らしたのだから脳のOSが日本語仕様なのは当然なのかもしれませんが、これだけ毎日英語環境に身を置いてるんだから、そろそろ「何でも英語で考えるようになっちまって、困っちゃうぜ」くらいのかぶれようを見せても良さそうなものだと思うのです。アメリカ人相手に日本語で話している夢から醒めた時などは、さすがにがっくり来ます。「そこは英語だろ!」と自分に突っ込まずにはいられない。
しかしその一方で、脳の英和切り替えスイッチを完全にコントロール出来るようになる日は近く、今はその過渡期にあるのかもしれない、と思う自分もいます。実際、規則性は不明ながら、「何故だか今日は面白いほど英語ペラペラだぜぇ!」という日もあれば、「ダメだ、今日は完全にカタコトの日だ!」という時もあり、段々とではあるけれど「ペラペラの日」の割合が増えているような気がするこの頃。ひょっとしたら来年あたり、「あれ?気が付いたら長期間ずっとペラペラだぞ?」てなことになっているかもしれない…。
今思い出しても恐ろしいのですが、木曜はその「カタコトの日」でした。11時半にスタートした、全米対象のウェブトレーニング。参加者の音声を予めミュートしてあったので、リアクションが全く分からない状態で講義を開始します。小会議室の大画面テレビの右隅に、ひとり、また一人と出席者名が加わり、総勢百数十名のリストが急速に仕上がって行くのを見つめながら、静寂の中でスピーカーフォン相手に話し始める私。ところが、次に喋るべき英文がさっぱり浮かばないのです。ぴったりした単語もなかなか見つからない!焦れば焦るほどどもり気味になり、脇汗が噴き出して来るのを感じます。やばい、久しぶりにド緊張しているぞ!
その時、部下のカンチーが背後のドアから静かに入って来て、テレビ画面の右横の席にそっと座りました。そして画面と私の両方に目を配りながら、ここぞという話のポイントで、いちいち深く頷き始めたのです。何かを言いあぐねて天を向こうとすると、穏やかな表情でこちらを見つめ、大丈夫ですよ、という目配せで私を落ち着かせる彼女。そんな風にして45分間のプレゼンが、無事終了したのでした。
「本当に有難う。君がいてくれたから、何とか乗り切れた。実はかなり緊張していてね、あのまま一人で続けてたらヤバかったよ。」
とお礼を言うと、彼女がニッコリ笑いました。
“Great. I came here for
your mental support.”
「良かった。私はここに、メンタル・サポート(精神的サポート)をしに来たんですよ。」
その日の朝、今日は「カタコト英語の日」であることを悟った私は徐々に緊張して来て、彼女にそれを漏らしたのです。カンチーはそんな上司を応援しようと、わざと私の顔が見える位置に座ってくれたのですね。
「17歳のころ、初めて大勢の前でプレゼンしたんです。」
海洋学を通じて青少年を育成する非営利団体の活動に参加していた彼女。渡米したばかりで英語もカタコトだったのに、連邦政府や大企業から来た招待客たちの前で研究発表をしなければなりませんでした。
「プレゼン中ずっと、私のメンター達が全員で最前列に座って、大きく頷いたり拍手したり、ガッツポーズを取ったりと、全力で応援してくれたんです。あの時の感謝の気持ちは、今でも忘れません。」
あの経験が無かったら今の自分は無い、と言い切るカンチー。情景が再び目の前に蘇ったのか、ぐっと言葉に詰まって涙ぐみます。愛情溢れる応援が、誰かの人生を変えることってあるんだなあ、と静かに感動を味わう私でした。この日彼女から受けたメンタル・サポートも、きっと忘れることはないでしょう。
さて、話変わってこの土日は、15歳の息子が所属する水球クラブが大会に出場するということで、家族三人オレンジカウンティへの一泊ドライブ旅行をしました。彼のチームは上級者が多く、息子は控え選手。こちらの優勢で試合が進んでいる時は短時間だけ交代要員を務めるのですが、接戦になるとなかなか出番がありません。それでも限られた時間で懸命にプレイする彼を見て、胸が熱くなる私でした。そもそも水嫌いの私には、何分間も足をつけずに泳ぎ続ける、というだけで既に想像を絶する偉業であり、その上でボールをパスしたりシュートしたり、というのはもうカミワザ。プールサイドで選手以上に熱くなって審判を猛烈に野次ったりしている親を見ると、
「子供たちがこんなに頑張っているだけで素晴らしいじゃないですか。勝っても負けても、皆で温かく褒めましょうよ。」
となだめたくなってしまいます。ところが私の横にいる妻は、どちらかというとそういう「興奮しがちな親」のグループに属しているようで、観戦中にしばしば大声で叫びます。高校時代バレーボールに打ち込んでいたこともあってか、スポーツとなると無性に燃えるみたい。土曜の最初のゲームでも、息子だけでなく他の選手たちの名も呼びながら、「行け!」とか「泳げ!」とか「シュート!」とか、まるでコーチのように指示していました。
最初の試合を白星で終えた後、二試合目が始まるまで近くのカフェで時間を潰そうと妻子を乗せて車を走らせているうちに、ハッと膝を打つ私。
「あ、分かったぞ!」
どうしたの?と尋ねる後部座席の息子。
「なんでママが夢でカウントダウンしてたのか、今分かったんだよ!」
水球のルールで、攻撃開始から30秒以内にシュートしないといけない、というのがあります。厳しいディフェンスに会い味方が攻めあぐねているうちに残り10秒を切ると、ベンチにいる者が、あるいはゴーリーが、時には応援席の保護者たちが、大声でカウントダウンをしてシュートを促すのです。妻が夢の中で息子の水球観戦をしていたと考えれば、その後色々英語で叫んでいたわけも説明が付きます。この話を二人に聞かせた後、息子に向かってこうまとめました。
「君のママは、寝ている時でさえ君たちを応援してるってことだよ。」
自分の寝言を全く覚えていないと言って、ケラケラ笑う妻。その時息子が、後ろから助手席へゆっくりと手を伸ばして妻の左肩に優しく触れ、落ち着いた声でこう言いました。
「ママ、有難う。」
15歳の少年の心に、妻のメンタル・サポートはしっかり届いたみたいです。
シンスケさん初めまして。最近こちらのブログを拝読している者です。
返信削除以前息子さんのロードトリップのお話がありましたが、息子さんとの会話は常に英語でされていらっしゃるんでしょうか?
読んで下さってありがとうございます。息子との会話は基本、家では100パー日本語ということにしています。込み入った話では日本語の単語を探し出すのが面倒くさくなるみたいで、英単語を並べて日本語の助詞で繋げる、ルー大柴調の喋りになってしまいますが。
返信削除お返事いただきありがとうございます。
削除なるほど そうだったのですね。同僚の方とのやり取りも日本語で書かれているので、「」内の文章は全部英語で話されたものなのかと思い不躾ながら質問させていただきました。
シンスケさんのお仕事や生活環境などが自分にとっては未知の世界なので、本当に面白く読ませていただいております。これからも楽しみにしています。日々御多忙のことと思いますが、陰ながら応援いたしております。
嬉しいお言葉有難うございます。うちの息子は平日の日中はずっと英語だけで過ごしているので、帰宅後の日本語での会話が面倒くさくなっていた時期もありました。今では「ちゃんとしたバイリンガルになりたい」という気持ちになっているようで、なるべく正しい日本語を使おうという姿勢が見えます。一昨日は水泳チームの今シーズン最後の大会でメダルを取って来て、「有終の美を飾れた」と胸を張っていました。
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