先週火曜日。二週間の一時帰国を終え、妻と一緒にロサンゼルス空港へ降り立ちます。入国審査を終え、国内便への乗り換えゲートの列に並んでいると、映画「ダイ・ハード」でリムジン・ドライバーを演じていたノリの軽い黒人青年を三年ほど成長させたルックスの担当官が、まるでバナナの叩き売りみたいに立て板に水の口上で次の客を呼び込んで行きます。ほどなく私たちの順番が回って来て、
「ハイハイ、お次のお姉さんはパッと見たところ25歳だな、いやいやどう見ても21歳。」
これには妻もつい吹き出してしまいます。彼女のパスポートを手早くスキャンして私を呼び寄せると、
「そうすると旦那さんはもうちょいとばかり年上ってとこかな、ずばり26歳!」
私のパスポートに見入って答え合わせをするでもなく、手は口と独立に動いて素早くスキャンを済ませます。
手荷物チェックの列に並びながら、あんなお調子者をこの仕事にあてがっていることへの驚きを妻とシェアする私。我々はTSA
Preという事前に料金を払って身元確認を済ませた旅行者の列に並んでいたので、パスポートチェックが形式的な手続きであることは承知の上。それにしても軽すぎるだろ、と。
銀色の金属回転体を並べたコンベアに大型のトレイを置き、機内持ち込み手荷物を順々に載せて行きます。検査対象物が四角い箱に入る前に持ち主の我々はゲートをくぐり、向こう岸で待ちます。ゴムのビラビラカーテンをめくりあげて妻の手提げバッグと私のバックパックを載せたトレイが現れ、暫く停止した後、検査官の待つ側のルートへと振り分けられて行きました。
「あれ?何か変な物入れてたっけ?」
と私。首を傾げる妻。すると、列に加わった三十代くらいの白人男性が大きな溜息をつき、両手を腰に添えて苦笑しました。
「ほぼ毎回ここでつかまっちゃうんだよね、俺。しかも何を入れたか全く思い出せないんだ。」
振り返って彼の顔を見て、笑顔で同意を示す私。
「あ、そうだ、ペットボトル入れっぱなしだった!」
と小声で叫ぶ妻。羽田からロスまでの国際線内で長時間持参していたため、国内便乗り継ぎのことをすっかり忘れていたのですね。そうこうするうち、検査に合格した荷物を手にして去る人が目の前をどんどん行き過ぎて行き、残されたトレイが手前のコンベアで渋滞し始めました。するとさっきの白人青年がさっと歩み出て、隣り合った空きトレイを順々に二枚重ねにしてスペースを稼ぎます。係官の数が足りないのか、単なる旅行者の彼が空港運営側の仕事をする羽目になっているのです。白人青年はそのボランティアワークを一旦終えて元の位置に戻ったのですが、カラのトレイは見る見るうちに溜まって行きます。見かねた私はさっき青年が二枚重ねにした束に追加されたトレイを更に重ねて行き、全部まとめて左端の集積所へ一挙に移動しました。
“Now you’re making me look bad!”
「俺の立場なくなっちゃうじゃん。」
キマリ悪そうに笑う青年。するとモニター画面を睨んでいた髭面の中年黒人検査官が我々に視線を移し、微笑みながら丁寧に感謝の言葉を述べます。そして手元に到着した妻の手提げかばんから、綾鷹500ミリと飲料水入りミニペットボトルの首のところを左手で掴んで持ち上げました。
「ごめんなさい。すっかり忘れてた。」
と妻が笑うと、
「いやいや、こういうのはちゃんと最終確認をしなかった旦那の責任なんだよ。」
と私を見つめ、ニヤリと笑ってから微塵の躊躇も見せずに二本ともごみ箱に放り込んだのでした。
出発便ゲートへ進みつつ、今さっき目の前で起きた展開って日本ではあり得ないよね、と妻と話し合いました。係官が搭乗客に軽口叩いたり、見知らぬ人がにこやかに話しかけて来たり、などという光景を日本の空港で目にすることなど考えられません。いや、空港に限らず日本では(特に大都市では)、人と人とが一定の距離感を保って生活しているように思えます。
東京滞在中の朝、犬の散歩をする人々と何度もすれ違ったけど、誰一人として視線を合わせて来ないことに気付き、違和感を覚える自分がいました。サンディエゴの自宅周辺で朝のウォーキングをする際、すれ違う人と挨拶を交わさないことの方が稀なので。コミュニティ内で発揮するフレンドリーさとリスペクトのバランスが、日米で著しく違うのだということにあらためて気付かされたのでした。
帰国中、妻と二人で急遽飛び込んだ赤坂のヘッドマッサージ店「眠りの森」では、施術終了後、担当した女性達がエレベーターまで見送りに来て、ドアが閉まるまでしっかりとお辞儀を続けました。両掌をぴんと伸ばし、指先をおへその辺りにつけて。妻と顔を見合わせて驚嘆しつつ、これってアメリカじゃあり得ないよね、という話になりました。
女子社員たちへのお土産にと横浜みなとみらいの「中川政七商店」で台所用布巾を購入した際も、わざわざ小分け包装にし、それぞれ中身の色が外から分かるようカラー付箋を貼ってくれたことに感動し、日本のサービス業の顧客満足追及レベルは段違いだよね、と妻と頷き合います(後でこの話を聞かせた日本人の女友達から、「普通じゃない?」と言われて更にぶったまげましたが)。
数年前、職場で毎月一回開かれるカジュアルなプレゼンイベントで、40人くらいの聴衆に対し、その直前に果たした一時帰国中に感じた事について話しました。皇居周辺の満開の桜並木、東京のビル街に点在する神社や寺院、リサイクルごみの緻密な処理ステップや日本橋高島屋の荘厳な開店シーンなど、ビジュアル素材を多数披露した後、極楽鳥花やブーゲンビリア等の鮮やかな色彩を愛する自分と、散りゆく桜の儚く淡い色合いを愛する自分が矛盾なく共存していることを述べ、喝采の中プレゼンを終えました。
その一週間後、イベントを主催したチームが私の使った写真素材を散りばめたポスターを作製して記念品として贈呈してくれたのですが、ここに添えられていた文章が私の注意を惹きました。そこには、「シンスケが二つの国のJuxtaposition(ジャクスタポジション)を披露して」と書かれていたのです。すぐに辞書で調べてみたところ、「対比」とあります。ううむ、分かったような分からぬような…。Comparison(比較)とどう違うんだろう?さっそく、通りがかったインテリの同僚クリスティをつかまえて解説を求めました。
「Comparisonには、分析して評価する、つまり優劣みたいなものを決めようという意図がにじんでいるけど、Juxtapositionは純粋に二つの物を並べてみて、違いを読み取ろうとすることだと思うわ。」
とのこと。なるほどねぇ。日本とアメリカのどっちがいいかを論じたいのではなく、二つの国のコントラストを素直に鑑賞していた私には、しっくり来る説明なのでした。
さて、妻と一緒に搭乗口へ向かって歩きながら、この時のことを思い出し、口の中で「ジャクスタポジション、ジャクスタポジション…。」と呪文のように唱えていた私。突然鼻がムズムズし始め、我慢しきれず思い切りくしゃみを一発。すると間髪入れず、5メートルほど離れた壁際でスーツケースを停めて立っていた白人女性が、“God
bless you!(お大事に)”とはっきりした口調で言ったのです。赤の他人が人のくしゃみにツッコミ(じゃないけど)入れるなんて、日本ではあり得ないよなあ。あらためて、ジャクスタポジションを愉しむ私でした。
やっとブログが再開されたね。待ち遠しかったヨ。
返信削除かつての大ヒット映画「スピード」でも主人公のサンドラ・プロックが、通勤するバスの運転手と軽口叩きながら談笑してるシーンが印象的だったね。
映画だからだよねー、と日本人なら思うけどアメリカじゃ当たり前の光景なんだね。