先月からほぼ毎日、夜明け前にソロ・ウォークを楽しんでいます。一般に薦められる「脂肪燃焼に効果的なハイペース」のパワーウォークではなく、約一万歩を80分という適度なペース。北カリフォルニアで長引いている山火事の影響で大気汚染のレベルがヤバい日以外は毎日歩くと決めたので、今くらいの負荷がちょうど良いのですね。
この日課を始めた時には、単に「運動不足解消」くらいに考えていたのですが、一ヶ月継続してみて大事なことに気付きます。これまで実に何年間も、物事をじっくり考える機会が減り続けていたのだ、ということに。
仕事のペースは日々刻々と加速して行く。YouTubeやポドキャスト、SNS、ネットフリックスなどの爆発的な増殖により、目や耳を通じて脳への侵入を試みる情報の量は毎秒、指数関数的に増えている。料理や洗い物の最中でさえ、AirPodを耳に装着して何かしら聴いている。自分でも気づかぬうち、脳は自律的に考えることを停止し、入力データをプロセスする作業にかかりきりになっていた。そうしていつの間にか情感全体が疲弊し、麻痺してしまっていた。
イヤホンもせず、携帯は懐中電灯と時間確認以外には使用せず、ひたすら黙々と暗闇を歩くようになってから、「ぼんやり考え事をしていて意識が飛ぶ」体験が増え、ゾクゾクするような興奮を味わっている私。なんだろうこの懐かしさは?学生時代ほぼ毎日じゃれあっていた旧友に、スクランブル交差点の真ん中で遭遇したような感覚。おお、元気だったか?あの頃はほんと、くだらない話で盛り上がってたよなあ…。金は無いけど暇はある。何かっていうと笑ってた、そんな時代。
そうなんだ。コンピュータもインターネットもスマホも無かった時代、世界はもっと鮮やかだった。夜明けの空の色や木々の緑、小鳥のさえずり。そうしたひとつひとつの事象が生き生きと粒立った天然色ワールドの中で、僕らは常に細かく思いを巡らせていたんだ。今日デジタルで届けられる膨大な情報は知識欲を満たしてくれる一方、僕たちの思考を巧みに制御し、支離滅裂な白昼夢を楽しむ自由を奪っている。そしてそれがじわじわと精神の健康を蝕んでいるということに、僕らはどこかで気づいているのだ。しかしその圧倒的なメリットには抗えず、デジタル世界の一員としてじわじわと洗脳されていく…。
コロナが無かったら早朝ウォーキングなど始めていなかっただろうし、こうしてデジタルの呪縛から解放される術を会得する機会も無かった。世の中というのは、個人のレベルでさえ絶妙なタイミングで目に見えぬ力が働いて、バランスを正すように出来ているのだなあ、という畏怖の念をあらためて覚えるのでした。
さて数日前、オレンジ支社のジョニーからテキストが届きました。
「シンスケ、どうしてる?六月以来喋ってないよね。」
彼が突然Furlough(一時解雇)通知を受けたのが、五月の末。アミューズメントパーク系の巨大デザインプロジェクトを多く手掛けていたスターPMの彼が、まさか戦力外宣告を食らうとは予想もしていませんでした。知力体力ともに並外れており、おまけに人当たりも良くチームメンバー達から厚い信頼を受けている彼。
さっそく電話で旧交を温めます。
「次の仕事はまだ見つかっていないんだ。コロナのせいで求職者がマーケットに溢れてるだろ。当然ながら極端な雇用者側の買い手市場になっていて、条件交渉が厳しいんだよ。」
「なるほど。」
それでも持ち前のポジティブさはいささかも失っていないこと。このチャンスを活かして毎日エクササイズに精を出し、三ヶ月で20パウンド(約9キロ)の減量に成功したこと。幼稚園や小学校の再開を待つ三人の子どもたちの面倒を見ていて、彼らの成長を間近に観察出来る喜びを味わっていること。公園に毎日出かけて練習したせいで、三人ほぼ同時に自転車に乗れるようになった。せっせとプールに通って、三人とも泳げるようにさせた。
「そいつはすごいな。」
と感心する私。その時、それまで遠くから聞こえていた幼い子供たちの声が急に大きくなり、ぐっと父親に接近したことが分かりました。
「ほら、Uncle
Shinsuke(シンスケおじちゃん)にご挨拶しなさい。」
とジョニーが穏やかな声で促すと、三人の子どもたちが入れ替わり立ち代わり「ハ~イ」と自己紹介。三人目の子に、
「自転車に乗れるんだって?」
と尋ねると、いかにも得意げに
「うんそうだよ。僕、乗れるようになったの。」
と答えます。年齢を聞くと、
「五歳。」
「そうか、五歳なのにもう自転車に乗れるんだ。それは大したもんだ!」
と褒める私。うふふ、と嬉しそうに笑う幼児。その後、用は済んだとばかりに未練気もなく遠くに去っていく三人の子どもたちに何か話しかけた後、ジョニーが電話口に戻ります。
「あの子達、お父さんと一緒に公園で自転車の練習したな、とかプールで泳ぎを教えてもらったな、とか、大きくなってからしみじみ思い出すだろうな。お互いにとって、本当にプライスレスな体験だよね。」
と私。
「うん、僕もそう思ってこの幸運に感謝してるんだ。金銭的な不安を除けば、今の生活は最高に充実してる。」
噛み締めるように答えたジョニーが、最後にこう締めくくったのでした。
“Everything happens for a reason.”
「全ての出来事に理由がある。」
つまり、「全ては必然である。」ですね。スーパースターの彼らしいカッコいいセリフだな、と感心する私でした。
さて、かくいう私も「毎朝一万歩」の成果もあってか、日々健康増進を実感しています。過去九ヶ月で9パウンドの減量。脇腹もすっきりして来ました。わたしも歩こうかな、という妻に、
「でもさ、何歩歩くかに関係なく、僕のウォーキングは80分が限界なんだよね。」
と告白します。まるで新型ウルトラマンのカラータイマーみたいに、きっかり80分以内に帰宅しないといけない。
「さて、何ででしょう?」
と、ここでクイズ。
「トイレでしょ。」
間髪入れずに即答する相方。
「あ、分かった?」
「何年夫婦やってると思ってんのよ?」
そう、スタート前に水をたっぷり摂取しているせいで、ウォーキング終盤は毎回膀胱爆発のスリルと戦っている私。近所で立ちションしてたら逮捕されるので、必然的に一定時間内に戻らないといけなくなる。その限界値が80分であることが、毎日データを積み重ねてみて判明したのですね。必然の80分。それを妻が即座に言い当てるのも必然。本当に全ては必然だなあ…。
いや、これはちょっと違うか…。
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