2019年10月6日日曜日

Lucid dreams ルーシッド・ドリームス


月曜の朝、白いブラウス姿で職場に現れたジゼルが、いつもより明るめな笑顔で声を上げました。

「ハッピー・バースデー!」

先に出社していた隣のブリトニーが、ハッとしてこちらに顔を向け、

「え?今日が誕生日なの?知らなかった

まるで朝のトップニュースを見ずに出勤し、話題に乗り遅れてしまった人のように当惑するブリトニー。どうしてジゼルが私の誕生日など知っていたかというと、給湯エリアの壁にマンスリー・カレンダーが貼ってあり、各マスにその日誕生日を迎える社員の名前が書き込まれているからなのです。そんなミニ情報コーナーに捨て目を使っていたのですね。

「別に上司の誕生日なんて知らなくていいよ。大体この歳にもなると、さして特別感無いしね。」

笑ってそう答えたのですが、他ならぬジゼルから朝一番でお祝いの言葉を聞けたことで、実はちょっぴり感動していた私でした。というのも、この三週間ずっとうっすらテンションが低く腹の調子もイマイチで、何でこんなに長期間気分がローなのかな、とよくよく考えてみたところ、どうやら原因は彼女みたいだということに気付いたからなのです。

五カ月前、ブリトニーとほぼ同時期に採用し、勤続三年の先輩社員カンチーに任せて日々じっくりトレーニングを重ねて来ました。そんな折、空港プロジェクトのPMウォーレンが大ピンチに陥っているというニュースをカンチーから伝え聞きました。契約・経理関係を担当していた社員が、突然テキサスへ引っ越すことになったというのです。その窮状を救うため、後任が見つかるまでジゼルを週20時間限定でレンタルすることにした私。するとたちまち職場にとけ込み、めきめき成果を上げ始めたジゼル。ほっと胸を撫でおろしていた矢先の金曜午後、「今の仕事をこのままフルタイムで続けたいと彼女は言ってるんだが、シンスケはOKか?」とウォーレンから電話で尋ねられたのです。本人からでなく先にウォーレンから告げられた、ということがまずショックでした。まるで恋人に捨てられ落ち込んでいた友達の家に自分の彼女を相談相手として送り込んだら、あっという間にデキてしまい、「ごめん、実は…」と男の方から告白されるパターン(だいぶ事情は違うけど)。

月曜の朝さっそく彼女を会議室に呼び出して、本心を聞き出します。

「空港の仕事の方が自分の性格に合ってるんです。プロとしての成長の機会もあちらの方が豊富だと思います。」

「このチームで働き始めて五カ月も経ってないのに、成長の機会はあっちの方が多いって感じてるの?」

「はい。」

決然とした彼女の目にドキリとし、怯む私。なんだか寝取られ男の悪あがきみたいで情けなくなり、強く引き止めるのは思いとどまったのですが、この会話の後味はその後じわじわと身体の芯を蝕み、日に日に元気を失って行った私。まるで延々と続く悪夢から、夢とは知りながらもなかなか目覚められずにいるような気分。その後カンチーにこの件を打ち明けたところ、

「ウォーレンから聞いたんですか?私も最初はショックでしたけど、本人の気持ちが一番大事だと思うんです。」

という反応。なんだよ、知ってたのかよ…。再びちょっぴり傷つきます。

「ジゼルがここで受けたトレーニングが実を結んでよそで信用を勝ち取ったってことじゃないですか。喜ぶべきですよ。うちのチーム全体を高く評価してるってウォーレンは常々言ってるんですよ。」

「でもさ、始めたばかりの社員にここでの将来性をあっさり見限られるってのは、やっぱ堪えるよ。」

とうなだれます。

「若すぎてまだ世界がよく見えてないだけですよ。どの仕事に将来性があるかなんて、そんなの分かるわけないじゃないですか。気にすることないですって。」

「トレーニングだって君に任せきりだったし、僕自身が充分ケアしてやれなかったところも正直ある。もしかしたら疎外感を味合わせちゃってたのかも、と思うと悔やまれるんだ。」

「グループがどんどん拡大してるんだから、リーダーが全てのメンバーにたっぷり時間を割いてはいられないですよ。それはチーム成長のコストじゃないですか。」

そんなカンチーの慰めも特効薬にはならず、人知れず黒々とした心の海底へ向かって少しずつ沈んでいく私でした。

よくよく考えてみれば、チームのメンバーと言っても所詮は他人。こちらがいくら家族のように思って接したところで、それぞれにプライベートライフがあるのだし、目指す方向が変わってある日やむなく袂を分かつことだってあるだろう。ジゼル以外のメンバーからだって、いつそんな告白を聞かされるかも分からない。いいチームを作ろうと日々心を砕いて来たつもりだけど、今はただ儚い夢の瞬間を生きているに過ぎないのかもな…。

先週金曜日になり、転籍手続きの状況をジゼルに尋ねてみたところ、

「籍は今のままで、週40時間空港オフィスに勤務するということでも良いですか?」

と言われ、戸惑います。

「今のチームは大好きだし、学べる環境はとても大切なんです。ウォーレンも賛成してくれました。」

う~ん、そのやり方って機能するのかな…。不審には思いつつも、

「分かった。とりあえずその形でやってみよう。」

と承諾します。

そんなことがあった翌週月曜の朝、彼女からの第一声が「ハッピー・バースデー!」だったわけです。

その後間もなく、ティファニー、シャノン、テイラー、そしてカンチーと続けて登場します。最後のカンチーが席に着きつつ「ハッピー・バースデー!」と私に笑顔を向けたところ、残りの一同がこれにぴくりと反応し、ざわつきます。そして、知らなかったことを白状しつつ口々にお祝いを述べます。

「いいからいいから、僕の誕生日なんてそんな大したもんじゃないって。」

と笑う私。するとシャノンが暫くして、

「みんなでバースデー・ランチに行きましょうよ!」

と提案します。え?そんなのいいよ、と辞退しかけたところ、二つ左隣のテイラーが、

「どこ行きたい?バースデー・ボーイに決める権利があるのよ。」

と参入します。すかさず

「じゃ、Grab & Goだな。」

と答えたら、

100%そう来るって予測してたわよ。」

と笑います。Grab & Goというのは、速い、安い、うまい、の三拍子そろったサンドイッチ屋。5ドルも払えば腹いっぱいにさせてくれるファストフード・ショップなのですね。

“We all know you very well, Shinsuke.”
「みんなあなたのこと良く分かってるんだからね、シンスケ。」

そして行きたいお店をちゃんと決めてよ、とせっつくテイラーでした。

結局リトルイタリーにあるCivico 1845という、そこそこ高級なイタリアンに決定。表通りに面した窓際の大テーブルに、七人で着席します。当然私は「お誕生席」に着き、女子社員たちが片側に三人ずつ座る格好。パスタやサラダに舌鼓を打ちつつ、最近観たネットフリックス・テレビシリーズや地元のファーマーズマーケットの話題で盛り上がります。

食事もほぼ終わり、「これだけコッテリしたもの食べると、午後は眠くなっちゃうんだよね。」という私のコメントがきっかけとなって、眠りについての考察に話の花が咲きます。シリコンバレーの会社みたいに「仮眠ポッド」と呼ばれるカプセルがオフィスにあったら、ひと眠りしてすっきりした頭で仕事に集中出来るのにな、という私に、

「下手に仮眠なんかしたら、余計だるくなって仕事にならないわ。」

というテイラー。

「前にどんな人が使ったか分からないようなカプセルで横になること自体、絶対無理。」

と身震いする、潔癖症のシャノン。

「私、真っ暗にして音も完全にシャットダウンした環境でないと眠れないの。」

と、人生で一度も仮眠を経験したことが無いというブリトニー。

「僕なんか眠くなったら、明るかろうがうるさかろうが、どこででも眠れるけどね。」

眠り方ひとつとっても、人によって様々なんだねえ、という結論になりました。それから、普段夢を見るか、見た夢をどれだけ憶えているか、という話題に移ります。

「あ、そうだブリトニー。こないだ君が教えてくれたLucid Dreams(ルーシッド・ドリームス)の話をしてよ。」

え?何それ?と皆が一斉にブリトニーの方を向きます。ちょっぴり赤くなったブリトニーが、突然のフリを咎めるような目で私を見た後、諦めて解説を始めます。

「これは夢だって分かりながら見続ける夢のことなの。訓練次第で、自分の望む方向にストーリーを修正することも出来るんですって。」

日本語では「明晰夢」と訳されるようですが、夢と気付いた瞬間に目覚めるのが当たり前と思っていた私は、そのまま眠り続けた上に更に自らの意思で流れを変えられると聞いてたまげたのでした。

「もちろん私は出来ないわよ。」

と慌てて質問を制するブリトニー。

そこへ突然ウェイターがやって来て、小さな白いお皿を私の目の前に置きます。白いパウダーシュガーをたっぷりふりかけたカノーリ(シチリアの代表的なデザート)と、黄緑色のミニろうそくが一本。ウェイター氏がライターで手早く点火し、シャノンの音頭で女子六人が大声で「ハッピー・バースデー」を歌い始めました。予想もしなかった展開。思わず両手で顔を挟み、周りのお客さん達と目が合わないようカノーリに視線を集中して歌が終わるのを待ちます。火を吹き消すと、女子六人が一斉に拍手。シャノンがやや興奮気味にこう言うのでした。

「八年間も一緒にいるけど、シンスケが赤くなるの初めて見たわ!」

それからテイラーが私に封筒を手渡し、

「分厚過ぎてちゃんと封が出来なかったの。ごめんなさいね。」

と笑います。封筒から突き出すような格好で折り畳まれたコピー用紙には、サンディエゴの主だったレストランで食事出来るという、万能ギフトカードが印刷されています。そして二つ折りの小さなカードには、六人からのメッセージが細かい字でぎっしりと書かれていたのでした。

ジゼルからは、

“Thank you for all you do and for being understanding.”
「色々してくれて、そして良き理解者でいてくれて有難う」

とあります。ブリトニーは、

“Thank you for being the most supportive and fun boss. We’re so lucky!”
「一番頼りになって、しかも面白いボスでいてくれて有難う。私たちは本当にラッキーよ!」

テイラーも、

“Happy birthday to the best boss around.”
「この界隈で一番のボスに、ハッピーバースデー。」

シャノンも、

“You are by far the best manager I’ve had.”
「過去最高のマネージャーよ。」

と最大限の賛辞を添えてくれています。おいおいみんな、これ以上無いタイミングで深い淵から救い出してくれたな。僕が最近どんなにローな気分でいたかなんて知らないだろうに…。暫くの間カードに目を落としたまま、口を開くことが出来ずにいたのでした。

うららかな初秋の陽射しの中、賑やかにさえずる女子たちと職場へ戻る道をそぞろ歩きつつ、まるで夢の中を浮遊しているような錯覚に浸る私。こんな素敵な夢なら、修正の必要は全く無いな。自然に目覚めるその時まで、たっぷりと幸せを味わおう。…そう思うのでした。



2 件のコメント:

  1. HappyBirthday!

    ResponsibleとAccountableの違いを調べていてこちらのブログに辿り着き、話しの面白さに引き込まれて昨日から延々読み続けてようやくここまで辿り着きました。

    類は友を呼ぶということわざがありますが、同僚部下ご家族含め、皆素敵な方々ばかりですね。私もそんな仲間を沢山見つけなくちゃ
    !と励みになります。どうもありがとうございます。そして今頃ですが、お誕生日おめでとうございます。

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    1. とても嬉しくなるコメントありがとうございます。長文なのにお付き合いいただき恐縮です。ご指摘いただきあらためて自分のラッキーさを噛みしめました。またお越し下さいね。

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