2018年5月19日土曜日

Tyranny of a blank sheet of paper 白紙一枚という残酷


「やだよ。メッセージだけでいいじゃん。」

と、露骨に顔を曇らせる16歳の息子。

「ママは君の絵が大好きなんだよ。きっと今年も期待してると思うな。出し惜しみしないで描いてあげなよ。」

「何描けばいいか分かんないよ。」

「何だっていいんだよ。バースデーケーキとかさ。」

「それは去年描いたよ。」

「いいから何か考えてよ。イラストが無かったらきっとがっかりするから。」

「う~ん、分かったよ。」

意外にあっさりと折れ、渋々ペンを持って椅子に腰かける長身の若者。妻に贈る誕生カードには毎年、我々男子二人からのお祝いメッセージの横に、息子によるペン画のイラストが添えられているのです。

「君の絵はいつも独創的だから、ママだけじゃなく色んな人が楽しみにしてるんだよ。」

二歳頃から、見る人が思わず顔をほころばせてしまうようなイラストを描いて来た彼。知り合いに「お金出すから描いて」と頼まれるほどのクオリティでしたが、そんな彼も今やニキビ面の高校生。リクエストに躊躇う気持ちも分かります。以前はカラフルだったイラストも、最近では黒一色。右脳からほとばしっていた純粋無垢なクリエイティビティが、年齢を重ねるとともに左脳の論理性に陣地を譲って来ているのでしょう。今回も、頭部の下に漢字の「火」みたいな棒状の手足をつけた「スティックフィギュア」で、自分と母親を並べて描いた息子。妻と二人、「今年で最後かもね」と、青空に霞んでいく虹を眺めるような気分でそんなイラストを眺めるのでした。

さて金曜日のランチタイム。巨漢の同僚ディックと連れ立って、ダウンタウンのリトルイタリーに向かいました。

「何食べたい?」

「何でもいいや。任せる。」

それじゃあ、と久しぶりにニュージーランド料理店Queenstown Public House(クイーンズタウン・パブリック・ハウス)をチョイス。料理の味自体は私のストライクゾーン外角低目をかする程度なのですが、鉄筋コンクリートのビル街で威風を放つイエローブラウンの木造建築、加えて店の内外に横溢する濃厚な緑とがポイントを稼ぎ、お気に入りレストランの上位にランクインしている一軒。

半透明のレモン色パティオシェードを通して差し込む陽光の中、ウッドデッキで二人掛けのテーブルに向かい合わせて着席します。まるで一輪車に跨ったサーカスの熊のように、巨体の背を丸めて普通サイズの椅子に腰かけるディック。「フリートークの切れがいい元プロレスラー」みたいなイメージで親しく付き合って来た陽気者ですが、ここ最近はどうも元気がありません。仕事のストレスが表情に滲み出ていて、ジョークにまぶしたスパイスにも、辛みより苦味が勝っていることが多い。こうして青空の下を歩いて太陽からビタミンを補給することで、ちょっとは気が晴れるといいんだけど、と密かに願う私でした。

そんな彼と料理の到着を待ちながら近況報告を交わしていた時、ふと口をついて出た質問。

「あのさ、ちょっと聞いていい?」

二年前に買った古い一軒家の前庭。入居時には美しく刈り込まれていた芝生が瞬く間に枯れ、タンポポやバミューダグラスなどの雑草、そしてその根っこを食おうと縦横無尽にトンネルを掘り進むゴーファー(土ネズミ)が大暴れした結果、見るも無残な荒地になってしまった。ボーナスが入ったら専門家を雇い、一から庭造りをやり直したい。まずは基本設計を仕上げる必要があり、妻と街歩きをしながら参考例を探しているのだが、未だにこれという庭に出会わない。理想の庭は?と考えてもアイディアすら浮かんで来ない。一体何から手を付けたらいいんだろう?

ホームオーナーとしては大先輩のディックなので、一般的なアドバイスをもらえるものと期待しての質問でした。

「一番先に考えるべきことはね、訪れる人にどんな印象を与えたいか、なんだ。前庭っていうのは、居住者の価値観や生き方を表現する場でもあるんだよ。この家に住む人はお偉いさんなのか、それとも気さくなタイプの人なのか。当然、家主の自己表現ポイントによってデザインも変わって来るだろ。まずは細部にこだわらず、自分の好きな庭の姿を描いてみるといい。大きな紙を拡げて、極太サインペンを心の赴くままに走らせる。この時、頭の中にある細かな制約条件に邪魔されないよう、無心になることが大事なんだ。ペンも普通の持ち方でなく、幼児がやるみたいにグーで握ってみるとかしてね。」

「ランチ仲間」というこれまでの緩い関係性ゆえか、彼の専門がランドスケープ・デザインであることを、この時まですっかり忘れていたのでした。

Frank Gehry(フランク・ゲーリー)ってデザイナー知ってる?ウォルト・ディズニー・コンサート・ホールみたいに奇抜な作品で知られてるんだけど、彼はまず何枚も何枚もスケッチを描くんだ。こんなもの作れるわけないよって普通の人なら自然にブレーキをかけるところを、構わず自由に描き続ける。ずば抜けたデザインってのは、そうやって生まれるものなんだ。実際に施工する側はブーブー言うかもしれないけどね。」

しまった、その道のプロに無報酬でコンサルティングを頼んでしまった、という自覚がようやく追いついて来て、恐縮し始めた私。しかし、当のディックは料理が運ばれても手をつけず、真剣なまなざしで話を続けます。

「結局のところ、こんな風にしたい、というアイディアを固めるのが一番難しいんだよ。そんな時に役立つのが、今まで見て来た事例のどこが好きでどこが嫌いかを具体的に言葉にしてみること。そうして段々と、自分との対話が始まるってわけさ。」

「なるほどね~。」

と私。言われてみればその通りです。

「僕は極力、維持管理が楽な庭にしたいと思ってるんだよね。そもそも庭仕事が好きなわけじゃないし、水不足のサンディエゴであまり凝ったガーデニングはすべきじゃないからね。かと言って、トゲの多いサボテンなんかも植えたくない。近寄った時、反射的に身構えちゃうでしょ。」

「そうそう、そうやって自分の欲しているものが何なのかを探っていくんだ。それがある程度固まったら、絵を描いてみるといい。自由にね。ま、こいつが結構難しいんだけど。」

それから彼は、更に具体的なアドバイスを提供します。

「素人が一番犯しがちなミスは、自分の好きな花を何でもかんでもいっぺんに全部植えちゃうことなんだ。結果的に、ごみごみした統一感の無いガーデンが出来ちまう。まずは庭全体のトーンをはっきり決めてから、植物の種類や密度を考えるべきだね。そして、見る人の目が惹きつけられるフォーカルポイントを作ること。レモンの樹一本でもいいし、ごつごつした岩でもいい。玄関のドアに向かって歩いて行く過程で庭の見え方はどんどん変わっていくから、どの角度でどう見せたいかも大事に考えた方がいいよ。」

「すごい、さすがプロだねえ!そんな発想、ちらりとも浮かばなかったよ。」

かれこれ7年以上の付き合いになるのに、専門家としてのディックからアドバイスを受けるのは初めてのこと。話しているうちにアーティスト魂が温まって来たようで、ふわりと顔をほころばせます。

ところが、最近手掛けているプロジェクトの話をしてよとお願いした途端、まるでブレーカーが落ちるようにさっと顔色を曇らせ、首をゆっくり振りつつ大きな溜息をつくのでした。

「C市のプロムナード・デザイン・プロジェクトがあるだろ。あれ、こないださんざん苦労して会心作を仕上げたんだよ。これは毎日わんさか人が訪れるような、街の名所になるぞって市役所の担当者もその上司も大興奮してた。ところがシティマネジャーに上げたら、無難なデザインに変更しろって突き返されちゃったんだ。ほんとに参るよ。新しいことをやろうとすると、決まって抵抗する奴が出て来るんだもんなあ。」

クリエイティブな業界にありがちなお話ですね。たとえ図抜けたセンスの芸術家がとんでもない傑作を仕上げたとしても、最終意思決定者がうんと言わなければ結局日の目を見ることなく埋もれて行く。最近ディックに覇気が感じられないのは、こういう事情があったからなのかもしれません。慌てて庭の話題に引き戻す私。

「ちょっと前に、庭の完成予想図みたいなものを描いてみたことがあるんだ。これがなかなか大変で、紙を前にすると何も浮かんで来ないんだよ。」

すると再び笑顔になったディックが、

「学生時代によくやらされた演習があるんだ。ごく簡単な条件だけ与えられて、さあ残り一時間でデザインしなさいって鉛筆一本と紙を一枚渡される。あれは本当にキツかった。何もアイディアが出て来ないまま時間だけが刻一刻と過ぎて行く。どんどん胸が苦しくなってねえ。教授がニヤニヤしながら、その状況をこう表現したんだ。」

Tyranny of a piece of blank paper
「白紙一枚のティラニー」

言わんとしていることは何となく分かりましたが、Tyranny(ティラニー)がひっかかります。「圧政」とか「暴虐行為」と訳される単語で、

Tyranny of the majority
「数の暴力」

などに使われます。ぴったりした日本語が出て来ないので、こんな風に意訳することにしました。

 Tyranny of a piece of blank paper
「白紙一枚という残酷」

大抵の子供は、紙と鉛筆を渡せば苦も無く絵を描き始めます。大人になると、学んで来た常識や論理が手枷足枷となり、クリエイティブなマインドを解放するのが難しくなるのですね。それをうまく言い表したフレーズだなあと思いました。

さて昨日の夕方、いつものように放課後の息子をピックアップしてから帰宅。小腹が空いたので何かおやつが無いかとキッチンを物色していたところ、無印良品のお菓子を発見しました。一時帰国の際に息子が気に入って買い込んで来た、「ホワイトチョコがけいちご」でした。

「ダメだよ。最後の一袋なんだから。」

と釘を刺す彼。

「これ、食べたことないなあ。味見したいから、今度ひとかじりだけさせてよ。今じゃなくていいから。」

「いいよ。そのうちね。」

眉間に出来た大きなニキビが気になって、大好きなチョコレートをここ何週間もずっと封印している彼。

「あ、これもう賞味期限過ぎてる!」

袋を手に取り、ショックを隠せない様子の16歳。

「大丈夫だよ、ちょっとくらい。」

と落ち着かせますが、

「どうしよう。今、開けちゃおうか。」

と気持ちが大きく揺らぎ始めた彼。

「チョコ食べたら、ニキビがもっと大きくなるかもよ。やめた方がいいんじゃない?」

と忠告しますが、数秒間の躊躇いを経て、ビリビリと音をさせ「ホワイトチョコがけいちご」を開封する息子。大好物を口に放り込んだ後、私の口にもひとつ入れます。

「うわ、これはおいしいねえ。」

と感動を伝えると、

「でしょ!」

と嬉しそうに答えた後、彼の口から飛び出したのがこんな言い訳。

「明日、何かの事故にあってベロが無くなっちゃたりしたら、きっと後悔するもんね。」

う~む、まだまだ結構クリエイティブじゃないか。


2 件のコメント:

  1. 前フリからオチまで統一されたテーマでうまく繋いでいるね。お見事!最後の息子君の言葉は何か英語の慣用句があるのではないの?落語でも有名なのあるよね「あー冷で一杯だけ飲んどけばよかった」ってヤツ(夢の酒)。

    ディック氏のアドバイスはプロフェッショナルならではの切り口を素人にも判りやすく説明しているのが素晴らしいね。しかし、それをブログで再現して見せるキミのテクニックにも脱帽だよ。

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  2. 恐縮です。英語の慣用句、あるのかなあ。そんなことは考えず、「どんな事故だよ!」とすかさず突っ込みましたよ。

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