2017年8月19日土曜日

Woman in the Dunes 砂の女

先日、オレンジ支社建築部門の若い女性社員二人と話す機会がありました。セビリア出身で二年ほど前までアブダビ支社で働いていたというレナ、そしてシンガポール出身のベティ。毎日NHK(英語版)を観ているという日本びいきのベティが、12月に予定しているという何度目かの東京旅行について熱く語ります。「美味しい食べ物、コンビニの棚に並ぶ種類の豊富な加工食品群、アート作品のような商品パッケージ」などが魅力なのだと。すると横からレナが、「私は去年行ったわよ」、と張り合います。彼女のご主人はずっと以前から日本語を勉強してるのだそうです。

「そろそろ旅行行きたいねって話になって、私はローマを推したんだけど、旦那がどうしても日本がいいって頑張っちゃって…。」

おお、ローマに競り勝ったのか。すごいなニッポン。

「日本のどこへ行ったの?」

「アカサカ。」

え?赤坂?数年前にも夫婦で滞在し、この時の印象があまりにも良かったので再訪を決めたのだと。帰宅して妻にこれを話したところ、

「赤坂で特別印象に残るところなんてあったっけ?」

とキョトンとしています。

「だよね。僕もそう思った。」

何しろ最後に行ったのは二十年位前だから、今の赤坂がどんなことになってるのかさっぱり分からない我々夫婦。

「そろそろ一時帰国しないとね。」

かれこれ五年は日本の土を踏んでいない私達。マイホーム購入という大きな出費があってからというもの、一時帰国はもとより、正直「旅行どころじゃない」経済状態が続いています。入居当初のガレージ大改装に始まり、天窓部分からの雨漏り、排水管詰まりによるキッチン洪水など不測の事態が続発し、そのたびに何千ドルという修理費用が吹っ飛んで行きました。

石川啄木の「一握の砂」ように、「はたらけどはたらけど」と言いながら「ぢっと手を見る」まではいかないけど、旅行好きだった我々夫婦がここまで長期間遠出していないという事実にあらためて気づかされ、軽くショックを受けたのでした。

オレンジ支社出張の翌日、ランチルームで弁当を食べていると、すぐ隣に座ったベテラン社員のビルが、

「昨日テレビで日本の映画やっててさ、思わず最後まで観ちまったよ。」

と言います。砂丘地帯に新種の昆虫採集へ出かけた男性教師が、親切そうな村人に勧められ、ある民家で一夜の宿をとる。断崖の縁から垂らした長さ十数メートルの縄梯子を伝い下りて辿り着いた掘立小屋には、淋し気な若い女が一人で暮らしている。翌朝目が覚めて旅立とうとすると、縄梯子は跡形も無く引き上げられており、どんなにあがいても叫んでも、すり鉢のような砂漠の底から脱出できない。やがてじわじわと、自分が囚われの身になったことを悟り始める。工夫を重ねて逃亡を試みるものの、村人たちに妨害されて果たせない。砂を掻く作業を強要され、拒めば水などの配給を止められる。喉の渇きには耐えられず、憤りつつも砂をバケツに集め始める。

「何そのキモチワルイ話?どんな人が出演してたの?」

「キョーコ・キシダっていうのがメインの女優さんだったと思う。綺麗な人だったな。」

え?岸田今日子?「犬神家の一族」などでの怪演やムーミンの声優で有名な?

ちょっと待てよ、と彼がスマホを取り出します。

「あった!タイトルは、Woman in the Dunesだ。」

そう、これは1964年に公開された阿部公房原作・脚本、勅使河原宏監督の映画、「砂の女」。海外での評価も高く、公開翌年のアカデミー賞では勅使河原監督がベスト・ディレクターにノミネートされたそうです(「サウンド・オブ・ミュージック」のロバート・ワイズに敗れましたが)。

核心に触れず、軽くあらすじだけなぞるビルの巧みな話術にまんまと引っかかった私は、先週末、映画「砂の女」を鑑賞しました。それから一週間というもの、まるで食中毒の後遺症で微熱が引かないような状態が続いています。

さて話変わって昨日(金曜日)、久しぶりに同僚ディックとランチに行きました。Queenstown Public Houseという、木造二階建てのオシャレなニュージーランド・レストランのテラス席で舌鼓を打ちます。ネバダでの仕事から戻ったばかりの彼と、「最近、出張はあるけど旅行してないんだよね」という話題になりました。

ちょうど私が先日打合せした同僚サラは、ブライス・キャニオンへの絶景ハイキング旅行の話をしてくれました。木曜の朝、歯のクリーニングに行った際には、若い歯科衛生士のジュリーがニュージーランド旅行のエピソードを楽しそうに語ってくれました。二年に一度は海外旅行を楽しんでいるという彼女。羨ましいな、本当に旅が好きなんだね、と言うと、

「旅こそが人生じゃない。そうでしょ?」

と、マスクをかけたまま満面の笑みのジュリー。

その日の夕食後、妻と「そろそろ本気で一時帰国の予定を立てようよ」と話し合いました。まだ一度も日本の桜を観たことが無い15歳の息子が大学進学準備で忙しくなる前に、お花見ツアーを企画しようか、という流れで盛り上がります。いいねいいね、それまでに頑張って貯金しよう、と励まし合いながら。

「結婚して間もない頃は、頻繁に国内外を旅行してたんだよ。それがここ数年、すっかりサンディエゴに落ち着いちゃってるなあって思いつつ、まあそれはそれでいいか、と納得してる自分もいるんだよね。」

と私。ディックが何度も大きく頷きながら、

「俺もだよ。結婚して、子供が出来て、家を買って、生活は安定した。その代償というべきか、行動範囲は大幅に狭まっちまった。でもそれは旅行だけに限った話じゃないよ。若い頃はさ、今の仕事を辞めたって5秒もあれば次の仕事は見つかるさっていう、傲慢なまでのお気楽さがあったんだ。その気になればいつでも好きなところへ行けるんだっていう謎の確信がね。でもそこそこ給料も上がって責任を持たされてみると、簡単には今の立場を手放せなくなるんだな。」

この発言が起爆剤になり、突如、映画「砂の女」のイメージが頭の中のスクリーンに大写しになります。ストーリーをかいつまみながら、私なりの解釈をディックに聞かせました。

この作品の本当のキモは(ここからネタバレ注意)、「罪もない男が理不尽なやり口で自由を奪われる」というくだりではなく、年月を重ねるうちにその環境にすっかり慣れ、最初は忌み憎んでいた女とも仲睦まじくなり、更に新しい研究テーマまで見つけて夢中になって行くという展開にあると思うのです。挙句の果てに、村人がうっかり縄梯子を垂らしたまま立ち去ったというのに、「まあいいか、今はこの研究を続けたいし…。」と逃亡を思い留まるという、何ともやるせないエンディング。

「ハシゴがそこにあるのに脱出する気がおきない、というところが妙にリアルで、胸に突き刺さるね。」

とディック。

「でしょ。分かってくれて嬉しいよ。」

認めたくはないけど、「砂の女」の主人公と今の自分には、重なる部分が大いにあるような気がするのです。仕事に対する愛を公言している私ですが、それが子供の頃からやりたかったことかと問われれば、イエスとは言えない。色々あって飛び込んだ環境の中、生き残るためがむしゃらに取り組んだ仕事がたまたま面白かった。目の前のことにその都度一生懸命取り組んでいるうちに収入は増え、暮らしも安定した。しかし同時に忙しさは増し、住宅購入のために借金を抱え、日々しゃかりきに働いている。幸せか、と聞かれればイエスだけど、自由か、との質問には素直に首を縦には振れない。ディックも何か思うところがあるようで、二人とも黙り込みます。

その時恐らく二人の間で同時に浮かんでいたであろうフレーズが、

Midlife Crisis ミッドライフ・クライシス

です。一般に「中年の危機」と訳されるこの言葉、私の中では何かしっくり来ないものがありました。

「あのさ、これってミッドライフ・クライシスとは違うと思うんだよね。」

と恐る恐る発言したところ、被せるように、

「全然違うよ。これは絶対ミッドライフ・クライシスなんかじゃないね。」

と断固否定するディック。

「若さを取り戻したいとか、夢を実現出来なかったことへの後悔とかが原因で、突拍子もない行動に出る奴らのことを言うんだよ。スポーツカーを衝動買いしたり、女遊びに走ったりとかね。俺たちのとは質が違うよ。」

「だよね~。」

よく考えてみれば、我々はそんな滅茶苦茶な振る舞いなどしていないし、そもそも後悔もしていない。じゃあ今のこの状況をどんな言葉で表現すればいいのかな?と言うと、ぐっと考え込んでしまったディック。結局答えは出ずじまいのまま、食事を終えました。

オフィスへの帰り道、

「シンスケがビール飲めたらいいのにな。こういう話は、飲みながらじっくりやりたいよ。」

と、遠くを見るような目で笑うディック。

その晩、帰宅すると妻が、

「バッドニュース!」

とやや深刻な顔。

「何があったの?」

「もしかしたらこの家、シロアリにやられてるかもしれないの。裏庭の軒先に、細かい木の粉が落ちてたのよ。害虫駆除の会社に写真を送ったら、その可能性が高いっていうの。来週検査に来てくれるって。面積当たりの駆除単価を聞いて計算してみたら、全部で二千ドルくらいかかりそうなの。」

う~ん、こいつは大打撃。来春の一時帰国を目指して貯金計画のスタートを切るやいなや、襟首掴まれて引きずり降ろされた格好です。ちょっと彦摩呂風に言うと、こうなりますね。

これがほんまのアリ地獄や~!

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