2018年9月2日日曜日

賢者の一言


先日、息子の高校最終学年がスタートしました。夏休み中はクラブチームで水球に勤しみつつ、バルボア公園にある博物館のインターンシップ(職業体験)にも通った彼。朝から晩まで顕微鏡を覗き込み、生物学チームがフィールドから持ち帰りアルコール漬けにした、体長一ミリ程の虫の大群を種別に選り分ける、という地味な仕事でした。

「作業自体は滅茶苦茶退屈だし疲れるんだけど、その間に色んなことを教えてもらえるんだよ。」

と息子。この博物館の長老でジムという「生ける伝説」的なリーダーが、生物や環境に関する薀蓄を沢山聞かせてくれるのだ、と。

「ハエはね、ハチみたいに左右二枚ずつ羽がある普通の昆虫と違うんだよ。小さい二枚目の羽が退化して短い棍棒みたいになってて、これが飛行中バランスを取るのに使われてるんだって。」

将来は環境科学方面に進みたいという彼にとって、このサマー・インターンはまたとない経験になったようです。

さて、金曜日。同僚ディックと久々にランチへ向かいます。調子どう?という投げかけに、やや食い気味で

「良くないね。」

と仏頂面。おやおや、これはちゃんと話を聞いてあげなくちゃ、と即座にセラピスト・モードへ切り替えます。そして、彼が「ただ安いから」と選んだピザの店、Landini’s Pizzeriaに腰を落ち着けました。ここのピザは生地が極端に薄い上に、作り置きを温めてからぺらぺらの紙皿に載せて出すタイプ。私の好みからは程遠いし、ピザならもっとお勧めの店が近くにあるのですが、今回は折れることにしました。

「クライアントがさ、逆切れしやがったんだよ。」

歩き始めるやいなや、現在最も頭を悩ませているというホテル・プロジェクトについて語り始めます。ピザや飲み物の注文をする間も、集中力を切らさず話し続けるディック。パティオの日陰でチープなパイプ椅子に腰かけ、前の客の食べかすが散らかったテーブルにピザを載せた紙皿を置くと、みるみる冷めていくのも気にせず語り続けます。

まだ契約書にサインもしていないのに、どんどん前倒しで仕事の指示をして来るクライアント。非現実的なまでに短い工期。オープン日に間に合わせるため、最初は何とか我慢してサービス残業で対応していたけど、我慢にも限度がある。プロジェクト・ディレクターという立場でクライアント対応に当たっていたディックは、若手PMのマイクに契約書の締結を早める方法を探れ、と指示。この後間もなくして、怒り狂ったクライアントが電話して来た、というわけ。

「これまで何ミリオンという仕事をお前らに出してやってるのに、ちょっとばかり契約手続きが遅れてるだけで文句言うのか!」

法的に言えば、契約書にサインもせず業務指示を出す方が間違っています。しかし現実の世界では、こんな横暴な発注者も珍しくないのです。ディックは落ち着いて、我々はただこのプロジェクトを成功させる一番良い方法を探っているだけで、とにかくあなた方クライアントを助けたい一心なのだ、と説明します。契約書が無ければ下請け契約も結べない。仕事を前に進める一番良い方策は、一刻も早く契約書にサインをしてもらうことなのだ、と。

「なのにFワード満載で罵って来るんだよ。お前らには感謝の気持ちが無い、こんな仕事、他にいくらでも出来る奴等はいるんだってな。」

「よくそんなことが言えるねえ。社会人としての常識が無いのかね。」

「いや、あれははったりだと思ってたんだ。今回の仕事でうちほどノウハウを持ってる会社は無いからね。同じチームでこれまで何年も計画業務を請け負って来たから、プロジェクトの基礎情報はたっぷり蓄積してあるんだよ。」

「そっか、じゃあ圧倒的に弱い立場ってわけじゃないんだね。」

「ところが、だ。」

今朝になってある同業者から、実際にこのクライアントから仕事の打診があったという情報が洩れて来たのだそうです。

「しかも、俺たちにプレッシャーをかけまくって契約前に無理やり提出させた業務計画書を、競合他社にバラ撒いてるっていうんだよ!」

「うわっ、いくら何でもそれはひどいな。」

立場を利用し悪行三昧を極めるクライアント。時代劇なら、桃太郎侍がお馴染みの見得を切りつつ登場する場面でしょう。こんなクライアントとの関係はさっさと清算してしまった方が楽だけど、うちの上層部が黙ってないだろう。だったら上のレベルでとっとと話をつけてくれ、と言いたい。毎日こんなことを続けてたら他の仕事にも差し支えるんだよ、とディック。

私はすっかり同情してしまいました。そりゃいくら忍耐強いディックでも腐るよな…。かける言葉も見つからず、こんな風に慰めることにしました。

「今朝テイラーとも話してたんだけど、プロジェクトの前線にいるPM達は、想像もつかないようなストレスを抱えているんだよね。僕らはそんなPM達が少しでも楽になるよう、きっちり後方支援を固めなければいけない、って思うんだ。」

「シンスケ達にだってストレスはあるだろ。」

「僕らのクライアントはPM達で、一応仲間だからね。全然レベルが違うよ。」

クライアントから日々いたぶられ、会社の上層部からは財務成績を上げろとプレッシャーをかけられるPM達。チームのマネジメントにも驚くほど時間を取られるため、専門分野で技術を磨く余裕はほとんど残らない。

「採用面接でさ、将来はPMになりたいですって目を輝かせる若者が結構いるんだ。その度に、PMの日常がどんなものなのか、きっと何も知らないんだなあって笑っちゃうんだよね。」

それからちょっと遠くを見るような目になったディックが、こう言ったのでした。

「高校でさ、世の中の職業が一体どんなものなのかを教える授業を必須科目にすべきだと思うんだ。」

たとえば、役所と民間のゴールの違い。時間を切り売りするサービス業と商品を作って売る仕事の違い、などなど。よく高校生に、大学を選ぶ際にはまず「将来どんな仕事がしたいか」を考えるべし、なんて説く人がいるけど、社会に出た経験も無く具体的なイメージも無いのに、そんなの分かるわけないだろ、と。

「俺の行った高校では一年生の時、学生ひとりに社会人一名を紹介するメンター・プログラムがあったんだ。」

とディック。彼が引き合わされたのは、地元で活躍するベテラン建築家でした。デザインの世界に興味を持ち始めていたディック少年は、期待に胸を膨らませ会合に臨みます。ところがその男性、いきなり耳を疑うような話を始めたのです。

「建築家と聞いてイメージするのは、きっとクールでセクシーな建物デザインが描かれた大きな紙や完成予想模型の前ですまし顔をしてる人物だろ。でも、僕らの毎日はそんなカッコイイものじゃない。建築基準と長時間にらめっこしたり、クライアントにペコペコしてご機嫌をうかがったり。そんなパッとしない作業の連続で、一日の大半を費やすんだ。」

著名な建築家から直接聞かされた、冷え冷えとした現実。若いディックの胸に、深く突き刺さったそうです。

「結局は、ランドスケープ・デザイナーという建築家に似た職業を選ぶことになったんだけど、若い頃進路を考える時には必ず彼の言葉が蘇って来て、過大な期待で視界を曇らせることを避けられたよ。」

「なるほど。どんな職業にも当てはまりそうな、深い言葉だね。」

どんぴしゃのタイミングで聞く、知恵と経験を蓄えた年長者の一言。私も日本で大学に入ってすぐオリエンテーションに参加したのですが、ここに登場した土木工学科N教授の一言が、まさにこれでした。最初の一年間は一般教養に費やし、二年目に学科を選択するシステムだったのですが、私は入学当初から建築学科一本に的を絞っていました。他のオプションには全く見向きもしていなかったのですが、この時N教授がインフラ整備の魅力とそれがもたらす効果の大きさを説き、こう締めくくったのです。

「土木技術者というのは、いわば地球のお医者さんです。これほどスケールの大きい仕事はどこを探しても無いでしょう。是非皆さん、うちの学科に来てください。」

しびれました。これが決め手となって私は土木工学科へ進むことになったのです。人の一生というのは、まるで鉄道の分岐器のように「賢者の一言」が節目節目で待っていて、その方向を変えてくれているのかもしれないな、とディックの話を聞いてあらためて思うのでした。

さて、先日5時過ぎに放課後の息子を迎えに行った際、同じ水球部の二コラと下級生のパーカーもうちまで乗せて帰るよう妻から頼まれました。まだ15歳のパーカーは、女の子だったら超売れっ子モデルになりそうな奇跡的美形です。水球の試合終わりにプールサイドを歩いていると、お母さんたちが大きく息を呑み、まあなんて可愛い子なの!と囁き合うほど。私も三人を車に乗せる時、この美少年が毒舌家の二コラ先輩から悪い影響を受けてなければいいが、と案じていました。するとあろうことか、後部座席で悪童二コラが隣のパーカーに、

「あの女さあ、一日に五人の男子をとっかえひっかえしてるんだぜ。とんでもない尻軽女だろ。」

などと話しています。同級生を一刀両断、単なるあばずれ扱いです。こんなアホな話題に食いつかないでくれよ、と祈りながら沈黙を続ける運転手の私。するとパーカーが、

「逆に五人の女子をとっかえひっかえしてる男子がいたら、これはもうレジェンドだよね。」

となかなかまともな返しをします。ここで二コラが、待ってましたとばかりにジョークをぶち込んで来ました。

「ある尻軽女が、村一番の賢者を訪ねて質問するんだ。沢山の女性と交わる男性は皆から英雄扱いされるのに、女性の私が男性相手に同じことをすると蔑まれます。これは納得いかないんです。どうしてこんな扱いを受けなきゃならないんですか?ってね。すると賢者がこう答える。」

"'A key that can open many locks is called a master key, but a lock that can be opened by many keys is a shitty lock.'”
「どんなロックをも解除出来る鍵はマスター・キーと呼ばれるが、どんな鍵でも開けられてしまうような錠は役立たずだ。」

思わず吹き出す私。するとパーカーが、さも感心したように大きな溜息をつきながら、高い声で小さく叫びました。

“That’s so true! I’ve never thought that way!”
「言い得て妙だね!そんな風に考えたことなかったよ!」

賢者の一言は、果たしてこの可憐な若者の人生を良い方向に導いてくれるのでしょうか…。


10 件のコメント:

  1. ディック氏の件は日本だったらいかにもありがちな話だと感じるが、アメリカのような契約社会でもそんなことが横行しているとは意外だね。社内的にも倫理委員会みたいなのが監視してるんじゃないの?契約前のサービス業務を無理強いする上司なんてチクられたら一気にトバされちゃいそうな気がするケド。。。権力を持っちゃうとそうはいかないのかねぇ。

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    1. 公的機関ではあまりないことだけど、民間組織がクライアントの場合、割とよくこういう事態に出くわすね。ディックの提唱する「お仕事の仕組み」の授業で必ず扱われるであろうテーマ、「結局なんだかんだ言っても民間企業は儲け第一」がむき出しになったケースでしょう。

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  2. そこへもう一人の賢者がやって来てこう言いました:"Don't expect your Ford key will work on the Porsche. Besides, a net that catches many fish is useful. A fish that keeps getting caught is an idiot." LOL

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    1. え?そんな続きがあったんですか?ご提供ありがとうございます。「ポルシェのロックがフォードの鍵で開くと思うなよ」ですか…。このネタだと他にも「賢者の一言」、色々出て来そうですね!

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  3. もう一人云々はでっち上げです笑。ニコラのたとえ話は中高男子生徒に人気があるようで、それに関する議論がredditなどで延々と続いています。キーでエンジンをかけるのはturn on ですから、この表現をじかに取り入れたバージョンもありますね。

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    1. げっ、まさかオリジナルとは…。恐れ入りました。この手のジョーク、かなり英語力が無いと操れませんね。

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  4. 生物学的な傾向としてある「オスは大量に生産される自分の種を残すために一匹でも多くのメスと交わろうとする」「メスは一つしかない自分の卵になるべく優秀な種を植え付けるためになるべく交わらずに優秀なオスを選別しようとすっる」って所に合致しているんだね。
    但し、人間だけは種の保存のみのために交配している訳ではないので、イイ男を取っ替え引っ替えのモテモテ女は賢者の一言にはあてはまらないカモよ。

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    1. 僕が賢者なら、「人生は束の間。人からどう思われるかなど気にせず、やりたいようにやりなさい。」と諭すね。そして小声で、「この後、何か予定ある?」

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  5. プロレスラーのタイガー戸口がある雑誌で語っていたこと。
    アメリカ国内を転戦していたときのこと。プロレスラーはそこそこモテるらしく、地元の酒場とかで女の人をナンパしてはホテルのベッドに連れ帰るなんてことが日常茶飯事だったとか。ある時一緒に回っていたトレーシー・スマサーズというレスラーが誰も手を出さないようなブスな女ばかりをお持ち帰りするんで聞いてみた所、
     「誰も手を出さない女はアソコが新品同様で具合がイイんだ」
    との理由だったとか。。。賢者の一言に合ってる様な合ってない様な。

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    1. ううむ…。年若い英語学習者たちも読んでいるブログだというのに、天津木村級のお下劣さだねえ。

      …あると思います。

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