2017年8月27日日曜日

Because you can ビコーズ・ユー・キャン

月曜の朝10時半。私の手のひらには、まるでスーパーヒーローが念力で発生させた核融合のように、光の塊が圧倒的な熱量で燃え盛っていました。植物学者の同僚ジョナサンは、日曜大工で溶接作業の際に使っているというプロ仕様のマイ・ゴーグルを装着し、上空を見上げています。名前も知らない若手エンジニアの同僚は、方眼状に沢山のパンチホールを開けた大判コピー用紙を腰の高さに掲げ、整然と並んだ小粒な半月状の光を、まるでアートワークのようにパティオのウッドフロアへ投影しています。

そう、この日は北米大陸で五十数年ぶりに皆既日食が観測出来るというので、職場の皆で鑑賞会を催したのでした。残念ながら軌道はサンディエゴを僅かに外れていて、「白昼突然、街が闇に包まれる」現象までは体験出来なかったのですが、普段忙しい同僚達が大勢集まってお喋りしながら空を見上げるというのは、何とも心浮き立つイベントでした。どういうルートからか、文化財調査チームのクリスティがNASA公認のEclipse Glasses(日食観測用サングラス)を50個も仕入れていたので、参加者は漏れなく、太陽が月の陰に徐々に隠れて行く様子を鑑賞出来ました。私の手に映した日食は、生物学チームの同僚ブレナンが持ち込んだ天体望遠鏡の接眼レンズを下に向け、そこへ手をかざすことで出来たもの。「何となく誘われるままに」イベントに参加した私は、才能豊かな同僚達のこうしたユニークな発想や行動力に、あらためて感心しきりでした。

さて、木曜と金曜は数カ月ぶりに有給休暇を使い、家族三人でロサンゼルス近郊へ一泊。主目的は、15歳の息子のための大学見学でした。この夏休みが終わるとJunior(日本で言えば高2)になる彼は、そろそろ真剣に大学進学の準備を始めなければいけない時期に来ているのです。のんびりムードの学校に通って水球に精を出している息子に、そんな切迫感は微塵も感じられません。逆三角形の身体になって身長も180センチを超えましたが、口を開けばTVドラマのゲーム・オブ・スローンズか、ネットで見つけたジョークの話題。今朝も、アメリカ陸軍の小隊が行軍訓練中、深い草むらに身を伏せて敵から身を隠すトレーニングを実施していたところ、ひょこひょこ歩いて来たおばあちゃんが目の前でしゃがみ込み、野糞を始めてしまったという話を教えてくれました。

「隣の仲間と腕を噛み合って笑いを堪えたんだってさ。」

ネタが下品であればあるほど余計嬉しそうに話す息子。英語出典のストーリーを日本語で説明するというチャレンジは、彼がバイリンガルに成長するための良い訓練になると思い、敢えて遮らずに聞き入る私。そして必要に応じてミスを正します。

「あのさ、それ、ヤグソじゃなくて、ノグソって発音するんだよ。」

漢語の音訓を間違って記憶していることは頻繁にあるのですが、たとえうろ覚えでもその文脈において最適な表現だと思えば恐れずに言葉を使う心がけは見上げたものだ、と挑戦を奨励している我々夫婦。先日も、妻が食べ終わったアイスクリームの容器を奪い取り、底の溝や内壁についたカスをスプーンでこそげ落として舐め尽くそうとする息子に、

「やめなさい。そういうの何ていうか知ってる?」

と彼女が尋ねたところ、知ってるよ、と胸を張る息子。

「薄汚い、でしょ。」

「ううん、イジキタナイっていうのよ。」

こんな感じで、体格の割にはまだまだ幼い我が子。「早く受験準備をスタートしないと手遅れになるぞ」とまくし立てて危機感を煽っても無駄などころか逆効果。良い刺激を与えて自覚を促すのが親として出来る最良の策だろう、という考えの下に妻が企画したのが、今回の大学見学ツアーでした。

アメリカの大学受験には入学試験というものが無く、SATとかACTとか言われる(何度も受けられる)適性試験のスコアや内申書の他、小論文、紹介状などを提出して審査される形式です。ものすごく頭が良ければどこでも入れるというのではなく、まるで企業に採用される時のように、「あなたは我が校風にピッタリだ。是非うちに来て欲しい。」と思ってもらえるかどうかが鍵。大学それぞれに個性があり、建学の志や発展の方向性を良く理解した上で申請しないといけないのです。そのためには、現地まで足を運び、ボランティアの在校生がガイドを務めるキャンパス・ツアーやアドミッションズ・オフィス(入学事務を執行するオフィス)によるインフォメーション・セッションに出席するのが一番と言われています。

一日目は、「ワイドナショー」のコメンテーターでお馴染みの宮澤エマさんやオバマ前大統領が学んだという、Occidental College(オキシデンタル大学)を訪問。図書館の一角に設けられたオバマ・コーナーには、彼の若かりし頃の写真がありました。そうか、大統領にも学生時代ってものはあったんだよな。当時、自分がいずれアメリカでトップの座に就くなんてこと、想像してたんだろうか?いや彼ならきっと、どんな夢だって叶えられるって信じてたんだろうな。“Yes we can!”とか言いながら…。

続いて、かつて天才物理学者リチャード・ファインマンも教壇に立ち、今や全米一合格の難しいCalifornia Institute of Technology(通称カルテック)へ。(うちの息子が特に優秀だからこういう学校を選んだのではなく、我が家から比較的近いところにある有名大学を見てみよう、という軽い気持ちでのチョイスです、念のため)。

二日目は、Claremont Colleges(クレアモント・カレッジズ)という、五つの大学と二つの大学院からなるコンソーシアム(大学連合)へ。朝一番で、1887年に創設されたというPomona College(ポモナ大学)を訪問します。毎年、全米大学ランキングでハーバードやスタンフォードと鎬を削る超難関校。アドミッションズ・オフィスのある建物は、創立当時から使われているというニューイングランド様式の木造建築。キャンパスを見渡すと、樹齢二百年以上はあろうかと思われる幹のゴツゴツした巨大な広葉樹の並木が、短く刈り込まれた緑の芝生や遊歩道の上に濃い影を落とし、涼風を生み出しています。抜けるような青空を背景に、パルテノン神殿調の円柱で前面を装った石造りの建造物や近代的なデザインの新しい校舎が、広大な芝生の中に距離を置いてぽつりぽつりと佇んでいます。植物園のように深い緑の中をリスが忙しく行き交い、木々の間で鮮やかに咲く赤やピンクの花の上を、蝶々やカナブンが舞っています。

「僕、ここ来たい!」

最初の十秒で惚れ込んでしまった息子。無理もないでしょう。我々夫婦もうっとりしていました。こんな素敵な大学で四年間も過ごせたら最高だなあ、と。

ランチを挟んで午後一時半、隣接する敷地にあるHarvey Mudd College(ハーヴィー・マッド大学)へ。ここも、全米で十番目に競争率が高い難関校。理工系に特化しており、ポモナ大学とはガラリと変わって質実剛健を絵に描いたようなキャンパス。建造物の輪郭は直線が多く、案内された実験室や研究室の多くは、外光が入り込まない地下空間にあります。廊下の壁には、過去の学生たちの研究成果が図表入りのポスターになって貼り出されている。もちろん内容はちんぷんかんぷん。童顔の学生ガイドに引率され、他の参加者達とそぞろ歩くうち、息子の表情がどんどん曇り始めました。

「この学校、100パーセント無いな。」

私の耳元で囁きます。おいおい、何様だと思ってんだよ。そもそも入れる確率は限りなくゼロに近いんだぞ。

「パパの大学も、こんな感じだった?」

「うん、すごく似てるね。」

理工系大学の土木工学科で学んだ私には、馴染みのある光景なのです。コンクリートの強度実験とか、水槽での造波実験とか、長時間室内に籠ることが多かったもんなあ。

「楽しかったの?」

「うん、すごくね。」

「パパが同い歳だったら友達になってないな。」

と笑う文系の息子。

地上に出た時、ガイドの学生が、うちの学校ではあまりスポーツが盛んじゃありません、と言います。ま、そうだろうね。

「でも運動はするんですよ。一番人気なのが、Tube Water Poloです。勉強のストレスを解消するには最高なんです。」

え?何それ?と囁くと、息子が振り向いて、浮輪を使って楽しむ水球のことだよ、と小声で説明し、目玉をぐるりと回しました。

最後に階段教室へ案内され、四十代後半と見られるスーツ姿の白人男性ピーターが、受験や入学プロセスの説明を始めました。一年生の最初の授業で特殊相対性理論を扱い、しょっぱなから偏微分方程式などの高等数学を使うので、入学前の夏までに準備をしておいた方が良い、と真顔で説明するピーター。全米はおろか世界各国から秀才が集まって来るので、そこそこイケてると自惚れている優等生は、出鼻を挫かれること請け合いです、と皮肉な薄笑い。

この時突然、体内に沸々とアドレナリンが湧き上がって来るのを感じ始めた私。何だろう、この感じ?ピーターの挑発に刺激され、「やってやろうじゃねえか!」と、まるで受験生時代に戻ったかのような若々しい戦闘意識が、急に鎌首をもたげたみたい。あの頃の自分は、どんなに難解な学問でも修められると思ってたもんなあ。世の中を知らないかわりに、余計な恐れも持たない。無限の可能性を信じてた時代があったのです。

ピーターが続けます。うちの大学は、Geek Marines(オタクの海兵隊)と呼ばれることもあります。自由な発想を奨励し、どんなにバカげた試みでも面白ければやらせる。例えば、学生たちが発明・製作した作品には、目を疑うようなものもある。自転車をテーマにした課題では、垂直方向に二台重ねて溶接し、操作の極めて難しい二人乗りに改造してしまった学生がいる。また、右へハンドルを切ると左へ進み、左へ切ると右へ進む自転車を作った者も。

“Why would you make such a useless thing?”
「一体なんでそんな無用の長物を作るのかって?」

間髪入れず、階段教室の後ろの方から、参加者の一人が答案を放り込みます。ピーターが、「その通り」と満足げに頷いてから、解答をゆっくりとなぞります。

“Because you can.”
「なぜって、出来るからさ。」

サンディエゴへの帰途、スターバックスに寄って冷たい飲み物を頼み、涼を取ります。あんな大学は絶対無理だよ、と首を振る息子の横で、ワクワク感の余韻に浸っていた私。

「今からもう一度大学行きたいとか言い出さないでよね。」

と釘を刺す妻。私の上機嫌を素早く察知したみたいです。さすが鋭い!ま、大学再チャレンジは冗談としても、見学ツアーをきっかけに、何か新たな一歩を踏み出す意識がぐっと高まったのは事実です。

今回の小旅行の一日目、オレンジ郡に住む長年の友人K子さんと、ラグーナビーチにあるKitchen in the Cayonというレストランで朝食をご一緒しました。彼女も私と同様、留学をきっかけにアメリカに住み続けた口で、在米歴三十年前後になる大先輩。

「ここの店主って、30年間ファイナンシャルアドバイザーとして働いた後、このレストランを始めたんですって。」

と私。趣味が高じてビジネスに、というのは時々聞く話だけど、店の評判はこの界隈でも断トツ。料理教室まで開いており、そんじょそこらの脱サラとはわけが違うのです。ネットでのレビューも、堂々の星4つ半。私が注文したフレンチトーストは、文句なしの生涯第一位でした。

「いいじゃない!そういう話、わたし大好き!」

と感激するK子さん。そんな彼女も、「元気があれば何でも出来る」精神を持ち続けている人の代表格。つい最近、長年勤めた日系企業を早期退職し、ライフコーチとして第二のキャリアを築き始めた彼女。アメリカ人相手にコーチングして収入を得るなんて、私の想像を遥かに超えています。この人の英語は、普段の喋りだけじゃなく、相槌から間の取り方、ジェスチャーに至るまで、もうすっかりネイティブ。よくぞここまで習熟したもんだ。ま、そのかわりと言うべきか、ここぞという場面で適切な日本語が出て来ないことはしばしばで、微妙な言葉のチョイスにしょっちゅう笑わせてもらっているのですが…。

「彼みたいな人の話を聞くと、自分も新しいこと始めてみようっていう勇気が出ますよね。」

と話題を締めくくろうとした私に、何始めたいの?とすかさず聞き返す、ライフコーチのK子さん。あらら、この展開は予想してなかったぞ。反射的に、

「ギター買おうかな、とか思って。」

と答えます。

「いいじゃない!で、何するの?」

「いや、ま、その、シンガーソングライターでもやろうかと。」

すると、さらに興奮したK子さんが、

「いいわね!曲作ってYouTubeにアップしてみれば?」

いやいや、ここまで話を引っ張るつもりは無かったんだけど…。ところがさらにK子さん、嬉しそうにこう付け足したのです。

「炎上したりして!」

「炎上」という言葉の意味を、完全に誤解している彼女。発言者の意図はともかくとして、結果的には適切な単語のチョイスになったのでした。


2017年8月19日土曜日

Woman in the Dunes 砂の女

先日、オレンジ支社建築部門の若い女性社員二人と話す機会がありました。セルビア出身で二年ほど前までアブダビ支社で働いていたというレナ、そしてシンガポール出身のベティ。毎日NHK(英語版)を観ているという日本びいきのベティが、12月に予定しているという何度目かの東京旅行について熱く語ります。「美味しい食べ物、コンビニの棚に並ぶ種類の豊富な加工食品群、アート作品のような商品パッケージ」などが魅力なのだと。すると横からレナが、「私は去年行ったわよ」、と張り合います。彼女のご主人はずっと以前から日本語を勉強してるのだそうです。

「そろそろ旅行行きたいねって話になって、私はローマを推したんだけど、旦那がどうしても日本がいいって頑張っちゃって…。」

おお、ローマに競り勝ったのか。すごいなニッポン。

「日本のどこへ行ったの?」

「アカサカ。」

え?赤坂?数年前にも夫婦で滞在し、この時の印象があまりにも良かったので再訪を決めたのだと。帰宅して妻にこれを話したところ、

「赤坂で特別印象に残るところなんてあったっけ?」

とキョトンとしています。

「だよね。僕もそう思った。」

何しろ最後に行ったのは二十年位前だから、今の赤坂がどんなことになってるのかさっぱり分からない我々夫婦。

「そろそろ一時帰国しないとね。」

かれこれ五年は日本の土を踏んでいない私達。マイホーム購入という大きな出費があってからというもの、一時帰国はもとより、正直「旅行どころじゃない」経済状態が続いています。入居当初のガレージ大改装に始まり、天窓部分からの雨漏り、排水管詰まりによるキッチン洪水など不測の事態が続発し、そのたびに何千ドルという修理費用が吹っ飛んで行きました。

石川啄木の「一握の砂」ように、「はたらけどはたらけど」と言いながら「ぢっと手を見る」まではいかないけど、旅行好きだった我々夫婦がここまで長期間遠出していないという事実にあらためて気づかされ、軽くショックを受けたのでした。

オレンジ支社出張の翌日、ランチルームで弁当を食べていると、すぐ隣に座ったベテラン社員のビルが、

「昨日テレビで日本の映画やっててさ、思わず最後まで観ちまったよ。」

と言います。砂丘地帯に新種の昆虫採集へ出かけた男性教師が、親切そうな村人に勧められ、ある民家で一夜の宿をとる。断崖の縁から垂らした長さ十数メートルの縄梯子を伝い下りて辿り着いた掘立小屋には、淋し気な若い女が一人で暮らしている。翌朝目が覚めて旅立とうとすると、縄梯子は跡形も無く引き上げられており、どんなにあがいても叫んでも、すり鉢のような砂漠の底から脱出できない。やがてじわじわと、自分が囚われの身になったことを悟り始める。工夫を重ねて逃亡を試みるものの、村人たちに妨害されて果たせない。砂を掻く作業を強要され、拒めば水などの配給を止められる。喉の渇きには耐えられず、憤りつつも砂をバケツに集め始める。

「何そのキモチワルイ話?どんな人が出演してたの?」

「キョーコ・キシダっていうのがメインの女優さんだったと思う。綺麗な人だったな。」

え?岸田今日子?「犬神家の一族」などでの怪演やムーミンの声優で有名な?

ちょっと待てよ、と彼がスマホを取り出します。

「あった!タイトルは、Woman in the Dunesだ。」

そう、これは1964年に公開された阿部公房原作・脚本、勅使河原宏監督の映画、「砂の女」。海外での評価も高く、公開翌年のアカデミー賞では勅使河原監督がベスト・ディレクターにノミネートされたそうです(「サウンド・オブ・ミュージック」のロバート・ワイズに敗れましたが)。

核心に触れず、軽くあらすじだけなぞるビルの巧みな話術にまんまと引っかかった私は、先週末、映画「砂の女」を鑑賞しました。それから一週間というもの、まるで食中毒の後遺症で微熱が引かないような状態が続いています。

さて話変わって昨日(金曜日)、久しぶりに同僚ディックとランチに行きました。Queenstown Public Houseという、木造二階建てのオシャレなニュージーランド・レストランのテラス席で舌鼓を打ちます。ネバダでの仕事から戻ったばかりの彼と、「最近、出張はあるけど旅行してないんだよね」という話題になりました。

ちょうど私が先日打合せした同僚サラは、ブライス・キャニオンへの絶景ハイキング旅行の話をしてくれました。木曜の朝、歯のクリーニングに行った際には、若い歯科衛生士のジュリーがニュージーランド旅行のエピソードを楽しそうに語ってくれました。二年に一度は海外旅行を楽しんでいるという彼女。羨ましいな、本当に旅が好きなんだね、と言うと、

「旅こそが人生じゃない。そうでしょ?」

と、マスクをかけたまま満面の笑みのジュリー。

その日の夕食後、妻と「そろそろ本気で一時帰国の予定を立てようよ」と話し合いました。まだ一度も日本の桜を観たことが無い15歳の息子が大学進学準備で忙しくなる前に、お花見ツアーを企画しようか、という流れで盛り上がります。いいねいいね、それまでに頑張って貯金しよう、と励まし合いながら。

「結婚して間もない頃は、頻繁に国内外を旅行してたんだよ。それがここ数年、すっかりサンディエゴに落ち着いちゃってるなあって思いつつ、まあそれはそれでいいか、と納得してる自分もいるんだよね。」

と私。ディックが何度も大きく頷きながら、

「俺もだよ。結婚して、子供が出来て、家を買って、生活は安定した。その代償というべきか、行動範囲は大幅に狭まっちまった。でもそれは旅行だけに限った話じゃないよ。若い頃はさ、今の仕事を辞めたって5秒もあれば次の仕事は見つかるさっていう、傲慢なまでのお気楽さがあったんだ。その気になればいつでも好きなところへ行けるんだっていう謎の確信がね。でもそこそこ給料も上がって責任を持たされてみると、簡単には今の立場を手放せなくなるんだな。」

この発言が起爆剤になり、突如、映画「砂の女」のイメージが頭の中のスクリーンに大写しになります。ストーリーをかいつまみながら、私なりの解釈をディックに聞かせました。

この作品の本当のキモは(ここからネタバレ注意)、「罪もない男が理不尽なやり口で自由を奪われる」というくだりではなく、年月を重ねるうちにその環境にすっかり慣れ、最初は忌み憎んでいた女とも仲睦まじくなり、更に新しい研究テーマまで見つけて夢中になって行くという展開にあると思うのです。挙句の果てに、村人がうっかり縄梯子を垂らしたまま立ち去ったというのに、「まあいいか、今はこの研究を続けたいし…。」と逃亡を思い留まるという、何ともやるせないエンディング。

「ハシゴがそこにあるのに脱出する気がおきない、というところが妙にリアルで、胸に突き刺さるね。」

とディック。

「でしょ。分かってくれて嬉しいよ。」

認めたくはないけど、「砂の女」の主人公と今の自分には、重なる部分が大いにあるような気がするのです。仕事に対する愛を公言している私ですが、それが子供の頃からやりたかったことかと問われれば、イエスとは言えない。色々あって飛び込んだ環境の中、生き残るためがむしゃらに取り組んだ仕事がたまたま面白かった。目の前のことにその都度一生懸命取り組んでいるうちに収入は増え、暮らしも安定した。しかし同時に忙しさは増し、住宅購入のために借金を抱え、日々しゃかりきに働いている。幸せか、と聞かれればイエスだけど、自由か、との質問には素直に首を縦には振れない。ディックも何か思うところがあるようで、二人とも黙り込みます。

その時恐らく二人の間で同時に浮かんでいたであろうフレーズが、

Midlife Crisis ミッドライフ・クライシス

です。一般に「中年の危機」と訳されるこの言葉、私の中では何かしっくり来ないものがありました。

「あのさ、これってミッドライフ・クライシスとは違うと思うんだよね。」

と恐る恐る発言したところ、被せるように、

「全然違うよ。これは絶対ミッドライフ・クライシスなんかじゃないね。」

と断固否定するディック。

「若さを取り戻したいとか、夢を実現出来なかったことへの後悔とかが原因で、突拍子もない行動に出る奴らのことを言うんだよ。スポーツカーを衝動買いしたり、女遊びに走ったりとかね。俺たちのとは質が違うよ。」

「だよね~。」

よく考えてみれば、我々はそんな滅茶苦茶な振る舞いなどしていないし、そもそも後悔もしていない。じゃあ今のこの状況をどんな言葉で表現すればいいのかな?と言うと、ぐっと考え込んでしまったディック。結局答えは出ずじまいのまま、食事を終えました。

オフィスへの帰り道、

「シンスケがビール飲めたらいいのにな。こういう話は、飲みながらじっくりやりたいよ。」

と、遠くを見るような目で笑うディック。

その晩、帰宅すると妻が、

「バッドニュース!」

とやや深刻な顔。

「何があったの?」

「もしかしたらこの家、シロアリにやられてるかもしれないの。裏庭の軒先に、細かい木の粉が落ちてたのよ。害虫駆除の会社に写真を送ったら、その可能性が高いっていうの。来週検査に来てくれるって。面積当たりの駆除単価を聞いて計算してみたら、全部で二千ドルくらいかかりそうなの。」

う~ん、こいつは大打撃。来春の一時帰国を目指して貯金計画のスタートを切るやいなや、襟首掴まれて引きずり降ろされた格好です。ちょっと彦摩呂風に言うと、こうなりますね。

これがほんまのアリ地獄や~!

2017年8月13日日曜日

プロジェクト成功の秘訣

月曜の3時半。私がリーダーを務めるプロジェクトコントロール・チームの、6人目のメンバーを選ぶ二次面接がありました。私とシャノン、若い部下のカンチーとアンドリュー、そして大ボスのテリーが、小会議室で候補者を出迎えます。と言っても今回一次面接を突破したのは、現在地元の銀行に勤める大卒二年目のテイラーただ一人。驚くべきことに、ポジション獲得にかける真摯な熱意を感じさせてくれたのは彼女だけでした。大抵の候補者は自分自身の売り込みに忙しく、肝心の業務や役割に対する興味をアピールしそこなっていたのです。

「職務内容を読んでものすごく興奮したんです。これこそずっと自分のしたかったことだって!」

と、一次面接で彼女が見せた目の輝きは、強く印象に残りました。

実は既に彼女の採用は決定していたのですが、メールで通知するという味気ないプロセスを避け、チーム全員に会わせた上で直接オファーレターを手渡そうという目論見で招いたのです。もちろん皆にはダンマリを通してもらい、彼女には本当に二次面接だと思いこませてのこと。

「今度の面接には上層部からも面接官が参加するから、質問を沢山持って来てね。」

と予めメールしておいたのですが、彼女が手書きの質問で二頁を埋め尽くしたノートを手に現れたのには、再び感心。

他のメンバー達に質疑応答を任せ、私はテイラーの受け答えの様子をつぶさに観察していました。まるで大人になった「長靴下のピッピ」という感じの、好奇心みなぎるそばかす顔。ひとつひとつの質問に全身の神経を集中させて聞き入った後、消防ホースのような勢いで回答を浴びせ返す。聞き手に回っている間はやや心細げに見える彼女のおちょぼ口は、その大量のエネルギーを放出するにはいささか小さすぎる、といった格好。

「私たちからの質問は以上だけど、シンスケから最後に何かある?」

とシャノン。ひとつだけあるよ、と私が応じます。

「前回も似た質問をしたけど、プロジェクトの成功のために一番大切なことって何だと思う?コミュニケーション以外で答えてね。」

トリッキーな質問ですが、これには理由があったのです。一次面接の定番だったこの「プロジェクト成功の秘訣」クエスチョン。なんと全ての候補者が、判で押したように「コミュニケーション」と答えていたのです。これにすっかり飽き飽きしていた私は、捻りを加えた上でもう一度投げ込んでみた、というわけ。さあどう打ち返す、テイラー?

「それは良い質問ね、シンスケ。私も一番大事なのはコミュニケーションだと思うけど、二番目って何かしら。」

と、左隣で大ボスのテリーが、天井を見つめて黙りこみます。当のテイラーは、小さな口を一秒ほど堅く結んだ後、

「スコープとバジェット(予算)とスケジュールの管理だと思います。」

と答え、それからエネルギッシュに補足説明を開始しました。

“No, that’s a wrong answer.”
「いや、その解答は間違いだね。」

ここで静かに彼女を制する私。ギョッとして振り向くテリーの顔を視界の左端におさめつつ、テイラーの様子を窺います。あからさまに当惑して発言に急ブレーキをかけた彼女でしたが、ようやく気を取り直してこう問いかけました。

「すみません。正しい答えを教えて頂けますか?」

この素直な切り返しに満足しつつ、私が答えます。

「プロジェクトの成功にとって本当に大事なのはね、強力なプロジェクトコントロール・チームの存在なんだよ。」

ここで笑いが起こる予定だったのですが、テイラーの緊張が部屋の空気を張りつめさせていたのか、リアクションは薄いまま。

「君は今、プロジェクトコントロール・チームに入ろうとして面接を受けているんだろ。だったらここは、そう解答しておくのが妥当ってもんじゃないか。」

ああなんだ、そういうオチね、と一同の緊張が若干和らぎましたが、それでもまだ完全には意図が伝わり切っていない模様。

“I was just kidding. Your answer was fine.”
「冗談だよ。君の答えは良かったよ。」

やっと手の内をさらしたところ、

“Shinsuke does this."
「シンスケってこういうことするのよね。」

と苦笑いでフォローするシャノン。


調子こいてウケを狙った結果、コミュニケーションをしくじっちまいました…。


2017年8月5日土曜日

Xanadu ザナドゥ

ここのところ、15歳の息子はテレビドラマ・シリーズ「Game of Thrones(ゲーム・オブ・スローンズ)」に がっつりハマっていて、こちらがちょっと油断すると、この作品がどれだけ面白いかを興奮して語り始めます。

「何度も言ってると思うけど、その話やめてくれる?」

その度にうんざりして制止する私。ひと月ほど前、彼にクライマックスシーンの抜粋をYouTubeで見せられ、そのあまりの残虐性に辟易してしまったのです。架空の大陸を舞台に、戦いに明け暮れる人々を描くドラマ。王位を巡る内紛や外敵の脅威などが何百何千という登場人物を動かし、夥しい数の人々が死んでいく。愛する肉親、兄弟、妊娠中の若妻など、たとえどんなに視聴者からの支持が厚いキャラクターでも、とんでもなく理不尽で残忍な殺され方をする。

「それだけじゃないんだよ、このドラマのすごいところは。プロットが抜群に面白いんだってば。」

「分かった分かった。でもパパはこの手の作品、当分遠慮させて頂くよ。惨たらしいシーンの連続を楽しむだけの心の余裕が無いんだ。」

そうなんです。過去二週間、この国で働き始めて以来最高の多忙さを味わって来た私。上下水道部門、環境部門、建築部門がそれぞれ獲得を目論む三つの巨大プロジェクトがほぼ同時期に計画されており、それら全てのプロポーザル・チームに参加を要請された私は、次々と雪崩れ込む膨大な短期集中作業に日々忙殺されます。平日の長時間残業はもちろんのこと、土日もぶっ通しで働きまくる。

今週火曜は、オレンジ支社へ出張しました。四階の役員会議室で環境部門の重鎮たちと戦略を練りつつ、時々抜け出して二階の小会議室に顔を出します。ここでは建築部隊の作戦会議が進行中。次に一階のジャックを訪ね、上下水道部門のプロポーザルについて打合せ。そして再び四階へ。以下、繰り返し。

建築部門のPMジョニーは、一年半ほど前に彼のプロジェクトのサポートを始めて以来の付き合い。実際に顔を合わせたのは過去三回ほどですが、毎週の電話会議で築き上げて来た信頼感からか、

「今回のプロポーザル話が持ち上がってチームメンバー選びを始めた時、真っ先に名前が浮かんだのがシンスケだったんだ。」

と嬉しい言葉をくれました。我々が今回獲得を目指すのは、クライアント名も業務内容も他言無用の極秘プロジェクト。オレンジ支社に設置された作戦会議室の扉には、「関係者以外立ち入り禁止」の張り紙。作業開始から間もなく、サンディエゴで働く私の元に、ジョニーからメールが入ります。

「プロジェクトのコードネームはXanaduに決まったから、今後の交信ではこの名前を使ってね。」

おお、Xanadu(ザナドゥ)!この単語を目にした瞬間、自動的に頭の中でカラフルなジュークボックスが起動。キラキラしたシンセ・サウンドに彩られた、心浮き立つイントロがスタートします。

1980年公開の同名映画で主題歌として使われたこの曲は、エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)のジェフ・リン作、オリビア・ニュートン・ジョンのボーカルで知られています。学生時代に大流行した際、そのずっと以前からELOのファンだった私は、「みんな何を騒いでるんだね。ジェフ・リン節のスゴさに今頃気が付いたのか?」と、人知れず得意顔。同時に、Xanaduを「ザナドゥ」と発音することに驚きを感じていました。X(エックス)で始まる単語をザって読むのか、知らなかったぜぇ!

「建築部門のプロポーザル・チームに参加することが決まった。コードネームはザナドゥって言うんだ。内容はまだ話せないんだけどね。」

と、もったいぶって部下たちに打ち明けたところ、皆キョトンとしています。

「え?ザナドゥって言葉知らない?」

首を横に振る部下たち。

「エレクトリック・ライト・オーケストラは?オリビア・ニュートン・ジョンは知ってるよね。」

まだ二十代のカンチーとアンドリューは、このおっさん急に何をわけの分からないことを喋り出したんだ?と当惑気味に私の顔を見つめています。オリビア・ニュートン・ジョンは知ってるわ、と救いの手を差し伸べる、やや年齢の近いシャノン。「フィジカル」って曲がヒットしたのよね、と。

昼休み、ランチルームで近くに座っていた古参社員のビルにこの話題を振ってみました。すると彼は間髪入れず、

「コールリッジの詩に使われてたあれだよな。」

と、早口に朗詠を始めました。

In Xanadu did Kubla Khan
A stately pleasure-dome decree
Where Alph, the sacred river, ran
Through caverns measureless to man
Down to a sunless sea.
ザナドゥにクーブラ・カーンは
壮麗な歓楽宮の建設を命じた
そこから聖なる河アルフが流れ
測り知れぬ数々の洞窟を抜け
日の当たらぬ海へと注いでいた

「え?そんな急に暗誦出来るほど有名な詩なの?」

白髪頭のビルは、その歳に似合わぬはにかみ笑いを見せてから、

「いや、高校の授業で習った時に丸暗記して以来だよ。」

と肩をすくめます(きっと、日本で言えば平家物語「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」みたいな、「皆さんお馴染みの」一節なのでしょう)。大いに感心する私を見て気を良くしたのか、更にその博識ぶりを披露するビル。

「ザナドゥってのは、チンギス・ハンの孫フビライ・ハン(kubla khan)が、モンゴル帝国を統治していた頃に作った壮大な都のことなんだよ。13世紀にここを訪れたマルコポーロがそのきらびやかな宮殿の様子を旅行記に描いたことで、ヨーロッパ中にその名が轟いたんだ。帝国の衰退とともに人がいなくなってただの草原に戻っちまうんだが、19世紀にコールリッジが書いたこの詩で、再び有名になる。今じゃ、夢とか幻とか伝説上の都市っていうイメージで使われる言葉になってるね。」

殺戮戦争の果てに巨大化した帝国の栄華を象徴する、絢爛豪華な都。それが姿を消した今でもなお、亡国の記憶を辿るよすがになっている。虚しくも美しいマボロシの都市…。私が訳すとすれば、こうなります。

Xanadu
ザナドゥ、伝説の都

それにしても、若い部下たちが同名のヒット曲どころかその単語すら知らないというのは、ちょっとショックでした。まさに「伝説」だなあ…。

翌週、オレンジ支社へ出向いて作戦会議室でジョニーに質問を浴びせかけていたところ、彼の返答が時折、不自然に淀むことに気付きました。そのまま構わず会話を続けたところ、遂に決心がついたようで、シンスケ、今なんて言ったの?と尋ねるジョニー。

「え?ザナドゥっていうのが今回のプロジェクト名なんじゃないの?」

すると彼はパッと顔を輝かせ、

「あ、そう発音するのか!どう読めばいいのかなあってずっと考えてたんだよね~。」

と笑います。思い切りズッコケる私。

さて、このザナドゥというプロジェクト、私が担当したのは積算です。ジョニーが技術チームリーダー達から集めて来た見積もりを私が集約し、感度分析などを繰り返してまとめあげるという役回り。エクセルを使ってコツコツ数字を積み上げていた時、彼が転送して来たメールにショックを受けます。

「○○ドル以上の入札に際しては、会社指定の特別ソフトを使って見積もりを行う決まりになった。今後はその様式で提出するように。」

去年の春に流された、上層部からの通達です。スクロールしていくと、幾度もの転送を経てジョニーの元に前日届いた様子が見て取れます。通達がPMレベルまで到達するのに一体どうして一年以上もかかるのか?これは、トップがコロコロ変わって来たことに起因すると言っても過言ではないでしょう。我が社は過去十年、毎年数社のペースで買収を重ねて行き、巨大企業に膨れ上がりました。その過程で各部門のトップ人事は混迷を続け、時々、今は誰が親分なの?と大真面目に質問しなければならない有様。情報が組織内で滞ったって、何の不思議もありません。

「入札日まであと一週間というタイミングで新ソフトの使用を義務付けるなんて、ムゴ過ぎるでしょ。今から使用法を学ぶ余裕なんか無いよ。」

とジョニー。これに対し、

「そうだね。でも会社の決まりなら仕方ないじゃん。」

と日本的な諦観を示す私。ところが、

「いや、なんとか特例措置をお願いしてみる。」

と、思いつめた様子のジョニー。そしてその日の深夜、彼が上層部にこんな一斉メールを投げ込みました。

「今回は何とか勘弁して下さい。もう時間が無いんです。昨日まで、通達の存在すら知らなかったんですよ。今シンスケがエクセルを使って積算を手伝ってくれてます。内容は同じですから、こっちのファイルを使わせて下さい。」

これに対して副社長のR氏が、五分と間を置かずにカウンターをお見舞いします。

「おたくの管理職が情報伝達を怠ったことは誠に遺憾だが、だからといって特例は認められない。通達通り遂行するように。」

あらら、自分の上司たちの顔まで潰しちゃったよ。大丈夫かな…。翌朝、ジョニーからテキストが入ります。

“Sorry Shinsuke, I tried.”
「ごめんシンスケ、粘ったんだけどね。」

この人、心臓強いなあ、と感心しきりの私。こんなメールを書く度胸、自分にはありません。ところがその日、オレンジ支社へ出向いて彼と打合せをしたところ、

「随分色んな人の神経を逆撫でしちゃった。この会社での僕の将来は危ういね。」

と、意外にも弱気な発言。

「いやいや、君のように優秀なPMを切るなんて有り得ないでしょ。大体、もしもこのプロジェクトを他の会社が獲ったら、そこに引っ張られればいいだけの話じゃない。」

「う~ん、そこまで楽観的にはなれないなあ。」

さて、入札を二日後に控え、プロポーザル作成も佳境に入った月曜の午後。彼が突然、車で外出します。なんと、これからPMP試験を受けて来るというのです。

「実は十年前に取得したんだけど、前回のプロジェクトで5年上海に行ってる間に失効しちゃってさ。今回のプロポーザルに名前を載せる前に資格を取り戻したいと思って、ギリギリで試験の予定を突っ込んじゃったんだ。」

ここのところほとんど寝ていない上に、忙し過ぎて受験勉強が出来なかったという彼でしたが、夕方電話が入ります。「受かったよ!」そしてオフィスに戻り、何事も無かったようにプロポーザル作業を再開するジョニー。こういう、知力も体力も抜群な人間がPMを務めるプロジェクトのサポートを任されるというのは、本当にラッキーなことだなあ、と嬉しくなりました。

ところが翌日、オレンジ支社二階の作戦会議室を訪ねたところ、彼を含めた中核メンバー達がそろって椅子の背にもたれかかり、悄然としています。皆どうしたの?と尋ねると、滅茶苦茶だよ、もうどうでも良くなった、と力なく笑う面々。

彼等の話によれば、去年転職して来て建築部門のトップに座ったB氏がいきなり乱入し、入札予定額を大幅に下げるよう命じた、というのです。プロジェクトの詳細内容やクライアントの性格を知りもしないのに。チームが二週間かけて念入りに積み上げた上、既にギリギリまで無駄を削ぎ落していた額を更に何十パーセントも落とせ、というのですから、皆の腹立ちも理解出来ます。

「でも、何かそれなりの理由があってのことなんでしょ。」

と私。

「いやいや、確実に競り落としたいというだけの単純な動機だよ。万一そんな額で落札しちゃったら赤字は間違いないし、それ以前に、我々がプロジェクトの内容をきちんと理解していないからこそそんな低価格を提示して来たんじゃないかと、逆にクライアントを不安にさせる危険も大きいんだよ。」

トップの指示に従って入札額を下げれば、落札してもしなくても地獄。かと言ってB氏の命に背けば、組織の統制を乱すだろうし自分の首も危なくなる。さてどうする?入札は明日の正午。もう時間が無い。皆が静まり返ったところに、ジョニーの直属の上司リチャードが入って来ました。私がそもそも建築部門に関わるようになったのは、三年前にこのリチャードからサポート要請を受けたのがきっかけ。おおシンスケ、元気か?君はいつもニコニコしてるな!と握手の手を差し伸べます。人当たりが良く、常に部下たちを護り励まそうと心を砕いている人望の厚い彼に、待ってましたとばかりにプロポーザル・チームの一同が窮状を吐露し始めます。うんうん、そうかそうか、と真剣に耳を傾けるリチャード。そのまま会話に参加していたかったのですが、急いで次の会議へ移動しなければならなず、サヨナラを言って静かにドアを閉める私でした。

翌朝6時半、お偉方を集めた特別電話会議が開かれました。私もサンディエゴのオフィスから参加。その二時間前、チームが夜を徹して修正したとみられる書類が一斉に送信されていたのですが、それを開けてみて愕然とする私でした。なんと入札予定額が、B氏の指示した額から大幅に上方修正されていたのです。一体どういうことだ?と気色ばむエグゼクティブ達。これに対し、何故この額でなければならないのかを落ち着いた声で説明し始めたジョニー。夜の内に何があったのかは分かりませんが、すっかり肝が据わった様子。苛立ちを露わにするB氏でしたが、入札時刻まであと数時間しかありません。

「分かった。個人的には極めて不愉快だが、クライアントも市場も研究し尽くしているチームの総意で決めたことなら仕方無い。もう議論を重ねる猶予も無いしな。この額で行こう。」

オレンジ支社まで車を飛ばし、ジョニーの肩をバシッと叩いて労をねぎらってやりたい気分でした。その後、無事入札を終えた彼が、早々に帰宅して爆睡したことは言うまでもありません。

さて、一日おいて金曜の朝。環境部門のプロポーザル作業にのめり込んでいたところ、ジョニーから携帯にテキストが入りました。

「早く知らせておいた方がいいと思ってね。今朝リチャードが解雇されたよ。」

呆然。暫く返事が書けませんでした。

夕方帰宅すると、息子が目を輝かせて部屋から出て来ました。つい今しがた見終わったばかりだったのでしょう。

「ねえ、ゲーム・オブ・スローンズの話していい?」

と食いつきます。

「ごめん。今はほんとに勘弁して。残酷な話は聞きたくないんだ。」

「ええ~?もうパパ、金玉縮んじゃってんじゃないの?」

ご明察…。