2020年12月20日日曜日

Throw your hat in the ring リングに帽子を投げ入れる


先週日曜、久しぶりに夫婦でオレンジ郡まで遠出しました。日本人が経営するお気に入りパン屋二軒のはしご。途中給油のために高速を降りた時、コロラドの大学寮にいる19歳の息子から電話が入ります。大体予測はついていたのですが、またしても「どうしようもなく他愛のない」用件でした。

「あのさ、キョウジって何?」

「は?」

彼が最近ハマっている漫画のひとつに「呪術廻戦」という作品があるのですが、呪いだとか霊だとかの異世界が舞台なせいか、レアで古風な漢字や四字熟語がセリフの中で乱発されるのです。難解なワードが出てくる度に、自分で調べもせず電話して来る息子。

「ホコっていう偏にイマっていう字なんだけど。」

「ああ、その矜持ね。」

「何それ?わたし知らない。」

と横からスピーカーフォンに答える妻。

「現代人が使わなくなってる単語だよ。武士の世界で好まれた表現だと思うな。自分自身の能力に対する強い信念のことだと記憶してるけど。」

「へえ、いいねえ。僕、この言葉これから使って行こうっと!ありがと!」

スッキリした声で軽快に会話を締めくくる息子。

矜持か…。確かにクールなワードだなあ。きっと漫画のクライマックスで主人公の吹き出しの中、特大フォントで使われていたのでしょう。「ここ、恐らくグッと来るはずのシーンなんだよな。ああ、でも意味が分かんない!」とフラストレーションをためての電話だったんだな、と可笑しくなりました。

「こういうのって、英語の会話でもしょっちゅうあるよね。」

給油を終えて高速道路のランプに向かいながら、妻と頷きあう私でした。

キメのセリフの終盤に初耳の単語やフレーズをぶち込んできて、こちらの反応を待つアメリカ人。え?今言われたこと、全然理解出来ないんだけど。一体何を伝えたかったんだろう?いかん、考えているうちに沈黙の時間が長引いているぞ。このまま黙っていると、まるでどう答えようか悩んでいるんだと勘違いされちゃうじゃんか。いやいや、こっちはそもそも聞かれたことの意味が分かってないんだよ。やばい、そうこうしているうちに、質問の意味を聞き直すタイミングも逃しちまった。相手は辛抱強くリアクションを待ってるぞ。まずいぞ、どうしよう?ってな感じです。

つい数週間前も、こんな経験がありました。

9月に大規模な組織改編があり、上司だったカレンを含む中間管理層の多くが解雇された他、首を傾げたくなるような無差別殺戮が繰り広げられました。私が所属していた環境部門の西海岸地区は北米大陸全域に吸収され、トップの座は東海岸のリーダー達が占めることに。まるで戦国時代のように、仁義なきパワーゲームの展開です。

カレンの下、一度は正式に組織化されたプロジェクトコントロール・グループは二分され、私のチームはセシリアの指揮する南カリフォルニア部に吸収されました。新組織のトップ達はプロジェクトコントロールという専門性の価値を理解しているとは思えず、組織図にはその名称すら挙がる気配がありません。そんな中、東海岸の新リーダーからこんな発表がありました。

Project Delivery Lead(プロジェクト・デリバリー・リード)というポジションを作ります。このPDLは地域ごとに選出され、数百のプロジェクトのApprover(承認者)となって組織のリスクマネジメントを担います。プロジェクトマネジメントに精通していて、財務部門にも明るい人が最適です。希望者は応募して下さい。」

最初のリアクションは、「はあ?」でした。そんな役職が必要なら、そもそもなんであれほど優秀な管理職達をごっそり解雇したんだよ?ふざけんな!と。ところが日を追うごとに周囲の人々が、この件に対する私のリアクションに関心を示し始めたのです。シンスケが適任だろう、なんで彼は手を挙げないんだ?と。上司のセシリアには包み隠さず打ち明けました。

「こんな役職についたら、うちのチームメンバー達はがっかりすると思うよ。これまで体制の圧力に与することなくプロジェクトマネジャー達のサポートに徹して来たのに、リーダーの僕が体制側に回るとなれば、裏切りと取られるでしょ。それにこのポジションは間違いなく解雇対象予備軍だから、数年後の組織改編であっけなく首切られるのがオチだね。」

「わかるけど、あなた以外にこの仕事が務まる人はいないでしょ。よく考えて欲しいの。」

そして一ヶ月、二ヶ月と経過していくうち、どうやら南カリフォルニア地域ではまだPDLのポジションが埋まっていないことが分かって来ました。ところが何故か、PDLが対象と思われる電話会議に招待され始めたのです。くそ、外堀から埋めて行こうという作戦だな…。その手に乗るか!

そんな中、セシリアから電話がありました。大ボスのテリーが心配している、というのです。もしもシンスケがこのまま沈黙を続ければ、全くの「よそ者」社員がうちのエリアのPDLに収まり兼ねない。そうなれば、厳しい運営を迫られる可能性が高い、と。プロジェクトコントロール・チームの生殺与奪権すら、その「よそ者」に委ねることになる。それでいいのか?ここは腹を括って踏み出す時じゃないのか?と。

あとでテリーからも直接電話がありました。チームを守りたい気持ちがあるのなら、承認する側に立つ必要がある。反体制を気取って戦っていれば気分は良いかも知れないけど、所詮、野党は野党。与党でいなければコントロール権は無い。チームを守ろうともがいても、その力があなたには与えられていないのだから…。

セシリアの決め台詞は、そんな文脈で飛び出したのでした。

“So, are you throwing your hat in the ring?”

「で、帽子をリングに投げ入れるつもり?」

ぐっと詰まる私。判断に迷ってではなく、質問の意味が分からず途方に暮れて。リング?輪っかのことか?指輪か?それともボクシングのリングか?帽子を投げ入れる?これってタオルを投げ入れるのと同じかな?だとすると、負けを認めるって話だよな。つまり、これだけヤイヤイ言われても戦う気にならないのか、と詰られているのかも…。いかん、このまま電話の相手を待たせれば、こちらの意図が疑われる!意を決して尋ねる私。

「ごめんセシリア。今のフレーズ、初耳なんだ。どういう意味なの?」

アハハ、と笑い出したセシリアでしたが、

「あ、そうなの?ごめんなさいね。」

と解説を始めてくれました。後で詳しく調べた結果と合わせると、こういういうことになります。

かつてボクシングの試合の後、観客の中から次の挑戦者が名乗りを上げる場合、被っていた帽子をリングに投げ入れる習慣があった。これが転じて、「立候補する」とか「出馬する」という意味で使われるようになった。

“So, are you throwing your hat in the ring?”

「で、立候補する気になった?」

ちょっと考えさせて欲しい、と時間をもらった後、妻にも意見を聞いてみました。

「もしも日本でお勤めしてたら、そういう役職についていてもおかしくない年齢でしょ。やってみたら?」

先週半ば、正式に新役職の発表があり、私は南カリフォルニアの280件を超えるプロジェクトのリスクマネジメントを任されることになったのでした。意外にもチームメンバー達はこの件について皆ポジティブに捉えてくれたようで、

「プロジェクトマネジャー達だって皆シンスケのこと信頼してるから、きっとすごくうまく行くわ!」

と応援してくれるのでした。

新しい仕事に移る際には必ず経験することですが、現職の引き継ぎをしながら新たな職務をスタートするため、数週間は激務に苦しむことになります。今週もそうでした。猛スピードで襲いかかってくる敵をバッタバッタと切り倒している(気分の)うちに目眩までして来ました。

火曜日の夕方、プロジェクトコントロール仲間で別部門の北米西部地区を担当していたモリーと数カ月ぶりに近況連絡会をしました。なんと、彼女の周りでは環境部門のそれを遥かに超える大鉈が振るわれたのだそうです。部門長に就任したばかりの人物が解雇宣告を受け、プロジェクトコントロール部門は木っ端微塵に解体されてメンバーたちはそれぞれ移籍先を探す羽目になったのだと。モリーも古巣のプログラムマネジメント部門に舞い戻ることを決めたのですが、今も最終的な落ち着き先は決まっていないとのこと。

暫く後になってみないと私の決断が正しかったのかどうかは分からないでしょうが、とりあえずチームともども生き延びたことを、モリーは喜んでくれました。

さて木曜日には、冬休みに入った息子がサンディエゴに戻って来ました。帰宅していきなり、

「進撃の巨人アニメのシーズン2を一緒に観ようよ!」

と誘ってきます。いやいや、こっちは激務でクタクタだよ。無理無理。え~?せっかく一人息子が帰ってきたっていうのに?と責める19歳。

「進撃の巨人ってさ、無表情な巨人たちに人間がムシャムシャ食べられちゃうでしょ。うちの会社でも、周りで優秀な人達がリアルに大勢消えて行ってるんだよ。これ以上残酷な話を聞かされたくないんだよね。」

と力無くベッドに横たわる父親に、「いいから一緒に観ようよ、面白いよ。」となおもすがる、180センチ超えの筋肉男。

「こっちは君の学費を稼ぐために、日々労働に明け暮れてんだ。少しはいたわってくれてもいいんじゃないか?」

Stop the guilt trip(罪悪感を植え付けようとするのはやめてよ)!」

そう言い返した後、なんとこの巨人、私の右脚の膝小僧の下あたりにガブリと噛み付いたのです。

「イテテテ!何してんだよ、おい!」

と半ば本気で怒る私。すると彼は笑いながら上体を起こし、こう言い放ったのです。

「スネ、かじってんの!」

おお、なかなかの日本語力じゃんか。ちょっと感心したぞ。

 

2020年10月11日日曜日

I’ve got the brawn. 俺はブロン派。


「正直に言うね。これじゃ全然弱いよ。大幅に修正する必要がある。」

先日、部下のテイラーとの電話会議中、たまらず本音を告げた私でした。

「君のやって来たことのインパクトのデカさが、なあ~んも伝わって来ないんだよね。」

議論の対象は、彼女が年度末に書き上げた自己業績評価。会社の年度は十月にスタートするので、先月が2020年度末だったのです。社員はそれぞれ、オンラインシステムに自分の仕事の成果や成長について記載し提出。これを上司が評価して採点する、という仕組みになっているのですが、私は何年も前から自分のチームメンバーと、原稿の段階で議論するようにしています。というのも、彼女たちが自分の業績を過小評価する傾向があることに気づいたから。

「たとえばさ、君はついこないだプロジェクトマネージャーになることを求められただろ。入社三年で。しかもそのプロジェクトをこれまで担当してた人は、かなりのベテランだ。それをまるで普通のことみたいに書いちゃってる。結局PM資格は棚上げになってしまって、それを残念な事件みたいに描写してるけど、何故却下されたかと言えば、ただ単に早すぎたからだろ。これほどの短期間でPMに推された人はかつて存在しなかったし、会社が規定する昇格プロセスを経ていないからというだけの理由で受け入れられなかった。裏を返せば、これは前代未聞の大抜擢だったんだよ。そのことに触れないで淡々と次の段落へ進んじゃってるんだからなあ、もう。もどかしいにも程があるよ。」

「なるほど。本当にそうですね。学生時代に訓練された文章の書き方が染み付いてるみたいで、どうしても淡白になっちゃうんです。書き直します。」

言いたいことは躊躇なく口に出すし、行動は時に過激。自己肯定感が強く、若造でも構わず公の場でガンガン自己アピールする。渡米五年目くらいまで、それが私にとってのアメリカ人のイメージでした。しかしそのうち段々と、そうでもないタイプの知り合いや同僚が現れ、これは考えていたよりちょっと複雑だぞ、と気づき始めます。自分のチームを持つようになり、しかも採用時には注意深く人となりを審査していることも手伝ってか、こちらが戸惑うくらい謙虚な人間に取り巻かれることが増えたのでした。

チームメンバー達が慎ましく腰が低いことには何の不満も無いのだけれど、年一回のこの自己業績評価においては、少しばかり態度をあらためてもらわなければならない、というのが私の主張。公式文書として残るものであり、それが独り歩きした時に微妙なニュアンスは霧消する。この文書が会社の決裁ルートを上って行き、それをベースに彼女たちの報酬を最終決定する人たちは、当人たちと面識すら無いことがほとんど。であれば、この際謙遜はマイナスでしか無い。冷静に過去一年を振り返り、自分の成長や貢献度を出来るだけ正確に描写することが、極めて重要なのです。

更にこのプロセスを通し、彼女たちが自分の仕事の価値を再確認し、自信を高めてくれたらいいな、というのも私の狙いです。たとえ「いや給料もらってますし、これが私の仕事ですから」という日常であっても、過去12ヶ月間を丁寧に振り返ってみると、「あの時かなり悩んだ末に、こんな決断をした。その結果、自分の役割も責任も大きく膨らんでしんどくなったけど、プロジェクトにこういう変化がもたらされた。後から考えれば深刻な損失が出てもおかしくなかった大ピンチを、すんでのところで私のリーダーシップが救った。」そう言えるような転機がいくつかあるものなのです。それをひとつひとつ思い出して記録するうち、まるで赤ん坊がハイハイした、最初の言葉を発した、立ち上がった、というような具体的な成長の記憶が脳に刻まれ、自己肯定感が高まるのですね。

先週は、カマリロ支社にいる部下のケリーと電話。彼女の自己業績評価レビューをしました。

「ただでさえ忙しいさなかに、君は自ら手を上げて新PMツールのスーパーユーザーに立候補したんだぜ。せっせとトレーニングを受けに出張したりしてさ。その努力によって数多くのPM達が助けられた。どうしてそれを書かないかな?」

「あ、そうね。確かに。それを特別な貢献だとは、正直思ってなかったかも。」

「特別なんだよ。毎日決まってやってる仕事以外、全て特別だし、自分の意思でコンフォートゾーンを踏み出した時というのは、まず間違いなく成長してるんだ。それをちゃんと拾い上げてやらなかったら、自分が可哀想じゃないか。」

ここでケリーに、長い間私は、アメリカ人というのはみな押し出しが強く、自分を本物以上に大きく見せる術に長けている人たちというイメージを抱いていたことを告げました。だからこうしてチームメンバー達と喋ると、あまりの慎み深さに拍子抜けする、と。

「アメリカ人のほとんどは謙虚だと思うな。映画や政治ニュースに登場する人達が、むしろ異常なのよ。少なくとも私の周りには、そんな自惚れ屋いないもの。」

人種のるつぼと称されるような国なので、そもそも「アメリカ人は」という括りで語ること自体にあまり意味は無いのかもしれないけど、私にとってこの気付きは、アメリカ映画に夢中だった若い頃の自分に伝えてやりたくなるような驚きなのでした。

さて先週の金曜日、モハビ砂漠の真ん中に建つ刑務所の改築プロジェクトを担当するPMのブレットと電話会議がありました。マイクロソフト・ティームズを使って画面を共有し、エクセルで作ったスタッフプランをレビューします。タスクごとに担当者の計画労働時間を打ち込んで行くと同時に、利益率の変化をチェックします。巨大なスプレッドシートを巧みに操る私に、

「シンスケ、君はホントにすごいなあ。俺はこんな仕事、絶対やりたくないよ。」

と感嘆するブレット。毎日のように摂氏40度を超える現場に出かけている彼の方がよっぽどキツイ仕事をしているのですが、きっとコンピュータ上の操作の方が難度が高いように見えるのでしょう。その時彼が、静かに

“You’ve got the brain. I’ve got the brawn.”

と呟きました。最後の言葉は「ブロン」と聞こえたのですが、意味が分からず思わずエクセルの手を止めます。

「え?今なんて?スペルは?」

微かに笑いながら綴りを教えてくれるブレットに、ブロンというのは初めて聞く単語だよ、と答える私。電話会議の後あらためて調べたところ、Brawnというのは「ブロゥン」と発音し、そもそも豚の頭部の肉(骨と目を抜いた部分)を煮こごりにした食べ物(ヘッド・チーズ)の別称。「たくましい筋肉」とか「腕力」という意味に使われる言葉でもあるとのこと。文字数も意味も、Brain(ブレイン)とかけて洒落るのに絶好の相方。ブレットが言いたかったのは、こういうことでしょう。

“You’ve got the brain. I’ve got the brawn.”

「君には頭脳があり、俺には腕力がある。」

つまり、

「君は頭脳派、俺は肉体派。」

ここまであからさまに謙遜を表現する英語表現があったのか、と感心。あらためてアメリカ人を見直す私でした。 

2020年10月4日日曜日

Everything happens for a reason. 全ては必然である。


先月からほぼ毎日、夜明け前にソロ・ウォークを楽しんでいます。一般に薦められる「脂肪燃焼に効果的なハイペース」のパワーウォークではなく、約一万歩を80分という適度なペース。北カリフォルニアで長引いている山火事の影響で大気汚染のレベルがヤバい日以外は毎日歩くと決めたので、今くらいの負荷がちょうど良いのですね。

この日課を始めた時には、単に「運動不足解消」くらいに考えていたのですが、一ヶ月継続してみて大事なことに気付きます。これまで実に何年間も、物事をじっくり考える機会が減り続けていたのだ、ということに。

仕事のペースは日々刻々と加速して行く。YouTubeやポドキャスト、SNS、ネットフリックスなどの爆発的な増殖により、目や耳を通じて脳への侵入を試みる情報の量は毎秒、指数関数的に増えている。料理や洗い物の最中でさえ、AirPodを耳に装着して何かしら聴いている。自分でも気づかぬうち、脳は自律的に考えることを停止し、入力データをプロセスする作業にかかりきりになっていた。そうしていつの間にか情感全体が疲弊し、麻痺してしまっていた。

イヤホンもせず、携帯は懐中電灯と時間確認以外には使用せず、ひたすら黙々と暗闇を歩くようになってから、「ぼんやり考え事をしていて意識が飛ぶ」体験が増え、ゾクゾクするような興奮を味わっている私。なんだろうこの懐かしさは?学生時代ほぼ毎日じゃれあっていた旧友に、スクランブル交差点の真ん中で遭遇したような感覚。おお、元気だったか?あの頃はほんと、くだらない話で盛り上がってたよなあ…。金は無いけど暇はある。何かっていうと笑ってた、そんな時代。

そうなんだ。コンピュータもインターネットもスマホも無かった時代、世界はもっと鮮やかだった。夜明けの空の色や木々の緑、小鳥のさえずり。そうしたひとつひとつの事象が生き生きと粒立った天然色ワールドの中で、僕らは常に細かく思いを巡らせていたんだ。今日デジタルで届けられる膨大な情報は知識欲を満たしてくれる一方、僕たちの思考を巧みに制御し、支離滅裂な白昼夢を楽しむ自由を奪っている。そしてそれがじわじわと精神の健康を蝕んでいるということに、僕らはどこかで気づいているのだ。しかしその圧倒的なメリットには抗えず、デジタル世界の一員としてじわじわと洗脳されていく…。

コロナが無かったら早朝ウォーキングなど始めていなかっただろうし、こうしてデジタルの呪縛から解放される術を会得する機会も無かった。世の中というのは、個人のレベルでさえ絶妙なタイミングで目に見えぬ力が働いて、バランスを正すように出来ているのだなあ、という畏怖の念をあらためて覚えるのでした。

さて数日前、オレンジ支社のジョニーからテキストが届きました。

「シンスケ、どうしてる?六月以来喋ってないよね。」

彼が突然Furlough(一時解雇)通知を受けたのが、五月の末。アミューズメントパーク系の巨大デザインプロジェクトを多く手掛けていたスターPMの彼が、まさか戦力外宣告を食らうとは予想もしていませんでした。知力体力ともに並外れており、おまけに人当たりも良くチームメンバー達から厚い信頼を受けている彼。

さっそく電話で旧交を温めます。

「次の仕事はまだ見つかっていないんだ。コロナのせいで求職者がマーケットに溢れてるだろ。当然ながら極端な雇用者側の買い手市場になっていて、条件交渉が厳しいんだよ。」

「なるほど。」

それでも持ち前のポジティブさはいささかも失っていないこと。このチャンスを活かして毎日エクササイズに精を出し、三ヶ月で20パウンド(約9キロ)の減量に成功したこと。幼稚園や小学校の再開を待つ三人の子どもたちの面倒を見ていて、彼らの成長を間近に観察出来る喜びを味わっていること。公園に毎日出かけて練習したせいで、三人ほぼ同時に自転車に乗れるようになった。せっせとプールに通って、三人とも泳げるようにさせた。

「そいつはすごいな。」

と感心する私。その時、それまで遠くから聞こえていた幼い子供たちの声が急に大きくなり、ぐっと父親に接近したことが分かりました。

「ほら、Uncle Shinsuke(シンスケおじちゃん)にご挨拶しなさい。」

とジョニーが穏やかな声で促すと、三人の子どもたちが入れ替わり立ち代わり「ハ~イ」と自己紹介。三人目の子に、

「自転車に乗れるんだって?」

と尋ねると、いかにも得意げに

「うんそうだよ。僕、乗れるようになったの。」

と答えます。年齢を聞くと、

「五歳。」

「そうか、五歳なのにもう自転車に乗れるんだ。それは大したもんだ!」

と褒める私。うふふ、と嬉しそうに笑う幼児。その後、用は済んだとばかりに未練気もなく遠くに去っていく三人の子どもたちに何か話しかけた後、ジョニーが電話口に戻ります。

「あの子達、お父さんと一緒に公園で自転車の練習したな、とかプールで泳ぎを教えてもらったな、とか、大きくなってからしみじみ思い出すだろうな。お互いにとって、本当にプライスレスな体験だよね。」

と私。

「うん、僕もそう思ってこの幸運に感謝してるんだ。金銭的な不安を除けば、今の生活は最高に充実してる。」

噛み締めるように答えたジョニーが、最後にこう締めくくったのでした。

“Everything happens for a reason.”

「全ての出来事に理由がある。」

つまり、「全ては必然である。」ですね。スーパースターの彼らしいカッコいいセリフだな、と感心する私でした。

さて、かくいう私も「毎朝一万歩」の成果もあってか、日々健康増進を実感しています。過去九ヶ月で9パウンドの減量。脇腹もすっきりして来ました。わたしも歩こうかな、という妻に、

「でもさ、何歩歩くかに関係なく、僕のウォーキングは80分が限界なんだよね。」

と告白します。まるで新型ウルトラマンのカラータイマーみたいに、きっかり80分以内に帰宅しないといけない。

「さて、何ででしょう?」

と、ここでクイズ。

「トイレでしょ。」

間髪入れずに即答する相方。

「あ、分かった?」

「何年夫婦やってると思ってんのよ?」

そう、スタート前に水をたっぷり摂取しているせいで、ウォーキング終盤は毎回膀胱爆発のスリルと戦っている私。近所で立ちションしてたら逮捕されるので、必然的に一定時間内に戻らないといけなくなる。その限界値が80分であることが、毎日データを積み重ねてみて判明したのですね。必然の80分。それを妻が即座に言い当てるのも必然。本当に全ては必然だなあ…。

いや、これはちょっと違うか…。

2020年9月13日日曜日

嘘とストレス

 先週月曜日のことでした。


「来月の組織改編について、何か新しい情報入ってる?今度の水曜日に定例電話会議でチームの皆と話すから、我々がどの部門におさまることになりそうか、事前に知っておきたいんだ。」

とジェームスにメールを送ったところ、五時過ぎに彼から電話がかかって来ました。

「ちょうど連絡取ろうと思ってたところだったんだよ。」

ジェームスというのは、環境部門北米西部エリアのオペレーションを統括しているエリート社員です。三年ほど前に転職して来て、短期間に重要ポストを歴任。去年までは南カリフォルニアが担当範囲だったのに、今年から西海岸全域に(アラスカまで)守備範囲を広げました。それまで彼と横並びで北半分を所管していたカレンは押し出される格好になり、二月に立ち上がったプロジェクトコントロール部門とその他共通部門を束ねるポジションにおさまりました。カレンにしてみればあからさまな格下げで、きっと面白くはなかったでしょう。でもプロジェクトコントロールの人員をひとつに束ねようという動きは、それまで明確な組織的認知を受けて来なかった我々にとって、歴史的な決定でした。この新生チーム立ち上げから八ヶ月、その成果は誰の目にも明らかでした。しかしまたしても巨大な組織改編の荒波に襲われ、バラバラに解体されて元の木阿弥になるのではないか、とチームメンバー達から不安の声が漏れていたのです。

「大丈夫。シンスケのチームはほぼ現状通り維持されることになった。」

とジェームス。ひとまず安心です。

北米環境部門では、これまで五つの地理的エリアに分けて運営していたのを、十月から三つの部門(IRE)に再編成することになったのですが、私のチームはI部門に落ち着くことになった、とジェームス。彼自身はE部門で今の仕事を続けるとのこと。

「カレンはどうなるの?」

と私。ボスともども同じ部署に異動が決まればラッキーだな、と思っていたのです。ほんの一瞬、電話の向こうで微かな怯みを見せたジェームスですが、

「彼女はVSP申請が承認されたよ。」

と答えました。VSPとはVoluntary Separation Programの略で、自ら手を上げれば通常よりやや手厚い退職手当が支払われますよ、という「自主退社プログラム」です。

「苦労をともにしてきた仲間だから、本当に残念なんだけど…。」

そうか、カレンは遂に引退する決意を固めたのか。前回電話で喋った時はそんな意思を匂わせもしなかったけど、何か思うところがあったんだろうな…。

そんなわけでチームの存続は確認されたものの、誰の下につくことになるのかまでは未定とのこと。一、二週間の内には詳細が決まるだろう、と説明するジェームスでした。

電話を切った後、さっそくカレンに翌日早朝の電話会議予約のメールを送りました。

「昨日の晩ジェームスと話したんだけど、一応本人の口からも聞いておきたいと思って。」

と開口一番切り出すと、ため息まじりの笑い声で、

「私も昨日初めて知ったのよ。」

と返すカレン。

「え?どういうこと?」

と当惑する私に、

「どんな風に知らされたか聞きたい?」

と畳み掛けます。

「オフィスの月極パーキングの契約期限切れを知らせるメールが届いたの。更新手続きの方法を調べようと人事総務部に問い合わせたら、すごく言いづらそうに、契約延長はしないほうがいいって言うの。で、しつこく理由を尋ねてみたら、あなたは間もなく退職する予定だからって。はあっ?でしょ。」

乾いた笑い。

「で、退職予定日ってのがまた気が利いてるのよ。」

この日付については前日にジェームスから知らされていたのですが、敢えて黙っていました。

9.11(ナイン・イレブン)ですって。どうよこれ?」

確かにそれは随分dark sense of humor(陰気なユーモア・センス)だね、と何とか反応する私。彼女が自主的に退職を決めたわけではないばかりか、こうなることを予測もしていなかった、という事実に衝撃を受けていたのです。彼女の上司のリックも、それからロングビーチ支社のリーダーであるウィルも、皆同じ処遇のようだとカレン。五つの組織を三つに減らすのだから、単純計算すれば副社長クラスの四割が職にあぶれて当然です。それを「自主退社希望者募集」という名目で穏便に処理しようと試みたものの期待通りに進まなかったため、なりふり構っていられなくなった会社側が勝手に自主退社者を選出する、という強硬策に出たのでしょう。

「あなたのチームは安泰よ。それは本当にいいニュースで、ほっとしてるの。」

とポジティブなコメントをつけ加えた後、でもやっぱりね、とカレン。

32年もこの会社でやって来たのよ。32年よ。」

長年に渡る貢献のお返しがこの仕打ちか、という無念さが伝わります。今回の組織改編はコロナが原因ではなく、数年前に策定された長期戦略に則った決定なのだ、という説明は部門のトップから度々説明されていました。でも本当にそうなのか?

確実に言えるのは、「誰かが嘘をついている」ということでしょう。

不都合な目に合う社員に対する気遣い、対外的イメージの維持。理由は何であれ、真実が語られていないのは確かです。滅茶苦茶だった西海岸北部地域の経営を立て直したエピソードを語ろうと試みたカレンが声を詰まらせて数秒間会話が止まった時、あまりの居心地悪さに電話を置きたくなりました。

さて、水曜の昼前。どんよりした気分を振り払い、マイクロソフト・ティームズを使ってメンバーたちとビデオ会議です。

「あのさ、前回のセッションで、これからはみな顔を見せながら話そうって言ったよね。」

と私。カラフルな風船の画像を背景にライブで姿を見せているのが私だけだったので、カメラをオンにするようやんわりと促します。

「ええ?そうだっけ?無理無理。今は絶対無理。」

と女性陣が一斉に抵抗します。

「まあいいけど、次回からはそうしようよ。」

と私。メンバー全員が自由闊達に話せるのが理想のチームじゃないか、顔を見せてなきゃちゃんと身を入れて参加してるのかどうかさえ分からないよ、と主張します。そして組織改編のニュースを含めて事務連絡を淡々と済ませてから、

「じゃあさ、どんなに他愛もないテーマでもいいから自分についてちょっと話すっていう企画やろうよ。こないだそういう話題になったでしょ。」

と焚き付けます。しばしの沈黙。

「じゃ、私から行くわね。」

とオレンジ支社のヴァージニアが口を開きました。お、いいね、と私。

「こないだふと思い出したんだけど、小学校四年生の頃だったか、生徒会長に立候補したの。何でそういう決断に至ったのかは全く思い出せないんだけど、とにかく頑張って選挙活動したのよ。結局五年生の男の子に負けちゃったんだけどね。」

それからまた静寂。ええ?それでおしまい?なんだその唐突な話題?何でもいいとは言ったけどさ…。するとシャノンが、

「公約は何だったの?」

と普通に質問します。おっと、この話題を拡げようっていうのか?すごいな。

「いろいろあったと思うけど、第一に給食の品質改善だった気がする。」

へえ~、そんなこと考えてたんだ、ちっちゃいのに…。と皆で感心します。

「で、改善はされたの?」

とサンタマリア支社のデボラ。え?まだ引っ張んの?と呆れ始める私。

「それがね、選挙には負けたんだけど、それから給食が格段に美味しくなったの!私の公約が影響したかどうかは分からないけどね。」

まあ良かったじゃない!とメンバーたち。この後、更にこの「どうしようもなく他愛もない話」が引き延ばされ続けたのですが、気が付けばチームの会話は楽しいトーンで弾んでいたのでした。さっきまで暗い話題で沈んでたもんな、こういうのいいな。そうじんわり感動していた私は、

「あ、僕もちょっと思い出した。」

と、この日の朝の出来事を話し始めました。客間で仕事していた私のところに妻が来て、「あの子、起きてる?」と尋ねたのが朝九時四十分。自宅からオンラインで大学の授業を受けている18歳の息子が今学期履修しているのは「化学Ⅰ」ですが、授業はカリフォルニア時間で九時からのはず。そういえば彼の部屋から物音が聞こえて来ないな、と訝ってドアを開けてみたら、ベッドで大口を開けて熟睡しています。肩を軽く叩いて「今日は授業無いの?」と尋ねたところ、薄目を開けて一瞬考え込んだ後、がばっと手を伸ばしてスマホをつかみ、時間を確認して飛び起きます。

「ありがと!」

そしてバタバタとトイレへ行ってから再び部屋に戻り、音を立ててドアを閉めました。一クラス十数人の少数編成なので、出席してなかったら絶対バレる状況です。しかもオンラインで顔を見せるフォーマットだから、しれっと途中参加出来るわけがない…。三十分後、キッチンに現れた彼に首尾を話させました。

「もう授業はほとんど終わってたから、イーライに謝ったよ。」

イーライというのは、教授の名前です。どんな言い訳をしたのかを尋ねたところ、

「寝坊しちゃったって言ったんだよ。そしたら、そういうこともあるよって許してくれたの。もう二度と寝坊なんかしませんって言って謝ったよ。」

「え?素直に理由を話したんだ。」

ハッと驚いていた私でした。遠隔でのコミュニケーションなんだから、いくらでも誤魔化せそうなのに…。

「だってイーライは好きな先生なんだよ。好きな人に嘘つきたくないでしょ。」

と真顔で答える息子。そっか、そうだね、確かに…。

高い授業料を払ってる親の目の前で寝坊しておいて、よくもそうぬけぬけと正論が吐けたもんだな、と怒ってやってもいいところかもしれませんが、何か胸にぐっと来るものがあり、黙ってやり過ごした私でした。「好きな人に嘘つきたくないでしょ」というセリフには、社会で揉まれてすっかり擦れてしまった大人たちを、はっと立ち止まらせるパワーがあるな、としみじみ思うのでした。

この話を終えた時、電話の向こうで暫く無言が続きました。あれ?みんなどうしたの?と反応を待っていたら、ヴァージニアがようやくこう言いました。

“Can he mentor my five-year-old?”
「(お宅の息子さん、)うちの五歳児のメンターになってくれるかしら?」

そこで皆笑い、今のエピソードをポジティブに受け止めてくれた様子が窺えました。

会社がどうであれ、このチーム内ではお互い何でも言える間柄にしたい。そのためには、たとえどんなくだらない話でもきちんと時間を割いて会話をしよう。好きな相手には正直になれる。正直でいられればストレスも少ない。ストレスが無ければ仕事は楽しいはずだ。そういうチームを作らなければ、とあらためて思うのでした。

さて金曜の朝、855分。息子の部屋を覗いてみたら、まだベッドの中です。

「おい、今日は授業無いのか?」

スマホで時間をチェックし、跳ね起きた18歳。

「ありがとう!」

とトイレに駆け込もうとする息子を、信じられない気持ちで追いかけます。

「もう二度と寝坊しませんって先生に謝ったばかりだよな!」

正直でストレス知らずなのはいいけど、いくら何でも緊張感が無さすぎるだろ!

2020年8月30日日曜日

夏の終り


サンディエゴ一帯にしぶとく停滞していた重たい熱気団はいつの間にか姿を消し、朝夕に窓から忍び込んで来る風の冷たさにハッとするようになりました。裏庭で日々陣地を拡大し続けていたかぼちゃの蔓はその成長をパタリと止め、少し前まで十個以上鮮やかに咲き狂っていた黄色いこぶし大の花も、その痕跡さえ遠目に確認出来ないほど茶色くしぼんでしまいました。

かれこれ五ヶ月間ほぼ自宅を離れず生活して来たため、日々変化する外界の様子に関心を向けていなかった私。これまで数え切れないほど経験して来たことだけど、またひとつの夏が終わってしまったのだという気づきに不意打ちを食らい、じんわりと動揺しています。しかも今回は、いつか思い出して微笑んだり涙腺が緩んだりするようなイベントが何ひとつ無かったということに、あらためてコロナの影響の大きさを考えさせられるのでした。

私にとって夏というのは、たとえ他の三つの季節が束になってかかろうとびくともしないほど重要な位置を占めていて、印象的な人生の記憶は概ねこの時期に集中しています。子供時代のキャンプに始まり、学生時代のエネルギーに満ちた活動の数々、そして職を辞して南カリフォルニアに渡ったのも、ちょうど夏真っ盛りでした。

海の家で食べる蛍光色のかき氷、海水浴場の喧騒、閉じた瞼を通してもなお眩い青空、日焼けした頬、祭りの屋台のアセチレンライト、キャンプファイヤーの周囲を舞い儚く消える火の粉、激しい夕立、濡れた髪、浴衣、花火を見上げる瞳に映る鮮やかな色彩。こうした様々なシーンが緻密に織り込まれたきらびやかな絹織物のように、夏は私の心を踊らせる大切な人生の背景画になっているのです。

学生時代、9月の新学期が始まって間もなく、当時住んでいた港南台から根岸線で桜木町へ向かっていた朝のことです。吊革につかまって車窓の外をぼんやり眺めていた時、確か磯子を過ぎ、電車が高架部分に入った辺りだったでしょうか。急に視界が開け、大きなプール・センターが現れました。高校時代に何度か友達と連れ立って遊びに行ったことのある場所で、広大な敷地を周回する「流れるプール」が売りでした。

車窓を横切るほんの一瞬でしたが、全てのプールはすっかり水を落としてあり、清掃人があちこちでデッキブラシを動かしているのが見えました。そのうち一人はブラシの柄を胸の前に立て、重ねた両手に顎を載せて支えながら、ぼんやり遠くを眺めています。

景色が変わって数秒後には、どうにも落ち着かない気分に包まれていました。否定しようもないほど明確な夏の終りのイメージをたった今、目の前に突きつけられた。水しぶきの中ではしゃぐ何千という若者や子どもたちの笑い声や叫び声。想像の中でその轟音が鼓膜を打ち、瞬時にかき消えます。耳の奥でいつまでも消えない残響。生命が最も躍動する大好きな季節が今はっきりと過ぎ去ってしまったのだということを全身で感じ、どっと涙が湧いて来たのでした。もちろん、すんでのところで堪えましたが。

数週間前、夫婦でネットフリックスのオリジナル・ドキュメンタリー “David Foster – Off the Record”を鑑賞しました。デイビッド・フォスターと言えば、映画「セント・エレモス・ファイヤー」のテーマ・ミュージックやChicagoの「素直になれなくて」をプロデュースした超売れっ子の音楽家。彼は何度も離婚を繰り返し、ヒット作を連発し、時に各賞を総なめにし、ド派手な私生活を送って来た自由人です。鼻持ちならない自惚れ屋ではあるものの、常に最高の仕事をすることで批評家の口をつぐませている。映画の中盤で彼が、「俺はよくこう自分に問いかけるんだ」と語っていました。

“How many summers do you have left?”
「あといくつ夏が残ってるんだ?」

これは私だけでなく、妻にも刺さった一言でした。そうだ、ひとつの夏も無駄には出来ない。僕らには無限に夏が残されているわけじゃないんだ…。大いに元気づけられた我々二人でした。

そんな思いがどう働いたのか謎ですが、先週後半になって急に思い立ち、早朝ウォーキングを始めた私。マスクをつけて五時半にスタートし、暗闇の中、ガランとした巨大ショッピングモールの外周を早足で三十分以上歩きます。六時半頃まで夜が明けないので、家に戻るまでずっと暗いまま。車の通りはまばらで、歩いているのは私ひとり。いつ建物の陰から不審者が現れてもおかしくない状況。考えてみれば、会社に通っていた頃は毎日この手のスリルにさらされてたんだよな。それが無くなったことで、精神が弛み切っている…。そうか!と心の中で膝を打ちます。

僕が夏を好きなのは、ドキドキするチャンスが沢山あるからなんだ。あちこち出歩くこと、人と会うこと、夜更しすること、陽焼けすること、水に入ること。みんなリスクと隣合わせです。しかしその見返りに、新しい何かを体験出来るかもしれない。その期待感がたまらないのですね。

よし、怪しい輩が物陰から飛び出して来たら、ポケットに忍ばせた家の鍵を拳から少しだけ出し、武器として使おう。怯んだ相手の手首を素早く取り、合気道技で関節を決めて…と護身シミュレーションを重ねながら歩くことにしたら、ウォーキングが格段に楽しくなって来たのでした。

さて、昨日の晩は妻が、急にNHK紅白歌合戦を観始めました。DVRに録画しておいたものの、八ヶ月間も放っておいて、何故今頃?と思ったのですが、九時半を過ぎていたので、私は先に消灯(最近はすっかりジジイのスケジュール)することに。寝室のドアの隙間からテレビの音量が微かに届いていたのですが、気にせず眠ることにしました。ところが十数分後、大きな悲鳴で目が覚めます。確かに今、彼女の声が聞こえたよな…。耳を澄ますと、男性歌手が元気よく演歌を歌っている声がしている。う~ん、気のせいだったかな?そう思い直して目を閉じたのですが、その僅か数秒後に再び、「キャッ!」と叫ぶ声。そして相変わらず演歌。

おかしい。演歌を聴きながら二度も悲鳴を上げる理由なんて、どう考えても思いつかない。もしかして、強盗がこっそり侵入して来たのではないか?息子は部屋に籠もってイヤホンで何か聴いていて、気づいてないのかもしれない。これは私が助けに行かないと、彼女の身が危ないぞ…。

そうっとリビングに近づいて行って顔を出すと、妻がカウチにのけぞって左手で口を抑え、右手でリモコンを握りしめています。

「どうしたの?大丈夫?」

と問いかけると、

「ごめんなさい。聞こえた?」

と妻。テレビ画面を振り返ると、三山ひろしがマイクを握って一時停止しています。その背後には、番号の書かれたホワイトTシャツを来た若者たちが大勢立っている。これで合点が行きました。

「あ、けん玉でしょ。」
「知ってたの?」

三山ひろしが「男の流儀」を歌唱する間に、彼を合わせた124人がけん玉連続成功ギネス記録にチャレンジする、という企画。

「もうどんどんどんどん緊張して来てちゃって、見てられなくて…。」

それで思わず悲鳴を上げてしまった、という妻。

夏の終りの「ドキドキ」は、こんな意外な形で我々夫婦の元に訪れたのでした。

2020年8月16日日曜日

I’ve been around, you know. なめんなよ


お気に入り映画ベスト10を決めるとしたら五位以内には必ずランクインすると思う作品に、Scent of A Woman(邦題:セント・オブ・ウーマン/夢の香り)があります。一年に三回以上は観直していますが、毎回必ずクライマックスで涙腺ダムが決壊し、1,000キロカロリー以上は消費したんじゃないかと思うほど大量の涙を放流させられます。アル・パチーノ演ずる盲目の退役軍人フランクは人生に絶望していて、感謝祭の休みにニューヨークで贅の限りを尽くした末に自決しようと計画している。その付添人として雇ったバイトの高校生チャーリー(クリス・オドネル)は、田舎の貧しい家庭からやって来た実直な青年。高級売春婦を買い、超一流ホテルのレストランで食事をし、と想像を絶する放蕩ぶりに呆れながらもフランクに付き合っているうち、彼の企みを知ることになります。あろうことかこの青年は、自らの命も顧みずに老人を死の淵から救うのです。この後の展開は本当に毎度毎度唸らされるのだけど、今度は老フランクが若きチャーリーを大ピンチから助け出すのですね。それも、たった一本のスピーチで

先日ふとこのシーンを再生してみたのですが、やはり非の打ち所の無い大団円でした。全校生徒の前でチャーリーが校長のトラスク氏から退学を言い渡される場面で、フランクが「真のリーダーシップとは何か」という演説をぶつのです。後ろ暗いところのある校長はフランクを黙らせようとするのですが、ここで彼が声を荒げます。

“Who the hell do you think you’re talking to?”
「一体誰に口をきいてると思ってるんだ?」

そして微かに顎を上げ、背筋を伸ばしてこう続けるのです。

“I’ve been around, you know.”

字義通りに訳せば、

「あちこちで色んな経験を積んで来たんだぞ。」

となりますが、意訳すればこんなところでしょう。

「なめんなよ。」

厳しい軍人生活、そして視力を失い、「自分のような人間が生き続けて良い理由」を問い続ける後半生。苦しみながら人生と向き合ってきたフランクが、無闇に権威を振りかざす校長の戯言に耐えかねて発したセリフでした。こういうの、リアルな場面で使えたらさぞかし溜飲を下げるだろうなあ、と思う私。

さて、話変わって先月末の木曜の午後のこと。仕事中、一通のメールが届きます。スクロールしてみると、受取人の数はざっと百を超えています。上司のカレンや、その上司リックの名前も含まれている。タイトルはVoluntary Separation Planで、翌週月曜のお昼に催される電話会議に参加して下さい、とのこと。差出人は我が環境部門のトップ・エグゼクティブ。ん?何のことだ?Voluntary(自らの意思による)Separation(お別れ)のプラン?十秒ほど考えて、ようやく事態が飲み込めました。これは、「自主退社希望者募集」の御触れだったのです。とうとう来るべき物が来たか…。コロナの影響で4月から全社員給料一割削減を展開していたのを、今月になって元に戻したばかり。しかしその一方で、近いうちに抜本的な経営改善の一手が打たれるだろうという噂は流れていました。だからそれほど驚くに値しないニュースとは言えるでしょう。今から数週間内に希望を出せば通常より幾分か手厚い解雇手当が受けられますよ、という甘い文句で誘惑し、この機会を逃せば後日あらためてレイオフを言い渡された時に後悔するぞ、と脅すのがプランの主旨。

後で思い返してみると、この時の私は妙に落ち着いていました。アメリカで働き始めて約18年。とうとう自分も自主退社希望候補者リストに名を連ねるようなステージに辿り着いたのだという感慨を、薄っすら笑いながら味わっていたのです。そして、「切るなら切れや。すがり付くつもりは毛頭無いが、甘い誘いに乗る気も無いぜ。」と胸を張っていました。だって、どう考えたって今の私を辞めさせるのは得策じゃないのです。進行中の巨大プロジェクト数件の中枢にいるし、十数人の部下を育てている最中だし、しかもutilization(稼働率)だってかなり高い。辞めた方が良い理由はひとつも見当たらないのです。

「それは勝手に自分で思ってるだけでしょ。」

と、この説明を聞いた妻が心配げに眉をひそめました。

「そうだよ。もちろん上層部の誰かがお構いなしに切ってくる可能性はある。でもそんなこと心配し始めたらきりがないでしょ。」

と私。理不尽な解雇劇の犠牲にならないために、打つべき手はすべて打ってある。それでも理屈抜きで解雇して来るなら、「お前らホントにアホだなあ」と笑いながら辞めてやるよ、という覚悟はあるのです。

週が開けて月曜のランチタイム。いよいよ問題の電話会議に参加します。始まって数分して、どうやら自分が呼ばれたのは自主退社希望候補者としてではなく、「リストに載っている社員の上司として」であることが分かりました。今年2月に私のチームに加わった勤続30年のベテラン社員アリーシャが候補に挙がっていたのです。え?なんで?合点がいかない私は、早速翌日の早朝に彼女との電話会議をセットしました。

予想通り、がっつり落ち込んだトーンのアリーシャ。

「人事が言ってたように、これはあくまでも希望者を募集してるってだけの話だよ。君が確実にターゲットにされてるわけじゃない。いくつかの経営指標で篩にかけてみたら名前が残ったってだけのことだと思う。そのフィルターにしたってどれだけ意味があるか謎なんだ。今辞めることは無いよ。仕事は山ほどあるんだから。」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、今回はさすがに堪えたわ。あなたのチームに入る以前にも色々あったでしょ。辛い経験の数々を思い出して、もう潮時かな、と思ってるの。これは何かのお告げかもってね。」

昨夜、ご主人ともじっくり話し合ってみたとのこと。

「それに今ここで延命してもらったところで、数ヶ月後にあっさりレイオフされる可能性は否めないでしょ。」

これには私も、正直にならざるを得ませんでした。

「うん、それについちゃ何の保証も出来ない。でもさ、僕だってカレンだってリックだって全員そうなんだぜ。いつでも誰にでも首切りは起こり得るんだ。」

「そうね。でもやっぱりちょっと考えさせて。」

アリーシャは去年、プロジェクトコントロールから離れレコードマネジメント部門に配属されました。実はこの異動、コンサルティング・ファームで働く者にとっては危険な賭けだったのです。プロジェクトに参加しないため「稼働率ゼロ」の状況が続き、細かい事情を知らない上層部の人間は過去の統計数字だけ見て、彼女を「お荷物」と評価してしまう可能性が高くなります。今回まさに、そういう誤解が起こってしまったのですね。

さらに、年末プロジェクトコントロールに戻ったアリーシャは、散々もがいた末に大きなプロジェクト・チームにおさまります。ところがその僅か四ヶ月後、プロジェクトの経営状態が振るわないため、彼女の仕事を賃金の安いルーマニアのチームに任せることを上層部が決定。自分の仕事を奪うことになる地球の裏側の社員を、早朝や夜間を使って指導することになったアリーシャ。さぞかし悔しかったことでしょう。そんな不運な出来事が立て続けに起こったため、すっかり士気を失ってしまっていたのです。

そしてこの電話の二日後、彼女から正式に退社希望を知らされた私。こういうことは本人の意思を尊重するのが一番なんだと自分に言い聞かせつつ、何ともやりきれない気分でした。

金曜の朝、約十ヶ月ぶりに副社長のパットと近況報告のための電話会議をしました。当然、私からはアリーシャの一件を話すことになります。

「何ですって?」

といきり立つパット。

「そういうの、一番頭に来るのよね!」

慰留できなかった私を責めるわけではなく、官僚的で血の通わないメッセージを無差別に送ることで社員の士気を削ぐ愚かさに対して憤慨する彼女。

「社員を人間扱いしていない証拠でしょ。数字だけ見て、お前は役立たずだと決めつけてるわけだから。」

会社の図体が大きくなるに従い、上層部は効率的な意思決定のため細かい配慮を省くようになる。自分が番号札を首から掛けられた家畜のような存在であることに気づかされた社員は、組織への帰属意識を捨て去ることになる…。

「そもそも会社のトップは、プロジェクトマネジメント経験も無い財務畑の人間ばかりだからね。現場の苦労など分かるはずもない。」

と私。

「そうなの。勘定の得意な者ばかりが幅を利かせてるのは問題よ。どんなに優秀か知らないけど、アカウンティング・ファームから転職して来たばかりの若造が、物知り顔でプロジェクトマネジメントについて得々と語ったりするのよ。この私に、よ。」

プロジェクトコントロール畑を四十年近く歩んで来たパットにとっては、許されざる無礼。この時、やや間を置いて彼女が放ったのが、このフレーズでした。

“I’ve been around, you know.”
「なめんじゃないわよ。」

こちとら伊達や酔狂で長年この仕事やってんじゃねえんだ。見くびんなよ。いつかこういうドスの利いたセリフを、思い上がった秀才野郎に向かって叩きつけてやりたいものだと思う私でした。


2020年8月2日日曜日

Go haywire メチャクチャになる


火曜の午後のこと。同僚ディックがマイクロソフト・ティームズでテキストを送って来ました。自分がPMを務める新プロジェクトのキックオフ・ミーティングが来週あるんだが、クライアントが藪から棒にCost loaded schedule(コスト・ローデッド・スケジュール)を提出しろと言って来た。突然の依頼に一同大慌て。そもそも事前に提出したスケジュールだってチームの誰かの急ごしらえであり、大幅な手直しが必要だ。スケジューリングソフトをまともに使えるメンバーがいなので、まずはそのステップに不安がある。オリジナルのファイルが紛失してしまいPDFバージョンしか残っていないので、一からやり直さないといけない。たとえ無事複製出来たとしても、スケジュールに「コストを載せる」手順を知る者がいない。仕方なく自ら取り組もうとしたところ、ソフト(MSプロジェクト)自体がコンピューターから消えていた(我が社のITグループはコスト削減のため、ユーザーが一定期間以上使用していないソフトを警告抜きで消去していくのです)。八方塞がりのままクライアントとのミーティングが急速に近づいて来る…。助けを頼めないか?

「持ってる情報を送ってよ。詳しくは電話で聞くから。」

木曜の午後に電話会議をセット。さっそくミーティング前に、彼から送られた資料を元にコスト・ローデッド・スケジュールを作成しておきました。

「これこれ!素晴らしい、有難う。もう完成品が出来てるじゃないか。これで来週のミーティングは安心だ!」

コンピュータ画面に映し出されたコストプラン表に、歓喜の声を上げるディック。電話会議の後で私の作業がスタートするものと予想していたであろう彼には、思いがけないイリュージョンだったのでしょう。しかし種明かしをすれば、この手の仕事は私にとって珍しくもなんともなく、一時間もかけずに仕上げられる程度の初歩的なお題なのです。「一応これで飯食ってますんでね」と肩をすくめるレベル。ある個人にとっては極めて難解な問題でも、その道の専門家に頼めばあっという間に解決する。これは至極当然なお話なのですが、問題の渦中にいる者にとってはマジシャンに魔法を見せられるようなものなのだ、ということをあらためて感じたのでした。

ところで電話の冒頭で、彼がこんなフレーズを使ったことに気づいていました。

“Things went haywire.”
「物事がヘイワイヤーになっちゃった。」

この表現、実はたまたま前日に他の同僚の口から飛び出して、意味を調べておいたところでした。Haywireというのは丸めた干し草を縛っておく金属のワイヤーで、かつてはそこかしこに捨ててあるようなものだったそうです。工作物の補修などに再利用されがちだったにもかかわらず、簡単に絡み合ってほどけなくなってしまうため、”Go haywire”が「事態がこんがらがって収拾がつかなくなる」という意味になった、とのこと。

ディックが言いたかったのは、こういうことですね。

“Things went haywire.”
「メチャクチャになっちゃってね。」

サウスダコタの農村地帯から来た彼にとっては、干し草もそれを止める金具も珍しくないかもしれません。しかし都会育ちの私には、いまひとつイメージが湧かない言い回し。そもそも目にしたことが無いので何とも言えないけど、ワイヤーが絡みついたからってそんなに困るか?と首をかしげてしまうのですね。

さて話は変わり、我が家の裏庭にある約6メートル四方の農園に、一週間ほど前から異変が起き始めました。木片(マルチ)を被せた周囲のエリアも含め、体長五ミリにも満たない虫の大群が地表面を覆い始めたのです。近づいてみるとこの虫、蟻とは見た目の特徴が異なるものの、そのサイズや振る舞いは酷似しています。群れを成し、おまけに羽が生えている。一匹一匹はまるでランダムなブラウン運動を繰り返しているようにも見えますが、少し引いて見るとまるで魚群のように大きなうねりを形成している。その一帯に足を踏み入れると、まるでこちらの動きを見越していたかのように群れが同心円状に退却し、逃げ遅れた何匹かは私の靴に這い登ります。捕まえようと手を伸ばすと羽を使って飛び去り、その俊敏さには何か高い知能のようなものを感じて背筋がゾクリとします。

反射的に、数年前に入手した「アリの巣コロリ」を出して来て、特に交通量の多そうなスポットに設置してみました。一昼夜経過観察をしたのですが、罠にかかる気配が全く無い。敵が蟻では無いことがこれでほぼ決定したのですが、さてどうしたものか。よくよく考えれば、土の上で植物を育てているんだから虫が出るなんてことは自然な現象じゃないか、まあ騒ぎ立てることもあるまい、と暫く様子を見ることにしたのですが、彼らの集団規模はみるみる拡大して行き、農園を囲う低いフェンスを乗り越えてじわじわと住居に迫って来ました。遂にベッドルームのガラス窓を何十匹も這い回り始めたのです。あろうことか、隙間から一匹、また一匹と侵入を始めたではありませんか。虫嫌いの妻にとって、これ以上の恐怖体験は無く、何とかして!と悲鳴をあげます。

これはさすがに放置出来ないな、と液状石鹸を水で薄め、ビシャビシャと上から浴びせかけます。住居内への侵入を図っていた先鋒部隊を、とりあえず壊滅に追いやりました。夥しい数の死骸が銀色のアルミサッシの上で、盆にばら撒かれた黒胡麻のように拡がります。やれやれ、と一息ついたものの、振り返れば後続部隊がじわじわと陣形を整えています。かくなる上は、と数ヶ月前に害虫駆除をお願いしたペストコントロール会社のオスカーにお出まし頂いたところ、

「これは我々の専門分野じゃないですね。残念ながら何も出来ません。」

と申し訳無さそうに言うじゃありませんか。

彼らのライセンスは構造物に湧く害虫が対象で、庭に現れる「ランドスケープ・ペスト」と呼ばれる虫については手が出せないとのこと。なんと、害虫駆除業界にそんな線引が存在したとは…。さっそくネットでランドスケープ・ペストの駆除ライセンスを持つ近所の会社に問い合わせたところ、若い男性を派遣してくれました。

「いやあこんな虫、今まで一度もお目にかかったことが無いですねえ。」

首をひねる担当者。会社が駆除対象としている害虫リストに含まれていない以上、何も手出しが出来ないと言うのです。おいおい、ほんとかよ。害虫駆除業者がお手上げなんて…。

害虫でないというなら普通の虫だよな、それでは、と写真を撮り、同僚の昆虫博士エリックにテキストします。すると数時間後、サンディエゴ支社の生物学チームが誇る重鎮フレッドから電話が入りました。

「エリックから写真見せてもらったよ。彼も僕も、初めて見る種なんだ。残念ながら僕らには特定出来ないけど、是非これが何という虫か知りたい。今から言うアドレスに連絡して問い合わせてみてくれないか?」

なんと、我が社を代表する専門家二人でも断定出来ないような珍種の虫が、うちの裏庭で暴れまわっているようなのです。彼らが興味津々なのも頷けます。う~ん、でもね、僕はそれが何であるかを突き止めたいわけじゃなく、いなくなってくれりゃそれでいいんだよね。段々話がこじれて来ちゃったなあ…。

フレッドに教えてもらったアドレスは、サンディエゴ郡に住むガーデニング・マスター達が組織する非営利団体。あくまでもボランティア集団ですが、生物学の大家達が結集したグループみたいなのです。ここに質問を投げ込んで何が返ってくるか見てみよう、というのが彼のアイディア。

写真と状況説明をメールで送り、待つこと数時間。返って来たのは、こんな返事でした。

「これは恐らくLarder Beetlesに近い種ですね。添付リンクを見て下さい。」

ハイパーリンクをクリックすると、ミネソタ大学のサイトに飛びました。ところが、そこに掲載された写真はどう見てもコガネムシとかカメムシの一種。いやいや、これは絶対違うぞ。アリくらいのサイズだってちゃんと書いたのに…。なんだよ、期待して損したじゃないか。これでとうとう迷宮入りか…。

ここまでの顛末を18歳の息子に話したところ、彼が去年インターンシップを経験したサンディエゴ自然歴史博物館の昆虫部門のトップを務めるジムに聞いてみようか、と申し出ます。うん、それはいいね、是非頼むよ、と答えてから妻にここまでの経緯を伝えたところ、その予想外の展開に感心するかと思いきや、

「どーゆー人脈?」

と我々男子二人の持つネットワークの奥行きに驚嘆していたのでした。

「え?そこ?」

とウケながらも、確かに僕らの知り合いには凄い人たちがいっぱいいるんだなあ、と静かに感動していました。結果的に解決には至らなかったけど、いざとなれば頼れる専門家が自分の周りには沢山いるのだというのは、なかなか嬉しい気づきです。

実を言うとこんなドタバタの最中、この新種の虫の勢いが段々と衰えているのに気づいていました。二人目の害虫駆除業者が来た時も、大騒ぎしていた割には数が少なくて拍子抜けしていたみたい。あれ?何もしていないのにどうしたのかな?と訝っていたところ、息子がこう言ったのでした。

「ちょっと前だけど、でっかいトンボが四匹飛び回っているのを見たよ。」

両手の人差し指を立ててその大きさを示した彼ですが、それが本当だとすれば体長10センチを超えるサイズです。

「あの四匹が虫を退治してくれたんじゃないかな。」

トンボの他にもアブのような昆虫がブンブン飛び回っていたとのこと。そうか、きっとエコシステムがきちんと機能して、過剰に発生した種の繁殖に気づいた天敵種が現れて食べまくったのでしょう。う~ん素晴らしい。専門家達が大勢で首をひねっている間に、自然の方で勝手にバランスを取り戻してくれていた。

気づいた時には、すっかり元の静けさを取り戻していた我が家の裏庭。

我々の生きるこの世界は、カオスと秩序が入れ替わり立ち代わり現れ、その都度落ち着くところに落ち着いているんだなあ、という深い感動を噛み締めた週末でした。

2020年7月19日日曜日

荒ぶるカレン


カリフォルニア州の新型コロナ新規感染者数が、もうすぐ一日一万人を超えようという勢いです。州知事は態度を硬化させ、二度目のロックダウンを敢行しました。手綱を緩めるのがちょいと早すぎた、ということになりますね。ニュースを見ていて驚くのは、この期に及んでも州知事の何人かは未だにコロナ対策を軽んじている、という点。そもそも国のリーダーが、「俺はマスクなんかしない」と鼻息を荒くしているし、世界最多の感染者数を毎日更新している中、「学校はすぐにでも再開すべきだ、そうしない州には俺から圧力をかける」と息巻いているくらいなので、もうしっちゃかめっちゃかです。全米各地で、「マスクをする、しない」の口論がきっかけで乱闘や殺傷事件まで起きている始末。

つい先月も、サンディエゴのスターバックスで事件がありました。「マスクをしていなかったためにひどい扱いを受けた」と白人中年女性が激怒し、男性バリスタに罵詈雑言を浴びせて立ち去った後、再び店内に入ってきてこのバリスタの写真を撮影。彼の実名入りでフェースブックに載せたのです。「レネンを紹介するわね。スターバックで私がマスクをしてないからとサービスを拒絶したの。この次は警察を呼ぶわ。」とコメントして。レネンは後にビデオインタビューで、「マスク持ってますかって聞いただけなんですけどねえ、なんか急に怒り出しちゃって。」と驚いた様子。

風邪のシーズンには街がマスク顔で溢れる国からやって来た私には、そもそも「マスクをする、しない」で喧嘩になる、という現象自体が意外でした。え?そんなに嫌がるようなことなの?と。

今回スタバで起きた事件は、これで終わりじゃありませんでした。女性のポストした記事に批判が殺到し、これに彼女が反撃。「あんたら暇人の脅しなんか怖くないわよ。」すると殺害予告まで含めた脅迫的なコメントが続々とポストされます。次に誰かが、「レネンに寄付を!」とGoFundMeというアプリを使って呼びかけたところ、あっという間に十万ドル(約一千万円)が集まったのです。

いかにもアメリカ的で素っ頓狂な話だなあ、と再び感心する私。この時発起人の書いた言葉が、これ。

“Raising money for Lenin for his honorable effort standing his ground when faced with a Karen in the wild.”
「調子こいたカレンに屈せず自らの立場を貫いたレネンを讃えるため、寄付を募ります。」

さて、この「カレン」という単語。渦中の女性の名前はアンバー・リン・ギルズで、どこにも「カレン」という言葉は含まれていません。何故ここでカレンが出てくるのか。鍵は、冠詞付きだという点(a Karen)ですね。つまりこれ、傲慢な白人中年女性のタイプを総称して、普通名詞的に使われているのです。

ウィキペディアの説明が、これ。

“A white woman who uses her privilege to demand her own way at the expense of others.”
「他人を犠牲にしてまで自分のやり方を押し通そうと特権を使う白人女性」

以前18歳の息子から、「カレン・ミーム」として、左右非対称のブロンド・ボブにでかいサングラスをかけ、「マネージャーを呼んでちょうだい」と表情を硬くした白人中年女性の写真を見せられたことがありました。彼にあらためて確認したところ、Karenはアメリカ人なら誰でも知っているミームだとのこと。

「今のボスの名前、カレンなんだけど…。」

と私。たまたま大衆から侮蔑の対象にされた名前を持つ人にとっては、いい迷惑でしょう。それにしても、どうしてカレンなどという名がこの不名誉なイメージの代表として選ばれたんだろう?そんな疑問が湧いてちょっと調べてみたところ、現代の中年白人女性に最も多い名前がカレンだということが分かりました。つまり、自分を特権階級と信じて偉そうに振る舞う白人女性の典型、というステレオタイプですね。ふ~ん、そうなのか。この名前にそんなイメージ抱いたこと、今まで無かったなあ、と振り返ってみたところ、かつて大滝詠一の名曲で私のカラオケ・レパートリーでもあった「恋するカレン」の歌詞が、結構ネガティブだったことに気づきました。

形のない優しさ それよりも見せかけの魅力を選んだ
Oh Karen! 誰より君を愛していた 心を知りながら捨てる
Oh Karen! 振られた僕より哀しい そうさ哀しい女だね君は

そっか、さすが松本隆(天才作詞家)、あの頃すでに「カレン」の正体を見抜いていたのか…。

さて、サンディエゴの「カレン」ですが、バリスタのレネンが十万ドル超えの寄付金を受け取った話を聞き、テレビ局の取材にこう答えたそうです。

「その半分は私がもらうべきでしょ。訴訟を起こすわ。これから弁護士費用を集めるために、GoFundMeで寄付を募るつもりよ。」

…すんげ~!