2021年11月20日土曜日

Mental Constipation メンタル・コンスティペーション

 


「正直に言うわね。本当は水曜の会議、出るには出られたんだけど、言い訳を作って欠席したの。」

電話の向こうでオレンジ支社のアリサが、ゆっくりと言葉を選びながら告白します。

「エレンとまともに会話出来るような心理状態じゃなかった、というのが真相。」

この数週間、アリサと週三回ペースで話し合ってきたのですが、限界が近いことは感じていました。だからこそ、水曜の電話会議は私が飛び入りで参加することを決めたのです。

「エレンの質問には一応答えておいたよ。分からないことは君と相談してから返事するって言っておいたけど。」

一年前、地元のガス会社をクライアントとする巨大プログラムのサポートを任されたアリサ。同時進行する複数のプロジェクトを社内のPMシステムにセットアップし、コストをトラッキングし、月次請求書や契約変更のドキュメントを整え、フォーキャストをアップデートし、と様々な業務を包括的に進めるのが彼女の仕事です。プログラム・マネジャーのピーターから厚い信頼を受けつつ、複数のPM達との密なコーディネーションを重ねて順調に飛ばして来たアリサですが、ここへ来て急ブレーキがかかります。

数ヶ月前にこのガス会社の新しいプロジェクトを担当することになったエレンが、アリサの仕事にダメ出しをして来たというのです。

「私が送るレポートを全部、シンスケやシャノンが使ってるフォーマットに変えろって言うの。内容は同じなのに、よ。とにかく、私が出すものにことごとくケチをつけるの。シャノンならこうしてたとか、シンスケならこういう見せ方をしてくれる、とか不満をぶつけて、私の能力を全否定して来るのよね。」

サンディエゴ支社所属のエレンは過去十年近く、私とシャノンとでサポートして来ました。生物学分野のエキスパートである彼女は、野生生物をこよなく愛する人物です(マウンテンライオンが南カリフォルニアで絶滅の危機に晒されている話を、苦痛に満ちた表情で語ってくれたこともありました)。しかしその一方で、思ったことをそのまま悪気なく口にするタイプでもあります。彼女と一度でも会って話せばすぐにそれと分かり、なあんだと笑ってしまえる程度の可愛らしい個性なのですが、電話とメールのみのコミュニケーションではそれが伝わりにくい。アリサはなんとかその要求に応えようと改善を試みるのですが、再三再四のぶっきら棒な批評に、個人攻撃を受けていると感じてしまったのですね。

昨日ふと気付いたのですが、私のプロジェクト・コントロール・チームは今や総勢二十名。度重なる組織改編の煽りを食い行き場を失った社員をよっしゃよっしゃと受け入れているうち、いつの間にかビッグダディ化していました。新しいメンバーはテキサス、コロラド、オレゴン、北カリフォルニアなどに広く散らばっています。地元サンディエゴのオフィスで面接して新人を採用していた頃には分からなかったのですが、こうして全く素性の分からない、しかもこれから一生会うことも無いであろう人達をメンバーに加えて行くというのは、なかなかのストレスです。

こういう「ヴァーチャル」部下が増える度、コミュニケーションに費やす時間も多めに要求されるため、本来打ち込むべき業務はサービス残業ゾーンにどんどん食い込んで行きます。さすがにこれは「(今流行りの)持続可能」どころの話じゃない。状況を打開しようと去年の今頃、私が新しい職務(PDL)を引き受けた際、チームを二つに分けシャノンとアリサをサブリーダーに立てることにしました。シャノンは私と十年近く同じオフィスで一緒にやって来た仲ですし、既に彼女が良く知っているメンバーを多数受け持つことになったので、さして不安はありませんでした。その一方でアリサは、比較的新しいメンバー。そんな彼女が更に顔も知らないメンバー達をリードすることになったため、負荷が急に増大したことは明白です。

シャノンを含めたサンディエゴのメンバー達には過去数年に渡り、財務分析の方法、エクセルのショートカットやデータのビジュアライゼーション(視覚化)などを、私が対面で丁寧に手ほどきして来ました。ところがアリサはそもそも総務職が長く、財務データの扱いに長けて来たわけではありません。プロジェクト・コントロールのチームに入ったのは、職種の統廃合で居場所を失ったからであり、いきなり「シンスケ達が提供するサービス」を要求されても、ハードルが高すぎます。しかしそれでも何とかエレンの期待に応えたい彼女は、私に個人レッスンを依頼して来ました。その心意気に感動して毎週特訓を重ねて来たのですが、対面でも一年以上かけて漸く身につくようなスキルが、そう簡単に会得出来る訳もありません。そうこうするうち、エレンのダメ出しでじわじわとメンタルが痛めつけられ、とうとうギブアップ状態に陥ったアリサ。

「あのさ、この数年で僕らに起こってることを冷静に考えたらさ、精神状態をまともなレベルに保つことすら至難の業だって気がするんだよね。」

と私。

Change is the only constant(変化こそ不変)とか言うじゃない。でもさ、現実はChange is exponential(変化は指数関数的)でしょ。AIの進化、業務の海外アウトソーシング、加速していく組織改編。気心知れた同僚とより、今や顔も知らない赤の他人と働く時間の方が圧倒的に多いじゃない。これまで体験したこともない未知のゾーンに深く突入してるっていうのに、僕らはいまだに、事がうまく運ばないのは自分が至らないせいだと感じちゃう。考えても考えても、打開策が見つからない。」

「そうなのよ。何とかしようともがけばもがくほど、深みにはまって行く感覚。」

と溜息まじりに呟くアリサ。

「実は僕もちょっと前まで、そんな状態に深くはまり込んでたんだ。体調は最悪。便秘がちでお腹にガスが溜まってさ。全身の皮膚はカサカサ。寝てる間に掻きむしって血だらけになった。で、主治医に言われたんだ。皮膚の状態は腸内の様子をそのまま映し出していると考えた方がいい。そして腸内の状態は食事とストレスとに左右される。食物繊維を多く摂ることを心がけ、同時にストレス源と向き合うべしってね。で、基本に還って、コントロールが及ぶ範囲だけに意識を集中することに決めた。自分の力で簡単に変えられないことにエネルギーを費やしても、成果が上がらないどころか逆に衝突を生んで事態が悪化する可能性が高い。更には、そのいざこざを解決するために頭を使わなきゃいけなくなる。課題は増える一方で、脳の回路は大渋滞。まさに、Mental Constipation(メンタル・コンスティペーション)だよ。」

「メンタルの便秘」というのは、咄嗟にでっち上げたフレーズ。こんな言葉が実際に存在するのかどうか不安でしたが、アリサには伝わったようでした。電話の向こうでクスリと笑います。

「で、まずは溜まったガスを逃してやらないといけない。」

さらにクスクス。

「そこで相談なんだけど、もしも君がエレンのための財務レポート作成に燃えていて何としても続けたいと思っているのでなければ、僕にそれ、譲ってもらえるかな。PDLの職を解かれて、時間が空いたんだ。しかもこのレポート作成、僕の大好きな仕事なんだよ。」

電話の向こうで、しばしの静寂。

「そうしてもらえるなら、本当に有り難いんだけど…。」

「引っかかってることがあるなら、何でも言ってみて。」

数秒の戸惑いを経て、アリサがこう答えます。

「あのレポートを作る能力が自分に無いことを認めてしまえば、Extinct(絶滅)の日が近いんじゃないかと不安になって。」

なるほどね。そう思うのも無理は無いな。

「あのね、チームで仕事することの価値は、それぞれの得意技を生かして全体として最大の成果を挙げることだと思うんだ。君には、無数の懸案事項を丹念に潰して行って大きなプログラムを堅実に進める能力がある。もしも財務分析が苦手なら、得意な人間に任せればいい。君はその成果を受けて、全体の最適解を導けばいいじゃない。財務分析みたいな数字扱いの仕事、五年後には大部分をAIに任せてる可能性が高いと思うよ。君が今やってることこそ、機械には出来ない分野なんじゃない?」

アリサの声に、明るさが戻ります。

「私の仕事の意義を認めてくれて、本当に有難う。シンスケがレポートを担当してくれるなら、私、やっていけそうな気がするわ。」

そこで思わず、調子に乗る私。

「ガス会社のプロジェクトでメンタル・コンスティペーションを起こしちゃったけど、これでちょっとガスをリリース出来そう?」

ガス会社とお腹のガスをかけた、英語の駄洒落。会心の一撃でした。果たしてアリサは、電話の向こうでふふふと口を閉じたまま笑います。私もムフフと笑い、笑い終わるとまだあっちで笑っていることに気づき、更に笑います。アリサの方も笑い終わった時、まだ私が笑っているのにつられ、また笑い始めます。これを三往復した後、漸く静寂。アリサが落ち着いた声で、こう言いました。

「ホントにやっとガスが出た感じよ。どうも有難う!」

 

2021年10月17日日曜日

No shit, Sherlock! 御名答!


金曜の夕刻、暖簾越しに懐かしい顔が現れました。私の姿を確認するや、ふわりと表情を和らげます。ドアを開けて頭を低くし、ゆっくり入店する金髪の巨人。そして真っ直ぐこちらへ歩みを進め、硬い握手を交わします。

近所のお気に入り店、EE NAMI Tonkatsu Izakaya(ええ波とんかつ居酒屋)で待ち合わせしたのは、元同僚のディック。夏の初めにランチ・ミーティングをして以来の対面です。四ヶ月のご無沙汰でしたが、着席と同時に会話をスタートさせました。まるで前回のリハーサルで中断していた新曲の練習を、一瞬の目配せだけで再開するボーカル・デュオのように。

二人共自宅からリモートワークを続けていること、仕事は大変だけど何とか凌げていること。ディックは最近同じ職場で二人の同僚が立て続けに亡くなり、精神的なダメージを受けていること。しかも知識労働市場の流動化が加速していることもあり、彼の周囲では転職熱が高まっている。新顔の彼が、既に人員の流出を食い止める側に立っている、などなど。

「息子くんはどうしてる?」

とこちらに話を振るディック。

「勉強、スポーツ、パーティー、とキャンパスライフを大いに楽しんでいるみたいだよ。」

と私。我が家の大学生は途方も無い楽天家であり、その自信過剰ぶりは悠々とK点超えしています。もはや「愚か者」ゾーンに着地しているかもしれないことに、当の本人が気付いていない。「全学年で僕のこと知らない奴はいない」とか、「水泳部の次期キャプテンには僕以上の適任者がいない」とか、ただ笑うしか無いお気楽発言を大真面目にかましてくる。

「あの年頃って、ホントそうなんだよな。」

とディック。サウスダコタの田舎町で、小学校から高校卒業まで学年トップの地位を守り抜いた彼は、州のエリートが集う工科大学に進むのですが、そこで生まれて初めての挫折を味わったそうです。

「俺、それまで一度も能動的に勉強したことが無かったんだ。予習復習してしっかり授業に集中するだけで、トップの成績が取れてたから。ところが大学じゃ、そのやり方が通用しない。どんなに頑張っても、対象を理解出来ない状態が延々と続くんだ。あれは恐怖だった。」

それでも何とかコツを掴み、最終的には優秀な成績で卒業したディックは、難関の大学院へ進みます。あの経験で余計に自信過剰が増長しちゃったな、と笑う巨漢。そして肩を怒らせ、スーパーヒーローみたいに両手の拳を固めて力みます。

“The world would bend if I flexed.”

「俺がちょいと筋肉膨らませりゃ世界の方で歪んでくれるってね。」

社会に出れば、どうしても越えられない障壁にぶつかる時が来る。その衝撃に備える意味でも、今は目一杯栄養を摂って心身を強化すべきだ。若い時期は、自尊心を傷つけるノイズなど不要である。

「ま、あまりにも膨らませ過ぎるとそれはそれで危険だけどな。」

とディック。おっと、それで思い出した。

「息子がさ、O Chem(オーケム)落としたって電話で言って来たことがあってさ。」

オーケムとはOrganic Chemistry(有機化学)のこと。落第点を避け、教科まるごと学期途中でドロップしたという息子。単位を落とすなどという屈辱的な決断をさらりと報告され、唖然とする私。理由を尋ねると、

「だって難しすぎるんだよ。赤点取って総合成績下げるよりましでしょ。」

はあ?なんだその被害者的開き直りは?難しいからこそ学ぶ価値があるんじゃないか!

「俺もオーケムには苦しんだよ。」

とディック。どうやらオーケムは、理科系でも最高難度グループに属する科目みたいです。

Mr. Sherlock(シャーロック先生)っていう生真面目な教授が教えてたんだけど、宿題もテストも常に膨大なんだ。しかも授業の進捗と試験範囲とがきっちりシンクロしてなかったりしてさ。ある時、及第点取れた学生が全体の16%しかいないという異常事態に陥った。」

その結果を発表した先生が、静まり返った学生たちを見回し、神妙な面持ちでこう言ったのだそうです。

「色々調べてみて分かったんだが、どうやら今のやり方だと君たちの大半がついて来れないようだね。」

すると教室の後ろの方から、誰かがこう叫んだのだと。

“No shit, Sherlock!”

「ノーシット、シャーロック!」

これには思わず笑った私ですが、探偵界のスーパーヒーローであるシャーロック・ホームズと担当教授の名前をかけた駄洒落、という点しか理解出来ませんでした。後で調べたところ、No shitというのは「正解、その通り」という意味であり、シャーロックを付け加えると、「さすが名探偵」という皮肉が足されるのだそうです。

“No shit, Sherlock!”

「御名答、さすが名探偵!」

教室中が爆笑したことはもちろん、先生も吹き出したそうで、ふざけた学生が咎められることは無かったとのこと。

さて、ヒレカツ定食は人生初だというディックに、ソースとマスタードを混ぜて味付けする方法を教えると、その美味しさにしきりに感心します。

Black Porkって何?」

とメニューを観ながら質問する彼に、日本では黒豚という品種の肉が珍重されており、特に美味であるイメージを多くの人が持っている、と説明します。

「外見が黒いばっかりに、可哀想になあ。」

と笑うディックに、さっき鑑賞を終えたばかりの映画の話をします。

ヴィゴ・モーテンセン主演のGreen Book(グリーン・ブック)は、1962年のアメリカを舞台にしたロード・ムービー。黒人差別という重いテーマが軸になってはいるものの、私が気に入ったのは、カルチャーも哲学も共通点ゼロの男たちが、何度も衝突しながら最終的に友情で結ばれる、というストーリー。

「気付いたんだけどさ、僕はこのロード・ムービーっていうジャンルに、特に惹かれるんだ。ミッドナイト・ラン、サンダーボルト、レインマン、などなど。分かり合うことなど到底出来そうもない二人が、色々あって一緒に旅路を進む羽目になる。仕方なく力を合わせて葛藤に立ち向かううち、心を開いて行く。そして違いを認めたままお互いを受け入れ、リスペクトを覚え、固い絆を結ぶ。人間関係の構築や継続がいかに困難かを日々味わっている観客に、熱いミラクルを見せてくれる。それも、信じることが出来そうなレベルのね。」

「うん、分かる。違いを認めたまま受け入れる、というところが大事だよな。」

とディック。我社で昨今横行している、過去に会ったこともこれから会うことも無いであろう人達とチームを組み、難しい仕事を進めて行く、というやり方。東海岸のリーダーが西海岸のチームに、フィリピンやルーマニアの社員を使ってプロジェクトを進行せよ、と指示を出す。ビデオ会議でも顔を出さず、お互いの名前をどう発音するのかも分からぬまま。こんな手法で上手く行くわけがないことは、ロード・ムービーを三本ほど観れば誰でも気が付くでしょう。信頼関係を築くには、長い時間をかけて衝突や和解を繰り返す必要があるのだから。

思い返せば、ディックと私は過去十年に渡り、何百時間も会話を重ねて来ました。苦楽を共にした仲間、と言っても過言ではありません。彼が突然姿を消し、一ヶ月以上も復帰して来なかった時は随分気を揉んだものでした。ストレスが蓄積して追い詰められていたところに盲腸が破裂し、長期間の自宅療養を余儀なくされた後、まるで二十代に戻ったかのようにリフレッシュして職場に現れた彼。

「いやあ、あん時は本当にほっとしたぜ!」

と、ヒレカツを頬張りながら笑う私。すると突然ディックが箸を起き、静かな口調でこう言ったのでした。

“Thank you for always being there for me.”

「いつも味方でいてくれて有難うな。」

ふと見ると、彼の両目が赤くなっています。おいおいやめろよ、そんなあらたまって!

「そうだ、久しぶりに英語の質問があるんだけど。」

と話を変える私。

「名詞から始まる映画のタイトルがあるでしょ。その中に、Theが付くものとそうで無いものがあるじゃない。例えば、ターミネーターの最初のバージョンはThe Terminator なのに、続編はTerminator 2なんだよ。サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)はTheで始まってる一方で、アバター(Avatar)のように、無冠詞で押しているものもある。この違いは何?印象に差異は出るの?」

これにはぐっと詰まってしまうディック。

「いい質問だなあ。はっきりした答えは出せそうに無いよ。考えたことも無かった。アメリカ人の99%は、ターミネーターにTheが付いてたかどうか聞いても答えられないと思うな。もちろん定冠詞の目的は対象の特定や強調だけど、果たしてその効果が映画の印象に影響してるかどうか疑わしいよ。」

それから、何かを思い出してクスリと笑います。

「オハイオ州立大学にはThe が付いてるって知ってた?」

全米に大学は何百とあるけれど、名前にTheが付いている大学はここくらいじゃないか、とディック。

「あそこの卒業生に、Ohio State Universityの出身なんだって?って聞いてごらん。十中八九、”The” Ohio State Universityだよって言い直されるから。」

またしても、英語という言語のいい加減さを物語るエピソードでした。

食事を終え、ディックを自宅へ招きます。我が家は水曜から妻が里帰りしており、久しぶりの独居生活。ダークローストのコーヒー豆を挽き、ドリップしてもてなす私。

「水曜から今日まで有給休暇を取って、五連休にしたんだ。」

この三日間、好きな時間に起きてひたすらボーッとし、好きな本や映画を楽しみ、ギターを奏でたり、食べたい物を料理して来た私。

「過去十ヶ月間戦ってきたストレスフルな環境から抜け出して、オールリセットするのがこの連休の目的だったんだ。とにかく好きなことばかりしてやろうってね。その仕上げが、会いたい人に会って楽しく喋る、という今日の企画。」

マグカップの取っ手に差し入れた二本の指をじっと見つめてから、満足げに頷くディック。

「そう言えばずっと前に、古い白黒作品の話をしてくれただろ。あれ、なんてタイトルだっけ?」

Summer with Monika(邦題「不良少女モニカ」)のこと?」

「あ、それそれ。そのうち観たいと思いながらも、なかなか決心がつかないんだ。」

だいぶ前にこの映画の話をした際、ディックの最初の結婚が失敗に終わった話を聞きました。どうやらあらすじがこの時の彼の経験と重なっていそうなので、古傷を刺激するのもちょっとね、というところで落ち着いたのです。

「人生で色んな挫折を経験して来たけどさ、そのたびに何とか乗り越えて来た。そしてそれをパワーにして来たとさえ思う。それなのに、離婚の記憶と向き合うことにはまだ躊躇してる。なんでだろうな。」

高校時代のクラスメート。別々の大学に通いながらも関係を続け、もう待てないと訴える彼女の要求を受け入れ、卒業と同時にゴールイン。三年間の大学院時代、毎日二十時間近く勉学に集中しつつ、ありきたりの新婚生活が出来ない状況で何とか関係を維持しようとするも、根本的な価値観の違いが次々に露呈。過保護な父親のおかげで困難な挑戦から逃げるのが常の彼女と、努力して目標を達成する主義のディック。結婚直後から、離婚は頭にちらついていた。それでも迷い続けたのは、「どんな問題でも必死に頑張れば解決出来る」という信念にとらわれていたから。

親しい誰かに相談は出来なかったの?と尋ねる私。

「親父に話してみたよ。だけど彼はそもそも俺の思想の教祖みたいなもんだからね。努力が足りないって思いが強まっただけだった。結局、余計に自分を責めることになった。」

弛まぬ努力により問題解決を重ねて来た者は、そのテクニックを人間関係にも応用出来ると思いがちです。でも、そもそも育った環境や信仰の異なる二人の人間が分かり合えること自体、奇跡だと思う私。

「そっか、ミラクルか。」

と考え込むディック。

「そう思うよ。人間関係ばっかりは、どんなに努力したところで改善には限度がある。皆それぞれ違う方向に違うスピードで成長してるんだしさ。だから、数ヶ月とか数年に渡って誰かと良い関係が築けてる時は、その幸運にとにかく感謝するのみだな、僕は。」

「そのアドバイス、あの頃に聞きたかったぜ。」

とディック。

「でもさ、こういうことって、すごく苦しんだ末に漸く自分なりの答えを出せるってもんじゃない?回答がストレートであればあるほど、見つかりにくい気がするな。」

と私。

「僕はこの数ヶ月間、ずっと苦しんでた。物事がうまく行かないのは、自分の努力が足りないからだと思いこんでたんだ。もっと頑張んなきゃってね。振り返ってみると、問題の大半は人間関係絡みで、とても一筋縄じゃいかない。長いこともがいたけど、諦めることにした。自分はスーパーヒーローじゃないって潔く認めて、戦うのを止めたんだよ。そしたらさ、急に周りがクリアに見え出した。自分が影響を及ぼせる範囲だけに意識を集中してコツコツ努力を続けることにしたんだ。そしたら、なんだか懐かしい喜びが蘇って来てさ。本当に久しぶりに、暗い地下室から抜け出せた気がするよ。」

この独白に近い私の話を静かに頷きながら聞いていたディックが、少し間を置いてこう言いました。

「ひとつだけ、同意出来ないことがある。」

え?何?と続きを待つ私。ニヤリと笑うディック。

“You are a superhero to me.”

「君は俺にとってのスーパーヒーローだよ。」

 

2021年9月26日日曜日

エリンとアーロン


先週木曜日の午後、東海岸のブライアンが招集した電話会議に出席。私の所属する部署の若手社員Dianaが会社認定のPM資格を取得しようとしていて、その最終面接に立ち会う、というのが目的。

「ハイ、シンスケ!」

微かに緊張を滲ませた笑顔で画面に登場した受験生の顔を見て、コロナ前にオフィスのランチルームで何度か出くわしていたものの言葉を交わしたことは無い女性だ、ということに気づきます。マイクロソフト・ティームズの出席者アイコンには名前が記されているので字面は確認出来て当然ですが、初対面の人が大抵つまずくShinsukeの発音を難なくこなしたという事実に、ちょっと感動していた私。それにしても、初めて会話する相手に下の名前で呼びかけるというこのアメリカンな習慣、渡米後二十年以上経つってのに未だに慣れないんだよなあ…。

実を言うと私、数十秒遅れで画面に現れた彼女の上司ジェナが「ハイ、ディアナ!」と言うまで、Dianaをどう読むべきか迷っていたのです。あ、そうなんだ、ディアナって読むんだ。良かった、反射的に「ハイ、ダイアナ!」って返さないで…。

ところがそうやって胸を撫で下ろしたのも束の間、この面接を仕切る還暦超えのブライアンがいきなり、

「さてダイアナ、最初の質問なんだが…。」

とスタートしたのです。えっ?今さっきジェナが「ディアナ」って呼ぶの、聞いてなかったの?

あろうことか、ジェナも、そして当のディアナも眉一つ動かさずこれを受け流し、ブライアンの「ダイアナ」連呼は面接終了まで延々と続いたのです。もしも僕が「シスケ」とか「シンスーク」とか呼ばれたら、ならべく早い段階での訂正を願い出ると思うんだけどなあ。なんで誰も何も言わないの?

実はこの手の疑問、今に始まったことじゃないのです。二年ほど前のある日、オフィスの一階上で働く若手社員のMeghanに、

「あのさ、君の名前だけど、ミーガンとメガンのどっちが正しいの?」

と尋ねました。イギリスのノーベル賞作家ゴールズワージーの短編「林檎の樹」に登場するキャラクターに同じ名前の女性がいて、学生時代に新潮文庫で読んだ時は「ミーガン」、数年後に書店で角川文庫版を開いた時には「メガン」になっていた。既に僕の中では完璧な「ミーガン像」が出来上がってんのに、後になって実はあれ、メガンが正しいんだって言われても困るんだよね。新潮と角川と、どちらに軍配が上がるのか?人生を左右するほどの重大テーマでも無いんだけどずっと気にはなっていて、同名の人物が実際身近に現れるまでそのチャンスを窺っていたのです(三十年以上も!)。

「ミーガンでもメガンでも、どっちでもいいのよ。」

とこの時、予想外の反応が返ってきます。

「いやいや、でもさ、私はこっちで呼ばれたいとか、親はこう読ませようとしたってのはあるんでしょ。」

と食い下がる私。

「ううん。特に無いわ。本当にどっちでもいいの。」

呆然と立ちすくむ私。おいおい自分の名前だぞ、そんないい加減な回答アリなのか?釈然としないまま、お礼を言って立ち去るのでした。

話変わって今週木曜の夕方、18ヶ月前に転職した元同僚のリチャードと、久しぶりの再会を果たします。場所は、去年近所にオープンしたEE NAMI Tonkatsu Izakaya(ええ波とんかつ居酒屋)のパティオ席。

「これ、なんて読むの?」

と挨拶もそこそこに質問してくるリチャード。

Eを二つ並べて、ええって発音させるみたいなんだ。」

「ふーん、そうなんだ。どういう意味なのかな?」

ここは大阪風とんかつ屋で、「ええ波」というのは「良い波」の関西弁。「ええ」の響きを表現しようとした結果、こういうアルファベットの使い方になったんじゃないか、と持論を述べます。Aひとつだけだと「エイ」になっちゃうからね。果たしてEEと書いたところでアメリカ人が「ええ」と発音出来るかどうかは謎だけど、と。それに対してリチャードは同意も反論もせず、さも感心したように頷くのでした。

そして間もなく運ばれて来たジューシーな極上ヒレカツ定食セットを味わいつつ、テーブルを挟んでお互いの「その後」をシェア。乗員数万人を擁する巨大タンカーから総員14名のスピードボートに乗り移ったリチャードは、彼を引き抜いた元同僚のジャック(御年92歳)とともに大活躍しているのとのこと。

「給料は大幅に上がったし、Utilization(稼働率)のプレッシャーも無いし、チームとしての意識はすごく高い。皆がお互いを気遣っていて、どんなに忙しくてもストレスを感じないんだ。社長はエコ意識が高くて、電気自動車が買いたいという勤続五年以上の社員には、補助金一万ドル出すって言うんだぜ。最高だろ。」

転職直前には、これが本当に正しい選択なのか随分迷った、とリチャード。

「大正解だったね。良かったじゃん。」

と私。

「シンスケは転職考えてないの?来てくれって言う人はいっぱいいるんじゃない?」

「うん。考えてはいるよ。でもね、僕にはチームがあって、これを盛り上げて行きたいって気持ちが強いんだ。」

部下達との年度末業績評価面談を前日に済ませたばかりだった私は、彼等の発展を真剣に考えていたタイミングだったのです。リチャードの転職先より世帯がデカい、今の私のチーム。メンバー達全員が日々幸せに働けるような環境を整えたいという気持ちは、彼のボスと何ら変わりません。そんな野心すら吹き飛ばしてしまうほどの圧倒的好条件を突きつけられれば、話は別ですが…。

加えて、面と向かってリチャードに伝えるのはさすがに思いとどまったのですが、実は「大企業に身を置く」こと自体のメリットも見逃せないファクターなのです。会社の規模が大きいということは関われるプロジェクトのバラエティも豊富だし、仕事の発展性だって変わって来ます。出張でフロリダやモンタナやユタやハワイ、そしてオーストラリアまで訪問出来たのも、大会社勤めの役得。そして何よりその過程で、才能溢れる何百人もの痛快キャラと知り合いになれたことは、絶対無視できない魅力なのです。つまり今のところ、私小説の味わいより大河ドラマの興奮を選択している私。

「あ、そうだリチャード、ちょっと英語の質問していい?」

同じ屋根の下で働いていた頃は、頻繁にこの手の質問をビシビシ投げ込んでいた相手です。当時を思い出し、つい顔がほころんでしまう私。彼の方も懐かしそうな表情を浮かべ、バットを構えて私の投球を待ちます。

「名前の読み方なんだけどね…。」

ちょっと前に部下のシャノンが、こんな話題を持ち出して笑ったのです。

「全く紛らわしくて困っちゃうわよね。プロジェクトチームに同じ読みの名前が二人いて、しかも綴りが全然違うなんて…。」

暫くの間、一体誰の話なのか分からず戸惑う私でしたが、ようやく理解に至ります。彼女がサポートしているプロジェクトマネジャーのErinと現場のトップAaronの名前が、どちらも「エレン」と読めるっていうのです。つまり「エレンが二人いる」と。

「え?全く同じ発音だって言ってるの?ちょっとの違いはあるんでしょ?」

「ううん。完全に一致してるのよ。」

俄には信じ難い説。日本人の私が普通に読めば、Erinは「エリン」、Aaronは「アーロン」です。それがどちらも「エレン」と発音されるため、耳で聞いただけでは誰の話題か分からない、というのがシャノンの主張。

「その通りだね。全く同じ発音だよ。」

ああそんな話か、と拍子抜けしたようにシャノンに同意するリチャード。

「ええ?だってさ、Aが二つ並んでるんだぜ。それをエって発音するなんておかしいでしょ。」

「うんそうだね、英語ってつくづく不思議な言語だよね。」

おいちょっとちょっと、それでおしまい?

「あ、そうだ、ミーガンとメガンはどう?」

と畳み掛ける私。どっちでも良いというのはいかがなものか。子供に名前をつける際、どう発音するかまでセットで考えないのか。対してリチャードは、またしてもそれが何故疑問なのかすら理解出来ない面持ち。

「うん、どっちの読み方も有りだよ。」

「じゃあさ、じゃあさ、」

これはもう、内角高めを抉る決め球を投じるしかない。

「誰かが初対面で君のことをリックとかディックとか呼んだらどう思う?ちょっとイラッとしたりするんじゃない?」

Richardというのは、リチャード、リッチ、リック、ディック、と多彩な変化型を持つ名前です。

「僕は長年リチャードって呼んでるけど、周りの皆がそういう呼び方をしてたから倣ったのであって、君自身が認める正式呼称なんだと思ってた。なのに君のことをまだ良く知らない人がいきなり違う呼び方して来たら、さすがに何だこいつはって思うでしょ。」

「いや、全然。きっとその人は知り合いに別のリチャードがいて、彼のことをリックとかディックとか呼んでるんだろうな、と思うだけだよ。」

そして彼の次の一打で、全身の力が抜けたのでした。

「そういえば、うちの親父は僕のこと、ディッキーって呼んでるよ。」

アメリカ人にとって、名前は記号に過ぎない。読み方なんてどうでもいいのだ。このお題に関する追究は、この日の晩できっぱりと終止符を打たれたのでした。

 

2021年8月29日日曜日

Have no fear 恐れるな


先月末、太陽照りつける金曜の正午過ぎ。上司のセシリアと近所のショッピングモールで待ち合わせしました。数年前に私が同じ界隈に転居して以来、そのうち食事でもしようと何度か話していたのですが、ずっと企画倒れになっていたのです。そうこうしているうちにコロナでリモートワークに突入し、気がつけばぶわっとタイムワープ。七月になってワクチン接種が広まり感染者数も降下したため、ようやく実現の運びとなったランチミーティングでした。

「実は今日こうして直接会おうって誘ったのには、理由があるの。」

インドカレー店のパティオ席。パラソルの下で三種類のカレーを楽しみつつ近況報告を交わした後、セシリアが言いにくそうに切り出します。

「まだ誰にも言わないで欲しいんだけど、十月にまた大きな組織改編がありそうなのよ。」

反射的に鼻で笑い、ゆっくりと首を左右に振ってしまう私でした。はいはい、またですか。一体どれだけ組織変更にエネルギー注ぎ込めば気が済むんだよ、この会社は…。

そもそもさかのぼること2018年九月、私の属する環境部門が他のビジネスラインと袂を分かち、まるで独立国家のような体制で運営されることが決まりました。それまで同じオフィスで働いて来た別部門(交通、建築、上下水道、など)の同僚たちと異なる指揮系統で動くというのです。北米西部地区の大集会にも一応招かれはするものの、オブザーバー的な立場で出席する形になり、なんとも落ち着かない気分。ややこしいことに、わが部門も同様の地域制を採用しているため、「環境部の」北米西部地区が別に存在するという、異母兄弟同居状態。

そんな居心地の悪い状況が続いていた昨年一月、「環境部北米西部」の新体制が発表されました。サンディエゴ支社のセシリアの下でこじんまりやっていた私のプロジェクトコントロールチームは、南カリフォルニア全体を所掌することになり、チームメンバーは二倍に膨れ上がりました。更に西海岸北部をカバーしていたアリーナのチームと合体し、オレゴンのカレンが二人の上司に就任。総勢二十名超の「環境部北米西部プロジェクトコントロール・チーム」が誕生したのです。

ところがそのわずか半年後、さらなる組織改編が発表されます。今度は北米全域を跨ぎ、業種ごとに横串を刺すスタイルの組織に変更するというのです。地域ごとに人を束ねる必要性が薄れるのですから、理論上はポジションを減らすことが可能。果たして数百人がレイオフされ、上司のカレンも会社を去りました。新生プロジェクトコントロール・チームはあっけなく解体され、私のチームはセシリアの下に逆戻り。アリーナのチームは別部門に吸収されました。

そして十二月。私はPDL(プロジェクト・デリバリー・リード)という職務を引き受けます。200件を超えるプロジェクトの財務管理が主な業務ですが、プロジェクトコントロールの仕事も継続することにしたため、就任以降は「起きている時間ほぼずっと仕事」という日常が続いています。最高執行責任者であるコネティカットのジョンが事実上の上司になり、毎週厳しい要求が飛び込むようになりました。

「歳入額が全然目標に達していないぞ。何としてでも月末までに達成してくれ。」

「こんな少額のコンティンジェンシーは必要無いだろう。削除して歳入額を増やせ。」

「シンスケはPM達に甘すぎる。もっとアグレッシブになれ。ギリギリ絞り上げるんだ。」

四半期毎の財務報告は経営者の成績表みたいなものですから、ジョンにとっては理にかなったアプローチです。しかし私にしてみれば、プロジェクトやPM達を危険に陥れるような真似だけはしたくない。近視眼的で金勘定優先の指示を、唯々諾々と受け入れるわけにはいかないのです。プロジェクトにはそれぞれ細かな事情があり、PM達と深く会話して初めて得られる情報は多々あります。チームメンバー達と会ったこともなく現場の状況も知らないジョンに、二千キロの彼方からやいやい言われるたび、

「これには深いわけがありまして、カクカクシカジカ…。」

といちいち弁明する私。エクセル表に並ぶ何百件ものプロジェクトの経営評価を超高速でこなしていくジョンの目には、私がPMの立場を擁護し過ぎているように見えても不思議はありません。

「次の組織改編では、地域枠を完全に撤廃しようって動きがあるの。今の私達は南カリフォルニアを管轄してるけど。それさえ失くそうって話なの。つまり部門長という私のポジションも、あなたのPDLとしてのポジションも、どうなるか分からないのよ。だから、今からそういうケースを想定しておいて欲しいの。」

セシリアの顔に、ようやく本題に斬り込めたという安堵の表情が浮かびます。

「どうしてもPDLの仕事を続けたいというのであれば今からジョンに掛け合わないといけないけど、そういう気持ちは無いんじゃないかって推察してたの。どう?」

「ご明察。PDLのポジションは喜んで返上するし、プロジェクトコントロールの仕事に百パーセント戻れるならむしろハッピーだよ。」

「良かった。思った通りだった。」

「大体さ、ジョンの方だって僕にPDLを続けて欲しくなんてないと思うよ。彼の求めているのは、もっと従順に動いてくれるタイプの人間でしょ。」

セシリアの目に、微かに躊躇の色が差します。それから慎重に言葉を選びながら、こう言ったのでした。

「連絡や報告という面では、あまりあなたのことを高く評価していないみたいね。」

察するに、彼女はこの件で既にジョンと会話を交わしていて、私に対する不満を彼から聞かされていたのでしょう。信頼関係を築けていない相手とのコミュニケーションが円滑なわけも無く、驚くに値しないフィードバックですが、このボディブローは帰宅してからジワジワと効いて来ました。一時は会社を辞めようかと思い悩むほど追い詰められた私ですが、それでも過去半年間、「可能な限りの成果を挙げた」自負はありました。だから高く評価されて然るべきというのは、よく考えれば単なる思い上がりでしょう。ジョンの目に「いつまでも打ち解けようとしない面倒くさい男」と映っていても、文句は言えません。

本職に軸足を残したまま新たな職務を引き受けた理由は、己の剣を錆びつかせたくないという思いの他に、次の組織変更で大波を食らったとしても戻れる港を確保しておこうという、一種の保険でした。しかしそんな保険、一体どれほど有効だというのか?「新体制にシンスケのような人材は必要無い」とジョンがコメントするだけで、一発退場も充分有り得ます。本当にそうなったらどうする?息子は秋から大学三年になるんだそ。あと二年分の学費、払えるのか?

それから毎日のように夫婦で話し込み、二人でビジネスを始めてみるとか、転職の可能性を求めて知り合いに連絡取ってみるとか、アイディアを出し合うのでした。

さて今月半ば、夏休みで帰省していた息子と一緒に、オレンジ郡にあるお気に入りのベーカリーカフェBrio Brioまで出かけました。オーナー夫妻とは以前から仲良くなっており、ちょうど前日からディナーメニューをスタートしたというので駆けつけたのです。この店の食パンとバターロールは、私の生涯ダントツの美味さ。わざわざサンディエゴから長距離ドライブする価値は十二分にあります。

日本での仕事も住まいも全て清算し、背水の陣でこの店を開いた彼等は、ベーカリーを出発点にどんどんビジネスを広げて行こうと意気込んでいました。しかし出会い頭にパンデミックがやって来て開店準備は困難を極め、さらにはアルコール飲料提供のためのライセンスが何ヶ月も下りなかったり、と苦難の連続。旦那さんは過労で何キロも体重が落ちたそうなのですが、「本当に上質なものやサービスを提供すれば客は必ずやって来る」という信念を胸に懸命な努力を続けた結果、今では大評判のベーカリーになっているのです。脱サラしてアメリカで店を開くという一点だけ取っても既に想像を絶するチャレンジなのに、コロナという全く予想外の大波に立ち向かわなければならなかった彼等。それでも二人の目にはエネルギーがみなぎっていて、必ず店を成功させ、将来はこのショッピングモール全体を買い取ってみせる、と野望を語ります。

残念ながら、ディナーを提供し始めて僅か二日目ということもあり、結局この夜の来客は閉店まで我々一組のみでした。

「この状況が二週間も続いたらさすがにキツイですけど、大丈夫。必ず何とかします。」

どんなに大きな障害が立ち塞がろうともとにかく前進あるのみ、という圧倒的な「生きる力」を感じます。ふと気になって、何が彼等をここまで駆り立てているのかを質問したところ、

「南カリフォルニアに住みたかったんですよ。それだけ。」

と笑うご主人。軽く頭を殴られたような衝撃を受けました。こんなシンプルなモチベーションを発射台にして、二人は新天地でゼロからの再スタートを切った。そうか、人間は強い意志さえあれば何でも出来るんだ。自分だって21年前にこの地を訪れた頃、何の武器も持たなかった。仕事のあてもなく二年間で貯金も尽きて、絶望的な状況だった。それでも何とか乗り切ったじゃないか。そうだ、大丈夫だ。「人はいつからでも、何者にでもなれる(中田敦彦)」。

夜のハイウェイをサンディエゴに向かって車を走らせながら、元気をくれたあの夫婦への感謝を噛みしめるのでした。

さて今週月曜の朝のこと、ボスのセシリアからメールが飛び込みます。組織改編のニュースを伝えたいので、緊急電話会議を招集するというのです。いよいよ本決まりか…。深呼吸をしてログインします。

「私が聞いていたのと、全く違う組織形態が発表されたの。環境部門は九月末に解体されて、各地域部門に吸収されることが決まったのよ。」

あろうことか、我々は三年前に逆戻りして、北米西部地区という元の鞘に収まるというのです。はぁ?なんだそれ。じゃあこの三年間は何だったんだ?安堵の前に、言いようのない憤りに襲われる私。度重なる組織変更に伴って費された、あの膨大な時間とエネルギー。理不尽に会社を追われた、優秀な社員たち。三年間に及ぶ壮大な社会実験は大失敗。「やっぱり前の組織に戻しますね、ちゃんちゃん。」って、それで済むのかよ!

翌日の火曜、ジョンがPDLを集めて緊急会議を開きます。

「みんな聞いていると思うが、九月を持ってこの組織体制は終了することになった。これまでの皆の努力には本当に感謝している。残りの期間、しっかり任務を遂行して欲しい。」

PDLが今後どうなるかについては分からない、とジョン。皆優秀だし上層部からの信頼も厚いので、次のポジションはすぐに見つかるだろう。かくいう自分は北米東部地区上下水道部長への異動が決まった、と。電話空間に静寂が訪れます。

「今更こんなこと言ったってしょうがないけど、私はこの仕事を引き受けるために、約束されてた技術畑のポジションを断ったのよ。」

と、カナダ地区を所掌するウェンディがため息まじりに呟きます。そう、PDLの多くは前回の組織改編時、技術系のキャリアと決別して経営サイドに両足を突っ込んだのです。まさかこんなにあっさりと梯子を外されるとは…。ジョン本人も、最高執行責任者というポジションがこれほど短命に終わるとは意外だったはず。そんな想像を巡らせていた矢先、彼がしっかりとした口調でウェンディにこう答えたのです。

“Have no fear. We are all valuable.”

「恐れるな。我々は皆、貴重な人材なんだ。」

うーむ、なんというハートの強さ。色々と確執はあったけれど、この人の持つ「生きる力」に、ちょっぴり感動を覚える私でした。

 

2021年7月5日月曜日

Field of Dreams フィールド・オブ・ドリームス

 


三十年以上前に日本で観たケヴィン・コスナー主演のヒット映画「フィールド・オブ・ドリームス」を、最近久しぶりに再鑑賞しました。自分だけに聞こえる、

“If you build it, he will come.”

「それを作れば彼がやって来る。」

という謎の声に誘われ、通常なら考えもつかない突飛な行動に出る農場経営者の主人公。気でも狂ったかと止めにかかる親戚たちに逆らい、妻子の支えを頼りに広大なトウモロコシ畑の一角を潰して野球場を建設する三十路男。メッセージに含まれた「彼」が何者なのか明かされぬまま非現実的な出来事が立て続けに起こるのですが、エンディングの涙腺爆撃で完膚無きまでに打ちのめされます。

今回も嗚咽を堪えるのがやっとの私でしたが、鑑賞後に思うところがありました。この「謎の声に従って素直に行動したら素晴らしい出来事が起きた」という経験、確かにあるような気がするのですね。理屈よりも直感を大事にしたら、不思議な偶然が重なって思いもよらないラッキーな結末が待っている。こういう体験、実際に何度かあったのです。

水曜の午後、仕事を一時中断してコーヒーのおかわりを注ごうとキッチンへ行った際、ダイニングテーブルで仕事していた妻が話しかけて来ました。

「さっきね、K子さんから電話があったの。」

「随分久々だね。なんだって?」

K子さんというのは、妻が四半世紀前に留学先のミシガンで知り合って以来のお友達です。妻はその後帰国したのですが、K子さんはカリフォルニアの日系企業に就職。数年後、妻と出会って結婚した私が留学した際、K子さんが二つ目のマスターを取ろうと選んだ学校が偶然私と同じだった、という奇跡。その後も南カリフォルニアで一年に数回食事をする関係が続いていました。そのK子さんから久しぶりに連絡があったというのです。

「野球観に行かない?って誘ってくれたの。大谷翔平がもうすぐ30号ホームラン打ちそうだからって。いいですねって答えて、今チケット調べてたの。行きたい?」

「お、いいね。行こう行こう。」

南カリフォルニアのワクチン接種率はかなりのペースで上昇しており、この界隈は「コロナ完全収束前夜」と呼んでも良いような明るい雰囲気に満ちています。しかし過去一年以上「人混み」から遠ざかって来た結果、出かけるのが億劫になっている自分がいました。試しに先月、ダウンタウンのオフィスに出勤してみたのですが、簡単に「人疲れ」してしまい、帰宅後すぐにベッドで横になる始末。大谷の活躍はネットで見て知っていましたが、片道二時間以上も運転した末に観客でごった返す球場に飛び込むことを考えると、正直ちょっぴり気が重い…。

ところがこの時、何故かそういう面倒臭さは一瞬頭から消し飛んでいて、K子さんの提案に素直に賛同していた私。後で考えても不思議なのですが、「迷わず行けよ、行けば分かるさ」とでもいう内なる声に押され、それに従っていたのです。

そして金曜日。午後二時半に家を出て大渋滞のハイウェイをじりじり進み、オレンジ郡でK子さんを拾ってエンゼルス・スタジアムに到着したのは五時過ぎ。三塁側内野3階席に陣取って見渡すと、エントランスで無料配布された赤いアロハシャツを羽織った何千という客が観客席に散らばり、全体がエンゼルス・カラーの赤で染まっています。私達の周囲には小学生くらいの子供を連れたグループが多く、バケツ大の紙容器に入ったポップコーンやらピザやらを食べながら突き合ったりふざけ合ったりしながら、やんやの歓声。

前夜ニューヨークでヤンキース戦に先発し、5四死球7失点で初回降板という稀に見る乱調を見せた大谷。いよいよスランプ突入か?ひょっとして今日の試合は欠場かも?というこちらの心配をよそに、二番DHで元気に登場した若きヒーロー。

最初の打席こそ内角高めに詰まらされてライトフライに終わったものの、二打席目は同じ内角球をライト外野席上段に深々と打ち込み、リーグ単独トップを更新する29号。球場がどよめきます。おいおい、このまま30号も打っちゃったりなんかして、と三人顔を見合わせていたら、本当に次の打席、今度はレフトに2ランホームランを叩き込みます。嘘だろ?こんなことってある?とファンはそこら中でお祭り騒ぎ。


7対7の同点で最終回裏の攻撃が始まったのは、時計が夜9時45分を回ったあたりでした。四球で一塁へ進んだ大谷はやすやすと2盗をキメますが、二塁へ送球した捕手のヘルメットに打者のバットが微かに触れており、守備妨害ということでこのプレイは無効になります。エンゼルスファンは一斉にブーイング。しかし大谷はまるで盗塁なんていつでも出来ますよとばかり、軽々と二度目の2盗を成功させます。そして四番打者ウォルシュの強打がライト前に落ちる間に俊足を飛ばし、本塁へ滑り込んでサヨナラ勝ちを収めるという、漫画だとしても嘘臭すぎるほどの劇的な展開になりました。何千もの観客が総立ちになり、その場で両手を挙げ、奇声を発して飛び跳ねます。私もあまりのことに大口を開け、目を見開いてぼんやり周りを見渡したところ、左後方の通路で拍手をしていた中年の白人男性と目が合いました。彼はにっこり笑って私の目を見つめたまま、ゆっくりと深く頷いたのでした。

「何も言うな。分かってる。最高のゲームだった。オータニは真のヒーローだ。」

赤の他人同士が暗黙の了解を交わして悦に入るという、何とも素敵な図でした。

3階席最前列まで降りて大谷選手(一平さん通訳)のヒーローインタビューを聞いた後、球場をぐるりと廻るスロープを大勢の帰り客とペースを合わせて進み、駐車場へ向かいます。その間、誘ってくれて本当に有難う、とK子さんに何度も感謝する我々夫婦。急遽決めたこの野球観戦。面倒臭がらず、心の声に従って本当に良かった、としみじみ思いながら。

それにしてもK子さん本人はどうして急に野球観に行こうだなんて思いついたんだろうね、と車中で妻と首を傾げます。何十年も交際して来たけど、これまで一度だって野球の話題で盛り上がったことがないのです。きっとK子さんの中でも、何かドラマチックな出来事が起こるかもというお告げがあったんじゃないか、という結論に至ったのですが、私にはそう確信する理由がありました。最終回が近づいた時、彼女が私の方に向いて急にこう尋ねたのです。

「ええっと、こっちがライトでこっちがレフトでいいんだっけ?」

え?…ええ~っ?

 


2021年6月20日日曜日

Swing of Pendulum 振り子の振動


金曜の昼。抜けるような青空の下、4S Ranchという比較的新しいニュータウンのショッピング・モールにあるイタリアンレストラン「Piacere Mio Del Sur」まで車を走らせました。私の見立てでは、サンディエゴ最高ランクの極上ピザを味わえるお店。この場所を選んだのは、懐かしい友人との再会を祝うためでした。

カリフォルニア州知事の発表により6月15日をもって飲食店の入店制限が解除され、これまで息を潜めていた市民達が、まるでマラソン大会スタートの号砲を聞いたかのように一斉に街へ溢れ出したようで、まだ正午前だというのに既にモールの飲食店エリアではそこここで行列が出来初めています。私の順番がようやく巡って来たので中を覗き込むと、家族連れを始めとした団体が十数組ものテーブル席を埋め、満面の笑顔で歓談しながらランチパーティーに興じています。イタリア語なまりの英語を喋るマスク姿の若い男性店員が、

「申し訳ないんだけど、あとはカウンター席四人分しか空いてないんです。」

と困り顔。ネットで調べた際に予約を取らないと断り書きがあったので直接来てみたんだけど、もうちょい早く集合時間をセットするんだったな、と軽く後悔。

「ここまで混むとは全然予測してなかったよ。」

と、店員が嬉しい悲鳴を上げます。まだ友達が到着してないんだと言うと、着席して飲み物でもどうぞ、と一番奥へ誘われ、足が床に届かないほどのハイスツールに腰を下ろします。忙しげにカクテルを作り続ける黒マスクの男性バーテンダーから笑顔の歓待を受け、ペリエを注文して喉を潤したところ、背後から白人の大男が現れました。

「ヘイ、マイフレンド!久しぶり!」

そう、この日は数ヶ月前に転職して行った元同僚ディックとのランチだったのです。野球帽からはみ出して襟元にかかる栗毛色の長髪、そして無精髭。かつてはすっきりと締まっていた腹部も、半袖シャツ越しに見事な隆起を見せています。長期の在宅勤務で運動不足だったことは一目瞭然ですが、眼光にはエネルギーが漲っていて、再会の喜びは即座に確認出来ました。カラヴァッジオ・ピザとラム肉のパッパルデッレを注文し、限られた昼食時間を有効に使おうと矢継ぎ早に質問する私。

家族は皆元気なこと、リモートワークが続いていて転職以来一度も自分のオフィスに足を踏み入れていないこと、しかしストレスは激減したこと、同僚たちの真摯な気遣いを度々感じること、チームワークが良く個々のモチベーションも高いためか、プロポーザル競争での戦績が驚くほど良いこと。

「クライアントもさ、うちのチームの結束力を感じ取るみたいなんだ。ただ単にエキスパートを沢山揃えてますよ、と売り込むのと違って、このチームに任せれば大丈夫だという安心感を与えられてる。これは転職してすごく感じてることなんだ。」

とディック。それは素晴らしいね、と私。うちの会社は顧客より明らかに株主の満足を優先しているし、社員の多くはいつ辞めさせられるかとストレスを溜めており、その前にとっとと転職しちまおうかと悩む者も少なくない。そんな環境で結束の固いチームを作るなど至難の業です。対してディックの転職先では社員の自主性が尊ばれていて、皆がのびのびと働いているとのこと。

「色々振り返ってみて思うんだけどさ、」

とディックが最適な表現を探そうと宙を見つめて暫し沈黙します。

“It’s like a swing of pendulum.”

「ペンジュラムのスイングみたいなものだ。」

Pendulum というのは振り子のことですが、彼が何を言いたいのか飲み込めず、続きを待ちます。

「トップが変わる度に、会社の方針や組織体制がガラリと180度変わって来ただろう。冷静に考えると、それは必要に迫られてではなく、ただ単に前任者のやり方を否定して新しさを打ち出したいだけの話じゃないかと思うんだよ。大きいことは良いことだ、と言わんばかりに果敢な吸収合併を押し進めたと思ったら、次の代では贅肉を削りまくれと極端なリストラに走ってさ。とにかく前体制を全否定することから新政権がスタートするから、うまく機能していたやり方でさえ、お構いなく嵐のように吹き飛ばして行く。我々末端社員に出来ることは、次の大幅改革とやらが到来するまで頭を低くしてやり過ごすくらいさ。」

つまりディックが言いたかったのは、こういうことですね。

“It’s like a swing of pendulum.”

「まるで振り子の振動みたいなものだ。」

昨年秋の組織改編で私の身の周りに起こった変化も、まさに180度の方向転換でした。西海岸をひとつのブロックとして経営すること、プロジェクト・コントロール部門を一枚岩にし、PM達とパートナーシップを組んで経営改善に望むこと。そういう方針で仕事を進めていたのに、突如東海岸チームがカナダを含めた北米全体の経営指揮権を得て、プロジェクト・コントロール部門はあわや解体の危機に。何とか存続はしたものの、弱体化は誰の目にも明らか。PM達はマイクロ・マネージされ、これまで四半期ごとだった経営状況のチェックも毎月に頻度が上がりました。

PM達が何よりフラストレーションを訴えるのは、自分のプロジェクトの背景をよく知らない遠く離れた連中が、データだけ見て「問題の可能性」を指摘し、「今すぐ解決案を策定しようじゃないか。我々に出来ることは無いか。」と干渉して来ること。そもそもエクセル表に現れたデータはプロジェクトの状況を正しく反映していないことが多く、数字に表せない特殊事情を色々学んで初めて理解出来るケースがしばしばなのです。大勢で寄ってたかって解決すべき問題などそもそも存在しないのだと上層部に納得させるのは時間と労力の無駄であり、有難迷惑でしか無い。地域ごとにマネジメントが任されていた頃は良かった、と。

プロジェクトの問題を発見し解決するのはPM(とそのパートナーであるプロジェクト・コントロール)であり、彼らの自主性を重んじた上で必要に応じ上層部が手を差し伸べる、というのが私が理想とする組織運営です。これに対し新体制は、上層部が監視の目を光らせ、PM達が気づく前に問題の可能性を察知しズカズカと介入する、という流儀。

経営改善のプレッシャーは必要ですが、双方向の信頼関係も極めて重要です。ある程度の自由裁量を与えられている代わりに責任も負っているという自覚があるからこそ、PM達は自信を持って働けるのだと思います。新体制のやり方に適応しつつも、その思想に染まることは避けよう、いずれ振り子は逆に振れるのだから…。そう自分に言い聞かせる私でした。

「結局さ、信頼の欠如に気づいたPM達はやる気を失って行くんだよな。」

とディックが力なく笑います。転職前の彼は、まさにそういう心境だったのでしょう。

彼のこの表情を目にした時、つい最近体験したある出来事を思い出しました。

毎朝一万歩のウォーキングを日課としている私は、薄曇りの早朝、ガランとした住宅街の大通りを軽快に進んでいました。何か前方の景色に違和感を覚えて目を凝らすと、交差点の手前で道の真ん中にSUVが停まっており、運転手らしき若い男性が降りて大声で誰かに呼びかけています。近づいて行くうちに、もう一台、逆向きのSUVが歩道の植え込みに乗り上げ、電信柱の手前でストップしているのが目に入りました。そしてようやく、その左前輪のタイヤがバーストして跡形もなくなっていること、運転席のドアは開いており、車内は無人であることに気付きます。

車道に立って声を上げている男性の視線の先を見ると、痩せた人物が、こちらに背を向けて遠くをよろよろと歩いています。どうしたのかと尋ねると、

「車がこんなことになってるのに、運転手がどんどん向こうに歩いて行っちゃうんだ。心配になって声をかけたんだけど、立ち止まってもくれないんだよ。」

もう一度遠くに目をやると、その人物が突然振り返り、こちらに向かって何か言い始めました。どうやらかなり高齢な人物で、その歩き方から、頭を打って朦朧としているか、どこか怪我をしているかが疑われます。

「どうしよう。俺、もう行かなくちゃいけないんだ。」

と腕時計に目をやる男性に、

「あとは僕に任せて。もう行っていいから。」

と言い、急いで老人の後を追いかけました。

「大丈夫ですか。お怪我はありませんか。」

近寄ってみると、枯れ木のように痩せた白人男性。八十代後半でしょうか。声帯の手術を経験した人のようで、ほとんど声が出ていません。耳を近づけてみると、

「大丈夫。怪我はしてない。」

と答えていることが分かりました。

「どこへ行こうっていうんです?あれはあなたの車ですよね。」

「パンクしたんだ。今から家へ帰らないと。」

「ご自宅は近いんですか?」

「いや、遠い。」

「どなたかご自宅にいらっしゃるのですか?連絡出来ますか?」

「一人暮らしだ。電話は家に置いてある。帰宅すれば連絡する相手はいる。とにかく家に帰らなきゃいかん。」

やれやれ、電話も持たずに外出したのかよ。

「あまり動かない方がいいと思いますよ。頭を打ってるかもしれないし。」

「打ってない。大丈夫。とにかく誰かに家まで送ってもらえさえすれば何とかなるんだ。」

「私は今ウォーキングの最中なので、お送り出来ないんです。一旦車のところまで戻りませんか。」

連れ立ってゆっくりと今来た道を戻り、二人で故障車をしげしげと眺めます。左前輪が大破してはいるものの、よく見ると電信柱の数センチ手前で止まっており、衝突の形跡は無い。歩道に乗り上げてはいるものの、大きな交通の邪魔にもなっていない。確かにこの老人が言う通り、一旦家に戻って電話でレッカー車を手配すれば解決出来るケースのようです。後は彼がどうやって自宅まで辿り着くか、ですね。この人のためにウーバーを呼んであげるべきか。でも、どうやって料金を精算すればいいのか?いや、一旦我が家へ帰って車でここまで戻るか。そうすると彼を15分ほど待たせることになる。そりゃ良くないな…。そうして頭が問題解決モードに突入したその時、サイレンの音が聞こえて来ました。角を曲がってサンディエゴ市警のパトカーが目の前に現れるのと同時に、老人が弱々しい声でつぶやいたのでした。

“Oh boy.”

「マジかよ。」

恐らく一部始終を目撃していた近所の人が、警察に電話したのでしょう。事故車の後方で停車したパトカーから、筋肉隆々の若い警官が二人降り立ちます。何とかおおごとにせぬようもがいた老人が、寄ってたかって問題解決を図ろうと張り切る人々の前に屈する、という皮肉な結末。

「あ、私は単なる通りすがりの者でして…。」

とプロ達に後を任せ、そそくさと立ち去る私でした。

 

2021年6月6日日曜日

Hair-on-fire Situation  髪の毛燃えてる状況

 


よく晴れた土曜日。十年来の友人夫婦と四人でランチに出かけました。コロナで自宅に籠もる生活を延々と続けて来たため、最後に会ってから一年半以上も経過していたことにあらためて気付き、愕然とします。

「ネットフリックスで最近観始めたんだけど、テラ・ハウスってのにハマってるんだ。」

食事を終え、興奮気味に語るご主人のリーさん。

「テラスハウスのことね。」

と補足する、奥様のミワコさん。

数年前に海軍を引退し、一般文民として民間企業に勤めながらも日々肉体鍛錬を怠らないバリバリ硬派のリーさんですが、「相手の気持ちが読み取れない」状況で何とか関係を進展させようともがく若い男女の様子や、それを実況解説するという形式の斬新さに惚れ惚れしているのだと。

「あたしはAmerican House Wivesみたいなリアリティ・ショーの方が好きなんだけど。」

とミワコさん。

そもそも「テラ・ハウス」を勧めてきたのはアメリカ人の同僚男性なんだ、とリーさんが笑います。思考や感情を露骨に表現せず、「慮った」り「忖度」したりを美徳とする奥ゆかしき日本文化を全面に押し出した作品が、逆にストレートな物言いをお家芸とするアメリカ人の興味を惹きつけた。理に適っているとはいえ、何か新鮮な驚きを覚えるのでした。

「アメリカのリアリティ・ショーだと、好きだ!とか大嫌い!とか、臆面もなく男女が怒鳴り合ってるし、すぐに抱き合ってキスして、ウヤムヤのうちにできちゃったりするじゃない。」

とミワコさんが笑います。

次の一手を繰り出す前に、相手の仕草や言葉の端々から真の意図を嗅ぎ取ろうとする日本人のコミュニケーション方法は、まどろっこしいしテンポも遅い。渡米する前はこれが息苦しく、アメリカのドラマや映画に観る「曖昧さを排除した意思伝達法」の方がスピーディ且つ効率的なのだから、日本人社会にも導入したらどうかな、と思案したものでした。

さりながら、「二つ良きことさて無きものよ」というフレーズもあるように、日本流とアメリカ流のどちらが優れているかなんて比較は全くもって無意味な試みなのだという結論に、最近あらためて辿り着いた私。

前日の金曜日、朝九時の電話会議。私を含めた北米のPDL(プロジェクト・デリバリー・リード)五人と財務部門の数人を集め、連日同時刻に行われる連絡会。オペレーション部門のトップである東海岸のジョンが、画面に映し出されたスプレッドシートの数字にカーソルを合わせながら、質問して行きます。

「次はシンスケの番だ。」

私が所掌するプロジェクトおよそ250件の内、5月期決算書に特別歳入計上が出来そうなものを選んで毎朝発表することになっていたのですが、正直な話、毎月毎月ギリギリまで搾り取って来たため、もう「逆さに振っても鼻血も出ない」状況です。二件ほど少額の計上予定を説明し、大物一件は現在部下のシャノンが分析中です、と締めくくったところ、予想通り猛烈な追い込みをかけて来るジョン。

「何だと?それだけか?これじゃあ全く目標に届かないじゃないか。」

PDLには予めそれぞれの目標額が与えられていたのですが、そもそもどんな根拠があってその数字を割り出したのか謎なのです。進行中のプロジェクトから特別に歳入を計上するためには、将来の収支予測を楽観的な方向に修正する必要があります。まるでドローンを飛ばして飛行中の旅客機に横付けし、予備タンクの燃料を抜き取って行くような行為。良くて不時着、一つ間違えば墜落いう大災害を招きかねない、危険な賭けです。私としては各PMと会議を重ね、一件一件丁寧に検討した上で結論を出しているつもりなのですが、「慎重過ぎるぞ。もっとアグレッシブに取り組め。」と責め立てられる毎日。

沈黙する他のPDL達の面前でじわじわと締め上げられる私でしたが、苦し紛れにやっと絞り出した答えが、これ。

「可能性があるとすれば、エレンがPMを務めているプロジェクトです。朝一番でシステムをチェックしていたら、まだ推敲中の将来収支予測データを発見したんです。もしそれが最終稿なら、千ドルくらい余分に計上出来そうなレベルでした。」

「それで、エレンに問い合わせはしたんだろうな?」

「メールを投げましたが、今日は朝から現場に出ているという自動返信メールが返って来ました。時々メールをチェックするということなので、返信を待ってます。」

「電話はかけたのか?」

「いえ、彼女は今、現場仕事に取り組んでいる最中だと思います。さすがにそこは尊重すべきかと…。」

するとジョンが、語気を荒げてこう言ったのです。

“We’ve already passed that point. People’s jobs are on the line.”

「そんな悠長なことを言ってる場合じゃないんだ。このままじゃ誰かの首が飛びかねないんだぞ。」

千ドル余計に載せられる「可能性がある」というだけの話だし、しかもたまたまそういう原稿の存在にさっき気がついた、と言っているのです。そんな曖昧な情報をもとに現場の仕事を中断させるような行為を正当化する神経が、私にはありません。沈黙する私に対し、ジョンがこう続けました。

“This is a hair-on-fire situation.”

「これはヘア・オン・ファイヤーな状況なんだよ。」

おお、新しいフレーズが飛び出したぞ、と思わずノートに書き取る私。On fireというのは「火が着いている」つまり「燃えている」という意味なので、hair-on-fire で「髪の毛が燃えている」となります。つまりジョンが言いたかったのは、こういうことですね。

“This is a hair-on-fire situation.”

「絶体絶命の大ピンチなんだよ。」

直ちに携帯電話でエレンに連絡を取ることを約束すると、ようやく拘束を解かれ、次のPDLマリアンにバトンタッチしたのでした。

定例連絡会が終了した後も、中間報告の催促や緊急電話会議が絶え間なく続きました。ちなみに、現場で電話に出てくれたエレンからは、「あの収支予測はまだちゃんと検討が終わってないの。今の段階じゃ答えを出せないわ。」とあっさり拒否されました。

部下のシャノンが抱える大物案件からは、夕方六時まで二人で分析を重ねた結果、約2万ドルの特別歳入を叩き出すことに成功。メールでジョンに報告しましたが、既に東海岸では夜九時を回っており、ノーリアクション。全ての案件をかき集めても与えられたトータル目標額には遠く及びませんでしたが、心身ともに疲弊しきっていた私は、「後は野となれ山となれ」とばかり、シャノンとともにコンピューターをシャットダウン。怒涛の一週間に幕を下ろしたのでした。

こんな風に緊張感溢れる生活を去年の十二月末から続けて来た私の精神状態は、つい最近までボロボロでした。妻からは、

「そんなブラック企業、とっとと見切りをつけて転職した方がいいんじゃない?」

と履歴書の更新を勧められていたのです。

それが一週間ほど前になり、出し抜けに「トンネルの先の明かり」が見えたのです。何が具体的なきっかけだったのかは不明ですが、ある時突然、「ジョンは単に自分の考えを素直に表明しているだけで、相手を攻撃しているわけではないかもしれない。」という認識が脳に浮上したのです。電話会議中の会話に注意深く耳を傾けてみたところ、彼と付き合いの長い古参PDL達は、ジョンの激しい質問攻撃にもジョーク混じりで淡々と切り返しています。そしてジョンも度々、「皆のハードワークには本当に感謝している。」と我々を労っていたことに気が付きました。彼の言動に攻撃的意図を読み取ってファイティング・ポーズを取り続けていた私ですが、もしかしたら不必要にストレスを溜めこんでいたのかもしれない、という考えに至ったのです。

金曜の午後一番に緊急招集された会議でも、検討対象となったプロジェクトのPMマットに特別歳入の計上を詰め寄ったジョン。何故それが危険な行為なのかを言葉を尽くして説明した私に、

「ああなるほど、確かにそうだな。了解。解説を有難う、シンスケ!」

と、拍子抜けするほどあっさり引き下がったのです。

渡米から二十年以上も経ち、アメリカ式のストレートなコミュニケーション方法は熟知していたつもりでしたが、自分の中の「日本人的な」部分が、世界の見方を知らず識らずの内に歪めていたのかもしれない。郷に入っては郷に従え、というけど、文化的な基盤が違う場合、そう簡単に適応出来ないものなんだなあ、としみじみ思うのでした。

さて、コンピュータの電源を落として死んだふりを決め込んだ私ですが、ジョンがあれほど事態の緊急性を強調していたことを考えると、週末に何らかの動きがあるかもしれません。さすがに心配になって来て、土日の二日間、結局ちょくちょくメールをチェックしてしまった私。ところが、本当に一本の連絡も来ないのです。勤務時間は鬼のように働くものの週末はきっちり休む。そうだ、アメリカ人ってやっぱそうなんだ。納得しようと試みてはみるものの、どこかまだちょっぴり不安な、「日本人の」私でした。

2021年4月4日日曜日

Two Weeks’ Notice 二週間前通知


 一月最終週の夕刻。そろそろサービス残業を切り上げようとコンピュータ画面の清掃に取り掛かっていた時、同僚ディックから電話が入りました。

「こんな時間にすまん。ちょっと話せるかな。」

リモートワークがスタートしてから約一年が経過し、同僚たちと顔を合わせるのはコンピュータ画面を通してのみという日常。思い返すと、仕事上の直接の繋がりは薄くランチに誘ったりオフィスの片隅で無駄話を交わしたりするディックのような仲間とは、自然と交流が減る傾向にあります。実際、彼と最後に対面したのがいつだったのかすら思い出せません。

Two Weeks’ Noticeを提出した。シンスケにはなるべく早く伝えておきたかったんだ。」

Two Weeks’ Notice(二週間前通知)とは、会社を辞める日の二週間前に人事に提出する書類のこと。つまりディックは、辞職の決意をしたわけですね。

去年十月の組織改編以来、次から次へと苦難に襲われ、渡米以来最悪の精神状態になっていた私にとって、今や「親友」とも呼べる同僚のこの告白は衝撃的でした。

実は時を同じくして私も、会社を去ることを真剣に考え始めていたのです。秋の組織改変で我々プロジェクトコントロール・チームは組織図の隅に追いやられ、低賃金の海外チームに仕事を回すようプレッシャーをかけられています。長期展望など微塵も感じられず、今を生き延びるためのコストカットを敢行し続ける上層部。度重なる無慈悲なレイオフで職場の士気がダダ下がりの中、アリーシャ、ティファニー、デボラ、カンチー、カサンドラ、ジゼルが続々とチームを離れて行きました。その穴を埋めるべく新規採用を図っても、「駄目だ。フィリピンかルーマニアの社員を教育して使え。」と撥ね付けられる。こっちはPM達と、毎日トップスピードで二人三脚を走ってるんだ。その間地球の裏側でスヤスヤ寝ている人たちに、どうやってこの仕事が務まるって言うんだよ?第一、これほど極端なオーバーワーク状態の中、我々の仕事を奪おうとしている連中をトレーニングするためにわざわざ時間を割けと本気で言ってるのか?

新組織のリーダー層は、過去にも、そしてこれからも直接の対面は無いであろう面々です。その多くは東海岸にいて、西海岸の事業運営やカルチャーに疎い。「プロジェクトコントロールなんてものがどうして必要なんだ?」とハッキリ言われたことさえあります。チームの存続が危ぶまれる中、何とか残留組を護るために引き受けた新たな任務は、出来るだけ各プロジェクトから利益を搾り取るよう画策するというもの。これまで一貫してPM達の守護役を務め、コンサバなコスト予測を勧めて来たというのに、「アグレッシブに予測コストを削って1ドルでも多くプロフィットを計上せよ。」とプレッシャーをかけなければならない。民衆の保護者と圧制者の手先という真逆の役割を演じ続けるうち、ジワジワと神経が参って来ました。

コロラドにいる息子からある日電話がかかってきて、

「パパ、仕事大変なんだって?」

と気遣ってくれました。どうやら母親から、私の近況を伝え聞いた模様。

「うん、一日の仕事を終えるたびにズタボロだよ。身動きするのも嫌になるくらいね。」

と私。すると息子は、ヘビーな視聴者だけに通じる「進撃の巨人」ジョークを持ち出します。

「黒焦げになったアルミンみたいに?」

「いや、どっちかっていうと憔悴し切ったライナーだな。」

と、すかさず返す私。

「アハハ、それいいね!」

 

そんな感じで一日ずつギリギリ凌いでいた時、ディックの辞職を知らされたわけです。

「何度も自問自答したんだよ。Am I just naïve?(単に俺がナイーブなだけなのか?)ってね。」

時々声を詰まらせながら、苦渋の決断について語ってくれたディック。

「いやいや、まともな神経の持ち主なら到底やってられないよ。」

と首を振る私。転職先には、うちの会社のブラックぶりに嫌気がさして移って行った仲間が大勢いて、彼の決断を手放しで喜んでくれているとのこと。それは良かったじゃないか…。

「あっちで落ち着いたら、シンスケに合ったポジションが無いか探してみるよ。」

「それは有難う。」

 

二月初旬のオンライン送別会で彼の旅立ちを祝った後、私の精神状態は降下の一途を続けました。三月のある週末、このままじゃ再起不能になっちまう、と危機感に襲われた私は、ふと思い立って副社長のパットに電話をかけます。

「会社を辞めようかって、本気で考え始めてるんだ。」

十分くらいかけて、思いの丈をぶちまけた私。彼女から一体どんな慰めを期待していたのかは思い出せませんが、返ってきたのはこんな言葉でした。

「愚痴を言ってるだけじゃ何も生まれないわよ。現場はともかく、会社の上層部はあなた一人辞めたところで何とも思わないでしょ。労せずして一人分コストカット出来たぞって喜ばれてお終いよ。あなたはリーダーなのよ。こういう時こそさっさと泥沼から脱け出して、問題解決者の視点に立つべきじゃない。何かが上手く行っていないというのなら問題の構造を解析して、どこをどう変えれば良くなるかを考え抜くの。あなたやあなたのチームにとっての問題じゃなく、経営者にとっての問題を解決する具体策を企画書にして売り込むのよ。それが受け入れられなければ、その時辞めればいいじゃない。」

側頭部に後ろ回し蹴りが綺麗にキマったような、文句のつけようがない完全KO。爽快感さえ覚えるほどでした。そうだ、パットの言う通りじゃないか。彼女と話して本当に良かった…。

この電話を境に、私のメンタルは改善へと向かい始めました。さっそく翌週、アウトソーシングに係る問題を分析し、解決策とともにマトリクスにまとめて上層部に投げます。不思議なことに、この行動に出た途端、怒りや不安が激減したのです。問題の只中で悶絶するのを止め、コンサルタントの視点で問題解決に取り組むことは、精神衛生上大いに有効なのだ、という素晴らしい教訓になったのでした。

さて、木曜日の四時半。処理速度を遥かに超えみるみる積み上がって行く仕事を横目に見つつ、電話会議に参加しました。これはFirst Thursday Seriesと呼ばれる月一回のプレゼン・ミーティング。毎回、自薦他薦のプレゼンターが業務に関係無い話をする、お楽しみ会ですね。コロナでリモートワークが始まってからというもの、オンラインでの開催が続いています。今回はGIS(地理情報システム)チームのダンが、南カリフォルニアの砂漠地帯(パームスプリングスやジョシュア・ツリー)に散在するオススメ訪問スポットを紹介する、という企画でした。グーグルアースの航空写真上に各種の情報を重ね合わせ、ズームイン、ズームアウトを繰り返しつつ優雅に飛び回り、美しい写真を披露します。まるでドローンに乗って広大な土地を高速移動しながら、気の向くままに降り立ってあちこち散策している気分。

鳴り物入りで砂漠の真ん中に作られたものの倒産して廃墟となった、落書きまみれの大規模ウォーターパーク。便器などの廃品を積み重ねて作ったオブジェが所狭しと並ぶ野外美術館。まな板状の巨大岩盤に描かれた、「ナスカの地上絵」のような製作者・年不詳の壮大な落書き。ゴツゴツした岩山の中腹に忽然とそびえ立つ、映画「ミスター・インクレディブル」の舞台になりそうな摩訶不思議なデザインの豪邸。そして整然と立ち並び下界を見下ろす、数百を越す風力発電用プロペラ塔群

ダンのプレゼンのお陰で暫しの間、殺伐とした日常を離脱し、バーチャルな空中遊泳を愉しむことが出来たのでした。

「僕は砂漠が大好きで、一年に何回も遊びに行ってるんだよね。今回紹介しきれなかったお勧めの場所もまだまだあるんだ。話を聞いてくれた皆にこのファイルをシェアするから、是非行ってみて欲しい。」

何とも言えぬ浮遊感の余韻に浸りながら、ダンにお礼を言います。ふと気づくと、今回の出席者は僅か十人足らず。オフィスで開催していた頃は、毎回三十人を超えていました。たくさんの同僚たちが会社を去ったのに加え、最近は誰もが超多忙だし、オンラインのみの開催ではイマイチ引きが弱い。でもこんな楽しいプレゼンを聞き逃すなんて、勿体ないよなあ。出席出来て本当に良かった…。

「さて皆さん、来月以降、プレゼンしてれるボランティアを募集してます。是非名乗り出て下さい。」

とダンが続けます。彼は、この手のお楽しみ企画をリードする「職場改善委員会」の一員でもあるのです。

「我こそは、という人がいたら、クリスティンかキャサリンに連絡して下さい。僕は今回をもって皆とサヨナラしなきゃいけないんで。」

瞬間、空気が凍りつきます。

「つい先日、Two Weeks’ Notice(二週間前通知)を提出しました。皆と楽しく話すのも、これで最後になりそうです。今まで本当に有難う。」

オンライン会議が、水を打ったように静まり返りました。誰も反応出来ずに十秒ほど経過した時、なんとダンが笑いながらこう続けたのです。

「というのは、エイプリルフールの冗談です。当分、辞める予定はありません。」

なあんだジョークかよ、とどよめきが起こるまでに、暫く間が空きました。この日が四月一日だったことに気付いた後でさえ、今の告白が本当に嘘だったのかどうかを見定めかねて、皆戸惑っていた様子。

ありゃ悪い冗談だぜ、と後でテキストしたところ、悪びれる様子も無く笑顔のアイコンで返して来たダンでした。

 

2021年1月17日日曜日

Water Cooler Moment ウォータークーラー・モーメント


東海岸のパットとは、数年前から時々電話で連絡し合う仲。一度も対面したことが無いにもかかわらず、いつの間にかまるで数十年来の仲間のように忌憚なく物が言える関係になっていました。そもそも彼女が本社副社長として転職して来たのは、我社にプロジェクトコントロール部門を立ち上げて技術標準やトレーニングプログラムを作ってくれ、と当時の上席役員ボブに口説かれてのことでした。ところがそのボブがあっけなく解雇され、更に立て続けに起こった政変の煽りを受け、今や一人の部下も持たず孤軍奮闘。その境遇は(職階の差こそあれ)私のそれと似ており、何かバーチャルで「同じ釜の飯を食っている」ような親近感が湧くのですね。

そんなパットと先月中旬、久しぶりに近況報告会をしました。激動を続ける環境下、何とか健康に暮らしていること。理解ある伴侶のお陰でメンタル面も良好なこと。コロナ対応や大統領選を巡るニュースを見ていて、アメリカ国民のレベルの低さに嫌悪と幻滅を禁じ得ないこと。外国への移住を半ば本気で考え始めたこと。いちいち意見が一致するので、二人で大笑いしてしまいました。

「夫がね、カナダに引っ越そうかって言うの。安直に物を考えてすぐ口に出すのは私達アメリカ人の悪い癖よ、それこそ傲慢な国民性の現れじゃない、って釘を差したのよ。大体こっちがそうしたくたって、きっとカナダの方でアメリカ人はお断りって突っぱねて来るわよって。そしたら夫が真面目な顔で驚いて、確かにそうだなあって…。」

話題は、リモートワークの影響に移ります。社員同士の会話の中身が仕事関係の連絡や報告だけになりつつある。これは長い目で見ると深刻な問題だ。オフィスで顔を合わせていれば、自然と無駄話が増えてくる。実はその無駄話こそが、創造性の源なのだ。誰かの何気ない一言が脳を刺激して、自分だけでは到底思いつかないようなアイディアや行動に繋がる。職場に大勢集まることの真の価値はそこにある、と。

「ちょっと前に、ビジネス改善イノベーションとか何とかいう社内コンテストがあったじゃない。私、応募しかけたのよ。そしたら何ページも細々と記入しなきゃいけない書類が送られて来て、これこそイノベーションを阻む元凶じゃない、と呆れて止めちゃったのね。」

その時パットが提出しようと思っていたアイディアが、Virtual Water Cooler (バーチャル・ウォータークーラー)だとのこと。

「ほら、昔はどこのオフィスにも、冷たい飲料水を出す装置があったじゃない。みんなランダムにやって来て、水汲みがてらお喋りして。そういう場をね、バーチャル空間で作れないかしら、と思ったのよ。」

パットとの不定期電話連絡会は通常45分間としてあるのですが、次の発言は残りあと三分というタイミングで飛び出したのでした。

「私の今のキャリアだって、元はと言えばウォータークーラーでの同僚の一言から始まったんだから。」

こんなエピソードを聞いておいて、すんなり電話を切るわけにはいきません。

「ちょ、ちょっと待って。それ、どんな言葉だったの?」

「え?あ、そうね。う~ん、あと三分で話せるかしら。時間大丈夫?」

およそ35年前の話。大手エンジニアリング・ファームに就職した新婚ホヤホヤの彼女は、ボストンのオフィスで事務員として働いていました。さすがのアメリカでも当時は女性が技術屋として活躍することが難しく、もっとやりがいのある仕事がしたい、どこかにチャンスは無いものか、と欲求不満を溜め込んでいたパット。そんなある日、ウォータークーラーへ水を汲みに行った際、顔は知っているけど名前はちょっと、という程度の同僚と立ち話になりました。もうすぐ転職するというこの男、自分が関わっているオハイオ州の原発設計プロジェクトについて暫く語った後、興奮を顕にした彼女に気づき、シンシナティ支社で人を募集しているらしいよ、興味があるなら、とメモ用紙に連絡先を書いて渡してくれたのです。

メモ用紙を手にデスクに戻って暫く考え込み、それから勇気を出して受話器を取ります。何人かとやりとりした後、ようやくプロジェクトマネジャーとの電話面接をセットしてもらいました。そしてインタビュー当日。相手は良い人っぽいのですが、女性の採用は鼻っから想定していなかったらしく、通り一遍の質問の後、「後日連絡する」と素っ気なくあしらわれてしまったのです。どう考えても不合格だわ、と気落ちして帰宅。ご主人に顛末を話したところ、彼がこんな入れ知恵をします。

「たまたま翌週、夫婦でバケーションを過ごすためにシンシナティを訪れる予定だったので、ご都合が合うようだったらランチを一緒にどうですか、と申し入れてみたらってね。」

シンシナティみたいに退屈な街を観光しようなどという物好きな人間はいないので、嘘はバレバレだった、というのが笑いのポイントだったようなのですが、そういうジョークが分からない私は、このボケをあっさりスルー。

「で、そこで直接PMと会って意気投合して、転属が決まったの。夫と一緒にボストンから引っ越して、この現場でプロジェクトコントロールのイロハを覚えたわ。数年後に終結したそのプロジェクトは会社史上稀に見る大成功を収めて、メンバー全員、各支社から引く手あまた。私も以後、次から次へと大きなプロジェクトを渡り歩いて実績を積むことが出来たの。今ここでこうしていられるのは、そもそも今じゃ名前も思い出せない同僚のWater Cooler Moment(ウォータークーラーでの無駄話)がきっかけだって話。」

なるほど、そいつは凄い。引っ越しも厭わず妻の転勤をサポートした旦那さんの存在も無視できない要素ではありますが、ウォータークーラー・モーメントの価値を実証する印象的なストーリーでした。結局予定を三十分もオーバーして電話を切った私ですが、この時ハッと我に返るのでした。

自宅勤務が一年近く続いているものの、通常通り仕事は出来ているし給料も順調に振り込まれている。以前よりむしろ健康ですらある。でもずっと何かが決定的に欠けている気がしていた。実はそれが、「無駄話」をする機会の喪失だったんだ。職場のキッチンやランチルームで同僚たちと交わす何気ない会話。それがあまりにも刺激的で、ワクワクしながらオフィスに向かっていた毎日。コロナで世界が一変した後、ブログを書く気すら失せてくすぶり続けていたのは、暗いニュースのせいなんかじゃなく、単に日々の無駄話が激減したからなんだ、とあらためて気づくのでした(よく考えてみたらこのブログ、そもそもネタ元はほぼ全部無駄話じゃん…)。

協議事項満載の電話会議でバタバタとスケジュールが埋まってしまいがちな昨今、偶然出くわした同僚と下らないやり取りをするなんて、まず実現不可能です。バーチャル・ウォータークーラーの成功は、「偶発性」という要素が最大の鍵。会社が効率向上を最優先事項のひとつに掲げている今、たとえトップダウンで導入したとしても、全社的な施行にまでは至らず忘れ去られることでしょう。

そこで私が提唱したい代替案は、無駄話を誘発するため同僚との電話会議を午後4時半頃セットすること。この時間になると誰もが疲労して頭も鈍くなり、5時を回った頃には集中力が切れてきます。そこですかさず業務上の話題は締めくくり、ところで最近どうしてる?なんて切り出すのです。リモートワーカーは帰り道を急ぐ必要もないので、いやあ、こないださあ、なんていう力の抜けた会話が始まるのですね。

これに気づいたのが、カマリオ支社のPMブレンダと夕暮れ時に話した時でした。過去一年半近く彼女のプロジェクトをサポートして来たのですが、財務管理ばかりに集中していたため、それまで技術的な内容に触れたことはありませんでした。しかしこの日午後五時を回った時、ふと仕事の中身を掘り下げて説明してもらったのです。

ロサンゼルスエリアで70年以上前に埋められた工場廃棄物による地下水汚染の対策がこのプロジェクトの目的で、人員整理で会社を追われた前のPMから引き継いだブレンダは、それまで技術チームの一員として活躍していました。

「第二次大戦中、兵器を大量生産した際に出た有害な物質が、地中にじゃんじゃん投棄されたのよ。」

同じ課題は全米中にゴロゴロしていて、彼女の担当プロジェクトはそのほんの一部を担っているに過ぎないとのこと。

「当時は将来の環境汚染なんて考える余裕が無かったんだろうね。戦争が終わって経済が回復し、暮らしが豊かになって初めて対策に乗り出す。人間って本当に愚かだよね。」

衣食足りて礼節を知る、という言葉があるけれど、そのポイントを経てようやく長期的視野を持てるようになるのでしょう。

「この手のプロジェクトって、今後アフリカとか中国とかで山程必要になって来るんだろうね。この分野の技術者は引く手あまたって状態が、当分続く気がするな。」

私のこの発言が導火線になり、ブレンダの壮大な「無駄話」がスタートしたのでした。

環境対策のプロジェクトに予算を回す余裕が出来るのは、コミュニティがある程度の豊かさを獲得してからのこと。世界中の多くの国はいまだに底辺の「サバイバル・モード」でもがいている。環境に関心を示すレベルに至る目処すら立たない国はいくらでもある、と。

数年前から西アフリカ地方のドラムとダンスにハマってサンタ・バーバラのダンスクラブに所属している彼女は、クラブ活動の一環で、過去アフリカ諸国を何カ国も訪問して来た。そのたびに大きなショックを受けている。

「たとえば、ギニーの野外マーケットでオレンジを買って食べるじゃない。皮を捨てようと反射的に周りを見渡すんだけど、ゴミ箱なんてあるわけないのよね。そもそもゴミ収集サービスが無いんだから。だから地面に捨てるしか無いの。心理的にはだいぶ抵抗あるんだけど、仕方ないじゃない。そこら中ゴミだらけ。ハエは飛び回ってるし、とにかく不潔極まりないのよ。飲み水を手に入れることすらかなりの難題でね。道路はほとんど舗装されてないし、走ってる車は信じられないくらいのポンコツだらけ。隣町の目的地まで移動するのに14時間。途中で車がエンコして何時間も助けを待ったりしてね。」

現地でドラムを教えてくれたギニー人と友達になり、彼の生活ぶりを聞いたところ、15人家族が食べていくことの大変さを語ってくれたそうです。

「ショックなのはね、百米ドル(約一万円)あれば15人が一ヶ月食べていけるっていうことなの。栄養失調との戦いに家族が勝つのに、たったそれっぽっちのお金で済むっていうのに。」

それ以来、友情と感謝の印として、毎月百ドル送金しているというブレンダ。

「私だって格別高給取りってわけじゃないけど、外食とかちょっと控えるだけで月百ドルくらいの余裕は出るでしょ。それであの家族が救えるんなら、安いものよ。」

気がついたらもうすっかり日は落ちて、私の部屋も暗くなっていました。ブレンダとの電話を切ったのは、6時過ぎ。なんとも長大な無駄話でしたが、私の心は暫く大きく揺さぶられていたのでした。コロナとリストラの煽りを受けて目が回るほど忙しく、自分だっていつ職を失うかも知れないストレスフルな状況で、地球の裏側でたった一度だけ会った人とその家族をサポートしているブレンダ。こんな素敵なこと、僕に出来るだろうか…?

ウォータークーラーの無駄話というのは、水面にポトリと落ちる水滴みたいなもの。そこから広がる波紋の持つ振動数がもしも聞き手の固有振動数と一致すれば、共振現象が起きる。聞き手の心の揺れを増大させ、その後の言動に確実な変化を与える。その人が別の人に無駄話をし、更に共振が起き、と連鎖が広がる。そうしてじわりじわりと世界が変わって行く。世の中って、案外そういう感じで動いてるのかもしれないな、と思うのでした。

さて翌朝、いつものように夜明け前に家を出て、1万歩ウォーキングに向かいます。中央分離帯にユーカリプタスの巨木が連なる片側二車線の大通り沿いを、快調に十分ほど進んだ時でした。暗闇の中、遥か前方の中央分離帯十メートル以上上方から、何か人間のような輪郭の大きな影がすっと落下し、向かい側の車道上に「カツーン」と乾いた音を響かせたのです。そのまま歩みを進めて行くと、後方から走行して来た車が次々と急ブレーキをかけ、ゆっくりとその落下物を迂回して行くのが見えました。気がつくと、私は車道を横切り、問題の地点に小走りで向かっていました。暗い中央分離帯を越えて目を凝らすと、どこか人間の身体つきに似たユーカリの大枝が、まるでたちの悪い酔っ払いのように、二車線を跨ぐ格好で横たわっています。急いで左右を確認すると、車道に降りて両手で枝の両脇を抱え、まるで気絶した人を引き摺るように中央分離帯まで移動させたのでした。よし、これで誰も下らない事故に巻き込まれずに済むぞ、とすっきりした気分でウォーキングに戻った私。

「へえ、すごくいい一日の始まりになったじゃない。」

午後になって妻と買い物に出かけた際にこのエピソードを語ったところ、彼女が感心してくれました。前日にブレンダから聞いたアフリカの話に触発されたことも話し、

「もしも昨日あの話を聞いてなかったら、今朝あんなにフットワーク軽く動けなかったかもな、と思うんだ。」

とウォータークーラー・モーメントの効果についてしみじみ語る私。

その日はトレーダージョーズ(TJ)で生鮮食品ショッピングの後、ウェストビーンズ・コーヒーに寄って焙煎ホヤホヤのフレンチローストを買う、という段取りになっていたのですが、TJのレジに並んでいた時、

「先に駐車場行っててくれる?トイレに行っときたいから。」

と妻。オッケー、じゃあ荷物積み込んで待ってるね、と私。運転席でスマホをいじっていたところ、間もなく戻ってきた彼女が、

「駄目だった。トイレはコーヒー屋で。」

と言うので、あれ?閉まってたの?と尋ねる私。

「違うの。前の人がね、信じられないくらい巨大なのを残して行ったの。」

「え?流せばいいじゃん。」

「一回は流そうとしたわよ。でも、びくともしないんだもの。」

「器具とか使って動かせなかったの?」

「なんで私がそこまでしなきゃいけないのよ?」

いや、次に入った人のためにさ、と言おうとして思いとどまる私。

「で?どうしたの?」

「レジの人に報告しといた。」

ブレンダのウォータークーラー・モーメントからスタートした共振現象の連鎖は、この「水に流せない」話であっけなくその終焉を迎えたのでした。