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2025年5月4日日曜日

Juxtaposition ジャクスタポジション

先週火曜日。二週間の一時帰国を終え、妻と一緒にロサンゼルス空港へ降り立ちます。入国審査を終え、国内便への乗り換えゲートの列に並んでいると、映画「ダイ・ハード」でリムジン・ドライバーを演じていたノリの軽い黒人青年を三年ほど成長させたルックスの担当官が、まるでバナナの叩き売りみたいに立て板に水の口上で次の客を呼び込んで行きます。ほどなく私たちの順番が回って来て、

「ハイハイ、お次のお姉さんはパッと見たところ25歳だな、いやいやどう見ても21歳。」

これには妻もつい吹き出してしまいます。彼女のパスポートを手早くスキャンして私を呼び寄せると、

「そうすると旦那さんはもうちょいとばかり年上ってとこかな、ずばり26歳!」

私のパスポートに見入って答え合わせをするでもなく、手は口と独立に動いて素早くスキャンを済ませます。

手荷物チェックの列に並びながら、あんなお調子者をこの仕事にあてがっていることへの驚きを妻とシェアする私。我々はTSA Preという事前に料金を払って身元確認を済ませた旅行者の列に並んでいたので、パスポートチェックが形式的な手続きであることは承知の上。それにしても軽すぎるだろ、と。

銀色の金属回転体を並べたコンベアに大型のトレイを置き、機内持ち込み手荷物を順々に載せて行きます。検査対象物が四角い箱に入る前に持ち主の我々はゲートをくぐり、向こう岸で待ちます。ゴムのビラビラカーテンをめくりあげて妻の手提げバッグと私のバックパックを載せたトレイが現れ、暫く停止した後、検査官の待つ側のルートへと振り分けられて行きました。

「あれ?何か変な物入れてたっけ?」

と私。首を傾げる妻。すると、列に加わった三十代くらいの白人男性が大きな溜息をつき、両手を腰に添えて苦笑しました。

「ほぼ毎回ここでつかまっちゃうんだよね、俺。しかも何を入れたか全く思い出せないんだ。」

振り返って彼の顔を見て、笑顔で同意を示す私。

「あ、そうだ、ペットボトル入れっぱなしだった!」

と小声で叫ぶ妻。羽田からロスまでの国際線内で長時間持参していたため、国内便乗り継ぎのことをすっかり忘れていたのですね。そうこうするうち、検査に合格した荷物を手にして去る人が目の前をどんどん行き過ぎて行き、残されたトレイが手前のコンベアで渋滞し始めました。するとさっきの白人青年がさっと歩み出て、隣り合った空きトレイを順々に二枚重ねにしてスペースを稼ぎます。係官の数が足りないのか、単なる旅行者の彼が空港運営側の仕事をする羽目になっているのです。白人青年はそのボランティアワークを一旦終えて元の位置に戻ったのですが、カラのトレイは見る見るうちに溜まって行きます。見かねた私はさっき青年が二枚重ねにした束に追加されたトレイを更に重ねて行き、全部まとめて左端の集積所へ一挙に移動しました。

“Now you’re making me look bad!”

「俺の立場なくなっちゃうじゃん。」

キマリ悪そうに笑う青年。するとモニター画面を睨んでいた髭面の中年黒人検査官が我々に視線を移し、微笑みながら丁寧に感謝の言葉を述べます。そして手元に到着した妻の手提げかばんから、綾鷹500ミリと飲料水入りミニペットボトルの首のところを左手で掴んで持ち上げました。

「ごめんなさい。すっかり忘れてた。」

と妻が笑うと、

「いやいや、こういうのはちゃんと最終確認をしなかった旦那の責任なんだよ。」

と私を見つめ、ニヤリと笑ってから微塵の躊躇も見せずに二本ともごみ箱に放り込んだのでした。

出発便ゲートへ進みつつ、今さっき目の前で起きた展開って日本ではあり得ないよね、と妻と話し合いました。係官が搭乗客に軽口叩いたり、見知らぬ人がにこやかに話しかけて来たり、などという光景を日本の空港で目にすることなど考えられません。いや、空港に限らず日本では(特に大都市では)、人と人とが一定の距離感を保って生活しているように思えます。

東京滞在中の朝、犬の散歩をする人々と何度もすれ違ったけど、誰一人として視線を合わせて来ないことに気付き、違和感を覚える自分がいました。サンディエゴの自宅周辺で朝のウォーキングをする際、すれ違う人と挨拶を交わさないことの方が稀なので。コミュニティ内で発揮するフレンドリーさとリスペクトのバランスが、日米で著しく違うのだということにあらためて気付かされたのでした。

帰国中、妻と二人で急遽飛び込んだ赤坂のヘッドマッサージ店「眠りの森」では、施術終了後、担当した女性達がエレベーターまで見送りに来て、ドアが閉まるまでしっかりとお辞儀を続けました。両掌をぴんと伸ばし、指先をおへその辺りにつけて。妻と顔を見合わせて驚嘆しつつ、これってアメリカじゃあり得ないよね、という話になりました。

女子社員たちへのお土産にと横浜みなとみらいの「中川政七商店」で台所用布巾を購入した際も、わざわざ小分け包装にし、それぞれ中身の色が外から分かるようカラー付箋を貼ってくれたことに感動し、日本のサービス業の顧客満足追及レベルは段違いだよね、と妻と頷き合います(後でこの話を聞かせた日本人の女友達から、「普通じゃない?」と言われて更にぶったまげましたが)。

数年前、職場で毎月一回開かれるカジュアルなプレゼンイベントで、40人くらいの聴衆に対し、その直前に果たした一時帰国中に感じた事について話しました。皇居周辺の満開の桜並木、東京のビル街に点在する神社や寺院、リサイクルごみの緻密な処理ステップや日本橋高島屋の荘厳な開店シーンなど、ビジュアル素材を多数披露した後、極楽鳥花やブーゲンビリア等の鮮やかな色彩を愛する自分と、散りゆく桜の儚く淡い色合いを愛する自分が矛盾なく共存していることを述べ、喝采の中プレゼンを終えました。

その一週間後、イベントを主催したチームが私の使った写真素材を散りばめたポスターを作製して記念品として贈呈してくれたのですが、ここに添えられていた文章が私の注意を惹きました。そこには、「シンスケが二つの国のJuxtaposition(ジャクスタポジション)を披露して」と書かれていたのです。すぐに辞書で調べてみたところ、「対比」とあります。ううむ、分かったような分からぬような…。Comparison(比較)とどう違うんだろう?さっそく、通りがかったインテリの同僚クリスティをつかまえて解説を求めました。

Comparisonには、分析して評価する、つまり優劣みたいなものを決めようという意図がにじんでいるけど、Juxtapositionは純粋に二つの物を並べてみて、違いを読み取ろうとすることだと思うわ。」

とのこと。なるほどねぇ。日本とアメリカのどっちがいいかを論じたいのではなく、二つの国のコントラストを素直に鑑賞していた私には、しっくり来る説明なのでした。

さて、妻と一緒に搭乗口へ向かって歩きながら、この時のことを思い出し、口の中で「ジャクスタポジション、ジャクスタポジション…。」と呪文のように唱えていた私。突然鼻がムズムズし始め、我慢しきれず思い切りくしゃみを一発。すると間髪入れず、5メートルほど離れた壁際でスーツケースを停めて立っていた白人女性が、“God bless you!(お大事に)とはっきりした口調で言ったのです。赤の他人が人のくしゃみにツッコミ(じゃないけど)入れるなんて、日本ではあり得ないよなあ。あらためて、ジャクスタポジションを愉しむ私でした。

2022年10月23日日曜日

Walk on ウォーク・オン


「うわ!」

隣を歩いていた妻が、藪から棒に声を上げて立ち止まります。

「何かと思ったら山だった!」

整然と立ち並ぶレンガ色のビルの屋根越しに、赤茶色の巨大な岩壁がそそり立っています。我々の暮らす「ブルースカイと椰子の並木」のサンディエゴを歩く時はそんな角度まで視線を上げることすら滅多に無いため、突如視界に飛び込んできた4千メートル級の陸地の隆起は、とても新鮮な景観だったのですね。

先々週の金曜から日曜にかけ、息子が通う大学のイベントに出席するため、夫婦でコロラド・スプリングスへ出かけて来ました。これはHomecoming & Family Weekend(ホームカミングと家族の週末)という、年に一度催される恒例行事。卒業生や現役学生の家族をキャンパスに招いて説明会やら見学会やら同窓会などを行うのですが、息子が四年生になる今年まで、ずっと参加を見合わせて来ました。幼稚園や小学校低学年ならともかく、大学にまでわざわざ乗り込むことに、やや抵抗があったのです。今年は最終学年だし、これを逃せばもう卒業式までチャンスが無いわよ、という妻のひと押しで心を決めたのですが、出発直前に二の足を踏ませる一報がありました。

息子の所属する水泳部の父母たちの間で、金曜の晩に皆で飲もうじゃないかという話が盛り上がっており、一軒家を貸し切りにしたから是非集まろうよというメールが届いたのです。うーむ、裕福な家庭の御子息達が通う私立大学に無理して我が子を潜り込ませたまでは良かったけど、こういうの、気が重いんだよなあ。日本人のスタンダードからすれば面の皮はやや厚い方だという自負はあるものの、英語しか通じない初対面だらけのホームパーティーというのは、やっぱり気が進まないイベントなのです。

夜明け前にサンディエゴの自宅を出発し、デンバー空港のレンタカー屋で調達した真っ赤なトヨタ・プリウスに乗り込みます。二時間運転してホテルにチェックイン。休暇前の仕事ラッシュで相当疲れていたし、ちょうど小雨が降り出したこともあり、ベッドに寝転んで長めの仮眠を取ります。夕方に起き出し、予約していたキャンパス近くの高級レストランで息子と待ち合わせしました。順々に再会のハグを交わしてから着席。暫くメニューを眺めた後、「ステーキ頼んでいい?」と、承認を確信しつつもとりあえず正式なステップを踏む、笑顔のすねかじり者。周囲のテーブルには、同じようにこの機会を利用して大学を訪れているのであろう両親との夕食を楽しむ若者たちの姿が、多数認められます。

刻んだミディアムレアの肉片を口に運びながら、近況を語る息子。大学の勉強は刺激的で楽しいこと、水泳部の練習は相変わらずキツイこと、短距離専門のアシスタントコーチが就任して以来、着実に泳ぎが上達していること、今年はバカっ速い新入生が多数入部したため、チームは歴代最強かもしれないこと、仲間たちとの結束は固く、自分は周囲から愛されていて学園の有名人であり、特に後輩たちに慕われていること…。

三年半前に彼が水泳部に入ったと聞いた時は、夫婦で顔を見合わせたものでした。高校時代は水球を愛するあまりか、競泳に対しては嫌悪感を顕にしていたのです。「あんな苦しいだけのスポーツ、誰が好き好んでやるんだよ」とまで毒づいて。それが一体どういうわけで心変わりしたのか、謎なのです。しかも入部時には、周りの選手たちが高校までの実績をベースに奨学金を受けて入学していたことを知らなかったのですね。私だったらそれを知った時点で赤面し、しおらしく退部届を出しているところですが、この若者は臆することもなく日々の猛練習に耐え、最終学年までしっかり生き延びたのです。「高校時代にピーク迎えちゃって大学で伸び悩んでる子もいる中で、僕はまだまだ伸びしろがあるから精神的に楽なんだよ。」そんな風にあっけらかんと話していて、実際に公式タイムもどんどん縮んでいるのです。

食事を済ませ、久しぶりに会う仲良しの先輩たち(卒業生)とアイスホッケー部の試合を観に行く、と言う息子をキャンパスのアイスアリーナ近くで下ろし、父母の集いへ向かってプリウスを走らせます。助手席の妻が、教えられた住所をスマホのアプリに入れてナビ担当。

「あの子のポジティブさには、毎回たまげるね。」

と、息子の明るさにあらためて感心する妻と私。

「友達が多いとか下級生に慕われてるとか、よくまあ平気な顔で言えるよなあ。」

富裕層の白人アスリート集団に、サラリーマン家庭出身の日本人が一人だけ混じっている(しかも元々スポーツマンタイプでは無い)。そんな絶対的アウェイな環境で機嫌よく活躍しているという自己申告に対し、余程おめでたいか強がって大ぼらを吹いているかのどちらかだと決めつけてしまう私。

ビルの立ち並ぶダウンタウンを通過して西に折れ、山へ向かって車を進めると、段々と街燈が少なくなって行きます。月が雲に隠れていて、視界は非常に悪い。

「なんか暗いねえ。」

曲がりくねった急勾配の道路が大区画の敷地境界を舐めるように巡っていて、まばらに建つ特大の豪邸には、人の住んでいる気配が感じられません。

「きっとここって別荘地だよね。」

心もとないヘッドライトを頼りにくねくね道を慎重に進み、あと数ブロックで目的地に到着、という丁度その時、十メートルほど先を何か巨大な生物がゆっくりと横切って行くのに気付き、ブレーキを踏みます。

「クマだ!」

体長三メートルはあろうかと思われる真っ黒な熊が、右の敷地から左の敷地へのそのそと移動し、暗い木立の中に消えて行ったのです。

「え?ここって熊出んの?」

暫くショックで動けなくなった私達ですが、とにかく音と光を発しながら歩くしかない、と車を路肩に停め、携帯電話のフラッシュライトをピカピカ振りまきつつ大声で喋りながらパーティ会場の屋敷へと向かいます。

分厚い大扉を開けると、既に三十人ほどの白人男女が、十二畳はあろうかという大型オープンキッチンのアイランドを囲み、グラスを片手に談笑していました。笑顔で出迎えてくれた婦人に順々に自己紹介して上着を脱ぎます。サンディエゴのニジヤ・マーケットで入手しておいたチョーヤの梅酒とチョコポッキーのファミリーパックを手渡し、集団に合流。

「今、すぐそこにでっかいクマが歩いてたんですよ。」

握手を交わしつつ、次々現れて自己紹介する相手に危険情報を伝える私ですが、皆一様に、

「え?ほんと?怖いわねえ。」

くらいの軽快なリアクション。そして微笑みながらワイングラスを口に運びます。いやいや、これは「駆けつけ一杯のジョーク」じゃないんだけど…。直ちに誰か然るべき役所に連絡してくれるだろうと期待していた私ですが、鷹揚とした人々の態度に、段々居心地が悪くなって来ました。え?これ、僕がおかしいの?

気がつけば、妻と私は新橋駅前のような喧騒の中、声を張り上げて英会話に取り組んでいました。近距離で数十人が一斉に喋っているため、ちょっとでも気を抜くと意識が飛び、ノイズの洪水に呑みこまれそうになるのです。

「うちの子、あなたの息子さんのこと大好きなのよ。」

と、三年生ジャックのお母さん。

「うちの子もそうよ。あなたの息子さんは真のリーダーだって、いつも言ってる。」

同調する他のお母さん。会う人会う人、口を揃えてうちの愚息のことを褒めそやします。二年生の女子のお母さんが、

「うちのライリーはいつも息子さんのことばっかり話すの。とっても慕ってるのよ。」

と言った時、

「ちょっと待って。それ、本当にうちの子のことですか?」

と思わず制止する私。この白人グループ、何か慈悲的な意図から孤独なアジア人をいたわろうと示し合わせているのではないか、と勘ぐってしまうほど薄気味悪い異口同音ぶり。ひとしきり大笑いしたライリーのお母さんが、

「え?知らなかったの?あなたの息子さんは凄い人気者なのよ!」

とダメ押しします。う~む、これはもう認めざるを得ないぞ。息子よ、君はどうやら本当に「リア充」生活を実践しているみたいだな…。

このパーティーで会った人々の見解を総合すると、幼い頃から全米各地で頭角を現し大学にスカウトされる格好でチーム入りした猛者たちの中に、ほとんど競泳経験の無い痩せっぽちのアジア人がふらっとやって来て互角に戦っているというのは、驚嘆すべき偉業なのだという話。

妻がこの時、彼が水泳部に入ろうと決めたのは意外だったし、他の子たちが奨学生として入っていることすら知らなかったと思う、と語ります。そしてこう付け足します。

“He walked in the team.”

「チームにウォーク・インしたの。」

Walk in というのは「アポ無しで乗り込む、飛び込みで」という意味で、レストランや診療所などに予約もせず訪れる時に使う表現。すると妻の話に耳を傾けていた二人のお母さんが脊髄反射的に、

“He walked on.”

「ウォーク・オンしたのよね。」

と素早く同時に訂正したのです。ん?今のは何だ?と違和感が残るほど明確なダメ出しだったのですが、そのまま次の話題に移って行ったのでした。

二時間ほど英語で談笑した後、集中力が限界に近づいて来たので、妻と目配せして「そろそろ私達は…。」と会場を後にしました。山道を慎重に下り、すっかり夜も更けて交通量も落ちたダウンタウンを通過しようとした時、交差点をゆったりと横断する大小の鹿二頭を目撃しました。

「今度はシカだよ。」

「熊に較べればさすがに驚きは少ないけど、冷静に考えればなかなかの光景よね。」

と妻。パーティーで会った人たちは、人家の周りで大型の動物が出没することに慣れているのかもしれないな、と納得する私でした。熊ぐらいでガタガタ騒がないのもそういうわけか、と。僕らもこういう土地に引っ越せば、きっと慣れっこになるのだろう。人は新しい環境に飛び込んでも、丹念にひとつひとつ体験をこなして行くうちに強くなる。うちの息子も、そうして楽しい大学生活を手に入れたのだろう。我々だって、こういうパーティーにちょこちょこ出席していれば英会話力がアップするに違いない…。

「あのさ、さっき君がウォーク・インって言った時、あの人達、ウォーク・オンって言い直したじゃん。気がついた?インとオンで意味がどう違うのかな。」

「うん、私も考えてた。あとで調べなきゃね。」

翌週サンディエゴ・オフィスで、部下のシャノンに説明を求めてみました。

「ウォーク・オンっていうのは、既に出来上がってるチームに後から乗り込んで新たなメンバーとして仲間入りする時に使うのよ。」

とシャノン。

「ウォーク・インは予約無しで行くってことだから、全然別の表現ね。」

念のため、ウェブスターのオンライン辞書も調べてみました。Walk-onという名詞で、

“a college athlete who tries out for an athletic team without having been recruited or offered a scholarship”

「スカウト枠でもなく奨学金も受けずに大学運動部の入部テストを受ける選手」

という解説がありました。

「へえ、じゃあこっちの大学じゃ、あの子の入部方法は本当に一般的じゃないんだね。」

と妻が頷きます。

「それにしてもだよ、」

と私。

「あれだけべた褒めされると、さすがに気恥ずかしいよね。」

「だけど皆、自分の子供のことだって自慢げに語ってたわよ。」

と妻。そう言われてみれば、確かにそうでした。アメリカ人は大抵、たとえそれが身内だろうと、良いところを見つけてとにかく褒める。謙遜などしないし、卑下なんてありえない。「褒め殺し」に相当するワードも、聞いたことありません。このカルチャーはアメリカ社会の隅々まで染み渡っていて、親に褒められた記憶の無い古い日本人代表の私は、思わず首を傾げたくなることもしばしば。

後日息子と電話した時、パーティーで色んな人から君のこと褒められたよと伝えると、即座に

「でしょ。」

と返して来たので、瞬間、「てめー、調子に乗んなよ!」と舌打ちする、頑固オヤジの私でした。

 

2021年10月17日日曜日

No shit, Sherlock! 御名答!


金曜の夕刻、暖簾越しに懐かしい顔が現れました。私の姿を確認するや、ふわりと表情を和らげます。ドアを開けて頭を低くし、ゆっくり入店する金髪の巨人。そして真っ直ぐこちらへ歩みを進め、硬い握手を交わします。

近所のお気に入り店、EE NAMI Tonkatsu Izakaya(ええ波とんかつ居酒屋)で待ち合わせしたのは、元同僚のディック。夏の初めにランチ・ミーティングをして以来の対面です。四ヶ月のご無沙汰でしたが、着席と同時に会話をスタートさせました。まるで前回のリハーサルで中断していた新曲の練習を、一瞬の目配せだけで再開するボーカル・デュオのように。

二人共自宅からリモートワークを続けていること、仕事は大変だけど何とか凌げていること。ディックは最近同じ職場で二人の同僚が立て続けに亡くなり、精神的なダメージを受けていること。しかも知識労働市場の流動化が加速していることもあり、彼の周囲では転職熱が高まっている。新顔の彼が、既に人員の流出を食い止める側に立っている、などなど。

「息子くんはどうしてる?」

とこちらに話を振るディック。

「勉強、スポーツ、パーティー、とキャンパスライフを大いに楽しんでいるみたいだよ。」

と私。我が家の大学生は途方も無い楽天家であり、その自信過剰ぶりは悠々とK点超えしています。もはや「愚か者」ゾーンに着地しているかもしれないことに、当の本人が気付いていない。「全学年で僕のこと知らない奴はいない」とか、「水泳部の次期キャプテンには僕以上の適任者がいない」とか、ただ笑うしか無いお気楽発言を大真面目にかましてくる。

「あの年頃って、ホントそうなんだよな。」

とディック。サウスダコタの田舎町で、小学校から高校卒業まで学年トップの地位を守り抜いた彼は、州のエリートが集う工科大学に進むのですが、そこで生まれて初めての挫折を味わったそうです。

「俺、それまで一度も能動的に勉強したことが無かったんだ。予習復習してしっかり授業に集中するだけで、トップの成績が取れてたから。ところが大学じゃ、そのやり方が通用しない。どんなに頑張っても、対象を理解出来ない状態が延々と続くんだ。あれは恐怖だった。」

それでも何とかコツを掴み、最終的には優秀な成績で卒業したディックは、難関の大学院へ進みます。あの経験で余計に自信過剰が増長しちゃったな、と笑う巨漢。そして肩を怒らせ、スーパーヒーローみたいに両手の拳を固めて力みます。

“The world would bend if I flexed.”

「俺がちょいと筋肉膨らませりゃ世界の方で歪んでくれるってね。」

社会に出れば、どうしても越えられない障壁にぶつかる時が来る。その衝撃に備える意味でも、今は目一杯栄養を摂って心身を強化すべきだ。若い時期は、自尊心を傷つけるノイズなど不要である。

「ま、あまりにも膨らませ過ぎるとそれはそれで危険だけどな。」

とディック。おっと、それで思い出した。

「息子がさ、O Chem(オーケム)落としたって電話で言って来たことがあってさ。」

オーケムとはOrganic Chemistry(有機化学)のこと。落第点を避け、教科まるごと学期途中でドロップしたという息子。単位を落とすなどという屈辱的な決断をさらりと報告され、唖然とする私。理由を尋ねると、

「だって難しすぎるんだよ。赤点取って総合成績下げるよりましでしょ。」

はあ?なんだその被害者的開き直りは?難しいからこそ学ぶ価値があるんじゃないか!

「俺もオーケムには苦しんだよ。」

とディック。どうやらオーケムは、理科系でも最高難度グループに属する科目みたいです。

Mr. Sherlock(シャーロック先生)っていう生真面目な教授が教えてたんだけど、宿題もテストも常に膨大なんだ。しかも授業の進捗と試験範囲とがきっちりシンクロしてなかったりしてさ。ある時、及第点取れた学生が全体の16%しかいないという異常事態に陥った。」

その結果を発表した先生が、静まり返った学生たちを見回し、神妙な面持ちでこう言ったのだそうです。

「色々調べてみて分かったんだが、どうやら今のやり方だと君たちの大半がついて来れないようだね。」

すると教室の後ろの方から、誰かがこう叫んだのだと。

“No shit, Sherlock!”

「ノーシット、シャーロック!」

これには思わず笑った私ですが、探偵界のスーパーヒーローであるシャーロック・ホームズと担当教授の名前をかけた駄洒落、という点しか理解出来ませんでした。後で調べたところ、No shitというのは「正解、その通り」という意味であり、シャーロックを付け加えると、「さすが名探偵」という皮肉が足されるのだそうです。

“No shit, Sherlock!”

「御名答、さすが名探偵!」

教室中が爆笑したことはもちろん、先生も吹き出したそうで、ふざけた学生が咎められることは無かったとのこと。

さて、ヒレカツ定食は人生初だというディックに、ソースとマスタードを混ぜて味付けする方法を教えると、その美味しさにしきりに感心します。

Black Porkって何?」

とメニューを観ながら質問する彼に、日本では黒豚という品種の肉が珍重されており、特に美味であるイメージを多くの人が持っている、と説明します。

「外見が黒いばっかりに、可哀想になあ。」

と笑うディックに、さっき鑑賞を終えたばかりの映画の話をします。

ヴィゴ・モーテンセン主演のGreen Book(グリーン・ブック)は、1962年のアメリカを舞台にしたロード・ムービー。黒人差別という重いテーマが軸になってはいるものの、私が気に入ったのは、カルチャーも哲学も共通点ゼロの男たちが、何度も衝突しながら最終的に友情で結ばれる、というストーリー。

「気付いたんだけどさ、僕はこのロード・ムービーっていうジャンルに、特に惹かれるんだ。ミッドナイト・ラン、サンダーボルト、レインマン、などなど。分かり合うことなど到底出来そうもない二人が、色々あって一緒に旅路を進む羽目になる。仕方なく力を合わせて葛藤に立ち向かううち、心を開いて行く。そして違いを認めたままお互いを受け入れ、リスペクトを覚え、固い絆を結ぶ。人間関係の構築や継続がいかに困難かを日々味わっている観客に、熱いミラクルを見せてくれる。それも、信じることが出来そうなレベルのね。」

「うん、分かる。違いを認めたまま受け入れる、というところが大事だよな。」

とディック。我社で昨今横行している、過去に会ったこともこれから会うことも無いであろう人達とチームを組み、難しい仕事を進めて行く、というやり方。東海岸のリーダーが西海岸のチームに、フィリピンやルーマニアの社員を使ってプロジェクトを進行せよ、と指示を出す。ビデオ会議でも顔を出さず、お互いの名前をどう発音するのかも分からぬまま。こんな手法で上手く行くわけがないことは、ロード・ムービーを三本ほど観れば誰でも気が付くでしょう。信頼関係を築くには、長い時間をかけて衝突や和解を繰り返す必要があるのだから。

思い返せば、ディックと私は過去十年に渡り、何百時間も会話を重ねて来ました。苦楽を共にした仲間、と言っても過言ではありません。彼が突然姿を消し、一ヶ月以上も復帰して来なかった時は随分気を揉んだものでした。ストレスが蓄積して追い詰められていたところに盲腸が破裂し、長期間の自宅療養を余儀なくされた後、まるで二十代に戻ったかのようにリフレッシュして職場に現れた彼。

「いやあ、あん時は本当にほっとしたぜ!」

と、ヒレカツを頬張りながら笑う私。すると突然ディックが箸を起き、静かな口調でこう言ったのでした。

“Thank you for always being there for me.”

「いつも味方でいてくれて有難うな。」

ふと見ると、彼の両目が赤くなっています。おいおいやめろよ、そんなあらたまって!

「そうだ、久しぶりに英語の質問があるんだけど。」

と話を変える私。

「名詞から始まる映画のタイトルがあるでしょ。その中に、Theが付くものとそうで無いものがあるじゃない。例えば、ターミネーターの最初のバージョンはThe Terminator なのに、続編はTerminator 2なんだよ。サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)はTheで始まってる一方で、アバター(Avatar)のように、無冠詞で押しているものもある。この違いは何?印象に差異は出るの?」

これにはぐっと詰まってしまうディック。

「いい質問だなあ。はっきりした答えは出せそうに無いよ。考えたことも無かった。アメリカ人の99%は、ターミネーターにTheが付いてたかどうか聞いても答えられないと思うな。もちろん定冠詞の目的は対象の特定や強調だけど、果たしてその効果が映画の印象に影響してるかどうか疑わしいよ。」

それから、何かを思い出してクスリと笑います。

「オハイオ州立大学にはThe が付いてるって知ってた?」

全米に大学は何百とあるけれど、名前にTheが付いている大学はここくらいじゃないか、とディック。

「あそこの卒業生に、Ohio State Universityの出身なんだって?って聞いてごらん。十中八九、”The” Ohio State Universityだよって言い直されるから。」

またしても、英語という言語のいい加減さを物語るエピソードでした。

食事を終え、ディックを自宅へ招きます。我が家は水曜から妻が里帰りしており、久しぶりの独居生活。ダークローストのコーヒー豆を挽き、ドリップしてもてなす私。

「水曜から今日まで有給休暇を取って、五連休にしたんだ。」

この三日間、好きな時間に起きてひたすらボーッとし、好きな本や映画を楽しみ、ギターを奏でたり、食べたい物を料理して来た私。

「過去十ヶ月間戦ってきたストレスフルな環境から抜け出して、オールリセットするのがこの連休の目的だったんだ。とにかく好きなことばかりしてやろうってね。その仕上げが、会いたい人に会って楽しく喋る、という今日の企画。」

マグカップの取っ手に差し入れた二本の指をじっと見つめてから、満足げに頷くディック。

「そう言えばずっと前に、古い白黒作品の話をしてくれただろ。あれ、なんてタイトルだっけ?」

Summer with Monika(邦題「不良少女モニカ」)のこと?」

「あ、それそれ。そのうち観たいと思いながらも、なかなか決心がつかないんだ。」

だいぶ前にこの映画の話をした際、ディックの最初の結婚が失敗に終わった話を聞きました。どうやらあらすじがこの時の彼の経験と重なっていそうなので、古傷を刺激するのもちょっとね、というところで落ち着いたのです。

「人生で色んな挫折を経験して来たけどさ、そのたびに何とか乗り越えて来た。そしてそれをパワーにして来たとさえ思う。それなのに、離婚の記憶と向き合うことにはまだ躊躇してる。なんでだろうな。」

高校時代のクラスメート。別々の大学に通いながらも関係を続け、もう待てないと訴える彼女の要求を受け入れ、卒業と同時にゴールイン。三年間の大学院時代、毎日二十時間近く勉学に集中しつつ、ありきたりの新婚生活が出来ない状況で何とか関係を維持しようとするも、根本的な価値観の違いが次々に露呈。過保護な父親のおかげで困難な挑戦から逃げるのが常の彼女と、努力して目標を達成する主義のディック。結婚直後から、離婚は頭にちらついていた。それでも迷い続けたのは、「どんな問題でも必死に頑張れば解決出来る」という信念にとらわれていたから。

親しい誰かに相談は出来なかったの?と尋ねる私。

「親父に話してみたよ。だけど彼はそもそも俺の思想の教祖みたいなもんだからね。努力が足りないって思いが強まっただけだった。結局、余計に自分を責めることになった。」

弛まぬ努力により問題解決を重ねて来た者は、そのテクニックを人間関係にも応用出来ると思いがちです。でも、そもそも育った環境や信仰の異なる二人の人間が分かり合えること自体、奇跡だと思う私。

「そっか、ミラクルか。」

と考え込むディック。

「そう思うよ。人間関係ばっかりは、どんなに努力したところで改善には限度がある。皆それぞれ違う方向に違うスピードで成長してるんだしさ。だから、数ヶ月とか数年に渡って誰かと良い関係が築けてる時は、その幸運にとにかく感謝するのみだな、僕は。」

「そのアドバイス、あの頃に聞きたかったぜ。」

とディック。

「でもさ、こういうことって、すごく苦しんだ末に漸く自分なりの答えを出せるってもんじゃない?回答がストレートであればあるほど、見つかりにくい気がするな。」

と私。

「僕はこの数ヶ月間、ずっと苦しんでた。物事がうまく行かないのは、自分の努力が足りないからだと思いこんでたんだ。もっと頑張んなきゃってね。振り返ってみると、問題の大半は人間関係絡みで、とても一筋縄じゃいかない。長いこともがいたけど、諦めることにした。自分はスーパーヒーローじゃないって潔く認めて、戦うのを止めたんだよ。そしたらさ、急に周りがクリアに見え出した。自分が影響を及ぼせる範囲だけに意識を集中してコツコツ努力を続けることにしたんだ。そしたら、なんだか懐かしい喜びが蘇って来てさ。本当に久しぶりに、暗い地下室から抜け出せた気がするよ。」

この独白に近い私の話を静かに頷きながら聞いていたディックが、少し間を置いてこう言いました。

「ひとつだけ、同意出来ないことがある。」

え?何?と続きを待つ私。ニヤリと笑うディック。

“You are a superhero to me.”

「君は俺にとってのスーパーヒーローだよ。」

 

2021年9月26日日曜日

エリンとアーロン


先週木曜日の午後、東海岸のブライアンが招集した電話会議に出席。私の所属する部署の若手社員Dianaが会社認定のPM資格を取得しようとしていて、その最終面接に立ち会う、というのが目的。

「ハイ、シンスケ!」

微かに緊張を滲ませた笑顔で画面に登場した受験生の顔を見て、コロナ前にオフィスのランチルームで何度か出くわしていたものの言葉を交わしたことは無い女性だ、ということに気づきます。マイクロソフト・ティームズの出席者アイコンには名前が記されているので字面は確認出来て当然ですが、初対面の人が大抵つまずくShinsukeの発音を難なくこなしたという事実に、ちょっと感動していた私。それにしても、初めて会話する相手に下の名前で呼びかけるというこのアメリカンな習慣、渡米後二十年以上経つってのに未だに慣れないんだよなあ…。

実を言うと私、数十秒遅れで画面に現れた彼女の上司ジェナが「ハイ、ディアナ!」と言うまで、Dianaをどう読むべきか迷っていたのです。あ、そうなんだ、ディアナって読むんだ。良かった、反射的に「ハイ、ダイアナ!」って返さないで…。

ところがそうやって胸を撫で下ろしたのも束の間、この面接を仕切る還暦超えのブライアンがいきなり、

「さてダイアナ、最初の質問なんだが…。」

とスタートしたのです。えっ?今さっきジェナが「ディアナ」って呼ぶの、聞いてなかったの?

あろうことか、ジェナも、そして当のディアナも眉一つ動かさずこれを受け流し、ブライアンの「ダイアナ」連呼は面接終了まで延々と続いたのです。もしも僕が「シスケ」とか「シンスーク」とか呼ばれたら、ならべく早い段階での訂正を願い出ると思うんだけどなあ。なんで誰も何も言わないの?

実はこの手の疑問、今に始まったことじゃないのです。二年ほど前のある日、オフィスの一階上で働く若手社員のMeghanに、

「あのさ、君の名前だけど、ミーガンとメガンのどっちが正しいの?」

と尋ねました。イギリスのノーベル賞作家ゴールズワージーの短編「林檎の樹」に登場するキャラクターに同じ名前の女性がいて、学生時代に新潮文庫で読んだ時は「ミーガン」、数年後に書店で角川文庫版を開いた時には「メガン」になっていた。既に僕の中では完璧な「ミーガン像」が出来上がってんのに、後になって実はあれ、メガンが正しいんだって言われても困るんだよね。新潮と角川と、どちらに軍配が上がるのか?人生を左右するほどの重大テーマでも無いんだけどずっと気にはなっていて、同名の人物が実際身近に現れるまでそのチャンスを窺っていたのです(三十年以上も!)。

「ミーガンでもメガンでも、どっちでもいいのよ。」

とこの時、予想外の反応が返ってきます。

「いやいや、でもさ、私はこっちで呼ばれたいとか、親はこう読ませようとしたってのはあるんでしょ。」

と食い下がる私。

「ううん。特に無いわ。本当にどっちでもいいの。」

呆然と立ちすくむ私。おいおい自分の名前だぞ、そんないい加減な回答アリなのか?釈然としないまま、お礼を言って立ち去るのでした。

話変わって今週木曜の夕方、18ヶ月前に転職した元同僚のリチャードと、久しぶりの再会を果たします。場所は、去年近所にオープンしたEE NAMI Tonkatsu Izakaya(ええ波とんかつ居酒屋)のパティオ席。

「これ、なんて読むの?」

と挨拶もそこそこに質問してくるリチャード。

Eを二つ並べて、ええって発音させるみたいなんだ。」

「ふーん、そうなんだ。どういう意味なのかな?」

ここは大阪風とんかつ屋で、「ええ波」というのは「良い波」の関西弁。「ええ」の響きを表現しようとした結果、こういうアルファベットの使い方になったんじゃないか、と持論を述べます。Aひとつだけだと「エイ」になっちゃうからね。果たしてEEと書いたところでアメリカ人が「ええ」と発音出来るかどうかは謎だけど、と。それに対してリチャードは同意も反論もせず、さも感心したように頷くのでした。

そして間もなく運ばれて来たジューシーな極上ヒレカツ定食セットを味わいつつ、テーブルを挟んでお互いの「その後」をシェア。乗員数万人を擁する巨大タンカーから総員14名のスピードボートに乗り移ったリチャードは、彼を引き抜いた元同僚のジャック(御年92歳)とともに大活躍しているのとのこと。

「給料は大幅に上がったし、Utilization(稼働率)のプレッシャーも無いし、チームとしての意識はすごく高い。皆がお互いを気遣っていて、どんなに忙しくてもストレスを感じないんだ。社長はエコ意識が高くて、電気自動車が買いたいという勤続五年以上の社員には、補助金一万ドル出すって言うんだぜ。最高だろ。」

転職直前には、これが本当に正しい選択なのか随分迷った、とリチャード。

「大正解だったね。良かったじゃん。」

と私。

「シンスケは転職考えてないの?来てくれって言う人はいっぱいいるんじゃない?」

「うん。考えてはいるよ。でもね、僕にはチームがあって、これを盛り上げて行きたいって気持ちが強いんだ。」

部下達との年度末業績評価面談を前日に済ませたばかりだった私は、彼等の発展を真剣に考えていたタイミングだったのです。リチャードの転職先より世帯がデカい、今の私のチーム。メンバー達全員が日々幸せに働けるような環境を整えたいという気持ちは、彼のボスと何ら変わりません。そんな野心すら吹き飛ばしてしまうほどの圧倒的好条件を突きつけられれば、話は別ですが…。

加えて、面と向かってリチャードに伝えるのはさすがに思いとどまったのですが、実は「大企業に身を置く」こと自体のメリットも見逃せないファクターなのです。会社の規模が大きいということは関われるプロジェクトのバラエティも豊富だし、仕事の発展性だって変わって来ます。出張でフロリダやモンタナやユタやハワイ、そしてオーストラリアまで訪問出来たのも、大会社勤めの役得。そして何よりその過程で、才能溢れる何百人もの痛快キャラと知り合いになれたことは、絶対無視できない魅力なのです。つまり今のところ、私小説の味わいより大河ドラマの興奮を選択している私。

「あ、そうだリチャード、ちょっと英語の質問していい?」

同じ屋根の下で働いていた頃は、頻繁にこの手の質問をビシビシ投げ込んでいた相手です。当時を思い出し、つい顔がほころんでしまう私。彼の方も懐かしそうな表情を浮かべ、バットを構えて私の投球を待ちます。

「名前の読み方なんだけどね…。」

ちょっと前に部下のシャノンが、こんな話題を持ち出して笑ったのです。

「全く紛らわしくて困っちゃうわよね。プロジェクトチームに同じ読みの名前が二人いて、しかも綴りが全然違うなんて…。」

暫くの間、一体誰の話なのか分からず戸惑う私でしたが、ようやく理解に至ります。彼女がサポートしているプロジェクトマネジャーのErinと現場のトップAaronの名前が、どちらも「エレン」と読めるっていうのです。つまり「エレンが二人いる」と。

「え?全く同じ発音だって言ってるの?ちょっとの違いはあるんでしょ?」

「ううん。完全に一致してるのよ。」

俄には信じ難い説。日本人の私が普通に読めば、Erinは「エリン」、Aaronは「アーロン」です。それがどちらも「エレン」と発音されるため、耳で聞いただけでは誰の話題か分からない、というのがシャノンの主張。

「その通りだね。全く同じ発音だよ。」

ああそんな話か、と拍子抜けしたようにシャノンに同意するリチャード。

「ええ?だってさ、Aが二つ並んでるんだぜ。それをエって発音するなんておかしいでしょ。」

「うんそうだね、英語ってつくづく不思議な言語だよね。」

おいちょっとちょっと、それでおしまい?

「あ、そうだ、ミーガンとメガンはどう?」

と畳み掛ける私。どっちでも良いというのはいかがなものか。子供に名前をつける際、どう発音するかまでセットで考えないのか。対してリチャードは、またしてもそれが何故疑問なのかすら理解出来ない面持ち。

「うん、どっちの読み方も有りだよ。」

「じゃあさ、じゃあさ、」

これはもう、内角高めを抉る決め球を投じるしかない。

「誰かが初対面で君のことをリックとかディックとか呼んだらどう思う?ちょっとイラッとしたりするんじゃない?」

Richardというのは、リチャード、リッチ、リック、ディック、と多彩な変化型を持つ名前です。

「僕は長年リチャードって呼んでるけど、周りの皆がそういう呼び方をしてたから倣ったのであって、君自身が認める正式呼称なんだと思ってた。なのに君のことをまだ良く知らない人がいきなり違う呼び方して来たら、さすがに何だこいつはって思うでしょ。」

「いや、全然。きっとその人は知り合いに別のリチャードがいて、彼のことをリックとかディックとか呼んでるんだろうな、と思うだけだよ。」

そして彼の次の一打で、全身の力が抜けたのでした。

「そういえば、うちの親父は僕のこと、ディッキーって呼んでるよ。」

アメリカ人にとって、名前は記号に過ぎない。読み方なんてどうでもいいのだ。このお題に関する追究は、この日の晩できっぱりと終止符を打たれたのでした。

 

2019年7月14日日曜日

Throw down 闘いを挑む


木曜の12時は、ランチ・デリバリー付きのチーム・リーダー会議でした。数か月前に部門長へ昇格したセシリアが司会進行する隔週ミーティング。サンディエゴ支社環境部門のマネジャーが集まって情報交換をするのが主目的です。この会議に参加するたび、うちの職場の女性優位を意識させられる私。この日もセシリアの他、クリスティー、ヴァレリー、リンジー、そして特別参加のテリー(セシリアの前任)、と女性ばかり。いつもはここにジャクリンとヤラ(もちろん女性)も加わるのですが、この日は欠席。しかしそれでも圧倒的なアウェー感に変わりありません。

「みんな、サーベイ・レポート持って来た?」

とセシリア。最近、会社が去年行った社員意識調査(Engagement Survey)の結果が出て、チームごとのレポートが作成されていたのです。これを持ち寄って皆で意見交換をしましょう、と呼びかけていた彼女。壁の大型スクリーンに自分のレポートを映し出し、ディスカッションをスタートするセシリアですが、私はちょっと居心地の悪い思いでいました。

調査結果は八項目に分かれていて、それぞれ五点満点での点数が記されています。画面に表れているレポートは、セシリアを上司に持つ(私を含めた)社員の出した答えの集計結果なのです。直接的ではないにしろ、彼女に対する部下からの評価が色濃く反映されているはず。それをあからさまにさらけ出すなんて、随分な度胸だなあ…。

「みんな、一番点数の高かった項目と最低点だった項目を教えて。」

ヴァレリーが自分のチームの調査結果を述べ、私の順番が来たので正直に報告します。

「ええと、第五問のMy teammates have my back(チームメンバーが常にサポートしてくれている)と第八問のIn my work I am always challenged to grow(業務は常にチャレンジングで私を成長させてくれている)が最高点で…。」

すると横でサラダを食べながら話を聞いていた元ボスのテリーが、私の手元のプリントを躊躇なく覗き込み、感嘆の声を上げました。

「あら、その二つとも満点じゃない。しかも他に二問、4.75ってほぼ満点なのもあるわ。すごいじゃない!」

そう、どうやら私のチームの調査結果は、他と比較して断トツの高得点だったのですね。

「素晴らしいわ。シンスケのチームは本当にまとまってるし士気も高いわよね。」

と手放しで褒めるセシリア。う~む、これはこれで決まりが悪いぞ。

議題が変わり、今度は「社員トレーニングをどうやって全員に受けさせるか」というテーマになりました。我が社では、「安全行動トレーニング」や「セクハラ対策トレーニング」など、全社員が必ず受けなければならないオンライン・トレーニングがあるのです。期限までに終わらせない社員が毎年必ずいて、これがマネジメントにとって頭痛の種になっています。

「ちょっとしたアイディアなんだけどさ、チームで競わせるっていうのはどう?」

と私。皆忙しいので、この種のトレーニングはなかなか優先順位の上位に入って来ません。個人に委ねていると、どうしても後回しになってしまう。ならばメンバー全員が終了した時点でそのチームはゴールイン、というルールを作って社内で競争すればいいんじゃないか、という提案でした。チームの結束を強めることにもなるしね、と。

その時突然テリーが大声を上げて笑い、こう言ったのです。

“Wow, Shinsuke is throwing down!”
「あらあら、シンスケがthrow downしてるわよ!」

他の女性たちも、つられたように一斉に笑い出します。ほんの一瞬怯んだ私ですが、すぐにあっはっはと笑いに加わるのでした。

ミーティング後、さっそく物知りの同僚ジョナサンを訪ねます。二つのモニターとラップトップの画面を駆使し、データ分析に集中している様子。私の気配に気付き、にこやかに振り返ります。

「あのさ、今ちょっといい?会議でテリーにShinsuke is throwing downって言われたんだけど、どういう意味か教えてくれる?」

実はこの時、久しぶりに若干ローになっていた私でした。Throw Downを字義通り「投げおろす」と解釈したため、テリーのコメントは全くの意味不明でした。シンスケが投げおろしてるわよってどういうことだ?と。それなのについ調子を合わせて笑ってしまった私。新しい英語表現が理解出来ない場合は落ち着いてやり過ごすか、間髪入れず「え?どういう意味?」と尋ねようとずっと心に決めていたのに、大勢で笑う女性陣のプレッシャーに耐えきれず、ごまかし笑いをしてしまったのです。つまり、敵前逃亡をしたわけですね。くそっ、なんて情けない…。胃の辺りに、いや~な気分が拡がります。

Throwing up じゃなくて?」

すかさず茶化すジョナサン。

「いや、そっちの表現は知ってるよ。」

と私。Throw up は「(げろ)を吐く」ですね。

「文脈から判断するに、それはThrow down the gauntlet の短縮形だね。」

とジョナサン。

「え?gauntlet(ゴーントレット)ってあの、running the gauntletでおなじみの?」

「いや、それはまた別の慣用表現なんだ。gauntletってのは甲冑の手袋部分のことだよ。」

「あ、そうなの?じゃあThrow down the gauntletっていうのは?」

「ほら中世でさ、決闘を申し込む時に手袋を地面に叩きつける風習があったろ。だからthrow down the gauntletで、闘いを挑むっていう意味になるんだ。後半は言うまでもないからって省略しちゃう人が多いね。」

つまりテリーは私の提案を受け、「シンスケが自分の超強力チームを率いて他チームを打倒しようとしてる」とからかったのですね。

“Wow, Shinsuke is throwing down!”
「あらあら、シンスケが戦いを挑んでるわよ!」

毎度のことですが、throw downみたいなごくごく基礎的な単語でも、結合させるやいなやとんでもない破壊力を発揮する今回のようなケースに出くわす度、英語学習の道のりの長さに愕然としてしまう私です。それにしてもジョナサンは、いつ何時どんな挑戦でも受けてくれるなあ、と感謝の気持ちを新たにしました。

「いつもいつも仕事中に悪いね。おかげですごく勉強になってるよ。有難う。」

彼の席を後にする私。するとその背中を追いかけるように、彼がこう言ったのです。

“I enjoy our jousting matches.“
「こっちもジャウスティングの闘いを楽しませてもらってるよ。」

はたと足を止め、くるりと振り返る私。

「え?今なんて?」

「ジャウスティング、知らない?」

とジョナサン。

「ほら、甲冑を身にまとった男たちが槍を持って馬に乗り、両側から走って来て一騎討ちっていう中世の競技があるでしょ。」

「あ、それ見たことある!ジャウスティングって呼ぶのか。知らなかった。有難う。」

予測不能な質問を抱えて突き進んで来る私を敵対する騎士と見なし、「丁寧で簡潔な回答」という槍で突き返す自分を馬上の戦士に見立てたわけですね。私の質問した英語表現が中世に起源を持つものだったことから、さっそく「中世繋がり」の言い回しでコメントを加えるという、どこまでも心憎い機転の利かせぶり。

まいりました。完敗です。

2018年3月4日日曜日

He drives me nuts! あいつホントあったま来る!


金曜のランチタイム。ちょうど同僚ディックとポーラが両隣で昼食をとっていたので、英語の質問を投げかけてみました。

「あのさ、You drive me nuts!っていうフレーズあるでしょ。これってどうして複数形なの?」

ここ数週間、オレンジ郡のプロジェクトを巡る社員間のバトルに巻き込まれています。ベテラン・エンジニアのカールは、長年技術屋一本でやって来た初老の偏屈オヤジ。去年の春に晴れてPM職についたものの、社内ルールがややこし過ぎて仕事にならん、と悪態をつき続けています。我が社でPMとして認定されるには、特定技術分野の実績だけでは不十分で、財務分野の基礎知識と高い事務能力が要求されます。そんな中カールは、

「PMはクライアントを満足させることに集中すべきであり、社内の事務は他の人がやるべきだ。」

という独自の仕事論を貫き通そうとしています。特に請求書の作成プロセスには不満たらたらで、

「メールで指示するのではなく、オンラインのシステムを使って下さい。」

と再三言われているのに、構わずこまごました変更要請をメールで送りつけるのです。しかも一旦「最終稿」となった後でも、やっぱりここを修正してくれ、と言ってくる。あからさまなルール違反を何十回も食らわされているシカゴのジャッキーは、私が最も信頼しているビラー(請求書作成のプロ)。一度も会ったことは無いのですが、特別目をかけていることは彼女も分かっていて、他の人に言えない不平不満があると私にすかさずテキストメッセージを送って来るのです。金曜日の午前中も、彼女を侮辱するような一斉メールをお偉方を含めた複数の社員に送信したカールに、ジャッキーがブチ切れたのですね。

「請求書の下書きに対するコメントを何度催促しても返事せず、締め切りギリギリになって大幅な変更をメールで要求して来る彼を、その度に許して融通を利かせて来た。なのに己の非をちらりとも顧みず、名指しで私を批難するなんてどういうつもりよ!」

そういう流れの中で飛び出した一言が、

“He drives me nuts!”
「彼は私をナッツにするわ!」

なのです。さすがにアメリカ暮らしも長いので、nuts(ナッツ)が「クレイジー」という意味であることは知っていました。「相手をクレイジーにドライブする」、つまり怒らせる、ということなので、私の訳はこれ。

“He drives me nuts!”
「あいつホントあったま来る!」

でもあらためて考えてみると、何故これが単数形のnutではなく複数形のnutsになるのかが、どうしても理解出来ないのです。

「言われてみれば、そもそもnutがどうしてクレイジーという意味なのかも知らないわ、私。」

と右側からポーラ。ジャッキーのテキストに返信した後ネットでひとしきり調査したものの、確たる語源が見つけられなかった私は、勝手な自説を披露します。

「僕の解釈ではさ、頭蓋骨の内側に脳みそじゃなくてナッツが詰まっている人をイメージして、クレイジーな状態を表現してるんじゃないかって思うんだよね。」

「あら、それはかなり納得の行く説明ね。」

「まあそれは置いといて、Drive someone nuts(相手をイラつかせる)というフレーズでは複数形が使われてるわけでしょ。ここは単数形であるべきなんじゃないの?なんで複数にする必要があるの?」

ディックの方へ向き直ると、はっとするほど決まり悪そうな笑顔で黙り込んでいます。そしてようやく口を開くと、

「初めてだと思うけど、完全に降参だよ。」

と顔を赤らめました。彼はこれまで、私のどんな質問にでも必ず納得の行く回答を提供し続けて来たのです。

「もっともらしい説明が何ひとつ浮かんで来ないな。まるで幾何学のテストで、直角三角形の一角が90度であることを証明せよって言われているような気分だよ。そうだからそうなんだとしか言いようが無い。」

ふ~ん、これってそれほどの難問だったのか。恐るべし、ナッツ…。

「しょっちゅう耳にするフレーズだけに、気になるんだよね。複数形の名詞を単数であるべき文脈で使うなんて、僕のような英語学習者にとってチャレンジング過ぎるでしょ。」

右側を見ると、ポーラが宙を見上げたまま考え込んでいます。左のディックも、微かな笑みを浮かべて押し黙ったまま。折角ランチタイムを楽しんでいた二人の同僚たちを黙らせてしまったことを後悔し始めた私は、やや慌ててふざけ気味にこう言いました。

“That drives me nuts!”
「ほんと、あったま来るよネ!」

この中途半端なボケは当然ながらスルーされ、気まずい沈黙だけが残りました。

もしかして、異常に細かい英語の質問を同僚達に浴びせ続けている私は、知らぬ間に彼等をDriving them nutsしているのかもしれない、とちょっぴり不安になったのでした。

2018年2月25日日曜日

Esoteric Word エソテリックな単語

先日、中堅PMのアレックスと会議室に腰を据え、本社副社長パットとのウェブ会議を開きました。PMトレーニングの準備が大詰めを迎えていて、この会議の主目的は、アレックスが準備したパワーポイント・スライドの詳細調整。

毎週月曜の朝、全米のPM達はパットから定型メールを受け取っているのですが、ここに貼られたリンクをクリックすると、自分の担当プロジェクトの最新コストレポートへ飛ぶ仕掛けになっています。膨大なデータをピボットテーブル化したフォーマットなのですが、どこをどう触ったら知りたい情報が出て来るのか、直感的には分からないデザイン。まるで寄木細工のパズルを、使用説明抜きでいきなり手渡した格好です。受け取ったPM達がひとしきり格闘した挙句、フラストレーションを溜めたまま「なんだこの役立たずなレポートは!」と放り出すという、憂慮すべき事件が多発しています。

「上層部から、レポートの使用法を解説するトレーニングを一刻も早く実施しろっていう強烈なプレッシャーがかかってるの。」

とパット。本社プロジェクト・コントロール部門は、立ち上げからまだ二年ほどしか経っていません。部下も予算もほとんどあてがわれていない彼女は、何をするにも私やアレックスのような有志のボランティア活動を当てにするしかない。これまでの我々の貢献に対する感謝の言葉を述べつつも、事態の緊急性を訴える彼女。

東海岸に住んでいるのでまだ直接の対面は果たしていないものの、過去何十回にも及ぶ対話で絆を深めて来たパット。今ではまるで家族のように思えるほどの存在です。そんな彼女の立場を脅かす事態は、もはや他人事ではない。無慈悲で理不尽なレイオフが頻発している昨今、ピンチの芽は早めに摘んでおかないと、取り返しのつかないことになるのです。

「今月末までに絶対完成させよう!」

と一致団結した我々三人。細かな内容の吟味に入ります。

「あのさ、質問していい?」

とまず私が口火を切ります。アレックスのスライドのしょっぱなに「週刊コストレポートの意義」を謳うくだりがあるのですが、「Aberration(アバレーション) をタイムリーに発見して対応する」という一節で私の思考が止まってしまったのです。

「アバレーションって、どういう意味なの?」

こんな単語、見たことも聞いたことも無いぞ…。誰でも知ってる言葉なのかな?

「そうね、これは変えた方がいいかもね。」

と、単語の解説をすっ飛ばして修正を促すパット。アレックスもこれに応え、

“Yes, it’s a bit esoteric word.”
「そうだね、これはちょっとエソテリックな単語だね。」

と呟いたのです。ん?エソテリック?なんだそりゃ。おいおい、こっちは「アバレーション」の意味が分からないから解説をお願いしているのに、更にもう一枚謎を上乗せして来るのかよ。

どういうわけかパットもアレックスも、私が彼等と同レベルの英語力を備えていると誤解しているようで、まるで私がその意味を知った上でわざと遠回しに、

「大衆にも理解出来るようもっと平易な単語を使うべきではないかな、諸君?」

と提案したものと勘違いしたようなのです。こうなると、さすがにもう「エソテリックって何?」とは聞けません。無表情で頷き、追究を諦めるのでした。

ここ数年、こういう不思議な誤解を受ける頻度は上がっています。勤続15年を超えて周りからベテラン視されるようになり、「英語学習中の外国人労働者」というイメージがだいぶ薄まって来ているようなのです。バリバリのアメリカ人から、「ほら、70年代のテレビドラマの〇〇でこういうギャグがあったでしょ!」と同意を求められて面喰うこともしばしば。おいおい、なんで僕が幼少期からこの国に住んでたって決めつけるんだよ?どっからどう見ても外国人でしょ。

冷静に考えてみれば、度々経験するこうした「買い被り」は、私の英語力が向上していることの証に他ならず、素直に喜ぶべきなのかもしれません。しかし、これは若い英語学習者の多くが予想もしていないであろう展開なのです。

「英語をマスターしたい」と強く思っていた二十代、金髪で青い目のベッピンさんと楽しく会話ができればもうそれでゴール達成でした。しかしそのゴールラインを超えた時、まだまだ先に道があることに気付くのです。

英語で授業を受ける
英語でスピーチする
英語でトレーニング講師を務める
英語で国際政治論を…

年齢を重ねるに連れて社会における立場も変わり、周囲の要求レベルもせり上がって行くため、「まだ英語をマスターしてない」状態はいつまでも続くのです。語学の学習というのは、進んでも進んでも頂が見えない霧の中の登山みたいなものなのですね。

さて、アレックスとパットとの会議が終了し、席に戻ってさっそくネットで調査。

Aberration(アバレーション)とは、対象が常軌を逸脱すること。今回のケースでは、プロジェクトのコストが暫く一定のトレンドを見せていたのに、ある週になって突然数値が跳ね上がったりマイナスになったりする、そんな「特異値」を即座に見つけて対応することが、このレポートを使えば簡単に出来ますよ、という文脈でアレックスが使ったのですね。

Esoteric(エソテリック)とは、選ばれた少数の者だけに伝えられる「奥義」ともいうべき高い難度を指す言葉で、「難解な」「深遠な」と訳されるようです。アレックスはこう言いたかったのですね。

“Yes, it’s a bit esoteric word.”
「そうだね、ちょっと難解な単語だね。」

日本でも、忖度(そんたく)とか誤謬(ごびゅう)とか瑕疵(かし)などに代表されるインテリの好む難語がありますが、きっとそういうのを「エソテリックな単語」というのでしょう。

話変わって金曜の朝。部下たちを集めて定例のPMP試験対策講座を開きました。今回はリスクマネジメントがテーマ。リスクの洗い出しに始まり、定性分析から定量分析へと移るプロセスを重点的に説明します。定性分析においては、個別リスクのもたらすインパクトと発生確率をプロジェクト・チームで議論し決定するのですが、この際に気をつけなければいけないのは、事象そのものや発言者の置かれた状況などが、バイアスとしてその判断に影響を与えてしまうということ。例えば、

Urgency(緊急性)ー これが大きいと、リスクのインパクトも発生確率も大きめに見積もってしまいがち。

Detectability(察知しやすさ)― 情報が簡単に手に入る事象は意識に上りやすく、それゆえリスクの見積もりにもバイアスがかかりがち。

など。中でも私が気に入った言葉が、これ。

Propinquity(プロピンクイティー)

テイラーもシャノンも、そんな単語は初耳だと言います。

「これはね、距離感の話なんだ。例えば同じリスクを語るにも、影響が及ぶのが自分自身である場合と、誰か身近な人である場合、そして赤の他人の場合とではそのインパクトや発生確率の見積もりが変わるきらいがあるだろう。そういう時、プロピンクイティー・バイアスがかかってる、て言うんだ。」

週刊コストレポートのトレーニング資料を早く完成させないとパットの首が危ない!と焦るのも、彼女が親しい存在だから。「プロピンクイティー」が強いため、リスクの判断にバイアスがかかってしまうわけですね。

もちろん、私がこんな単語を最初から知っていたはずもなく、トレーニングの前日に慌てて意味を調べておいたのです。ノンネイティブのアジア人が超難解な英単語の意味をアメリカ人相手にしたり顔で解説している光景はちょっと笑えるなあと思ったので、わざと教授然とした口調で演説してみました。まるで外国人の芸人が、

「ソンタクというのね…、」

と難語を解説するみたいに。

ところが、これに対して部下たちはクスリともせず、真剣な表情で聞きながらメモを取っているのです。あれあれ?渾身のボケをスルーされたぞ。

いか~ん!完全に買い被られてる!