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2025年5月4日日曜日

Juxtaposition ジャクスタポジション

先週火曜日。二週間の一時帰国を終え、妻と一緒にロサンゼルス空港へ降り立ちます。入国審査を終え、国内便への乗り換えゲートの列に並んでいると、映画「ダイ・ハード」でリムジン・ドライバーを演じていたノリの軽い黒人青年を三年ほど成長させたルックスの担当官が、まるでバナナの叩き売りみたいに立て板に水の口上で次の客を呼び込んで行きます。ほどなく私たちの順番が回って来て、

「ハイハイ、お次のお姉さんはパッと見たところ25歳だな、いやいやどう見ても21歳。」

これには妻もつい吹き出してしまいます。彼女のパスポートを手早くスキャンして私を呼び寄せると、

「そうすると旦那さんはもうちょいとばかり年上ってとこかな、ずばり26歳!」

私のパスポートに見入って答え合わせをするでもなく、手は口と独立に動いて素早くスキャンを済ませます。

手荷物チェックの列に並びながら、あんなお調子者をこの仕事にあてがっていることへの驚きを妻とシェアする私。我々はTSA Preという事前に料金を払って身元確認を済ませた旅行者の列に並んでいたので、パスポートチェックが形式的な手続きであることは承知の上。それにしても軽すぎるだろ、と。

銀色の金属回転体を並べたコンベアに大型のトレイを置き、機内持ち込み手荷物を順々に載せて行きます。検査対象物が四角い箱に入る前に持ち主の我々はゲートをくぐり、向こう岸で待ちます。ゴムのビラビラカーテンをめくりあげて妻の手提げバッグと私のバックパックを載せたトレイが現れ、暫く停止した後、検査官の待つ側のルートへと振り分けられて行きました。

「あれ?何か変な物入れてたっけ?」

と私。首を傾げる妻。すると、列に加わった三十代くらいの白人男性が大きな溜息をつき、両手を腰に添えて苦笑しました。

「ほぼ毎回ここでつかまっちゃうんだよね、俺。しかも何を入れたか全く思い出せないんだ。」

振り返って彼の顔を見て、笑顔で同意を示す私。

「あ、そうだ、ペットボトル入れっぱなしだった!」

と小声で叫ぶ妻。羽田からロスまでの国際線内で長時間持参していたため、国内便乗り継ぎのことをすっかり忘れていたのですね。そうこうするうち、検査に合格した荷物を手にして去る人が目の前をどんどん行き過ぎて行き、残されたトレイが手前のコンベアで渋滞し始めました。するとさっきの白人青年がさっと歩み出て、隣り合った空きトレイを順々に二枚重ねにしてスペースを稼ぎます。係官の数が足りないのか、単なる旅行者の彼が空港運営側の仕事をする羽目になっているのです。白人青年はそのボランティアワークを一旦終えて元の位置に戻ったのですが、カラのトレイは見る見るうちに溜まって行きます。見かねた私はさっき青年が二枚重ねにした束に追加されたトレイを更に重ねて行き、全部まとめて左端の集積所へ一挙に移動しました。

“Now you’re making me look bad!”

「俺の立場なくなっちゃうじゃん。」

キマリ悪そうに笑う青年。するとモニター画面を睨んでいた髭面の中年黒人検査官が我々に視線を移し、微笑みながら丁寧に感謝の言葉を述べます。そして手元に到着した妻の手提げかばんから、綾鷹500ミリと飲料水入りミニペットボトルの首のところを左手で掴んで持ち上げました。

「ごめんなさい。すっかり忘れてた。」

と妻が笑うと、

「いやいや、こういうのはちゃんと最終確認をしなかった旦那の責任なんだよ。」

と私を見つめ、ニヤリと笑ってから微塵の躊躇も見せずに二本ともごみ箱に放り込んだのでした。

出発便ゲートへ進みつつ、今さっき目の前で起きた展開って日本ではあり得ないよね、と妻と話し合いました。係官が搭乗客に軽口叩いたり、見知らぬ人がにこやかに話しかけて来たり、などという光景を日本の空港で目にすることなど考えられません。いや、空港に限らず日本では(特に大都市では)、人と人とが一定の距離感を保って生活しているように思えます。

東京滞在中の朝、犬の散歩をする人々と何度もすれ違ったけど、誰一人として視線を合わせて来ないことに気付き、違和感を覚える自分がいました。サンディエゴの自宅周辺で朝のウォーキングをする際、すれ違う人と挨拶を交わさないことの方が稀なので。コミュニティ内で発揮するフレンドリーさとリスペクトのバランスが、日米で著しく違うのだということにあらためて気付かされたのでした。

帰国中、妻と二人で急遽飛び込んだ赤坂のヘッドマッサージ店「眠りの森」では、施術終了後、担当した女性達がエレベーターまで見送りに来て、ドアが閉まるまでしっかりとお辞儀を続けました。両掌をぴんと伸ばし、指先をおへその辺りにつけて。妻と顔を見合わせて驚嘆しつつ、これってアメリカじゃあり得ないよね、という話になりました。

女子社員たちへのお土産にと横浜みなとみらいの「中川政七商店」で台所用布巾を購入した際も、わざわざ小分け包装にし、それぞれ中身の色が外から分かるようカラー付箋を貼ってくれたことに感動し、日本のサービス業の顧客満足追及レベルは段違いだよね、と妻と頷き合います(後でこの話を聞かせた日本人の女友達から、「普通じゃない?」と言われて更にぶったまげましたが)。

数年前、職場で毎月一回開かれるカジュアルなプレゼンイベントで、40人くらいの聴衆に対し、その直前に果たした一時帰国中に感じた事について話しました。皇居周辺の満開の桜並木、東京のビル街に点在する神社や寺院、リサイクルごみの緻密な処理ステップや日本橋高島屋の荘厳な開店シーンなど、ビジュアル素材を多数披露した後、極楽鳥花やブーゲンビリア等の鮮やかな色彩を愛する自分と、散りゆく桜の儚く淡い色合いを愛する自分が矛盾なく共存していることを述べ、喝采の中プレゼンを終えました。

その一週間後、イベントを主催したチームが私の使った写真素材を散りばめたポスターを作製して記念品として贈呈してくれたのですが、ここに添えられていた文章が私の注意を惹きました。そこには、「シンスケが二つの国のJuxtaposition(ジャクスタポジション)を披露して」と書かれていたのです。すぐに辞書で調べてみたところ、「対比」とあります。ううむ、分かったような分からぬような…。Comparison(比較)とどう違うんだろう?さっそく、通りがかったインテリの同僚クリスティをつかまえて解説を求めました。

Comparisonには、分析して評価する、つまり優劣みたいなものを決めようという意図がにじんでいるけど、Juxtapositionは純粋に二つの物を並べてみて、違いを読み取ろうとすることだと思うわ。」

とのこと。なるほどねぇ。日本とアメリカのどっちがいいかを論じたいのではなく、二つの国のコントラストを素直に鑑賞していた私には、しっくり来る説明なのでした。

さて、妻と一緒に搭乗口へ向かって歩きながら、この時のことを思い出し、口の中で「ジャクスタポジション、ジャクスタポジション…。」と呪文のように唱えていた私。突然鼻がムズムズし始め、我慢しきれず思い切りくしゃみを一発。すると間髪入れず、5メートルほど離れた壁際でスーツケースを停めて立っていた白人女性が、“God bless you!(お大事に)とはっきりした口調で言ったのです。赤の他人が人のくしゃみにツッコミ(じゃないけど)入れるなんて、日本ではあり得ないよなあ。あらためて、ジャクスタポジションを愉しむ私でした。

2022年10月23日日曜日

Walk on ウォーク・オン


「うわ!」

隣を歩いていた妻が、藪から棒に声を上げて立ち止まります。

「何かと思ったら山だった!」

整然と立ち並ぶレンガ色のビルの屋根越しに、赤茶色の巨大な岩壁がそそり立っています。我々の暮らす「ブルースカイと椰子の並木」のサンディエゴを歩く時はそんな角度まで視線を上げることすら滅多に無いため、突如視界に飛び込んできた4千メートル級の陸地の隆起は、とても新鮮な景観だったのですね。

先々週の金曜から日曜にかけ、息子が通う大学のイベントに出席するため、夫婦でコロラド・スプリングスへ出かけて来ました。これはHomecoming & Family Weekend(ホームカミングと家族の週末)という、年に一度催される恒例行事。卒業生や現役学生の家族をキャンパスに招いて説明会やら見学会やら同窓会などを行うのですが、息子が四年生になる今年まで、ずっと参加を見合わせて来ました。幼稚園や小学校低学年ならともかく、大学にまでわざわざ乗り込むことに、やや抵抗があったのです。今年は最終学年だし、これを逃せばもう卒業式までチャンスが無いわよ、という妻のひと押しで心を決めたのですが、出発直前に二の足を踏ませる一報がありました。

息子の所属する水泳部の父母たちの間で、金曜の晩に皆で飲もうじゃないかという話が盛り上がっており、一軒家を貸し切りにしたから是非集まろうよというメールが届いたのです。うーむ、裕福な家庭の御子息達が通う私立大学に無理して我が子を潜り込ませたまでは良かったけど、こういうの、気が重いんだよなあ。日本人のスタンダードからすれば面の皮はやや厚い方だという自負はあるものの、英語しか通じない初対面だらけのホームパーティーというのは、やっぱり気が進まないイベントなのです。

夜明け前にサンディエゴの自宅を出発し、デンバー空港のレンタカー屋で調達した真っ赤なトヨタ・プリウスに乗り込みます。二時間運転してホテルにチェックイン。休暇前の仕事ラッシュで相当疲れていたし、ちょうど小雨が降り出したこともあり、ベッドに寝転んで長めの仮眠を取ります。夕方に起き出し、予約していたキャンパス近くの高級レストランで息子と待ち合わせしました。順々に再会のハグを交わしてから着席。暫くメニューを眺めた後、「ステーキ頼んでいい?」と、承認を確信しつつもとりあえず正式なステップを踏む、笑顔のすねかじり者。周囲のテーブルには、同じようにこの機会を利用して大学を訪れているのであろう両親との夕食を楽しむ若者たちの姿が、多数認められます。

刻んだミディアムレアの肉片を口に運びながら、近況を語る息子。大学の勉強は刺激的で楽しいこと、水泳部の練習は相変わらずキツイこと、短距離専門のアシスタントコーチが就任して以来、着実に泳ぎが上達していること、今年はバカっ速い新入生が多数入部したため、チームは歴代最強かもしれないこと、仲間たちとの結束は固く、自分は周囲から愛されていて学園の有名人であり、特に後輩たちに慕われていること…。

三年半前に彼が水泳部に入ったと聞いた時は、夫婦で顔を見合わせたものでした。高校時代は水球を愛するあまりか、競泳に対しては嫌悪感を顕にしていたのです。「あんな苦しいだけのスポーツ、誰が好き好んでやるんだよ」とまで毒づいて。それが一体どういうわけで心変わりしたのか、謎なのです。しかも入部時には、周りの選手たちが高校までの実績をベースに奨学金を受けて入学していたことを知らなかったのですね。私だったらそれを知った時点で赤面し、しおらしく退部届を出しているところですが、この若者は臆することもなく日々の猛練習に耐え、最終学年までしっかり生き延びたのです。「高校時代にピーク迎えちゃって大学で伸び悩んでる子もいる中で、僕はまだまだ伸びしろがあるから精神的に楽なんだよ。」そんな風にあっけらかんと話していて、実際に公式タイムもどんどん縮んでいるのです。

食事を済ませ、久しぶりに会う仲良しの先輩たち(卒業生)とアイスホッケー部の試合を観に行く、と言う息子をキャンパスのアイスアリーナ近くで下ろし、父母の集いへ向かってプリウスを走らせます。助手席の妻が、教えられた住所をスマホのアプリに入れてナビ担当。

「あの子のポジティブさには、毎回たまげるね。」

と、息子の明るさにあらためて感心する妻と私。

「友達が多いとか下級生に慕われてるとか、よくまあ平気な顔で言えるよなあ。」

富裕層の白人アスリート集団に、サラリーマン家庭出身の日本人が一人だけ混じっている(しかも元々スポーツマンタイプでは無い)。そんな絶対的アウェイな環境で機嫌よく活躍しているという自己申告に対し、余程おめでたいか強がって大ぼらを吹いているかのどちらかだと決めつけてしまう私。

ビルの立ち並ぶダウンタウンを通過して西に折れ、山へ向かって車を進めると、段々と街燈が少なくなって行きます。月が雲に隠れていて、視界は非常に悪い。

「なんか暗いねえ。」

曲がりくねった急勾配の道路が大区画の敷地境界を舐めるように巡っていて、まばらに建つ特大の豪邸には、人の住んでいる気配が感じられません。

「きっとここって別荘地だよね。」

心もとないヘッドライトを頼りにくねくね道を慎重に進み、あと数ブロックで目的地に到着、という丁度その時、十メートルほど先を何か巨大な生物がゆっくりと横切って行くのに気付き、ブレーキを踏みます。

「クマだ!」

体長三メートルはあろうかと思われる真っ黒な熊が、右の敷地から左の敷地へのそのそと移動し、暗い木立の中に消えて行ったのです。

「え?ここって熊出んの?」

暫くショックで動けなくなった私達ですが、とにかく音と光を発しながら歩くしかない、と車を路肩に停め、携帯電話のフラッシュライトをピカピカ振りまきつつ大声で喋りながらパーティ会場の屋敷へと向かいます。

分厚い大扉を開けると、既に三十人ほどの白人男女が、十二畳はあろうかという大型オープンキッチンのアイランドを囲み、グラスを片手に談笑していました。笑顔で出迎えてくれた婦人に順々に自己紹介して上着を脱ぎます。サンディエゴのニジヤ・マーケットで入手しておいたチョーヤの梅酒とチョコポッキーのファミリーパックを手渡し、集団に合流。

「今、すぐそこにでっかいクマが歩いてたんですよ。」

握手を交わしつつ、次々現れて自己紹介する相手に危険情報を伝える私ですが、皆一様に、

「え?ほんと?怖いわねえ。」

くらいの軽快なリアクション。そして微笑みながらワイングラスを口に運びます。いやいや、これは「駆けつけ一杯のジョーク」じゃないんだけど…。直ちに誰か然るべき役所に連絡してくれるだろうと期待していた私ですが、鷹揚とした人々の態度に、段々居心地が悪くなって来ました。え?これ、僕がおかしいの?

気がつけば、妻と私は新橋駅前のような喧騒の中、声を張り上げて英会話に取り組んでいました。近距離で数十人が一斉に喋っているため、ちょっとでも気を抜くと意識が飛び、ノイズの洪水に呑みこまれそうになるのです。

「うちの子、あなたの息子さんのこと大好きなのよ。」

と、三年生ジャックのお母さん。

「うちの子もそうよ。あなたの息子さんは真のリーダーだって、いつも言ってる。」

同調する他のお母さん。会う人会う人、口を揃えてうちの愚息のことを褒めそやします。二年生の女子のお母さんが、

「うちのライリーはいつも息子さんのことばっかり話すの。とっても慕ってるのよ。」

と言った時、

「ちょっと待って。それ、本当にうちの子のことですか?」

と思わず制止する私。この白人グループ、何か慈悲的な意図から孤独なアジア人をいたわろうと示し合わせているのではないか、と勘ぐってしまうほど薄気味悪い異口同音ぶり。ひとしきり大笑いしたライリーのお母さんが、

「え?知らなかったの?あなたの息子さんは凄い人気者なのよ!」

とダメ押しします。う~む、これはもう認めざるを得ないぞ。息子よ、君はどうやら本当に「リア充」生活を実践しているみたいだな…。

このパーティーで会った人々の見解を総合すると、幼い頃から全米各地で頭角を現し大学にスカウトされる格好でチーム入りした猛者たちの中に、ほとんど競泳経験の無い痩せっぽちのアジア人がふらっとやって来て互角に戦っているというのは、驚嘆すべき偉業なのだという話。

妻がこの時、彼が水泳部に入ろうと決めたのは意外だったし、他の子たちが奨学生として入っていることすら知らなかったと思う、と語ります。そしてこう付け足します。

“He walked in the team.”

「チームにウォーク・インしたの。」

Walk in というのは「アポ無しで乗り込む、飛び込みで」という意味で、レストランや診療所などに予約もせず訪れる時に使う表現。すると妻の話に耳を傾けていた二人のお母さんが脊髄反射的に、

“He walked on.”

「ウォーク・オンしたのよね。」

と素早く同時に訂正したのです。ん?今のは何だ?と違和感が残るほど明確なダメ出しだったのですが、そのまま次の話題に移って行ったのでした。

二時間ほど英語で談笑した後、集中力が限界に近づいて来たので、妻と目配せして「そろそろ私達は…。」と会場を後にしました。山道を慎重に下り、すっかり夜も更けて交通量も落ちたダウンタウンを通過しようとした時、交差点をゆったりと横断する大小の鹿二頭を目撃しました。

「今度はシカだよ。」

「熊に較べればさすがに驚きは少ないけど、冷静に考えればなかなかの光景よね。」

と妻。パーティーで会った人たちは、人家の周りで大型の動物が出没することに慣れているのかもしれないな、と納得する私でした。熊ぐらいでガタガタ騒がないのもそういうわけか、と。僕らもこういう土地に引っ越せば、きっと慣れっこになるのだろう。人は新しい環境に飛び込んでも、丹念にひとつひとつ体験をこなして行くうちに強くなる。うちの息子も、そうして楽しい大学生活を手に入れたのだろう。我々だって、こういうパーティーにちょこちょこ出席していれば英会話力がアップするに違いない…。

「あのさ、さっき君がウォーク・インって言った時、あの人達、ウォーク・オンって言い直したじゃん。気がついた?インとオンで意味がどう違うのかな。」

「うん、私も考えてた。あとで調べなきゃね。」

翌週サンディエゴ・オフィスで、部下のシャノンに説明を求めてみました。

「ウォーク・オンっていうのは、既に出来上がってるチームに後から乗り込んで新たなメンバーとして仲間入りする時に使うのよ。」

とシャノン。

「ウォーク・インは予約無しで行くってことだから、全然別の表現ね。」

念のため、ウェブスターのオンライン辞書も調べてみました。Walk-onという名詞で、

“a college athlete who tries out for an athletic team without having been recruited or offered a scholarship”

「スカウト枠でもなく奨学金も受けずに大学運動部の入部テストを受ける選手」

という解説がありました。

「へえ、じゃあこっちの大学じゃ、あの子の入部方法は本当に一般的じゃないんだね。」

と妻が頷きます。

「それにしてもだよ、」

と私。

「あれだけべた褒めされると、さすがに気恥ずかしいよね。」

「だけど皆、自分の子供のことだって自慢げに語ってたわよ。」

と妻。そう言われてみれば、確かにそうでした。アメリカ人は大抵、たとえそれが身内だろうと、良いところを見つけてとにかく褒める。謙遜などしないし、卑下なんてありえない。「褒め殺し」に相当するワードも、聞いたことありません。このカルチャーはアメリカ社会の隅々まで染み渡っていて、親に褒められた記憶の無い古い日本人代表の私は、思わず首を傾げたくなることもしばしば。

後日息子と電話した時、パーティーで色んな人から君のこと褒められたよと伝えると、即座に

「でしょ。」

と返して来たので、瞬間、「てめー、調子に乗んなよ!」と舌打ちする、頑固オヤジの私でした。

 

2022年9月24日土曜日

Maverick マーヴェリック


先週火曜日の朝一番。携帯電話に”Hey people in SD,” で始まるテキストメッセージが届きました。

「サンディエゴ(SD)のお二人さん、現地調査の仕事でメキシコ国境近くまで来てるんだけど、良かったらサクッとランチ行かない?」

差出人は、二年前までオレンジ支社のビルディング部門でアミューズメント・パークのデザイン・プロジェクトを指揮していたジョニーでした。そして私の他にお誘いを受けたのは、彼のかつての相棒、ベティ。パンデミックの発生による経営鈍化で会社に不穏な空気が漂い始めた2020年の夏、ジョニーは突然解雇宣告を受け、彼のプロジェクト・チームも解体され散り散りに。ベディはオレンジ支社でプロジェクト・コントロールを担当していたのですが、結局ジョニーを解雇したC(女性)の直属の部下に落ち着いたのでした。その後離婚と再婚を経てサンディエゴへ引っ越して来たらしいのですが、リモートワークが続いているため、オフィスで顔を合わすこともなくずっとご無沙汰が続いていました。

末っ子のお迎えがあるので1時半までにはサンディエゴを後にしなきゃいけないとジョニーが言うので、フリーウェイの入り口に近く駐車スペースも見つけやすいPho Fusionというベトナム料理店で会うことになりました。再会を喜ぶ長いハグの後、ブース席の向かいに並んで座った二人に近況を聞きます。

ジョニーは個人でコンサルティングをするようになって以来どんどん仕事が舞い込んで来て、かつて無いほどの忙しさを経験している。ベティは一ヶ月前、上司のCに辞表を叩きつけ、私のいる環境部門へPDL(プロジェクト・デリバリー・リード)として再雇用された、と。

「シンスケはどうしてるの?」

と二人が尋ねるので、十年以上前にたった一人で始めたチームが今や20人の大所帯になったこと、若者たちに技術の伝授をするのを楽しんでいること、などを話しました。

「あ、そういえばトップガン・マーヴェリック観た?」

と言うと、もちろん!と笑顔で頷く二人。

「あれ観て、色々思うところがあったんだ。」

と私。8月初旬、夏休み最終日だった息子も連れ、家族三人で近所の映画館へ。気を失いかけるほど激しく泣いた妻は、「これはもう一回高音質で観ないと!」と私を説得。一週間後にはるばるサンクレメンテまで一時間かけてドライブし、IMAXシアターで二度目の鑑賞。更にはところどころセリフが理解出来なかったというフラストレーションから、8月末から二週間ほど一時帰国した際、「これはもう一回、字幕付きで観ないと!」とミッドタウン日比谷のIMAXシアターで三回目の鑑賞。短期間に違う劇場で同じ映画を三回観るなんて(しかも二カ国で)、生まれて初めての体験でした。

「トム・クルーズの演じた役ってさ、今の僕とほぼ同じ年齢なんだよ。あの世界的スーパースターと自分を重ねるのがおこがましいことは百も承知だけど、あの映画で物凄く元気をもらえたんだよね。」

経営者側の立場で働くことを選んだ二年前、自分の信条に反する理不尽な発言を日々強いられ、塗炭の苦しみを味わった私。一年前にそんな出世コースから外れる決断をしてからというもの、心から愛する仕事だけに打ち込める幸せを日々噛み締めています。映画の中でマーヴェリックも、将官の地位を避けて現役を続けることで、大好きなパイロットの仕事に専念出来ている。

「同世代の将官たちは重責を抱え、いかにも苦しそうな表情を終始浮かべてたでしょ。その横で、言いたいことを言いながらトムが爽やかに笑ってる。あれ見て、自分の選択は正しかったんだって思えたんだよね。」

先月日本で旧友たちに会った際、何度も「あと一年で引退」というセリフを聞きました。この時まで、「日本では大抵の組織に定年がある」という事実をすっかり忘れていた私は、不意を打たれた格好でした。もしもあのまま日本にいたら、間もなくキャリアに終止符が打たれていたのか、と。個人の努力でどうこう出来るわけではない「年齢」という数字を根拠に、組織側が個人の運命を決める。まだまだ発展途上を自覚する私は、ひどく理不尽な仕打ちと捉えて暫く憤慨していたのですが、落ち着いて考えた結果、これはそうひどい話でもないな、と思えて来ました。ルールの違う二つのゲームがあり、どちらでプレーするのがより自分の幸福感に繋がるかという問題なのだ、と気づいたのです。

ゲームA:突然解雇されるリスクが高い組織でスペシャリストとして腕を磨き勝負し続け、退場のタイミングは自分で決める。

ゲームB:終身雇用という安心な制度のもと、組織内の様々な部署で経験を積み、制限時間が来たら静かに退場する。

キャリアの半ばでBからAに移籍した私は、あと付けながら、自分はAでプレーする方が幸せを感じるタイプなのだと悟ったのでした。

「へえ、日本ってそうなんだあ。」

ジョニーとベティが、さも驚いたように頷きます。

「実はこないだあたしも母親から、あんた何歳まで働くの?って質問されたわ。そう聞かれるまで辞めるタイミングなんて考えたことも無かったけど、働ける限り働くわよって答えといた。」

とベティ。

「そうなんだよね。僕も若いメンバー達にまだまだ教えることが沢山あるし、自分自身のスキルレベルも毎日どんどん上がってる実感がある。ようやく油が乗ってきたってところかな。」

と私。ニヤッと笑ったジョニーが、頭を小刻みに揺らしながら素早く両手の指を動かしてタイプする真似をしてみせます。

「今のシンスケだったら、メチャクチャ難しい仕事渡されても超高速でエクセル使って、あっという間に解決しちゃうんだろうね。マッハ10を超えちゃったりなんかしてさ。」

ベティも横で、同じアクションを演じて笑います。

食後、再び代わる代わるハグを交わし、再会を誓ってそれぞれ家路に着いたのでした。

さて、金曜の朝のこと。部下のアリサとの緊急電話会議でした。

「ごめん、忙しくってちゃんとメール読めてないんだけど、何が起こってるの?」

「水曜の晩にセシリアから頼まれたプロポーザルのサポートなんだけど、来週締め切りなの。レイチェルのチームがすぐに準備を始めようとしてるんだけど、今回に限って2028年までの長期プロジェクトで、あなたが今年の初めに作ってくれた単年用見積計算書のテンプレートじゃ対応しきれないのよ。改訂版を作ってくれって言われたんだけど、私の手には負えそうもないし、あなただってそんな時間無いでしょ。この仕事が出来そうなメンバーは他に思いつかないし、もうどうしたらいいのかって…。」

うちの会社は9月が年度末のため、この数週間は誰もが猫の手も借りたいほどのてんてこ舞いなのです。最悪のタイミングで飛び込んで来たこの依頼に、頭を抱えるアリサ。このクライアントの仕様書は風変わりなルールが満載で、最初の見積計算書テンプレートを完成させるまでの私の苦労を知っている彼女としては、気が重くなるのも当然なのです。

「大丈夫。僕がやるよ。時間は作れる。」

と私。

「え?ほんと?お願い出来るの?」

にわかには信じられない様子のアリサに、

「知っての通り、この手の挑戦は僕にとっちゃPaid Hobby(ギャラの出る趣味)みたいなものなんだ。」

驚きの声と同時に、

“You’re a sick man!”

「あなたってビョーキよね!

と呆れたように笑うアリサ。何度も感謝の言葉を繰り返し、ようやく電話を切ります。

その直後、PMのレイチェルからテキストが入ります。

「見積計算のテンプレート出来た?すぐにでもデータ入力を始めたいんだけど…。」

「これから作業を開始するんだ。昼までに仕上げるから待って。」

まだ作り始めてもいなかったことにややショックを受けた様子のレイチェルでしたが、気にせず直ちに全集中モードをスイッチオン。ショートカットキーと関数をふんだんに使い、恐らくこれまでで最速のスピードで作業を続ける私。そして1123分、完成品を送信。

「有難う!これできっと間に合うわ。今からデータを入れ始めるわね。」

とレイチェル。

席を立ち、ずっと我慢していたトイレに向かいます。そして一気に放出。あまりの快感に顔が引きつってしまう私でした。まるで滑走路から飛び立つF-18戦闘機を横目で見ながらバイクで疾走するトム・クルーズが、最高の笑顔を見せるように。

歳を取るというのは弱くなるだけではなく、経験を積むことでもある。自分を鍛え続けていれば、若者達が真似できないような離れ業を演じることだって出来るのだ。そんな幸せを、この映画から教えてもらったのでした。

夕食の席でそういう話をしたところ、

「そんな風には全然考えなかったな。ただただ世界に浸って感動してた。」

と妻。日比谷の映画館でも、散々泣いてた彼女。

「三回目でも、まだあんなに泣けるもんかね?」

と笑いながらもやや感心する私に、

「出だしの重低音で、もうやられちゃったわよ。泣けるとこ一杯あったじゃない。すまんグース、って呟く場面なんて、もうホントに、たまらなかった…。」

と、蘇る記憶で再び目を潤ませる彼女。

小難しい分析などせず、素直に感動に浸れる彼女のような人が一番幸せなのかもな、と思うのでした。

 

2022年8月20日土曜日

Midnight Express 深夜特急 その3


午後8時過ぎ、息子から短いテキストが入ります。乗り継ぎ地点のメキシコシティで無事搭乗ゲートに辿り着いた、という報せ。ここまで来ればもうあと一息です。夜11時、息子の分も含めて三冊のパスポートを手に、妻とともに愛車Rav4でサンディエゴの自宅を出発。交通量が少なく薄暗いハイウェイを南へ飛ばすこと三十分、国境が近づいて来ました。検問エリアの背景には、今にもティファナの市街地を呑み込みアメリカ側に押し寄せようとしている超巨大津波のような黒い丘陵が、東西に拡がっています。その北向き斜面を埋め尽くす何十万もの建物から眩く発する無数の灯りは、まるで昼夜を分かたず活動を続けるメキシカン達の圧倒的エネルギー量を世界に伝えようと試みる電光掲示板のよう。

私にとって、この日が人生初のメキシコ入りです。麻薬カルテルの抗争や一般旅行者の誘拐殺人事件などが度々ニュースで報じられているので、いよいよ国境超えという段になるとさすがに心拍数が上がります。ところが制服姿の係官達は、こちらに一瞥を加えることもなく立ち話に興じていて、拍子抜けするほどあっさりと進入出来たのでした。そしていきなり、数十年前にタイムスリップしたかのような感覚に襲われます。青白い街路灯に照らされた廃墟のようなビル、陥没が補修されぬままの舗装、深夜にもかかわらず目の眩むような照明の下で人だかりを作る屋台…。

スマホのナビゲーションアプリを頼りに、助手席の妻が空港への道案内を務めます。十分も経たぬうちにティファナ国際空港が近づいて来たのですが、敷地内へ続く細い導入路は家族を迎えに来たと推察される何百台もの自家用車が二列縦帯で塞いでしまっていて、何度も進入を諦め周回を余儀なくされました。意を決し、スピードを落として隙間を慎重に通り抜けることで、ようやくパーキングに辿り着いたのでした。四半世紀以上前にタイやフィリピンを訪れて以来、長らく経験していなかったハイレベルのカオス。脳がにわかには対応出来ず、軽い疲労を感じます。

「タクシー?タクシー?」

と客を呼び込む声がひっきりなしに聞こえる到着ゲートは、まるで真昼のような往来。幼い子供を含む家族連れが、忙しく行き来しています。もうすぐ午前一時だってのに、一体どうなってんだ?と妻と顔を見合わせる私。

「あ、着いたみたいよ。」

とスマホで息子の位置情報を確認する妻。Llegada(到着)という大看板の下で自動ドアが開き、スーツケースを引くTシャツ、マスク姿の彼が現れたのは、それから数十分後でした。顔を歪めながら、180センチ超えの青年の首に腕を巻きつけて抱き寄せる妻。私はといえば、さあこれからいよいよ最終関門だ、と緊張の高まりを感じていたのでした。アメリカに再入国する際にどんなことが起こるのか、全く予想がつかなかったのです。出来たてホヤホヤの米国パスポートを息子に手渡してゲートで見せるよう指示し、ナビゲーションに従って国境を目指します。

ところが、アプリの示す経路はまるで裏道ガイド。一般住宅街の細い凸凹道を進み、右折左折を繰り返した末、国境ゲートへ続く道路にようやく突き当たったのでした。ところがこの本道、既に何時間も渋滞していたと見え、数珠つなぎになった乗用車の列は僅か数センチの車間距離を保ちつつ、ジリジリと前へ進んでいるのです。脇道から合流を試みる我々の車は隊列に行く手を阻まれ、まるで開かずの踏切で立ち往生したような状態。加速発進と意地の悪い幅寄せを繰り返され、三十分以上も合流出来ずにいたのですが、腹を決め、あと一センチでサイドミラーがぶつかる、という極限まで根比べを続けた末、ようやく道を譲る車が一台現れたのでした。

「なんなんだこの民度の低さは!もう二度とメキシコには来ないぞ。」

と首を振る私に、後部座席から、

「僕も。」

と笑いながら同調する息子。

それから二時間、まるで虫の這うようなペースでじわじわと国境目指して進みます。途中、車道上でタコスやブリトーを売る屋台が現れます。早朝勤務のため深夜にアメリカへ向かう労働者達の腹ごしらえ需要に応えてのビジネスなのでしょうが、法律とか規制とか、そういう常識的な考えが頭から吹っ飛ぶような光景でした。

「メキシコで入手し、アメリカに持ち込もうとしているモノはありますか?」

国境検問所のブース。白人男性の係官が我々三人の顔を見ながらパスポートを確認した後、そう尋ねて来ました。「うちの息子を…。」と反応したらちょっと面白い場面でしたが、もちろん真面目な顔で「ありません。」と答えます。すっとバーが上がり、私の右足が静かにアクセルを踏みます。こうして午前三時過ぎ、ようやくアメリカ再入国を果たしたのでした。

帰宅してからも三日ほどは、「まだ頭が高速回転を続けてる」とPTSD状態だった息子ですが、その後ゆっくりと時間をかけて今回の顛末を聞くことになりました。

何故彼の入国記録がメキシコ側のデータベースに無かったかは、結局分からないということ。日本大使館の助けは有り難かったが、ただ救援を待ちながら何日もあの状態を続ける気にはなれなかったこと。コヨーテと国境の係官達が裏で繋がっていることはすぐに悟ったこと。がっつり賄賂を払ってメキシコへ再入国する選択肢は避けたかったが、彼らの持つ情報は欲しかった。一人だけ英語が喋れる三十代くらいのコヨーテがいて、この男(マノーロ)と近づく決意をした。タクシーで市街地へ連れて行かれ、まずはATMでキャッシュを引き出すよう言われたが、引き出し限度額に引っかかって下ろせなかったことは、今思えばラッキーだった。手持ちのメキシコ・ペソで彼にランチとビールを振る舞い、タパチュラのホテルに戻れば現金で米ドルがあることをほのめかした。高校を卒業してから今の仕事で身を立てていること、子供が三人いることなど身の上話を聞いて心を開かせる一方、滞在先のホテル名や今回の渡航の目的、サンディエゴの実家のことなど、こちらの素性が分かるような情報は一切明かさなかった。この間マノーロから、国境に関する様々な話を聞き出した。中でも、検問所のスタッフが翌日午後一時に全員交替するという情報は、その後の作戦の決め手となった。コヨーテとしての有料サービスを正式には受けず、食事や酒をおごる見返りに情報を頂く、という微妙な綱渡りを試みる数時間だった。

「キレられて乱暴される可能性は考えなかったの?」

と尋ねると、

「旅行者がコヨーテから危険な目に遭わされたという噂が拡がれば、彼らのビジネスが成り立たなくなるでしょ。百パーセント確信は無いけど、まず大丈夫だろうと思ったんだ。」

と息子。なるほど、冷静だな。

結局は親友ニコラの助力でメキシコに再入国することが出来たのだから、マノーロに金を払う正当な理由は無い。食事をおごって話を聞いておしまい、という関係で終わらせたかった。しかし火曜の午後国境に行くと、彼がそこで待ち構えていた。二国間を自由に行き来出来る通行証を持つマノーロは、メキシコ側まで息子について来るのでした。ホテルに戻ればアメリカドルがあると言ってあったため、何かしら理由をつけて金を要求して来る可能性が高い。このままホテルまで一緒に来られたら、まずいことになる…。

「さあ、再入国を祝って乾杯しようぜ。」

とマノーロがバーに誘うので、咄嗟に、

「現金が下ろせないかもう一度試してみるよ。ATMはどこかな。」

と言うと、あっちだと指差し、ビールを注文するマノーロ。その直後、彼は知り合いを見つけたようで、立ち話を始めたのだと。息子は指示された方向へゆっくりと歩きながらマノーロの視線をチェックし、こちらが見えていないと確信したところで、いきなり全力ダッシュ。建物と建物の間を駆け抜け、公道で客待ちをしていたタクシーに飛び乗り、「ホリデーインへ!」と隠し持っていた現金を運転手に手渡します。

「暫くしてマノーロからテキストや電話がじゃんじゃん届き始めて、どこにいるんだ?って聞いて来るんだよ。心臓バクバクしながら、ずっと無視し続けた。ホテルに着いた後、日本政府の保護下にあるって返信したら、それきり黙ったよ。」

妻と二人でアプリで彼の居場所を追っていた際、息子のアイコンが突然スピード上げて緑道を移動し始めたのは、マノーロから逃げていたからだったのですね。

「あのさ、様子を聞こうとこっちから何度も電話した時、全然答えなかったでしょ。あれはどういうわけ?」

「携帯の電池を温存するため、余計な機能はオフにしてたし、通話も止めてたんだよ。」

「コヨーテと接触していることを、どうして言わなかったの?」

「だって、言ったらきっとパニクってたでしょ。」

確かに、細かな背景抜きでそれだけ聞かされていたら、とても穏やかではいられなかったでしょう。

メキシコ再入国前夜、彼は安モーテルの椅子に座って目をつむり、想定されるありとあらゆる事態を検証し、作戦を立てたのだそうです。まるでチェスプレーヤーが、何百通りもある指し手を頭の中で分析するように。まずは安全。この部屋に不審者が侵入を試みたらすぐに分かるよう、ドアに簡易トラップを仕掛けた。次に体力。緊張で食事も喉を通らない状態だったが、何とか食べ物を押し込んだ。水分補給も切らさなかった。

頭を高速回転させてケース・スタディを繰り返したおかげで、極限状態を冷静に乗り切れたよ、と胸を張る息子。ほぼ自力でピンチを切り抜けたことで、大きな自信がついた様子です。

「あのさ、そもそもアメリカのパスポートを失効させてなかったらこんな事態にはならなかったんじゃないの?」

と冷静にたしなめる妻に対し、

「確かに。」

と、そこは素直にミスを認める息子でした。

  

2022年7月27日水曜日

Midnight Express 深夜特急 その2


これまで足を踏み入れたこともないグアテマラへの強制送還、という人生最大のピンチに立たされた二十歳の息子。グアテマラ・シティの日本国大使館で対応に当たって下さったのは、領事の池沢さんでした。在メキシコ日本国大使館と連携してメキシコ政府に援助を依頼して下さるとおっしゃったのですが、先方が返事をくれるのに一日はかかるだろうとのこと。もしも息子のメキシコ再入国が果たせなかったら、当面日本大使館近くのホテルに滞在させ、彼の米国パスポートを大使館宛に送るか、あるいは我々が直接飛行機で救出に向かう、というシナリオを話し合います。問題は、国境付近からグアテマラ・シティまでは公共交通機関が無く、タクシーが拾えたとしても5時間以上はかかること、雨季のため各地で土砂崩れが起きていて、道路が分断されている可能性が高いこと。そうなれば道半ばで立ち往生し、居場所が分からなくなる危険がある。電波の届かないジャングルで連絡が途絶えたら、万事休すです。

密入国者の手助けをするプロ集団「コヨーテ」という存在を知ったのが、このすぐ後でした。電話の向こうで息子が言います。

「こうなったら、コヨーテに金を払って何とか潜り込むしか無いかも…。」

タリスマン検問所周辺にはこの「コヨーテ」集団がたむろしていて、こちらから頼んでもいないのに「現金○○ドル払えばメキシコに入国させてやるぞ」と十人以上で詰め寄って来るのだと。スペイン語の分からない息子は「うるせえ、あっち行け!」と英語でまくし立てて追い払ったそうなのですが、よく考えると妙な話です。身なりからして外国人観光客であるのは一目瞭然でしょうが、なぜすぐに国外追放された人間だと分かるのか。どう考えても、検問所とコヨーテ達が結託しているとしか思えません。理不尽に追い出されてパニクる旅行客に救いの手を差し伸べる違法業者達。彼らが外国人から巻き上げた現金の一部を係官に貢ぐことで回っている、邪悪な生態系の存在を勘ぐらざるを得ないのです。

密入国斡旋業者と関わることで更に深刻なトラブルに巻き込まれることを恐れた私は、急いで池沢さんに意見を伺います。すると彼も、それはお薦め出来ないとのこと。何か別の手を探した方が良いと息子に伝えると、タリスマンでは係官に顔を知られているから、少し離れた南方の検問所(ヒダルゴ)に行って再入国を試みると彼が答えます。ところがその後、アプリで彼の居場所を追っていたところ、どんどん東の内陸側に進んで行くのが見えます。おいおい、行き先は南のはずだぞ。大丈夫か?タクシーに乗ったのか?どこに向かってるか分かってんのか?と妻と私でテキストを送るのですが、まずは銀行で金を下ろして来ると答えたきり、返信が途絶えます。そしてガソリンスタンドと見られる場所に到着し、それきりぴたりと動きが止まったのでした。

「どこにいるの?そこ銀行じゃないでしょ?」

不安をどんどん蓄積していた妻がテキストを送るものの、一向に返事が来ません。

「あの子、携帯捨てられてそのまま誘拐されちゃったのかも!」

涙目で震える妻。水泳部の猛練習でムキムキな身体になってんだから、そう簡単にやられはしないよ、と私。きっと電波の状態が良くないんだよ…。

午後になってようやく、アプリ上の彼のアイコンが元来たルートを戻り始めました。ああよかった、きっと生きてるわね、と大きく深呼吸する妻。あ、そうだ、今日中にはメキシコに戻れないだろうから、とにかくグアテマラ側で泊まる場所を確保しなきゃね、とホテルの検索を開始します。ところが、オンラインで予約出来る宿泊先が一向に見つかりません。彼がさっきまでいたエリアにはホテルが点在しているものの、ネットでおさえられるのはわずか数件です。

「セキュリティ面を考えたら、多少高くてもちゃんとしたホテルに泊まらないと駄目よ。そのまま国境まで戻っちゃったら、こっちから予約出来ないからね。」

そう彼女がテキストを送るのですが、反応が無いまま息子のアイコンはどんどん西へ移動し、遂に検問所付近まで戻ってしまいました。

「めちゃ安いホテルにチェックインした。」

息子から電話があったのは、その数分後でした。スピーカーフォンで妻と私が言います。

「とにかく携帯の電池が切れたらアウトだから、充電だけはこまめにね。あと、水分補給もしっかりね。」

「うん、どっちもちゃんとやってる。」

「大使館の人とやり取りは出来たの?」

「うん、グアテマラの日本大使館からは、メキシコ政府の対応は明日にならないと分からないって聞いてる。」

「メキシコのアメリカ大使館にも当たってみた?」

「それがさあ、留守番電話になってて誰も出てくれないんだよ。」

後になって気づいたのですが、この日はちょうど、よりによって今年スタートした新しい祝日Juneteenth(ジューンティーンス)だったのです。アメリカ大使館がもぬけの殻だったのは、そういうわけですね。

「じゃあとにかく朝まで身体を休めるしかないね。ちゃんと食べなさいよ。」

「うん、分かってる。僕の顔を知ってる検問所の係官達は明日の午後一時に交替するってコヨーテが言ってた。だから一時過ぎたら再入国をトライしてみる。」

翌朝6時半、息子からテキストが入ります。

「後で電話して。アイデアがある。」

妻を起こして電話をかけ、スピーカーフォンで会話します。

高校時代からの息子の親友で現在ニューヨークでインターンシップ中のニコラが、彼のために昨日動いてくれたというのです。ダメ元で、日本人としてメキシコに入国するための観光ビザを取得してみようという話になり、スマホしか持っていない息子に成り代わってオンラインで申請してくれた。申請書のPDFファイルをニコラに送ってもらったので、メキシコ当局の援助が見込めない場合、これをプリントアウトして国境の検問所で見せてみるよ、と。日本大使館の池沢さんにもこれは相談済みで、在メキシコ日本大使館とも連携して申請書に関するアドバイスを頂いているとのこと。

「分かった。うまくいかなかったら次の策を考えればいいから、あまり焦らないように。」

その後、ホリデイ・インの部屋に置きっぱなしの荷物が気になり始めます。チェックアウト時間は午後一時。午後一番に何とか再入国出来たとしても、タイミングとしてはアウトです。チェックアウトを少し延ばしてもらえないか頼んでみなさい、と妻。息子が早速、四時まで延期してもらうことに成功。

その一時間後、池沢さんからテキストが入りました。メキシコ当局は責任を認めないが、何らかの要因で入国の記録が出来ていなかったこと、在メキシコ日本大使館からメキシコ当局に直接依頼しても、出入国履歴の修正は不可能とのこと、再入国を試みて失敗したらグアテマラ・シティに移動するしかなく、その際には大使館として交通手段の情報提供や援助をする準備があること、等々。そして、たとえメキシコへの再入国が出来たとしても空港で再び拘束され、グアテマラへ再度強制送還される可能性がある。そうなったら直ちに在メキシコ日本大使館へ電話するように、と。

そして現地時間の午後二時半過ぎ、息子のアイコンがスマホの地図上を検問所に向かってゆっくりと動き始める様子を、夫婦固唾を呑んで見守ります。

「あ!メキシコ国境越えたわよ!」

「ほんとだ。うまく行ったのかな。」

スマホ画面には、検問所の建物よりメキシコ側にいるように映っています。

「あれ?ちょっと待って…。」

逆サイドからゆっくりと近づいて来た別の磁石に押し戻されるマグネットボールのように、先程来た方向へじりじりと後ずさりを始める息子のアイコン。あれよあれよと言う間に、昨夜宿泊していたホテル付近まで戻ってしまったのでした。

「またグアテマラに戻されちゃった?」

とテキストを送る妻。

「はい。」

と短い返信。

「今グアテマラ出国スタンプお願いしてる。」

出国スタンプ?何のことかよく分からんが、これはもう長期戦のオプションを覚悟しておいた方がいいな、と考え始める私でした。彼を救出するためグアテマラ・シティへ飛ぶとして、向こう一週間スケジュールされたビジネスミーティングの延期が出来るかどうか調べなきゃ、とカレンダーをチェックします。同時にフライトの検索も始めたところ、サンディエゴからは片道だけでも丸一日かかる長旅になりそうで、バケーションシーズンともあって、航空運賃もなかなかの高額です。とりあえず有給休暇を申請しておくか…。

「あ、ちょっと見て!」

そう妻が叫んだのでスマホに目をやったところ、息子のアイコンが再びゆっくりと検問所に向かっています。

「またさっきのところまで来たわよ。」

仕事そっちのけでスマホ画面に食い入る、妻と私。彼の居場所を示すアイコンは建物内で暫く停止していたのですが、やがてゆっくりとメキシコ側の敷地へ抜けて行ったのでした。おお、遂に再入国成功か?いや、GPSの誤差を考慮すれば、本当に突破出来たかどうかはまだ分からんぞ…。

「なんかおかしくない?急にスピードが速くなってるんだけど…。」

妻の言う通り、息子のアイコンが突然急角度で方向を変え、速度を上げて動き始めたのです。しかも建物と建物に挟まれた、長い緑地帯を真っ直ぐ進んでいます。

「ここ、道路じゃないぞ。」

「そうよね。タクシーほどのスピードも無いし。あの子、走ってるのかしら。」

「誰かから逃げてんじゃないかな?」

と私。

「やめてよ!」

表情を固くする妻。しかし程なくして一般道路に到達した息子のアイコンが、今度は本格的なスピードで南へ向かって快調に滑り出したのです。短いテキストが入ります。

「成功」

一体何をどう工夫して再入国が果たせたのか、この時はまだ真相を知らされていなかった我々夫婦。しかしひとまず最初の関所を越えたことで、安堵を分かち合うのでした。

「今ホリデーイン行き」

とタクシーからテキストを打つ息子。四時のチェックアウトにギリギリ間に合いそうです。急いで荷物をまとめてタパチュラ空港へ向かい、強制送還の憂き目を逃れて予定便に無事乗り込めたら、メキシコシティ経由で深夜にティファナ到着。我々は彼のアメリカ旅券を携えて陸路で国境を越え、ティファナ空港の出口で彼を拾う。そして三人で検問を突破し無事アメリカへ帰還が出来れば、ミッション完了です。

 

まだまだ油断は出来ません。

2022年7月17日日曜日

Midnight Express 深夜特急 その1

 


「グアテマラに追放された!」

「え?何言ってるの?ちゃんと説明して。」

「グアテマラに追放されたんだよ!」

6月13日月曜日の朝一番に電話で交わした、二十歳の息子との会話です。

 

最後の夏休みをどう過ごすかは、アメリカの大学生にとって大事なテーマ。履歴書に記載できる実務経験(インターンシップ)を積めれば、数カ月後にスタートする就職戦線での強力な武器になるからです。コロラドで生態学を学ぶ息子は担当教授達に掛け合い、彼らの人脈で良い仕事先を見つけてもらえないかを探りました。その結果、遠くミシガン大学の教授たちに繋いで頂き、彼らのチームの調査プロジェクトに助手として加えてもらうことになったのです。メキシコ最南端のタパチュラという土地で四週間調査した後、プエルトリコに飛んで更に四週間の追加研究をする、というエキゾチックなプログラム。友人達が学生課や親の口利きでインターン先をあてがわれる中、自力で、しかも他の大学のポジションを獲得したことの達成感に酔いしれる息子でしたが、この数週間後にあんな恐ろしい事態に陥ることなど、この時は知る由もありませんでした。

そもそもの失敗は、彼が幼い頃に作った米国パスポートが失効していたことでした。インターンシップの話が出始めた頃に私が気付き、直ちに新しい旅券を申請するよう言い聞かせていたにもかかわらず、何かと言い訳を見つけ後回しを続けた楽天家の息子。メキシコ行きが本決まりした後にようやく焦り始めたのですが、時既に遅し。別料金を払って超特急で作成してもらうオプションを選んだにもかかわらず、出発前には到底間に合わないことが分かりました。仕方ないので、日本のパスポートで日本人として旅立つことになったのです。

6月5日の夜明け前、サンディエゴの自宅から三十分ほど車を走らせ、メキシコとの国境にあるCBXCross Border Express)という施設の手前で彼をドロップ。入国手続きを済ませて徒歩で橋を渡ると、そこはもうティファナ国際空港。メキシコシティ経由でタパチュラまで約7時間。まずは市内のホテルで一泊(約20ドル)し、月曜の朝に迎えの車が来るのを待つ、という段取りでした。高地ジャングルの奥深くにミシガン大研究チームのコテージがあり、そこで寝泊まりしながら日々フィールド調査に出かける、というのです。我々夫婦はiPhoneFind Myというアプリで息子の居場所を時折確認していたのですが、月曜の午前中、予告通り彼のアイコンが姿を消しました。こんな時代になっても、世界には電波の届かない場所がまだあるんだねえ、と驚く我々夫婦。十年前は当たり前だったけど、外国に滞在する子供と暫く連絡が取れなくなったことで、若干落ち着かない気分になるのでした。

ところがそのわずか一週間後、クレジットカードの記録をチェックしていた妻が異変に気づきます。

「あの子、ホテルに360ドル払ったみたいよ。」

アプリで確認すると、息子の位置がはっきりと確認出来ます。電話をかけさせて事情を聞いたところ、金曜の夕方、山中を二時間歩き続けて一番近くのホテルに辿り着き、週末の三日間を過ごすことにした、とのこと。宿泊料の高額さを知り驚いたものの、あまりの疲労で引き返す気にはなれなかった。どうやらこのホテルはハネムーン客ターゲットのリゾートホテルらしく、シングル・ルームは無く、周りは若いカップルだらけ。

「なんでホテルに泊まることにしたんだよ?」

「とにかく、聞いていたのと全然条件が違うんだよ。週末もあそこに居続けるなんて、とてもじゃないけど耐えられなかった。」

助手として採用されたことは確かだが、自分のやりたい研究もさせてもらえると聞いていた。ところが現実は、大学院生(三十歳の女性)の研究テーマに沿って、一日中単純作業で拘束される。院生といってもこの人はフィールド調査初体験で、計画の立て方が甘く段取りも悪く、あれじゃどれだけデータをかき集めようが有意義な成果なんて絶対得られない、と息子。自分は大学でフィールド調査の基礎をしっかり叩き込まれたので、それが良く分かる。なのに彼女は、とにかく自分の言う通りに作業をしろ、の一点張り。とてもじゃないが、このままの条件ではバカバカしくて続けられない、と。

「それで、どうするの?」

教授たちは今週不在で、月曜まで現場に戻って来ない。週末のうちに、彼らにメールで現状の問題点と改善案を伝えておき、会った時にあらためて今後のプランについて相談するつもりだ、と息子。

自分が彼の立場だったら、これも運命と素直に現状を受け入れ、期限終了まで黙々と残りのお勤めを果たしていたことでしょう。しかし幼い頃から向こうっ気が強く、権威に怯むことも無いこの若者は、取り組もうと考えていた研究テーマを長文メールに書き綴り、教授たちに送信したのでした。後に息子から聞いたのですが、彼はインターンシップの準備期間中、「今回何を学ぶつもりか、どんな成果を出す予定か」を論文の形で大学側に提出させられていたのだそうです。なのに興味も関心も無い分野の調査助手を二ヶ月続けるというのは、あまりにも「話が違う」というのが彼の主張。

週末を終え、リゾートホテルから再び電波の届かない密林に戻って行った彼は、再びスマホの地図上から姿を消します。そして金曜の晩になり、我々夫婦にテキストで「交渉決裂」の旨を伝えて来ました。どうやらタパチュラ市街のホテルに移動した模様。

「明日の夜の便でサンディエゴに戻りたいんだけど、飛行機取ってくれる?」

君の提案する研究テーマは非常に興味深いが、こんな短期間ではとても成果は出せないよ、と諭すミシガン大の教授たち。とにかくうちの院生のサポートに徹して欲しい、と。自分の成長に繋がると思えない単純作業を今後何週間も続けるつもりは無い、と踵を返し、山を下りた息子。よくもまあそんな生意気が言えるもんだな、とあっけに取られる妻と私でした。しかも後で聞いたら、教授たちは大ベテランだとのこと。

「大学から出してもらった4千ドルのGrant(助成金)はどうなるんだよ?全額返済?」

「それは後で考える。とにかく家に帰る。」

ところが土曜の晩になり、やや焦りを帯びた声で息子が空港から電話してきたのです。

「飛行機に乗らせてくれないんだよ。メキシコに入国した記録が向こうのコンピュータに無いって言われてさ。」

ちょうどこの日の午後、アメリカのパスポートが我が家に配達されたのですが、果たしてこれが出発に間に合っていても今回の事件が避けられたかどうかは謎です。

「で、具体的にどうしろって言われてるの?」

「タリスマンっていう国境近くの街に行って、入国スタンプを押してもらえって。これからタクシー飛ばして往復すれば、もしかしたら離陸までに間に合うかもしれない。」

いや、そんな賭けに出るべきではない、今すぐ飛行機の便変更手続きをしてチェックイン済みのスーツケースを取り戻し、ホテルに泊まってしっかり休みなさい、と指示を送る我々夫婦。妻がネットでホリデー・インの予約をし、飛行機便を火曜日まで延ばします。

「有難う。週明けに朝一番でタクシー拾ってタリスマンに行ってくる。」

そして月曜の朝、彼からの電話で事態の急展開を知ったのです。

「グアテマラに追放された!」

国境の検問所を訪ねて事情を説明したところ、一体どうしてお前はこの国にいるんだ、密入国者じゃないのか、と警備隊員に連行され、グアテマラ側に追い出されたというのです。アメリカ側からメキシコ入りした人間を反対側のグアテマラに追放する行為は、どう考えても筋が通りません。しかしこれが、現実に起きてしまったのです。数十分で手続きを済ませホテルにとんぼ返りする腹積もりで出かけていた息子は、スーツケースもラップトップも着替えも部屋に置きっぱなし。携帯しているのはバックパック、財布、日本のパスポート、それにスマホのみです。さてどうする?飛行機便は翌日の晩。しかもホテルのチェックアウトは午後一時です。これから二十数時間のうちに、一旦追放措置を受けた国に戻ってホテルで荷物を回収し飛行機便に乗るなんて、到底不可能に思えます。

「まずはグアテマラの日本大使館に問い合わせなさい。それからメキシコの日本大使館、あと一応アメリカ大使館も。スマホの充電は絶対切らさないように。なるべく電波の届く場所にいなさい。」

こうして超多忙な月曜の朝、妻も私も仕事そっちのけで息子の救出作戦を開始したのでした。

(つづく)

2022年5月7日土曜日

Farmers Market ファーマーズ・マーケット


良く晴れた先週日曜の昼前、妻と二人でラホヤのファーマーズ・マーケットへ出かけました。生鮮食品、ファッション、アクセサリーなど多種多様な業態出店者が小学校の敷地を借り、運動会で放送席の日除けに使うような白いキャンバス地のキャノピーをぎっしり並べて商売に勤しんでいます。椅子ひとつ、ギター一本で歌う名も知らぬミュージシャン、大声で笑いながら足早に過ぎ去るティーン・エイジャーの女子グループ、ジャングルジムや滑り台の傍に立ち、おぼつかない足取りの幼い我が子を見守る母親たち、お互いのペットを撫で合う犬連れの家族。たとえ買い物をせずとも家路につく頃にはほんのり笑顔になっているような、週末を過ごすのにぴったりのイベントなのです。

二年以上もリモートワークが続く中、度重なる大規模組織改変により、顔を見たことも、今後一生会うことも無いであろう人達と働く機会が急増している今日この頃。信頼関係を築くステップをすっ飛ばし、ただただ職務を進めるためだけに交わす会話は殺伐としていて、まだ会社が小さく顔見知りだけと働いていた頃に較べ、格段に「幸せ感」が低い。そもそも他人は他人、お互い心の中じゃ何を考えているか分からないのだけれど、同じオフィスにいれば自然と会話を交わすようになるし、いつしか打ち解けるものです。誰かと分かり合えた、繋がった、という瞬間の感動を、職場では久しく味わっていません。

このファーマーズ・マーケットでは、数ヶ月前にSmallgoodsというチーズとサラミの専門店を経営する若い夫婦と話し込み、すっかり仲良しになりました。それからというもの、月二回はアメリカ各地の名産チーズを買って楽しむのが習慣に。普通のスーパーでショッピングしていたら、なかなかこうは行かないでしょう。他人同士がガードを落として近づくことの出来る、そんなリラックスした環境が整っているからこそ起きたマジックだと思うのです。

さてこの日も、立ち止まって商品を暫く眺め、数歩進んでは隣の店へ。そんな調子でゆったりと時間を過ごし、ちょうど最後の店に差し掛かった時でした。あれ、風が強いな、と思った次の瞬間、その店を覆っていた白いキャノピーが目の前でふわりと浮き上がり、二メートルほど上空であっという間に逆さまに。そのまま風に飛ばされ、敷地境の金網フェンスを越えて隣接する工事現場に落下したのです。まるで部屋の四方の壁が一斉に倒れ、中央に座っていたタレントがあっけにとられるドッキリカメラのワンシーンのよう。周囲の出店者達や買い物客の群衆は立ちすくみ、口々に驚きの声を漏らします。店主らしき四十がらみの白人女性はほんの刹那、微かな怯みを見せた後、

“Now come shop!”

「さあいらっしゃい!」

と明るい声で皆に呼びかけます。これで笑いが起こり、場の緊張が和らぎます。ちょっとの間、私も妻と一緒にクスクス笑っていたのですが、段々落ち着かない気分になって来ました。買い物客も周りの出店者たちも、問題解決に動き出す気配を一向に見せないのです。店主の女性は時々フェンスの向こうに目をやって肩をすくめながら客にジョークを飛ばしているだけで、助けを呼ぼうとする様子も無い。

「ちょっと見てくる。」

と妻に荷物を預け、敷地境界に沿ってどんどん進むと、作業員詰め所と見られるトレーラーハウスの両脇には隙間が見当たりません。金網フェンス越しに中を覗くと、建材がそこここに積み上がっているものの、重機も掘削口も見当たらない。そもそも日曜だし、すぐ隣でマーケットやってるんだから、工事現場が動いているはずもない。それならば、と足場の良い場所からフェンスをよじ登ってこれを乗り越え、さっきの店の裏側へ進みます。四肢を硬直させ仰向けに倒れた哀れな動物のようなキャノピーを、下から両手ですくうように持ち上げてみたところ、図体が大きくかさばるだけで、これが案外軽量なのです。私の救助活動に気がついたようで、二人の白人男性客が駆けつけ、フェンスの向こうから手を伸ばしてキャノピーを受け取り、無事に元の場所に戻すことに成功したのでした。

再び最初の侵入箇所に戻り、フェンスを越えてお店に戻ると、キャノピーを立たせようと男性二人が奮闘しています。見ると、天蓋を持ち上げるべきトラス構造の接合点が下を向いている。突風に持っていかれた時の衝撃で、逆向きに曲がってしまったのですね。これをトップまで持ち上げないと、ジョイントが固定されずキャノピー中央が陥没してしまい、四本の脚は真ん中に向かって傾いてしまうのです。しかしこのうなだれたトラス中心部、真下から手を伸ばしても全然届かない高みにあります。最高点まで持ち上げるには、相当のジャンプ力が要求されるぞ…。

フェンス越え往復とキャノピー回収作業完了時点で、「SASUKE」難関コースをクリアした選手のようにすっかり満足していた、還暦目前の私。過去数年間Body Craftの川尻トレーナーから受けて来たパーソナル・トレーニングの成果が、こういう形で実証されるとは…。地獄の「体幹いじめ」に耐え抜いて来たのは無駄じゃなかったぜ、とほくそ笑みます。ところがここへ突然、思っても見なかった最終ステージ挑戦権が差し出されたのです。二人の男性は代わる代わる背伸びしてみたものの、あっさりギブアップ。さあ、どうする?「やれんのか?お前に!」と心の声が詰め寄ります。チャンスはたった一回だ。何度も跳んだけどやっぱり駄目でした、などという無様な真似はしたくない。よし、絶対に一発で決めてやる!深呼吸の後、渾身のジャンプ。右腕を突き上げます。カチリとロック音が聞こえ、見事天蓋が最高点で固定されたのでした。よっしゃあ!と心の中でガッツポーズ(後で妻に聞いたら「そんなに跳んでなかったよ」とのことでしたが)。

無事に任務を完了して妻の元に戻った私でしたが、この時強烈な違和感に襲われていました。なんかちょっと怖い…。なんだろうこの感覚?

冷静に振り返ってみると、店主の女性、最後まで私の目を見ることも声をかけることもなく、サンキューの一言も発しませんでした。感謝が欲しくて取った行動ではないものの、普通に考えたら当然「有難う」な場面でしょ、これ。しかも他のお店の人達が、誰一人助けに来ようとしなかった。おいおいみんな、どういうつもりだ?何考えてんだ?

妻も同じく奇妙な感覚を味わっていたようで、「行こ、行こ、」と二人足早に立ち去ったのでした。

帰宅後、妻と昼食の支度をしながらも何となく頭の片隅にこの件が引っかかっていて、「何故彼女はお礼を言わなかったのか、どうして誰も助けようとしなかったのか」についてひとしきり話し合いました。人々の心の中でどんな思いが巡っていたのかなんて検証しようもないので、このモヤモヤを晴らすのは簡単じゃありません。私が辿り着いた仮説は、「訴訟を恐れたのではないか」というものでした。

囲われた工事現場に侵入することは、恐らく違法。後で然るべき筋を通して回収するつもりだった。そこへ頼んでもいないのに見知らぬ男がフェンスを乗り越えて行った。もしも工事関係者に見咎められたり、器物破損に至ったり、あるいは怪我でもされたりしたら責任問題になる。私はあの男とは何の関わりも無い。気がついたらキャノピーが元に戻っていた、という体でやり過ごしてしまおう、と。周囲の出店者たちも同様の心境だったのではないか…。訴訟社会のアメリカだけに、この仮説は信憑性が高い。でもだとしたら、ちょっと違う種類の怖さがあるぞ…。

その晩、あまりにも落ち着かないので、元同僚のリチャードに電話して意見を聞くことにしました。

「突然すまんね。今日さ、カクカクシカジカで…。」

藪から棒に何の話だよと突っ込んで来るかと思いきや、彼は最後まで待たず、

「なんだその女!無礼にも程があるな!」

と怒りに満ちた溜息をつきます。え?そういう反応?僕の立てた仮説はこうなんだけど、と説明すると、

“She’s not smart enough to think about the liability. She’s just rude.”

「法的責任にまで頭が回るほど賢い人じゃないね。ただ単に無礼なんだよ。」

と吐き捨てます。そして、悲しいけど世の中にはそういう人間が大勢いる、とことん話し合えば誰とでも分かり合えるものだなんてしたり顔でのたまう政治家もいるけど、そんなの嘘だ、どうしても理解出来ないタイプの人間も存在するんだよ、と興奮気味に話を広げるリチャード。

「そこまで体を張って助けてくれたシンスケにお礼の一言も無いなんて、俺には考えられないよ。」

「いやいや、そんなに大した働きじゃ無かったんだよ…。そっか、アメリカ人だから訴訟を恐れるっていうのは深読みが過ぎたか…。」

そういえば帰り道に妻が、きっとみんなから嫌われてる人なんじゃない?と言ってたことを思い出し、リチャードに伝えたところ、

「うん、それが正解だね。」

ときっぱり。だとしたら、周囲の出店者たちが誰も救いの手を差し伸べなかったのも頷けます。

「こないだも俺、どこかの建物のドアを開けて、後ろから歩いて来た若い女性が来るまで押さえてたんだけど、なんにも言わずに通り過ぎて行きやがったんだよ。ほんと、どこにでも礼儀知らずっているんだよな!」

と吐き捨てるリチャード。彼のやや激しめの道徳観を垣間見て、ちょっと笑ってしまう私でした。

「そういう時ってどうするの?」

と尋ねる私に、

「その女の背中に向かって、きっぱり言ってやるんだよ、You’re welcome!(どういたしまして)ってね。」

「え?ほんとに?」

さすがにそこまでは予想していなかった私。いくらなんでもやり過ぎでしょ、と突っ込む前に、リチャードがこう付け足したのでした。

「心の中でね。」

 

2021年8月29日日曜日

Have no fear 恐れるな


先月末、太陽照りつける金曜の正午過ぎ。上司のセシリアと近所のショッピングモールで待ち合わせしました。数年前に私が同じ界隈に転居して以来、そのうち食事でもしようと何度か話していたのですが、ずっと企画倒れになっていたのです。そうこうしているうちにコロナでリモートワークに突入し、気がつけばぶわっとタイムワープ。七月になってワクチン接種が広まり感染者数も降下したため、ようやく実現の運びとなったランチミーティングでした。

「実は今日こうして直接会おうって誘ったのには、理由があるの。」

インドカレー店のパティオ席。パラソルの下で三種類のカレーを楽しみつつ近況報告を交わした後、セシリアが言いにくそうに切り出します。

「まだ誰にも言わないで欲しいんだけど、十月にまた大きな組織改編がありそうなのよ。」

反射的に鼻で笑い、ゆっくりと首を左右に振ってしまう私でした。はいはい、またですか。一体どれだけ組織変更にエネルギー注ぎ込めば気が済むんだよ、この会社は…。

そもそもさかのぼること2018年九月、私の属する環境部門が他のビジネスラインと袂を分かち、まるで独立国家のような体制で運営されることが決まりました。それまで同じオフィスで働いて来た別部門(交通、建築、上下水道、など)の同僚たちと異なる指揮系統で動くというのです。北米西部地区の大集会にも一応招かれはするものの、オブザーバー的な立場で出席する形になり、なんとも落ち着かない気分。ややこしいことに、わが部門も同様の地域制を採用しているため、「環境部の」北米西部地区が別に存在するという、異母兄弟同居状態。

そんな居心地の悪い状況が続いていた昨年一月、「環境部北米西部」の新体制が発表されました。サンディエゴ支社のセシリアの下でこじんまりやっていた私のプロジェクトコントロールチームは、南カリフォルニア全体を所掌することになり、チームメンバーは二倍に膨れ上がりました。更に西海岸北部をカバーしていたアリーナのチームと合体し、オレゴンのカレンが二人の上司に就任。総勢二十名超の「環境部北米西部プロジェクトコントロール・チーム」が誕生したのです。

ところがそのわずか半年後、さらなる組織改編が発表されます。今度は北米全域を跨ぎ、業種ごとに横串を刺すスタイルの組織に変更するというのです。地域ごとに人を束ねる必要性が薄れるのですから、理論上はポジションを減らすことが可能。果たして数百人がレイオフされ、上司のカレンも会社を去りました。新生プロジェクトコントロール・チームはあっけなく解体され、私のチームはセシリアの下に逆戻り。アリーナのチームは別部門に吸収されました。

そして十二月。私はPDL(プロジェクト・デリバリー・リード)という職務を引き受けます。200件を超えるプロジェクトの財務管理が主な業務ですが、プロジェクトコントロールの仕事も継続することにしたため、就任以降は「起きている時間ほぼずっと仕事」という日常が続いています。最高執行責任者であるコネティカットのジョンが事実上の上司になり、毎週厳しい要求が飛び込むようになりました。

「歳入額が全然目標に達していないぞ。何としてでも月末までに達成してくれ。」

「こんな少額のコンティンジェンシーは必要無いだろう。削除して歳入額を増やせ。」

「シンスケはPM達に甘すぎる。もっとアグレッシブになれ。ギリギリ絞り上げるんだ。」

四半期毎の財務報告は経営者の成績表みたいなものですから、ジョンにとっては理にかなったアプローチです。しかし私にしてみれば、プロジェクトやPM達を危険に陥れるような真似だけはしたくない。近視眼的で金勘定優先の指示を、唯々諾々と受け入れるわけにはいかないのです。プロジェクトにはそれぞれ細かな事情があり、PM達と深く会話して初めて得られる情報は多々あります。チームメンバー達と会ったこともなく現場の状況も知らないジョンに、二千キロの彼方からやいやい言われるたび、

「これには深いわけがありまして、カクカクシカジカ…。」

といちいち弁明する私。エクセル表に並ぶ何百件ものプロジェクトの経営評価を超高速でこなしていくジョンの目には、私がPMの立場を擁護し過ぎているように見えても不思議はありません。

「次の組織改編では、地域枠を完全に撤廃しようって動きがあるの。今の私達は南カリフォルニアを管轄してるけど。それさえ失くそうって話なの。つまり部門長という私のポジションも、あなたのPDLとしてのポジションも、どうなるか分からないのよ。だから、今からそういうケースを想定しておいて欲しいの。」

セシリアの顔に、ようやく本題に斬り込めたという安堵の表情が浮かびます。

「どうしてもPDLの仕事を続けたいというのであれば今からジョンに掛け合わないといけないけど、そういう気持ちは無いんじゃないかって推察してたの。どう?」

「ご明察。PDLのポジションは喜んで返上するし、プロジェクトコントロールの仕事に百パーセント戻れるならむしろハッピーだよ。」

「良かった。思った通りだった。」

「大体さ、ジョンの方だって僕にPDLを続けて欲しくなんてないと思うよ。彼の求めているのは、もっと従順に動いてくれるタイプの人間でしょ。」

セシリアの目に、微かに躊躇の色が差します。それから慎重に言葉を選びながら、こう言ったのでした。

「連絡や報告という面では、あまりあなたのことを高く評価していないみたいね。」

察するに、彼女はこの件で既にジョンと会話を交わしていて、私に対する不満を彼から聞かされていたのでしょう。信頼関係を築けていない相手とのコミュニケーションが円滑なわけも無く、驚くに値しないフィードバックですが、このボディブローは帰宅してからジワジワと効いて来ました。一時は会社を辞めようかと思い悩むほど追い詰められた私ですが、それでも過去半年間、「可能な限りの成果を挙げた」自負はありました。だから高く評価されて然るべきというのは、よく考えれば単なる思い上がりでしょう。ジョンの目に「いつまでも打ち解けようとしない面倒くさい男」と映っていても、文句は言えません。

本職に軸足を残したまま新たな職務を引き受けた理由は、己の剣を錆びつかせたくないという思いの他に、次の組織変更で大波を食らったとしても戻れる港を確保しておこうという、一種の保険でした。しかしそんな保険、一体どれほど有効だというのか?「新体制にシンスケのような人材は必要無い」とジョンがコメントするだけで、一発退場も充分有り得ます。本当にそうなったらどうする?息子は秋から大学三年になるんだそ。あと二年分の学費、払えるのか?

それから毎日のように夫婦で話し込み、二人でビジネスを始めてみるとか、転職の可能性を求めて知り合いに連絡取ってみるとか、アイディアを出し合うのでした。

さて今月半ば、夏休みで帰省していた息子と一緒に、オレンジ郡にあるお気に入りのベーカリーカフェBrio Brioまで出かけました。オーナー夫妻とは以前から仲良くなっており、ちょうど前日からディナーメニューをスタートしたというので駆けつけたのです。この店の食パンとバターロールは、私の生涯ダントツの美味さ。わざわざサンディエゴから長距離ドライブする価値は十二分にあります。

日本での仕事も住まいも全て清算し、背水の陣でこの店を開いた彼等は、ベーカリーを出発点にどんどんビジネスを広げて行こうと意気込んでいました。しかし出会い頭にパンデミックがやって来て開店準備は困難を極め、さらにはアルコール飲料提供のためのライセンスが何ヶ月も下りなかったり、と苦難の連続。旦那さんは過労で何キロも体重が落ちたそうなのですが、「本当に上質なものやサービスを提供すれば客は必ずやって来る」という信念を胸に懸命な努力を続けた結果、今では大評判のベーカリーになっているのです。脱サラしてアメリカで店を開くという一点だけ取っても既に想像を絶するチャレンジなのに、コロナという全く予想外の大波に立ち向かわなければならなかった彼等。それでも二人の目にはエネルギーがみなぎっていて、必ず店を成功させ、将来はこのショッピングモール全体を買い取ってみせる、と野望を語ります。

残念ながら、ディナーを提供し始めて僅か二日目ということもあり、結局この夜の来客は閉店まで我々一組のみでした。

「この状況が二週間も続いたらさすがにキツイですけど、大丈夫。必ず何とかします。」

どんなに大きな障害が立ち塞がろうともとにかく前進あるのみ、という圧倒的な「生きる力」を感じます。ふと気になって、何が彼等をここまで駆り立てているのかを質問したところ、

「南カリフォルニアに住みたかったんですよ。それだけ。」

と笑うご主人。軽く頭を殴られたような衝撃を受けました。こんなシンプルなモチベーションを発射台にして、二人は新天地でゼロからの再スタートを切った。そうか、人間は強い意志さえあれば何でも出来るんだ。自分だって21年前にこの地を訪れた頃、何の武器も持たなかった。仕事のあてもなく二年間で貯金も尽きて、絶望的な状況だった。それでも何とか乗り切ったじゃないか。そうだ、大丈夫だ。「人はいつからでも、何者にでもなれる(中田敦彦)」。

夜のハイウェイをサンディエゴに向かって車を走らせながら、元気をくれたあの夫婦への感謝を噛みしめるのでした。

さて今週月曜の朝のこと、ボスのセシリアからメールが飛び込みます。組織改編のニュースを伝えたいので、緊急電話会議を招集するというのです。いよいよ本決まりか…。深呼吸をしてログインします。

「私が聞いていたのと、全く違う組織形態が発表されたの。環境部門は九月末に解体されて、各地域部門に吸収されることが決まったのよ。」

あろうことか、我々は三年前に逆戻りして、北米西部地区という元の鞘に収まるというのです。はぁ?なんだそれ。じゃあこの三年間は何だったんだ?安堵の前に、言いようのない憤りに襲われる私。度重なる組織変更に伴って費された、あの膨大な時間とエネルギー。理不尽に会社を追われた、優秀な社員たち。三年間に及ぶ壮大な社会実験は大失敗。「やっぱり前の組織に戻しますね、ちゃんちゃん。」って、それで済むのかよ!

翌日の火曜、ジョンがPDLを集めて緊急会議を開きます。

「みんな聞いていると思うが、九月を持ってこの組織体制は終了することになった。これまでの皆の努力には本当に感謝している。残りの期間、しっかり任務を遂行して欲しい。」

PDLが今後どうなるかについては分からない、とジョン。皆優秀だし上層部からの信頼も厚いので、次のポジションはすぐに見つかるだろう。かくいう自分は北米東部地区上下水道部長への異動が決まった、と。電話空間に静寂が訪れます。

「今更こんなこと言ったってしょうがないけど、私はこの仕事を引き受けるために、約束されてた技術畑のポジションを断ったのよ。」

と、カナダ地区を所掌するウェンディがため息まじりに呟きます。そう、PDLの多くは前回の組織改編時、技術系のキャリアと決別して経営サイドに両足を突っ込んだのです。まさかこんなにあっさりと梯子を外されるとは…。ジョン本人も、最高執行責任者というポジションがこれほど短命に終わるとは意外だったはず。そんな想像を巡らせていた矢先、彼がしっかりとした口調でウェンディにこう答えたのです。

“Have no fear. We are all valuable.”

「恐れるな。我々は皆、貴重な人材なんだ。」

うーむ、なんというハートの強さ。色々と確執はあったけれど、この人の持つ「生きる力」に、ちょっぴり感動を覚える私でした。

 

2021年7月5日月曜日

Field of Dreams フィールド・オブ・ドリームス

 


三十年以上前に日本で観たケヴィン・コスナー主演のヒット映画「フィールド・オブ・ドリームス」を、最近久しぶりに再鑑賞しました。自分だけに聞こえる、

“If you build it, he will come.”

「それを作れば彼がやって来る。」

という謎の声に誘われ、通常なら考えもつかない突飛な行動に出る農場経営者の主人公。気でも狂ったかと止めにかかる親戚たちに逆らい、妻子の支えを頼りに広大なトウモロコシ畑の一角を潰して野球場を建設する三十路男。メッセージに含まれた「彼」が何者なのか明かされぬまま非現実的な出来事が立て続けに起こるのですが、エンディングの涙腺爆撃で完膚無きまでに打ちのめされます。

今回も嗚咽を堪えるのがやっとの私でしたが、鑑賞後に思うところがありました。この「謎の声に従って素直に行動したら素晴らしい出来事が起きた」という経験、確かにあるような気がするのですね。理屈よりも直感を大事にしたら、不思議な偶然が重なって思いもよらないラッキーな結末が待っている。こういう体験、実際に何度かあったのです。

水曜の午後、仕事を一時中断してコーヒーのおかわりを注ごうとキッチンへ行った際、ダイニングテーブルで仕事していた妻が話しかけて来ました。

「さっきね、K子さんから電話があったの。」

「随分久々だね。なんだって?」

K子さんというのは、妻が四半世紀前に留学先のミシガンで知り合って以来のお友達です。妻はその後帰国したのですが、K子さんはカリフォルニアの日系企業に就職。数年後、妻と出会って結婚した私が留学した際、K子さんが二つ目のマスターを取ろうと選んだ学校が偶然私と同じだった、という奇跡。その後も南カリフォルニアで一年に数回食事をする関係が続いていました。そのK子さんから久しぶりに連絡があったというのです。

「野球観に行かない?って誘ってくれたの。大谷翔平がもうすぐ30号ホームラン打ちそうだからって。いいですねって答えて、今チケット調べてたの。行きたい?」

「お、いいね。行こう行こう。」

南カリフォルニアのワクチン接種率はかなりのペースで上昇しており、この界隈は「コロナ完全収束前夜」と呼んでも良いような明るい雰囲気に満ちています。しかし過去一年以上「人混み」から遠ざかって来た結果、出かけるのが億劫になっている自分がいました。試しに先月、ダウンタウンのオフィスに出勤してみたのですが、簡単に「人疲れ」してしまい、帰宅後すぐにベッドで横になる始末。大谷の活躍はネットで見て知っていましたが、片道二時間以上も運転した末に観客でごった返す球場に飛び込むことを考えると、正直ちょっぴり気が重い…。

ところがこの時、何故かそういう面倒臭さは一瞬頭から消し飛んでいて、K子さんの提案に素直に賛同していた私。後で考えても不思議なのですが、「迷わず行けよ、行けば分かるさ」とでもいう内なる声に押され、それに従っていたのです。

そして金曜日。午後二時半に家を出て大渋滞のハイウェイをじりじり進み、オレンジ郡でK子さんを拾ってエンゼルス・スタジアムに到着したのは五時過ぎ。三塁側内野3階席に陣取って見渡すと、エントランスで無料配布された赤いアロハシャツを羽織った何千という客が観客席に散らばり、全体がエンゼルス・カラーの赤で染まっています。私達の周囲には小学生くらいの子供を連れたグループが多く、バケツ大の紙容器に入ったポップコーンやらピザやらを食べながら突き合ったりふざけ合ったりしながら、やんやの歓声。

前夜ニューヨークでヤンキース戦に先発し、5四死球7失点で初回降板という稀に見る乱調を見せた大谷。いよいよスランプ突入か?ひょっとして今日の試合は欠場かも?というこちらの心配をよそに、二番DHで元気に登場した若きヒーロー。

最初の打席こそ内角高めに詰まらされてライトフライに終わったものの、二打席目は同じ内角球をライト外野席上段に深々と打ち込み、リーグ単独トップを更新する29号。球場がどよめきます。おいおい、このまま30号も打っちゃったりなんかして、と三人顔を見合わせていたら、本当に次の打席、今度はレフトに2ランホームランを叩き込みます。嘘だろ?こんなことってある?とファンはそこら中でお祭り騒ぎ。


7対7の同点で最終回裏の攻撃が始まったのは、時計が夜9時45分を回ったあたりでした。四球で一塁へ進んだ大谷はやすやすと2盗をキメますが、二塁へ送球した捕手のヘルメットに打者のバットが微かに触れており、守備妨害ということでこのプレイは無効になります。エンゼルスファンは一斉にブーイング。しかし大谷はまるで盗塁なんていつでも出来ますよとばかり、軽々と二度目の2盗を成功させます。そして四番打者ウォルシュの強打がライト前に落ちる間に俊足を飛ばし、本塁へ滑り込んでサヨナラ勝ちを収めるという、漫画だとしても嘘臭すぎるほどの劇的な展開になりました。何千もの観客が総立ちになり、その場で両手を挙げ、奇声を発して飛び跳ねます。私もあまりのことに大口を開け、目を見開いてぼんやり周りを見渡したところ、左後方の通路で拍手をしていた中年の白人男性と目が合いました。彼はにっこり笑って私の目を見つめたまま、ゆっくりと深く頷いたのでした。

「何も言うな。分かってる。最高のゲームだった。オータニは真のヒーローだ。」

赤の他人同士が暗黙の了解を交わして悦に入るという、何とも素敵な図でした。

3階席最前列まで降りて大谷選手(一平さん通訳)のヒーローインタビューを聞いた後、球場をぐるりと廻るスロープを大勢の帰り客とペースを合わせて進み、駐車場へ向かいます。その間、誘ってくれて本当に有難う、とK子さんに何度も感謝する我々夫婦。急遽決めたこの野球観戦。面倒臭がらず、心の声に従って本当に良かった、としみじみ思いながら。

それにしてもK子さん本人はどうして急に野球観に行こうだなんて思いついたんだろうね、と車中で妻と首を傾げます。何十年も交際して来たけど、これまで一度だって野球の話題で盛り上がったことがないのです。きっとK子さんの中でも、何かドラマチックな出来事が起こるかもというお告げがあったんじゃないか、という結論に至ったのですが、私にはそう確信する理由がありました。最終回が近づいた時、彼女が私の方に向いて急にこう尋ねたのです。

「ええっと、こっちがライトでこっちがレフトでいいんだっけ?」

え?…ええ~っ?

 


2021年6月20日日曜日

Swing of Pendulum 振り子の振動


金曜の昼。抜けるような青空の下、4S Ranchという比較的新しいニュータウンのショッピング・モールにあるイタリアンレストラン「Piacere Mio Del Sur」まで車を走らせました。私の見立てでは、サンディエゴ最高ランクの極上ピザを味わえるお店。この場所を選んだのは、懐かしい友人との再会を祝うためでした。

カリフォルニア州知事の発表により6月15日をもって飲食店の入店制限が解除され、これまで息を潜めていた市民達が、まるでマラソン大会スタートの号砲を聞いたかのように一斉に街へ溢れ出したようで、まだ正午前だというのに既にモールの飲食店エリアではそこここで行列が出来初めています。私の順番がようやく巡って来たので中を覗き込むと、家族連れを始めとした団体が十数組ものテーブル席を埋め、満面の笑顔で歓談しながらランチパーティーに興じています。イタリア語なまりの英語を喋るマスク姿の若い男性店員が、

「申し訳ないんだけど、あとはカウンター席四人分しか空いてないんです。」

と困り顔。ネットで調べた際に予約を取らないと断り書きがあったので直接来てみたんだけど、もうちょい早く集合時間をセットするんだったな、と軽く後悔。

「ここまで混むとは全然予測してなかったよ。」

と、店員が嬉しい悲鳴を上げます。まだ友達が到着してないんだと言うと、着席して飲み物でもどうぞ、と一番奥へ誘われ、足が床に届かないほどのハイスツールに腰を下ろします。忙しげにカクテルを作り続ける黒マスクの男性バーテンダーから笑顔の歓待を受け、ペリエを注文して喉を潤したところ、背後から白人の大男が現れました。

「ヘイ、マイフレンド!久しぶり!」

そう、この日は数ヶ月前に転職して行った元同僚ディックとのランチだったのです。野球帽からはみ出して襟元にかかる栗毛色の長髪、そして無精髭。かつてはすっきりと締まっていた腹部も、半袖シャツ越しに見事な隆起を見せています。長期の在宅勤務で運動不足だったことは一目瞭然ですが、眼光にはエネルギーが漲っていて、再会の喜びは即座に確認出来ました。カラヴァッジオ・ピザとラム肉のパッパルデッレを注文し、限られた昼食時間を有効に使おうと矢継ぎ早に質問する私。

家族は皆元気なこと、リモートワークが続いていて転職以来一度も自分のオフィスに足を踏み入れていないこと、しかしストレスは激減したこと、同僚たちの真摯な気遣いを度々感じること、チームワークが良く個々のモチベーションも高いためか、プロポーザル競争での戦績が驚くほど良いこと。

「クライアントもさ、うちのチームの結束力を感じ取るみたいなんだ。ただ単にエキスパートを沢山揃えてますよ、と売り込むのと違って、このチームに任せれば大丈夫だという安心感を与えられてる。これは転職してすごく感じてることなんだ。」

とディック。それは素晴らしいね、と私。うちの会社は顧客より明らかに株主の満足を優先しているし、社員の多くはいつ辞めさせられるかとストレスを溜めており、その前にとっとと転職しちまおうかと悩む者も少なくない。そんな環境で結束の固いチームを作るなど至難の業です。対してディックの転職先では社員の自主性が尊ばれていて、皆がのびのびと働いているとのこと。

「色々振り返ってみて思うんだけどさ、」

とディックが最適な表現を探そうと宙を見つめて暫し沈黙します。

“It’s like a swing of pendulum.”

「ペンジュラムのスイングみたいなものだ。」

Pendulum というのは振り子のことですが、彼が何を言いたいのか飲み込めず、続きを待ちます。

「トップが変わる度に、会社の方針や組織体制がガラリと180度変わって来ただろう。冷静に考えると、それは必要に迫られてではなく、ただ単に前任者のやり方を否定して新しさを打ち出したいだけの話じゃないかと思うんだよ。大きいことは良いことだ、と言わんばかりに果敢な吸収合併を押し進めたと思ったら、次の代では贅肉を削りまくれと極端なリストラに走ってさ。とにかく前体制を全否定することから新政権がスタートするから、うまく機能していたやり方でさえ、お構いなく嵐のように吹き飛ばして行く。我々末端社員に出来ることは、次の大幅改革とやらが到来するまで頭を低くしてやり過ごすくらいさ。」

つまりディックが言いたかったのは、こういうことですね。

“It’s like a swing of pendulum.”

「まるで振り子の振動みたいなものだ。」

昨年秋の組織改編で私の身の周りに起こった変化も、まさに180度の方向転換でした。西海岸をひとつのブロックとして経営すること、プロジェクト・コントロール部門を一枚岩にし、PM達とパートナーシップを組んで経営改善に望むこと。そういう方針で仕事を進めていたのに、突如東海岸チームがカナダを含めた北米全体の経営指揮権を得て、プロジェクト・コントロール部門はあわや解体の危機に。何とか存続はしたものの、弱体化は誰の目にも明らか。PM達はマイクロ・マネージされ、これまで四半期ごとだった経営状況のチェックも毎月に頻度が上がりました。

PM達が何よりフラストレーションを訴えるのは、自分のプロジェクトの背景をよく知らない遠く離れた連中が、データだけ見て「問題の可能性」を指摘し、「今すぐ解決案を策定しようじゃないか。我々に出来ることは無いか。」と干渉して来ること。そもそもエクセル表に現れたデータはプロジェクトの状況を正しく反映していないことが多く、数字に表せない特殊事情を色々学んで初めて理解出来るケースがしばしばなのです。大勢で寄ってたかって解決すべき問題などそもそも存在しないのだと上層部に納得させるのは時間と労力の無駄であり、有難迷惑でしか無い。地域ごとにマネジメントが任されていた頃は良かった、と。

プロジェクトの問題を発見し解決するのはPM(とそのパートナーであるプロジェクト・コントロール)であり、彼らの自主性を重んじた上で必要に応じ上層部が手を差し伸べる、というのが私が理想とする組織運営です。これに対し新体制は、上層部が監視の目を光らせ、PM達が気づく前に問題の可能性を察知しズカズカと介入する、という流儀。

経営改善のプレッシャーは必要ですが、双方向の信頼関係も極めて重要です。ある程度の自由裁量を与えられている代わりに責任も負っているという自覚があるからこそ、PM達は自信を持って働けるのだと思います。新体制のやり方に適応しつつも、その思想に染まることは避けよう、いずれ振り子は逆に振れるのだから…。そう自分に言い聞かせる私でした。

「結局さ、信頼の欠如に気づいたPM達はやる気を失って行くんだよな。」

とディックが力なく笑います。転職前の彼は、まさにそういう心境だったのでしょう。

彼のこの表情を目にした時、つい最近体験したある出来事を思い出しました。

毎朝一万歩のウォーキングを日課としている私は、薄曇りの早朝、ガランとした住宅街の大通りを軽快に進んでいました。何か前方の景色に違和感を覚えて目を凝らすと、交差点の手前で道の真ん中にSUVが停まっており、運転手らしき若い男性が降りて大声で誰かに呼びかけています。近づいて行くうちに、もう一台、逆向きのSUVが歩道の植え込みに乗り上げ、電信柱の手前でストップしているのが目に入りました。そしてようやく、その左前輪のタイヤがバーストして跡形もなくなっていること、運転席のドアは開いており、車内は無人であることに気付きます。

車道に立って声を上げている男性の視線の先を見ると、痩せた人物が、こちらに背を向けて遠くをよろよろと歩いています。どうしたのかと尋ねると、

「車がこんなことになってるのに、運転手がどんどん向こうに歩いて行っちゃうんだ。心配になって声をかけたんだけど、立ち止まってもくれないんだよ。」

もう一度遠くに目をやると、その人物が突然振り返り、こちらに向かって何か言い始めました。どうやらかなり高齢な人物で、その歩き方から、頭を打って朦朧としているか、どこか怪我をしているかが疑われます。

「どうしよう。俺、もう行かなくちゃいけないんだ。」

と腕時計に目をやる男性に、

「あとは僕に任せて。もう行っていいから。」

と言い、急いで老人の後を追いかけました。

「大丈夫ですか。お怪我はありませんか。」

近寄ってみると、枯れ木のように痩せた白人男性。八十代後半でしょうか。声帯の手術を経験した人のようで、ほとんど声が出ていません。耳を近づけてみると、

「大丈夫。怪我はしてない。」

と答えていることが分かりました。

「どこへ行こうっていうんです?あれはあなたの車ですよね。」

「パンクしたんだ。今から家へ帰らないと。」

「ご自宅は近いんですか?」

「いや、遠い。」

「どなたかご自宅にいらっしゃるのですか?連絡出来ますか?」

「一人暮らしだ。電話は家に置いてある。帰宅すれば連絡する相手はいる。とにかく家に帰らなきゃいかん。」

やれやれ、電話も持たずに外出したのかよ。

「あまり動かない方がいいと思いますよ。頭を打ってるかもしれないし。」

「打ってない。大丈夫。とにかく誰かに家まで送ってもらえさえすれば何とかなるんだ。」

「私は今ウォーキングの最中なので、お送り出来ないんです。一旦車のところまで戻りませんか。」

連れ立ってゆっくりと今来た道を戻り、二人で故障車をしげしげと眺めます。左前輪が大破してはいるものの、よく見ると電信柱の数センチ手前で止まっており、衝突の形跡は無い。歩道に乗り上げてはいるものの、大きな交通の邪魔にもなっていない。確かにこの老人が言う通り、一旦家に戻って電話でレッカー車を手配すれば解決出来るケースのようです。後は彼がどうやって自宅まで辿り着くか、ですね。この人のためにウーバーを呼んであげるべきか。でも、どうやって料金を精算すればいいのか?いや、一旦我が家へ帰って車でここまで戻るか。そうすると彼を15分ほど待たせることになる。そりゃ良くないな…。そうして頭が問題解決モードに突入したその時、サイレンの音が聞こえて来ました。角を曲がってサンディエゴ市警のパトカーが目の前に現れるのと同時に、老人が弱々しい声でつぶやいたのでした。

“Oh boy.”

「マジかよ。」

恐らく一部始終を目撃していた近所の人が、警察に電話したのでしょう。事故車の後方で停車したパトカーから、筋肉隆々の若い警官が二人降り立ちます。何とかおおごとにせぬようもがいた老人が、寄ってたかって問題解決を図ろうと張り切る人々の前に屈する、という皮肉な結末。

「あ、私は単なる通りすがりの者でして…。」

とプロ達に後を任せ、そそくさと立ち去る私でした。

 

2021年6月6日日曜日

Hair-on-fire Situation  髪の毛燃えてる状況

 


よく晴れた土曜日。十年来の友人夫婦と四人でランチに出かけました。コロナで自宅に籠もる生活を延々と続けて来たため、最後に会ってから一年半以上も経過していたことにあらためて気付き、愕然とします。

「ネットフリックスで最近観始めたんだけど、テラ・ハウスってのにハマってるんだ。」

食事を終え、興奮気味に語るご主人のリーさん。

「テラスハウスのことね。」

と補足する、奥様のミワコさん。

数年前に海軍を引退し、一般文民として民間企業に勤めながらも日々肉体鍛錬を怠らないバリバリ硬派のリーさんですが、「相手の気持ちが読み取れない」状況で何とか関係を進展させようともがく若い男女の様子や、それを実況解説するという形式の斬新さに惚れ惚れしているのだと。

「あたしはAmerican House Wivesみたいなリアリティ・ショーの方が好きなんだけど。」

とミワコさん。

そもそも「テラ・ハウス」を勧めてきたのはアメリカ人の同僚男性なんだ、とリーさんが笑います。思考や感情を露骨に表現せず、「慮った」り「忖度」したりを美徳とする奥ゆかしき日本文化を全面に押し出した作品が、逆にストレートな物言いをお家芸とするアメリカ人の興味を惹きつけた。理に適っているとはいえ、何か新鮮な驚きを覚えるのでした。

「アメリカのリアリティ・ショーだと、好きだ!とか大嫌い!とか、臆面もなく男女が怒鳴り合ってるし、すぐに抱き合ってキスして、ウヤムヤのうちにできちゃったりするじゃない。」

とミワコさんが笑います。

次の一手を繰り出す前に、相手の仕草や言葉の端々から真の意図を嗅ぎ取ろうとする日本人のコミュニケーション方法は、まどろっこしいしテンポも遅い。渡米する前はこれが息苦しく、アメリカのドラマや映画に観る「曖昧さを排除した意思伝達法」の方がスピーディ且つ効率的なのだから、日本人社会にも導入したらどうかな、と思案したものでした。

さりながら、「二つ良きことさて無きものよ」というフレーズもあるように、日本流とアメリカ流のどちらが優れているかなんて比較は全くもって無意味な試みなのだという結論に、最近あらためて辿り着いた私。

前日の金曜日、朝九時の電話会議。私を含めた北米のPDL(プロジェクト・デリバリー・リード)五人と財務部門の数人を集め、連日同時刻に行われる連絡会。オペレーション部門のトップである東海岸のジョンが、画面に映し出されたスプレッドシートの数字にカーソルを合わせながら、質問して行きます。

「次はシンスケの番だ。」

私が所掌するプロジェクトおよそ250件の内、5月期決算書に特別歳入計上が出来そうなものを選んで毎朝発表することになっていたのですが、正直な話、毎月毎月ギリギリまで搾り取って来たため、もう「逆さに振っても鼻血も出ない」状況です。二件ほど少額の計上予定を説明し、大物一件は現在部下のシャノンが分析中です、と締めくくったところ、予想通り猛烈な追い込みをかけて来るジョン。

「何だと?それだけか?これじゃあ全く目標に届かないじゃないか。」

PDLには予めそれぞれの目標額が与えられていたのですが、そもそもどんな根拠があってその数字を割り出したのか謎なのです。進行中のプロジェクトから特別に歳入を計上するためには、将来の収支予測を楽観的な方向に修正する必要があります。まるでドローンを飛ばして飛行中の旅客機に横付けし、予備タンクの燃料を抜き取って行くような行為。良くて不時着、一つ間違えば墜落いう大災害を招きかねない、危険な賭けです。私としては各PMと会議を重ね、一件一件丁寧に検討した上で結論を出しているつもりなのですが、「慎重過ぎるぞ。もっとアグレッシブに取り組め。」と責め立てられる毎日。

沈黙する他のPDL達の面前でじわじわと締め上げられる私でしたが、苦し紛れにやっと絞り出した答えが、これ。

「可能性があるとすれば、エレンがPMを務めているプロジェクトです。朝一番でシステムをチェックしていたら、まだ推敲中の将来収支予測データを発見したんです。もしそれが最終稿なら、千ドルくらい余分に計上出来そうなレベルでした。」

「それで、エレンに問い合わせはしたんだろうな?」

「メールを投げましたが、今日は朝から現場に出ているという自動返信メールが返って来ました。時々メールをチェックするということなので、返信を待ってます。」

「電話はかけたのか?」

「いえ、彼女は今、現場仕事に取り組んでいる最中だと思います。さすがにそこは尊重すべきかと…。」

するとジョンが、語気を荒げてこう言ったのです。

“We’ve already passed that point. People’s jobs are on the line.”

「そんな悠長なことを言ってる場合じゃないんだ。このままじゃ誰かの首が飛びかねないんだぞ。」

千ドル余計に載せられる「可能性がある」というだけの話だし、しかもたまたまそういう原稿の存在にさっき気がついた、と言っているのです。そんな曖昧な情報をもとに現場の仕事を中断させるような行為を正当化する神経が、私にはありません。沈黙する私に対し、ジョンがこう続けました。

“This is a hair-on-fire situation.”

「これはヘア・オン・ファイヤーな状況なんだよ。」

おお、新しいフレーズが飛び出したぞ、と思わずノートに書き取る私。On fireというのは「火が着いている」つまり「燃えている」という意味なので、hair-on-fire で「髪の毛が燃えている」となります。つまりジョンが言いたかったのは、こういうことですね。

“This is a hair-on-fire situation.”

「絶体絶命の大ピンチなんだよ。」

直ちに携帯電話でエレンに連絡を取ることを約束すると、ようやく拘束を解かれ、次のPDLマリアンにバトンタッチしたのでした。

定例連絡会が終了した後も、中間報告の催促や緊急電話会議が絶え間なく続きました。ちなみに、現場で電話に出てくれたエレンからは、「あの収支予測はまだちゃんと検討が終わってないの。今の段階じゃ答えを出せないわ。」とあっさり拒否されました。

部下のシャノンが抱える大物案件からは、夕方六時まで二人で分析を重ねた結果、約2万ドルの特別歳入を叩き出すことに成功。メールでジョンに報告しましたが、既に東海岸では夜九時を回っており、ノーリアクション。全ての案件をかき集めても与えられたトータル目標額には遠く及びませんでしたが、心身ともに疲弊しきっていた私は、「後は野となれ山となれ」とばかり、シャノンとともにコンピューターをシャットダウン。怒涛の一週間に幕を下ろしたのでした。

こんな風に緊張感溢れる生活を去年の十二月末から続けて来た私の精神状態は、つい最近までボロボロでした。妻からは、

「そんなブラック企業、とっとと見切りをつけて転職した方がいいんじゃない?」

と履歴書の更新を勧められていたのです。

それが一週間ほど前になり、出し抜けに「トンネルの先の明かり」が見えたのです。何が具体的なきっかけだったのかは不明ですが、ある時突然、「ジョンは単に自分の考えを素直に表明しているだけで、相手を攻撃しているわけではないかもしれない。」という認識が脳に浮上したのです。電話会議中の会話に注意深く耳を傾けてみたところ、彼と付き合いの長い古参PDL達は、ジョンの激しい質問攻撃にもジョーク混じりで淡々と切り返しています。そしてジョンも度々、「皆のハードワークには本当に感謝している。」と我々を労っていたことに気が付きました。彼の言動に攻撃的意図を読み取ってファイティング・ポーズを取り続けていた私ですが、もしかしたら不必要にストレスを溜めこんでいたのかもしれない、という考えに至ったのです。

金曜の午後一番に緊急招集された会議でも、検討対象となったプロジェクトのPMマットに特別歳入の計上を詰め寄ったジョン。何故それが危険な行為なのかを言葉を尽くして説明した私に、

「ああなるほど、確かにそうだな。了解。解説を有難う、シンスケ!」

と、拍子抜けするほどあっさり引き下がったのです。

渡米から二十年以上も経ち、アメリカ式のストレートなコミュニケーション方法は熟知していたつもりでしたが、自分の中の「日本人的な」部分が、世界の見方を知らず識らずの内に歪めていたのかもしれない。郷に入っては郷に従え、というけど、文化的な基盤が違う場合、そう簡単に適応出来ないものなんだなあ、としみじみ思うのでした。

さて、コンピュータの電源を落として死んだふりを決め込んだ私ですが、ジョンがあれほど事態の緊急性を強調していたことを考えると、週末に何らかの動きがあるかもしれません。さすがに心配になって来て、土日の二日間、結局ちょくちょくメールをチェックしてしまった私。ところが、本当に一本の連絡も来ないのです。勤務時間は鬼のように働くものの週末はきっちり休む。そうだ、アメリカ人ってやっぱそうなんだ。納得しようと試みてはみるものの、どこかまだちょっぴり不安な、「日本人の」私でした。