2019年9月22日日曜日

問題発生

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2019年9月8日日曜日

Moral of the story 物語のモラル


木曜の朝は久しぶりに6時出社。もちろん一番乗りです。暗いオフィスの照明を全てオンにし、席に着きます。仕事を開始して一時間後、チーム最年少のブリトニーがやって来て隣の席に座ったところで、

「ねえ、いつもより空調冷え気味じゃない?」

と尋ねました。

「そうかしら。」

と天井を見上げながら、数秒間動きを止めるブリトニー。そしてニッコリ笑ってこう言うのでした。

“It’s like Goldilocks and the Three Bears.”
「まるでゴールディロックスと三匹の熊みたいね。」

はあ?何の話か皆目見当がつかないので、素直に質問してみました。

「え?知らない?」

純粋に驚いた表情で彼女が説明してくれたのが、これ。

「アメリカの小学校に通った人なら誰でも一度は読み聞かせされた経験のあるお話だけど、ゴールディロックスって女の子が散歩中、森の中で一軒家を見つけるのね。中に入ってみると誰もいなくて、テーブルにオートミールの入った器が三つ置いてあるの。ひとつはとても熱くて、もう一つはすごく冷たくて、三つ目がちょうどいい温度だから美味しくいただいちゃったの。椅子も三つあってね、ひとつは固すぎて二つ目は柔らかすぎて、三つ目がちょうどいいサイズだったから座ってみたら、壊れちゃったの。で、ベッドでも同じようなことが起きて…。結局それは熊の家族のおうちで、帰って来たら家の中が滅茶苦茶になってたって話。」

う~む。何が何やら…。

「で、それと空調の温度と、何の関連があるの?」

と私。

「だからね、オフィスって暑過ぎたり寒過ぎたり色々でしょ。ちょうどぴったり快適な温度になることなんて無いのよねって言いたかったの。」

「あ、そういう話なの?わがままなガキみたいに文句ばっか垂れるなって怒られた気がしたんだけど。」

「そうじゃないわよ。ただ単純に、自分の思い通りになることなんて滅多に無いって話。」

ふ~ん、そうなの。でも何だかスッキリしないので、仕事を中断して検索してみました。

「ちょっとブリトニー、さっきの話だけどさ、ネットでは違う解釈ばかりだよ。他人の領域に入り込んで思うがままに行動してはいけないっていうのが、一般的に受け取られてるメッセージみたい。」

「え?なんですって?」

あっけにとられた後、不審な目になるブリトニー。そこへシャノンが出社して来ました。

「ねえシャノン、ゴールディロックスと三匹の熊ってお話知ってるでしょ。」

「ああ、何となくは覚えてるけど…。」

そこでブリトニーが使った表現が、これ。

“What’s the moral of the story?
「物語のモラルは何?」

モラル(「モ」にアクセント)というのは日本語で「倫理」と訳されるのが普通ですが、この場合は「良い人間になるための教訓」という意味ですね。つまり、ブリトニーの質問はこう。

“What’s the moral of the story?
「このお話の教訓って何だっけ?」

ちょっとの間首を傾げていたシャノンですが、

「う~ん、それは全然覚えてない。」

と肩をすくめました。ブリトニーは自分の理解を説明しましたが、それが正解とも不正解とも判断できないようで、するっと会話から離脱して席に着くシャノン。

「ざくっと流れを聞いただけだと、ネットの解釈の方がぴったり来る気がするんだよね。」

率直な意見を述べる私のモニター画面を覗き、解説文の横に白人中年男性の顔写真が添えられているのを見た若いブリトニーは、

「それ書いてるのはおじいさんでしょ。きっとわざとユニークな見解を発表しようとしてるのよ。小さい時に私が受け取った教訓はあくまでもそういうことなんだから、今更変えられないわ。」

結局のところ物語の教訓なんて、聞く側の解釈次第でどうにでもなるのですね。単に大多数の人間が見解を一致させているからと言って、それを誰にでも押し付けて良いわけではない。「赤ずきんちゃん」だって「三匹のこぶた」だって、教訓の解釈は読者の勝手。とりわけ場面転換が激しく変化に飛んだストーリーになると、読者側の解釈はもはや作り手にも予測出来なくなると思うのです。日本の学校では「この物語の教訓を述べよ」という国語のテスト問題があったし正解を聞いてなるほどと納得してたけど、ブリトニーのこの居直りには、アメリカ社会の柔軟性と度量の大きさを垣間見たような気がしました。

さて話変わってこの日の夕方は、毎月第一木曜日に開かれる恒例イベント「Light Table Presentation」がありました。港を見下ろす窓際の小劇場型会議室で、社員の誰かが自由題で話をするお楽しみ企画。軽いスナックや飲み物を手に、時にヤジを飛ばしながら仲間のプレゼンを聞くのです。今回のタイトルは、「Discovery of Beautiful Japan (美しい日本の発見)」。もちろん、プレゼンターは私です。イベントのまとめ役ダンがわざわざ日系スーパーMitsuwaまで走り、巻き寿司(といってもアメリカ式ですが)、歌舞伎揚げ、たまごボーロ、抹茶味のお菓子各種を買い込んで来てカウンターに並べます。私は大型スクリーンにパワーポイントのスライドタイトルを映してリモコンの具合をチェックしつつ、入場者を待ちました。

実は今回のプレゼン準備中、いつにも増して産みの苦しみを味わっていた私でした。去年の春と冬の一時帰国がネタ元で、花見や初詣らの写真を見せようと考えてはいたのですが、「自分は結局聴衆に何を伝えたいのか」がなかなか定まらず自問自答を繰り返した末、とうとう前の晩遅くになってようやく見つかったのでした。

五時少し前になって社員がぞろぞろ集まり始め、皆カウンター前に列を作って物珍し気に覗き込みながらスナックを手に取ります。三十人程の出席者がほぼ自分の座席や立ち位置を定めたのを見計らい、ダンが立ち上がります。

「皆さんようこそ。今日はシンスケが、日本についての話をしてくれます。食べて飲んで、楽しんで下さい。」

まずは「自分年表」からスタート。20008月、日本の勤め先を辞して渡米したこと、翌年息子が誕生したこと、2002年に今の会社に入ったこと、その後ほぼ四年おきに一時帰国して来たが、2013年夏を最後にルーティンが途絶えていたこと。2019年に大学進学する息子の一人立ち前に最後の家族旅行をしようじゃないかという話になったこと…。

この後私が伝えることになる情報は、前の晩になって急に付け加えたものでした。

「現在息子は日本とアメリカふたつの国籍を持っていますが、日本の法律によれば、22歳になる前にどちらかを選ばなければなりません。彼は一度も日本で暮らしたことが無く、このままではフェアな比較が出来ない。妻と相談し、春のお花見、そして冬の初詣という、多くの日本人にとって大事なイベントに照準を合わせ帰国することに決めたんです。」

正直なところ、「国籍の選択」という要素が今回の「一年に二度の一時帰国」という決断にどの程度影響していたかは、プレゼン前夜まで脳裏をよぎりもしませんでした。しかし突き詰めて考えれば、わざわざこの二つのシーズンを選んだのは「日本の素晴らしさを今のうちに息子に伝えておきたかったから」に他なりません。

「しかし今回の二回の旅で、むしろ親の私の方が日本の美、日本人の凄さを再認識することになったのでした。暫く距離を置くことによって、母国を客観的に眺めることが出来たのかもしれません。これから皆さんに、私の見たこと感じたことをお話して行きたいと思います。」

まずは成田空港のリムジンバス乗り場で、出発するバスに向かい深々とお辞儀する係員の映像を流します。

「自分が何年もちゃんとお辞儀していないことを、この時初めて意識させられました。」

それから駅で迎えに現れた83歳の父が30メートル先のバス停に違法駐車していた自家用車までダッシュした話、彼がATMの帰りに落とした「封筒にも入っていない」三万円を誰かが拾って交番に届けてくれた話を続けます。健康長寿で人に親切、という日本人のイメージを印象付けるエピソードですね。

更に東京各地で撮影した桜満開の写真、湖面に映った富士山の映像、新しくなった東京駅、神宮前のクリスマス・イルミネーション、蔦屋書店内の日本刀コーナー、酒とビールのコーナー、と続きます。建物や内装はもちろん、空間全体がとにかく清潔だということを強調します。

「どこへ行っても塵一つ落ちてないんですよ!」

ここで突然画面が変わり、話は急転回を見せます。

「色々出かけはしましたが、実は息子が一番行きたかったのはコンビニなんですね。」

日本のコンビニが外国人旅行者にとっても人気スポットなのは周知の事実らしく、笑いが起こります。小綺麗なパッケージに包まれた何十ものキャンディやグミ、お酒のおつまみ、そして色とりどりのドリンクが映されます。聴衆からおお、と溜息が漏れます。

「街中で至る所に設置されている自販機も、息子のお気に入りです。」

そして、自販機の中身に注意を促します。よくよく眺めると、大半はお茶やコーヒーなどの低カロリー商品。糖分過剰な炭酸飲料がひしめいているアメリカの自販機とはだいぶ違います。飲料がそうなのは分かった、じゃあ食べ物は?ということで、滞在中の食事をいくつか紹介。焼き魚定食、ナス豆腐定食、釜揚げシラス丼、鯵のたたき定食、など低脂肪メニューが続きます。

「こんな食事を続けていれば、健康になりますよね。」

そして世界各国の平均寿命グラフを映します。もちろん日本が堂々のトップ。女性87歳、男性81歳という数字を聞いて、オーディエンスから溜息が漏れます。

「食事もそうですが、とにかく歩く機会の多い事も長寿の秘訣だと思います。」

電車やバスといった公共交通機関の発達により、自家用車を使う時間が少ない日本人。その分歩かざるを得ないので、自然に日々の運動量が上がる。

「花見のハシゴをした日なんて、三万歩近くも歩いたんですよ。」

と、歩数計アプリのスクリーンショットを映します。

「旅行中は毎日山ほど食べたのに、結局体重は全然増えませんでした。」

街歩きといえば、東京は良く歩きました。そう繋げ、日本橋高島屋開店の映像を流します。制服に帽子姿の二人の若い女性が並んでお辞儀をしてから、まるで正倉院宝物殿開門みたいに恭しく正面ドアを開く様子が流れます。次に、街のそこここに突如現れる神社の写真が続きます。近代化を遂げた高層ビルの谷間に佇む、朱色の鳥居や瓦屋根の建物。そこへお参りのための列が出来ている。今回あらためて調べたところ、日本の神社というのはコンビニよりもお寺よりも数が多く、日本人の生活に日々触れているのだという話をします。神道は宗教というより日本文化の根っこにあるもので、「浄める」という思想がその中心にある。暮らしを浄め、心を浄める。プロジェクトの着工にも神主を招いてお祓いしてもらう。結婚式でも浄めてもらう。

正月二日には、夫婦で皇居の一般参賀へ行って来ました。丸の内から行列がスタートし、約5時間じりじり進んでようやく長和殿ベランダに到着。15秒ほどしかない天皇陛下のご挨拶を拝聴した後、またゆっくりと列に従って東京駅方面へ。平成天皇最後の一般参賀ということもあり、この日は15万人以上もの人が皇居に詰めかけました。私が一番驚いたのは、これだけの数の人が長時間文句も言わず列に並び続けたこと。少なくともその三割はお年寄りだったのに、よく耐えられたなあ、と。これはきっと、みな子供の頃から足腰を鍛錬していたからかもしれない、と小学校の体育授業の写真を映します。低学年の児童たちが体育館の中、体操服に紅白の帽子という出で立ちで、「前へ倣え」と列を作っています。

「息子が九歳くらいの時、親戚の人に頼んで一週間ほど日本の小学校で体験入学させてもらったことがあります。その時の写真を後で見たら、うちの子だけ普段着の黄色いTシャツを着てるんです。体操服や靴一式は予め調達して渡してあったのに、着替えを拒んだらしいんですね。その写真を見て、ああ彼はすっかりアメリカ人なんだなあ、と思った記憶があります。」

後で事情を聞いたら、クラスメート達が更衣室にも行かずいきなり教室で一斉に着替え始めたのに度肝を抜かれたらしいのですね(アメリカではあり得ない習慣)。皆と一緒の着替えは恥ずかしいけど、一人だけ違う服装で授業に出るのは恥ずかしくない、と。これには感心すらしました。

そんな彼に今回、実家に一人で泊まらせ、私の父と一日二人で行動させる機会を作りました。沢山話が出来て楽しかったそうなのですが、別れ際に息子がハグを求めたところ、父は両手を突っ張らせて後ずさりし、接触を拒絶したとのこと。

「日本では、人と身体を触れ合うことってあまり無いんですね。ハグはもちろん、握手だって一般的じゃありません。少し距離を取ってお辞儀をするのが通例なんです。」

ここで、日本人男性二人が向かい合って深々とお辞儀する写真を映します。聴衆は、ああ知ってる知ってる、という感じで頷きます。

次に、日本橋で買った折り紙用の色紙セットを映します。「青」というタイトルで、様々なバリエーションの青色がおさめられています。

「日本の伝統色ってこうなんです。同じブルーでも微妙に違う色合いが含まれてて、どれ一つとして主張し過ぎていない。でも全体で見ると絶妙に調和している。これって、日本人の生き方を象徴しているような気がするんです。礼儀正しく規律に従い、目立とうとせず周囲に合わせる。その結果、平和で落ち着いた社会が出来上がる。まあその分静かにプレッシャーがかかっているんですけどね。私は元々ずけずけ喋ってしまうタイプなので、正直、息苦しく感じる時もありました。だからアメリカに渡った時、自由な空気を胸いっぱいに吸い込んだことを憶えています。」

ここで、青い空と椰子の樹、色鮮やかなブーゲンビリアや極楽鳥の写真を出します。

「でもそのうちこの国では、そんな自由と引き換えに、不平等やとんでもない貧富の差、社会不安などが生まれていることも実感しました。社会の安定か個人の自由か。日本とアメリカって、そんなスケールの両極端にあるような気がします。」

ここで、満開の桜に挟まれた目黒川の遊歩道をそぞろ歩きつつ撮影した動画を流します。カメラを少し空へ向けると、早くも散り始めた花びらがひらひらと舞っています。

「桜の花って、完全な白でもなくピンクでも無く、そのどこか中間にあるんですね。よく見れば樹によっても花びらそれぞれも、少しずつ微妙に違ってる。でもちょっと引いてみると、全体で見事に調和してるんです。そのことが、日本人の心の琴線に触れるんだと思います。」

最後の動画は、息子が桜の花びらを追いかけ、その一片をふわりと右手で受け止めて嬉しそうに私に見せるところで停止しました。

「息子はこの夏一人立ちしました。将来どちらの国籍を選ぶかについては、彼の判断に任せます。でも今回の二度の旅で、二つの全く異なる文化をバックグラウンドとして持つことの幸運を再認識し、どちらも等しく愛せる人になってくれたらいいな、と願っています。ご清聴ありがとうございました。」

大きな拍手と共にプレゼンは終了し、Q&Aタイムに入ります。

「犬連れてる人があまり出て来なかったけどペットはいないの?」
「日本人の健康長寿に貢献している要素って他に何があると思う?」
「サンディエゴでお薦めの日本食レストランはどこ?」

テーマは盛り沢山ながら一応ラストで伏線を回収したつもりだった私は、このあまりにもバラバラな質問内容に、あ、やっぱり伝わらなかったか!とプレゼン編集の失敗を悔やんでいました。ところが最後に会計担当のマーゴがおずおずと手を挙げ、

「このプレゼン、息子さんには見せた?」

と尋ねます。いや、見せてないけど、と答えると、

「絶対見せるべきよ。私もう、泣きそうになっちゃったんだから(I choked up)。」

おお、少なくとも一人、こちらのメッセージを素直に受け取ってくれた人がいたぞ!ほっとする私。その後会場を片付けていると、他の参加者たちと談笑していたマーゴが近寄って来て、涙目でこう言いました。

“Can I give you a hug?”
「ハグしていい?」

あ、もちろん!と答える私。マーゴは両手を拡げ、固いハグをくれました。そして急に思い出したかのように身体を離し、両腕を身体の脇にぴたりとつけ、一礼して「サンキュー。グッバイ。」と固い口調で付け足すのでした。

え?そこが響いてたの?