2018年5月28日月曜日

Elbow-Rubbing Person 肘をこする人


先々週の水曜、夕食を終えてソファでくつろいでいたところ、携帯にテキストメッセージが入ります。

「シンスケ、まだ同じ会社にいる?」

だいぶ前に突然辞職した、若いエンジニアのジェイソンからでした。どういう経緯でそうなったのかも知らないし、退社当日の記憶さえ無く、気が付いたら消えていた、という印象。勝気な男だったので、何かに腹を立てて喧嘩別れ的に突然飛び出して行ったのかなあ、と勝手に想像していました。そんな彼が、どうして今頃連絡を取って来たのか?

「うん、まだいるよ。元気?」

「ヘイ、マイフレンド!そのうちランチに行かない?」

「いいね。そっちもサンディエゴにいるの?」

「イエス、サー。ダウンタウンにいるよ。こないだPMPを取得したんだぜ!」

「やったね!それじゃ、お祝いしなくちゃ。来週火曜でどう?」

そんなわけで翌週、「エクストラオーディナリー・デザート」という人気レストランでのランチが決まったのでした。

私の勤める会社は人の出入りが多く、二、三年で社員が去ることは珍しくありません。最初の内はそのことに動揺していましたが、今では「そうかそうか、またいつかどこかで会おう!」くらいの受け止め方になっています。人の一生というスケールで見れば、転職なんて大した事件じゃない。僕はただ彼等と知り合えたことに感謝し、ひとつひとつの出会いを大切にして行こう、と。「袖擦り合うも他生の縁」と言うじゃないか…。

さて、眉間に皺を寄せたシリアスな若者役時代のデカプリオそっくりなジェイソン。同じオフィスで働いていた頃は、権威に屈せず正論を貫こうとするこの若手社員にハラハラしながらも、ついつい応援せずにはいられなくなる元「青臭い若造」の私でした。新天地で活躍してくれてたらいいけど、もしかしたら「勢いで転職してはみたものの、隣の芝生は青くなかった。何とか戻れる道は無いか。」なんて泣きつかれるんじゃないか。あるいは、「うちの会社に来てプロジェクト・コントロールやってくれないか」と勧誘されたりして、などと色々な展開を想定しつつ、店の前で彼を待ちます。

12時ぴったりに現れた彼は、携帯で誰かと話しながら笑顔でこちらに右手を挙げ、すぐに終わるから、という手振り。そういえばこの男、ミーティング開始時間になってもこちらを待たせ、携帯で誰かと話しながら廊下を行ったり来たりしてることが多かったな、と思い出して可笑しくなりました。

「いつ辞めたんだっけ?」

店の真ん中の二人掛けテーブルに向かい合わせて座り、さっそく質問する私。

2016年の12月だよ。シンスケはちょうどオーストラリアに出張してたから、話すチャンスが無かったんだ。」

「そっか、だから記憶が無いんだ。」

これでようやくすっきりしました。ぷいと去って行ったわけではなかったのです。

新しい会社は社員200名程度。直接社長と話すチャンスも度々あり、風通しは頗る良いとのこと。PE(プロフェッショナル・エンジニア)にPMPの称号も加わり、「シニア・プロジェクトマネジャー」という堂々の肩書。組織が小ぶりな分活躍の場は広く、伸び伸び働いていると言います。

私がかつてサポートしていた彼の担当プロジェクト数件がその後どうなったかを尋ねるジェイソンに、

「ジャックがPMを引き継いだけど、彼は僕のサポート要らないってさ。オファーはしたんだけどね。あの部門はメンバーほとんど総とっかえしちゃったから、様子がよく分からないんだ。」

と答える私。

「ジャックか。あの男には俺、ずっと変人扱いされてたなあ。」

「え?そうなの?」

「格別評判良くなかったでしょ、俺。」

「気が付いてたの?」

「そりゃそうだよ。」

周囲との摩擦に頓着しないその姿勢に、彼の上司や同僚達が手を焼いていたことは知っていました。しかし、本人がどれだけそれを意識していたかは謎だったのです。

この時ジェイソンが放った次の言葉に、思考が止まります。

“I’m not an elbow-rubbing person.”
「俺、肘をこする人じゃないから。」

ちょっと待った!と会話を中断。ヒジをこする?どういう意味?と解説を求めます。

「知らない人達の中にでもどんどん入って行って親しくなろうとする人のことだよ。」

「それがどうして、ヒジと関係あんの?」

Rub elbows with someone(人とヒジをこすり合う)ということは、すごく近い距離で誰かと話すことだろ。だからじゃないかな。」

なるほどね。要するにこういうことですね。

“I’m not an elbow-rubbing person.”
「俺、社交的な人間じゃないから。」

ジェイソンが真剣な表情で続けます。

「ただ同じ会社で働いているからといって、無条件に仲良くしなきゃいけないってのはおかしいと思う。俺は表面だけナイスな人間になりたくないんだ。己の信じる道を突き進むと、決まって周りとの調和を強要する人が現れる。それに屈することは、自分の信条が許さないんだ。衝突は日常茶飯事だった。お前って嫌なヤツだなって面と向かって言われたこともあるよ。」

「頑固だとは思ってたけど、そこまで悪い印象を受けたことは無いなあ、僕は。」

「それは良かった。」

それから彼が、話題を変えます。

「シンスケの中長期展望を教えてよ。今後のキャリアはどう考えてるの?」

お、遂に転職の意思を探る釣り球を投げ込んで来たか?ちょっと考えてから、正直に答えます。

「僕は野心家じゃないからね。組織での出世は考えて無いんだ。それより現場の人間に徹して、会社がプロジェクト・コントロールという機能をもっと効果的に使えるようにしたい。今は部下が五人しかいないけど、更に増員し、皆をしっかり鍛えて早く一人前にしたい。そしていずれは彼らが同じように誰かに知識や技術を伝授して、数年後にはプロジェクト・コントロールのスペシャリストが各オフィスに散らばっている、という体制を作りたいんだ。そうすれば、大勢のPMをしっかりサポート出来るだろ。」

「すごいね。充分野心的じゃん。」

「そうかな。こういうのも野心的って言うの?」

「言うでしょ。」

「君の方はどうなの?今後の展望は?」

と、ボールを投げ返す私。

「シンスケ、まずは俺、感謝の気持ちを伝えたいんだ。」

「え?急に何だよ?」

「新米PMだった頃からずっとサポートしてくれただろ。その過程で、プロジェクトマネジメントの基礎をしっかり学ばせてもらった。特に財務会計分野の理解が深まったことは大きいよ。お蔭で、今度の会社ではエグゼクティブ達よりもプロジェクト財務分析に詳しくなってるんだ。ベテラン達からも一目置かれるようになってね。実は明日も、アーバイン本社でのトップ会議に呼ばれてる。俺の意見が聞きたいんだって。」

「おお~っ!それはすごいな。おめでとう!」

私より20年以上も若いジェイソン。まるでやんちゃ坊主だった親戚の子が、優等生として朝礼で表彰されたニュースを聞かされたような気分でした。それから彼のPMP取得にまつわるエピソードなどを聞き、その目覚ましい成長ぶりに目を細める私。

「じゃあここは僕が。」

時計を見ると、もうすぐ一時半。そろそろ精算して職場に戻ろうと、請求書の載せられたトレイに手をかける私。

「駄目だよ!」

慌てたジェイソンが、がっしりとトレーを押さえつけます。

「え?なんで?PMP取得のお祝いをしようって言ってあったじゃん。」

「いや、今日ランチに誘ったのは、どうしても感謝の気持ちを伝えたかったからなんだ。俺が今こうしていられるのは全てシンスケのお蔭なんだから、ここは絶対俺に払わせてよ。」

向かいからトレイをつかんで引っ張るジェイソン。ヒジをテーブルに擦りつけながら、こちらを睨みつけます。映画 The Aviatorで若きハワード・ヒューズを演じた頃のデカプリオみたいな、険しい表情。真剣です。

「分かった。有難う。ご馳走になるよ。」

と、手の力を緩める私。社交性に欠ける若者の見せた精一杯の感謝のジェスチャーに、ぐっと胸が詰まったのでした。


2018年5月19日土曜日

Tyranny of a blank sheet of paper 白紙一枚という残酷


「やだよ。メッセージだけでいいじゃん。」

と、露骨に顔を曇らせる16歳の息子。

「ママは君の絵が大好きなんだよ。きっと今年も期待してると思うな。出し惜しみしないで描いてあげなよ。」

「何描けばいいか分かんないよ。」

「何だっていいんだよ。バースデーケーキとかさ。」

「それは去年描いたよ。」

「いいから何か考えてよ。イラストが無かったらきっとがっかりするから。」

「う~ん、分かったよ。」

意外にあっさりと折れ、渋々ペンを持って椅子に腰かける長身の若者。妻に贈る誕生カードには毎年、我々男子二人からのお祝いメッセージの横に、息子によるペン画のイラストが添えられているのです。

「君の絵はいつも独創的だから、ママだけじゃなく色んな人が楽しみにしてるんだよ。」

二歳頃から、見る人が思わず顔をほころばせてしまうようなイラストを描いて来た彼。知り合いに「お金出すから描いて」と頼まれるほどのクオリティでしたが、そんな彼も今やニキビ面の高校生。リクエストに躊躇う気持ちも分かります。以前はカラフルだったイラストも、最近では黒一色。右脳からほとばしっていた純粋無垢なクリエイティビティが、年齢を重ねるとともに左脳の論理性に陣地を譲って来ているのでしょう。今回も、頭部の下に漢字の「火」みたいな棒状の手足をつけた「スティックフィギュア」で、自分と母親を並べて描いた息子。妻と二人、「今年で最後かもね」と、青空に霞んでいく虹を眺めるような気分でそんなイラストを眺めるのでした。

さて金曜日のランチタイム。巨漢の同僚ディックと連れ立って、ダウンタウンのリトルイタリーに向かいました。

「何食べたい?」

「何でもいいや。任せる。」

それじゃあ、と久しぶりにニュージーランド料理店Queenstown Public House(クイーンズタウン・パブリック・ハウス)をチョイス。料理の味自体は私のストライクゾーン外角低目をかする程度なのですが、鉄筋コンクリートのビル街で威風を放つイエローブラウンの木造建築、加えて店の内外に横溢する濃厚な緑とがポイントを稼ぎ、お気に入りレストランの上位にランクインしている一軒。

半透明のレモン色パティオシェードを通して差し込む陽光の中、ウッドデッキで二人掛けのテーブルに向かい合わせて着席します。まるで一輪車に跨ったサーカスの熊のように、巨体の背を丸めて普通サイズの椅子に腰かけるディック。「フリートークの切れがいい元プロレスラー」みたいなイメージで親しく付き合って来た陽気者ですが、ここ最近はどうも元気がありません。仕事のストレスが表情に滲み出ていて、ジョークにまぶしたスパイスにも、辛みより苦味が勝っていることが多い。こうして青空の下を歩いて太陽からビタミンを補給することで、ちょっとは気が晴れるといいんだけど、と密かに願う私でした。

そんな彼と料理の到着を待ちながら近況報告を交わしていた時、ふと口をついて出た質問。

「あのさ、ちょっと聞いていい?」

二年前に買った古い一軒家の前庭。入居時には美しく刈り込まれていた芝生が瞬く間に枯れ、タンポポやバミューダグラスなどの雑草、そしてその根っこを食おうと縦横無尽にトンネルを掘り進むゴーファー(土ネズミ)が大暴れした結果、見るも無残な荒地になってしまった。ボーナスが入ったら専門家を雇い、一から庭造りをやり直したい。まずは基本設計を仕上げる必要があり、妻と街歩きをしながら参考例を探しているのだが、未だにこれという庭に出会わない。理想の庭は?と考えてもアイディアすら浮かんで来ない。一体何から手を付けたらいいんだろう?

ホームオーナーとしては大先輩のディックなので、一般的なアドバイスをもらえるものと期待しての質問でした。

「一番先に考えるべきことはね、訪れる人にどんな印象を与えたいか、なんだ。前庭っていうのは、居住者の価値観や生き方を表現する場でもあるんだよ。この家に住む人はお偉いさんなのか、それとも気さくなタイプの人なのか。当然、家主の自己表現ポイントによってデザインも変わって来るだろ。まずは細部にこだわらず、自分の好きな庭の姿を描いてみるといい。大きな紙を拡げて、極太サインペンを心の赴くままに走らせる。この時、頭の中にある細かな制約条件に邪魔されないよう、無心になることが大事なんだ。ペンも普通の持ち方でなく、幼児がやるみたいにグーで握ってみるとかしてね。」

「ランチ仲間」というこれまでの緩い関係性ゆえか、彼の専門がランドスケープ・デザインであることを、この時まですっかり忘れていたのでした。

Frank Gehry(フランク・ゲーリー)ってデザイナー知ってる?ウォルト・ディズニー・コンサート・ホールみたいに奇抜な作品で知られてるんだけど、彼はまず何枚も何枚もスケッチを描くんだ。こんなもの作れるわけないよって普通の人なら自然にブレーキをかけるところを、構わず自由に描き続ける。ずば抜けたデザインってのは、そうやって生まれるものなんだ。実際に施工する側はブーブー言うかもしれないけどね。」

しまった、その道のプロに無報酬でコンサルティングを頼んでしまった、という自覚がようやく追いついて来て、恐縮し始めた私。しかし、当のディックは料理が運ばれても手をつけず、真剣なまなざしで話を続けます。

「結局のところ、こんな風にしたい、というアイディアを固めるのが一番難しいんだよ。そんな時に役立つのが、今まで見て来た事例のどこが好きでどこが嫌いかを具体的に言葉にしてみること。そうして段々と、自分との対話が始まるってわけさ。」

「なるほどね~。」

と私。言われてみればその通りです。

「僕は極力、維持管理が楽な庭にしたいと思ってるんだよね。そもそも庭仕事が好きなわけじゃないし、水不足のサンディエゴであまり凝ったガーデニングはすべきじゃないからね。かと言って、トゲの多いサボテンなんかも植えたくない。近寄った時、反射的に身構えちゃうでしょ。」

「そうそう、そうやって自分の欲しているものが何なのかを探っていくんだ。それがある程度固まったら、絵を描いてみるといい。自由にね。ま、こいつが結構難しいんだけど。」

それから彼は、更に具体的なアドバイスを提供します。

「素人が一番犯しがちなミスは、自分の好きな花を何でもかんでもいっぺんに全部植えちゃうことなんだ。結果的に、ごみごみした統一感の無いガーデンが出来ちまう。まずは庭全体のトーンをはっきり決めてから、植物の種類や密度を考えるべきだね。そして、見る人の目が惹きつけられるフォーカルポイントを作ること。レモンの樹一本でもいいし、ごつごつした岩でもいい。玄関のドアに向かって歩いて行く過程で庭の見え方はどんどん変わっていくから、どの角度でどう見せたいかも大事に考えた方がいいよ。」

「すごい、さすがプロだねえ!そんな発想、ちらりとも浮かばなかったよ。」

かれこれ7年以上の付き合いになるのに、専門家としてのディックからアドバイスを受けるのは初めてのこと。話しているうちにアーティスト魂が温まって来たようで、ふわりと顔をほころばせます。

ところが、最近手掛けているプロジェクトの話をしてよとお願いした途端、まるでブレーカーが落ちるようにさっと顔色を曇らせ、首をゆっくり振りつつ大きな溜息をつくのでした。

「C市のプロムナード・デザイン・プロジェクトがあるだろ。あれ、こないださんざん苦労して会心作を仕上げたんだよ。これは毎日わんさか人が訪れるような、街の名所になるぞって市役所の担当者もその上司も大興奮してた。ところがシティマネジャーに上げたら、無難なデザインに変更しろって突き返されちゃったんだ。ほんとに参るよ。新しいことをやろうとすると、決まって抵抗する奴が出て来るんだもんなあ。」

クリエイティブな業界にありがちなお話ですね。たとえ図抜けたセンスの芸術家がとんでもない傑作を仕上げたとしても、最終意思決定者がうんと言わなければ結局日の目を見ることなく埋もれて行く。最近ディックに覇気が感じられないのは、こういう事情があったからなのかもしれません。慌てて庭の話題に引き戻す私。

「ちょっと前に、庭の完成予想図みたいなものを描いてみたことがあるんだ。これがなかなか大変で、紙を前にすると何も浮かんで来ないんだよ。」

すると再び笑顔になったディックが、

「学生時代によくやらされた演習があるんだ。ごく簡単な条件だけ与えられて、さあ残り一時間でデザインしなさいって鉛筆一本と紙を一枚渡される。あれは本当にキツかった。何もアイディアが出て来ないまま時間だけが刻一刻と過ぎて行く。どんどん胸が苦しくなってねえ。教授がニヤニヤしながら、その状況をこう表現したんだ。」

Tyranny of a piece of blank paper
「白紙一枚のティラニー」

言わんとしていることは何となく分かりましたが、Tyranny(ティラニー)がひっかかります。「圧政」とか「暴虐行為」と訳される単語で、

Tyranny of the majority
「数の暴力」

などに使われます。ぴったりした日本語が出て来ないので、こんな風に意訳することにしました。

 Tyranny of a piece of blank paper
「白紙一枚という残酷」

大抵の子供は、紙と鉛筆を渡せば苦も無く絵を描き始めます。大人になると、学んで来た常識や論理が手枷足枷となり、クリエイティブなマインドを解放するのが難しくなるのですね。それをうまく言い表したフレーズだなあと思いました。

さて昨日の夕方、いつものように放課後の息子をピックアップしてから帰宅。小腹が空いたので何かおやつが無いかとキッチンを物色していたところ、無印良品のお菓子を発見しました。一時帰国の際に息子が気に入って買い込んで来た、「ホワイトチョコがけいちご」でした。

「ダメだよ。最後の一袋なんだから。」

と釘を刺す彼。

「これ、食べたことないなあ。味見したいから、今度ひとかじりだけさせてよ。今じゃなくていいから。」

「いいよ。そのうちね。」

眉間に出来た大きなニキビが気になって、大好きなチョコレートをここ何週間もずっと封印している彼。

「あ、これもう賞味期限過ぎてる!」

袋を手に取り、ショックを隠せない様子の16歳。

「大丈夫だよ、ちょっとくらい。」

と落ち着かせますが、

「どうしよう。今、開けちゃおうか。」

と気持ちが大きく揺らぎ始めた彼。

「チョコ食べたら、ニキビがもっと大きくなるかもよ。やめた方がいいんじゃない?」

と忠告しますが、数秒間の躊躇いを経て、ビリビリと音をさせ「ホワイトチョコがけいちご」を開封する息子。大好物を口に放り込んだ後、私の口にもひとつ入れます。

「うわ、これはおいしいねえ。」

と感動を伝えると、

「でしょ!」

と嬉しそうに答えた後、彼の口から飛び出したのがこんな言い訳。

「明日、何かの事故にあってベロが無くなっちゃたりしたら、きっと後悔するもんね。」

う~む、まだまだ結構クリエイティブじゃないか。


2018年5月6日日曜日

reddit レディット


「パパ、またなの?」

16歳の息子があからさまな呆れ顔で大きな溜息をつきます。

「そのうち見つかるよ。ぐちゃぐちゃ言うな。」

トレーダージョーズで買い物を終え、巨大平面パーキングのどこに車を停めたかを思い出せずキョロキョロ探す私。

「さっきあそこに停めたじゃん!」

父親にはいつまでもシャープでいて欲しいらしい息子は、こんな風に私がちょっと油断してボケた行動を取ると、

「逗子のおじいちゃんの方がずっと元気で若々しいよ!」

と容赦なく急所を突いて来ます。

4月に5年ぶりの一時帰国を果たし、逗子の実家を訪れた際のこと。裏駅の改札口で我々一家を出迎えた83歳の父が、挨拶もそこそこに、

「ここにいて。今、車回すから。」

50メートルほど離れたバス停に違法駐車していたプリウス目掛け、ダダっと駆け出したのです。え?走るの?

「あ、走らないで結構です!」

慌てて制止する妻の声が父の耳に届いたかどうかは分かりませんが、彼は一度も止まることなくバス停に到達し、運転席に着くや否やぐるっとUターンして改札前で我々をピックアップ。「おじいちゃん、すご~い!」と喜ぶ息子。ビデオに撮っておけばよかったな、と後悔するほどの衝撃映像でした。

コンピュータもスマホも持たない昭和一桁の後期高齢者ではありますが、疑いも無く私よりエネルギッシュな父。終戦後は小学校へ履いて行く靴すら無かったので、土方仕事で日当を稼いだといいます。

「いや、真面目な話、その頃つけた基礎体力が今になって役立ってるんだよ。」

がむしゃらに働いて立身出世を遂げた上、今では余裕たっぷりの年金生活を楽しんでいる。それは素晴らしいことなんだけど、高度成長期に日本を支えた昭和人特有の頑迷な言動が年齢とともに粒だって来ていて、

「安倍内閣は駄目だ。東大出身の官僚たちに見くびられている。」
「お前は日経新聞もとっていないのか?」
50過ぎてユニクロの服なんて着てるのか?」

などと、反論する気も萎えるほど偏った価値観を押し付けて来るのです。中でも、

「子供の活動に関心を持ったことなど一度も無いな。最近の父親は子供の学校行事やクラブ活動に興味を持つようだが、全く理解できんよ。」

というコメントは、彼の特異な父子観を示すこの上ない好例となりました。

サンディエゴに戻って同僚ディックとランチに行った際、実家訪問の話をしてみました。

「俺、そんなに走れるかどうか自信ないな。」

「僕もだよ。走ろうなんて発想すら出て来ない。」

「まずはこれを何とかしなきゃ。」

と出っ張ったお腹をさする、巨体のディック。

「最近は夜中にトイレ行きたくなって目が覚めるしね。」

「え?そんなことになってんの?僕もトイレは確実に近くなったね。ゴムが劣化しちゃった感じ。それに、毎回どうも切れが悪いんだよ。」

「俺もそうだよ!なんなんだろうなあ。」

こういう話題で意気投合してちゃ駄目だよね、と苦笑して話題を変える中年二人。

「俺は子供の習い事とかにはしっかり口出す方だな。というか夫婦で頻繁に相談してるよ。」

「うちもそう。考えてみれば、僕のテニス部の試合を親が観に来ることなんて一度もなかったけど、僕ら夫婦は息子の水球トーナメントに毎回同行してる。それが異常なことだとは思わないけどね。」

「世代が違うと、父親のポジションってのも結構変わって来るもんだね。」

「テクノロジーとの付き合いの深さも、世代のギャップに大きく貢献しているよね。」

うちの父はネットでニュースが読めることを知らないし、知らないということをネガティブにすら受け止めていない。日々配達される日経新聞をメインの情報ソースにしている彼は、ありとあらゆる情報を瞬時に集められる現代に背を向け、四半世紀前の生活スタイルを続けているのです。

「あ、そうだ。レディットって知ってる?」

と私。いや、聞いたことないな、と首を振るディック。

「うちの息子の情報ソースでね、宿題でも何でも、まずはレディットに行って調べるって言うんだ。」

レディット(reddit)というのはソーシャルニュースサイトで、日本の2ちゃんねるに似た媒体です。誰でも「サブレディット」というトピックを立てられ、そこに登録した人がどんどん意見や感想を書き込める仕組み。息子は何かというと、

「○○っていうサブレディットに出てたんだけど、」

と夕食の会話などにエピソードを放り込んで来ます。そもそも元ネタが英語だし、コミュニティ内での内輪ウケ・ジョークだったりするので、日本語で説明されても大抵は笑えないどころか何の話なのかも見当がつかず、無反応のまま解説を待つ我々夫婦に、「もういいよ」とフラストレーションを溜める息子、というのが通例。彼がレディット閲覧に費やす時間は低く見積もっても一日3時間以上で、大学受験を控えているだけに、段々心配の種になって来ています。

数カ月前、何がそんなに息子を惹きつけているのかを知るため、iPhoneにアプリをダウンロードしてみました。読み始めてたちまち、その中毒性にショックを受ける私。

Power Washing Porn(高圧洗浄ポルノ)」というサブレディットでは、高圧洗浄でどんどん綺麗になって行くパディオや家の外壁の映像が無数にポストされていて、おお~っ!パワーノズルから噴き出す水の力ってすごいなあ、何年も洗ってなかったギトギトのウッドデッキが、まるで新品同然じゃないか!と高揚してついつい見てしまう。

DadReflexes(父親の反射神経)」というサブレディットでは、ベッドや椅子から落ちかけた乳幼児を、すんでのところで父が救う場面を捕えたホームムービーが、何百本もポストされています。ハラハラ・ドキドキしつつ、お父さんってすごいねえ!赤ちゃんに怪我が無くて良かったねえ!と感動しながらどんどんスクロール。

「おいおい、こんなに面白い物があったら受験勉強なんて出来ないだろうが。一年後に後悔しても遅いぞ。レディットは一日30分とか決めた方がいいんじゃないのか。」

これには息子も素直に同感したようで、「分かった、そうするよ。」と頷きます。もちろん、翌日にはベッドに寝転びながらケタケタ笑って何時間もレディットを読んでいましたが。

自分の高校生時代、ゲームセンターに出かけるなど自ら動かなければ娯楽と触れ合えなかったことを考えると、とんでもない環境変化です。まるでインベーダーのようにどんどん侵入して来る途方も無く面白いエンターテインメントに抵抗するには、並外れた自制心が要求される。こうなったら父親の私も彼のセルフ・コントロール強化に協力しないと、この若者の人生は悲惨なものになるぞ…。

そんなわけで、前より一層口やかましくレディット閲覧時間の制限を唱える私でしたが、ある日彼が車の中で、こんなことを言い始めました。

「おしっこがさあ、全部出したつもりなのに残ってて、後からちょろっとパンツに出ちゃうことってあるでしょ。」

「え?君でもそんなことあるの?」

「レディットにさ、それの防ぎ方が出てたんだよ。」

なんと、そんなきわきわのトピックまで立ててるのか?

「袋と肛門の間をぐっと押すと、残ってたのがビュッと出るんだってさ。そのポストには、ゴールドが何十個も付いてたよ。」

ゴールドというのは、「いいね(Like)」よりも格段上の賞賛サインだそうで、これをもらうと普通は月に3.99ドル払わないといけないプレミアム・メンバーシップ料金を受け取ったことになる。つまり、誰かが書いたものを金を払ってまで褒めたい時に贈るものなのだそうです。

う~む。恐るべし、レディット。閲覧規制に本腰入れようと思ってたのに、決心がぐらつくじゃないか。