ここのところ、15歳の息子はテレビドラマ・シリーズ「Game of
Thrones(ゲーム・オブ・スローンズ)」に がっつりハマっていて、こちらがちょっと油断すると、この作品がどれだけ面白いかを興奮して語り始めます。
「何度も言ってると思うけど、その話やめてくれる?」
その度にうんざりして制止する私。ひと月ほど前、彼にクライマックスシーンの抜粋をYouTubeで見せられ、そのあまりの残虐性に辟易してしまったのです。架空の大陸を舞台に、戦いに明け暮れる人々を描くドラマ。王位を巡る内紛や外敵の脅威などが何百何千という登場人物を動かし、夥しい数の人々が死んでいく。愛する肉親、兄弟、妊娠中の若妻など、たとえどんなに視聴者からの支持が厚いキャラクターでも、とんでもなく理不尽で残忍な殺され方をする。
「それだけじゃないんだよ、このドラマのすごいところは。プロットが抜群に面白いんだってば。」
「分かった分かった。でもパパはこの手の作品、当分遠慮させて頂くよ。惨たらしいシーンの連続を楽しむだけの心の余裕が無いんだ。」
そうなんです。過去二週間、この国で働き始めて以来最高の多忙さを味わって来た私。上下水道部門、環境部門、建築部門がそれぞれ獲得を目論む三つの巨大プロジェクトがほぼ同時期に計画されており、それら全てのプロポーザル・チームに参加を要請された私は、次々と雪崩れ込む膨大な短期集中作業に日々忙殺されます。平日の長時間残業はもちろんのこと、土日もぶっ通しで働きまくる。
今週火曜は、オレンジ支社へ出張しました。四階の役員会議室で環境部門の重鎮たちと戦略を練りつつ、時々抜け出して二階の小会議室に顔を出します。ここでは建築部隊の作戦会議が進行中。次に一階のジャックを訪ね、上下水道部門のプロポーザルについて打合せ。そして再び四階へ。以下、繰り返し。
建築部門のPMジョニーは、一年半ほど前に彼のプロジェクトのサポートを始めて以来の付き合い。実際に顔を合わせたのは過去三回ほどですが、毎週の電話会議で築き上げて来た信頼感からか、
「今回のプロポーザル話が持ち上がってチームメンバー選びを始めた時、真っ先に名前が浮かんだのがシンスケだったんだ。」
と嬉しい言葉をくれました。我々が今回獲得を目指すのは、クライアント名も業務内容も他言無用の極秘プロジェクト。オレンジ支社に設置された作戦会議室の扉には、「関係者以外立ち入り禁止」の張り紙。作業開始から間もなく、サンディエゴで働く私の元に、ジョニーからメールが入ります。
「プロジェクトのコードネームはXanaduに決まったから、今後の交信ではこの名前を使ってね。」
おお、Xanadu(ザナドゥ)!この単語を目にした瞬間、自動的に頭の中でカラフルなジュークボックスが起動。キラキラしたシンセ・サウンドに彩られた、心浮き立つイントロがスタートします。
1980年公開の同名映画で主題歌として使われたこの曲は、エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)のジェフ・リン作、オリビア・ニュートン・ジョンのボーカルで知られています。学生時代に大流行した際、そのずっと以前からELOのファンだった私は、「みんな何を騒いでるんだね。ジェフ・リン節のスゴさに今頃気が付いたのか?」と、人知れず得意顔。同時に、Xanaduを「ザナドゥ」と発音することに驚きを感じていました。X(エックス)で始まる単語をザって読むのか、知らなかったぜぇ!
「建築部門のプロポーザル・チームに参加することが決まった。コードネームはザナドゥって言うんだ。内容はまだ話せないんだけどね。」
と、もったいぶって部下たちに打ち明けたところ、皆キョトンとしています。
「え?ザナドゥって言葉知らない?」
首を横に振る部下たち。
「エレクトリック・ライト・オーケストラは?オリビア・ニュートン・ジョンは知ってるよね。」
まだ二十代のカンチーとアンドリューは、このおっさん急に何をわけの分からないことを喋り出したんだ?と当惑気味に私の顔を見つめています。オリビア・ニュートン・ジョンは知ってるわ、と救いの手を差し伸べる、やや年齢の近いシャノン。「フィジカル」って曲がヒットしたのよね、と。
昼休み、ランチルームで近くに座っていた古参社員のビルにこの話題を振ってみました。すると彼は間髪入れず、
「コールリッジの詩に使われてたあれだよな。」
と、早口に朗詠を始めました。
In Xanadu did Kubla Khan
A stately pleasure-dome
decree
Where Alph, the sacred
river, ran
Through caverns
measureless to man
Down to a sunless sea.
ザナドゥにクーブラ・カーンは
壮麗な歓楽宮の建設を命じた
そこから聖なる河アルフが流れ
測り知れぬ数々の洞窟を抜け
日の当たらぬ海へと注いでいた
「え?そんな急に暗誦出来るほど有名な詩なの?」
白髪頭のビルは、その歳に似合わぬはにかみ笑いを見せてから、
「いや、高校の授業で習った時に丸暗記して以来だよ。」
と肩をすくめます(きっと、日本で言えば平家物語「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」みたいな、「皆さんお馴染みの」一節なのでしょう)。大いに感心する私を見て気を良くしたのか、更にその博識ぶりを披露するビル。
「ザナドゥってのは、チンギス・ハンの孫フビライ・ハン(kubla khan)が、モンゴル帝国を統治していた頃に作った壮大な都のことなんだよ。13世紀にここを訪れたマルコポーロがそのきらびやかな宮殿の様子を旅行記に描いたことで、ヨーロッパ中にその名が轟いたんだ。帝国の衰退とともに人がいなくなってただの草原に戻っちまうんだが、19世紀にコールリッジが書いたこの詩で、再び有名になる。今じゃ、夢とか幻とか伝説上の都市っていうイメージで使われる言葉になってるね。」
殺戮戦争の果てに巨大化した帝国の栄華を象徴する、絢爛豪華な都。それが姿を消した今でもなお、亡国の記憶を辿るよすがになっている。虚しくも美しいマボロシの都市…。私が訳すとすれば、こうなります。
Xanadu
ザナドゥ、伝説の都
それにしても、若い部下たちが同名のヒット曲どころかその単語すら知らないというのは、ちょっとショックでした。まさに「伝説」だなあ…。
翌週、オレンジ支社へ出向いて作戦会議室でジョニーに質問を浴びせかけていたところ、彼の返答が時折、不自然に淀むことに気付きました。そのまま構わず会話を続けたところ、遂に決心がついたようで、シンスケ、今なんて言ったの?と尋ねるジョニー。
「え?ザナドゥっていうのが今回のプロジェクト名なんじゃないの?」
すると彼はパッと顔を輝かせ、
「あ、そう発音するのか!どう読めばいいのかなあってずっと考えてたんだよね~。」
と笑います。思い切りズッコケる私。
さて、このザナドゥというプロジェクト、私が担当したのは積算です。ジョニーが技術チームリーダー達から集めて来た見積もりを私が集約し、感度分析などを繰り返してまとめあげるという役回り。エクセルを使ってコツコツ数字を積み上げていた時、彼が転送して来たメールにショックを受けます。
「○○ドル以上の入札に際しては、会社指定の特別ソフトを使って見積もりを行う決まりになった。今後はその様式で提出するように。」
去年の春に流された、上層部からの通達です。スクロールしていくと、幾度もの転送を経てジョニーの元に前日届いた様子が見て取れます。通達がPMレベルまで到達するのに一体どうして一年以上もかかるのか?これは、トップがコロコロ変わって来たことに起因すると言っても過言ではないでしょう。我が社は過去十年、毎年数社のペースで買収を重ねて行き、巨大企業に膨れ上がりました。その過程で各部門のトップ人事は混迷を続け、時々、今は誰が親分なの?と大真面目に質問しなければならない有様。情報が組織内で滞ったって、何の不思議もありません。
「入札日まであと一週間というタイミングで新ソフトの使用を義務付けるなんて、ムゴ過ぎるでしょ。今から使用法を学ぶ余裕なんか無いよ。」
とジョニー。これに対し、
「そうだね。でも会社の決まりなら仕方ないじゃん。」
と日本的な諦観を示す私。ところが、
「いや、なんとか特例措置をお願いしてみる。」
と、思いつめた様子のジョニー。そしてその日の深夜、彼が上層部にこんな一斉メールを投げ込みました。
「今回は何とか勘弁して下さい。もう時間が無いんです。昨日まで、通達の存在すら知らなかったんですよ。今シンスケがエクセルを使って積算を手伝ってくれてます。内容は同じですから、こっちのファイルを使わせて下さい。」
これに対して副社長のR氏が、五分と間を置かずにカウンターをお見舞いします。
「おたくの管理職が情報伝達を怠ったことは誠に遺憾だが、だからといって特例は認められない。通達通り遂行するように。」
あらら、自分の上司たちの顔まで潰しちゃったよ。大丈夫かな…。翌朝、ジョニーからテキストが入ります。
“Sorry Shinsuke, I
tried.”
「ごめんシンスケ、粘ったんだけどね。」
この人、心臓強いなあ、と感心しきりの私。こんなメールを書く度胸、自分にはありません。ところがその日、オレンジ支社へ出向いて彼と打合せをしたところ、
「随分色んな人の神経を逆撫でしちゃった。この会社での僕の将来は危ういね。」
と、意外にも弱気な発言。
「いやいや、君のように優秀なPMを切るなんて有り得ないでしょ。大体、もしもこのプロジェクトを他の会社が獲ったら、そこに引っ張られればいいだけの話じゃない。」
「う~ん、そこまで楽観的にはなれないなあ。」
さて、入札を二日後に控え、プロポーザル作成も佳境に入った月曜の午後。彼が突然、車で外出します。なんと、これからPMP試験を受けて来るというのです。
「実は十年前に取得したんだけど、前回のプロジェクトで5年上海に行ってる間に失効しちゃってさ。今回のプロポーザルに名前を載せる前に資格を取り戻したいと思って、ギリギリで試験の予定を突っ込んじゃったんだ。」
ここのところほとんど寝ていない上に、忙し過ぎて受験勉強が出来なかったという彼でしたが、夕方電話が入ります。「受かったよ!」そしてオフィスに戻り、何事も無かったようにプロポーザル作業を再開するジョニー。こういう、知力も体力も抜群な人間がPMを務めるプロジェクトのサポートを任されるというのは、本当にラッキーなことだなあ、と嬉しくなりました。
ところが翌日、オレンジ支社二階の作戦会議室を訪ねたところ、彼を含めた中核メンバー達がそろって椅子の背にもたれかかり、悄然としています。皆どうしたの?と尋ねると、滅茶苦茶だよ、もうどうでも良くなった、と力なく笑う面々。
彼等の話によれば、去年転職して来て建築部門のトップに座ったB氏がいきなり乱入し、入札予定額を大幅に下げるよう命じた、というのです。プロジェクトの詳細内容やクライアントの性格を知りもしないのに。チームが二週間かけて念入りに積み上げた上、既にギリギリまで無駄を削ぎ落していた額を更に何十パーセントも落とせ、というのですから、皆の腹立ちも理解出来ます。
「でも、何かそれなりの理由があってのことなんでしょ。」
と私。
「いやいや、確実に競り落としたいというだけの単純な動機だよ。万一そんな額で落札しちゃったら赤字は間違いないし、それ以前に、我々がプロジェクトの内容をきちんと理解していないからこそそんな低価格を提示して来たんじゃないかと、逆にクライアントを不安にさせる危険も大きいんだよ。」
トップの指示に従って入札額を下げれば、落札してもしなくても地獄。かと言ってB氏の命に背けば、組織の統制を乱すだろうし自分の首も危なくなる。さてどうする?入札は明日の正午。もう時間が無い。皆が静まり返ったところに、ジョニーの直属の上司リチャードが入って来ました。私がそもそも建築部門に関わるようになったのは、三年前にこのリチャードからサポート要請を受けたのがきっかけ。おおシンスケ、元気か?君はいつもニコニコしてるな!と握手の手を差し伸べます。人当たりが良く、常に部下たちを護り励まそうと心を砕いている人望の厚い彼に、待ってましたとばかりにプロポーザル・チームの一同が窮状を吐露し始めます。うんうん、そうかそうか、と真剣に耳を傾けるリチャード。そのまま会話に参加していたかったのですが、急いで次の会議へ移動しなければならなず、サヨナラを言って静かにドアを閉める私でした。
翌朝6時半、お偉方を集めた特別電話会議が開かれました。私もサンディエゴのオフィスから参加。その二時間前、チームが夜を徹して修正したとみられる書類が一斉に送信されていたのですが、それを開けてみて愕然とする私でした。なんと入札予定額が、B氏の指示した額から大幅に上方修正されていたのです。一体どういうことだ?と気色ばむエグゼクティブ達。これに対し、何故この額でなければならないのかを落ち着いた声で説明し始めたジョニー。夜の内に何があったのかは分かりませんが、すっかり肝が据わった様子。苛立ちを露わにするB氏でしたが、入札時刻まであと数時間しかありません。
「分かった。個人的には極めて不愉快だが、クライアントも市場も研究し尽くしているチームの総意で決めたことなら仕方無い。もう議論を重ねる猶予も無いしな。この額で行こう。」
オレンジ支社まで車を飛ばし、ジョニーの肩をバシッと叩いて労をねぎらってやりたい気分でした。その後、無事入札を終えた彼が、早々に帰宅して爆睡したことは言うまでもありません。
さて、一日おいて金曜の朝。環境部門のプロポーザル作業にのめり込んでいたところ、ジョニーから携帯にテキストが入りました。
「早く知らせておいた方がいいと思ってね。今朝リチャードが解雇されたよ。」
呆然。暫く返事が書けませんでした。
夕方帰宅すると、息子が目を輝かせて部屋から出て来ました。つい今しがた見終わったばかりだったのでしょう。
「ねえ、ゲーム・オブ・スローンズの話していい?」
と食いつきます。
「ごめん。今はほんとに勘弁して。残酷な話は聞きたくないんだ。」
「ええ~?もうパパ、金玉縮んじゃってんじゃないの?」
ご明察…。
今更ながらのコメントですが、日本では今 SUZUKI の CM で ELO の曲が使われてます。
返信削除htps://www.youtube.com/watch?v=c8uydvJ9XoQ
あえてサビの部分じゃない所を使ってるのがなかなかツウだなと思うわ、選曲したのはきっと同世代と見たね。
ホントあの時代のジェフ・リンは新世代のビートルズに最も近いと言われていたのに、世紀が変わってからは全然音沙汰なしだね。
サビのカッコよさに気を取られがちだけど、実はあの出だしのリズムこそがリスナーを病みつきにさせてるのかもね。
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