「4月第一週を最後に引退することを、正式に申し出たよ。」
スキンヘッドを光らせて、レイが会議机の向こうで微笑んでいます。まるで中央アジアの山奥に建つ名高い寺院で悟りを開いた高僧のような、深い落ち着きを漂わせた人物。サンディエゴ支社環境部門のナンバー2として長年活躍して来た彼は、この一年間私の直属の上司でした。「プロジェクト・コントロールのことは何も分からないけど、代わりに君のチームを精一杯サポートするよ。」と、まるで守護神のように私達を庇護してくれました。
「コミュニケーションを深めるためにチームで時々ランチへ行くといい。費用は僕が承認するから。」
と提案してくれたのも彼でした。これまでの感謝を込めて、彼にこう言いました。
“Happy retirement!”
「引退おめでとうございます!」
退職後の計画について尋ねると、小児専門病院でボランティアをするとのこと。病気やケガで運ばれて来た幼い患者の親に対し必要な情報を適時提供するのが主な任務。英語の出来ない人には素早く通訳者の派遣を手配したりもするのだと。
「子供が入院するような事態になると、親は本当に心細いんだよ。言葉が通じなかったりすれば、なおさら辛い。そんな時、誰かが付き添って質問に答えてくれるだけで、ストレスはだいぶ軽減されるんだ。実はもう何年も前からやっていることでね。これまで週二日ペースだったんだが、そろそろ本腰入れようってわけさ。」
ベテランとは言え、おそらくレイは私とさほど変わらぬ年齢です。収入ゼロになってまでボランティア活動に重心を百パーセント移すというのは、今の私にはちょっと考えられない選択肢。なんでそこまで思い切れるんですか?と尋ねたところ、
「うちの娘がね、生後数週間経っても体重がなかなか増えなかったんだ。検査の結果、食道がきちんと胃に繋がっていないことが分かったんだな。このままだと生存は難しいということで、かなり難しい手術をして助けてもらったんだ。いつかはその恩返しをしたいとずっと思っていて、ようやく数年前に病院でのボランティア活動を始めたんだ。今では娘も社会に出て一人前だし、我々夫婦が何とか食っていくだけの余裕はあるから、もうそんなにガツガツ働かなくてもいいかな、とね。それに、僕みたいのがいつまでも会社でのさばってたら、次の世代の優秀な人達に悪いだろ。」
こんな人が病院にいてくれれば、患者もその家族もきっと随分助かることでしょう。
「今の仕事はそれなりに好きだけど、一日を振り返ってみて、ひどく虚しくなる時も多いんだよ。一体自分は今日、この世にどんな価値を生み出したんだろうってね。特に、それ自体に何の意味も無いと分かっている数字の操作や作文を、単に目標を達成しましたと言うだけのためにやらされる時なんかはね。それに対してボランティアのいいところは、ストレスと無縁で、自分がするひとつひとつのことに意味を感じられる点なんだ。」
現場で実業に携わる者は、たとえ給料が低くても、毎日何かしら満足感を覚える瞬間があるものです。しかし、組織内での地位が上がるにつれ虚業の割合が増えて行き、高い報酬と引き換えに「やりたくない仕事」から来るストレスを抱えることになる。我が社で一旦マネジメントレベルに到達すると、もう一度実業に戻ろうとしても単価が高過ぎて、プロジェクト・チームにとっては使いにくい存在になっている。
中間管理職の私は、まだレイのいる領域に足を踏み入れたことはありません。優秀な部下たちに囲まれ、PM達からは度々感謝の言葉を浴び、大満足で家路につく毎日。「報酬付きボランティア」と言っても過言ではないこんなお気楽ポジションにいたら、いつまで経っても高収入は望めない気がします。
「今よりぐっと報酬を増やしたければ、経営者側の立場に身を置くしかないと思うよ。プロジェクト・コントロールの仕事を片手間にして、僕みたいなポジションに移る気はあるかい?」
と問いかけるレイ。う~ん、「真にやりがいのある仕事をフルに楽しみつつ高収入」ってのが理想なんだけど、そんな都合のいい話って無いんだろうなあ…。
ここ数週間、今月末に予定している一時帰国中にかつての同僚や先輩達に会いたいなと思い連絡を取っているのですが、誰もがそれぞれの所属組織で責任ある職務に就いていることが分かって来ました。その多くは、定年退職という大きなマイルストーンも視野に入って来ている年齢。気が付けば、年相応の重責を避けてフラフラ生きているのは、私くらいなのです。さすがに若干、焦りを感じ始めたのでした。このままでいいんだろうか?やりたくない仕事でも進んで請けないといけない時期に来ているのだろうか?と。
さて先日、ミーティングから戻って席についたところ、向かいから上体を斜めに伸ばし、シャノンが話しかけて来ました。
「ねえ、ジャックが来てるの知ってた?さっきシンスケのこと探してたわよ。」
「え?ジャック?なんで?」
数か月前にレイオフされた日系アメリカ人エンジニアのジャック(88歳)が現れたのは、それから数分後のことでした。再会を喜んで立ち上がり、固い握手を交わします。
「引退生活楽しんでますか?」
と尋ねる私に、
「いやそれがね、再就職が決まったところなんだよ。」
と笑顔で答えるジャックの手を握ったまま、その場で大きくのけぞる私。
「先週面接があってね、即採用決定さ。ここよりずっと小さい会社だけど、また同じような仕事を任されそうなんだ。」
あと二ヶ月で89歳になるジャック。能力と体力と気力さえあれば、いくらでも仕事はあるということでしょう。
「いやあ皆に驚かれるんだけどさ、全然大したことじゃないよ。こないだはうちの姉貴の誕生会に行って来たけど、102歳でピンピンしてるんだぜ。僕のことなんかいまだにガキ扱いだよ。」
このお姉さんは、90歳で新車を買った際、十年保証をつけたことで家族に呆れられたというのですが、ジャックもこの分だとまだまだ行けそうです。
「ゴルフも続けてるんですか?」
と私。
「いや、ゴルフはちょっとお休み中なんだ。心臓にちょっと不具合が見つかってね。先週ペースメーカーを埋め込んで貰ったんだ。ほら、触ってみて。」
彼の左胸に手を当てると、ライターサイズのでっぱりを感じます。なんと、ペースメーカーの手術をした同じ週に再就職とは!
「今度のオフィスは、日本食スーパーやレストランの密集してる通り沿いにあるんだ。また近いうちに夕食会をしよう!」
さっと右手を挙げ、変わらぬ笑顔を見せて立ち去るジャックを見送りつつ、心の中で静かに呟いていました。
よし決めた。人生の限られた時間をやりたくない仕事に費やしてストレスをためながら高給を食むより、そこそこの報酬でもやりがいのある仕事に力を注ごう。とことん楽しんで生きて行こう、と。
日本の企業の場合、管理職側に回ったからといって急にそんなに高給取りになる訳ではないためか、ある種の職業の人には[生涯現役でいたいから]と言って管理職昇進を断る人がよくニュースになっているよね。
返信削除https://www.oricon.co.jp/news/2105495/full/
確かに、ウチの会社でも「現場所長のままの方がイイ、工事部長になんかなってもツマらん!」と豪語しているオッチャンはよく見かけます。ただの悔し紛れかもしれないが。。。。
高給取りで現役を続けるには、国内外の巨大プロジェクトを渡り歩くしか道が無く、数年ごとに引っ越しなんだよね。一旦そのコースへ進むと引退までずっと遊牧生活が続くので、身体がキツイし家族への負担もデカい。子供が手を離れてからそっちへ切り替える、という選択肢はあるんだけど、僕はどうかなあ…。
返信削除今話題のシンスケ・ナカムラより遡ること15年。WWEではサンディエゴ在住のTAJIRIというレスラーが結構メジャーな役を得て活躍していました。
返信削除https://ja.wikipedia.org/wiki/TAJIRI
その彼も、年がら年中全米をサーキットし続ける生活と、リング上でのパフォーマンスを過剰なまでに要求される環境に、[名声&高給を取る]or[心安らかな生活を取る]の2択で日本に帰るという選択肢を選んだ。。。そんな所にも通じる気がするね。
でも、リング上でのスポットライトが忘れられず、どうしてもリング復帰を諦められない哀しい男の滅びの美学ってのを描いた、ミッキー・ローク主演の「レスラー」って映画が、プロレス・マニア筋では有名です。
http://d.hatena.ne.jp/hamanodarkside/20120925/1348595324
なんとなく聞き覚えのある人だなあ。そうか、サンディエゴにねえ。
削除映画「レスラー」は観ていて辛くなる作品だよね。特に盛りを過ぎたレスラーたちがサイン会のために集まって、客の来るのを待ち続けるシーンはキツかった…。
プロレスマニアを自称するモノとして言わせてもらうと、あの映画はフィクションでありながらもかなりリアリティがあると感じます。プロレスの元チャンピオンなんてあんなものかもしれないんだよね。。。そして、コゴの塊のような人でないとプロレスラーとしては成功しないと。
返信削除ムッキムキの元スターレスラーが精肉店でこき使われているうちにムカつき始めて、遂にぶち切れるくだりはすごくリアリティを感じるよね。あんな悲しい映画、もう二度と観たくないや。
削除