2017年10月29日日曜日

Irons in the fire 成形前の鋼

新人社員テイラーと話していた時、もっとトレーニングをして欲しいと彼女にせがまれたことがきっかけで、毎週金曜朝8時にPMP試験対策講座を開く企画をチームに提案しました。アンドリューもカンチーも、是非参加させて欲しいと猛烈アピール。金曜定休シフトを敷いていたシャノンまで、

「それなら私も金曜出勤するわ。」

とやる気を見せます。部下たちの熱い思いに感動した私は、よし、君達全員に絶対PMPを取得させるぞ!と高い目標を掲げ、一カ月前から集中講義をスタートしたのでした。

「資格はもちろん大事だけど、この受験対策を通して学んだことがきっと大きな自信に繋がる。いつ何があっても、余裕をもって自分を売り込めるようになって欲しいんだ。」

初回講義の後、そんな話をしたところ、

「どういうことですか?何か大変なことが起きそうなんですか?」

不吉な予言と捉えたのか、ハラハラした目で私を見つめるカンチー。

「いや、ただ単に、一寸先は闇だって言いたかったんだよ。今のところうまく回っているからって油断しちゃいけない。経営陣は容赦ないからね。彼らに慈悲を期待するのは間違ってる。みんなビジネスマンとして日々冷徹に経営判断をしていて、その結果、個々の社員に不都合な決断が下されることだってある。結局のところ、自分を護れるのは自分だけなんだ。あらゆる機会をとらえて学び続けて欲しい。たとえ僕が明日突然クビになったとしても、顔色ひとつ変えず仕事を続けられるくらい強くなって欲しいんだ。」

締め括りのメッセージが冗談なのか本気なのかを測り切れず当惑しつつも、力強く頷く若者たち。ビビらせて面白がっている部分もゼロではないのですが、将来ある彼等にコンサルティング・ファームで働くプロとしての心構えを伝えておきたい、というのが私の真意でした。特に何か差し迫った不安材料があっての発言ではなかったのです、本当に。

明けて先週木曜の朝9時半、携帯がブルブルと震え、見ると元ボスのエドから着信です。彼からこんな風に連絡が来るなんて珍しいな、と機嫌よく電話に出たところ、

「明日の朝、マリアが解雇されることになった。」

と、単刀直入に臨時ニュースを切り出します。あまりの衝撃に、言葉を失う私でした。

「進行中のプロジェクトで求人中のものがないか、至急探してくれないか?手遅れになる前に、彼女の異動先を見つけたいんだ。」

「ちょっと待って下さい。一体なぜ解雇なんですか?」

「我々がオーバーヘッド(間接部門)だからさ。」

利益を生み出すオペレーション部隊を縁の下で支える間接部門は、クライアントからの支払いが得られません。つまり、発生するのはコストのみ。これをカットすれば、少なくとも短期的には収支が良くなる。企業にとっては非常に手っ取り早い「業績改善」の手口なのですね。経営判断と言ってしまえばそれまでなのですが、これがごく親しい人の身に降りかかるとなると、そう冷静でもいられません。しかも、マリアのポジションは13年前まで私が担当していたのです。

「分かりました。いくつか思い当たる大規模プロジェクトがあるので、当たってみます。」

と電話を切り、混乱した頭のまま立ち上がる私。あらためて時計に目をやり、これから24時間以内に何とかしてマリアを救わなければならないぞ、と自分に言い聞かせます。

まず大ボスのテリーの元へ駆けつけて事情を話したところ、うちの部門には受け入れ先が無いとの返事。すぐに別の階へ行き、建築部門のPMブレントをつかまえ、進行中のプロジェクトに空きポストが無いか尋ねます。

「今すぐは無いな。一月末にでっかいのが一件始まる予定なんだけどね。」

「いや、明日の朝までに決めないと駄目なんだ。大事な仲間がひとり、瀬戸際に立たされてるんだよ。」

「よし分かった。あちこち聞いてみる。」

その後複数のPMにメールを送ったのですが、結局誰からも吉報がもたらされぬまま夜を迎えました。そして段々私は、こんな風に考えるようになっていました。

「これは運命だと言えないこともないんじゃないのか?マリアは今の仕事が全然楽しくないって言ってたよな。だったらもうここはすっぱり気持ちを切り替えて、新たな人生を切り拓いた方が彼女のためかもしれない。こっちが勝手に動いて延命策を取ることで、かえって明るい未来の扉を閉ざしてしまうかもしれないじゃないか。あの性格なら、きっと彼女が心から楽しめる仕事が見つかるさ…。いや待てよ、そうは言っても彼女は僕と同い年。転職先が簡単に見つかる年齢でもないか…。」

そんな煩悶の一夜が明け、気が付くとエドから携帯にメールが入っていました。

「一応危機は脱した。とりあえずの落ち着き先は見つかったけど、引き続きポジション探しを続けてくれないか?」

ホッと一息ついた私は、PMP試験対策講座の教鞭を執りにオフィスへ向かったのでした。

今週水曜日の午後、仕事中に当のマリアからテキストが入ります。

「今話せる?」

間もなく現れた彼女と目配せし、小会議室へ向かいます。

「話、聞いてるでしょ。」

二人向き合って腰を下ろした途端、彼女が切り出します。

「うん、詳しい背景は知らないんだけどね。」

「先週後半は、人生で一番忙しい三日間だったわ。」

エドから話を聞いたのが水曜日で、それから金曜の朝まで彼が八方手を尽くし、彼女も駆けずり回った結果、ようやく避難先が見つかったのだと。でもこの先一カ月くらいの間に最終的な異動先をゲットしなきゃいけない…。

「どうして君が標的になったのか、何か心当たりはあるの?」

と思い切って尋ねる私。すると、彼女の顔に小さな驚きの表情が現れます。

「え?知らなかったの?これは私だけの話じゃないのよ。」

次に彼女の口から飛び出たセリフに、顎が外れそうになりました。

“They are dismantling our entire department.”
「うちの部署、丸ごと全部潰されるのよ。」

エドもエリカも、そして彼等全員のボスである東海岸のクリスも、全員解雇宣告を受けたのだというマリア。別の部門の下部組織という形で新部署が作られ、そこに今までの職務を大幅に縮小して移した上で担当者を総とっかえするという話が進んでいる。先週は、解雇リストに載った社員たちが大慌てで社内異動先を探していた。エドもエリカも早々に行き先を確保出来たのに、自分の引き取り手だけが最後まで見つからなかった…。

「なんてこった。これまでやって来た仕事の価値を全否定されるようなもんじゃないか。それで、クリスはどうするの?」

「知らないわ。それが今回、一番腑に落ちないことなのよ。彼、グループ会議も開かないでただ沈黙してるの。」

「ショックから立ち直れないのかもね。」

「それは分かるけど、これまで随分長いこと苦楽を共にして来た仲間じゃない。なんとなくバラバラになって終わりなんて嫌でしょ。きちんと解散式をやって綺麗に締め括りたいわよ。」

それからひとしきり、今回の決定についての首を傾げたくなるような裏話の数々を聞きました。

「ところで、ちょっといいかな。マリアはなんでこの会社に残りたいの?今の仕事、好きじゃないってあれほど言ってたじゃない。」

ようやく気持ちを落ち着かせてから、彼女に尋ねてみる私。

「どうして社外に転職先を見つけないのかって聞いてるの?」

「うん。だってこの会社に特別愛着があるわけじゃないでしょ。第一、こんなひどい目に合わされてるんだし。」

すると即座に彼女が放ったのが、この一言。

“I don’t have irons in the fire.”

直訳すると、こうですね。

「火の中の鉄を持っていないのよ。」

製鐵過程で炉に入れられ、高熱でオレンジ色に輝いた鉄のことを指しているのだろうな、とは想像が出来ました。

“I don’t have irons in the fire.”
「成形前の鋼を持ってないのよ。」

でも、どういう意味なんだろう?こんな深刻な会話のさ中にイディオム談義をぶち込むことはさすがに憚られたので、後で調べてみることにしました。

「エドとエリカは古くからのコネクションがあるし、技術もあるからさっさと行き先が決まったわ。クリスのところで働いてるカレンも技術畑出身でPMP持ってるから、安心よ。私には、そういう武器が何も無いじゃない。もっと前から、真剣に職探しを始めておくんだったわ…。」

引き続き彼女のポジション探しを手伝う約束をし、ミーティングを終えました。席に戻って、さっき彼女の使ったフレーズの意味を調べてみました。Irons in the fire(成形前の鋼)とは、この後圧延などの処理を施せば最終製品になる段階の鉄のことを指していて、マリアの場合は「働き口になる可能性のあるポジション」ですね。

“I don’t have irons in the fire.”
「仕事のあてが何もないのよ。」

要するに、まさかのための備えが無い、ということです。外部の人脈、特殊技能、資格、それに具体的な転職の勧誘などが無ければ、簡単には外へ飛び出せない…。

翌日、ランチルームで部下のカンチーと隣り合わせになりました。弁当を広げながら、PMP試験対策講座がすごくためになっている、と嬉しそうに話す彼女。真っ直ぐにその目を見つめ、こう答える私でした。

「学び続けよう。それこそが、生き残るための武器なんだ。」


2017年10月22日日曜日

X Factor エックス・ファクター

今月から新年度です。火曜の朝一番、部下のカンチーと昨年度の業績を振り返るための面接がありました。締め括りに、この一年間の貢献に対する感謝を述べ、上司の僕に求めることはないかと尋ねました。すると、プロジェクト・コントロール部門の一員としてもっと活躍出来るようになるための、次のステップを教えて欲しい、と真剣な眼差しを向ける彼女。こんな風に人から真っ直ぐな情熱をアピールされると、ついついふざけて茶化したくなる私ですが、ここはさすがにぐっと堪えました。

「次のステップは、スケジューリングだ。これをマスターすれば、仕事の幅はぐんと拡がる。本来なら業務時間内にトレーニングするべきところなんだが、Utilization(稼働率)のプレッシャーがきついだろ。業務時間外でも構わなければ教えるよ。」

「お願いします。勉強したいです!」

彼女との面接終了後、社長の年頭スピーチが世界同時生放送されるというので、ランチルームに二人で移動。支社の他の社員たちと一緒に大型画面を見つめ、耳を傾けました。昨年度の業績説明、社員への感謝、などというお決まりのくだりをつつがなく終え、今年度の戦略へと進みます。そこで彼が何度も繰り返したのが、このキメ台詞。

“Collaboration is our X factor.”
「コラボレーションが我々のエックス・ファクターだ。」

世界中で活躍する才能豊かな社員たちが部門を飛び越えて力を合わせ、素晴らしいイノベーション(革新)を産み出す。これこそが会社の発展を推進する原動力になるのだ、と熱を込めて語りかける社長。

えっくす・ふぁくたー?

それって方程式y=ax+bで使われるエックスのことかな。素直に考えれば「変数」とか「因子」って意味になるけど、「コレボレーションは変数だ」では、社長のあの熱が説明つきません。後で複数の人に質問してみたところ、どうやらエックス・ファクターというのは、「結果に大きなインパクトを与えるかもしれない因子」という意味で使われる言葉のようです。社長が言いたかったのは、こういうことですね。

“Collaboration is our X factor.”
「コレボレーションは、どエライ可能性を秘めた成功への鍵なんだ。」

さて金曜の昼。同僚ディックとラーメン屋「Underebelly(アンダーベリー)」へ向かう道々、この話題を持ち出しました。社長のスピーチは聞き逃したという彼は、

「その手のフレーズを満載したジョーク・サイトがあるの知ってる?」

と皮肉っぽく笑います。耳触りが良い割りにすんなり頭に入って来ないBusiness Jargon(ビジネス用語)を連発されると、真面目に話を聞く気が萎える、というディック。

「言いたいことは分かるし大歓迎だけど、じゃあそれを推進するための態勢をどう整えるか、みたいな具体的な話は当然出なかっただろ?」

言われてみれば、どうすればコラボレーション(協働)が実現出来るのかを考え始めると、自然に首を傾げてしまいます。週40時間、無駄口を叩かずクライアントに請求書を送りつけられる仕事のみに力を注げ、という大きな圧力がかかる中、どうにかよその支社で働く別部門の社員とお知り合いになってコラボしてごらんよ、とおっしゃられてもねえ…。

「そういえばさ、今こんなことに巻き込まれてるんだ。」

アンダーベリーの二階席に腰を据えてから、ディックに近況報告を始める私。

二ヶ月前、建設管理部門のキャロリンという社員から電話がかかって来ました。

「あなたと話すようキースに言われたの。だから電話してるんだけど…。」

上下水道部門の大物PMキースが担当する巨大プロジェクトをサポートしている私に、自分のちっちゃいプロジェクトもヘルプして欲しいというのです。お安い御用、と快諾したものの、その時は依頼内容を深く理解していませんでした。それが今週になってそのキャロリンから、

「クライアントへの最初のインボイス(請求書)を作るの、お願い出来る?」

と具体的なリクエスト・メールが届いたのです。早速中身を調べ始めて、愕然とします。キャロリンは、キースのプロジェクトに寄生する格好で契約変更承認をクライアントから取り付け、独立したプロジェクトとして立ち上げてしまっていたのです。一つの契約書に二つのプロジェクト。当然、請求書も二種類作成しなければなりません。え?これ大丈夫なの?クライアントとは話ついてんの?疑問に思ってキースに質問メールを送ったところ、こんな返信が届きました。キャロリンの名前もccに入れて。

「俺はかなりムカついてる。なんでこんな事態になったんだ?キャロリンには、君と充分調整して進めるよう言ってあったんだ。請求書の準備にいささかなりとも不都合が生じるなら、彼女のプロジェクトを潰してもらっても構わん。君には全幅の信頼をおいている。君がベストだと信じる方法で解決してくれ。」

すると数分後、返す刀でキャロリンが長文メールを返して来ました。ccには建設管理部門の上層部を含めた複数社員の名前が連ねられています。

「この仕事はうちの部門の独立プロジェクトとして立ち上げることで、ご了承頂いていたはずですよ。どうして誤解が生じたのかは分かりかねますが…。」

おいおい、部門間戦争がおっぱじまっちまったじゃないか。こんな場合、どちらの加勢をしても状況改善は見込めそうもないので、とりあえず静観することにしました。

「建設管理部門としては、自分たちが勝ち取った仕事を上下水道部門の手柄にしたくないというのは分かるんだよね。」

と、ラーメンをすすりつつディックに解説する私。

「でもクライアントから見ればひとつの会社と結んだ契約なんだから、毎月請求書が二種類届いたら面喰うよな。」

と、ディックも同意します。

ランチを終えて職場に戻ると、キャロリンから新しいメールが入っていました。

「キース、クライアントから私のプロジェクトへの追加予算承認が下りたわ。念のためお知らせしますね。」

まるで、これまでの緊張関係など気にかけるに値しないとでも言わんばかりの強気な態度です。これに対してキースがいつまでも無反応なので、さすがにプレッシャーがかかった私は、

「クライアント側から見れば一件のプロジェクトに対して、うちが二種類の請求書を送ることになりますけど、問題は無いのですね?」

と敢えてニュートラルな質問メールを返しました。建設管理チームの若手社員シェルビーが、すかさず反応。

「我々は全く問題無いと考えてますが。」

すると暫くしてようやくキースが、

「俺は賛成出来んぞ。向こうは二種類の請求書なんて受け取るわけがないだろう。」

それからまたパタリと交信が途絶えました。おいおい、僕にどうしろって言うんだよ。この場合、双方がよく話し合った上で、クライアントの意向を伺うべきだろう。いつまでもいがみ合っていたら僕がしゃしゃり出て、全てをスパッとおさめてくれるとでも思ってんのかな…?

ほどなくして、今度は財務部門のジョンからccメールが届きます。宛先は、建築部門のコワモテPMリチャード。

「例のプロジェクトが異例の高収益を上げたために、監査官の目に留まってね。いくつか質問が来てるんだ。リスク・レジスターとマイルストーン・スケジュールを送ってくれないか?」

ちょうどこのプロジェクトの正式終結手続きに取り掛かっていたところだった私。業績が良過ぎて不信感を抱かれる、そんな皮肉な話もあるんだな、と驚きつつもちょっと興奮していました。この件でエグゼクティブから直々に表彰されたリチャードは、誰が相手でも一切妥協しないことで有名な強心臓(財務部門とも数々のバトルを繰り広げて来ました)。だからこそ、極めて扱いが難しいと評判だったクライアント相手でも、大きな収益をあげられたのですね。そんな彼がジョンのこの要求にどんな反応をするのかな、と待っていたら、間もなくメールが届きました。

“John, the project is closed. Finished.”
「ジョン、プロジェクトは終結した。終わったんだよ。」

終了した仕事のために使う時間などこれっぽっちも無いぞ、という意思表明です。ありゃりゃ、ここでもまたドンパチが始まる予感…。

私のついた大きな溜息を、斜向かいの席でコンピュータに向かっていたカンチーに気付かれました。どうしたんですか?と尋ねるので、キースとキャロリンのバトルにまでさかのぼって全て話して聞かせました。

「そういうギスギスした話、ほんとに最近よく聞きますよね。うちのチームは楽しくやってるのに、一歩外へ出ると喧嘩ばかりでびっくりします。」

ここでふと、「エックス・ファクター」を思い出した私。

「コラボレーションがエックス・ファクターだって社長は言ってたけど、部門間に深刻な利害関係がある以上、事はそう簡単に進まないよ。」

そうですね、と頷いて暫く考え込むカンチー。

「ま、そういう緊迫した場面でも落ち着いて、誰も思いつかなかったような解決策を鮮やかに提示するというのも、我々プロジェクト・コントロール部門の仕事の醍醐味だとは思うんだよね。」

これを聞いて、急に目を輝かせるカンチー。

「で、財務部とリチャードとの件はどう解決するつもりなんですか?」

「もう解決したよ。」

と即答する私。え?もう?と興奮を滲ませる彼女に、満を持してエックス・ファクターを披露する私でした。

“I just turned on my out-of-office message.”
「不在通知をオンにしたのさ。」


2017年10月15日日曜日

Most stressful experience 一番キツい体験

先日の朝一番、同僚ジムが近づいて来て、にこやかに挨拶して来ました。

「オハヨゴザマス!」

お母さんが日本生まれの日本人、ということもあり、私に特別な親近感を持ってくれているようで、

「ショウガナイネェ」

などという「教科書では習わない」フレーズを繰り出して来ます。

Industrial Hygienist (産業衛生管理士)というニッチな分野を専門とする彼は、クライアントである軍の施設に常駐して騒音や換気、水質などの管理をしています。一ヶ月に一回程度オフィスに戻って来て、メールのチェックやトレーニングの受講などに一日を費やす、というサイクル。

「実はね、今日でさよならなんだ。転職が決まってね。」

不意に淋し気な表情を浮かべるジム。驚いた私は、急遽彼をランチに誘いました。以前から、そのうち昼飯食いながら日本の話で盛り上がろうよ、などと話していたのです。

「この一年くらい、プロジェクトの数を増やそう、クライアント・ベースを拡大しよう、と色々もがいたんだよ。直属の上司のマークと、その上司だったリチャードが応援してくれて、結構動いたんだけど、なかなかうまくいかなくてね。」

バーガー・ラウンジの明るいテラス席で向かい合い、事情を聞き出す私。後で別の人からも聞いたのですが、ジムの専門分野は極めて地味なため、普段は組織の中で話題にのぼることも無いのだそうです。工場などで事故が起きたり監査で違反を指摘されたりなどということがあって初めて、その重要性が脚光を浴びるのだ、と。

「結局プロジェクトの数は増えず、人も雇えず、更には頼りにしてたリチャードもクビになったりして、もうここに自分の未来は無いな、と諦めざるを得なかったんだ。」

半年くらい前から転職活動を続け、ようやく良いポジションが見つかった、とのこと。彼と実のある会話を交わすのはこれが初めてなのに、同時にお別れというのは何とも切ない話です。こんなことならもっと前からランチに誘っておけば良かった…。

海軍に長く勤務した経験があるというので、その頃の話を根掘り葉掘り聞き出してみました。

「三十歳前後で、ペンタゴンに三年ほど勤務したんだ。当時は調達担当だったから、毎日何千万ドルという契約交渉を処理してた。全世界に散らばる軍の施設へ送る物資の調達を、ほとんど誰とも相談せずに素早く決断しなきゃならない。あれはかなりストレスが大きかったね。経験が浅いのに責任重大な仕事を任される、というのは本当にキツいよ。」

若い頃にペンタゴン(国防総省)勤務ということはエリート街道を突っ走っていた証拠です。しかしアメリカ海軍というのは日本の中央官僚同様、ポジションの先細り度が尋常じゃないらしく、その後同期たちにどんどんポジションを奪われて行き、引退してコンサルタントにならざるを得なかったのだそうです。

「湾岸戦争部隊に物資供給するため、延々航海したこともあったよ。」

補給地点のフィリピンで台風に襲われ、停泊中に火山の大噴火に見舞われたこともあったのだと。

「強風の中、甲板に降り積もった黒く湿った灰の山を除去するため、乗員全員で徹夜作業をしたんだ。本当に大変だった。でもね、それはまだ良かったんだよ。」

驚天動地とも言うべき不測の事態に、こりゃ艦の点検のため米国へ引き返すことになるのかなと思いきや、そのままペルシャ湾まで航行せよという指令が出たのだそうです。

「あれは本当に辛かったなあ。」

困難に満ちた人生を送って来たのですね。彼に較べたら、私は随分楽な道を歩んで来てるなあ、とあらためて自分の幸運に感謝する気持ちが湧きました。

さて、二人で極上バーガーをたっぷり堪能し、そろそろ職場に戻ろうかという段になって、

「あのさ、これまで沢山辛い目に遭って来たようだけどさ、」

と尋ねてみました。

“What was the most stressful experience in your life?”
「これまでの人生で一番キツかった体験って何?」

軍人としての経験、そしてコンサルタントになってからの経験。私の想像を遥かに超えるほどストレスフルな物語を、山ほど持っていそうな気配がしていたのです。するとジムは一秒ほど置いて、こう静かに答えました。

“Being married.”
「結婚生活。」

全盛期の野茂のフォーク(ちと古いか)を思わせるこの急角度のオチがツボにはまり、大爆笑する私。テラス席に座っといて良かった!と思うほどの大声で笑いました。いやいや、これほど鮮やかな落とし方はもはや名人芸だぞ!腹を抱えつつ密かに感動を覚えていた私でした。

「実は、数か月前から別居してるんだ。」

淋し気な顔でジムが続け、さっきのはジョークじゃなかったんだということを理解するまで数秒かかりました。

「あ、ごめん。大笑いしちゃって申し訳ない。」

「いや、いいんだよ。オフィスに戻ろうか。」

帰る道々、奥さんとの長期にわたる緊張関係、娘さんが独立するまでは籍を抜かずにおこうと決めたことなどを、淡々と語り続けるジム。

なかなかにストレスフルな十分間でした。


2017年10月8日日曜日

発音の問題

木曜の昼前、エド、マリア、それからリチャードと四人でランチに行きました。かれこれ十年以上前から続いている「バースデー・クラブ」。その月に誕生日を迎えたメンバーのために残りの面々がランチをおごる、というしきたりだったのですが、それぞれ多忙なためスケジュールがずれにずれ、とうとう四人全員の誕生月をすっかり通り越してからの開催に。

お店どこにする?と歩き出しながら問いかけるマリア。

「二つ候補を考えたんだけど。」

と彼女が挙げたのが、木造二階建てのエキゾチックなニュージーランド料理レストランQueenstown Public House(クイーンズタウン・パブリック・ハウス)と、ゴージャスなスイーツでサンディエゴ中にその名を轟かせているExtraordinary Desserts(エクストラオーディナリ―・デザーツ)の二店。路上採決の結果、後者に決定しました。

Extraordinary(エクストラオーディナリー)って発音、結構難しいんだよね、僕には。」

マリアと並んで歩きながら、さらりと告白してみました。単語内に散りばめられた三つのRをそれぞれきちんと発音するのは、なかなか大変なのです。これが副詞のExtraordinarilyになると、さらに難易度は跳ね上がります(ちなみにExtraordinaryは、Ordinary(普通の)にExtra(割増し)をくっつけて、「並外れた」とか「桁違いの」という意味)。

「そうね。確かに発音難しいかも。」

私は更にRegularly(れぎゅらありぃ)を例に挙げ、僕ら日本人にとってR(アール)、特に隣接するLとRを正確に発音するのは至難の業なのだと説明しました。ちょっと前にも、チームの皆と話していた際、今後出張可能性のある国名を列挙したのですが、シャノンがひどく意外そうな表情を浮かべ、

「その国にうちの支社があったの?全然知らなかったわ。」

と反応したので、

「いやいや、ずっと前からあるでしょ、イギリス(UK)のすぐ隣に。」

と答えたところ、

「ああ、アイルランドね。イランって言ってるのかと思った!」

とようやく納得した様子。おいおい、どうやったらIrelandIran(アイランと発音)を聞き間違えるんだよ、と微かに気分を害した私ですが、複数のチームメンバーから同じ指摘を受け、さすがにこれは自分の発音の問題だな、と納得。さっそく何度も公開発音練習をしたのでした。

さて、いよいよExtraordinary Dessertsに入店。中央付近の四人掛けテーブルに案内され、ランチメニューのパニーニやサラダを注文。このお店は古い倉庫を改築したような天井の高い作りが特徴(収容人員ざっと五十人か?)なのですが、メイドイン・ジャパンっぽい鉄の急須などを陳列したりしていて、モダンながら「ほんもの感」も押し出しています。デザートのケーキにふわりと載せたピンクやバイオレットの花びらも、全て食用生花という徹底ぶり。

食事を待つ間、さっそく私が話題を振ります。

「新しいブレードランナー、もう観た?」

ブレードランナーの「レ」はLで、「ラ」はR。意識してやや強調気味に発音。

「まだだけど、あれ、金曜封切りじゃなかった?俺は絶対観に行くよ。ずっと待ち焦がれてたんだ!」

と興奮するリチャード。そう、映画「Blade Runner 2049」がいよいよ公開なのです。1982年に発表されたオリジナル作品「Blade Runner」の続編で、前回主役を張ったハリソン・フォードも登場するらしい。

「私も必ず観に行くわ。その前に最初のやつ、復習しとかなきゃ。」

とマリア。

「どんな映画だっけ?俺、観たことないかもしれない。」

とエドが首を傾げるので、軽くあらすじを解説しました。

舞台は2019年のロサンゼルス。異常気象の影響か、四六時中雨が降っていて、常にどんよりと暗い。ダウンタウンは人口密度が高く、人とぶつからずに歩くのも困難なほどごった返している。それを見下ろすように空飛ぶ車が行き交い、飛行船がゆっくりと行き過ぎながら、宇宙への移住を呼び掛けるアナウンスを繰り返している。ピラミッドのように超巨大な高層建築群の足元は、まるで80年代の新宿駅周辺を思わせる屋台村。初老の日本人店主が陽気な客あしらいを見せるヌードルショップの屋台で空席待ちをしていた若き日のハリソン・フォードが、煙るような雨をくぐってカウンター前に腰かけ、食事を始めます。間もなく後ろから呼び止められ、警察官らしき人物に同行を求められる。そこで初めて観客は、ハリソン・フォードが「ブレードランナー」と呼ばれる特別捜査官であることが分かる…(詳細はウィキペディアで)。

「かなりたくさんのカットに、日本語の看板や広告が出て来るんですよ。あの時代は日本資本のアメリカ進出が進んでたから、そのせいなのかな、と思いながら鑑賞したのを憶えてますね。アメリカ人の多くが、未来のアメリカは日本人だらけになる、と思ってたのかも。」

と私。膨大な対日赤字を抱えていた当時のアメリカにとって、日本は深刻な脅威だったのですね。今じゃ「アメリカ・ファースト」などと意気軒高ですが、当時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が流行語になるほどだったんだよな…。

「やっぱり私、もう一回ちゃんと観直さなきゃ。今シンスケが話してくれた内容、何ひとつ憶えてないわ。」

とマリア。

それまで意識して避けていたのですが、食事が中盤に指しかかった頃、日曜日に起きたラスベガスの銃乱射事件の話題になりました。アメリカ人が三人も集まれば、そのうちの誰かは事件の影響を受けていても不思議はありません。マリアの親戚もあの日ちょうどラスベガスにいて、外出先からホテルに戻った際、暫く中に入れてもらえなかったそうです。リチャードとマリアの間で銃規制に関するプチ口論がひとしきり展開され、それから私がひと言意見を差し挟んだところ、三人が同時に固まりました。

「え?何て言ったの?」

おっと、なんか僕、変なこと口走っちゃった?恐る恐る、もう一度単語をゆっくりと発音。

“Murder(人殺し).”

それでも皆まだ変な顔をしているので、スペルを伝えました。すると三人同時に、ああなんだそうか、と納得します。

「何て聞こえたの?」

と尋ねたところ、   

「マーダーって言ったと思ったんだよ。」

とエド。いや、そう言ったんだけど?何がまずかった?

エドによれば、私の発音だとMartyr「殉教者」に聞こえる、というのです。Martyrは名詞で「信仰のために命を投げ出す人」という意味で、動詞として使われると「信仰のために人を殺す」になるのだと。響きの似た単語ながら、MurderMartyrのどっちを使うかでニュースの意味が大きく変わって来るのですね。

Murderはやや口をすぼめて発音する(モ~ドゥーに近い)んだよ、とエド。それから三人が口々に反復練習を要求し、私の発音を改善しようと試みます。混雑し始めたレストランの真ん中で、四人の中年が交互に繰り返し「Murder(人殺し)」と唱える、穏やかならぬ展開。皆が好意でやってくれているのは重々分かりつつ、執拗に繰り返されたこの発音練習のせいで、うっすらと屈辱感を味わっていた私。

「ま、大丈夫だよ。こんな単語、滅多に口にすることもないからな。」

とエドに慰められつつ、結局最後まで及第点をもらえなかった私は、密かに軽く打ちのめされていました。

食後のデザートを頼んだ後、気を取り直して別の話題を放り込む私。

「そうだ。実はこないだの週末、自分の誕生祝にそこそこ大きな買い物をしたんだ。」

すると皆が反射的にこれをクイズと受け取ったようで、

「待って。言わないで。当てるから。」

と制します。

「オートバイ(Motorcycle)かな?」

とリチャード。いや、乗り物じゃないよ。

「大型テレビ!」

とエド。いや電化製品でも無い、と私。何かヒントちょうだいよ、というマリアに、

「つい最近亡くなった有名人が、自宅に百以上持ってたモノだよ。」

と答えると、

「ヒュー・ヘフナー!」

と即答します。先ごろ亡くなったプレイボーイ誌創設者のヘフナーが自宅に囲ってたのは沢山の美女だけど、さすがに百人はいなかったんじゃないの?大体、「みんな聞いてよ、誕生記念にイイ女を一人買ったよ。」なんて言うわけないだろ…。

「他に最近、誰が死んだっけ?あ、そうだ、トム・ぺティーだ!」

とリチャード。That’s correct!(正解!)と、思わず声を上げる私。それでも三人がきょとんとしてるので、解説を加えます。伝説的ミュージシャンのトム・ぺティーは、自宅の一室(普通の住宅一軒分くらいのサイズだけど)に百本以上のギターを収蔵していたのです。

そう、私はこの週末にギターを買ったのですね。約三十年ぶりに開始した練習のせいで、左手の指の腹が徐々に固くなって来ました。

「エレキギター?」

とエド。

「いや、アコースティック。」

「どのメーカー?」

とリチャードが尋ねるので、YAMAHA(ヤマハ)のだよ、というと、エドが再び怪訝な顔になります。

「今なんて言った?」

「ヤマハ、ですけど。」

「アクセントは「マ」じゃなくて「ヤ」にあるんだよ。」

そして三人が、「やぁ~まは~」と訂正し、言ってみろ、と要求します。

「やぁ~まは~!」

まるでアニメ「ドカベン」で、岩鬼が山田太郎を呼ぶ時みたいに間延びした発音。へえ、そう言うんだ、と感心した後、ハッと我に返ります。

「ちょっと待ってよみんな。これってそもそも、日本のメーカー名なんだよ。」

日本語では平たく、「ヤ・マ・ハ」と発音します、はいやってみて、と練習を促したところ、三人ともまるで転校して来たばかりの小学生みたいな小声になり、

「やぁまは」

と恐る恐る唱えます。全員落第。誰一人として、フラットに「ヤマハ」と発音出来ないのですね。抑揚はつけないんだよ、と注意して繰り返させても、やっぱりどうしても「ヤ」にアクセントを置いてしまう。なんだよみんな、こんな簡単な単語も発音出来ないのかよ!

これではっきりしました。英語が特に難しいというわけじゃなく、誰にとっても外国語の発音ってのは大変なんだ、と。とにもかくにも、ランチ終わりで一気に形勢逆転を遂げた私は、大いに溜飲を下げたのでした。