今月から新年度です。火曜の朝一番、部下のカンチーと昨年度の業績を振り返るための面接がありました。締め括りに、この一年間の貢献に対する感謝を述べ、上司の僕に求めることはないかと尋ねました。すると、プロジェクト・コントロール部門の一員としてもっと活躍出来るようになるための、次のステップを教えて欲しい、と真剣な眼差しを向ける彼女。こんな風に人から真っ直ぐな情熱をアピールされると、ついついふざけて茶化したくなる私ですが、ここはさすがにぐっと堪えました。
「次のステップは、スケジューリングだ。これをマスターすれば、仕事の幅はぐんと拡がる。本来なら業務時間内にトレーニングするべきところなんだが、Utilization(稼働率)のプレッシャーがきついだろ。業務時間外でも構わなければ教えるよ。」
「お願いします。勉強したいです!」
彼女との面接終了後、社長の年頭スピーチが世界同時生放送されるというので、ランチルームに二人で移動。支社の他の社員たちと一緒に大型画面を見つめ、耳を傾けました。昨年度の業績説明、社員への感謝、などというお決まりのくだりをつつがなく終え、今年度の戦略へと進みます。そこで彼が何度も繰り返したのが、このキメ台詞。
“Collaboration is our X factor.”
「コラボレーションが我々のエックス・ファクターだ。」
世界中で活躍する才能豊かな社員たちが部門を飛び越えて力を合わせ、素晴らしいイノベーション(革新)を産み出す。これこそが会社の発展を推進する原動力になるのだ、と熱を込めて語りかける社長。
えっくす・ふぁくたー?
それって方程式y=ax+bで使われるエックスのことかな。素直に考えれば「変数」とか「因子」って意味になるけど、「コレボレーションは変数だ」では、社長のあの熱が説明つきません。後で複数の人に質問してみたところ、どうやらエックス・ファクターというのは、「結果に大きなインパクトを与えるかもしれない因子」という意味で使われる言葉のようです。社長が言いたかったのは、こういうことですね。
“Collaboration is our X factor.”
「コレボレーションは、どエライ可能性を秘めた成功への鍵なんだ。」
さて金曜の昼。同僚ディックとラーメン屋「Underebelly(アンダーベリー)」へ向かう道々、この話題を持ち出しました。社長のスピーチは聞き逃したという彼は、
「その手のフレーズを満載したジョーク・サイトがあるの知ってる?」
と皮肉っぽく笑います。耳触りが良い割りにすんなり頭に入って来ないBusiness Jargon(ビジネス用語)を連発されると、真面目に話を聞く気が萎える、というディック。
「言いたいことは分かるし大歓迎だけど、じゃあそれを推進するための態勢をどう整えるか、みたいな具体的な話は当然出なかっただろ?」
言われてみれば、どうすればコラボレーション(協働)が実現出来るのかを考え始めると、自然に首を傾げてしまいます。週40時間、無駄口を叩かずクライアントに請求書を送りつけられる仕事のみに力を注げ、という大きな圧力がかかる中、どうにかよその支社で働く別部門の社員とお知り合いになってコラボしてごらんよ、とおっしゃられてもねえ…。
「そういえばさ、今こんなことに巻き込まれてるんだ。」
アンダーベリーの二階席に腰を据えてから、ディックに近況報告を始める私。
二ヶ月前、建設管理部門のキャロリンという社員から電話がかかって来ました。
「あなたと話すようキースに言われたの。だから電話してるんだけど…。」
上下水道部門の大物PMキースが担当する巨大プロジェクトをサポートしている私に、自分のちっちゃいプロジェクトもヘルプして欲しいというのです。お安い御用、と快諾したものの、その時は依頼内容を深く理解していませんでした。それが今週になってそのキャロリンから、
「クライアントへの最初のインボイス(請求書)を作るの、お願い出来る?」
と具体的なリクエスト・メールが届いたのです。早速中身を調べ始めて、愕然とします。キャロリンは、キースのプロジェクトに寄生する格好で契約変更承認をクライアントから取り付け、独立したプロジェクトとして立ち上げてしまっていたのです。一つの契約書に二つのプロジェクト。当然、請求書も二種類作成しなければなりません。え?これ大丈夫なの?クライアントとは話ついてんの?疑問に思ってキースに質問メールを送ったところ、こんな返信が届きました。キャロリンの名前もccに入れて。
「俺はかなりムカついてる。なんでこんな事態になったんだ?キャロリンには、君と充分調整して進めるよう言ってあったんだ。請求書の準備にいささかなりとも不都合が生じるなら、彼女のプロジェクトを潰してもらっても構わん。君には全幅の信頼をおいている。君がベストだと信じる方法で解決してくれ。」
すると数分後、返す刀でキャロリンが長文メールを返して来ました。ccには建設管理部門の上層部を含めた複数社員の名前が連ねられています。
「この仕事はうちの部門の独立プロジェクトとして立ち上げることで、ご了承頂いていたはずですよ。どうして誤解が生じたのかは分かりかねますが…。」
おいおい、部門間戦争がおっぱじまっちまったじゃないか。こんな場合、どちらの加勢をしても状況改善は見込めそうもないので、とりあえず静観することにしました。
「建設管理部門としては、自分たちが勝ち取った仕事を上下水道部門の手柄にしたくないというのは分かるんだよね。」
と、ラーメンをすすりつつディックに解説する私。
「でもクライアントから見ればひとつの会社と結んだ契約なんだから、毎月請求書が二種類届いたら面喰うよな。」
と、ディックも同意します。
ランチを終えて職場に戻ると、キャロリンから新しいメールが入っていました。
「キース、クライアントから私のプロジェクトへの追加予算承認が下りたわ。念のためお知らせしますね。」
まるで、これまでの緊張関係など気にかけるに値しないとでも言わんばかりの強気な態度です。これに対してキースがいつまでも無反応なので、さすがにプレッシャーがかかった私は、
「クライアント側から見れば一件のプロジェクトに対して、うちが二種類の請求書を送ることになりますけど、問題は無いのですね?」
と敢えてニュートラルな質問メールを返しました。建設管理チームの若手社員シェルビーが、すかさず反応。
「我々は全く問題無いと考えてますが。」
すると暫くしてようやくキースが、
「俺は賛成出来んぞ。向こうは二種類の請求書なんて受け取るわけがないだろう。」
それからまたパタリと交信が途絶えました。おいおい、僕にどうしろって言うんだよ。この場合、双方がよく話し合った上で、クライアントの意向を伺うべきだろう。いつまでもいがみ合っていたら僕がしゃしゃり出て、全てをスパッとおさめてくれるとでも思ってんのかな…?
ほどなくして、今度は財務部門のジョンからccメールが届きます。宛先は、建築部門のコワモテPMリチャード。
「例のプロジェクトが異例の高収益を上げたために、監査官の目に留まってね。いくつか質問が来てるんだ。リスク・レジスターとマイルストーン・スケジュールを送ってくれないか?」
ちょうどこのプロジェクトの正式終結手続きに取り掛かっていたところだった私。業績が良過ぎて不信感を抱かれる、そんな皮肉な話もあるんだな、と驚きつつもちょっと興奮していました。この件でエグゼクティブから直々に表彰されたリチャードは、誰が相手でも一切妥協しないことで有名な強心臓(財務部門とも数々のバトルを繰り広げて来ました)。だからこそ、極めて扱いが難しいと評判だったクライアント相手でも、大きな収益をあげられたのですね。そんな彼がジョンのこの要求にどんな反応をするのかな、と待っていたら、間もなくメールが届きました。
“John, the project is closed.
Finished.”
「ジョン、プロジェクトは終結した。終わったんだよ。」
終了した仕事のために使う時間などこれっぽっちも無いぞ、という意思表明です。ありゃりゃ、ここでもまたドンパチが始まる予感…。
私のついた大きな溜息を、斜向かいの席でコンピュータに向かっていたカンチーに気付かれました。どうしたんですか?と尋ねるので、キースとキャロリンのバトルにまでさかのぼって全て話して聞かせました。
「そういうギスギスした話、ほんとに最近よく聞きますよね。うちのチームは楽しくやってるのに、一歩外へ出ると喧嘩ばかりでびっくりします。」
ここでふと、「エックス・ファクター」を思い出した私。
「コラボレーションがエックス・ファクターだって社長は言ってたけど、部門間に深刻な利害関係がある以上、事はそう簡単に進まないよ。」
そうですね、と頷いて暫く考え込むカンチー。
「ま、そういう緊迫した場面でも落ち着いて、誰も思いつかなかったような解決策を鮮やかに提示するというのも、我々プロジェクト・コントロール部門の仕事の醍醐味だとは思うんだよね。」
これを聞いて、急に目を輝かせるカンチー。
「で、財務部とリチャードとの件はどう解決するつもりなんですか?」
「もう解決したよ。」
と即答する私。え?もう?と興奮を滲ませる彼女に、満を持してエックス・ファクターを披露する私でした。
“I just turned on my out-of-office message.”
「不在通知をオンにしたのさ。」
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