2017年10月15日日曜日

Most stressful experience 一番キツい体験

先日の朝一番、同僚ジムが近づいて来て、にこやかに挨拶して来ました。

「オハヨゴザマス!」

お母さんが日本生まれの日本人、ということもあり、私に特別な親近感を持ってくれているようで、

「ショウガナイネェ」

などという「教科書では習わない」フレーズを繰り出して来ます。

Industrial Hygienist (産業衛生管理士)というニッチな分野を専門とする彼は、クライアントである軍の施設に常駐して騒音や換気、水質などの管理をしています。一ヶ月に一回程度オフィスに戻って来て、メールのチェックやトレーニングの受講などに一日を費やす、というサイクル。

「実はね、今日でさよならなんだ。転職が決まってね。」

不意に淋し気な表情を浮かべるジム。驚いた私は、急遽彼をランチに誘いました。以前から、そのうち昼飯食いながら日本の話で盛り上がろうよ、などと話していたのです。

「この一年くらい、プロジェクトの数を増やそう、クライアント・ベースを拡大しよう、と色々もがいたんだよ。直属の上司のマークと、その上司だったリチャードが応援してくれて、結構動いたんだけど、なかなかうまくいかなくてね。」

バーガー・ラウンジの明るいテラス席で向かい合い、事情を聞き出す私。後で別の人からも聞いたのですが、ジムの専門分野は極めて地味なため、普段は組織の中で話題にのぼることも無いのだそうです。工場などで事故が起きたり監査で違反を指摘されたりなどということがあって初めて、その重要性が脚光を浴びるのだ、と。

「結局プロジェクトの数は増えず、人も雇えず、更には頼りにしてたリチャードもクビになったりして、もうここに自分の未来は無いな、と諦めざるを得なかったんだ。」

半年くらい前から転職活動を続け、ようやく良いポジションが見つかった、とのこと。彼と実のある会話を交わすのはこれが初めてなのに、同時にお別れというのは何とも切ない話です。こんなことならもっと前からランチに誘っておけば良かった…。

海軍に長く勤務した経験があるというので、その頃の話を根掘り葉掘り聞き出してみました。

「三十歳前後で、ペンタゴンに三年ほど勤務したんだ。当時は調達担当だったから、毎日何千万ドルという契約交渉を処理してた。全世界に散らばる軍の施設へ送る物資の調達を、ほとんど誰とも相談せずに素早く決断しなきゃならない。あれはかなりストレスが大きかったね。経験が浅いのに責任重大な仕事を任される、というのは本当にキツいよ。」

若い頃にペンタゴン(国防総省)勤務ということはエリート街道を突っ走っていた証拠です。しかしアメリカ海軍というのは日本の中央官僚同様、ポジションの先細り度が尋常じゃないらしく、その後同期たちにどんどんポジションを奪われて行き、引退してコンサルタントにならざるを得なかったのだそうです。

「湾岸戦争部隊に物資供給するため、延々航海したこともあったよ。」

補給地点のフィリピンで台風に襲われ、停泊中に火山の大噴火に見舞われたこともあったのだと。

「強風の中、甲板に降り積もった黒く湿った灰の山を除去するため、乗員全員で徹夜作業をしたんだ。本当に大変だった。でもね、それはまだ良かったんだよ。」

驚天動地とも言うべき不測の事態に、こりゃ艦の点検のため米国へ引き返すことになるのかなと思いきや、そのままペルシャ湾まで航行せよという指令が出たのだそうです。

「あれは本当に辛かったなあ。」

困難に満ちた人生を送って来たのですね。彼に較べたら、私は随分楽な道を歩んで来てるなあ、とあらためて自分の幸運に感謝する気持ちが湧きました。

さて、二人で極上バーガーをたっぷり堪能し、そろそろ職場に戻ろうかという段になって、

「あのさ、これまで沢山辛い目に遭って来たようだけどさ、」

と尋ねてみました。

“What was the most stressful experience in your life?”
「これまでの人生で一番キツかった体験って何?」

軍人としての経験、そしてコンサルタントになってからの経験。私の想像を遥かに超えるほどストレスフルな物語を、山ほど持っていそうな気配がしていたのです。するとジムは一秒ほど置いて、こう静かに答えました。

“Being married.”
「結婚生活。」

全盛期の野茂のフォーク(ちと古いか)を思わせるこの急角度のオチがツボにはまり、大爆笑する私。テラス席に座っといて良かった!と思うほどの大声で笑いました。いやいや、これほど鮮やかな落とし方はもはや名人芸だぞ!腹を抱えつつ密かに感動を覚えていた私でした。

「実は、数か月前から別居してるんだ。」

淋し気な顔でジムが続け、さっきのはジョークじゃなかったんだということを理解するまで数秒かかりました。

「あ、ごめん。大笑いしちゃって申し訳ない。」

「いや、いいんだよ。オフィスに戻ろうか。」

帰る道々、奥さんとの長期にわたる緊張関係、娘さんが独立するまでは籍を抜かずにおこうと決めたことなどを、淡々と語り続けるジム。

なかなかにストレスフルな十分間でした。


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