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2017年8月13日日曜日

プロジェクト成功の秘訣

月曜の3時半。私がリーダーを務めるプロジェクトコントロール・チームの、6人目のメンバーを選ぶ二次面接がありました。私とシャノン、若い部下のカンチーとアンドリュー、そして大ボスのテリーが、小会議室で候補者を出迎えます。と言っても今回一次面接を突破したのは、現在地元の銀行に勤める大卒二年目のテイラーただ一人。驚くべきことに、ポジション獲得にかける真摯な熱意を感じさせてくれたのは彼女だけでした。大抵の候補者は自分自身の売り込みに忙しく、肝心の業務や役割に対する興味をアピールしそこなっていたのです。

「職務内容を読んでものすごく興奮したんです。これこそずっと自分のしたかったことだって!」

と、一次面接で彼女が見せた目の輝きは、強く印象に残りました。

実は既に彼女の採用は決定していたのですが、メールで通知するという味気ないプロセスを避け、チーム全員に会わせた上で直接オファーレターを手渡そうという目論見で招いたのです。もちろん皆にはダンマリを通してもらい、彼女には本当に二次面接だと思いこませてのこと。

「今度の面接には上層部からも面接官が参加するから、質問を沢山持って来てね。」

と予めメールしておいたのですが、彼女が手書きの質問で二頁を埋め尽くしたノートを手に現れたのには、再び感心。

他のメンバー達に質疑応答を任せ、私はテイラーの受け答えの様子をつぶさに観察していました。まるで大人になった「長靴下のピッピ」という感じの、好奇心みなぎるそばかす顔。ひとつひとつの質問に全身の神経を集中させて聞き入った後、消防ホースのような勢いで回答を浴びせ返す。聞き手に回っている間はやや心細げに見える彼女のおちょぼ口は、その大量のエネルギーを放出するにはいささか小さすぎる、といった格好。

「私たちからの質問は以上だけど、シンスケから最後に何かある?」

とシャノン。ひとつだけあるよ、と私が応じます。

「前回も似た質問をしたけど、プロジェクトの成功のために一番大切なことって何だと思う?コミュニケーション以外で答えてね。」

トリッキーな質問ですが、これには理由があったのです。一次面接の定番だったこの「プロジェクト成功の秘訣」クエスチョン。なんと全ての候補者が、判で押したように「コミュニケーション」と答えていたのです。これにすっかり飽き飽きしていた私は、捻りを加えた上でもう一度投げ込んでみた、というわけ。さあどう打ち返す、テイラー?

「それは良い質問ね、シンスケ。私も一番大事なのはコミュニケーションだと思うけど、二番目って何かしら。」

と、左隣で大ボスのテリーが、天井を見つめて黙りこみます。当のテイラーは、小さな口を一秒ほど堅く結んだ後、

「スコープとバジェット(予算)とスケジュールの管理だと思います。」

と答え、それからエネルギッシュに補足説明を開始しました。

“No, that’s a wrong answer.”
「いや、その解答は間違いだね。」

ここで静かに彼女を制する私。ギョッとして振り向くテリーの顔を視界の左端におさめつつ、テイラーの様子を窺います。あからさまに当惑して発言に急ブレーキをかけた彼女でしたが、ようやく気を取り直してこう問いかけました。

「すみません。正しい答えを教えて頂けますか?」

この素直な切り返しに満足しつつ、私が答えます。

「プロジェクトの成功にとって本当に大事なのはね、強力なプロジェクトコントロール・チームの存在なんだよ。」

ここで笑いが起こる予定だったのですが、テイラーの緊張が部屋の空気を張りつめさせていたのか、リアクションは薄いまま。

「君は今、プロジェクトコントロール・チームに入ろうとして面接を受けているんだろ。だったらここは、そう解答しておくのが妥当ってもんじゃないか。」

ああなんだ、そういうオチね、と一同の緊張が若干和らぎましたが、それでもまだ完全には意図が伝わり切っていない模様。

“I was just kidding. Your answer was fine.”
「冗談だよ。君の答えは良かったよ。」

やっと手の内をさらしたところ、

“Shinsuke does this."
「シンスケってこういうことするのよね。」

と苦笑いでフォローするシャノン。


調子こいてウケを狙った結果、コミュニケーションをしくじっちまいました…。


2016年12月23日金曜日

Pleasantly Surprised 嬉しいサプライズ

オーストラリア出張から戻った翌日の月曜。オフィス内は壁やカウンターや窓にイルミネーションが張り巡らされ、赤や緑の飾り付けでクリスマスを迎えるワクワク感が演出されていました。

例年通り、机の上には大ボスのテリーからのギフトが置いてあります。ホワイトチョコでコーティングされた棒状のプレッツェルが、セロハン紙の袋に包まれ赤いリボンで閉じられています。部下が百数十人はいるっていうのに、一人一人にこういう気遣いをしてたらさぞかし大変だろうな、とあらためて感心していました。一月に私が新居を購入したことを話した翌朝などは、出勤してみたらHome Depot(ホームセンター)のギフトカードが机の上にありました。カードにはテリーの手書きで、「少額だけど、ガーデニングやリモデルに用立ててね。」としたためてあります。ハートを鷲掴みにされたことは、言うまでもありません。

さて、出張明けの月曜日。実はこの日、時差ボケ調整のために休むつもりでした。しかし、どうしても出勤しなければいけない理由があったのです。朝一番で、新人の面接が決まっていたのですね。私がまだシドニーにいた前週金曜日(オーストラリア時間の土曜早朝)、シャノンとカンチーに面接を任せたところ、二人ともが太鼓判を押したのです。「まるで自分の男性バージョンと話してるみたいだったわよ。」とシャノン。サンディエゴの会議室とシドニーのホテルとを結ぶ電話で二人からの大絶賛を聞きながら、そこまで言うならもう採用決めちゃおうか、と笑っていたら、

「あら、テリーが入って来たわ。」

とシャノン。一応上司になる私が会ってから決断すべきだろうというテリーの意見で、第二次面接をセットすることにしたのです。

「私もその子に会ってみたいから、面接に参加させてね。」

とテリー。

さっそくリクルーターのメレディスを通し、日程を調整します。火曜日はどうか、と打診したところ、先方がクリスマスから新年にかけての休暇をコロラドで過ごす予定で、月曜午後の航空券を購入済みだとのこと。それなら月曜朝一番しかない、という話になったのです。

そして迎えた月曜午前8時。テリー、私の直属の上司レイ、それにシャノンと四人で新規採用候補者のアンドリューを迎えます。スーツにネクタイ、短めの髪を綺麗に撫で付け、清潔な印象の白人の若者。笑った時に、上下の歯の矯正が露出します。

「来てくれて有難う。これは第二次面接なんだ。今日は僕とそのボスたちと話をしてもらうよ。」

コロラドで苦学して会計の学位を取ったこと、一旦は会計士の道を目指したが、キャリアについてはまだ模索していること、今はサンディエゴの北の街でスタートアップの会社を助けているが、先行きが不透明なこと、年取った祖母を助けて暮らしていること、など彼のバックグラウンドを話してもらった後、会社やサンディエゴの職場に関する質問を受ける流れになりました。そんなやりとりの中で、彼が信頼に足る人物であることがじわじわと分かって来ました。

プロジェクト・コントロールの職務に一番大切なのは、人を助けることを心から楽しめる性格です。そのためには、エゴを捨て去り、全神経を集中して相手の話を聞き、短時間に可能な限りの情報収集をし、猛然と問題解決に取り組む集中力を育てなければならない。大抵の候補者は面接中、自分の知識や経験を印象付けようと誇張したり、こちらが話している間にもう次の発言内容を考え始めていたり、という「綻び」が見えるものです。でもこの若者からは、その兆しすら感じませんでした。

「ちょっとここで待っててもらえるかな。」

一時間経過したところで彼を会議室に残し、一同退室します。

「どう?いいでしょ?」

と微笑むシャノン。私が気に入ることは最初から分かってたわ、と言わんばかりのしたり顔です。

「うん、本当に大当たりだね。テリーは?」

「矯正がキュートよね。」

と冗談めかしつつ同意するテリー。レイも大きく頷いています。

「お待たせ。」

会議室に戻って席に着き、アンドリューに書類を手渡しました。

「これは我々からのオファーレター。内容をよく読んでね。同意した場合、オンラインでサインして欲しい。一応来月16日が初出勤となってるけど、それは変更可能だから。」

一瞬、何が起こっているのか分からない、という表情になったアンドリュー。それもそのはず、通常は面接の後、数週間待たされてからメールで採用・不採用の通知を受け取るものなのです。書類を郵便でやり取りしていた頃ならともかく、今の時代にこうして採用決定と共にハードコピーを手渡しするというのは、異例中の異例。

「有難うございます。すごく嬉しいです!」

頬を僅かに紅潮させ、その目に興奮を滲ませる若者を見ながら、テリーのスゴさにあらためて感心していた私でした。

そう、実はこれ、テリーのアイディアだったのです。

「シャノンとカンチーがそこまで気に入ってるんだから、採用はほぼ確実でしょ。シンスケが最終確認したら即決定じゃない。だったら、それを本物の書類として手渡ししてあげるのがベストでしょ。採用書類を手にクリスマス休暇へ旅立つなんて、すごくハッピーな話じゃない!その子にとって、きっと忘れられないクリスマスになるわよ。」

そんな彼女の提案を受け、シドニーからメールでメレディスと調整を重ね、何とか書類を間に合わせてもらったのです。確かに職の見通しが不確かなままクリスマスを過ごした末にメールで通知を受け取るのと較べれば、天と地ほどの差がありますね。

いまだ興奮から醒めない様子の若者をエレベーターホールまで見送った後、テリーのデスクへと向かいました。

“Was he pleasantly surprised?”

こちらを振り返ってニッコリ笑うテリー。Pleasantというのは「嬉しい」という意味ですが、Present(プレゼント)と音がそっくり。特に日本人である私には、エルとアールの発音差が微妙なため、今でもしばしば聞き間違えます。でも、どっちも幸せな単語なので、混同したところで大した問題は生じません。テリーの質問は、こういうことですね。

“Was he pleasantly surprised?”
「嬉しいサプライズになったかしら?」

もちろん、期待通りの大感動ぶりでしたよ、と私。アンドリューにとっては、この上ないクリスマス・プレゼントになったことでしょう。正直、彼よりも私の方がハートをがっしりつかまれちゃったかもしれないけど…。

翌朝、メレディスからメールが届きました。

「おめでどう!アンドリューがオファーにサインしましたよ!」


2017年7月22日土曜日

You guys ユーガイズは無害か?

昨日のランチタイムは、海辺のカジュアル・レストラン「クレーム・ジャンパー」へ。かれこれ5年の付き合いになる29歳の同僚キャロリンの送別会に、古くからの仲間が8人ほど集まりました。彼女は東海岸の某一流工科大学院で物理学と土木工学を修めた秀才ですが、その賢さを一切ひけらかすことなく、物腰柔らかな白人女性。クライアントへの満足度調査では常にパーフェクト・スコアを叩き出す(異例中の異例)、押しも押されぬスター選手でした。

「シンスケからは沢山のことを学んだわ。今まで本当に有難う!」

眼鏡のレンズを通し、真摯な眼差しで別れを惜しむ彼女。そうだ、この目だ。相手の言葉が含有する栄養素を一滴漏らさず吸い取ろうという、静かな集中力が嫌でも伝わって来ます。こういう人って、きっと転職の勧誘が後を絶たないんだろうな。

「今度の会社では、自分の部屋をもらえるの?」

と総務のヘザー。照れながらこくりと頷くキャロリンを見て、

「あたし達だって部屋はあるのよね。同居人が何十人もいるけどさ。」

と怒ったような表情でジョークを飛ばすヘザー。この日の送別会に出席したメンバーのほとんどが、4年前に現在のオープンオフィスへ引っ越して来るまでは、それぞれ個室を与えられていたのでした。この発言で、昔話に火が付きます。ベテラン受付嬢ヴィッキーが、前のオフィスの一角をシェアしていた建設会社の男たちとのやり取りを懐かしそうに語ります。中に一人、電話だろうが対面だろうが、四六時中大声を張り上げて喋る男がいて、廊下の端まで汚い声が響いていた、と。

「僕も一度、予約してた会議室を使おうと思って入ったら前のミーティングがまだ終わってなくて、彼等の議論を聞いちゃったことがあるんだ。ものすごいカスワード(Curse Word)の応酬で、思わず吹き出しちゃったよ。」

と私。カスワードとは、FやBで始まるいわゆる放送禁止用語のこと。文章の要所要所に組み込むと、びっくりするほど彩豊かな仕上がりになるので、工事屋の荒くれ野郎どもが好んで使うのですね。

「あたしも建設畑が長かったから、そっちの方が楽になっちゃったクチよ。」

とヘザー。この時、今日の主役のはずなのにただただ聞き役に徹していたキャロリンに気付いた私。

「あのさキャロリン、君はカスワードを使ったことってあるの?」

この不意打ちに、さっと顔を赤らめるキャロリン。皆が注目する中、俯き加減で微笑みながら、無言で首を振ります。

「え~っ?一度も無いの?生まれてこの方?」

と皆に追い込まれ、更に紅潮する彼女。

ランチが終わり、皆でぞろぞろと職場に戻る道すがら、キャロリンから近況を聞かれました。うちのグループは日に日に忙しさが増していて、また新たに人を雇おうとしてるんだよ、と私。そう、過去三週間で既に五人と面接をして来たのですが、未だに採用決定者が出ていません。

「そういえば、水曜日に一人面接した時、ちょっと気になったことがあるんだ。君にも意見を聞きたいな。」

面接の相手は、特大つけ睫毛が印象的な、大学を出て二年の痩せた東洋系女性。

「彼女、終始リラックスした様子でさ、我々面接官に向かって、五回くらいYou guysって言ったんだ。それってちょっとカジュアル過ぎやしないか?と思ってね。」

これから上司になるかもしれない相手に対し、「ユーガイズ(あなたたち)は」ってのはどうなのよ?と。日本人の常識に照らせば一発不合格レベルの不適切さであることに疑いは無いんだけど(「御社は」が正解だと思います)、もちろんここは、敬語不要の国。日本育ちである私の常識を適用すべきかどうか、悩ましいところです。さっそく、うちのグループメンバー達の意見を聞いてみることにしました。

一緒に面接官を務めたシャノンは、

「う~ん、私は聞き流しちゃったな。娘の友達とかで慣れちゃってるのかも。」

ベトナム出身のカンチーは、

「私達アジア出身者に共通する価値観かもしれませんが、私もちょっと不快感を覚えますね。相手に対する敬意が感じられないですもん。」

今年の初めに採用した、白人青年のアンドリュー。

「ユーガイズなんて、今の若者だったら誰でも普通に使いますよ。世代によって受け止め方が違うんじゃないですか。うちの親父もシンスケと同じ反応するかも。」

まあ確かに、単に「ジジイが若者言葉に目くじら立てている図」とも呼べる状況。特に最近は、若いアンドリューからオヤジ扱いされてる気がします。こないだもある会議で、大ボスのテリーがMe, too(ミー・トゥー)と誰かの発言に同意し、これにヘザーがMe, three(ミー・スリー)とおちゃらけたのがツボにはまり、いつまでもクスクス笑っていたら、そんな古臭い掛け合いで喜んでるなんてつくづくオヤジだなあ、というやや蔑んだ目で見られました。そんなこともあって、今回の出来事に対する自分の判断を強く押し出す自信が無かったのです。

とにかく、2対2の引き分けではどうにもキモチワルイので、もう一人陪審員を加えないと、と思っていました。そこへ、若きエースのキャロリン登場となったのです。

「君はどう思う?このカジュアルさをポジティブに受け止める?」

歩きながら暫く真剣に考えた後、見解を述べるキャロリン。

「その人、緊張を隠そうとしてわざと自然に振る舞おうとしていたのかもしれない。」

「なるほど。その可能性は捨てきれないな。すると、君は気にならないってこと?」

「いえ、やっぱり気になりますね。」

「え?そうなの?なんで?」

「だって、採用面接というフォーマルな場でそれだけ砕けた態度を取る人が、クライアントと会った時にちゃんとスイッチを切り替えられるかどうか不安ですから。」

おお~っ!それそれ!そういうスッキリした解答を待ってたんだよ!見慣れぬ雑草を、根っこのひげまで残さず引っこ抜けた時のような快感。

「これで自信持って採用判断が下せるよ。どうも有難う。」

「どういたしまして。」

はにかみながら赤面するキャロリン。固いハグで、最後のお別れをしました。

そんなわけで、これからアメリカで就職面接を受けようと考えている皆さん、「ユーガイズ」はやはり有害です。


2010年5月7日金曜日

アメリカで武者修行 第1話 あなた、何が出来るの?

2002年6月、晴れてカリフォルニア大学アーバインのビジネススクールを卒業しました。これでようやくMBA取得です。受験勉強に明け暮れた日々を含め約四年間の苦労が、この日ようやく報われたのです。房のついた黒い角帽とガウンを纏って講堂の壇上へ進み、学長から修了証書を渡されると、級友達が一斉に口笛と拍手、それから怒号のような足踏みで祝福してくれました。壇から降り、冗談を飛ばしながら仲間の一人一人と握手を交わしていると、教授の英語が一言も聞き取れないことに気付き愕然とした初日の記憶が蘇ってきました。そして、我ながら二年でよくここまで成長したもんだと誇らしい気分になりました。会場には、受験生時代から私を支え続けた妻が生後七ヶ月の息子を胸に抱き、彼女の両親とビデオカメラを回したりカメラのシャッターを切ったりしています。講堂を出ると、抜けるような青空に目がくらみました。今度は私が息子を抱いて妻と三人、記念撮影です。

しかしそんな晴れがましい日にあってさえ鉛のように私の心を曇らせていたのは、就職先が未だに見つからないという現実でした。14年勤めた会社を辞して日本を飛び出した私は、間もなく40歳の声を聞こうとしていました。たとえ帰国したとしても再就職が容易でないことは分かっています。留学生活スタート時点では太平洋を挟んでの別居生活だった妻にも結局仕事を辞めてもらい、東京のアパートを引き払って生活拠点を米国に移しました。二年目の秋には息子も生まれ、家族三人の南カリフォルニア生活が始まったばかり。年間を通して温暖で海が近く、子供を遊ばせるスペースには事欠かないこの生活環境を捨てるのは何とも忍びがたい思いでした。そんな時、運良く永住権を取得し、米国で就職するための最大の障害は取り除かれました。しかし何と言っても、日本にいた頃から抱いていた「組織に依存して生きるのではなく、組織から求められる存在にならなければ」という強い意思が、この挑戦を後押ししたのです。

しかし現実は甘くありませんでした。折からの不況で米国は未曾有の就職難。級友達も、卒業時点で就職が決まっていたのは三割程度でした。前年の秋に就職活動を始動した私は、卒業に至るまで来る日も来る日も履歴書を書き直し、送りつけた先は百箇所を超えました。土木工学科出身、都市開発事業に十四年間従事、という経歴は誰の目にも魅力的には映らないようで、たまに届く返事は「コンピュータで図面が描けますか。描けるなら連絡下さい。」という質問ばかり。製図をするためにMBAを取ったわけじゃない、と妻にぼやくことしきり。履歴書発送以外にも、ネットワーキングのため初対面の人だらけのランチパーティーに飛び込んだり、日系企業の交流会に乗り込んだり、いくつもの人材派遣会社に登録したり、ヘッドハンティングのプロに売り込みの極意についてご教示を仰いだり、地元市役所におしかけて仕事がないか尋ねたり、とあらゆる手段を試しました。しかし正式な面接まで漕ぎ付けたのはわずか二件。ひとつ目は地元オレンジ郡の交通局。三人の面接官から次々と質問を浴びせられ、十問目くらいまでは無難に進んだのですが、
「高速道路設計の経験はありますか?」
という問いに
「ありません。一般道路の設計になら関わったことがありますが。」
と答えると、彼らは互いに目配せを交わしました。誰がこんな奴を面接に呼んだんだ?とでも言いたげな表情で。

二件目は、環境保全技術に力点を置いた設計コンサルティング会社。
「あなた、何が出来るの?」
という問に対し、
「利害の異なる様々な人々の意見を調整し、プロジェクトを進めることです。」
と答えると、面接官は、この男は質問を聞いていなかったのかな?という面持ちで、
「で、何が出来るんですか?」
と同じ質問を繰り返しました。

せっかく電話をもらっても、面接まで至らず破談になったケースは無数にありました。受話器の向こうから飛んでくる「何が出来るんですか?」の質問に、説得力ある返答ができず、そのまま電話を切られるというパターンです。日本で14年間やってきた仕事を一言で表現するとすれば、「コーディネート業務」。大規模な都市開発プロジェクトをいくつか担当し、地元の自治体や代議士、進出企業、地域住民や新しく住む人、環境保護団体のメンバー、その他大勢の関係者と意見のすり合わせをしながら仕事を進めました。組織を辞めるその日まで、自分の仕事に誇りを持っていたし、この経験はきっと自分の強みになると信じていました。ところがアメリカでの職探しの過程で思い知らされたのは、「自分には得意技がない」ということでした。企業がコーディネート業務の経験を強みと思っていないのは明らかで、それを評価してくれる可能性のあった唯一の候補、地元市役所からは、
「アメリカの役所で働いた経験のない外国人をぽんと雇うわけにはいかないよ。アルバイトから始めるというのなら別だがね。」
というコメント。言われてみれば彼らの言う通りです。しかし私も妻子ある身。二束三文のアルバイトからスタートするなんて出来るわけがありません。

卒業から三ヶ月過ぎた時点で何のあてもなく、これ以上無職のまま家賃を払い続けるわけにはいかない、と夫婦で話し合った結果、ミシガンにある妻の実家で居候をさせてもらうことになりました。彼女の父親はもともと駐在員としてデトロイトで勤務していた商社マン。退社後も地元でコンサルティングをやっている人です。英語の達人で、私はビジネススクール受験時代から論文の添削等でお世話になっていました。まさか働き口がなくて居候させて頂くことになるとは予想もしていませんでした。

2010年5月13日木曜日

アメリカで武者修行 第2話 是非紹介してよ、何だってやるよ。

街路樹が秋色に染まった九月のミシガンで、私達は居候生活をスタートしました。大部分の家財道具は荷解きせぬまま地下室に置かせて頂き、一日の大半は二階の部屋に閉じこもってインターネットの採用情報を検索しつつ、履歴書の送り先からの連絡が入るのをひたすら待ち続けました。一週間ほどしたある日、携帯電話が鳴りました。ビジネススクールで同級だったケヴィンでした。
「シンスケ、どうしてる?久しぶりだな。元気だったか?」
「ああ、元気だよ。有難う。相変わらず毎日仕事探しだけどね。そっちはどう?仕事見つかった?」
「ああ、二週間前にようやくね。」
「そりゃ良かった。我々の仲間のほとんどは未だに無職みたいだよ。そうか、君でも苦労したのか。」

バンド活動、サーフィン、アルバイト、起業クラブの活動、そして彼女とのデート。それらをすべてこなしながらも、卒業式では成績優秀者だけが授与される首飾りをガウンの上にかけてもらっていたこの男。彼ほどのスーパーマンでも職探しに苦労したのだと思うと、暗澹たる気分になりました。
「ああ、楽じゃなかったよ。いろいろ回ったけどどこでも断られてね。とうとう最後の手段に出たんだ。」
「最後の手段?」
「うん、元の上司に会いに行ったんだ。」
「ということは、君が前に勤めてたっていう…。」
「そう、ET社の上司だよ。自分から辞めた会社を訪ねて、仕事ないですかって聞くのはあまり愉快な経験じゃなかったね。」
「うん、それは楽しくなさそうだ。」
「でもまあ、当面食い繋ぐための仕事は見つかったんだ。よしとしなきゃ。」
「そりゃそうだよ。無職とは雲泥の差だ。で、職場はどこなの?」
「サンディエゴだよ。メキシコ国境の近く。高速道路の設計プロジェクトなんだけど、興味ある?」
一瞬、耳を疑いました。
「え?興味あるって、どういうこと?。」
「人手が足りなくてね。今のボスが人を探しているんだ。で、シンスケの話をしたら彼が興味を持ってね。それで電話してるんだよ。」

降って湧いた吉報。しかし意外にもこの時、私は自分が怖気づいているのに気付きました。負け戦の連続で自信が萎えていたのか、そんなプロジェクトに参加したとしても一体こんな自分に何が出来るんだろう、とネガティブな思考回路が働き始めたのです。そんな弱気に慌ててブレーキをかけ、張りのある声で答えました。
「是非紹介してよ、何だってやるよ。」
「そうか、良かった。それじゃボスとの面接をセットするよ。まだアーバインに住んでるんだよな?うちの職場までは多分車で2時間以上かかると思うけど…。」
「いや、今、ミシガンなんだ。」
「え?ミシガン?一体全体どうしてミシガンにいるんだよ?」
「義理の両親の家に居候してるんだよ。アーバインでこれ以上あの高い家賃を払いながらあてもなく仕事探しは続けられないと思ったんだ。」
「うん、分かる。そりゃ分かるよ。無理もない。アーバインの家賃は法外だもんな。そうか、それじゃ電話面接をセットするよ。来週の水曜か木曜になると思う。念のため、最新の履歴書を俺のところにメールしてよ。」
「ちょっと待ってくれ。電話での面接は苦手なんだ。相手の表情が見えないってのは何ともやりにくくてね。飛行機でそっちへ行くってのはどうかな。」
飛行機代は痛いけど、顔の見えない相手との面接なんてハードルが高すぎる。この際出費はやむを得ない、と感じていました。
「いや、こういうのは通常電話で済ますんだよ。高い飛行機代を払ったのに不採用になったら最悪だろ。彼が気に入って、実際に会って話したいってことになったら飛んで来てもらうかもしれないけどね。」
「そうか、そりゃそうだな。当然だ。分かったよ。で、そのボスってどんな人なの?」
「彼の名前はマイクって言うんだ。ちょっと変わった男だよ。ラフなタイプっていうか。」
「え?ラフ?そりゃどういうこと?」
「ほら、長いこと工事の仕事をしてきた男に共通する荒っぽさってあるだろう?彼がそういう経歴かどうかは知らないけどさ。人間性がどうっていうのじゃなく、態度や言葉遣いが少しラフっていうことだよ。心配するほどのことじゃない。大丈夫。シンスケはきっと気に入られるよ。」

その晩さっそく英語の想定問答集を作成し、繰り返し繰り返し声に出して面接の練習をしました。「ちょっと変わったラフな男」が、頭の中でもやもやと輪郭を作っては消えて行きました。

2010年11月21日日曜日

アメリカで武者修行 第30話 次の一手でとどめを刺すの。

少し体重を増やした上機嫌なロバート・デニーロ、といった風貌のエド。人柄の良さが、その笑顔から滲み出しています。彼のところで働くというのが具体的にどんな仕事をすることなのか、全く想像がつきません。しかしこちらは失職寸前の身、この際何だってやります。その意気込みを激しく伝えたところ、
「それは良かった。来週ゆっくり話せるかな。」
ちょうど一週間後の朝一番、彼のオフィスを訪ねることになりました。

エドが去った後、さっそくケヴィンに電話で報告します。彼はすっかり現場事務所から足を洗い、今ではサンディエゴ支社に自分の部屋を与えられて、バリバリ仕事しています。
「やったな。シンスケがエドに雇ってもらえば、俺達また同じオフィスで働けるぞ!」
電話の声が弾んでいます。

そのケヴィンから、エドとの面会の前日に電話がありました。
「さっきエドと話したよ。彼は君との面接で、プロジェクトマネジメントに関する知識を試すつもりらしいぜ。ちゃんと予習しておいた方がいいな。」
「えっ、面接?」
私はてっきり、自分が今までやって来た仕事のことなどを聞かれるのだと思っていました。「ゆっくり話そう」というのは、適性を見るための面接のことだったのです。冷静に考えれば当たり前の話です。危ない危ない。この期に及んで、自分は一体何をやってたんだ?折りも折り、PMP受験のためにと注文しておいたプロジェクトマネジメントの参考書が届いたので、その夜、超速読を開始。一晩かけて基礎知識を頭に詰め込み、エドとの面接に臨みました。

「オフィスビルを建てるとして、君はどうやってスケジュールを作る?」
「アーンド・バリューとは何?」
「クリティカル・パスとは何か説明してくれ。」

一夜漬けが功を奏し、すべての質問に何とか答えることが出来ました。ケヴィンからのインサイダー情報がなかったら、悲惨な結果に終わっていたことでしょう。またしても彼に、すんでのところで救われたのでした。
「君とはうまくやっていけそうだ。さっそくボスに話してみるよ。」
と、笑顔で立ち上がって握手を求めるエド。え?これってOKってこと?失業を免れたのかな?よく分からないまま、ひとまずその場を去りました。

一夜明けて木曜の朝、出勤早々リンダが私のところへやって来て、早口でこう告げました。
「マイクが月曜にイラクへ発つことになっちゃったの。これからサクラメントへ行って来るわ。彼が出発する前にやらなきゃいけないことが、山ほどあるから。」
そして、あっという間に姿を消したのでした。クレーム作成が佳境に入っていただけに、この行動は意外でした。イラクへ行くのはマイクなのに、なんでリンダまで仕事を抜けなきゃならないんだ?と。ところが、空港まで彼女を送ったティルゾから、翌月曜の朝、こんな話を聞き仰天。
「リンダとマイクは、土曜に結婚したんだよ。」
「え?ちょっと待って。どういうこと?」

そもそもマイクとリンダは夫婦でも何でもなく、最近別れたりくっついたりしてたのは、「恋人」という間柄でのことだったのです。去年の暮れにプロポーズを受けていたリンダは、マイクから水曜の夜、「月曜の出発が決まった」という電話を受けてようやく結婚を決意。翌朝大慌てで牧師の手配をし、航空券を電話注文。そしてティルゾの運転でサンディエゴ空港に向かう途中、ショッピングモールに寄ってティファニーの結婚指輪を一対購入したのだそうです。
「空港へ行くまでの限られた時間に、結婚指輪を選んで買っちゃったんだよ。30分くらいだったかな。大した決断力だよね。まあ僕も一応指輪選び、手伝ったけどさ。」
と笑うティルゾ。

結婚指輪を携えサクラメントに到着したリンダは、翌日の金曜にダウンタウンで花嫁衣裳を買い、土曜日にマイクとタホ湖まで走り牧師と落ち合って、湖畔で式を挙げたそうなのです。そして月曜の朝、イラクへ旅立つマイクを空港で見送った後、午後一番で職場に戻って来ました。
「おめでとうございます。」
と言いかけた私を遮り、
「さあ、クレームを仕上げるわよ!」
と真顔でハッパをかけてきた時には、やはりこの人はタダモノじゃないな、と感心しました。

そして遂に、70ページを超えるクレーム文書が完成しました。原契約額とほぼ同額、日本円にして数億の追加請求。これを元請け会社の役員全員に宛て、フェデックスで送りつけたのです。ティルゾとリンダとで、会議室にこもってフェデックスの箱にひとつひとつ書類の束を詰めながら、
「ジャンの奴、きっと怒り狂うだろうな。彼の顔は確実に潰れますね。」
と私が言うと、
「喜ぶのはまだ早いわ。これで終わりじゃないわよ。敵は必ず反撃してくるから、すぐに二の矢の準備を始めましょう。」
とリンダ。

ところがその翌日、衝撃的なニュースがオフィスを駆け巡りました。ジャンが更迭されたというのです。私達が文書をこっそり箱詰めしていたちょうどその頃、宣告が下っていたことになります。ティルゾの入手した内部情報によれば、平社員に降格され、どこか砂漠の真ん中にある事務所で資料整理の仕事をすることになったとか。リンダが静かに言いました。
「この手で引導を渡せなかったのは残念だけど、このクレーム文書は彼の刑期引き延ばしに、きっと貢献してくれるでしょう。」

さて翌週、エドに電話して様子をうかがいました。不安を抱えて一週間待った上でのこと。
「まだ結論は出てないけど、大丈夫だと思うよ。三月からここで働いてもらうつもりだ。ただ、こういうのは手続きが必要なんだ。結論はもうちょっと待ってくれないか?」
との返事。新しいポジションに人を雇う場合、一般広告を出して募集をかける決まりになっているというのです。その上で私を超える候補者が現れなければ、最終決定となるわけ。帰宅して妻に話すと、
「でも、外部から飛びきりの実力者が応募して来ちゃったらどうなるの?」
と心配そうです。
「その人とも面接してから決めるんだろうね。」
「じゃあ、失業する可能性はまだ残ってるってことね。」
「残念ながらそういうことだな。」
妻の不安は当然です。溺れる寸前に投げ込まれた一本のロープ。家族三人、立ち泳ぎしながらこれにつかまって、船上のエドがぐいと引っ張り上げてくれるのを、ただただ祈るだけの状況なのですから。

一方、我々が渾身のクレームレターを送りつけた一週間後、元請けのORGからようやく返事が届きました。差出人は、元請会社の重役です。
「何かの間違いでは?おっしゃっている意味が分かりません。どれもこれも、身に覚えのない話でございます。お宅の方で、もう一度よくお調べになってはいかがですか?」
と、恐ろしくすっとぼけた内容。
「よくもここまで誠意の無い手紙を公式に送って来れますね。この神経の太さには呆れますよ。」
と憤る私。しかしリンダは冷静です。
「こうやってしらばっくれるのは、すぐに反論出来ないっていう何よりの証拠よ。私達がクレーム文書を用意してることを察知して、すぐにトカゲの尻尾を切ったんでしょうね。そうして暫く知らぬ存ぜぬで通し、反撃材料を探すための時間稼ぎをしているのよ。さあ、クレームレター第二弾を仕上げましょう。次の一手でとどめを刺すの。仕事にかかるわよ。」

2018年9月30日日曜日

人間の真価


良く晴れた金曜の昼。同僚ディックと二人、お馴染みのニュージーランド料理店クイーンズタウン・パブリック・ハウスへ歩きます。着席早々、直球の質問をぶつけてみました。

「テリーの後任ポストには立候補したの?」

十月から新年度を迎える我が社。カナダを含めた北米全域を五つの大区画に再分割する、大幅な組織改変が発表されました。これまで南カリフォルニアの環境部門を所掌していたボスのテリーは昇格し、西海岸全てを統括するポジションにおさまります。彼女の異動に伴い、その後釜を内部で選ぶことになったのですが、まずは立候補者を募ってから面接で決定するという段取りに。「シンスケだって手を挙げていいのよ」と微笑むテリーですが、部門や地域を超えてプロジェクトのサポートをしている私にとって、これはあまり魅力的に映らないポジション。第一、誰が見てもこの役割と私はシンクロしないでしょう。

「俺もちょっとは考えたけど、自分の将来を考えると二の足を踏むんだよね。今回は見送ることにした。」

とディック。それから少し笑って、

「給料倍払うって言うなら引き受けるけどな。」

環境保護とランドスケープデザインの専門家、という二足の草鞋を履くディック。環境分野の部門長を引き受けてしまえば、建築部門が所掌するランドスケープデザインの仕事は諦めざるを得なくなる。更にはエグゼクティブ達との距離が近くなることによって、たとえ自分の意思に反することでも唯々諾々と遂行せざるを得なくなる。ストレスレベルは跳ね上がり、心身共に疲弊していくだろう。「報酬をドカンと増やすことで引退時期を早める」のを目標にするなら話は別だけどね、というのです。

テリーはきっとどこかの時点で、上からの理不尽な要求に抗うことを止めたに違いない。所詮現場に決定権は無いのだから、与えられた指示の範囲でベストを尽くすしかないのだ。そんな諦観を得て初めて、巨大企業で出世の階段を踏み進むことが出来る。この冷え冷えとした結論を確認し、静かに頷くディックと私。

「それにしても、この立候補制ってのはどうなのかね。」

とディック。「自分が自分が」という我の強いキャラばかりを集めて戦わせれば、誰に決まろうがTurf War(縄張り争い)の火種は残る。環境部門と一口に言っても実際は細かな専門分野に枝分かれしており、群雄割拠の戦国絵図。各派トップの誰がテリーの後任におさまったところで、将来の摩擦は避けられないでしょう。

「実は俺、マイクが一番の適任だと思うんだ。」

というディックに、

「おいおい何だよ。僕も全く同じこと考えてたんだぜ。」

と驚く私。マイクというのは、一時期私の上司だった人物です。驚くほど頭が切れるが物静か。気分の変動幅が小さく常に朗らかモードで、彼が口を開くのは含蓄ある発言をする時のみ。私と話す際はいつも、しっかり目を見てこちらの意図を百パーセント理解しようとする真摯さが伝わって来ました。専門はビジネス・デベロップメント(営業開発)で、広く部門全体を見渡す立場にいるのですが、逆に本流実務の経験は無く、プロジェクトチームを率いた実績も無い。ほぼ一匹狼でやって来ただけに、今回のポストにマイクを推す人なんて僕くらいしかいないだろうと思っていたのです。

「こないだ出馬の意思を打診してみたんだ。考えたことも無いってさ。社員のマネジメント経験だってほとんど無いし、適任じゃないって言うんだよ。」

とディック。スゴイものを持っているのに周囲は気づかない。こんな勿体無いことはないじゃないか。実力があるのに控え目な人間は立候補しないから、チャンスも無い。これはおかしい。推薦枠も設けるべきだ、と。

その午後、自宅で仕事をしていたマイクに電話をかける私。単刀直入に立候補を勧め、彼がこの職にいかに相応しいかを説明します。人柄、仕事ぶり、偏りのないキャリア、視野の広さ、エゴの無さ…。

「社員のマネジメント経験が無いのが心配なら、私の上司だったことを使えばいいじゃないですか。全力でサポートしますよ。」

「そんな風に言ってもらえて本当に嬉しいよ、シンスケ。実はディックからも後押しを受けててね。本当に考えてもみなかったことだけど、立候補することに決めたよ。」

漫画「課長島耕作」で、突然の社長就任依頼に躊躇する中沢部長を島がこつこつと説得する、おでん屋の一幕を思い出しました。そしてなんだか、じわっと来ました。

その日の午後、ランチからオフィスへ戻る道中、ディックがこんなことを言いました。

「よく考えてみると、面接ってのは厄介な代物だよな。自己アピールに長けている人物が本当に優秀とは限らないだろ。寧ろその逆パターンの方が多い気もする。」

たとえ嘘八百でも、入念に練習して来た売り口上にこちらが感服させられてしまうこともある。服装だって化粧だって、それが巧みであれば面接官の心証に大きく影響する。しかしその人の真価というのは、実際暫く一緒に過ごしてみないと分からないものなのだ、と。

「極論だけどさ。」

と私。

「候補者を全員丸裸にしてから面接してみたいよね。隠すものなんか何も無いって状態にしてさ。」

するとすかさずディックが、

“Some may do more than others.”

とニヤリ。え?何て言ったの?暫く残響を手繰りながら考えてみて、ようやく脳に伝わりました。きっとこういう意味でしょう。

“Some may do more than others.”
「(モノが凄すぎて)隠しきれない奴はいるかもな。」

冴えてるな、ディック…。


2011年8月9日火曜日

Take a leap of faith 一か八か賭けてみる

ダウンタウン・サンディエゴ支社で、プロジェクトコントロールの人材を増やそうという動きが始まっています。昨日の朝はテリーのオフィスで最初の候補者との面接があり、私も参加を要請されました。三十前後と見られるブロンド女性が現れ、私とテリー、セシリアとミケーラとで質問攻めにしました。

今日はアーバイン支社で行われたプロジェクトマネジメント・トレーニング・プログラム策定会議に電話で参加。南カリフォルニア地域を統括するエリック、そしてナンバー2のリサから、
「昨日の人、どう思った?」
と意見を聞かれました。
「とても良い人だという印象ですね。経験も豊富で、戦力になると思いますよ。」
「シンスケの直属の部下になると想定して、どう思う?」
と、エリック。
「うまくやっていけると思います。」
何か気になることはないか、という質問に、ちょっと考えてからこう答えました。
「そうですね。気になることと言えば、受け答えがちょっとスムーズ過ぎる気がしたんですよね。緊張のかけらも感じられなかったし。本当に優秀だからそうなのか、それとも単に面接の特訓を重ねた成果なのか、私には見分けがつかなかったんですよ。」
これに対するリサのコメントがこれ。

“We should always take a leap of faith on that.”
「そういうのはもうリープ・オブ・フェイスするしかないわね。」

Leap of faith (信仰に基づいた跳躍)をする、つまり理屈抜きでエイヤっと決断する、一か八か賭けてみる、そういう意味のフレーズです。今回の場合、候補者の真の実力は面接で見抜けない、大当たりかもしれないしハズレかもしれない。ここはもう賭けてみるしかない、そういうことでしょう。

すぐに頭に浮かんだのは、浅田真央ちゃん。乾坤一擲、トリプルアクセル!

2021年9月26日日曜日

エリンとアーロン


先週木曜日の午後、東海岸のブライアンが招集した電話会議に出席。私の所属する部署の若手社員Dianaが会社認定のPM資格を取得しようとしていて、その最終面接に立ち会う、というのが目的。

「ハイ、シンスケ!」

微かに緊張を滲ませた笑顔で画面に登場した受験生の顔を見て、コロナ前にオフィスのランチルームで何度か出くわしていたものの言葉を交わしたことは無い女性だ、ということに気づきます。マイクロソフト・ティームズの出席者アイコンには名前が記されているので字面は確認出来て当然ですが、初対面の人が大抵つまずくShinsukeの発音を難なくこなしたという事実に、ちょっと感動していた私。それにしても、初めて会話する相手に下の名前で呼びかけるというこのアメリカンな習慣、渡米後二十年以上経つってのに未だに慣れないんだよなあ…。

実を言うと私、数十秒遅れで画面に現れた彼女の上司ジェナが「ハイ、ディアナ!」と言うまで、Dianaをどう読むべきか迷っていたのです。あ、そうなんだ、ディアナって読むんだ。良かった、反射的に「ハイ、ダイアナ!」って返さないで…。

ところがそうやって胸を撫で下ろしたのも束の間、この面接を仕切る還暦超えのブライアンがいきなり、

「さてダイアナ、最初の質問なんだが…。」

とスタートしたのです。えっ?今さっきジェナが「ディアナ」って呼ぶの、聞いてなかったの?

あろうことか、ジェナも、そして当のディアナも眉一つ動かさずこれを受け流し、ブライアンの「ダイアナ」連呼は面接終了まで延々と続いたのです。もしも僕が「シスケ」とか「シンスーク」とか呼ばれたら、ならべく早い段階での訂正を願い出ると思うんだけどなあ。なんで誰も何も言わないの?

実はこの手の疑問、今に始まったことじゃないのです。二年ほど前のある日、オフィスの一階上で働く若手社員のMeghanに、

「あのさ、君の名前だけど、ミーガンとメガンのどっちが正しいの?」

と尋ねました。イギリスのノーベル賞作家ゴールズワージーの短編「林檎の樹」に登場するキャラクターに同じ名前の女性がいて、学生時代に新潮文庫で読んだ時は「ミーガン」、数年後に書店で角川文庫版を開いた時には「メガン」になっていた。既に僕の中では完璧な「ミーガン像」が出来上がってんのに、後になって実はあれ、メガンが正しいんだって言われても困るんだよね。新潮と角川と、どちらに軍配が上がるのか?人生を左右するほどの重大テーマでも無いんだけどずっと気にはなっていて、同名の人物が実際身近に現れるまでそのチャンスを窺っていたのです(三十年以上も!)。

「ミーガンでもメガンでも、どっちでもいいのよ。」

とこの時、予想外の反応が返ってきます。

「いやいや、でもさ、私はこっちで呼ばれたいとか、親はこう読ませようとしたってのはあるんでしょ。」

と食い下がる私。

「ううん。特に無いわ。本当にどっちでもいいの。」

呆然と立ちすくむ私。おいおい自分の名前だぞ、そんないい加減な回答アリなのか?釈然としないまま、お礼を言って立ち去るのでした。

話変わって今週木曜の夕方、18ヶ月前に転職した元同僚のリチャードと、久しぶりの再会を果たします。場所は、去年近所にオープンしたEE NAMI Tonkatsu Izakaya(ええ波とんかつ居酒屋)のパティオ席。

「これ、なんて読むの?」

と挨拶もそこそこに質問してくるリチャード。

「Eを二つ並べて、ええって発音させるみたいなんだ。」

「ふーん、そうなんだ。どういう意味なのかな?」

ここは大阪風とんかつ屋で、「ええ波」というのは「良い波」の関西弁。「ええ」の響きを表現しようとした結果、こういうアルファベットの使い方になったんじゃないか、と持論を述べます。Aひとつだけだと「エイ」になっちゃうからね。果たしてEEと書いたところでアメリカ人が「ええ」と発音出来るかどうかは謎だけど、と。それに対してリチャードは同意も反論もせず、さも感心したように頷くのでした。

そして間もなく運ばれて来たジューシーな極上ヒレカツ定食セットを味わいつつ、テーブルを挟んでお互いの「その後」をシェア。乗員数万人を擁する巨大タンカーから総員14名のスピードボートに乗り移ったリチャードは、彼を引き抜いた元同僚のジャック(御年92歳)とともに大活躍しているのとのこと。

「給料は大幅に上がったし、Utilization(稼働率)のプレッシャーも無いし、チームとしての意識はすごく高い。皆がお互いを気遣っていて、どんなに忙しくてもストレスを感じないんだ。社長はエコ意識が高くて、電気自動車が買いたいという勤続五年以上の社員には、補助金一万ドル出すって言うんだぜ。最高だろ。」

転職直前には、これが本当に正しい選択なのか随分迷った、とリチャード。

「大正解だったね。良かったじゃん。」

と私。

「シンスケは転職考えてないの?来てくれって言う人はいっぱいいるんじゃない?」

「うん。考えてはいるよ。でもね、僕にはチームがあって、これを盛り上げて行きたいって気持ちが強いんだ。」

部下達との年度末業績評価面談を前日に済ませたばかりだった私は、彼等の発展を真剣に考えていたタイミングだったのです。リチャードの転職先より世帯がデカい、今の私のチーム。メンバー達全員が日々幸せに働けるような環境を整えたいという気持ちは、彼のボスと何ら変わりません。そんな野心すら吹き飛ばしてしまうほどの圧倒的好条件を突きつけられれば、話は別ですが…。

加えて、面と向かってリチャードに伝えるのはさすがに思いとどまったのですが、実は「大企業に身を置く」こと自体のメリットも見逃せないファクターなのです。会社の規模が大きいということは関われるプロジェクトのバラエティも豊富だし、仕事の発展性だって変わって来ます。出張でフロリダやモンタナやユタやハワイ、そしてオーストラリアまで訪問出来たのも、大会社勤めの役得。そして何よりその過程で、才能溢れる何百人もの痛快キャラと知り合いになれたことは、絶対無視できない魅力なのです。つまり今のところ、私小説の味わいより大河ドラマの興奮を選択している私。

「あ、そうだリチャード、ちょっと英語の質問していい?」

同じ屋根の下で働いていた頃は、頻繁にこの手の質問をビシビシ投げ込んでいた相手です。当時を思い出し、つい顔がほころんでしまう私。彼の方も懐かしそうな表情を浮かべ、バットを構えて私の投球を待ちます。

「名前の読み方なんだけどね…。」

ちょっと前に部下のシャノンが、こんな話題を持ち出して笑ったのです。

「全く紛らわしくて困っちゃうわよね。プロジェクトチームに同じ読みの名前が二人いて、しかも綴りが全然違うなんて…。」

暫くの間、一体誰の話なのか分からず戸惑う私でしたが、ようやく理解に至ります。彼女がサポートしているプロジェクトマネジャーのErinと現場のトップAaronの名前が、どちらも「エレン」と読めるっていうのです。つまり「エレンが二人いる」と。

「え?全く同じ発音だって言ってるの?ちょっとの違いはあるんでしょ?」

「ううん。完全に一致してるのよ。」

俄には信じ難い説。日本人の私が普通に読めば、Erinは「エリン」、Aaronは「アーロン」です。それがどちらも「エレン」と発音されるため、耳で聞いただけでは誰の話題か分からない、というのがシャノンの主張。

「その通りだね。全く同じ発音だよ。」

ああそんな話か、と拍子抜けしたようにシャノンに同意するリチャード。

「ええ?だってさ、Aが二つ並んでるんだぜ。それをエって発音するなんておかしいでしょ。」

「うんそうだね、英語ってつくづく不思議な言語だよね。」

おいちょっとちょっと、それでおしまい?

「あ、そうだ、ミーガンとメガンはどう?」

と畳み掛ける私。どっちでも良いというのはいかがなものか。子供に名前をつける際、どう発音するかまでセットで考えないのか。対してリチャードは、またしてもそれが何故疑問なのかすら理解出来ない面持ち。

「うん、どっちの読み方も有りだよ。」

「じゃあさ、じゃあさ、」

これはもう、内角高めを抉る決め球を投じるしかない。

「誰かが初対面で君のことをリックとかディックとか呼んだらどう思う?ちょっとイラッとしたりするんじゃない?」

Richardというのは、リチャード、リッチ、リック、ディック、と多彩な変化型を持つ名前です。

「僕は長年リチャードって呼んでるけど、周りの皆がそういう呼び方をしてたから倣ったのであって、君自身が認める正式呼称なんだと思ってた。なのに君のことをまだ良く知らない人がいきなり違う呼び方して来たら、さすがに何だこいつはって思うでしょ。」

「いや、全然。きっとその人は知り合いに別のリチャードがいて、彼のことをリックとかディックとか呼んでるんだろうな、と思うだけだよ。」

そして彼の次の一打で、全身の力が抜けたのでした。

「そういえば、うちの親父は僕のこと、ディッキーって呼んでるよ。」

アメリカ人にとって、名前は記号に過ぎない。読み方なんてどうでもいいのだ。このお題に関する追究は、この日の晩できっぱりと終止符を打たれたのでした。

 

2019年12月22日日曜日

Hazing ヘイジング


先日、我が家のランドスケープを手掛けた会社のメンテナンス部門から若い担当者のデイヴに来てもらい、おかしな方向に成長を始めてしまった木々の手入れなどについて相談に乗ってもらいました。

「あ、そうだ。直接関係無いかも知れないんだけど、これ教えてくれる?」

裏庭の広範囲を覆うマルチ(製材の際に出る細かな木片)があちこちで無残に掘り返されて土が露出していることがあり、これが何者の仕業で何のためにこんな狼藉を働くのか、と数週間前から首を捻っていたのです。

「野良猫かなと思うんだけど…。」

「いや、それは違うね。ネコならまず間違いなく糞がしてあるから。」

とデイヴが即答します。じゃ、なんだと思う?と私。カラスの可能性も残しつつ、彼が出した答えがこれ。

「十中八九、スカンクだね。」

「え?スカンクがこんな住宅地にいるの?」

アメリカに来てから、運転中に路上の轢死体として彼らを目にすることは多々ありました。発見の数十秒前から凄まじい悪臭でそれと分かるのですが、生きて動いている姿は一度も確認したことがありません。

「この辺には結構いるよ。土を掘り返して好物の昆虫を食べるんだ。」

「フェンスもあるってのに、どうやってうちの庭に入って来たのかな。」

そう言いながら、あちこちに隙間の空いている我が家のフェンスを思い出し、ガードが甘かったなと悔やみます。

「どうしても嫌なら、コヨーテの尿を買って敷地の外周に撒いておくという方法もあるけど。」

強い敵の存在を感じると近づかない、ということですね。

「でも奴等はそもそも臆病だから、人間の姿を感じただけでさっさと逃げるんだ。だからこっちから刺激さえしなきゃ大した実害は無いよ。」

とデイヴ。掘り返された場所にマルチを戻しておけばいい話だから、と。なるほどね、ととりあえず安心しつつも、そんな危ない奴がやすやすと侵入して我が物顔でうちの庭の土を掘り起こしているということ自体が気持ち悪く、これは何か手を打たなければな、と思うのでした。

さて今週、大学一年生の息子が冬休みに入り、コロラドから戻って来ました。彼を夕方空港で拾うと、その足で親友二コラとの待ち合わせ場所に落とします。世界の頂点を争うアメリカとセルビアの男子水球チームの試合が地元の私立高校で行われるというので、二人で潜り込んで観戦しようという計画。アリゾナのB大で水球部に入った二コラは一足先にサンディエゴへ戻っており、ジェラート屋でバイトしながらうちの息子の帰省を今か今かと待っていたのでした。

ひとり自宅へ戻ると、大食漢の息子のために挽肉カレーを用意して待っていた妻が、

「二コラの運転で帰って来るんでしょ。うちで一緒に晩御飯食べて行きたいんじゃないかしら?」

と提案。九時過ぎに家の前で息子を降ろして運転席から手を振る二コラを呼び止めると、

「もちろんご馳走になるよ!」

と家に上がります。それから夜中の十二時過ぎまで、若者二人の話は止まりませんでした。ベンチプレスをどれだけ上げられるかの筋肉自慢、受験生の見学会がある日にはカフェテリアのメニューの質が跳ね上がるという情報を入手し、チームで押しかけて食べまくる話。缶飲料の側面に穴を開け、真空状態を利用して一秒で飲み干す凄技、など。

中でも一番盛り上がったのが、フラタニティ(fraternity)というクラブの話題でした。これは北米特有の活動らしく、日本の大学でいう「サークル」とはちょっと趣が異なるようです。そもそもがラテン語の「兄弟」から来ているようで、知らぬ同士が「兄弟の契りを交わして」作る組織。入部した人は何をするの?という私の質問に、

「そりゃパーティに決まってるでしょ!」

と二コラ。そのフラット(フラタニティ―の略)に属していなければ、どんなに大金を積んでも門前払いの完全会員制パーティなのだ、と。

「可愛い女子は無料で参加出来るけど、男たちはまずそのフラットのメンバーになった上で会費も払わないといけないんだ。」

自分のようなアスリートはフラットに入る必要は無い、水球部のパーティに行けるからね、と二コラ。運動部にも入らず、フラットにも属さない学生はどうなるの?と私。

「そりゃ孤独な四年間を過ごすことになるね。」

そのうち息子と二コラの英会話に、耳慣れない単語がちょこちょこ出て来ました。

「ちょっと待って。ヘイジングって何?」

と妻が会話を止めます。息子が、うちの大学はヘイジング禁止なんだよ、と発言したのです。

「Hazingっていうのは、新入生に強いる無茶な苦行のことだよ。」

フラタニティへの入部を志願して来た者に対し、短時間に大量のアルコールを飲ませるとか、タバスコを唇に塗るとか、重いブロックを頭に載せて何時間も片脚で立たせる、とか常識では考えられないレベルのシゴキをHazingと呼ぶようです。つまり、

Hazing
新人洗礼しごきの儀式

って感じでしょうか。

しごく側の上級生がその恍惚感から行為をエスカレートさせていくためか、毎年のようにあちこちの大学で死人が出ているヘイジング。禁止する動きが広まってはいるのですが、一向に無くなる気配がありません。二コラの大学は全米でも有数の「パーティースクール」で、犯罪すれすれの蛮行で有名なフラタニティもあるそうです。運動部に入ったお蔭でそんな狂乱にも巻き込まれず、健康的な大学生活を楽しめている、という二人。ほんとに良かったね、と我々夫婦は彼らの選択を喜ぶのでした。

翌日息子とこの話題を振り返っていた時、

「水泳部にHazingは無かったけど、そのかわり最初の数週間は滅茶苦茶きつかった。」

と彼に言われ、ハッとしました。

「コーチはわざと過酷な泳ぎ込みを課して、そこで音を上げるような選手は篩い落とすつもりだったと思うよ。」

歯を食いしばって厳しい試練を乗り越えた者同志に生まれる強い連帯感。これがあったからチームがひとつになれているのだ、と。最初の対外試合でスタート台に立った時、残りの部員全員で一斉に地鳴りのような声援を送ってくれた。それが本当に嬉しかった、と息子。

そうなんだ。社会問題になりながらもフラタニティのヘイジングがいつまでも無くならないのは、大衆がどこかでそのプロセスに価値を認めているからなんだ。強いチームを築くためにはメンバー同士の信頼関係が不可欠で、そのためには「この組織の一員になるための厳しいテストにパスした」ことを証明する何らかの合格通知が必要なのだ。一見無意味で理不尽に思える儀式でも、逃げずに立ち向かったことでお互いを認め合える。「誰でもどうぞ」と敷居を下げた組織なんかに、チーム意識が生まれるはずもないじゃないか…。

よく考えてみれば、私の率いるプロジェクトコントロール・チームでも、採用面接で候補者にかなりストレスフルな試練を与えています。面接に臨んだ者のほとんどが目の前でみるみる自滅して行き、意気消沈の態で去って行くほど過酷なチャレンジですが、これに打ち克った者だけが得られる強い自信と同志たちからの信頼感は、チームの結束力の源だと自負している私。

木曜の午後、部下のシャノンと新年度のゴールを決めるためのミーティングがあったのですが、終了後に彼女がこんな話をし始めました。

「ティファニーの向かいに座ってるB、知ってるでしょ。」

Bというのは、ひと月ほど前に採用された新人男性。小太りの黒縁メガネで表情が暗く、誰とも目を合わせない「オタク」な外見。給湯エリアで鉢合わせしても言葉を交わさず、まるでこちらが透明人間であるかのように真っ直ぐな動線で立ち去って行く。Procurement(調達)部門が採用した社員なので私が口を出す話じゃないのですが、一体どんな採用基準で雇ったんだろう?と首を傾げざるを得ないほどの根暗人間です。

「カンチーやテイラーの背後に静かに接近して、耳元で突然話しかけるんですって。二人とも飛び上がって驚いたって言ってたわ。」

「え?彼ってしゃべるんだ。」

声を聞いたことがほとんど無いので、他の社員に話しかけるということ自体が意外でした。

「それがね、上司の悪口や会社への不満ばかりらしいのよ。」

「なんだそれ?」

自分はボスから何のサポートも受けていない、仕事の仕方も教わっていない。毎日つまらない、と愚痴をこぼすらしいのです。

「それより何よりティファニーが困ってるのは、Bが一日に何度もオナラをすることなの。」

「え?オナラ?仕事中に?」

「そう、それが物凄く臭いんですって。」

言われて思い出したけど、彼と入れ違いでトイレに入った時、頭がクラクラするほどの猛烈な悪臭に思わず足を止めたことがありました。

後でテイラーからも裏を取ってみたのですが、

「セシリアに聞いたんだけど、他の候補者より良さそうだったから採用したらしいの。落ちた候補者がどんな人たちだったのか、逆に興味をそそられちゃったわよ。」

と笑います。面接中、彼の変人ぶりに気付かなかったのだとしたら、面接官側の資質もヤバい気がするぞ…。

「ほんとにキモイの。ふわっと現れて後ろから急に話しかけて来て、早く今の部署を辞めたい、なんてことををくどくどと喋るのよ。こないだなんか、俺、プロジェクトコントロール・チームに転属しようかな、なんて言ってたわ。」

「何だと?」

これにはさすがにカチンと来ました。チームの長である私に挨拶もせず目を合わせようともしないような奴が、軽々しく「プロジェクトコントロールやりたいな」などと口にしたことに、無性に腹が立って来たのです。うちの縄張りにこそこそ入って来て仕事の邪魔をしやがって。お前みたいな奴を、誰が仲間に入れてやるか!

何か合法的なヘイジングをお見舞いしてやりたいという悪魔の心が、ムクムクと頭をもたげて来るのでした。