2019年11月24日日曜日

Anthropocentric アンスロポセントリック


毎月第二水曜の昼は、特大会議室でデリバリーランチを食べながらのオールスタッフ・ミーティングがあります。支社の社員全員を対象とした無味乾燥な連絡事項が続く中、12時半頃「待ってました」的に始まるのが、お楽しみショート・プレゼン。毎回各部署から有志が登壇し、プロジェクト最前線の話をしてくれるのです。「風力発電の風車が数百台密集する砂漠地帯に飛来する鳥たちがプロペラに激突するのを防ぐための最新技術」だとか、「サウジアラビアで進行中の史上最大都市開発プロジェクト中間報告」だとか。いつもわくわくさせられます。

今回プレゼンに立ったのは、同じ環境部門のベテラン社員トムでした。アンガールズ田中のボディに森本レオの頭部をくっつけたような、独特の存在感。「山奥に棲む心優しい巨人」といったイメージでしょうか。オフィス内で姿を見かけることは稀で、過去数年間まともに会話したことがありません。出演予定者が今朝になってドタキャンしたため急遽トムに代打をお願いしたら快諾してくれたのよ、と司会のテリーが感謝の言葉を述べた後、プレゼンがスタートします。

トムがスクリーンに映し出したのは、サンディエゴ郡の地図に気象衛星からの画像を重ねたものでした。彼がとつとつと、前の晩に降った雨の分布を雲の動きと合わせて解説します。クヤマッカ湖付近では去年の同時期34ミリだったのが昨日すでに42ミリ降った。オコティヨ・ウェルズでは去年ほとんど降らなかったのに、昨日は4ミリ降ったんだ…。目尻や頬に深い皺が刻まれたトムの顔には、まるで久しぶりに懐かしい友人たちと再会したかのような興奮が滲んでいます。

正直なところ、誰かに降雨量データを延々と読み聞かされる経験がこれまで無かった私は、趣旨を図りかねて当惑していました。しかし喜色満面のトムに俄然興味をそそられ、画面に意識を集中します。太平洋から進んで来た雨雲がどのように陸地に進入し、その形態がどのように変化してサンディエゴ郡各地の降雨量にこれほどの差をもたらしたのか。ふ~ん、なるほどねえ。雨ってそういう風に降るんだ。勉強になるなあ。それにしても、この人なんでこんなに嬉しそうなんだろう…。会議室の窓をちらりと見ると、今も降り続く雨のしずくがまるで玉すだれのような模様を作っています。先週末は洗車に行かなくて正解だったな、という思いがよぎります。気が付くと、トムは最後のスライドの数字を読み終わり、サンキューと静かに会釈してから席に戻っていたのでした。

翌日の昼前、溜まっていた仕事が一段落したので、休憩がてらエレベーターホールを挟んで向かい側のエリアに足を踏み入れ、同僚ジョナサンに声をかけました。

「今日トム来てる?」

「いや、来週まで来ないよ。なんで?」

彼のプレゼンが面白かったので感想が言いたかったんだよ、と私。昨日の会議には出席しなかったというジョナサンに、

「雨のことをあれほど嬉しそうに語る人を、生まれて初めて見たんだ。それが何だか引っ掛かって、もっと詳しく聞きたいなと思って。」

と笑うと、彼が両腕を真横に拡げて手首を小さく降りつつ、こう真顔で答えたのでした。

「この辺に座ってる連中は、一様に大興奮してるよ。もちろん俺も含めて。」

「え、そうなの?なんで?」

「俺たちの専門は生物環境保護なんだぜ。雨は天の恵みじゃないか。」

あ!とこの時、何かとんでもない大失態をやらかしてしてしまったような気分に襲われました。曲がりなりにも過去十五年ほど環境部門に在籍し、雨が生態系にとっていかに大切なものかは充分承知しているつもりでいました。しかし実際のところ、全然分かっちゃいなかった。言うなれば、「腑に落ちて」いなかったのです。

「今年は特に雨季の始まりが遅くてさ、やっと今週だろ。待望の雨だ!とみんなで盛り上がってたところだよ。トムなんか、メールで週刊降雨量ニュースを我々に配信するくらいの雨オタクなんだ。人一倍喜んでるよ。」

砂漠地帯のアンザボレゴなども、タイミングさえよければわずかな降雨量でも一斉に花が咲く。近所のキャニオンだって、一雨去ると突然緑が勢いよく繁り始めるんだ、とジョナサン。

「フィールドに出てみりゃ分かるけど、空気の匂いも一変するんだぜ。」

降雨前線が近づいて来ただけで、まるで永い眠りから覚めたように萌え始める沢山の生命を想像して胸が躍るんだ、と。私は暫く呆然とした後、何故かペラペラと言い訳を始めていました。

幼い頃から、自分にとって雨は厄介者でしかなかった。日本では水害が多く、雨は「打ち勝つべき敵」という見方が染み付いていた。大学時代は土木工学科で治水(水を治める)を学んだし、卒業後の最初の仕事だってニュータウンの洪水対策だった。「雨を待ちわびる」なんて感情はついぞ浮かんだことが無かった。雨の少ない南カリフォルニアに住むことになった自分は、本当にラッキーだと思っていた。

「ま、俺たちみたいなのが少数派なのは分かってるよ。」

とジョナサン。彼は誰を批難するでもなく、こう続けたのでした。

“We live in an anthropocentric world.”
「俺たちはアンスロポセントリックな世界に住んでるんだ。」

ん?今なんて言った?慌てて記憶のテープを巻き戻します。Anthropology(文化人類学)という単語があるのは知っていたし、centric(セントリック)が「中心の」であることも分かっていたので、これが「人間(人類)中心の」という意味であることは直ちに悟りました。

“We live in an anthropocentric world.”
「俺たちは人間中心の世界に住んでるんだ。」

我々人類を「生態系を構成する一要素」として捉えるのではなく、自然と対抗するポジションに置く考え方のことですね。う~ん、なんだか突然視界が開けた気分。対象が何であれ、自分がここまで一面的な物の見方をしていたことに気付かされるというのは、なかなかにスカッとする体験です。もう少し話したかったのですが、12時から上司のセシリアとランチに行く予定があったので、そこそこにジョナサンとの会話を締めくくって自分の席に戻ります。

セシリアも私も多忙なため、ランチタイムくらいしか話す時間が無い、ということで近くのサンドイッチ屋で昼飯食べながらの会議。議題は「プロジェクトコントロールの業務にアウトソーシングの余地はあるか」という際どいものだったこともあり、まず気分を和らげる意味で先程のジョナサンとのお喋りについて話してみました。私が雨を敵対する存在として捉えていたこと、そしてトムやジョナサンの視点に驚嘆しつつも自分の物の見方を拡げるきっかけをもらえて嬉しかったこと、などを説明。するとセシリアは、目を見開いてこれに反応し、

「私もトムやジョナサンと同じ側よ。シンスケみたいな視点、私の頭には全然無かった。みんなが自分と同じように考えてるとばかり思い込んでた。」

エコロジストである彼女が私と同じ側にいる可能性は最初から想定していませんでしたが、雨を敵と捉える見解自体が頭に浮かばない、というのは面白いと思いました。

「結局のところ、人の考え方って本当に色々だって話だね。常識なんて存在しない。世界中の人がみな違う環境で育ってるんだから、それぞれ独自のバイアスをかけて物を観ていて当然なんだよね。」

そう当たり障りなく総括しながらも、心の中ではセシリア達の方が人間として上等なような気がしていました。

「実を言うとさ、水曜日にリックがフィールド・ツアーに出かけた時も、気の毒に思ってたんだ。」

と私。環境部門の大ボスであるリックがサンディエゴにやって来て、支社の管理する現場事務所を視察するというのが水曜日だったのです。折角の視察なのに、ちょうど前日から雨に降られちゃって可哀想に…。現場の社員たちだって、雨の日にお偉方を案内するなんてさぞかし気が重たかろう、と。

「え?なんで?現場の皆は大興奮だったわよ。ドンピシャで雨が降ってくれたって。」

こんな時に大ボスを迎えられるなんて俺たちはなんてラッキーなんだ!と皆で小躍りしていたというのです。よく考えてみればこれは、開発跡地などの緑を再生するために使う植物の種子を貯蔵したり、苗木を育てたりするために作られたフィールドオフィス。ここで働く者にとっては、願っても無いタイミングのお湿りだったのです。一斉に輝き始めた植物を大ボスに見てもらえたことが、何より嬉しかった、と。

一面的な物の見方についての反省をセシリア相手に吐露したばかりだというのに、またやらかしてしまった!これはいよいよヤバいぞ。自分の中の常識を疑ってかからないとな…。

さて、議論は本題に入り、我々プロジェクトコントロール・チームの業務の何を切り取ってアウトソース出来るのか、というテーマでひとしきり話し合いました。今のチームは結束が固く、非常にうまく回っていること。しかし滅茶苦茶忙しくて依頼を断るケースが増えて来たこと。タイムシート入力ミスの修正など時間ばかりかかる単純作業を外注出来れば、生産性は著しく向上するであろうこと…。

サンドイッチ屋を出てオフィスに向かって歩いている時、セシリアがクスクス笑いながらこう言いました。

「さっき私がわざと水のアナロジーを使ってたの、気がついた?」

「え?何のこと?」

「あなたのチームがぐんぐん成長してる様子を、植物がたっぷり水を吸って大きくなってることに喩えてたのよ。」

「あ、そうか!」

「そしたら、忙しくて依頼を断らなきゃいけないって話の時、溺れてる人を助けてあげられない気分だって言ったでしょ、シンスケ。あくまでも水をネガティブに捉えてるんだなって思って、可笑しくなっちゃった。」

し、しまった…。

2019年11月19日火曜日

RBF アール・ビー・エフ


金曜の朝8時半。部下でまだ24歳のテイラーと、会議室の机のコーナーを取り合うような格好で座ります。

「カリフォルニアに庭付き一軒家を持って、犬を五匹飼いたいの。」

若干探るような、しかし決然とした目で宣言するテイラー。

12月末までに2020年度の個人目標を設定しなければならないため、この二週間、チームメンバーとの個別面談を開いて来ました。一人につき二回のセッションを予定しているのですが、一巡目の最終スロットがテイラーでした。この面談ラリーをスタートする前に、チームミーティングでこう告げた私。

「会社とプライベートの境目を一旦忘れて、本心と正面から向き合ってみようよ。自分が一番望んでるものって何だろう?ってね。そこから話を始めようと思うんだ。」

これに対するテイラーの答えが、「一軒家と犬5匹」だったのです。大きく頷く私を、ちょっと怒ったような、そして不安そうな顔で見つめる彼女。

「それがみんな手に入ればあとはもう何も要らない?充分幸せかな?」

そうソフトに聞き返したところ、暫く宙を見つめてから、

「う~ん、そうね、ちょっとは働きたいかな。何か月かしたら飽きちゃうかもしれないし。うん、やっぱり仕事は続けたい。それで、部門長くらいまでは行きたい。」

「なるほどね。たとえお金に困らなくなっても働いてはいたいんだ…。」

「人の役に立ってる気分は味わっていたいもん。それに、小さい頃からどこへ行ってもずっとリーダーの役割だったから、会社でもいつかリーダーになりたいの。」

落ち着かない様子で口を小さくすぼめ、私を見つめるテイラー。

「そっか。じゃあ家と犬を手に入れて、今の組織で部門長になったら充分幸せ?後は何も無くていいの?」

その先に私がどんな言葉を用意しているのか探るように、

「分かんない。充分って気もするけど、違うかも。」

「じゃあ何かどうしようもない社会の変化でそのどちらも手に入らないってことになったら、君の幸せは根こそぎ吹き飛んじゃうんだね。」

この不意打ちに、まるで電気ショックを受けたようにピクリと反応し、

「え?そんなことは無いと思うけど…。」

とうろたえるテイラー。その様子を数秒間眺めた後、

「カリフォルニアで家を買うって、年々大変になってるよね。もしかしたら一般の勤め人には手が届かない価格まで上がって、高止まりしちゃうかもしれないよ。逆に、経済が崩れて簡単に買える時が意外に早くやって来るかもしれない。いずれにしても、そういうのって我々のコントロールが及ばない話だよね。もちろん収入を上げるのはある程度努力次第だけど、いくらこっちが貯金しても、今のペースで住宅価格が高騰を続けたら到底追いつかないでしょ。」

と話す私。

「そういうところにゴールを置くとさ、ちょっとした環境変化にいちいち行く手を阻まれて、ストレス溜まるんじゃない?」

「そうね。確かに。」

「逆にさ、環境に左右されようがない理想の自分像っていうものを考えてみたらどうだろう?それが見つかったら、今の自分とのギャップを分析するんだ。で、個々のギャップを埋めるにはどの障害を克服すればいいかを考える。そして、具体的な行動計画を日々のルーティンに組み込むべく、カレンダーとかにリマインダー付きで記入しちゃうんだよ。」

眉間に皺を寄せ、沈黙して続きを待つテイラー。

「たとえばさ、会社でのポジションに関係なくあらゆる場面でリーダーシップを取れる人でいたい、と思うとしようよ。そうなるためには今の自分に何が欠けているのかを考えてみる。リーダーに必要な資質やスキルを体系的に理解してないな、と思えばそのジャンルの本を読むとかセミナーに行ってみるとか、具体的な行動計画が導き出せるでしょ。毎月一冊そのテーマの本を読んでまとめノートを作ろう、とかね。で、出勤前の15分は読書時間に充てる、みたいにルーティンにしちゃうんだよ。」

“It all makes sense.”
「すべて納得。」

と頷くテイラー。

「確かに、家とか犬とかに目標置いてたら、どうやってそこに辿り着けるのか全く想像がつかないわ。」

「次回の個人面談までに、自分の理想像とギャップの分析、そして具体的行動計画づくりをやって来れるかな。」

と私。

「分かった。有難う。やってみる。」

それからふう~っと息をつき、

「働き始めてまだ何年も経ってないし、本当に知らないことばかりでしょ。今のキャリアの先にどんな選択肢があるかも見えてないし、自分のゴールが何かって考えるのは本当に大変だったの。」

そして、今にも泣き出しそうな笑顔でこう吐き出したのでした。

“It’s hard to be young, Shinsuke!”
「若いって苦しいのよ、シンスケ!」

反射的に大笑いしてしまった私ですが、よく考えてみたら、これは案外深刻な訴えです。現代は、私がテイラーの年齢だった頃と較べて格段に変化のスピードが速く、数年先に職場が、いや業界自体がどうなっているかすら分からない。「長期的視点で目標を立てましょう」なんて発言が失笑を買うこんな時代に若者でいるというのは、確かに厳しい試練なのかもしれません。

「でも、なんかすっきりした。自分のコントロールが及ぶ範囲内で目標を立てていれば、周りがどう変わろうがストレス無く頑張れるもんね。」

そうしてニコリと笑った彼女が、こう付け足したのでした。

“Then my boyfriend won’t need to see my RBF.”
「彼氏も私のアールビーエフ見なくて済むし。」

ん?何?今なんて言ったの?と顔を上げる私。

「え?RBF知らない?Resting Bitch Faceの略よ。」

ケラケラ笑いながら説明するテイラー。

Resting Bitch Face?

直訳すれば、「休憩中の意地悪女の顔」、文脈に合わせて意訳すれば、「無意識の不機嫌面」あたりが妥当なところでしょうか。もうひと捻りすると、こんなところでしょう。

“Then my boyfriend won’t need to see my RBF.”
「彼氏も私のむっつり顔見なくて済むし。」

若者の日常をちょっぴりだけ明るく出来た気がして、ほっこりする金曜日でした。

2019年11月3日日曜日

Soup to nuts スープからナッツまで


火曜の朝、本社のR氏によるウェブ会議に出席しました。新COO(最高執行責任者)のロジャーから先週一斉メールで伝達された新方針を、あらためて詳しく説明するというのです。

「現在使用中のプロジェクトマネジメント・ツールEを廃棄し、ツールAの再利用を開始する。」

この臨時ニュースに、社内は騒然となりました。巨費を注ぎ込んで作り上げた全社統一経営ツールEを、すっぱり切り捨てるというのです。しかも十年前に使っていた古いツールAを引っ張り出して再生利用する、と。そもそもEは、Aの欠点を補うためにデザインされたシステム。これだけ技術革新が加速している現代に、十年前のプログラムが果たして通用するのか?そういう懸念の声が噴出したのですね。

R氏はパワーポイントのページをめくりつつ、ツールEの特徴をあげつらいます。その論調は概ね批判的で、こんな一言まで飛び出した時には、息を呑みました。

“This is such a big, bulky, and bureaucratic tool.
「とにかくでかくて嵩張る官僚的なツールだ。」

ツールEの開発にベータテスト以前からかかわっていた私には、これはいささか度を超した批難に感じられました。ただ苦情が多いからと言って、確実に現状を改善出来るような斬新なアイディアを自分が持っていてその実行可能性を証明出来るのでない限り、現行システムを全否定するというのは無責任だし、第一ここまでシステム開発に尽力して来た人達に対して失礼だと思うのです。

かつてこのツールのNinja(エリート・スーパーユーザー)に任命された私は、数々のユーザー・トレーニングで講師を務め、オーストラリア出張まで経験しました。この期間に知り合った大勢の社員達は、みな真剣にこのプロジェクトに貢献していました。特に開発チームの中心メンバーだったジョディとクリスティーナは調整のために毎週世界中を飛び回り、寝食を忘れて働いていました。クリスティーナに至っては、家族と過ごす時間が圧倒的に削られたため離婚の危機に直面し、ツールの完成を目の前にしてやむなく辞職、という苦渋の決断をしたのです。それを思うと、R氏が吐き捨てるように放った一言は、あまりに辛辣過ぎる気がしました。

しかし、ツールEがこの三年間ユーザー達から苦情を浴び続けていたのは動かし難い事実。まず最大の要因は、扱う範囲が大き過ぎてどこにどんな情報を入力すべきなのか直感的に判断出来ない点。五千ピースの巨大ジグソーパズル・セットを完成図抜きで渡されるような感覚ですね。また、国によってまちまちなビジネス慣習を全て満足させる必要があったため、完成品が「帯に短したすきに長し」的な仕上がりにおさまってしまったこと。ヨーロッパでは喜ばれる機能が、北米では「何でこんなやり方しなきゃいけないんだよ!」と総スカンを食う、なんてことが多々発生してしまったのですね。世界標準のプロセスを作るというのは、それほど困難な野望だったのです。十年前にアメリカだけで使っていたシンプルなシステムの方が断然良かった、と文句を言う人が大勢出て来るのも、やむを得ない話なのですね。

翌水曜のチーム・ミーティングで、私はメンバー達にこんな話をしました。

「2015年の7月、僕はロサンゼルス本社の会議室にいた。全米各地はもちろん、アジアやヨーロッパ、それにオーストラリアからも社員が参加してた。ツールEの開発スタートから約一年が経過していて、間もなくベータテストを開始する、そんなタイミングだった。そこで、ユーザーの視点から意見を聴取するために僕らが集められたんだな。初日のランチ直前、ジャケットにノーネクタイの紳士が後ろのドアから入って来て、会議が突然中断させられた。」

それは、当時のCOOボブでした。彼はニッコリ笑って参加者たちにお礼を言った後、表情を固くしました。このプロジェクトの行方が社運を決める。成功のためにはここにいる全員の協力が不可欠だ、などと述べます。このツールが完成すれば、これまで社内でバラバラだったプロジェクトマネジメントのプロセスは統合され、劇的に経営を円滑化出来るんだ、と。ボブがこの時使った表現が、これ。

“This is soup to nuts.”
「これはスープからナッツまでだ。」

はぁ?初耳のイディオムで思考がストップした私は、慌ててノートに書き取ります。そしてボブが去った後、周囲のアメリカ人達に質問してみました。

「全て一式っていう意味だね。ディナーのコースに喩えてるんだよ。ローマ時代のヨーロッパの食事が、スープでスタートしてナッツで終わるのが定型だったところから来てる表現だと思うよ。」

なるほど。つまりボブが言いたかったのは、こういうことですね。

“This is soup to nuts.”
「これはプロセス全体をカバーするシステムなんだ。」

この場面で、話を聞いていたチーム・メンバー全員がキョトンとしているのに気付きました。

「あれ?このイディオム知らない?」

と私。若い女性社員たちが、一斉に首を横に振ります。「聞いたことないわ。」「どういう意味?」あらら、アメリカ人相手に英語慣用句の解説をする羽目になっちゃったぞ…。仕方なくスープとナッツに込められた意味を聞かせたところ、

「全然ピンと来ないんだけど。」

とシャノン。

「デザートにナッツ?最低~。」

と、口をへの字にするテイラー。

金曜の午後、同世代の同僚ジョナサンを訪ねてこの話をしたところ、

「おっさん世代の使う古臭いイディオムだよ。スープとかナッツでディナーを表現すること自体が貧乏くさいよな。」

そして、俺だったらこう言うよ、とジョナサン。

“Cocktail to ice cream.”
「カクテルからアイスクリームまで。」

おお、なんか急に現代風になったじゃないか。こういうフレーズって、国や時代が違えば途端にピンと来なくなっちゃうんだな、と再認識する私でした。ツールEが世界中のユーザーを満足させようとするあまり、どの国のユーザーからも文句を言われるようになってしまったように…。

ちなみに、日本人に通じそうなところで私が考えたのが、これ。

「お通しからお茶漬けまで。」

どうでしょう?

2019年10月26日土曜日

Tough as nails 釘のようにタフ


今月中旬、ユタ州ソルトレイクシティまで、三泊の出張をして来ました。進行中のプロジェクトのサポートを頼まれてのこと。折角久しぶりに遠出の機会を与えられたので、帰りは午後遅い便を押さえ、土曜の半日を街の散策に使おうと計画していました。ところが日々の仕事はそこそこ忙しく、しかも二ヶ月に渡る「うっすらとローな気分」からまだ抜け出せていなかったため、ほぼ下調べゼロでサンディエゴを出発。夜9時頃ソルトレイクシティ空港へ到着し、レンタカーを借りてホテルへ。数マイルおきに出現する夜間工事の車線制限が緊張感を強いる不慣れなハイウェイを走行中、ヘッドライトの中を白い粉が舞い始めました。あらら、雪かよ。想定外だぜ。思わず前傾姿勢になり、ハンドルを強く握って暗闇を凝視する私。こんなとこで事故ったらシャレにならんな…。

二ヶ月ほど前から、家へ帰ってもただカウチに深く腰を沈めてテレビを観る生活が続いていました。

「ローな時は敢えてもがくな。潮の流れに身を任せ、底を打つまで沈み続けろ。浮上のきっかけは必ずやって来る。」

若い時分からこの持論を実践して来ました。大抵のピンチはこれでしっかり乗り越えて来られたのですが、今回の潜水はいつになく長い。部下たちにバースデーを祝ってもらった日を境にグッと盛り返すかと思いきや、海底に足がタッチしそうな気配も無く、陽光も届かぬ深い水中をじわじわと沈み続けるのでした。オフィスでは不思議にテキパキ業務をこなせているのですが、自宅に帰ればまるで抜け殻。やらなきゃいけない細かな家事がじわじわと溜まっていくのを横目で見ながら、ひとつもアクションを起こすことが出来ずにいる。例えば寝室のトイレ。一旦水を流すと、タンクへ送られる水流の音がその後何分間も止まらなくなる。原因と解決法を調べて修理しなきゃ…。あ、そうだ、知り合いから届いてた残暑見舞いメールにも返事を書かなきゃ(既に季節が変わっちゃってるけど)。それから車の買い替え計画も、いい加減スタートしないとな…。ああ、でもやっぱやる気が出ない。さすがに息苦しくなって来たぞ…。そういうタイミングでの出張でした。

肩に力を入れて夜の高速を進むうち、気が付くと雪は止んでいました。無事ホテルにチェックインした私は、シャワーも浴びずに就寝します。翌朝ソルトレイクシティ支社に到着し、あてがわれたデスクでメールのチェックをしていたところ、背後から今回の主役が登場します。

「シンスケ!来てくれて有難う。やっと会えたわね。」

インド訛りの英語の主は、キラン。編み物の毛糸玉のようにぎっしりと厚みのある黒髪を、後ろで固く束ねています。二ヶ月前に赴任して来たというエンジニアの彼女。下水処理場設計プロジェクト・チームに加わりプリマベーラでのスケジューリングを任されたのですが、このソフトの使用経験はゼロ。遠隔から彼女をサポートしてくれないか、とPMチームから依頼されたので、これまでメールや電話で質問に答えていました。今回はクライアントから大量の質問が届き、とても駆け出しの彼女のみでは対応しきれないということもあり、出張依頼が来たというわけ。

「シンスケから二日間みっちりトレーニングしてもらいつつ、案件を全て片付ける、というのが今回のミッションよ。よろしくね。」

と目を輝かせるキラン。そこへ、もうひとり若いインド人男性が入って来ました。

「この人はラヴィよ。プリマベーラのエキスパートが来てくれるって話したら、僕にも勉強させてくれ、って手を挙げたの。いいかしら?」

ラヴィというのはヒンズー語で「太陽」、キランは「陽の光」という意味だ、と解説してくれる二人のインド人。スケジューリングをちゃんと学ぶのは初めてで、とても楽しみにしている、と微笑みます。

「必ずコピーを保存してから作業を開始せよ」、とか「カレンダー設定の方法」とか、スケジューリング上の基本的な約束事からトレーニングを開始します。そしてプリマベーラ初心者が陥りがちなトラップ、マイクロソフト製品との用語の違いなどについて解説。

三時間半の集中講義を終え、腹が減ったので近くのアジア風ファストフード店へラヴィの運転で出かけます。私は海鮮丼みたいなものを注文し、三人でテーブルに陣取ります。

「そもそも二人はどうしてソルトレイクシティへ来ることになったの?」

と切り出す私。ラヴィもキランもインドで大学を出た後すぐ渡米し、工学系の修士号を取得したとのこと。その後はそれぞれ小さなエンジニアリング・ファームで働いた後、今の会社に移ります。キランの方は北カリフォルニアの支社で四年務めた後、お父さんの体調が悪いと聞いてインドへ帰り、実家に住みつつデリー支社に勤務。9年後、お父さんが奇跡的な回復を遂げたのを機に、アメリカへ戻る決意を固め知り合いに当たったところ、ちょうどユタ州のポジションが空いたため一も二も無く飛びついた、とのこと。

「親御さん、残念がらなかった?」

と私。

「もちろんすごく悲しそうだったけど、私としてはもう限界だったの。」

「え?喧嘩しちゃったの?」

「そうじゃないわ。デリー支社にいたら私のキャリアには未来が無いってことが分かったのよ。」

修士号を武器にアメリカ企業で経験を積み、特に品質管理の分野では自信を深めた。「錦を飾る」心意気で帰国したところ、その情熱は木端微塵に打ち砕かれた、とキラン。

「女であること、そして若いということ。その二つで完全にアウトよ。私の話に耳を貸す人なんて一人もいないの。もちろんインドがそういう社会だってことは重々分かってたし、どんな困難が待ち受けているかも承知の上で帰国したんだけど、考えが甘かった。ひょっとしたら組織を変えることが出来るかもって自分に言い聞かせながら9年間もがいたけど、結局無力さを思い知らされただけだったわ。」

新進気鋭の女性エンジニアに活躍の場を与えて大きく育てようなどという展望は無く、古参の男性社員たちが全てを仕切る組織。壁の厚さを悟った彼女は、アメリカに戻るための行動を開始します。そして何とか手繰り寄せた仕事の口が、たまたまユタ州ソルトレイクシティだった。地縁も無く友達もいないこの土地で、アパート暮らしをしながら一からスタート。アメリカにありがちな「人事総務の不手際」で最初の一ヶ月は健康保険にも加入出来ず、かなり体調が悪かったのに病院へ行けなかった。あれは苦しかったわ、と笑うキラン。ふと見ると、彼女の耳の上の生え際には僅かに白い物が混じっています。横で聞いていたラヴィが、

「僕も、今の給料の何倍積まれたとしてもインドに戻って働く気は無いな。」

と笑いを浮かべます。

「ここは慣れない土地だし冬は寒くもなるけど、あっちにいるよりはずっとましだよ。」

「そうよね。私達は本当にラッキーよね。」

その晩ホテルに戻ってベッドに入っても、若い彼等の明るい笑顔がずっと頭の隅にこびりついていました。艱難辛苦の末に辿り着いた異国の地で、闘志を燃やしている二人。それに引き換え、自分は一体何をくすぶってんだ…。実は昼すぎから猛烈な頭痛に襲われ、吐き気まで催していた私。海抜千二百メートルの高度と極度の乾燥とで、軽い高山病に掛かっていたのでしょう。こんな厳しい環境でも、人はちゃんと生きていけるんだなあ、とあらためて驚嘆します。その時、三日ほど前に息子と電話で交わした会話が蘇りました。

コロラドスプリングスの大学に行った彼は、水球部が無いというので水泳部に入部しました。自分以外の部員はすべて水泳で奨学金を貰っている手練れ達だということを後で知ることになるのですが、とにかく皆スピードが途轍もない。劣等感を味わいながらも日々厳しい練習で鍛えられている、と息子。標高千三百メートル超という過酷な土地で、最初は息苦しくて死ぬかと思ったそうなのですが、一ヶ月で慣れたよ、と彼。先日は二時間以上泳ぎ続けるトレーニングに耐え抜き、ロッカールームでチームメートに感心された、と嬉しそうに話します。その子にこう言われたの、と息子。

“You’re tough as nails.”
「釘みたいにタフだな。」

これは初めて聞く表現でしたが、何となく意味は分かりました。釘って強いもんな。それにしても、あんなに根性無しだった息子が短期間で随分成長したもんだ、と嬉しく思う私でした。

さて翌朝目覚めると、喉はカラカラ唇カサカサで、両脚は太腿から足首まで一面に粉をふいています。あちこち痒くて堪らない。なんだこの嘘みたいな乾燥度合いは?バスルームまで歩いてライトを点け、Tシャツを脱いで巨大な鏡に自分の姿を映します。運動不足でたるんだ全身に、激しく掻きむしった跡。ところどころに血も滲んでいます。思わず吹き出し、「これはひどい!」と独り言。その瞬間、海底にトンと足がついたような感覚を味わいました。

「あ、今どん底だ。」

思わず右手をピンと伸ばして人差指を突き出し、「今!」と叫びたくなるほど明確な最下点。この劇的瞬間の後、にわかに気分が明るくなって来ました。やったぞ、遂に上昇の時がやって来た。潜航期間は終わりを告げ、太陽の光に導かれながらゆっくりと水面に向かって浮上して行く時が来たんだ。あ~長かった!これからはしっかり運動して身体を鍛えよう、雑事の先送りも止めよう、将来の計画も立てよう…。

土曜の午後出張から戻るやいなや、寝室のトイレタンクの蓋を外し、フロート部分の型式を調べGoogleやYouTubeで解決方法を調査します。そして翌朝、妻が出かけている間にてきぱきと修理を完了させました。心身にエネルギーが漲って来るのを感じます。前より一層タフになった実感もこみ上げて来ました。辛い環境を乗り越えてパワーアップしたキランや息子から、たっぷり元気をもらえたお蔭ですね。

後日職場で同僚ジョナサンに、「Tough as nails」の意味を確認してみました。

「釘ってさ、ハンマーでガンガンぶっ叩かれても耐えられるだろ。そこから来てる表現だと思うぞ。すごい褒め言葉だよ。」

なるほどね。叩かれる経験を経て人は強くなるもんな。そういえば、私が寝室のトイレタンクの修理を終えたことを得意げに報告したところ、妻が即座にこう返して来ました。

「有難う。ついでにもう一つのトイレも直してくれる?」

メインのトイレは、以前私がタンクレバーを付け替えた時、何故か上に半転させないと水が流れないようになっちゃってたのですね。来客が使用する際に混乱するため、いつか下向きになるよう修理しなきゃと思いつつ、すっかり忘れてました。もちろん!と明るく答える私でしたが、やっとどん底から抜け出したタイミングでそれ要求して来るかね…。

我が家のハンマーは、容赦ないです。


2019年10月6日日曜日

Lucid dreams ルーシッド・ドリームス


月曜の朝、白いブラウス姿で職場に現れたジゼルが、いつもより明るめな笑顔で声を上げました。

「ハッピー・バースデー!」

先に出社していた隣のブリトニーが、ハッとしてこちらに顔を向け、

「え?今日が誕生日なの?知らなかった!」

まるで朝のトップニュースを見ずに出勤し、話題に乗り遅れてしまった人のように当惑するブリトニー。どうしてジゼルが私の誕生日など知っていたかというと、給湯エリアの壁にマンスリー・カレンダーが貼ってあり、各マスにその日誕生日を迎える社員の名前が書き込まれているからなのです。そんなミニ情報コーナーに捨て目を使っていたのですね。

「別に上司の誕生日なんて知らなくていいよ。大体この歳にもなると、さして特別感無いしね。」

笑ってそう答えたのですが、他ならぬジゼルから朝一番でお祝いの言葉を聞けたことで、実はちょっぴり感動していた私でした。というのも、この三週間ずっとうっすらテンションが低く腹の調子もイマイチで、何でこんなに長期間気分がローなのかな、とよくよく考えてみたところ、どうやら原因は彼女みたいだということに気付いたからなのです。

五カ月前、ブリトニーとほぼ同時期に採用し、勤続三年の先輩社員カンチーに任せて日々じっくりトレーニングを重ねて来ました。そんな折、空港プロジェクトのPMウォーレンが大ピンチに陥っているというニュースをカンチーから伝え聞きました。契約・経理関係を担当していた社員が、突然テキサスへ引っ越すことになったというのです。その窮状を救うため、後任が見つかるまでジゼルを週20時間限定でレンタルすることにした私。するとたちまち職場にとけ込み、めきめき成果を上げ始めたジゼル。ほっと胸を撫でおろしていた矢先の金曜午後、「今の仕事をこのままフルタイムで続けたいと彼女は言ってるんだが、シンスケはOKか?」とウォーレンから電話で尋ねられたのです。本人からでなく先にウォーレンから告げられた、ということがまずショックでした。まるで恋人に捨てられ落ち込んでいた友達の家に自分の彼女を相談相手として送り込んだら、あっという間にデキてしまい、「ごめん、実は…」と男の方から告白されるパターン(だいぶ事情は違うけど)。

月曜の朝さっそく彼女を会議室に呼び出して、本心を聞き出します。

「空港の仕事の方が自分の性格に合ってるんです。プロとしての成長の機会もあちらの方が豊富だと思います。」

「このチームで働き始めて五カ月も経ってないのに、成長の機会はあっちの方が多いって感じてるの?」

「はい。」

決然とした彼女の目にドキリとし、怯む私。なんだか寝取られ男の悪あがきみたいで情けなくなり、強く引き止めるのは思いとどまったのですが、この会話の後味はその後じわじわと身体の芯を蝕み、日に日に元気を失って行った私。まるで延々と続く悪夢から、夢とは知りながらもなかなか目覚められずにいるような気分。その後カンチーにこの件を打ち明けたところ、

「ウォーレンから聞いたんですか?私も最初はショックでしたけど、本人の気持ちが一番大事だと思うんです。」

という反応。なんだよ、知ってたのかよ…。再びちょっぴり傷つきます。

「ジゼルがここで受けたトレーニングが実を結んでよそで信用を勝ち取ったってことじゃないですか。喜ぶべきですよ。うちのチーム全体を高く評価してるってウォーレンは常々言ってるんですよ。」

「でもさ、始めたばかりの社員にここでの将来性をあっさり見限られるってのは、やっぱ堪えるよ。」

とうなだれます。

「若すぎてまだ世界がよく見えてないだけですよ。どの仕事に将来性があるかなんて、そんなの分かるわけないじゃないですか。気にすることないですって。」

「トレーニングだって君に任せきりだったし、僕自身が充分ケアしてやれなかったところも正直ある。もしかしたら疎外感を味合わせちゃってたのかも、と思うと悔やまれるんだ。」

「グループがどんどん拡大してるんだから、リーダーが全てのメンバーにたっぷり時間を割いてはいられないですよ。それはチーム成長のコストじゃないですか。」

そんなカンチーの慰めも特効薬にはならず、人知れず黒々とした心の海底へ向かって少しずつ沈んでいく私でした。

よくよく考えてみれば、チームのメンバーと言っても所詮は他人。こちらがいくら家族のように思って接したところで、それぞれにプライベートライフがあるのだし、目指す方向が変わってある日やむなく袂を分かつことだってあるだろう。ジゼル以外のメンバーからだって、いつそんな告白を聞かされるかも分からない。いいチームを作ろうと日々心を砕いて来たつもりだけど、今はただ儚い夢の瞬間を生きているに過ぎないのかもな…。

先週金曜日になり、転籍手続きの状況をジゼルに尋ねてみたところ、

「籍は今のままで、週40時間空港オフィスに勤務するということでも良いですか?」

と言われ、戸惑います。

「今のチームは大好きだし、学べる環境はとても大切なんです。ウォーレンも賛成してくれました。」

う~ん、そのやり方って機能するのかな…。不審には思いつつも、

「分かった。とりあえずその形でやってみよう。」

と承諾します。

そんなことがあった翌週月曜の朝、彼女からの第一声が「ハッピー・バースデー!」だったわけです。

その後間もなく、ティファニー、シャノン、テイラー、そしてカンチーと続けて登場します。最後のカンチーが席に着きつつ「ハッピー・バースデー!」と私に笑顔を向けたところ、残りの一同がこれにぴくりと反応し、ざわつきます。そして、知らなかったことを白状しつつ口々にお祝いを述べます。

「いいからいいから、僕の誕生日なんてそんな大したもんじゃないって。」

と笑う私。するとシャノンが暫くして、

「みんなでバースデー・ランチに行きましょうよ!」

と提案します。え?そんなのいいよ、と辞退しかけたところ、二つ左隣のテイラーが、

「どこ行きたい?バースデー・ボーイに決める権利があるのよ。」

と参入します。すかさず

「じゃ、Grab & Goだな。」

と答えたら、

「100%そう来るって予測してたわよ。」

と笑います。Grab & Goというのは、速い、安い、うまい、の三拍子そろったサンドイッチ屋。5ドルも払えば腹いっぱいにさせてくれるファストフード・ショップなのですね。

“We all know you very well, Shinsuke.”
「みんなあなたのこと良く分かってるんだからね、シンスケ。」

そして行きたいお店をちゃんと決めてよ、とせっつくテイラーでした。

結局リトルイタリーにあるCivico 1845という、そこそこ高級なイタリアンに決定。表通りに面した窓際の大テーブルに、七人で着席します。当然私は「お誕生席」に着き、女子社員たちが片側に三人ずつ座る格好。パスタやサラダに舌鼓を打ちつつ、最近観たネットフリックス・テレビシリーズや地元のファーマーズマーケットの話題で盛り上がります。

食事もほぼ終わり、「これだけコッテリしたもの食べると、午後は眠くなっちゃうんだよね。」という私のコメントがきっかけとなって、眠りについての考察に話の花が咲きます。シリコンバレーの会社みたいに「仮眠ポッド」と呼ばれるカプセルがオフィスにあったら、ひと眠りしてすっきりした頭で仕事に集中出来るのにな、という私に、

「下手に仮眠なんかしたら、余計だるくなって仕事にならないわ。」

というテイラー。

「前にどんな人が使ったか分からないようなカプセルで横になること自体、絶対無理。」

と身震いする、潔癖症のシャノン。

「私、真っ暗にして音も完全にシャットダウンした環境でないと眠れないの。」

と、人生で一度も仮眠を経験したことが無いというブリトニー。

「僕なんか眠くなったら、明るかろうがうるさかろうが、どこででも眠れるけどね。」

眠り方ひとつとっても、人によって様々なんだねえ、という結論になりました。それから、普段夢を見るか、見た夢をどれだけ憶えているか、という話題に移ります。

「あ、そうだブリトニー。こないだ君が教えてくれたLucid Dreams(ルーシッド・ドリームス)の話をしてよ。」

え?何それ?と皆が一斉にブリトニーの方を向きます。ちょっぴり赤くなったブリトニーが、突然のフリを咎めるような目で私を見た後、諦めて解説を始めます。

「これは夢だって分かりながら見続ける夢のことなの。訓練次第で、自分の望む方向にストーリーを修正することも出来るんですって。」

日本語では「明晰夢」と訳されるようですが、夢と気付いた瞬間に目覚めるのが当たり前と思っていた私は、そのまま眠り続けた上に更に自らの意思で流れを変えられると聞いてたまげたのでした。

「もちろん私は出来ないわよ。」

と慌てて質問を制するブリトニー。

そこへ突然ウェイターがやって来て、小さな白いお皿を私の目の前に置きます。白いパウダーシュガーをたっぷりふりかけたカノーリ(シチリアの代表的なデザート)と、黄緑色のミニろうそくが一本。ウェイター氏がライターで手早く点火し、シャノンの音頭で女子六人が大声で「ハッピー・バースデー」を歌い始めました。予想もしなかった展開。思わず両手で顔を挟み、周りのお客さん達と目が合わないようカノーリに視線を集中して歌が終わるのを待ちます。火を吹き消すと、女子六人が一斉に拍手。シャノンがやや興奮気味にこう言うのでした。

「八年間も一緒にいるけど、シンスケが赤くなるの初めて見たわ!」

それからテイラーが私に封筒を手渡し、

「分厚過ぎてちゃんと封が出来なかったの。ごめんなさいね。」

と笑います。封筒から突き出すような格好で折り畳まれたコピー用紙には、サンディエゴの主だったレストランで食事出来るという、万能ギフトカードが印刷されています。そして二つ折りの小さなカードには、六人からのメッセージが細かい字でぎっしりと書かれていたのでした。

ジゼルからは、

“Thank you for all you do and for being understanding.”
「色々してくれて、そして良き理解者でいてくれて有難う」

とあります。ブリトニーは、

“Thank you for being the most supportive and fun boss. We’re so lucky!”
「一番頼りになって、しかも面白いボスでいてくれて有難う。私たちは本当にラッキーよ!」

テイラーも、

“Happy birthday to the best boss around.”
「この界隈で一番のボスに、ハッピーバースデー。」

シャノンも、

“You are by far the best manager I’ve had.”
「過去最高のマネージャーよ。」

と最大限の賛辞を添えてくれています。おいおいみんな、これ以上無いタイミングで深い淵から救い出してくれたな。僕が最近どんなにローな気分でいたかなんて知らないだろうに…。暫くの間カードに目を落としたまま、口を開くことが出来ずにいたのでした。

うららかな初秋の陽射しの中、賑やかにさえずる女子たちと職場へ戻る道をそぞろ歩きつつ、まるで夢の中を浮遊しているような錯覚に浸る私。こんな素敵な夢なら、修正の必要は全く無いな。自然に目覚めるその時まで、たっぷりと幸せを味わおう。…そう思うのでした。