今月中旬、ユタ州ソルトレイクシティまで、三泊の出張をして来ました。進行中のプロジェクトのサポートを頼まれてのこと。折角久しぶりに遠出の機会を与えられたので、帰りは午後遅い便を押さえ、土曜の半日を街の散策に使おうと計画していました。ところが日々の仕事はそこそこ忙しく、しかも二ヶ月に渡る「うっすらとローな気分」からまだ抜け出せていなかったため、ほぼ下調べゼロでサンディエゴを出発。夜9時頃ソルトレイクシティ空港へ到着し、レンタカーを借りてホテルへ。数マイルおきに出現する夜間工事の車線制限が緊張感を強いる不慣れなハイウェイを走行中、ヘッドライトの中を白い粉が舞い始めました。あらら、雪かよ。想定外だぜ。思わず前傾姿勢になり、ハンドルを強く握って暗闇を凝視する私。こんなとこで事故ったらシャレにならんな…。
二ヶ月ほど前から、家へ帰ってもただカウチに深く腰を沈めてテレビを観る生活が続いていました。
「ローな時は敢えてもがくな。潮の流れに身を任せ、底を打つまで沈み続けろ。浮上のきっかけは必ずやって来る。」
若い時分からこの持論を実践して来ました。大抵のピンチはこれでしっかり乗り越えて来られたのですが、今回の潜水はいつになく長い。部下たちにバースデーを祝ってもらった日を境にグッと盛り返すかと思いきや、海底に足がタッチしそうな気配も無く、陽光も届かぬ深い水中をじわじわと沈み続けるのでした。オフィスでは不思議にテキパキ業務をこなせているのですが、自宅に帰ればまるで抜け殻。やらなきゃいけない細かな家事がじわじわと溜まっていくのを横目で見ながら、ひとつもアクションを起こすことが出来ずにいる。例えば寝室のトイレ。一旦水を流すと、タンクへ送られる水流の音がその後何分間も止まらなくなる。原因と解決法を調べて修理しなきゃ…。あ、そうだ、知り合いから届いてた残暑見舞いメールにも返事を書かなきゃ(既に季節が変わっちゃってるけど)。それから車の買い替え計画も、いい加減スタートしないとな…。ああ、でもやっぱやる気が出ない。さすがに息苦しくなって来たぞ…。そういうタイミングでの出張でした。
肩に力を入れて夜の高速を進むうち、気が付くと雪は止んでいました。無事ホテルにチェックインした私は、シャワーも浴びずに就寝します。翌朝ソルトレイクシティ支社に到着し、あてがわれたデスクでメールのチェックをしていたところ、背後から今回の主役が登場します。
「シンスケ!来てくれて有難う。やっと会えたわね。」
インド訛りの英語の主は、キラン。編み物の毛糸玉のようにぎっしりと厚みのある黒髪を、後ろで固く束ねています。二ヶ月前に赴任して来たというエンジニアの彼女。下水処理場設計プロジェクト・チームに加わりプリマベーラでのスケジューリングを任されたのですが、このソフトの使用経験はゼロ。遠隔から彼女をサポートしてくれないか、とPMチームから依頼されたので、これまでメールや電話で質問に答えていました。今回はクライアントから大量の質問が届き、とても駆け出しの彼女のみでは対応しきれないということもあり、出張依頼が来たというわけ。
「シンスケから二日間みっちりトレーニングしてもらいつつ、案件を全て片付ける、というのが今回のミッションよ。よろしくね。」
と目を輝かせるキラン。そこへ、もうひとり若いインド人男性が入って来ました。
「この人はラヴィよ。プリマベーラのエキスパートが来てくれるって話したら、僕にも勉強させてくれ、って手を挙げたの。いいかしら?」
ラヴィというのはヒンズー語で「太陽」、キランは「陽の光」という意味だ、と解説してくれる二人のインド人。スケジューリングをちゃんと学ぶのは初めてで、とても楽しみにしている、と微笑みます。
「必ずコピーを保存してから作業を開始せよ」、とか「カレンダー設定の方法」とか、スケジューリング上の基本的な約束事からトレーニングを開始します。そしてプリマベーラ初心者が陥りがちなトラップ、マイクロソフト製品との用語の違いなどについて解説。
三時間半の集中講義を終え、腹が減ったので近くのアジア風ファストフード店へラヴィの運転で出かけます。私は海鮮丼みたいなものを注文し、三人でテーブルに陣取ります。
「そもそも二人はどうしてソルトレイクシティへ来ることになったの?」
と切り出す私。ラヴィもキランもインドで大学を出た後すぐ渡米し、工学系の修士号を取得したとのこと。その後はそれぞれ小さなエンジニアリング・ファームで働いた後、今の会社に移ります。キランの方は北カリフォルニアの支社で四年務めた後、お父さんの体調が悪いと聞いてインドへ帰り、実家に住みつつデリー支社に勤務。9年後、お父さんが奇跡的な回復を遂げたのを機に、アメリカへ戻る決意を固め知り合いに当たったところ、ちょうどユタ州のポジションが空いたため一も二も無く飛びついた、とのこと。
「親御さん、残念がらなかった?」
と私。
「もちろんすごく悲しそうだったけど、私としてはもう限界だったの。」
「え?喧嘩しちゃったの?」
「そうじゃないわ。デリー支社にいたら私のキャリアには未来が無いってことが分かったのよ。」
修士号を武器にアメリカ企業で経験を積み、特に品質管理の分野では自信を深めた。「錦を飾る」心意気で帰国したところ、その情熱は木端微塵に打ち砕かれた、とキラン。
「女であること、そして若いということ。その二つで完全にアウトよ。私の話に耳を貸す人なんて一人もいないの。もちろんインドがそういう社会だってことは重々分かってたし、どんな困難が待ち受けているかも承知の上で帰国したんだけど、考えが甘かった。ひょっとしたら組織を変えることが出来るかもって自分に言い聞かせながら9年間もがいたけど、結局無力さを思い知らされただけだったわ。」
新進気鋭の女性エンジニアに活躍の場を与えて大きく育てようなどという展望は無く、古参の男性社員たちが全てを仕切る組織。壁の厚さを悟った彼女は、アメリカに戻るための行動を開始します。そして何とか手繰り寄せた仕事の口が、たまたまユタ州ソルトレイクシティだった。地縁も無く友達もいないこの土地で、アパート暮らしをしながら一からスタート。アメリカにありがちな「人事総務の不手際」で最初の一ヶ月は健康保険にも加入出来ず、かなり体調が悪かったのに病院へ行けなかった。あれは苦しかったわ、と笑うキラン。ふと見ると、彼女の耳の上の生え際には僅かに白い物が混じっています。横で聞いていたラヴィが、
「僕も、今の給料の何倍積まれたとしてもインドに戻って働く気は無いな。」
と笑いを浮かべます。
「ここは慣れない土地だし冬は寒くもなるけど、あっちにいるよりはずっとましだよ。」
「そうよね。私達は本当にラッキーよね。」
その晩ホテルに戻ってベッドに入っても、若い彼等の明るい笑顔がずっと頭の隅にこびりついていました。艱難辛苦の末に辿り着いた異国の地で、闘志を燃やしている二人。それに引き換え、自分は一体何をくすぶってんだ…。実は昼すぎから猛烈な頭痛に襲われ、吐き気まで催していた私。海抜千二百メートルの高度と極度の乾燥とで、軽い高山病に掛かっていたのでしょう。こんな厳しい環境でも、人はちゃんと生きていけるんだなあ、とあらためて驚嘆します。その時、三日ほど前に息子と電話で交わした会話が蘇りました。
コロラドスプリングスの大学に行った彼は、水球部が無いというので水泳部に入部しました。自分以外の部員はすべて水泳で奨学金を貰っている手練れ達だということを後で知ることになるのですが、とにかく皆スピードが途轍もない。劣等感を味わいながらも日々厳しい練習で鍛えられている、と息子。標高千三百メートル超という過酷な土地で、最初は息苦しくて死ぬかと思ったそうなのですが、一ヶ月で慣れたよ、と彼。先日は二時間以上泳ぎ続けるトレーニングに耐え抜き、ロッカールームでチームメートに感心された、と嬉しそうに話します。その子にこう言われたの、と息子。
“You’re tough as nails.”
「釘みたいにタフだな。」
これは初めて聞く表現でしたが、何となく意味は分かりました。釘って強いもんな。それにしても、あんなに根性無しだった息子が短期間で随分成長したもんだ、と嬉しく思う私でした。
さて翌朝目覚めると、喉はカラカラ唇カサカサで、両脚は太腿から足首まで一面に粉をふいています。あちこち痒くて堪らない。なんだこの嘘みたいな乾燥度合いは?バスルームまで歩いてライトを点け、Tシャツを脱いで巨大な鏡に自分の姿を映します。運動不足でたるんだ全身に、激しく掻きむしった跡。ところどころに血も滲んでいます。思わず吹き出し、「これはひどい!」と独り言。その瞬間、海底にトンと足がついたような感覚を味わいました。
「あ、今どん底だ。」
思わず右手をピンと伸ばして人差指を突き出し、「今!」と叫びたくなるほど明確な最下点。この劇的瞬間の後、にわかに気分が明るくなって来ました。やったぞ、遂に上昇の時がやって来た。潜航期間は終わりを告げ、太陽の光に導かれながらゆっくりと水面に向かって浮上して行く時が来たんだ。あ~長かった!これからはしっかり運動して身体を鍛えよう、雑事の先送りも止めよう、将来の計画も立てよう…。
土曜の午後出張から戻るやいなや、寝室のトイレタンクの蓋を外し、フロート部分の型式を調べGoogleやYouTubeで解決方法を調査します。そして翌朝、妻が出かけている間にてきぱきと修理を完了させました。心身にエネルギーが漲って来るのを感じます。前より一層タフになった実感もこみ上げて来ました。辛い環境を乗り越えてパワーアップしたキランや息子から、たっぷり元気をもらえたお蔭ですね。
後日職場で同僚ジョナサンに、「Tough as
nails」の意味を確認してみました。
「釘ってさ、ハンマーでガンガンぶっ叩かれても耐えられるだろ。そこから来てる表現だと思うぞ。すごい褒め言葉だよ。」
なるほどね。叩かれる経験を経て人は強くなるもんな。そういえば、私が寝室のトイレタンクの修理を終えたことを得意げに報告したところ、妻が即座にこう返して来ました。
「有難う。ついでにもう一つのトイレも直してくれる?」
メインのトイレは、以前私がタンクレバーを付け替えた時、何故か上に半転させないと水が流れないようになっちゃってたのですね。来客が使用する際に混乱するため、いつか下向きになるよう修理しなきゃと思いつつ、すっかり忘れてました。もちろん!と明るく答える私でしたが、やっとどん底から抜け出したタイミングでそれ要求して来るかね…。
我が家のハンマーは、容赦ないです。
Salute the Hammer! LOL
返信削除しっかりとアップ、ダウンのサイクルを管理していらっしゃるのがすばらしい。義弟はそれができず薬に頼りすぎ、奇病まで併発して50前に若死にしました。もう少し踏ん張っていたら、今頃4人の孫たちと楽しい時を過ごせたのに。戦後カリフォルニアの豊かさの中で育ちながら、tough as nailsではなかった人生でした。
悲しくて残念なお話ですね。たとえ傍から見てタフな人でも、ほんの些細なきっかけでローになることはあります。こればかりはどうにもならない。私の対処法が誰にでも適用出来るかどうかは分かりませんが、もしもそれで悲劇を避けられる可能性が少しでもあるのであれば、是非試してもらいたいと思います。「もがくな。底に足が着くまで大人しく沈み続けろ。浮上の時は必ずやって来る。」
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