2019年11月3日日曜日

Soup to nuts スープからナッツまで


火曜の朝、本社のR氏によるウェブ会議に出席しました。新COO(最高執行責任者)のロジャーから先週一斉メールで伝達された新方針を、あらためて詳しく説明するというのです。

「現在使用中のプロジェクトマネジメント・ツールEを廃棄し、ツールAの再利用を開始する。」

この臨時ニュースに、社内は騒然となりました。巨費を注ぎ込んで作り上げた全社統一経営ツールEを、すっぱり切り捨てるというのです。しかも十年前に使っていた古いツールAを引っ張り出して再生利用する、と。そもそもEは、Aの欠点を補うためにデザインされたシステム。これだけ技術革新が加速している現代に、十年前のプログラムが果たして通用するのか?そういう懸念の声が噴出したのですね。

R氏はパワーポイントのページをめくりつつ、ツールEの特徴をあげつらいます。その論調は概ね批判的で、こんな一言まで飛び出した時には、息を呑みました。

“This is such a big, bulky, and bureaucratic tool.
「とにかくでかくて嵩張る官僚的なツールだ。」

ツールEの開発にベータテスト以前からかかわっていた私には、これはいささか度を超した批難に感じられました。ただ苦情が多いからと言って、確実に現状を改善出来るような斬新なアイディアを自分が持っていてその実行可能性を証明出来るのでない限り、現行システムを全否定するというのは無責任だし、第一ここまでシステム開発に尽力して来た人達に対して失礼だと思うのです。

かつてこのツールのNinja(エリート・スーパーユーザー)に任命された私は、数々のユーザー・トレーニングで講師を務め、オーストラリア出張まで経験しました。この期間に知り合った大勢の社員達は、みな真剣にこのプロジェクトに貢献していました。特に開発チームの中心メンバーだったジョディとクリスティーナは調整のために毎週世界中を飛び回り、寝食を忘れて働いていました。クリスティーナに至っては、家族と過ごす時間が圧倒的に削られたため離婚の危機に直面し、ツールの完成を目の前にしてやむなく辞職、という苦渋の決断をしたのです。それを思うと、R氏が吐き捨てるように放った一言は、あまりに辛辣過ぎる気がしました。

しかし、ツールEがこの三年間ユーザー達から苦情を浴び続けていたのは動かし難い事実。まず最大の要因は、扱う範囲が大き過ぎてどこにどんな情報を入力すべきなのか直感的に判断出来ない点。五千ピースの巨大ジグソーパズル・セットを完成図抜きで渡されるような感覚ですね。また、国によってまちまちなビジネス慣習を全て満足させる必要があったため、完成品が「帯に短したすきに長し」的な仕上がりにおさまってしまったこと。ヨーロッパでは喜ばれる機能が、北米では「何でこんなやり方しなきゃいけないんだよ!」と総スカンを食う、なんてことが多々発生してしまったのですね。世界標準のプロセスを作るというのは、それほど困難な野望だったのです。十年前にアメリカだけで使っていたシンプルなシステムの方が断然良かった、と文句を言う人が大勢出て来るのも、やむを得ない話なのですね。

翌水曜のチーム・ミーティングで、私はメンバー達にこんな話をしました。

2015年の7月、僕はロサンゼルス本社の会議室にいた。全米各地はもちろん、アジアやヨーロッパ、それにオーストラリアからも社員が参加してた。ツールEの開発スタートから約一年が経過していて、間もなくベータテストを開始する、そんなタイミングだった。そこで、ユーザーの視点から意見を聴取するために僕らが集められたんだな。初日のランチ直前、ジャケットにノーネクタイの紳士が後ろのドアから入って来て、会議が突然中断させられた。」

それは、当時のCOOボブでした。彼はニッコリ笑って参加者たちにお礼を言った後、表情を固くしました。このプロジェクトの行方が社運を決める。成功のためにはここにいる全員の協力が不可欠だ、などと述べます。このツールが完成すれば、これまで社内でバラバラだったプロジェクトマネジメントのプロセスは統合され、劇的に経営を円滑化出来るんだ、と。ボブがこの時使った表現が、これ。

“This is soup to nuts.”
「これはスープからナッツまでだ。」

はぁ?初耳のイディオムで思考がストップした私は、慌ててノートに書き取ります。そしてボブが去った後、周囲のアメリカ人達に質問してみました。

「全て一式っていう意味だね。ディナーのコースに喩えてるんだよ。ローマ時代のヨーロッパの食事が、スープでスタートしてナッツで終わるのが定型だったところから来てる表現だと思うよ。」

なるほど。つまりボブが言いたかったのは、こういうことですね。

“This is soup to nuts.”
「これはプロセス全体をカバーするシステムなんだ。」

この場面で、話を聞いていたチーム・メンバー全員がキョトンとしているのに気付きました。

「あれ?このイディオム知らない?」

と私。若い女性社員たちが、一斉に首を横に振ります。「聞いたことないわ。」「どういう意味?」あらら、アメリカ人相手に英語慣用句の解説をする羽目になっちゃったぞ…。仕方なくスープとナッツに込められた意味を聞かせたところ、

「全然ピンと来ないんだけど。」

とシャノン。

「デザートにナッツ?最低~。」

と、口をへの字にするテイラー。

金曜の午後、同世代の同僚ジョナサンを訪ねてこの話をしたところ、

「おっさん世代の使う古臭いイディオムだよ。スープとかナッツでディナーを表現すること自体が貧乏くさいよな。」

そして、俺だったらこう言うよ、とジョナサン。

“Cocktail to ice cream.”
「カクテルからアイスクリームまで。」

おお、なんか急に現代風になったじゃないか。こういうフレーズって、国や時代が違えば途端にピンと来なくなっちゃうんだな、と再認識する私でした。ツールEが世界中のユーザーを満足させようとするあまり、どの国のユーザーからも文句を言われるようになってしまったように…。

ちなみに、日本人に通じそうなところで私が考えたのが、これ。

「お通しからお茶漬けまで。」

どうでしょう?

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