2018年11月25日日曜日

本音で生きる男


木曜日はサンクスギビング(感謝祭)の祝日でした。大ボス・テリーのホーム・パーティーに招かれ、近くに住む日本人の友人母娘と五人で参加。アメリカの感謝祭というのは日本の元旦に近い位置づけで、家族大集合してターキー料理を楽しむのが一般的です。事前に同僚達に予定を聞いたところ、「夫婦それぞれの両親の家へ隔年で行く」とか「兄弟持ち回りでホストを務める」というパターンが多く、心理的・肉体的・金銭的負担のためか、必ずしも心待ちにしているわけではない様子。たとえ親子や兄弟でも離れて暮らすうちに段々とカルチャーが変わって来るもので、折角集まっても大して話が弾まず、時にはくすぶっていた紛争に再び火がついて大荒れになることすらあるのだと。「楽しみだけどちょっぴり気が重い時もある行事」、というのが共通イメージのようです。

私が家族や親戚と遠く離れて暮らすことを知ったテリーは、哀れに思ってか誘ってくれるようになったのですが、去年参加した時には二十人以上の出席者ほぼ全員が彼女の血縁者で、さすがに居心地の悪さを感じました。しかしさすがはテリー、細かい気配りで、同じ年頃の子供がいるという夫婦の席に我々を案内し、会話を楽しませてくれたのでした。

今年は更に参加者が増え、総勢32名。午後三時半頃食事の準備が完了し、テリーの号令で五歳の子供から老人まで全員パティオに集合します。そして隣の人と手を取り合い、大きな輪を作りました。

「皆集まってくれて本当に有難う。これから順番に、自分の名前、それから他の出席者との関係を言ってくれる?全員の自己紹介が済んだら、お祈りをして食事開始ね。じゃ、お父さんから。」

一人、また一人とゲストのスピーチが続きます。

「○○です。テリーのいとこです。」

さて僕は何を言えばいいかな、と考え始めた時、ふと右の視界に気になる動きが映りました。おそらく三十代半ばでしょう、アメフトでもやってるんじゃないかと思わせる太い首にスポーツ刈りのイケメン白人男性が、天を仰ぎながら微かに首を振り、溜息をついたのです。そしてクスリともせず、手を繋いだ隣の女性に囁きます。

「あ~あ、始まっちゃったよ。こういうの、長くなるんだよな。料理が冷めちまうじゃねえか。」

和気あいあいのパーティーで、みんながちょっとずつ心に抱いているかもしれない冷めた本音を露わにしたこの男。俄然興味をそそられた私は、それから彼の発言に耳をそばだてるようになりました。

「もういいだろ。さっさと次行こうぜ。」

誰かの話が長引きそうな空気を察知する度に、本人にギリギリ届かない程度の微妙なボリュームで呟く男。彼の順番が来ると、

「クリスです。今日はターキーを捌くために呼ばれました。」

ぶっきら棒にそう唱えて黙り、隣の女性に目配せで発言を促します。

「ジュリーです。クリスのガールフレンドです。お招き有難うございます。」

それから三人ほど経て、私の番が来ました。

「シンスケです。テリーの部下で、彼女から30フィート離れた席で働いてます。」

クリスの気に障らぬよう、手短に切り上げてさっさと隣にバトンを渡します。

「トレースです。僕もテリーの下で働いてます。」

と軽くおどけるテリーのご主人。どっとウケる集団。

全員の自己紹介が終了し、最長老と見られる白髪の白人男性が落ち着いた声でお祈りを始めます。遠すぎて何を言っているのかほとんど聞き取れませんでしたが、神様に対する日々の感謝を連ねていることは分かりました。この感じ、去年初めて参加した時はちょっぴり抵抗ありました。僕らクリスチャンじゃないけどいいのかな。知らない人と手を繋いで輪になるってのもちょっとな、と。でも今年は二回目なので、落ち着いていました。皆にならって目をつむり、少し俯く私。右側では妻が何の躊躇も見せず、しっかりとうなだれている。ふと気になって右目の端でさっきの男性クリスをちらりと見ると、相変わらず憮然とした表情のまま、目もつむらず顎を上げています。そして食事開始の合図を聞くと、「やれやれ」と小声で溜息をつき動き始めました。

ゲストの長い列に並んでフォークを手に取り、キッチンカウンターに置かれた十種類以上の大皿料理(ターキー三種類、サラダ、キャロットゼリー等)を少しずつ載せて庭へ出ます。そしてパティオに据えられた大テーブルを囲んで腰かけると、そこにいた人々との会話が始まりました。私の正面に座ったテリーの娘テイラー、そしてその横にいた彼氏に、今の仕事の内容やバックグラウンドを聞き出します。テイラーは先月まで博物館で働いていたのですが、非営利組織のマネジメントに興味を持ち、修士課程に通い始めました。お母さんのテリー同様、相手の目をしっかり見つめ、情熱込めて語る彼女。一方彼氏は物静かで、テイラーの話に相槌を打ったりデザートを運んで来たりして、彼女を喜ばせます。

テイラーがオハイオの大学に行っていた頃の寒い冬の話を出したところ、左の方からジュリーの声が飛び込んで来て、生まれ故郷ウィスコンシンの尋常じゃない寒さのエピソードで対抗します。私の妻もミシガンでの大学院生時代の話を持ち出しますが、それを凌ぐ極寒ストーリ―をぶつけてくるジュリーの勢いに押され、そのうち黙ってしまいました。

陽が落ちて冷えて来たから、とテイラーが彼氏を従え屋内に入ってしまったため、気が付くと大テーブルは、お喋りトーナメントを勝ち抜いたジュリーの独壇場になっていました。その間彼女の隣で、無表情のままうつむきスマホをチェックしたり靴をいじったりしているクリス。この人、本当にターキーを切り捌くためだけに呼ばれたのかな、と勘繰ってしまうほどテンションが低いのですね。しかし本当はそうじゃないことを、私は知っていました。実はこのちょっと前にキッチンを通りがかったところ、ピカピカに光る長いナイフ数本を茶色い革で巻き取るように収納している現場に出くわしたので、すごいの持ってるんだね、と感心したところ、

「今日のために買ったんだ。使うのは初めてだよ。」

と微かに顔を赤らめたクリス。あ、この人単にシャイなのね、と悟った次第。それにしても、ニコニコ顔が通行手形のホーム・パーティーで露骨な仏頂面を貫き通す彼。こんな生き方も潔くていいな、とちょっぴり羨ましく思っていた私でした。一度そういうキャラを作ってしまえば、どこに行っても本音で過ごせるかもしれないじゃないか、と。

セールスの仕事をしているというジュリーは、自分をはるかに上回るハイテンションのボスに仕えているといいます。電話会議で参加者に画面を見せながら司会進行している時でも、用事があれば構わずがんがんメールして来るのだと。そしてジュリーが返信しないと、一分もしないうちにテキストが入り、それでも反応無しとなれば携帯に何度も電話して来る。

「彼女に悪気は無いのは知ってるの。でもそんな調子でせっつかれると、こっちも鬱憤が溜まるじゃない。」

そんなストレス発散のため、毎日欠かさずジムに通っているというジュリー。スマホのアプリで記録している自分の脈拍などのデータを我々に見せてくれました。

「え?158って高くない?」

「もともと私、すっごく心拍数が高いのよ。子供の頃から水泳やってるし。」

透き通るような青い目を見開き、あけすけに私生活を語り続けるジュリー。そのうちウィスコンシン出身者に特有のなまりの話、それから土地によって違う固有名詞の使い方や独特のスラングやイディオムに話題が移った時、妻が、

「シンスケはそういう話、大好きなのよ。」

とこちらを振り返ります。ジュリーはここでぐっと身を乗り出し、「いいのあるわよ!」と目を輝かせました。

「クリスって、時々私も知らないようなイディオムを使うの。」

ぴくっと反応して隣のクリスが顔を上げます。「たとえばね」、とジュリー。

“Six of one, half a dozen of the other.”
「六個と半ダース」

え?何それ?今何て言った?と聞き返す我々。ここでクリスがおもむろに説明を始めます。

「どっちのやり方で数えたって結果は同じだろ。二つの選択があって悩んでる人に、どっちに転んでも大して結果は変わらないよって言いたい時に使うんだ。」

我々と目も合わせず、いかにも詰まらなそうに吐き捨てるクリス。

「ほらあと、あれあったじゃん。犬のやつ。」

とジュリー。

“Sometimes you’re the dog, sometimes you’re the tree.”
「犬の時もあれば木の時もある。」

ん?そりゃまた聞きなれないフレーズだな。どういうこと?と我々。

「犬は木におしっこかけるでしょ。かける立場とかけられる立場、両方を味わうことがあるって意味よ。つまり、人生良い時もあれば悪い時もあるってね。」

ジュリーが解説します。ほお~っ、なるほどね。

「木じゃなくてHydrant(消火栓)と言う場合もあるけどな。」

と肩をすくめて自分の靴を見つめながら補足するクリス。ジュリーによれば、彼はこの種の「斜に構えた」イディオムの宝庫らしいのです。表面を繕ってスムーズな人間関係を築くための努力などとは無縁の生き方を貫く男。日常生活で飛び出す慣用句群も、自然と真理を突いたものになっていくのでしょう。

午後六時近くなり、帰り支度を始めるゲストがちらほら出て来ました。電車で彼女とオレンジ郡へ帰るというクリスは、腕時計に目をやった後すっくと立ち上がると、周りの折り畳み椅子をてきぱきと片付けたりゴミを拾ったりし始めました。暫く快調に喋り続けていたジュリーもそれにようやく気付いて立ち上がり、我々とお別れのハグを交わします。そんな風にして、今年の感謝祭は終わったのでした。

翌朝妻から、やぶからぼうに「またやったわね」と、厳しい顔でたしなめられた私。え?僕、何かやらかした?と記憶を巻き戻しますが、何も蘇りません。

「ジュリーとさよならした時、身体のこと言ったじゃない。」

あ、そうだ。我々とハグをしようと彼女が立ち上がった時、185センチくらいあることに気付いて、「うわ、こんなデカかったんだ。」と思わず口に出してしまったのです。しかも英語で。他人の身体的特徴についての発言を極度に嫌い、この手の失言が飛び出す度にきっちり叱ってくれる妻。おかげで段々と社会性が身について来ており、感謝に堪えない私ではありますが、どこかちょっぴり窮屈に思っているのですね。

本音で生きられたら楽だろうな、と…。

2018年11月18日日曜日

Crapshoot クラップシュート


今月の初め、17歳の誕生日を迎えた息子。先月末には高校の水球チームがシーズン最後の試合を終え、いよいよ大学受験に軸足を移すことになったのですが、第一志望校を訪問した際、ここの水球チームがかなりの強豪であることを知りました。練習を見学に行きコーチに自己紹介したところ、「うちで試合に出たいならオフシーズンもしっかり練習してスキルを上げておけ」と言われ、俄然燃える彼。しかし、だからと言って今後ずっとアスリート人生を歩もうかと目論むほどの素質も野望もありません。これまで鍛えて来た肉体をキープして、出来ればそこそこ上達もしたい、というくらいの覚悟。そこでこの冬から春にかけ、どのクラブチームに所属すべきかという選択を迫られることになりました。

候補に挙がっているのは二つのクラブ。クラブXは我が家から十分ほど車を走らせたところにあり、ビジネス街やショッピングモールに近い都会のプールで週三回夜間練習があります。全米でも名の知れた名門クラブで、Aチームは何度も全国優勝しています。息子の言うにはこのクラブじゃCチームに入れるかどうかも怪しいし、コーチ達もそういう選手に対しては、「雑魚に構っていられるか」とばかりの差別的態度なのだと。対してクラブYにはきめ細かい指導で知られる名コーチがいて、選手数は少なく層も薄いので、レギュラーとして試合に出してもらえる機会は多いだろうとのこと。ここでも週三回の夜間練習があるのですが、問題はプールの場所が家から遠く、街灯もまばらで極端に道が狭く、治安の悪そうなエリアにあること。数か月前に免許を取得したばかりの息子にひとりで往復させるには、ちとリスクが高いのですね。ここへ通うとすれば、男親の私が送迎を受け持つしかない。

今週は、一応どちらの練習にも参加して様子を見て来たらいいよ、と息子を乗せて送り迎えしました。ナイター設備に照らされた屋外プールで身体から湯気を立てつつ水しぶきを上げる少年たちを眺める私は、ダウンジャケット姿。すごいな君達。こんなことしてたらきっと風邪もひかなくなるだろう…。最近運動不足が続いていて、体調を崩す一歩手前で何とか踏ん張っている状態の私は、羨望と反省とを味わっていたのでした。

週末になってようやく、「やっぱりYに行くことにした」と結論を出した息子。これが吉と出るかどうかは謎です。二つの選択肢を同時に試すわけには行かないので、ある時点で決め打ちし、後は注意を怠らずに歩を進めるしかない。どこにリスクが潜んでいるかは、どんなに調べたところで全て事前に分かるわけではないのだから…。

少し遡って木曜の朝、部下のカンチーが困り顔で報告して来ました。彼女がセットアップをサポートしているプロジェクトについて、財務部門が「コンティンジェンシー(かもしれない予算)を削除しろ」と言って来たというのです。はあ?と私。

「リスク・レジスターをちゃんと見せたの?」

「はい、それでもゼロにしろって言い張るんです。」

「じゃあ何?このプロジェクトにはリスクが無いって財務の人間が決めつけてるわけ?」

「そういうことになりますね。ゼロにしなかったら利益率が低すぎて、プロジェクトのセットアップを承認出来ないって。今すぐプロジェクトをスタートさせたいPMは、彼等の指示に従おうって言うんですよ。」

「ええ~っ?みんなホント、頭どうかしてんじゃないの?」

時々こういう、呆れるほどアホな意思決定に立ち会うのですが、私たちプロジェクト・コントロール・チームは、クライアントであるPMの意思に従うしかない。

「何月何日に誰の指示でコンティンジェンシーを削除させられたか、システム上にしっかり記録しておきなよ。後から君が責められる、というリスクは排除しとかないとね。」

「あ、そうか、本当にそうですね。有難うございます。」

職業上、常に最悪のケースを頭に描いて行動するよう努めている私。収益率が悪過ぎるからリスクに目をつむれ、というのは無責任にも程がある。財務部門の人間は毎日金の事しか考えてないからそうなるんだよ、と腹立たしい思いで半日を過ごしたのでした。

さて話は変わって、今週は2019年のBenefit(福利厚生)プログラム申請の締め切りでした。一般医療保険、眼科保険、歯科保健、生命保険などに会社を通して加入するのですが、その支払いレートは毎年めまいがするほどの勢いで上がっています。今回も社員の持ち出し分が急激に増える格好になっていて、多少給料が上がったとしてもカバー出来ない程。木曜日の晩、妻と二人で細かく検討した結果、Deductible(ディダクタブル、自己負担額)の上限が非常に高いオプションを選択することにしました。病気やケガをしても、トータルの医療費がその額に到達するまで保険は一切カバーしない。そのかわり、毎月の保険料は比較的安い(それでも日本円にして何万円も払うのですが)というもの。もしもDeductibleをゼロにすれば、たとえ健康でいても保険会社に毎月二十万円以上も持って行かれることになる。それは何としても避けたい話です。

「よし決めた。僕ら一家は来年、怪我も病気もゼロで行くぞ!」

と高らかに宣言して申請作業を終えた私でした。

翌朝出勤して間もなく、ロングビーチ支社の同僚マークからテキストが入りました。

「保険の申し込み、どれにした?」

彼にもうちのと歳の近い一人息子がいて、家族構成が似ているのです。きっと私の選択を聞いて安心したかったのでしょう。

「ハイ・ディダクタブルのオプションにしたよ。他のは高くてとてもじゃないけど保険料を払えないからね。」

「俺もだよ。」

「来年は怪我も病気もしないぞって家族で決めるしかなかったんだ。」

「全く、オプションがひどすぎて選べないよな。」

そして彼が次に、こんなことを書いて来たのでした。

“It seems like a crapshoot.”
「まるでクラップシュートだよ。」

ん?クラップシュート?何だそりゃ。クラップというのは「くそ」だから、「くそみたいなシュート」かな?球技で使われる単語なら分かるけど、この文脈だと通じないぞ。急いでネットで調べたところ、crapsには「二個のサイコロの出目を競う」ゲームという意味もあり、crapshootは「サイコロ博打をすること」だと知りました。つまりマークの言いたかったのは、こうですね。

“It seems like a crapshoot.”
「まるで博打だよ。」

土曜の朝8時半、息子の部屋へ行ってみると、水球の練習で疲労をためたためか、完全な熟睡状態の彼。日本語補習校への登校時刻が迫っていたので、「おい、目を覚ませ!」と叩き起こします。うつろな目でこちらを見つつ、全く動く気配を見せない息子。掛け布団を捲ると、まるで競走馬のように逞しい上半身。こら、起きろ!とその腕をつかんで引っ張り上げようした瞬間、私の上体はぐいっと引き寄せられ、あっけなく彼の身体の上に倒されたのでした。うわ、いつの間にそこまで力をつけたんだ?と驚くと、嬉しそうな顔になった息子がベッドから飛び起き、キッチンで弁当作りをしていた妻のところへ報告に行きました。

「ねえママ、聞いて。今ね、パパが僕を起こそうとして腕を引っ張ったらね!」

その時になって私は、ようやく異変に気付き始めました。左の脇腹から尻にかけ、激痛が走ったのです。しまった。こ、腰をやってしまった…。病気も怪我もしないと宣言して金をケチった途端にこのありさま。財務部門のアホさを笑えないなあ、と自戒することしきりでした。

それにしても、息子を起こそうとして腰を痛めるリスクは想定外だったなあ…。この日は一日、ほぼ寝て過ごしたのでした。

2018年11月11日日曜日

分断国家アメリカ

火曜は昼休み前に仕事を切り上げ、早々に帰宅。約束の十二時半、我が家の前の路肩にするするとやって来て無音で停車した乗用車から降り立つ、カーリーヘアの友人ヴァンさん。挨拶もそこそこに、ガレージ脇の電力メーター下の表記を丹念にチェックします。車に戻ってトランクから折り畳み式梯子を両手でひっ張り出すと、裏庭に運び入れてこれを伸ばし、軒に立てかけます。そして軽々と屋根に上がると、口に出して計算しながら巻き尺で寸法を測り始めました。

「よし大丈夫。こっちの屋根に6枚、あっちに7枚。合計13枚おさまるよ。」

ヴァンさんというのは友人を通した知り合いで、ソーラー発電会社に勤めています。今回は彼に緊急でソーラーパネルの設置を頼んだのです。今年一杯で期限切れと言われている特別税控除を適用したかったのがひとつ。それに、我が家の預金残高を一時減らすことが目的のひとつでした。息子の願書提出に際し、大学から出来るだけ多くのファイナンシャル・エイドを引き出したい。そのためには、手持ちの資産額が低ければ低い方がいい。どうせいつか使う予定のお金なら、エイド申請前に預金から減らしておいた方が学費支払い能力の審査に有利だろう、という決断でした。

「この見積書によれば、パネル13枚のオプションだと毎月の電気代がマイナスになるよね。これって、電力会社からお金が返って来るってことなの?」

ダイニングキッチンのテーブルで、彼に補足質問をする私。

「いや、それはクレジットって形になるんだ。あと、これはちょっとややこしくなるんだけど…。」

ヴァンさんの説明によれば、ソーラー発電に切り替えた途端、消費電力料の算出法が変わり、単価が跳ね上がるというのです。

「あと、割増料金が課されるピーク時は今まで一般のビジネス・アワーと重なる日中だったんだけど、これからは午後四時から九時の間になるんだ。」

「え?なんでピーク時間帯が変わるの?」

「普通に考えればそんな理屈は成り立たないんだけどね。ま、ありていに言えば、ソーラー業界に対する電力会社からの圧力だよ。」

陽が高い時間帯は太陽発電で多くの電力が賄える。一般世帯のソーラー普及が進むにつれてピーク時割増料金による収益が減るため、電力会社は「ピーク時」を日没以降までずらすという掟破りの暴挙に出たのだ、と。

「彼等だって経営悪化は看過できないからね。生き残りのために、なりふり構わずソーラー利用者から金をむしり取る算段を考えたってわけだ。」

う~む。なんか納得のいかない話だぞ。

「事実上の独占企業だからね、そりゃ強いよ。リーマン・ショックの時も世界中でレイオフの嵐が吹き荒れる中、彼等が首切りしたなんて話はひとつも聞かなかったしね。」

ここでふと、我に返る私。

「僕の担当するプロジェクトのひとつに、クライアントが電力会社ってのがあるんだ。彼等からの支払いが遅れたことはほとんど無い。まず間違いなく30日以内に払ってくれてる。これって稀な事なんだよ。経営状況がよっぽどいいんだろうな、と思ってたんだ。」

8年前にこのプロジェクトのPMを担当することになったお蔭で、私のキャリアは予想外の発展を遂げたのです。もしもクライアントが経営難に陥れば、プロジェクトの存続も危うくなる。そうなれば当然、私の食い扶持にも影響が及ぶ。ソーラー利用者に適用されるという理不尽な課金システムに激しく抵抗する気になれないのは、詰まるところ、クライアントを追い詰めることで自分の職を失うというダメージに較べたら、些細な話だからなのです。

さて、この日はちょうどアメリカ中間選挙の投票日。翌朝の開票速報で、上院は共和党が、下院は民主党が過半数を勝ち取ったことを知りました。ネットニュースのインフォグラフィックスを見ると、東西海岸線をはじめとした大都市圏は民主党の青が、そして内陸のほとんどを共和党の赤が埋め尽くす、「分断国家」の図になっています。これを「大勝利」と評して胸を張るトランプ大統領。彼が最初に任命した環境保護省長官スコット・プルーイット(温室効果ガスの排出制限を撤廃し、製造業と石炭産業の雇用回復を後押しした)が辞任した後を今年引き継いだのは、アンドリュー・ウィーラー。炭鉱業界を支援する彼は、地球温暖化説を疑問視していると伝えられています。トランプ大統領自身も炭鉱業や鉄鋼業の復活でもう一度「強いアメリカを取り戻す」と息巻いているのです。

この「分断地図」を眺めながら、政治家が票を得るためには天下国家を論じること以前に、選挙民の「仕事を失う恐怖」にどれだけアピール出来るかが決め手なんだなあ、とつくづく思ったのでした。たとえ環境や健康にマイナスのインパクトを与える仕事だと分かっていても、それが唯一の収入源なら誰だって必死で守り抜こうするでしょう。「自分の職を守ってくれる人に投票する」のは自然な心理です。衰退の一途を辿る炭鉱業や鉄鋼業に携わる人々の目に、トランプはまさに救世主のように映っていることでしょう。

さて、先日のランチタイム、環境部門の重鎮ビルとベテラン社員のジョナサンに挟まれて弁当を広げていた時、太陽発電の話題になりました。なんで今ソーラー?という二人の質問に、

「いずれは検討しようと考えてたんだけど、息子の大学進学のためのファイナンシャルエイドを申請する今がベストタイミングだと判断したんだ。預金額を減らしておいた方が有利なんだよ。」

と説明したところ、二人同時に

“I can help you on that.”
「それなら力になれるよ。」

とノッて来ます。

「俺たちに貸しなよ。貸し倒れということで負債を申請出来るぞ。」

とケタケタ笑うビル。そもそも大した電力も消費してないだろうに、何故ソーラーつけるんだ?とジョナサン。

「エネルギーを自足出来るなんてスゴイことだし、いずれ電気料金が上がった時のことを思えば気が楽でしょ。それにさ、息子が大学行く際に僕が今乗ってるオンボロ車を譲る予定なんだよね。そのあとは通勤用に小さな電気自動車をリースして毎日自宅で充電して、ガス代を浮かせようって考えてるんだ。どのみち十年後には、街を走る車がほとんど電気自動車に取って代わられてるだろうからね。」

そう私が言い終わらぬうちに、ビルとジョナサンが同時に「それは違うぞ」ときっぱり否定し、口々にこう言うのでした。

「十年後、街に溢れてるのは石炭燃料で走る蒸気自動車だぜ!」

2018年11月4日日曜日

Fox watching the hen house キツネが鶏小屋の警備をする


ある朝、同僚マーゴが私の席までやって来ました。そして両手を軽く腰に当てて子首を傾げると、

「ね、ちょっと今いい?」

と尋ねました。

「キースのプロジェクトだけど、今月収益を追加計上出来るかどうか質問してるのに全然返事が来ないのよ。何か聞いてる?」

マーゴというのは、各オフィスに数人ずついるプロジェクト・アカウンタント(会計士)の一人です。私のサポートする下水道施設設計プロジェクトを担当しているのですが、PMのキースが多忙過ぎて一向に連絡がつかない、と言うのです。

「いや、実はこっちも同じなんだよ。EAC(最終予測)コストの相談がしたいからと毎月メールしてるんだけど、返事が来ないんだ。痺れを切らして変更無しバージョンを提出すると、十分後にはオンラインで承認してるんだよね。ということは、メールを読んではいるんだよ。ただ返事する相手や事案を選んでるんだろうね。」

「そっか、じゃあ私だけじゃないんだ。」

自分だけ無視されているのではないことが分かってホッとした様子でしたが、それでも彼女は納得がいかないようで、ひとしきり私に苦労話をぶちまけます。彼女たちプロジェクト・アカウンタントは月末になると、一ドルでも多く収益を計上するようにとファイナンス(財務部門)の親玉からプレッシャーを受ける。プロジェクトのEAC(最終予測)コストを精査し、それを少しでも下げられれば収益増に繋がる。だから自分の担当するPM達とのコミュニケーションが大事なのだが、当のPMがつかまらないと完全にお手上げなのだ、と。

マーゴの虹彩の色は独特で、しっかり向き合って会話してる最中ですらふと、実は僕の目ではなく遠くを見てるんじゃないかという錯覚に陥る程、透き通ったブルーグレーです。リップは常に潤いを保っていて、まるでピンクのジェリービーン。毎日ほぼ例外なくノースリーブのボディコン・ワンピースに身を包んでハイヒールで出勤。脇は勿論、腕にも脚にも体毛の存在が感じられず、「蝋人形」とか「アンドロイド」レベルの、スーパーすべすべ肌白人女性なのです。ボリュームのあるブルネットをデザイン・パーマでうねらせ、まるで映画のヒロインのようにつんと顎を上げ、時々首を後ろに軽く振って髪をファサっとなびかせながら話します。若い頃の「はじけた」エピソード、きっと山ほど持ってるんだろうな、と想像しながら頷き続ける私でした。

さて、水曜日の11時には、隔週で開いているチーム・ミーティングがありました。いくつかの話題の後、EAC更新についての議論になります。

「最近、プロジェクト・アカウンタントがEAC更新を買って出て、PMにそのまま提出させるケースがあるでしょ。あれは危険よね。」

とシャノン。

「私がサポートしてるPMのマークも、EAC更新はプロジェクト・アカウンタントのマリリンに任せてるから私の助けは要らないって言うの。」

とテイラー。

「彼女達は共通部門だからプロジェクトに時間をチャージしないだろ。プロジェクト・コントロールの僕らに頼むとそうは行かないから、コストを抑えるという視点に立てば当然の選択に思えるんだろうな。」

と私。

「問題は、プロジェクト・アカウンタント達がどうして手伝いたがるのか、という動機の部分なのよ。収益を余分に計上しようという意思が働いて、最終予測コストをギリギリまで下げて来るの。プロジェクトの技術的な難しさやクライアントとの関係性も全く理解しないまま、数字をいじる。その結果、プロジェクト終了間際になって大幅予算オーバーってことになるの。オレンジ支社のプロジェクト・アカウンタントがEAC更新をサポートしてたプロジェクトが三件、今そんな状況でてんやわんやよ。」

「僕たちに頼らず無料サービスを選んだPM達は、最後の最後に痛い目を見るってわけだ。プロジェクト・アカウンタントにEACを任せるなんて、僕らからすれば有り得ない決断だけどね。」

この時ふと、記憶が蘇ります。

「あのさ、今朝仕入れたイディオムなんだけど、Fox watching the hen houseって、この状況で使えるよね。」

この日の朝、私がサポートする環境系大型プロジェクトのPMアンジェラから届いたメールのフレーズです。

“Just felt like a bit of the fox watching the hen house for Mike to be approver.”
「マイクが承認者におさまってるのは、キツネに鶏小屋の警備を任せているような気がちょっとしたのよ。」

マイクは環境部門のお偉方で決裁権も持つのですが、同時にプロジェクト・チームの中心人物でもあります。システムに彼の名が承認者の一人として記載されているのを不審に思ったアンジェラの一言でした。自分の仕事を自分で承認するなんておかしいでしょ、とチェック・アンド・バランスの働かない歪んだ人員配置を指摘したわけです。日本語に置き換えると、こういうことでしょう。

“Fox watching the hen house”
「盗人に鍵を預ける」

これを聞いて「どんぴしゃのイディオムよ!」と笑う、我がチーム一同。プロジェクト・アカウンタント達は、毎月出来るだけ多く収益を上げろとのお達しを受けているので、コスト予測から極力余裕幅を削ろうとします。そんなこととは露知らず、無料でご奉仕するわよ、と笑顔で近づいて来る彼女達に、PM達はつい心を許してしまうのですね。

「気が付いたらひよこの数か足りないぞ、あれ?おかしいな、ってなことになるのよね。」

とシャノン。

PM達は、キツネに仕事を頼んでることを分かってないのよ。」

とティファニー。そこで満を持して、私がキメます。

“Watch out for the foxy ladies!”
「フォクシー・レイディー達にご用心!」

Foxy(フォクシー)という言葉には、「キツネのように狡猾な」の他、女性を形容する場合「セクシーな」という意味があるのですね。うちのチームの女性陣、全員弾けるように笑い出し、暫くおさまりませんでした。

おお~っ!初めて英語で「大爆笑」を取った気がする…。