2018年10月7日日曜日

Heckle ヘコる


木曜午後五時。「オーシャンサイド」と名付けられた、窓から港を見下ろせる劇場型のミーティングエリアに、二十人を超す社員が集まりました。壁際のカウンターには、ビール、ソフトドリンク、そしてナッツやプレッツェルなどのスナック類が紙皿に載せられ並んでいます。二連ビッグスクリーンTVの前でニコニコしているのは、GISグループのダン。恐らく四十代後半、170センチに満たない身長ですが、ラグビー選手のように太い首と分厚い胸板。艶のある黒髪を短く刈りこみ、浅黒いラテン顔にびっしりはびこった顎鬚。これまで彼と職場で言葉を交わしたのは全部足し合わせてもほんの数秒間で、「優しそうな男」以上の印象はありませんでした。ちょっと遅れて会場入りした私は、ダンの立ち位置に一番近いバーカウンター風テーブルの、最後の一席になっていたハイチェアを確保。隣では、文化人類学チームのクリスティがスナックをつまんでいます。

「始める前に、あらためて企画の説明をしようか。」

と聴衆の中から、コロナの瓶を手にした古参のジョナサンが声を上げます。

「若手メンバーは知らないだろうけど、これはこのビルに移って来る前のオフィスでやってた月例会なんだ。」

周りにこんなに沢山同僚がいるんだから、業務関連性の有無を問わず、持ち回りでそれぞれのトークを聞こうじゃないか。そんな意図で始まったこの企画。もともとは毎月第一木曜のアフター5、オフィスの一角に据えらた巨大なライトテーブル(内蔵照明で表面のガラスが明るくなる、製図のトレースなどに使われる机)に集まり、ちょっとばかりアルコールも入れながら気楽にプレゼンを聞く会としてスタート。それからどんな場所で開催されても、「ライトテーブル・プレゼンテーション」と呼ばれるようになりました。

「永らく休眠状態だったんだが、再開する運びになった。これから毎月続けて行こうと思うので、我こそはと思う人はそこにある表に名前を書いて欲しい。」

今回のプレゼンターのダンですが、実は既に4年前、話す準備は出来ていたのだそうです。それが突然の企画休止でお預けを食った形になり、ようやくプレゼン資料が日の目を見ることになったんだよ、と笑います。ここでジョナサンがまた、

「分かってると思うけど、ここでは完全に肩の力を抜いて話を聞くのが礼儀なんだ。」

と注意事項を挟みます。それからこんな言葉で締めました。

“Feel free to ヘコる.”
「気軽にヘコるべし。」

ん?ヘコる?今何て言った?隣のクリスティに小声で尋ねたところ、ジョナサンが使ったのはHeckleという単語で、誰かの話の腰を折る形で声を上げる行為、つまり「野次る」という意味だと教えてくれました。ジョナサンの言いたかったのは、これですね。

“Feel free to heckle.”
「野次大歓迎。」

さて、ダンのプレゼンが始まります。お題は「シャワーとオサラバの50日」。90年代に高校を卒業した彼は、海兵隊のブートキャンプを経験し、リザーブ(予備役)に登録します。「大学の学費を稼ぐのに一番手っ取り早い道だった。平和状態が長く続いてたから、実戦に駆り出されることはまず無いだろうと踏んでたんだ。」とダン。ところが軍からの奨学金で無事大学を卒業したその年に、9.11(同時多発テロ)が発生します。予備役メンバーが急遽召集され、一年間の猛特訓を終えた後、2003年2月にクウェート入り、3月に開戦。とんとん拍子にバグダッド出征が決まったのです。

クウェート・シティからバグダッドまでのルートは、チグリス・ユーフラテス川に挟まれたメソポタミア文明発祥の地。砂嵐の吹き荒れる広大な砂漠のど真ん中、完全武装しテントを張りつつ北西目指して営々と進みます。撮影許可は出て無かったんだけどね、と言いながら当時の写真を披露するダン。幸い一度も実際の戦闘は経験しなかったこと、郵便物が届くのに4週間かかるので故郷とのやり取りはほとんど出来なかったこと、移動用トラックの荷台で砂袋をクッション代りに長時間座り続けるのは何よりの苦痛だったこと、仮設トイレが何度も強風で吹き飛ばされたこと、最下級兵はShit Ninja(くそ忍者)と呼ばれ、汚物を焼却する役目を与えられていたこと、放射性、生物系、化学系兵器による攻撃をいち早く感知するため、Pigeon Kentという名の鳩を籠に入れて持ち運んでいたこと、等々「行った人しか知り得ないエピソード」が続きます。

「通信機器が故障した時には、伝書鳩としても使えるよな。」

などと時々軽めの茶々を入れるジョナサンですが、私はあまりにもどっぷりとストーリーに魅了されていたので、とても野次る余裕などありませんでした。

翌金曜のランチタイム、キッチンの電子レンジでひとり弁当を温めていたら、生物学チームのボニーが現れ、冷蔵庫からランチバッグを取り出して皿に盛りつけ始めました。痩せたなで肩の白人メガネ女性で、カールしたロングヘア―は100パーセント白髪。後ろから見たら、疑いも無く後期高齢者。リビングルームの揺り椅子で、一日中編み物をしていそうなイメージです。この人とはほとんど会話したことがなかった私でしたが、閑散とした金曜のキッチンに二人きり、何も言わないのが気まずかったので、思い切って話しかけてみました。

「そういえば、ニワトリ飼ってるんだよね。何羽ぐらいいるの?」

彼女は自宅に広大な裏庭があり、動物をたくさん飼育していることは他の同僚に聞いて知っていました。

「だいぶ減らしたんだけど、今は30羽くらいかな。ちょっと前に60羽まで増えちゃって。」

思わずのけぞる私。この時初めてまじまじと彼女の顔を覗き込み、その血色の良さに驚きました。髪が白いというだけで勝手に思い込んでいたけど、結構若いのかもしれないぞ…。それにしても、フルタイムの仕事をしつつ60羽も鶏を飼うなんて、随分ぶっ飛んだ人だなあ。

「実はそんなに手間がかからないのよ。餌も水も自動で少しずつ落ちて来るように調整出来るしね。」

と微笑むボニー。その後、ニワトリの集団内には厳格な秩序が築かれていること、互いに様々な声でコミュニケーションを取っていること、天敵の鷹が現れた時だけ使う鳴き声の合図があり、彼女はそれを聞いただけで鷹の襲来が分かるようになったこと、などを語ります。

「面白いじゃん!それさ、是非ライトテーブルで話してよ。」

と興奮する私に、え?ライトテーブルってまだやってたの?とボニー。

「昨日の夕方、4、5年ぶりに復活したんだよ。」

「え~?残念!全然知らなかったわ。」

この人メールチェックしないのかな。この一週間、念押しの連絡が何本も入ってたのに、といぶかりつつ、昨日はダンが喋ったんだ、こんな内容だったよ、と掻い摘んで説明する私。ニワトリの暗号を解読した話もきっとウケるよ、是非やってよ、とプッシュすると、

「そうね。あまり考えたこと無かったけど、言われてみれば確かに興味深い話かもね。でも実は、別のテーマでもそのうち話してくれってテリーから頼まれてるのよ。」

え?そうなの?だけどニワトリより食いつきの良いテーマなんてあるかな、と聞き返したところ、

「今週半ばまで、パキスタンに行ってたの。」

と嬉しそうに顔を崩すボニー。え?パキスタン?何しに?

K2に登って来たのよ。」

け、けーつー?あの、エベレストに次ぐ世界第二位の標高を誇る、「世界一登頂の難しい」高峰のこと?口をあんぐり開け、暫く声が出ない私。それからようやく気を取り直し、

「た、確かにインパクトの強い話題だね。じゃ、まずK2の話をしてから次にニワトリ、ということで…。」

と提案を修正したのでした。

その晩帰宅して、妻にこの件を話しました。

「普段あまり気にかけていなかった同僚達のひとりひとりが、それぞれぞれ途轍もなく面白い人生を生きているのかもなあって気づかされたよ。それに較べて僕は仕事に熱中するあまり、長時間労働で毎日エネルギーを疲い切っちゃって、他にな~んにもしてないなあってね。ライトテーブルで話せるようなネタなんて、本当に無いもん。これじゃあいけないなあ、何かに取り組まなくちゃなあって思うけど、特にやりたいことも無いし。」

わざとローになっていじける私に、

「折り紙とかやって見せればいいんじゃない?」

とまともに慰めてくれる妻。いや、ここは厳し目に「へコって」欲しかったんだけど…。ちょっとヘコんだじゃないか。


8 件のコメント:

  1. キミの場合、日本人としての文化を持っていて、なおかつアメリカでの生活にも習熟しているという特別性があるんんじゃないの? 厚切りジェイソンとかがやってるみたいに、双方の文化の違いで面白いなと思ったこととかをデフォルメして取り上げたらそれなりに面白いものになるんじゃないかなぁ・・・

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    1. アイディア出しありがとう。でも彼のテンションを真似するのは結構キツいかも。

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  2. テンション高めじゃないとダメなのか・・・例えば「日本人は桜が大好きです」みたいなテーマで、平日朝6時集合で3万歩あるいた話とか、晩飯食った渋谷はブレードランナーっぽい街になっているとか、日曜日の上野公園はとんでもない状況になっているとか、朝6時から場所取りしてる人がいるとか、、、そちらの常識では考えられないことになっていると。まあ、3万歩は普通じゃないかもしれないが(笑

    日本独特といえば、築地市場が今まさに移転作業中だね。あのターレが走り回る光景は他国にはなさそうだよねぇ。。。そして築地から豊洲へ2万台のターレが大移動した瞬間があったらしいゾ。
    https://togetter.com/li/1274328

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    1. 花見のネタは旬を逃したんだよね。年末年始に一時帰国して歳末大セール、除夜の鐘、年越しそば、初詣あたりを取材してみようかな、と思ってる。
      築地市場、今度行った時にはすっかり見る影もなくなってるんだろうな。それにしても、ターレ大移動は壮観だったろうねえ。見学する価値はあったな。

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  3. 帰国予定が決まったら教えてチョ。
    今回はどんな希望にお応えできるかねぇ・・・

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    1. 了解です。とりあえず市場移転後の築地に行ってみたいかな。

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  4. 築地に行くならココのランチパスタでペスカトーレを食すべし!
    https://perlu.jp/gourmet/9665

    1600円とちょいとお高いが、この世のものとは思えないウマさだゾ

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    1. 3カ月先まで予約一杯とか書いてあるぞ。すごい人気だね。まだ全然予定が決まってないけど、飛行機のチケットだけ取りました。

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