2018年10月28日日曜日

Let the dust settle 混乱がおさまるのを待つ


月曜の朝、ボスのテリーがやって来て私を小会議室に招き入れました。

「あなたには早く知らせておいた方がいいと思って。マイクがね、今週一杯ってことになったの。」

テリーの後任争いに参戦したマイクがセシリアに敗れたという話を、先週聞いたばかりでした。そんな彼が今週は、リストラ対象になっているというのです。今月から我々の所属する環境部門が地域支社を離れ北米全体で統合されることになったため、いくつか重複ポジションが発生した。それを補正するための人事決定で、今回サンディエゴ・オフィスで切られる四人にマイクが含まれているのだと。

「あれだけの優秀な人材でしょ。手放すのは惜しいってことで、他の部署が彼のためのポジションを探してくれたんだけど、どうしても空きが見つからなかったのよ。彼、このまま職場には顔を出さず静かに去るって言うの。金曜日に彼のデスク周辺の私物を箱に詰めて自宅に送ることになったから、カードとか書きたかったら木曜までに渡してくれる?」

翌日、チームの皆でマイク宛てのカードにこれまでの感謝の気持ちを寄せ書きし、テリーに託したのでした。

木曜の朝、環境部門の南カリフォルニア地区を統括することになったジェームスとミーティングがありました。ジェームスは、セシリアの上司になる人物。つまり私の新しい大ボスです。

「そっちはどうです?」

と尋ねると、

「組織再編成の余波で荒れてるよ。未決定事項がまだまだあって、ひとつひとつ片付けてる最中だ。その過程で気の重い決断をいくつもしなきゃいけないしね。」

私が二、三質問した時、

「いや、それもまだどうなるか分からない。」

と何度かいなした後、こう言いました。

“We should let the dust settle.”
「ホコリがおさまるのを待とう。」

これは良く聞く慣用句です。ドタバタと混乱している様を「ホコリがたつ」というイメージに置き換え、「ホコリがおさまる」という言葉で「混乱が終焉する」ことを表現しているのですね。

“We should let the dust settle.”
「混乱がおさまるのを待とう。」

ホコリが宙に舞っている間に部屋の片付けや掃除をしても、どうせまたやり直さなければならなくなる、だから今はちょっと静観しようということでしょう。

この後同僚クリスティと打合せした際、この話を持ち出しました。

「あのマイクを切るなんて本当にショックよね。確かに今は、ものすごくホコリっぽい状況だと思う。」

としんみりコメントした彼女。それから急に微笑んで、

「あちゅん!」

と可愛くクシャミの真似をしてみせたのでした。

さて、そのマイクとの戦いに勝利して見事テリーの後釜におさまったセシリアですが、ある時私の席にやって来て、十分だけ話せる?と囁きました。会議机のコーナーで斜めに向き合って二人腰かけると、無理して作ったような固い笑顔で彼女がこう切り出したのです。

「今、一生懸命勇気を振り絞ってるの。」

何か言いにくいことを話そうとしているのだな、と瞬時に分かるほど真剣な眼差し。ひとつ大きく息を吸ってから、彼女がようやく絞り出した言葉が、これ。

「テリーから言われたの。リーダーとしての私の資質に、シンスケが厳しい視点を持ってるって。」

これにはさすがにギクリとさせられました。ええ~っ?テリー、それをセシリア本人にバラしちゃったのか?いくらなんでもそれはルール違反だろ!

実はテリーの後任にマイクを推薦した際、彼女から「セシリアも立候補しているんだけどどう思う?」と尋ねられ、「人徳という点ではマイクに及ばない。優秀な者にありがちなことだが、セシリアは周囲に自分の考えを押し付けるところがある。彼女が話し出すと周りがビビッて意見を言えなくなる。大きな組織を動かす時、これはアキレス腱になり得る。」というようなコメントをしたのです。本人には内緒でね、と釘を刺したわけではないけど、当然ここは内内の話に留めようという暗黙の了解を前提とした発言だったのです。前々からあけすけな人だとは思ってたけど、まさかこんな批判的なコメントをセシリア本人に伝えちゃうとは予想もしていませんでした。テリーのこの手ひどい裏切りにちょっぴり傷つきながら、セシリアからの二の矢を待つ私。

「人の意見に耳を傾けないのが自分の欠点だということは、重々承知してるの。家族からも時々指摘されてるし。こないだ三日間のリーダーシップ・トレーニングに参加した時も、そこが弱みとして浮き上がってたのよ。私、それをどうしても克服したいの。だからシンスケ、あなたにAccountability Partner(アカウンタビリティ・パートナー)になって欲しいのよ。」

意識を集中して人の発言を聞いているか。強い口調で相手をねじ伏せようとしていないか。会議で同席した際などに、それを観察していて欲しい、問題に気付いたらその場で合図を送るか、後で正直に指摘して欲しい。それによって自分はネガティブな振る舞いを修正していけるのだ、と。

「テリーが、その役をあなたに頼むといいって勧めてくれたの。お願い出来ないかしら?」

なるほど…。テリーは「シンスケがあなたの陰口を叩いてたわよ」と告げ口したわけではなく、もっと前向きな改善策を考えていたのですね。ホコリがおさまるのをじっと待つのではなく、「おさめる工夫」をする…。セシリアの依頼を二つ返事で引き受けつつ、テリーの器の大きさにあらためて驚嘆していた私。そして正直に弱みをさらけ出しサポートを求めて来たセシリアの勇気にも、しみじみと感動を覚えていたのでした。


2018年10月21日日曜日

Boss’s Day ボスの日


月曜の朝、ボスのテリーに呼ばれて小会議室へ。

「私の後任だけどね、セシリアに決まったの。ジェームスやウィルと話し合った結果、今の組織に必要なのはマネジメント力よりオペレーション・サイドに強い人材、ということで一致してね。あなたからはマイクへの推薦があったし色々意見も聞かせてもらったでしょ。だから公式発表前に伝えておきたかったの。セシリアにはこれからあなたのサポートが必要になるでしょうから、よろしく頼むわね。」

私はこの時、あまりの衝撃にうまくリアクションが取れずにいました。自分の推していたマイクが選に漏れたためではなく、超多忙のテリーが私に選考結果を伝えるためわざわざ時間を割いてくれたこと、そして後任者へのサポートを頼んで来たこと。予想だにしなかった行動でした。上の出した結果は何であれ厳粛に受け止める用意は出来ていたし、テリーだって私がそこでひと悶着起こすような男だとは思っていなかったでしょう(大体、私にそんな力は無い)。なのに敢えてこういうステップを踏んで来るとは…。つくづくきめ細かい気遣いをする人だなあ、と感動を覚える私。同じ状況に置かれた場合、果たして自分にテリーのような行動が取れるだろうか?人間としての「格の違い」を感じさせられた朝でした。

翌日の火曜は有休をとり、16歳の息子を助手席に乗せてクレアモント市までドライブ。第一志望の大学へ願書を提出する前にきちんと見ておこうということで、説明会プラス学生寮一泊ツアーに申し込んだのです。午前中は滑り止め校を見学し、ランチの後、その日オレンジ郡まで半日出張していた妻と合流。三人で第一志望校のキャンパス・ガイドツアーを楽しみました。息子を泊めてくれるという在学生とのアポが4時だったので、そのちょっと前に妻と私は彼を残して大学を出発。ホテルにチェックインしてから向かった先は、モンロビアという街のThe Diplomatというパブ。ここで五時半に、かつての大ボス・エリックと待ち合わせしていたのです。

五年前に我が社を去ってからずっと音信が途絶えていたのですが、最近になって彼が転職先での人材募集に絡めて連絡して来たこともあり、コミュニケーションが再開。彼の母校がうちの息子の第一志望校であること、そして現勤務先が大学から車で一時間弱の距離だということもあり、じゃあこの機会に中間地点で会おうじゃないか、という話になったのです。私より十歳以上若いエリックは、三十代で既に何百人もの社員を束ねる大物でした。頭脳明晰なだけでなく、頗る人望が厚く、引退間近のベテラン社員たちですら「彼はグレートな人物だ」と口を揃えて称賛したものです。

パブの入り口に立ち、「ヘイ、マイフレンド!」と固い握手とハグで我々夫婦を迎えたエリック。口の周りに蓄えたひげに白い物が混じっているのにハッとして、しみじみ歳月を感じる私。壁際の四人席に落ち着くと、絶品の地中海料理を頂きながら会話がスタート。まずは、転職先での様子を聞きます。

今の会社は上場企業ではなく、「巨大タンカーの舵取り」を任されていた五年前と較べて自由が利く。経営にとって一番大事なのは最高の人材を採用することで、そのためには何人もの社員が関わって面接にたっぷり時間をかける必要がある。組織をフラットにし、余計な中間管理を減らしたら経営が大きく改善した。個人の稼働率を全社に公開したことで数字の低い者が奮起し、業務量のバランス調整を図ろうという自然な動きにも繋がった。業績に応じて年二回ボーナスを支給しているので士気も保てている。今の会社はこの五年で250人から450人に拡大したが、大企業のノウハウを使わずとも優良企業を優良なまま成長させることは可能なのだと証明出来た…。舞台は変わっても、相変わらずスターの風格を保ってるなあ、と感心して聞き惚れる私。

「大学で学んだことが、今の自分に役立ってるって思う?」

と質問してみました。彼の出身校は小規模精鋭のリベラルアーツ・カレッジで、学生十人前後に対し教授一人、という密度の濃い師弟関係を築けるのが特徴です。

「そうだね。とことん考え抜くこと、論理的に文章を書くこと、そして相手に伝わるよう明瞭に喋ることを徹底的に訓練させられたよ。あの四年間で、どんな分野に進んでも役に立つ強力な足腰が出来上がったと思う。」

在学中に出来た仲間達との関係は宝物で、卒業して二十年以上経った今でも毎日のように連絡を取ってる、と言います。スマホを取り上げ、

「ほら、五分前にもテキスト来てる。」

と嬉しそうなエリック。学費は親と折半し数年かけて借金を返したけど、一生モノの友達が大勢出来たことを思えば文句なしの投資だった。息子さんが受かってそういう仲間ができるといいね、と言います。それからひとしきり、大学時代のユニークな活動やカルチャーについて聞かせてもらいました。

エリックに別れを告げ、車でホテルに向かう途上、「どう?言ってた通りすごい男でしょ、エリックって。」と妻に言うと、

「さっき本人を目の前にして彼のことを褒め始めたでしょ。あのタイミング、どうかと思ったんだけど。」

と問題提起します。え?なんのこと?と私。

「わざわざ時間を取ってもらって大学の話を聞かせてもらったんだから食事代はうちが持つって言った時、僕の縄張りに来てもらってるんだから僕が払う、それがルールだって彼が制したじゃない。」

サンディエゴに出向いた時は喜んでご馳走になるよ、と笑うエリック。精算の際に起きがちな「うちが払う、いやうちが」の綱引きを、一瞬でスマートに解決してみせた彼でした。そんな時私が唐突に、彼の優秀さや人柄について語り始めたというのです。

「え?そんな流れだったっけ?」

「別にそういうつもりじゃないのは分かってたけど、食事代を彼が払うことが決まった途端に褒め始めたでしょ。タイミングが微妙だったわよね。」

ううむ、そうだったか。随分間が悪かったな。なんか、大勢の上に立つ者とそうでない者との差を見せつけられた格好になりました。まだまだだな、自分…。

有休明けに出勤してみると、デスクに大きな白い封筒が置いてありました。私の名前が大きく書いてある。さっそく開封したところ、中からコーヒーショップのギフトカードが滑り落ちました。そして、色とりどりのドーナツが積み上げられた写真の横にYou DONUT know how much we appreciate you! (私達がどんなに感謝してるかあなたは知らない)というフレーズが添えられたカードを開いてみると、部下たちが寄せ書きのように私への感謝の気持ちを書き連ねています。

「え?これ何?どういうこと?」

三週間前、私の誕生祝にとカードをくれた四人の女性たち。ほぼ間を置かずに二通目?何かの間違いか?と訝る私に、カンチーが、

「火曜日はボスの日だったんですよ。」

と笑います。そう、これは60年ほど前に始まった記念日らしく、今のところアメリカ国内だけみたい。シャノン、ティファニー、カンチー、そしてテイラーが、「あなたのチームに所属出来てラッキーだ」とか「今までで最高の上司よ!」「いつも私達をしっかり支えてくれて有難う」とか書いてくれてます。

おいおい女子たち、おべんちゃらでも嬉しいぞ!


2018年10月14日日曜日

Wean Off 乳離れ


「あ~っ、ほんっと悔しい!」

火曜の晩、帰宅途上の車中でも家のリビングでも、ため息混じりに16歳の息子が何度も長い腕を頭上で振り回しました。強豪校の水球チームに、いいところまで行きながら敗れたのです。息子の通う高校がディヴィジョン3の中堅なのに対し、相手校はディヴィジョン1の上位。有名クラブチームのコーチを擁する伝統校です。Jリーグで言えば、J1の浦和レッズにJ3のSC相模原が接戦を演じた、くらいのニュース。辛くも逃げ切った相手校の選手たちは、試合後にプールサイドの隅でコーチからこってり絞られていました。

「その光景はちょっと気持ちよかったんだけどさあ、でもやっぱ悔しいよ。」

と息子。高校進学後間もなく彼が体験入部した頃は、まだ下っ腹がぽっちゃりしていて、とても水球のような激しいスポーツを続けられるとは思っていませんでした。初めの二年間はあまり出番も無く、試合に出してもらっただけでニコニコしていました。勝っても負けても、大して気にかけてすらいなかったのです。しかしオフシーズンにクラブチームへ通ううち、肉体の変化と共にメンタルもみるみる変貌を遂げて行き、今では高校水球部の主力選手に。親友二コラをキャプテンに、部の設立以来最強のチームが出来上がりました。学校の規模が小さくプールも無いのに、有名私立校や伝統強豪校のチームと互角に渡り合えるようになるなんて、誰も想像していなかったことでした。現在、最終学年のシーズン終盤。週に平均三試合を戦っていて、今のところ上位に食い込めそうな勢いです。

五月からフルタイムで働き始めた妻は、社長の了解を取って勤務時間に融通を利かせてもらい、平日日中の試合でもほぼ欠かさず観戦を続けて来ました。高校時代はバレー部でスポ根ドラマ的青春を過ごした彼女にとって、試合を重ねるごとに強くなる息子のチームを追うことは、それほど優先度の高いイベントなのですね。私もいつからかプールサイドに三脚を立ててビデオ撮影を担当するようになり、帰宅すると息子がその映像をYouTubeにアップしてチームで共有するようにしています。パソコンで再生しながらデータのダウンロードをしている息子の背後で、

「あ~!そこ!(シュート)打てる!」

などと近所中に響き渡るような大声で叫ぶ母親に、

「ママ、ちょっとうるさいよ。もう終わったゲームなんだから…。」

とたしなめる息子。

話変わって翌日水曜の朝。向かいで働く部下のシャノンが上体を傾け、コンピュータモニターの陰から顔を出しました。

「ヴァルがね、今度レイと食事に行くんですって。」

ヴァルというのは同僚ヴァレリーの愛称で、数ヶ月前に引退した元上司のレイと久しぶりに会う、というニュース。

「リンドンがレイの近くに住んでてね、ある日奥さんと偶然会ったんですって。そしたら、意外な話を聞かされたって言うの。で、それをリンドンから伝え聞いたヴァルが、さっそくレイと会うことにしたってわけ。」

レイの奥さんによれば、旦那が最近落ち込んでいる、というのです。引退から数か月、誰ひとりとして連絡して来ない。長年一緒に働き成長を助けて来た部下達が、まるで彼など最初から存在しなかったかのように知らん顔だ、と。

「私、何だかすごく気の毒になっちゃった。だって、あんなに周りから慕われてたでしょ。部下たちはきっと淋しがってすぐ声をかけて来るだろうって期待があったんじゃないかしら。皆の方は、レイは引退生活を楽しんでるだろうから邪魔しないでおこうって気持ちでいたと思うのよね。」

思わず同意して頷いた私でしたが、気が付くと胸の中で、「いや、仲間と言っても所詮は行きずりの関係。一旦職場を離れれば赤の他人なんだ。」という残酷な認識が芽生えていたのでした。生涯の大半をかけて緻密に張り巡らせて来た蜘蛛の巣の中心から、ある日強風に乗ってひょいと飛び降り、見知らぬ茂みに着地する年老いたクモ。引退というのはそういうものなんだ。苦労して紡ぎあげて来た仕事の成果もプライドも、楽しかった思い出も全て捨て去り、また一から何かを始めなければならない。それはきっと、わくわくすると同時に心にぽっかり巨大な穴が開くような、衝撃体験なのかもしれません。

「そういえば、サンタバーバラ支社のティム知ってる?彼も引退しようとしてるんだよ。」

と私。私がサポートするプロジェクトで過去二年間ディレクターを務めて来たのですが、数カ月前から週20時間勤務にシフトしていて、あと一、二ヶ月で完全にリタイアメント生活に入ろうとしているティム。PMのアンジェラが月曜の午後、「週刊レポートの宛先からティムを抜いてくれる?」とメールで頼んで来たのです。その際彼女が書いた英文が、これ。

“He’s trying to wean off the project.”
「彼はプロジェクトをwean offしようとしてるのよ。」

Weanというのは、初めて見る単語です。急いでネットで調べたところ、これは「ウィン」と発音。Wean offで「時間をかけて何かを引き離す」になるようで、たとえば

“I’m weaning myself off cigarettes.”
「少しずつ禁煙してるんだ。」

みたいに使われるフレーズ。アンジェラの文章は、こういう意味になりますね。

“He’s trying to wean off the project.”
「彼はゆっくりとプロジェクトから手を引こうとしてるのよ。」

その日の昼食時、隣に座ったシャノンにこの単語について質問してみました。

Wean offってさ、そもそも母乳で育てて来た赤ちゃんを乳離れさせるって意味らしいんだけど、それがゆっくり時間をかけて何かを切り離すって感じに使われるのは、ちょっとしっくり来ないんだ。昔日本で聞いたんだけど、赤ん坊を乳離れさせる方法として、乳首にマスタード塗るってのがあるんだって。そうすると一発で目的達成出来るらしいよ。」

あ、今「乳首」などというちょっと生々しい単語出しちゃったな、やばかったかな、と一瞬後悔した私ですが、さすがにベテランお母さんのシャノン。全く動じることなく、少し笑ってからこう言いました。

「赤ちゃんの方はそれで済むかもしれないけど、母親の方がむしろ大変なのよ。おっぱいってそう簡単に止まらないの。じっくり時間をかけて、もう母乳は作らなくていいんだよって身体に教え込まなくちゃいけないのよ。」

なるほど。「乳離れ」という字面からずっと子供サイドの意識しかなかったけど、これって母親側のチャレンジでもあったのですね。Wean off というのは、まさにこの視点で使われるフレーズで、長期間依存して来た対象との関係をゆっくり断つ、ということ。シャノンの説明を聞くまで、ティムは自分に頼り切りだったプロジェクトを優しく切り離そうとしている、と言いたいのだと思ってました。実際はティムの側が、プロジェクトとの別離に伴う苦痛を和らげようと時間をかけているのかもしれない、と思い直したのでした。

さて昨日土曜の朝は、二コラを拾って一家でサンディエゴ州立大のプールへ。ディヴィジョン1の強豪U高校との対抗戦です。いつもくそ生意気で強気な二コラが、「ものすごく緊張してる。昨日は2時まで眠れなかった。」と珍しく顔をこわばらせています。色々あってU高校から転校して来た彼にとって、これは因縁試合。弱小高校チームをここまで強くした、そしてそれを古巣相手に証明する日がとうとうやって来たのだ、と気合が漲っています。

「絶対にダーティーなプレイはしないでくれ。クリーンに勝つことに意味が有るんだ。」

とうちの息子に言い含める二コラ。U高校の現コーチは、かつて息子が通っていたクラブチームのコーチも務めていて、彼から「お前はずっとベンチ・ライダー(控え選手)でいたいのか?」と怒鳴られ奮起した経験があり、その恩返しをする意味でもこの試合には勝ちたいのだ、と言う息子。

「絶対に負けられないぞ。」

と二人、後部座席で呪文のように唱え続けます。

会場入りし、いつものように三脚とカメラをセットする私。液晶画面越しにきらめくトパーズ色のプール。試合開始のホイッスルと同時に両側から12人の若者たちが一斉に水しぶきを上げ、中央ライン目掛けて泳ぎ始めます。ボールを激しく奪い合う者、各ポジションで有利な態勢を勝ち取ろうと水中の格闘技を戦う者…。相手チームはレベルが高く、図抜けたスター選手もいましたが、息子のチームは一丸となって終始アグレッシブかつクリーンなプレイを展開。二コラは鬼神のように超絶シュートを決めまくり、息子も巨漢選手の猛攻撃を必死に食い止め、見事10対6でU高校を撃破したのでした。ディヴィジョン1の高校に初めて勝ったこと、二コラが元チームメイト達に一泡吹かせたこと、終了後に相手コーチが息子を「うまくなったなあ」と褒めてくれたこと。大満足の収穫で会場を後にし、他の選手たちと一緒に近くのベトナム料理店へ繰り出します。二年生のアントニオのお父さん、ドンと一緒にテーブルを囲んだ時、彼が

「ディヴィジョン1に初勝利だって、知ってた?」

と目を見開き顔を輝かせます。我が子の部活動に対する入れ込みようにかけては、私の妻を遥かに超えているドン。シングルファーザーの彼は、息子といられる時間を目いっぱい楽しもうと、早期退職までしちゃったのです。彼が大学に行ったらまた仕事を見つければいいじゃないか、と。

「でも、その日が来ることを考えただけで、泣けて来るんだよね。」

携帯電話をいじって、今ではすっかり逞しくなった息子が幼かった頃の写真を何枚も見せてくれるドン。

「成長が早過ぎて嫌になるよ。」

と、とスマホ画面をじっと見つめながら溜息をつくのでした。

水球シーズンがあと二、三週間で終わってしまうことの苦痛をドンと分け合った妻。最終日に父兄を招待して行われる引退試合「シニア・ナイト」では、絶対泣いちゃうわ、と声を詰まらせます。

愛する者との絆が強ければ強いほど、乳離れは辛くなる。どんなに時間をかけたって、いやむしろ時間をかければかけるほど、痛みは増すのかもしれません。

2018年10月7日日曜日

Heckle ヘコる


木曜午後五時。「オーシャンサイド」と名付けられた、窓から港を見下ろせる劇場型のミーティングエリアに、二十人を超す社員が集まりました。壁際のカウンターには、ビール、ソフトドリンク、そしてナッツやプレッツェルなどのスナック類が紙皿に載せられ並んでいます。二連ビッグスクリーンTVの前でニコニコしているのは、GISグループのダン。恐らく四十代後半、170センチに満たない身長ですが、ラグビー選手のように太い首と分厚い胸板。艶のある黒髪を短く刈りこみ、浅黒いラテン顔にびっしりはびこった顎鬚。これまで彼と職場で言葉を交わしたのは全部足し合わせてもほんの数秒間で、「優しそうな男」以上の印象はありませんでした。ちょっと遅れて会場入りした私は、ダンの立ち位置に一番近いバーカウンター風テーブルの、最後の一席になっていたハイチェアを確保。隣では、文化人類学チームのクリスティがスナックをつまんでいます。

「始める前に、あらためて企画の説明をしようか。」

と聴衆の中から、コロナの瓶を手にした古参のジョナサンが声を上げます。

「若手メンバーは知らないだろうけど、これはこのビルに移って来る前のオフィスでやってた月例会なんだ。」

周りにこんなに沢山同僚がいるんだから、業務関連性の有無を問わず、持ち回りでそれぞれのトークを聞こうじゃないか。そんな意図で始まったこの企画。もともとは毎月第一木曜のアフター5、オフィスの一角に据えらた巨大なライトテーブル(内蔵照明で表面のガラスが明るくなる、製図のトレースなどに使われる机)に集まり、ちょっとばかりアルコールも入れながら気楽にプレゼンを聞く会としてスタート。それからどんな場所で開催されても、「ライトテーブル・プレゼンテーション」と呼ばれるようになりました。

「永らく休眠状態だったんだが、再開する運びになった。これから毎月続けて行こうと思うので、我こそはと思う人はそこにある表に名前を書いて欲しい。」

今回のプレゼンターのダンですが、実は既に4年前、話す準備は出来ていたのだそうです。それが突然の企画休止でお預けを食った形になり、ようやくプレゼン資料が日の目を見ることになったんだよ、と笑います。ここでジョナサンがまた、

「分かってると思うけど、ここでは完全に肩の力を抜いて話を聞くのが礼儀なんだ。」

と注意事項を挟みます。それからこんな言葉で締めました。

“Feel free to ヘコる.”
「気軽にヘコるべし。」

ん?ヘコる?今何て言った?隣のクリスティに小声で尋ねたところ、ジョナサンが使ったのはHeckleという単語で、誰かの話の腰を折る形で声を上げる行為、つまり「野次る」という意味だと教えてくれました。ジョナサンの言いたかったのは、これですね。

“Feel free to heckle.”
「野次大歓迎。」

さて、ダンのプレゼンが始まります。お題は「シャワーとオサラバの50日」。90年代に高校を卒業した彼は、海兵隊のブートキャンプを経験し、リザーブ(予備役)に登録します。「大学の学費を稼ぐのに一番手っ取り早い道だった。平和状態が長く続いてたから、実戦に駆り出されることはまず無いだろうと踏んでたんだ。」とダン。ところが軍からの奨学金で無事大学を卒業したその年に、9.11(同時多発テロ)が発生します。予備役メンバーが急遽召集され、一年間の猛特訓を終えた後、2003年2月にクウェート入り、3月に開戦。とんとん拍子にバグダッド出征が決まったのです。

クウェート・シティからバグダッドまでのルートは、チグリス・ユーフラテス川に挟まれたメソポタミア文明発祥の地。砂嵐の吹き荒れる広大な砂漠のど真ん中、完全武装しテントを張りつつ北西目指して営々と進みます。撮影許可は出て無かったんだけどね、と言いながら当時の写真を披露するダン。幸い一度も実際の戦闘は経験しなかったこと、郵便物が届くのに4週間かかるので故郷とのやり取りはほとんど出来なかったこと、移動用トラックの荷台で砂袋をクッション代りに長時間座り続けるのは何よりの苦痛だったこと、仮設トイレが何度も強風で吹き飛ばされたこと、最下級兵はShit Ninja(くそ忍者)と呼ばれ、汚物を焼却する役目を与えられていたこと、放射性、生物系、化学系兵器による攻撃をいち早く感知するため、Pigeon Kentという名の鳩を籠に入れて持ち運んでいたこと、等々「行った人しか知り得ないエピソード」が続きます。

「通信機器が故障した時には、伝書鳩としても使えるよな。」

などと時々軽めの茶々を入れるジョナサンですが、私はあまりにもどっぷりとストーリーに魅了されていたので、とても野次る余裕などありませんでした。

翌金曜のランチタイム、キッチンの電子レンジでひとり弁当を温めていたら、生物学チームのボニーが現れ、冷蔵庫からランチバッグを取り出して皿に盛りつけ始めました。痩せたなで肩の白人メガネ女性で、カールしたロングヘア―は100パーセント白髪。後ろから見たら、疑いも無く後期高齢者。リビングルームの揺り椅子で、一日中編み物をしていそうなイメージです。この人とはほとんど会話したことがなかった私でしたが、閑散とした金曜のキッチンに二人きり、何も言わないのが気まずかったので、思い切って話しかけてみました。

「そういえば、ニワトリ飼ってるんだよね。何羽ぐらいいるの?」

彼女は自宅に広大な裏庭があり、動物をたくさん飼育していることは他の同僚に聞いて知っていました。

「だいぶ減らしたんだけど、今は30羽くらいかな。ちょっと前に60羽まで増えちゃって。」

思わずのけぞる私。この時初めてまじまじと彼女の顔を覗き込み、その血色の良さに驚きました。髪が白いというだけで勝手に思い込んでいたけど、結構若いのかもしれないぞ…。それにしても、フルタイムの仕事をしつつ60羽も鶏を飼うなんて、随分ぶっ飛んだ人だなあ。

「実はそんなに手間がかからないのよ。餌も水も自動で少しずつ落ちて来るように調整出来るしね。」

と微笑むボニー。その後、ニワトリの集団内には厳格な秩序が築かれていること、互いに様々な声でコミュニケーションを取っていること、天敵の鷹が現れた時だけ使う鳴き声の合図があり、彼女はそれを聞いただけで鷹の襲来が分かるようになったこと、などを語ります。

「面白いじゃん!それさ、是非ライトテーブルで話してよ。」

と興奮する私に、え?ライトテーブルってまだやってたの?とボニー。

「昨日の夕方、4、5年ぶりに復活したんだよ。」

「え~?残念!全然知らなかったわ。」

この人メールチェックしないのかな。この一週間、念押しの連絡が何本も入ってたのに、といぶかりつつ、昨日はダンが喋ったんだ、こんな内容だったよ、と掻い摘んで説明する私。ニワトリの暗号を解読した話もきっとウケるよ、是非やってよ、とプッシュすると、

「そうね。あまり考えたこと無かったけど、言われてみれば確かに興味深い話かもね。でも実は、別のテーマでもそのうち話してくれってテリーから頼まれてるのよ。」

え?そうなの?だけどニワトリより食いつきの良いテーマなんてあるかな、と聞き返したところ、

「今週半ばまで、パキスタンに行ってたの。」

と嬉しそうに顔を崩すボニー。え?パキスタン?何しに?

K2に登って来たのよ。」

け、けーつー?あの、エベレストに次ぐ世界第二位の標高を誇る、「世界一登頂の難しい」高峰のこと?口をあんぐり開け、暫く声が出ない私。それからようやく気を取り直し、

「た、確かにインパクトの強い話題だね。じゃ、まずK2の話をしてから次にニワトリ、ということで…。」

と提案を修正したのでした。

その晩帰宅して、妻にこの件を話しました。

「普段あまり気にかけていなかった同僚達のひとりひとりが、それぞれぞれ途轍もなく面白い人生を生きているのかもなあって気づかされたよ。それに較べて僕は仕事に熱中するあまり、長時間労働で毎日エネルギーを疲い切っちゃって、他にな~んにもしてないなあってね。ライトテーブルで話せるようなネタなんて、本当に無いもん。これじゃあいけないなあ、何かに取り組まなくちゃなあって思うけど、特にやりたいことも無いし。」

わざとローになっていじける私に、

「折り紙とかやって見せればいいんじゃない?」

とまともに慰めてくれる妻。いや、ここは厳し目に「へコって」欲しかったんだけど…。ちょっとヘコんだじゃないか。