良く晴れた金曜の昼。同僚ディックと二人、お馴染みのニュージーランド料理店クイーンズタウン・パブリック・ハウスへ歩きます。着席早々、直球の質問をぶつけてみました。
「テリーの後任ポストには立候補したの?」
十月から新年度を迎える我が社。カナダを含めた北米全域を五つの大区画に再分割する、大幅な組織改変が発表されました。これまで南カリフォルニアの環境部門を所掌していたボスのテリーは昇格し、西海岸全てを統括するポジションにおさまります。彼女の異動に伴い、その後釜を内部で選ぶことになったのですが、まずは立候補者を募ってから面接で決定するという段取りに。「シンスケだって手を挙げていいのよ」と微笑むテリーですが、部門や地域を超えてプロジェクトのサポートをしている私にとって、これはあまり魅力的に映らないポジション。第一、誰が見てもこの役割と私はシンクロしないでしょう。
「俺もちょっとは考えたけど、自分の将来を考えると二の足を踏むんだよね。今回は見送ることにした。」
とディック。それから少し笑って、
「給料倍払うって言うなら引き受けるけどな。」
環境保護とランドスケープデザインの専門家、という二足の草鞋を履くディック。環境分野の部門長を引き受けてしまえば、建築部門が所掌するランドスケープデザインの仕事は諦めざるを得なくなる。更にはエグゼクティブ達との距離が近くなることによって、たとえ自分の意思に反することでも唯々諾々と遂行せざるを得なくなる。ストレスレベルは跳ね上がり、心身共に疲弊していくだろう。「報酬をドカンと増やすことで引退時期を早める」のを目標にするなら話は別だけどね、というのです。
テリーはきっとどこかの時点で、上からの理不尽な要求に抗うことを止めたに違いない。所詮現場に決定権は無いのだから、与えられた指示の範囲でベストを尽くすしかないのだ。そんな諦観を得て初めて、巨大企業で出世の階段を踏み進むことが出来る。この冷え冷えとした結論を確認し、静かに頷くディックと私。
「それにしても、この立候補制ってのはどうなのかね。」
とディック。「自分が自分が」という我の強いキャラばかりを集めて戦わせれば、誰に決まろうがTurf War(縄張り争い)の火種は残る。環境部門と一口に言っても実際は細かな専門分野に枝分かれしており、群雄割拠の戦国絵図。各派トップの誰がテリーの後任におさまったところで、将来の摩擦は避けられないでしょう。
「実は俺、マイクが一番の適任だと思うんだ。」
というディックに、
「おいおい何だよ。僕も全く同じこと考えてたんだぜ。」
と驚く私。マイクというのは、一時期私の上司だった人物です。驚くほど頭が切れるが物静か。気分の変動幅が小さく常に朗らかモードで、彼が口を開くのは含蓄ある発言をする時のみ。私と話す際はいつも、しっかり目を見てこちらの意図を百パーセント理解しようとする真摯さが伝わって来ました。専門はビジネス・デベロップメント(営業開発)で、広く部門全体を見渡す立場にいるのですが、逆に本流実務の経験は無く、プロジェクトチームを率いた実績も無い。ほぼ一匹狼でやって来ただけに、今回のポストにマイクを推す人なんて僕くらいしかいないだろうと思っていたのです。
「こないだ出馬の意思を打診してみたんだ。考えたことも無いってさ。社員のマネジメント経験だってほとんど無いし、適任じゃないって言うんだよ。」
とディック。スゴイものを持っているのに周囲は気づかない。こんな勿体無いことはないじゃないか。実力があるのに控え目な人間は立候補しないから、チャンスも無い。これはおかしい。推薦枠も設けるべきだ、と。
その午後、自宅で仕事をしていたマイクに電話をかける私。単刀直入に立候補を勧め、彼がこの職にいかに相応しいかを説明します。人柄、仕事ぶり、偏りのないキャリア、視野の広さ、エゴの無さ…。
「社員のマネジメント経験が無いのが心配なら、私の上司だったことを使えばいいじゃないですか。全力でサポートしますよ。」
「そんな風に言ってもらえて本当に嬉しいよ、シンスケ。実はディックからも後押しを受けててね。本当に考えてもみなかったことだけど、立候補することに決めたよ。」
漫画「課長島耕作」で、突然の社長就任依頼に躊躇する中沢部長を島がこつこつと説得する、おでん屋の一幕を思い出しました。そしてなんだか、じわっと来ました。
その日の午後、ランチからオフィスへ戻る道中、ディックがこんなことを言いました。
「よく考えてみると、面接ってのは厄介な代物だよな。自己アピールに長けている人物が本当に優秀とは限らないだろ。寧ろその逆パターンの方が多い気もする。」
たとえ嘘八百でも、入念に練習して来た売り口上にこちらが感服させられてしまうこともある。服装だって化粧だって、それが巧みであれば面接官の心証に大きく影響する。しかしその人の真価というのは、実際暫く一緒に過ごしてみないと分からないものなのだ、と。
「極論だけどさ。」
と私。
「候補者を全員丸裸にしてから面接してみたいよね。隠すものなんか何も無いって状態にしてさ。」
するとすかさずディックが、
“Some may do more than others.”
とニヤリ。え?何て言ったの?暫く残響を手繰りながら考えてみて、ようやく脳に伝わりました。きっとこういう意味でしょう。
“Some may do more than others.”
「(モノが凄すぎて)隠しきれない奴はいるかもな。」
冴えてるな、ディック…。