先週のある朝、
「私達、本当に良い人採用したわよね。」
と、筆頭部下のシャノンがしみじみ言いました。
「そうだね、テイラーのいいところは、真摯な学びの姿勢を崩さないとこだと思うな。」
去年の夏に雇ったテイラー。間もなく勤続一周年を迎えようとしています。
「そうそう!そこなのよ。本当に純粋な目で、分からないから教えて!って質問してくるでしょ、彼女。」
仕事をある程度覚えて自信もついて来ると、知ってて当然と思える超ベーシックな問題に対しては「分かりません」と言いづらくなるものです。そこでつい反射的に知ったかぶりをすると、二の矢を受けても更にごまかさざるを得なくなり、嘘の連鎖がスタートしてしまう。クライアント・サービスをしていても、そのうち顧客満足より自分のプライドを優先し、相手の理解を助けるどころか煙に巻いてしまうようになる。聞き手が分かるように何かを伝えられない時というのは大抵、自分自身が対象を充分理解していないもの。なのにその真実から目を背け、口先だけでその場を切り抜け己の虚栄心を守るようになる。
シャノンと私は、「ほんの小さな最初の嘘を許すかどうかが人生の大きな分かれ目になる」という哲学を共有しています。大袈裟に言えば、それがマスターへの道を歩むかダークサイドに転落するかの分岐点なのだ、と。正直でいることより能力を評価されることを優先すれば、暫くの間は輝かしいポジションを維持出来るかもしれないが、いずれ奈落の底へ落ちる時が来る。たとえ一瞬恥をかいても知らない時は正直に知らないと言い、真摯に鍛錬を重ねることが道を究めるための正しい姿勢なのだ、と。我らが大ボスのマスター・テリーも、無防備と思えるほど自分の無知をさらけ出すタイプ。「何も知らないからこそ優秀な人達を集めてるんじゃない!」とカラカラ笑いながら。しかしそのノーガードぶりが、かえって部下たちの信頼を集めているのですね。
さて水曜日の朝。オフィスに現れたシャノンが、両手で大型の透明プラスチックパックを抱えているのに気付きました。私と共に早朝出勤していたティファニーが、おはようの挨拶をしつつ立ち上がり、なにそれ?と覗き込みます。
「手作りクッキー百枚よ。みんなに食べてもらおうと思って。」
やや硬い表情のシャノン。
「すごい、そんなに沢山作ったの?今日って何かあるんだっけ?」
と興奮するティファニー。大きな溜息とともに首を振り、シャノンが背景を説明します。二十歳の娘ジュリアに嘘をつかれたこと、罰として昨晩遅くに草加せんべいサイズのクッキーを百枚作らせ、本人には一枚も食べさせなかったこと。
「一体どんなひどい嘘がそれほどのお仕置きに値するのかな。」
と私。お菓子作り未経験の私でも、クッキーを一人で百枚焼くのがかなりの重労働であることは容易に想像がつきます。しかも、ここ数日は熱帯夜が続いているのです。たとえ冷房を入れたとしても、オーブンの熱は地獄の業火のようにジュリアを苛んだことでしょう。
「あの子、週末に女友達とタホ湖まで旅行に行くって言ってたの。」
火曜の晩に帰って来ることになっていたのだが、土曜あたりから何だかひっかかるものがあり、じわじわと嫌な気分が高まって来た。意を決し、月曜の出勤前に寄り道してある家に行ってみた。悪い予感は的中、ジュリアの車がドライブウェイに停めてある。それは、彼女の元カレの家だったのですね。
その二週間前、シャノンの幼馴染アシュレー夫妻も加え家族で外食した際、隣に座ったジュリアの携帯にフェイスタイムの着信がありました。ちらりと目をやると、彼女の別れた彼氏から。二年ほど付き合っている間に二度も浮気され、愛想をつかして関係を解消した相手です。娘は一瞬ためらいを見せた後、不審な面持ちで通話を拒否したのでした。
この些細な出来事の数日後、女友達との旅行計画を持ち出した娘。不自然と言えば不自然です。しかしあんなひどい目にあったのだから、まさかやけぼっくいに火が付くことも無いだろう。そう自分に言い聞かせたシャノンでしたが、募る疑念には抗えず、元カレの家をチェックしてしまったのですね。その後は一日中仕事が手につかず、さあどうしてやろうか、と次のアクションを考えあぐねるばかり。親友アシュレーに電話で相談したところ、
「その女友達とやらも呼んでジュリアと食事に行って、旅行の話を聞かせてもらいましょうよ!」
と意地悪な提案。そんな気まずいこと出来ないわよ、とシャノン。帰宅して、ご主人のフランクに打ち明けます。男系家族で育った彼は普段から若い女子をどう扱って良いか分からず、こういう事態に対しては情けないほど無力。しかし彼はここで、得意分野での能力を発揮します。やおらパソコンを開いたかと思うと、猛然とグーグルサーチを始めたのです。それから夜中までぶっ続けで検索作業を行い、遂に晴れ晴れとした顔で、
「我々のすべきことが何か分かったよ。」
と宣言します。シャノンが検索履歴を素早くチェックしたところ、
“What you should do when your
daughter returns to her cheating boyfriend.”
「娘が浮気者の彼氏との関係を切れない時はどうすべきか」
などという、ド直球の質問が並んでいました。各種の知恵袋サイトからケーススタディを大量に収集し、分析したのですね。
「まず、君があの男の家へわざわざ足を運んだことは伏せておいた方がいい。話の焦点がブレるからな。そして何より、彼女は二十歳の成人だ。親だからと言って、娘の人間関係についてあれこれ指図することは出来ない。大事なのは、娘の身を案じる母親に対して嘘をついたということだ。その点に絞って話を進めよう。」
火曜の晩に帰宅したジュリア。父親が仕事先へ向かう際たまたま通りかかった家のドライブウェイで娘の車を発見したということで夫婦口裏を合わせ、彼女と食卓で向き合います。ジュリアはあっさりと嘘を認め、心配かけたくなかったこと、自分は変わったからもう一度チャンスをくれと何度も泣きついて来る元カレときちんと決着をつける必要があったこと、などを淡々と話します。彼の両親とタホ湖に行ったが、その過程で色々なことを知った。着て行く服に迷って荷造りに四時間もかける元カレ。辛抱強く待つジュリアに、早くしなさいって言って来てあげてよ、とニコニコ頼んで来る母親。息子の願いは何でも聞き入れるこの彼女、夫とは常に口論モードで、旅行中ずっと数分おきに相手の非を詰って離婚話を持ち出していた。
「あの崩壊寸前の一家とたっぷり時間を過ごしてみて、この人との将来は無いなってはっきり分かったの。」
徹底的に甘やかし、自分の行動の責任を取る機会を息子から奪い続けて来た母親。一人前の男としての生き方を示せないでいる父親。建設的な人間関係の築き方を教えて来なかった両親…。今回の一件で、自分の両親に対する感謝の気持ちを新たにした、と目を潤ませるジュリア。
「結果的にいい経験になったじゃん。親に内緒にしてでも自分でケリをつけようとしたジュリアの判断は、正しかったことになるね。」
と私。
「そうなのよ。でもね、やっぱり嘘は嘘。その責任は取りなさい、ということでクッキーを焼かせたの。」
文句ひとつ言わず、百枚のクッキーを深夜までかかって作り上げた二十歳の娘…。真っ当な家庭で育てられた幸運を噛みしめていたのかもしれません。
「あら何、このクッキーの山は?」
その時、大ボスのテリーが通りがかって足を止めます。
「昨日の晩、嘘をついた罰としてジュリアに焼かせたの。」
と、話を大幅に端折って答えるシャノン。
「冷房止めてやった?」
と笑う、同じく娘を持つ母親のテリーでした。なかなか厳しいなあ…。
翌日シャノンに、どうやってジュリアの嘘に気付いたの?と聞いてみたところ、事も無げにこう答えました。
“Because she’s my daughter!”
「自分の娘だからよ!」
ちょっとした目の動き、質問に対する回答の不自然な短さ、そういうものが全て合わさって直感に触れ、嘘の察知に繋がる。なるほどね。生まれた時からずっと見てる親だからこその技だな、と納得する私でした。
金曜のランチ時、一緒にピザ屋へ出かけた同僚ディックにこの話をしてみました。
「僕は正直、自分の息子が二十歳になった時に彼の嘘を見破る自信無いなあ。」
と私。十歳になったばかりの男女の双子を持つディックは、俺はまだまだ簡単に見破れるよ、と笑います。
「でも何の嘘をついたのかを当てるのは難しいから、そういう時はJedi Trick(ジェダイのトリック)を使うんだ。」
ジェダイ・トリック?何それ?と私。
「子供たちの目をじっと見てさ、君達が何を隠しているのかパパには全部お見通しだってこと分かってるね、って低い声で言うんだ。自分から白状するか、それともパパに言い当てられて叱られるか、どちらか選びなさいってね。そうすると子供たちの目が泳いで、気になる方向に視線をやるだろ。それでそちらを指さして、あの花瓶について何か言うべきことは無いかね?とやる。するとビクッとして、パパどうして分かったの?と驚愕の表情になる。言ったろ、パパには全てが見えるんだよ、と更に落ち着き払って答えるんだな。で、結局観念して白状し始める。二人でボールを投げて遊んでたら花瓶が倒れてヒビが入っちゃった、バレないと思ってそっと元に戻しておいたってね。」
なるほどね。巧みに心理を読む、「ジェダイの秘術」というところでしょう。
「そのトリック、何歳ごろまで通じるのかね。」
と私。ディックが笑ってこう言いました。
「さすがに二十歳までは無理だろうけど、スーパーパワーを持つ偉大な父の影みたいなものが深層心理に刷り込まれていれば、嘘をつこうと思った瞬間、無意識に躊躇するようになるかもしれないだろ。それだけで充分だよ。」
目先の経済的・社会的成功を賛美し、高潔な精神を育む努力を惜しむ傾向にある昨今。シャノンやディックのような親たちの存在には希望が持てます。我々には、次の世代を正しい方向へと導くジェダイ・マスターとしての責任があるのだ。そう確信した午後でした。
キミの父君のジェダイ・トリックだったら、まだまだキミには通用しそうだね(笑
返信削除で、結局「スター・ウォーズ episodeⅧ」はもう観たのカナ?
まだそのチャンスが無いんだよね。なるべく早いうちに鑑賞しようと思います。うちの親父のジェダイ・トリックは桁外れのパワーなので、なるべく近づかないようにしております。
削除ディックのジェダイ・トリックって、刑事コロンボの「意識の下の映像」にちょっと似てるね。
返信削除https://ameblo.jp/camellia-to-tsubaki/entry-12016798566.html
サブリミナル効果ってのを始めて知ったのはあのドラマだった気がするね。
あれを観た後、もしかして自分も知らないうちに何かを意識化に刷り込まれてるんじゃないかって、無性に怖くなったなあ。子供心に。よく考えてみれば大して驚くような技法じゃないんだけどね。
削除映画のシーン中、脈絡に関係なく遠くで体をくねらせる水着美女たち、なんてのも結構有効だと思います。
…って何にか分かんないけど。