2020年8月16日日曜日

I’ve been around, you know. なめんなよ


お気に入り映画ベスト10を決めるとしたら五位以内には必ずランクインすると思う作品に、Scent of A Woman(邦題:セント・オブ・ウーマン/夢の香り)があります。一年に三回以上は観直していますが、毎回必ずクライマックスで涙腺ダムが決壊し、1,000キロカロリー以上は消費したんじゃないかと思うほど大量の涙を放流させられます。アル・パチーノ演ずる盲目の退役軍人フランクは人生に絶望していて、感謝祭の休みにニューヨークで贅の限りを尽くした末に自決しようと計画している。その付添人として雇ったバイトの高校生チャーリー(クリス・オドネル)は、田舎の貧しい家庭からやって来た実直な青年。高級売春婦を買い、超一流ホテルのレストランで食事をし、と想像を絶する放蕩ぶりに呆れながらもフランクに付き合っているうち、彼の企みを知ることになります。あろうことかこの青年は、自らの命も顧みずに老人を死の淵から救うのです。この後の展開は本当に毎度毎度唸らされるのだけど、今度は老フランクが若きチャーリーを大ピンチから助け出すのですね。それも、たった一本のスピーチで。

先日ふとこのシーンを再生してみたのですが、やはり非の打ち所の無い大団円でした。全校生徒の前でチャーリーが校長のトラスク氏から退学を言い渡される場面で、フランクが「真のリーダーシップとは何か」という演説をぶつのです。後ろ暗いところのある校長はフランクを黙らせようとするのですが、ここで彼が声を荒げます。

“Who the hell do you think you’re talking to?”
「一体誰に口をきいてると思ってるんだ?」

そして微かに顎を上げ、背筋を伸ばしてこう続けるのです。

“I’ve been around, you know.”

字義通りに訳せば、

「あちこちで色んな経験を積んで来たんだぞ。」

となりますが、意訳すればこんなところでしょう。

「なめんなよ。」

厳しい軍人生活、そして視力を失い、「自分のような人間が生き続けて良い理由」を問い続ける後半生。苦しみながら人生と向き合ってきたフランクが、無闇に権威を振りかざす校長の戯言に耐えかねて発したセリフでした。こういうの、リアルな場面で使えたらさぞかし溜飲を下げるだろうなあ、と思う私。

さて、話変わって先月末の木曜の午後のこと。仕事中、一通のメールが届きます。スクロールしてみると、受取人の数はざっと百を超えています。上司のカレンや、その上司リックの名前も含まれている。タイトルはVoluntary Separation Planで、翌週月曜のお昼に催される電話会議に参加して下さい、とのこと。差出人は我が環境部門のトップ・エグゼクティブ。ん?何のことだ?Voluntary(自らの意思による)Separation(お別れ)のプラン?十秒ほど考えて、ようやく事態が飲み込めました。これは、「自主退社希望者募集」の御触れだったのです。とうとう来るべき物が来たか…。コロナの影響で4月から全社員給料一割削減を展開していたのを、今月になって元に戻したばかり。しかしその一方で、近いうちに抜本的な経営改善の一手が打たれるだろうという噂は流れていました。だからそれほど驚くに値しないニュースとは言えるでしょう。今から数週間内に希望を出せば通常より幾分か手厚い解雇手当が受けられますよ、という甘い文句で誘惑し、この機会を逃せば後日あらためてレイオフを言い渡された時に後悔するぞ、と脅すのがプランの主旨。

後で思い返してみると、この時の私は妙に落ち着いていました。アメリカで働き始めて約18年。とうとう自分も自主退社希望候補者リストに名を連ねるようなステージに辿り着いたのだという感慨を、薄っすら笑いながら味わっていたのです。そして、「切るなら切れや。すがり付くつもりは毛頭無いが、甘い誘いに乗る気も無いぜ。」と胸を張っていました。だって、どう考えたって今の私を辞めさせるのは得策じゃないのです。進行中の巨大プロジェクト数件の中枢にいるし、十数人の部下を育てている最中だし、しかもutilization(稼働率)だってかなり高い。辞めた方が良い理由はひとつも見当たらないのです。

「それは勝手に自分で思ってるだけでしょ。」

と、この説明を聞いた妻が心配げに眉をひそめました。

「そうだよ。もちろん上層部の誰かがお構いなしに切ってくる可能性はある。でもそんなこと心配し始めたらきりがないでしょ。」

と私。理不尽な解雇劇の犠牲にならないために、打つべき手はすべて打ってある。それでも理屈抜きで解雇して来るなら、「お前らホントにアホだなあ」と笑いながら辞めてやるよ、という覚悟はあるのです。

週が開けて月曜のランチタイム。いよいよ問題の電話会議に参加します。始まって数分して、どうやら自分が呼ばれたのは自主退社希望候補者としてではなく、「リストに載っている社員の上司として」であることが分かりました。今年2月に私のチームに加わった勤続30年のベテラン社員アリーシャが候補に挙がっていたのです。え?なんで?合点がいかない私は、早速翌日の早朝に彼女との電話会議をセットしました。

予想通り、がっつり落ち込んだトーンのアリーシャ。

「人事が言ってたように、これはあくまでも希望者を募集してるってだけの話だよ。君が確実にターゲットにされてるわけじゃない。いくつかの経営指標で篩にかけてみたら名前が残ったってだけのことだと思う。そのフィルターにしたってどれだけ意味があるか謎なんだ。今辞めることは無いよ。仕事は山ほどあるんだから。」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、今回はさすがに堪えたわ。あなたのチームに入る以前にも色々あったでしょ。辛い経験の数々を思い出して、もう潮時かな、と思ってるの。これは何かのお告げかもってね。」

昨夜、ご主人ともじっくり話し合ってみたとのこと。

「それに今ここで延命してもらったところで、数ヶ月後にあっさりレイオフされる可能性は否めないでしょ。」

これには私も、正直にならざるを得ませんでした。

「うん、それについちゃ何の保証も出来ない。でもさ、僕だってカレンだってリックだって全員そうなんだぜ。いつでも誰にでも首切りは起こり得るんだ。」

「そうね。でもやっぱりちょっと考えさせて。」

アリーシャは去年、プロジェクトコントロールから離れレコードマネジメント部門に配属されました。実はこの異動、コンサルティング・ファームで働く者にとっては危険な賭けだったのです。プロジェクトに参加しないため「稼働率ゼロ」の状況が続き、細かい事情を知らない上層部の人間は過去の統計数字だけ見て、彼女を「お荷物」と評価してしまう可能性が高くなります。今回まさに、そういう誤解が起こってしまったのですね。

さらに、年末プロジェクトコントロールに戻ったアリーシャは、散々もがいた末に大きなプロジェクト・チームにおさまります。ところがその僅か四ヶ月後、プロジェクトの経営状態が振るわないため、彼女の仕事を賃金の安いルーマニアのチームに任せることを上層部が決定。自分の仕事を奪うことになる地球の裏側の社員を、早朝や夜間を使って指導することになったアリーシャ。さぞかし悔しかったことでしょう。そんな不運な出来事が立て続けに起こったため、すっかり士気を失ってしまっていたのです。

そしてこの電話の二日後、彼女から正式に退社希望を知らされた私。こういうことは本人の意思を尊重するのが一番なんだと自分に言い聞かせつつ、何ともやりきれない気分でした。

金曜の朝、約十ヶ月ぶりに副社長のパットと近況報告のための電話会議をしました。当然、私からはアリーシャの一件を話すことになります。

「何ですって?」

といきり立つパット。

「そういうの、一番頭に来るのよね!」

慰留できなかった私を責めるわけではなく、官僚的で血の通わないメッセージを無差別に送ることで社員の士気を削ぐ愚かさに対して憤慨する彼女。

「社員を人間扱いしていない証拠でしょ。数字だけ見て、お前は役立たずだと決めつけてるわけだから。」

会社の図体が大きくなるに従い、上層部は効率的な意思決定のため細かい配慮を省くようになる。自分が番号札を首から掛けられた家畜のような存在であることに気づかされた社員は、組織への帰属意識を捨て去ることになる…。

「そもそも会社のトップは、プロジェクトマネジメント経験も無い財務畑の人間ばかりだからね。現場の苦労など分かるはずもない。」

と私。

「そうなの。金勘定の得意な者ばかりが幅を利かせてるのは問題よ。どんなに優秀か知らないけど、アカウンティング・ファームから転職して来たばかりの若造が、物知り顔でプロジェクトマネジメントについて得々と語ったりするのよ。この私に、よ。」

プロジェクトコントロール畑を四十年近く歩んで来たパットにとっては、許されざる無礼。この時、やや間を置いて彼女が放ったのが、このフレーズでした。

“I’ve been around, you know.”
「なめんじゃないわよ。」

こちとら伊達や酔狂で長年この仕事やってんじゃねえんだ。見くびんなよ。いつかこういうドスの利いたセリフを、思い上がった秀才野郎に向かって叩きつけてやりたいものだと思う私でした。


2020年8月2日日曜日

Go haywire メチャクチャになる


火曜の午後のこと。同僚ディックがマイクロソフト・ティームズでテキストを送って来ました。自分がPMを務める新プロジェクトのキックオフ・ミーティングが来週あるんだが、クライアントが藪から棒にCost loaded schedule(コスト・ローデッド・スケジュール)を提出しろと言って来た。突然の依頼に一同大慌て。そもそも事前に提出したスケジュールだってチームの誰かの急ごしらえであり、大幅な手直しが必要だ。スケジューリングソフトをまともに使えるメンバーがいなので、まずはそのステップに不安がある。オリジナルのファイルが紛失してしまいPDFバージョンしか残っていないので、一からやり直さないといけない。たとえ無事複製出来たとしても、スケジュールに「コストを載せる」手順を知る者がいない。仕方なく自ら取り組もうとしたところ、ソフト(MSプロジェクト)自体がコンピューターから消えていた(我が社のITグループはコスト削減のため、ユーザーが一定期間以上使用していないソフトを警告抜きで消去していくのです)。八方塞がりのままクライアントとのミーティングが急速に近づいて来る…。助けを頼めないか?

「持ってる情報を送ってよ。詳しくは電話で聞くから。」

木曜の午後に電話会議をセット。さっそくミーティング前に、彼から送られた資料を元にコスト・ローデッド・スケジュールを作成しておきました。

「これこれ!素晴らしい、有難う。もう完成品が出来てるじゃないか。これで来週のミーティングは安心だ!」

コンピュータ画面に映し出されたコストプラン表に、歓喜の声を上げるディック。電話会議の後で私の作業がスタートするものと予想していたであろう彼には、思いがけないイリュージョンだったのでしょう。しかし種明かしをすれば、この手の仕事は私にとって珍しくもなんともなく、一時間もかけずに仕上げられる程度の初歩的なお題なのです。「一応これで飯食ってますんでね」と肩をすくめるレベル。ある個人にとっては極めて難解な問題でも、その道の専門家に頼めばあっという間に解決する。これは至極当然なお話なのですが、問題の渦中にいる者にとってはマジシャンに魔法を見せられるようなものなのだ、ということをあらためて感じたのでした。

ところで電話の冒頭で、彼がこんなフレーズを使ったことに気づいていました。

“Things went haywire.”
「物事がヘイワイヤーになっちゃった。」

この表現、実はたまたま前日に他の同僚の口から飛び出して、意味を調べておいたところでした。Haywireというのは丸めた干し草を縛っておく金属のワイヤーで、かつてはそこかしこに捨ててあるようなものだったそうです。工作物の補修などに再利用されがちだったにもかかわらず、簡単に絡み合ってほどけなくなってしまうため、”Go haywire”が「事態がこんがらがって収拾がつかなくなる」という意味になった、とのこと。

ディックが言いたかったのは、こういうことですね。

“Things went haywire.”
「メチャクチャになっちゃってね。」

サウスダコタの農村地帯から来た彼にとっては、干し草もそれを止める金具も珍しくないかもしれません。しかし都会育ちの私には、いまひとつイメージが湧かない言い回し。そもそも目にしたことが無いので何とも言えないけど、ワイヤーが絡みついたからってそんなに困るか?と首をかしげてしまうのですね。

さて話は変わり、我が家の裏庭にある約6メートル四方の農園に、一週間ほど前から異変が起き始めました。木片(マルチ)を被せた周囲のエリアも含め、体長五ミリにも満たない虫の大群が地表面を覆い始めたのです。近づいてみるとこの虫、蟻とは見た目の特徴が異なるものの、そのサイズや振る舞いは酷似しています。群れを成し、おまけに羽が生えている。一匹一匹はまるでランダムなブラウン運動を繰り返しているようにも見えますが、少し引いて見るとまるで魚群のように大きなうねりを形成している。その一帯に足を踏み入れると、まるでこちらの動きを見越していたかのように群れが同心円状に退却し、逃げ遅れた何匹かは私の靴に這い登ります。捕まえようと手を伸ばすと羽を使って飛び去り、その俊敏さには何か高い知能のようなものを感じて背筋がゾクリとします。

反射的に、数年前に入手した「アリの巣コロリ」を出して来て、特に交通量の多そうなスポットに設置してみました。一昼夜経過観察をしたのですが、罠にかかる気配が全く無い。敵が蟻では無いことがこれでほぼ決定したのですが、さてどうしたものか。よくよく考えれば、土の上で植物を育てているんだから虫が出るなんてことは自然な現象じゃないか、まあ騒ぎ立てることもあるまい、と暫く様子を見ることにしたのですが、彼らの集団規模はみるみる拡大して行き、農園を囲う低いフェンスを乗り越えてじわじわと住居に迫って来ました。遂にベッドルームのガラス窓を何十匹も這い回り始めたのです。あろうことか、隙間から一匹、また一匹と侵入を始めたではありませんか。虫嫌いの妻にとって、これ以上の恐怖体験は無く、何とかして!と悲鳴をあげます。

これはさすがに放置出来ないな、と液状石鹸を水で薄め、ビシャビシャと上から浴びせかけます。住居内への侵入を図っていた先鋒部隊を、とりあえず壊滅に追いやりました。夥しい数の死骸が銀色のアルミサッシの上で、盆にばら撒かれた黒胡麻のように拡がります。やれやれ、と一息ついたものの、振り返れば後続部隊がじわじわと陣形を整えています。かくなる上は、と数ヶ月前に害虫駆除をお願いしたペストコントロール会社のオスカーにお出まし頂いたところ、

「これは我々の専門分野じゃないですね。残念ながら何も出来ません。」

と申し訳無さそうに言うじゃありませんか。

彼らのライセンスは構造物に湧く害虫が対象で、庭に現れる「ランドスケープ・ペスト」と呼ばれる虫については手が出せないとのこと。なんと、害虫駆除業界にそんな線引が存在したとは…。さっそくネットでランドスケープ・ペストの駆除ライセンスを持つ近所の会社に問い合わせたところ、若い男性を派遣してくれました。

「いやあこんな虫、今まで一度もお目にかかったことが無いですねえ。」

首をひねる担当者。会社が駆除対象としている害虫リストに含まれていない以上、何も手出しが出来ないと言うのです。おいおい、ほんとかよ。害虫駆除業者がお手上げなんて…。

害虫でないというなら普通の虫だよな、それでは、と写真を撮り、同僚の昆虫博士エリックにテキストします。すると数時間後、サンディエゴ支社の生物学チームが誇る重鎮フレッドから電話が入りました。

「エリックから写真見せてもらったよ。彼も僕も、初めて見る種なんだ。残念ながら僕らには特定出来ないけど、是非これが何という虫か知りたい。今から言うアドレスに連絡して問い合わせてみてくれないか?」

なんと、我が社を代表する専門家二人でも断定出来ないような珍種の虫が、うちの裏庭で暴れまわっているようなのです。彼らが興味津々なのも頷けます。う~ん、でもね、僕はそれが何であるかを突き止めたいわけじゃなく、いなくなってくれりゃそれでいいんだよね。段々話がこじれて来ちゃったなあ…。

フレッドに教えてもらったアドレスは、サンディエゴ郡に住むガーデニング・マスター達が組織する非営利団体。あくまでもボランティア集団ですが、生物学の大家達が結集したグループみたいなのです。ここに質問を投げ込んで何が返ってくるか見てみよう、というのが彼のアイディア。

写真と状況説明をメールで送り、待つこと数時間。返って来たのは、こんな返事でした。

「これは恐らくLarder Beetlesに近い種ですね。添付リンクを見て下さい。」

ハイパーリンクをクリックすると、ミネソタ大学のサイトに飛びました。ところが、そこに掲載された写真はどう見てもコガネムシとかカメムシの一種。いやいや、これは絶対違うぞ。アリくらいのサイズだってちゃんと書いたのに…。なんだよ、期待して損したじゃないか。これでとうとう迷宮入りか…。

ここまでの顛末を18歳の息子に話したところ、彼が去年インターンシップを経験したサンディエゴ自然歴史博物館の昆虫部門のトップを務めるジムに聞いてみようか、と申し出ます。うん、それはいいね、是非頼むよ、と答えてから妻にここまでの経緯を伝えたところ、その予想外の展開に感心するかと思いきや、

「どーゆー人脈?」

と我々男子二人の持つネットワークの奥行きに驚嘆していたのでした。

「え?そこ?」

とウケながらも、確かに僕らの知り合いには凄い人たちがいっぱいいるんだなあ、と静かに感動していました。結果的に解決には至らなかったけど、いざとなれば頼れる専門家が自分の周りには沢山いるのだというのは、なかなか嬉しい気づきです。

実を言うとこんなドタバタの最中、この新種の虫の勢いが段々と衰えているのに気づいていました。二人目の害虫駆除業者が来た時も、大騒ぎしていた割には数が少なくて拍子抜けしていたみたい。あれ?何もしていないのにどうしたのかな?と訝っていたところ、息子がこう言ったのでした。

「ちょっと前だけど、でっかいトンボが四匹飛び回っているのを見たよ。」

両手の人差し指を立ててその大きさを示した彼ですが、それが本当だとすれば体長10センチを超えるサイズです。

「あの四匹が虫を退治してくれたんじゃないかな。」

トンボの他にもアブのような昆虫がブンブン飛び回っていたとのこと。そうか、きっとエコシステムがきちんと機能して、過剰に発生した種の繁殖に気づいた天敵種が現れて食べまくったのでしょう。う~ん素晴らしい。専門家達が大勢で首をひねっている間に、自然の方で勝手にバランスを取り戻してくれていた。

気づいた時には、すっかり元の静けさを取り戻していた我が家の裏庭。

我々の生きるこの世界は、カオスと秩序が入れ替わり立ち代わり現れ、その都度落ち着くところに落ち着いているんだなあ、という深い感動を噛み締めた週末でした。

2020年7月19日日曜日

荒ぶるカレン


カリフォルニア州の新型コロナ新規感染者数が、もうすぐ一日一万人を超えようという勢いです。州知事は態度を硬化させ、二度目のロックダウンを敢行しました。手綱を緩めるのがちょいと早すぎた、ということになりますね。ニュースを見ていて驚くのは、この期に及んでも州知事の何人かは未だにコロナ対策を軽んじている、という点。そもそも国のリーダーが、「俺はマスクなんかしない」と鼻息を荒くしているし、世界最多の感染者数を毎日更新している中、「学校はすぐにでも再開すべきだ、そうしない州には俺から圧力をかける」と息巻いているくらいなので、もうしっちゃかめっちゃかです。全米各地で、「マスクをする、しない」の口論がきっかけで乱闘や殺傷事件まで起きている始末。

つい先月も、サンディエゴのスターバックスで事件がありました。「マスクをしていなかったためにひどい扱いを受けた」と白人中年女性が激怒し、男性バリスタに罵詈雑言を浴びせて立ち去った後、再び店内に入ってきてこのバリスタの写真を撮影。彼の実名入りでフェースブックに載せたのです。「レネンを紹介するわね。スターバックで私がマスクをしてないからとサービスを拒絶したの。この次は警察を呼ぶわ。」とコメントして。レネンは後にビデオインタビューで、「マスク持ってますかって聞いただけなんですけどねえ、なんか急に怒り出しちゃって。」と驚いた様子。

風邪のシーズンには街がマスク顔で溢れる国からやって来た私には、そもそも「マスクをする、しない」で喧嘩になる、という現象自体が意外でした。え?そんなに嫌がるようなことなの?と。

今回スタバで起きた事件は、これで終わりじゃありませんでした。女性のポストした記事に批判が殺到し、これに彼女が反撃。「あんたら暇人の脅しなんか怖くないわよ。」すると殺害予告まで含めた脅迫的なコメントが続々とポストされます。次に誰かが、「レネンに寄付を!」とGoFundMeというアプリを使って呼びかけたところ、あっという間に十万ドル(約一千万円)が集まったのです。

いかにもアメリカ的で素っ頓狂な話だなあ、と再び感心する私。この時発起人の書いた言葉が、これ。

“Raising money for Lenin for his honorable effort standing his ground when faced with a Karen in the wild.”
「調子こいたカレンに屈せず自らの立場を貫いたレネンを讃えるため、寄付を募ります。」

さて、この「カレン」という単語。渦中の女性の名前はアンバー・リン・ギルズで、どこにも「カレン」という言葉は含まれていません。何故ここでカレンが出てくるのか。鍵は、冠詞付きだという点(a Karen)ですね。つまりこれ、傲慢な白人中年女性のタイプを総称して、普通名詞的に使われているのです。

ウィキペディアの説明が、これ。

“A white woman who uses her privilege to demand her own way at the expense of others.”
「他人を犠牲にしてまで自分のやり方を押し通そうと特権を使う白人女性」

以前18歳の息子から、「カレン・ミーム」として、左右非対称のブロンド・ボブにでかいサングラスをかけ、「マネージャーを呼んでちょうだい」と表情を硬くした白人中年女性の写真を見せられたことがありました。彼にあらためて確認したところ、Karenはアメリカ人なら誰でも知っているミームだとのこと。

「今のボスの名前、カレンなんだけど…。」

と私。たまたま大衆から侮蔑の対象にされた名前を持つ人にとっては、いい迷惑でしょう。それにしても、どうしてカレンなどという名がこの不名誉なイメージの代表として選ばれたんだろう?そんな疑問が湧いてちょっと調べてみたところ、現代の中年白人女性に最も多い名前がカレンだということが分かりました。つまり、自分を特権階級と信じて偉そうに振る舞う白人女性の典型、というステレオタイプですね。ふ~ん、そうなのか。この名前にそんなイメージ抱いたこと、今まで無かったなあ、と振り返ってみたところ、かつて大滝詠一の名曲で私のカラオケ・レパートリーでもあった「恋するカレン」の歌詞が、結構ネガティブだったことに気づきました。

形のない優しさ それよりも見せかけの魅力を選んだ
Oh Karen! 誰より君を愛していた 心を知りながら捨てる
Oh Karen! 振られた僕より哀しい そうさ哀しい女だね君は

そっか、さすが松本隆(天才作詞家)、あの頃すでに「カレン」の正体を見抜いていたのか…。

さて、サンディエゴの「カレン」ですが、バリスタのレネンが十万ドル超えの寄付金を受け取った話を聞き、テレビ局の取材にこう答えたそうです。

「その半分は私がもらうべきでしょ。訴訟を起こすわ。これから弁護士費用を集めるために、GoFundMeで寄付を募るつもりよ。」

…すんげ~!


2020年7月3日金曜日

ツイてるねノッてるね


昨年末からほぼ毎週末、我が家のホーム・ドクター兼トレーナーである川尻先生のクリニックで、パーソナルトレーニングを受けています。最初は妻と二人で通っていたのですが、四月からはコロナ禍でコロラドから戻って来た息子も加わり、家族でエクササイズ。ソーシャル・ディスタンスを保ちつつ、コア(体幹)を中心にしたメニューで汗を流しています。そんなある日、川尻先生から「シンスケさんは今日は休んで下さい」と宣告されます。え?どして?と尋ねると、トレーニングが出来る体調では無い、働き過ぎで副交感神経が完全にオフっているので、今身体を追い込むのは得策でない、とのこと。私自身にはそこまでの自覚が無く、多少疲れてはいるけど運動したい、と意気込んでいたので正直驚きました。交感神経が暴走し、ハイパー状態が続いていたため、肉体が疲労困憊しているのを自覚出来ていなかったのですね。しかし、こうなった原因はよく理解していました。

隔週水曜の11時には、私の主催する定期プレゼンがあります。各支社で働くプロジェクト・コントロールのスペシャリスト達に向け、私の実体験をパワポ紙芝居に載せてストーリー形式で語るのです。大規模プロジェクトでのリアルな失敗談や、すんでのところで危機を回避したハラハラ・エピソードなどを紹介するため、まだ駆け出しの社員でもベテランでも楽しめるフォーマット。口コミで評判が広がったようで、回を追うごとに参加者が増え、登録数は遂に八十人超え。去年はサンディエゴの会議室で自分のチームメンバーのみを集めて喋っていたので、まるで自宅の居間に前座や二つ目連中を座らせて釈台を叩くベテラン講釈師みたいな気分でした。しかし年明けにマイクロソフト・ティームズを使って一般社員にも開放したところ、あっという間に拡散。気がつけば、出席者の七割は面識無し、という状況になっていました。最近はフィリピンの社員までメンバー入りしていて、「わざわざ海外から深夜に参加してくれるお客さんもいるんだ。みなさんの期待に応えるには、前回のクオリティを超え続けなければ!」と、平日の夜と週末をほとんど費やし「産みの苦しみ」に身悶えする日々。二週に一本のペースで新作をおろし続けるなんて、そもそもだいぶ無茶な企画です。なんでこんなことになるまで自分を追い込んじゃったんだろう、と悔やむ一方、開演五分前からパソコン画面に参加者の顔がじゃんじゃん現れ始めると、「さあショーの始まりだ!」と興奮に身体が震えます。これ、アドレナリン・ジャンキーの症状だな…。

ところが先週、とうとう恐れていた瞬間がやって来ました。

「やばい、もう何も浮かばない。ゼロだ。完全にネタ切れだ…。」

私のプレゼンの構成は、最初の三分に「つかみ」のセーフティー・モーメント(安全行動を喚起するエピソード)があり、これに関連したテーマのストーリーを二十分程度語る、というもの。例えば、「自分自身の体調を正しく判断するのは難しい。交感神経が異常に興奮した状態だと自分は元気だと思い込みがちだが、実は身体が疲れ切ってることがあり、こういう時のエクササイズは危険である。」というエピソードを紹介した後、EVM(アーンド・バリュー・マネジメント)における「進捗状況の客観的評価」は意外に難しいのだが、「難しい」ということを理解しておくことこそが鍵なのだ、というメッセージを核にした実体験を語って伏線を回収する、という具合。そんな余計なルールをスタート時から自分に課してしまったばっかりに、毎回この重い枷に苦しむことになっているのですが、もう後戻りは出来ません。次回は「リスク・マネジメント」をテーマに一本作る予定にしていたのですが、つかみどころか本編すらも、全くアイディアが出てこない。これは遂に万事休すか…。

呆然と窓の外を見つめていた時ふと、昔YouTubeをブラウズしていたらテレビ番組「情熱大陸」が偶然現れ、それが作詞家松本隆の特集だったことを思い出しました。松田聖子の「赤いスイートピー」や太田裕美の「木綿のハンカチーフ」等、夥しい数のメガヒット作品を世に出してきた彼。ひょっとしたらその創作の秘密を学べるかもしれない、と再検索して鑑賞し始めたところ、稀代の天才作詞家は軽く微笑みながら、ボソボソとこんな話をするのでした。

「無理に作るとね、ろくなことないの。考えること自体不自然じゃん。」

「どうやって愛してるとか好きっていう言葉を使わないでそれを伝えることが出来るか。それが分かればさ、歌になるの。」

う~ん、素晴らしい。「何故知り合った日から半年過ぎても、あなたって手も握らない」なんてフレーズ、もう唸るほかないもんなあ…。

新たに何か吸収しようしようって、そういう感じで「本を読んだり映画を観たりする」ことはないか、と尋ねられ、

「それってもうね、不自然なことなの。何かのために何かするって不自然。たとえばネタを仕込むために本を読むとかさ。それやるとね、不自然だから。そういう不純な動機で得た知識っていうのはさ、不純な作品しか産まない。」

「書くのは早いの、僕ね。二時間くらいで書けちゃうんだけど、そこに、その世界に到達するまでに、長いと半年くらいかかるし、何書こうというんじゃなくて、何か星雲みたいなものがあってさ、もやもやっとしたものがあって、で、じっと見てるとそれが凝縮していって、で、段々クリアになってくるわけ。で、余計なものがこう取り除かれてって、で、残ったものを言葉にしてあげるって感じ。」

偉大な巨匠のこの仙人じみたトークを楽しんでいるうち、不思議に気分がスッキリして来ました。そうだ、創作ってのは、気合入れりゃ出来るってもんじゃないんだ。大体僕のプレゼンシリーズだって、誰かに頼まれて始めた企画じゃないんだし、いい作品が時間通りに出来なければその週はお休みにすればいいだけの話じゃないか…。久しぶりに肩の力が抜け、笑顔を取り戻したのでした。

さて、木曜の五時過ぎのこと。古いローファーをつっかけて庭へ出て、ベジタブル・ガーデンの様子をチェック。ネギもにんにくもセロリも、薩摩芋も順調だ。赤赤と熟れたミニトマトを左手に山積みにし、こぼれ落ちないよう注意深く歩いて戻ります。日差しはまだ肌を刺すように強く、随分日が長くなったなあと実感しながらダイニングルームの扉を開けると、妻が恨めしげに私の顔を凝視しています。え?何か気に障ることしたっけ?反射的に謝りそうになりますが、思い当たる節がない。彼女が無言のままゆっくりと視線を移動し始めたので、その先を目で追ったところ、キッチンの壁に掛かっていたはずの大型時計が姿を消しています。支える相手を失った小さな金色のフックだけが、きまり悪そうに居残っている。そして真下のカウンターテーブル上、「元」壁時計が三つくらいのパートに分かれて折り重なっていることに気づきました。え?なんで?僕が庭に出ている間に砕け落ちたのか?でも一体どうして?

妻が息子の名を呼び、ゆっくりと部屋から現れた彼に説明を要求します。きまり悪そうに笑いながら、18歳の息子がごめんなさいと侘びます。むすっとしたまま立つ妻の横で、彼が顛末を話し始めました。

筋力トレーニングに夢中な彼は、数ヶ月前に懸垂器具を購入しました。自分の部屋の扉の枠板にそれを引っ掛け、ぶら下がって懸垂するというもの。先程トレーニング中に突然板が剥落し、器具もろとも背中から床に落下。後頭部を護ろうと咄嗟に上体を捻ったところ、背後の棚の角におでこの上の生え際を強かに打ち付けた。この衝撃で、棚の裏に掛かっていた壁時計が落下した、というわけ。

「分かってると思うけど、いくらなんでも愚かすぎるだろ。」

と首を振る私。うん、分かってる、と頷く息子。彼の部屋の扉上の枠板は以前から撓みが確認されていて、このまま荷重をかけ続ければ近々崩壊点に達するだろう、ここでの懸垂は禁止だぞ、と常々警告していたのです。仕方なく客間の入り口を使用していたのですが、平日の日中は私の仕事部屋になっているため、いちいちノックしてからでないとドアを開けられない。これを不便に感じていた彼は、遂に自分の部屋を使い始めたのですね。「立入禁止区域に侵入した小学生が感電事故」みたいな、非常に低レベルな失敗。

「まあでも、大怪我にならなくて良かったな。」

という私の大甘コメントが癪に障ったのか、妻が、

「結婚十周年の記念で買った時計だったのよ!」

と緊張レベルをレッドゾーンに戻します。

「ごめんなさい。」

と再び謝る息子。

後で彼と二人になった時、そもそもどうしてそういうことになったのか、あらためて尋ねてみました。分別に欠ける年頃とはいえ、その脆弱さを十分理解していたはずの構造物に全体重を預けようと決めた心境が、私にはどうしても理解出来なかったのです。

「懸垂したいと思った瞬間には、もうあれセットしてたんだよね。」

テストステロン(男性ホルモン)のせいで理性的な判断力が吹っ飛んでしまったんじゃないかな、と息子。なるほど、ホルモンね。でもさ、首から落ちて致命的な怪我になっていたかもしれないんだよ、と私が言うと、ここ触ってみてよ、とこちらの右手をつかんで前頭部のコブを撫でさせ、少し笑ってから、

「これまでのトレーニングでコア(体幹)がしっかりしてたから、咄嗟に顎を引いて上体を回転することが出来たんだね。」

と何故かドヤ顔。おいおい、何でそこで得意気なんだよ?君のその愚かさのせいで、両親の結婚十周年記念の品が木っ端微塵になったんだぞ。

「あ、それはごめん。」

と再び恐縮するものの、どこまで反省しているのかは謎。つくづく思うのですが、彼のこの圧倒的な「自己肯定感」は、強みではあるものの手放しでは称賛出来ません。小さなことで落ち込んだり自分を卑下したりしない一方、知らぬ間に他人の感情を傷つけたり同じ失敗を繰り返したり、という危険と隣合わせなのです。

ここではたと気づく私。これって、大半のプロジェクトマネジャーに見られる傾向じゃないか?特に男性の…。大規模プロジェクトを任されて二つ返事で引き受けるなんて、冷静に考えれば正気の沙汰ではないのです。そもそもプロジェクトなんてものは不可知の危険が一杯で、失敗して責任を取らされる可能性をちょっとでも想像すれば、二の足を踏むのは当たり前。ところが自己肯定感の強い人間は、どんなリスクを突きつけられてもビビらないのですね。だからこそプロジェクトマネジャーにはそういうタイプが多く、実は愚かな失策を犯しやすいし、犯しても気づかない。そればかりか、自分は結構うまくやれてると思い込んだりする。

おお、次回のプレゼンの骨組みが見つかったじゃないか!無理して考えず自然に過ごしてたら、勝手にあっちから現れた…。やったぞ。ついてるな、ノッてきたぞ。松本先生有難う!

2020年5月16日土曜日

Stir-Crazy スター・クレイジー


カリフォルニア州の外出禁止令が出てから約二ヶ月。この二週間はほぼ毎日、チーム・メンバーひとりひとりと電話面談をしています。会社の会計年度が十月始まりで、四月には上半期のパフォーマンス評価をすることになっていたのですが、このゴタゴタで一ヶ月延びた、というわけ。14名の部下のうち七名は二月に移籍して来た新メンバーであるため、彼女たちが去年設定したゴール自体を見直さなければならない。軽いチェックで済ますわけにはいかず、それぞれ一時間かけてじっくり会話したのでした。その前後に受けた近況報告の内容は、実に十人十色。

オレンジ支社のヴァージニアは、幼い二人の子どもたちを自宅で世話しながら働くことの困難さを日々痛感しており、体力的にも精神的にも限界ギリギリだと言います。一方三年目の独身テイラーは、通勤が無くなった分エクササイズに割ける時間が増え、前より健康になったと嬉しそうに話します。ロス支社のベテラン社員カーラは、自宅アパートの椅子が仕事に適した高さに調整出来ず、脚が腫れて来たと言います。更にネットワーク・スピードの遅さで仕事が通常の倍近くかかるようになり、目が疲れて頭痛がひどい。一日も早くオフィスに戻りたい、と。サンタマリア支社のデボラはお孫さんもいる年齢で、一度引退してから復帰したベテラン社員。アパートで一人暮らしをしています。調子はどう?と尋ねると、

“I’m getting stir-crazy!”
「スター・クレイジーになって来たわよ!」

と笑います。一瞬、何と言ったのか聞き取れず、復唱してもらいました。

「え?知らない?ずっと部屋に籠もってるからもうたまらないのよ。」

「でも何でStir なの?」

「あら、なんでかしら?子供の頃から聞き慣れてる表現だから、深く考えずに使ってたわ。」

Stirは鍋などを「かき混ぜる」という意味なので、何かそこに鍵があるのかな、と最初は思ったのですが、どうも腑に落ちません。後であらためて調査してみたところ、あるサイトに、「そもそもStir はPrison(監獄)の俗語だった」とありました。だとすれば納得です。長期間収監された人が味わう狂気というのは今の我々の置かれた状況にぴったりだから。

19世紀のロンドンにNewgateという悪名高い監獄があり、このニックネームがStartだった。これがなまってStirになり、一般に監獄を指すようになった。この言葉が20世紀にアメリカへ渡り、囚人が発狂する様をStir-crazyと表現するようになった…。な~るほど。「早く娑婆の空気が吸いてえ!」という決まり文句が示すように、閉鎖空間で長期間過ごす人たちが味わう息苦しさを表すフレーズなのですね。

というわけで、デボラが言いたかったのはこういうことでしょう。

“I’m getting stir-crazy!”
「外に出たくて頭おかしくなりそうよ!」

一人暮らしで二ヶ月は確かにキツイだろうな、と同情しました。ただでさえ話好きなデボラは、サンタマリア支社で働く社員たちと毎日お喋りを楽しんでいたそうで、さすがにこの状況下でそんなことは出来ません。私は幸運にも妻子と毎日会話しているし、そこそこスキンシップも図れるため、デボラほどのイライラは感じずにいられます。とは言え、業務上のコミュニケーション効率の悪さ、ネット会議での微妙なタイムラグによる意図せぬ発言の衝突と気まずい譲り合い、ネットスピードの遅さによる待ち時間の増大など、心身の平安を揺るがす要因は無数にあります。「通勤」という切り替え装置の不在は勤務時間の増大を許し、何も対策を打たなければ肉体も精神もじわじわと蝕まれて行く。そこで私は、一月前からルーティンの微調整を始めました。

十分を超える長い休憩を仕事の合間にちょこちょこ取り、裏庭で植物の手入れをすること。毎日夕方に、心拍数をドカンと上げる運動をすること。就寝前に熱いシャワーや足湯で体を温め、じっくりストレッチしてからベッド入りし、快眠に取り組むこと(めちゃくちゃジジイっぽいですが)。これら全てを実施した上で、更に力を入れているのが呼吸法です。交感神経と副交感神経のバランスを整えるために、我々に出来る唯一の手段は呼吸を制御すること(我が家のホームドクター川尻先生の教え)。これをやってみて、そのパワーにあらためて驚嘆している私。

大学時代は合気道部で、稽古前に必ず呼吸法の練習をしていました。全部員が目をつぶって横一列で畳に正座し、主将が「呼吸法、始め!」と叫んで拍子木を打つ。息を15秒吐き続ける、拍子木カーン、息を15秒吸い続ける、拍子木カーン!これの繰り返し。ただただ自分の呼吸に意識を向けること数分間。気がつくと、何とも表現し難い不思議な場所にワープしているのです。明るくて暖かくて、とにかく静かな世界。「やめ!」の合図でゆっくり立ち上がる時には、まるでコンピュータのメモリが全消去され、デスクトップはスッキリ片付き、デフラグも終了してどんな作業でもサクサクこなせるような気分になっているのです。まさに「生まれ変わったような」体験。Stir-crazyになりそうな時は呼吸法で乗り越える。これしかない。何十年もの時を経て、その効用に唸らされるのでした。

さて、自宅で遠隔授業を受けている18歳の息子。ここのところしつこく、ねえ、「鬼滅の刃」読んでよ、と迫ってきます。今まで見た漫画で一番すごいんだよ。パパとじっくり感想を語り合いたいんだ、と。う~ん、漫画は好きな方だけど、さすがに現代少年漫画の話題で盛り上がるのはキツイ年齢になってんだよな…。

「鬼滅の刃(きめつのやいば)」とは、少年ジャンプ連載のメガヒット漫画で、アニメ化された際のアートワークがあまりにも素晴らしくて一気にバズった、という作品。舞台は大正時代。家族の命が無残に奪われ、妹も鬼に変えられてしまった主人公の少年炭治郎が、厳しい試練に耐えながら強くなっていき、恐ろしい鬼たちを倒して行くお話。ストーリーの中で肝となるのが「呼吸法」で、これをマスターしないと強くなれない。炭治郎が幼い頃、体が弱く普段は病の床についていた父親が雪の中、呼吸法を使って完璧な舞を長時間踊るシーンは圧巻です。「正しい呼吸を出来るようになれば炭治郎も舞えるよ。」というメッセージは、うちの愚息の心に焼き付いたみたい。

「炭治郎の頑張りに励まされたお陰で、吐きそうなほどキツイ水泳部の練習にも耐え抜けたんだよ。」と、架空の人物への感謝を真顔で口にする息子。呼吸法の凄さを説いたことがある私と炭治郎の父とを重ねているのか、この漫画はきっとパパも夢中になるはずだよ、と鼻息を荒くします。

その息子ですが、最近は私の姿を見るとエア大刀を闇雲に振り回して斬りかかって来て、やめろと突き放してもなかなか止めず、最後は首を撥ねる真似までするので非常に邪魔くさいです。毎日何時間も泳ぎこんでいた若者が突然二ヶ月も家に閉じ込められればStir Crazyになるのも当然ですが、実に鬱陶しい。かくなる上は呼吸法を完全にマスターし、ヤツの攻撃を華麗にかわして格の違いを見せつけるしかないな。そうほくそ笑む、初老のオヤジでした。

2020年5月9日土曜日

Exemplary human being 理想の人間像


コロナウィルスの影響で早々にコロラドから里帰りした18歳の息子は、自分の部屋で毎日オンラインクラスに参加しています。彼の大学はブロック制というシステムを採用していて、各三週間半のブロックを一年間に8コマ履修します。ブロック中は一教科のみを徹底的に学ぶので、マルチタスクの苦手な彼にはうってつけ。去年はアジア戦国史とラテン語にはまり、先月は哲学、今月は動物学、と様々な分野を楽しく学んでいる様子。

彼の大学選びの初期段階から、我が家は一貫して「リベラルアーツ・カレッジ推し」でした。「学び方を学ぶ」基本理念がいたく気に入ったので。専門分野を決める前に強固な土台を作っておけば、いつでも柔軟に方向修正が出来る。生涯通して学び続けることの出来る人間は、時代の急激な変化に遭っても慌てず怯まず、しなやかに、そしてにこやかに生きていける。

昨夜、腰にバスタオルを巻いてシャワールームから出てきた彼が、水泳で鍛えた逞しい上半身を見せびらかしつつ、こんなことを言いました。

「僕さ、将来子供が沢山出来たら、その子達が興味を持った分野についてはひとつ残らず、ちゃんと話が出来るような親になりたいんだ。たとえば木工細工やりたいって言い出したら、うまく作れるコツをさっと伝授したりね。新しいゲームの話をされても、ああもうそれやってみたよ、面白かったよ、一緒に遊ぼうか、とかさ。」

身体能力が高く、適度におしゃれでユーモアセンスもあり、愉快な仲間に囲まれ、人文系も理数系もバランス良く修めていて、オタク系の趣味もそこそこ楽しみ、さらに四ヶ国語くらいベラベラなのがいいな、と常々自分の将来像を語る若者。そりゃ楽しそうじゃないか。是非そうなってくれよ、と励ます私。

どんなに世の中が混沌としていてもお気楽に理想を語る、この「突き抜けた」楽観性。至らない点は多々あるものの、父親としてはひとまず安心なのでした(ちなみに私の理想は「高田純次のようなオヤジ」なのですが、これは妻から頗る評判が悪く、あまり言わないようにしています)。

話はさかのぼって、カリフォルニア州知事が外出禁止令を発令する前の週の水曜日。一階上で働く同僚リチャードが廊下の向こうから現れ、ゆっくりと近づいて来ました。ちょうど電話中だったので、「後でこっちから出向くから」と手でサインを出し、数分後に彼の席を訪ねます。

「実はさ、この会社とも今週でおさらばなんだ。」

周りの人にはギリギリ届かないけど、耳をそばだてたくなるほどあからさまな内緒話とも取れない、絶妙なトーンで打ち明けるリチャード。

「詳しい事情はいつかあらためて話すけど、金曜までここで働いて、それでおしまい。」

「ちょっと待ってよ、随分突然じゃないか。こんな簡単な会話でバイバイってのは駄目でしょ。送別会代わりにランチくらい行こうぜ。」

そんなわけで金曜の昼、二人で近くのレストランへ出かけました。席に着くや否や、退職を決意するまでの顛末を尋ねます。

彼が深く関わっていた上水道プロジェクトのPMは非常に攻撃的な性格で、クライアントとの喧嘩も辞さないところがある。過去に何度か衝突があり、その度にリチャードは上層部へ忠告を送っていた。しかし彼らは全く動こうとしない。このままだとプロジェクト半ばにして契約破棄されちゃいますよ、と文書で警告もしてみたが、やはり何も変わらない。そうこうしているうち遂にクライアントのPMがブチギれ、予想通り契約は打ち切り。リチャードの仕事は当然ごっそり減り、てんやわんやの忙しさから一転、低稼働率社員の仲間入り。この状況が続けばレイオフは時間の問題だ、さあどうしよう、と悩み始めた時、かつての同僚ジャックが声をかけてくれた。

「ジャックは自分が転職してから、一貫して気にかけてくれてたんだ。今よりもずっと良い条件で引き抜いてくれるって言うんだよね。」

「それを聞いて安心したよ。本当に良かった。ジャックのとこなら安心じゃない!」

「有難う。長年働いた会社をこういう形で去るのは、正直ちょっと残念だけどね。」

「そうだね。でも統廃合の連続で社員数が爆発的に増えて、オフィスの雰囲気は随分変わっちゃったでしょ。古くからの仲間だってもうほとんど残ってないし。今回のことは実はラッキーだったって思える日がいつか来るんじゃないかな。」

十五年前、まだよちよち歩きだったうちの息子をオフィスへ連れて行った時、仕事の手を休めて長いこと遊んでくれたっけ。他の独身男性社員たちとダウンタウンへ繰り出す度に、妻子持ちの僕も構わず誘ってくれたな。こんないい奴が長年尽くした会社で最後の日を迎えてるっていうのに、送別会を企画してくれる人が僕以外いないなんて、随分寂しい話じゃないか…。

「たまにはまた昔みたいに、焼き鳥食べに行ったりしようぜ。」

握手で別れてそれぞれのデスクに戻ります。金曜の午後ということもあり、私のフロアは既に人影まばら。仕事に没頭し始めて数時間後、リチャードからメールが届きました。ランチのお礼の後、こんなことが書かれていました。

“I really cherish our friendship and I hold you in the very highest regard.”
「この友達関係はとても大切に思ってるんだ。君のこと、最高に尊敬してるよ。」

そして、こんな文章で締めくくるのでした。

“You’re an exemplary human being.”

エグゼンプラリーなヒューマン・ビーイング?どういう意味だ?さっそくネットで調べます。

Exemplar というのは「模範」とか「手本」という意味らしく、Exemplaryはその形容詞で、「模範となる、称賛すべき、立派な」。リチャードの締めの一文は、こういう意味になりますね。

“You’re an exemplary human being.”
「君は模範的な人だよ。」

一瞬のためらいの後、がらんとしたオフィスでクスクス笑い出していた私。何を大げさな!送別会代わりにランチおごっただけなのに…。しかしその後すぐ、リチャードがお世辞や冗談で耳障りの良い褒め言葉を使うような薄っぺらい人間じゃないことを思い出し、じわっと感動していました。

その晩の食卓で息子に、Exemplary human beingの意味を知ってるか聞いてみました。

「人間の中で、最も神に近い人のことだよ。」

おお、そうなのか。だとすると、「理想の人間像」みたいなイメージだな。

「イスラムとかユダヤの一部の信者たちは、人類の中で最も優れたグループとして自分たちをそう呼んだりしてるよ。」

ううむ。それはどうなんだろう…。

「なんで?誰かにそう言われたの?」

「うん、実はリチャードとランチに行ってさ…。」

その日の経緯を説明し、彼との長い付き合いについても話しました。ちっちゃい頃にリチャードに遊んでもらったことを記憶しているか尋ねると、

「うん、覚えてるよ。それから何度も会ってるしね。」

「ずっと考えてるんだ。彼はなんでそんな大壮な言葉まで持ち出して褒めてくれたんだろうってね。」

すると妻と息子が間髪入れず、声を揃えてこう返したのでした。

「そりゃランチおごったからでしょ!」

おお、このスピード!鋭いツッコミ!理想的な家族だな、この二人は…。

2020年4月12日日曜日

Put it in perspective ちょっと引いて考えてみる


4月3日の朝。アメリカ地域のトップであるスティーブが、二万人を超える社員に向けてビデオ会議を催しました。エグゼクティブは二割、フルタイム社員は一割の減給でコロナ危機を乗り切ることにした、というのがそのメイン・メッセージ。デザイン・エンジニアリング・コンサルティングビジネスは在宅勤務でも遂行できる業務内容が多いため、こうした事態でもさして影響は受けないと思われがちですが、クライアントがプロジェクトの一時休止を決断するケースが出始めたため、このままでは大規模な人員整理を避けられない、ついては皆で痛みを分かち合うことにした、とのこと。

当然、社員一同ざわつきます。今でも何とかやり繰りして日々を乗り切っているというのに、これ以上給料削減されたらやって行けないじゃないか、と。富裕層ひしめく私立大学に無理して息子を入れてしまった我が家でも、向こう三年半の学費支払いに暗雲がたち込めます。かくなる上は、無駄な出費を抑えて緊縮財政を徹底するしかない、と冷蔵庫や食糧庫の中の物をかき集めて料理する毎日。

実は、こういう時こそライフスタイルの転換を図るチャンスだぞ、と三週間前から野菜作りプロジェクトに乗り出していた私。自宅で野菜を相当量収穫出来れば、少なくとも食費の削減は可能だし、第一健康的な趣味がゲット出来るじゃないか、と。さっそくレタスやキュウリの苗を買って来て庭に植えてみたのですが、ゴーファー(土ネズミ)に根こそぎ持っていかれたり、あっという間に枯れて跡形も無くなったり、となかなかうまく行きません。かくなる上は、と自宅の裏庭で本格的に農業を始めたアーサー君という知り合いの息子さんにメールを書いて指導を仰ぎました。

「一番重要なのは土作りなんだ。まずはガーデン全体にシートマルチングを施して雑草の繁殖を抑制し、健康な土壌を育てることから始めるといいよ。」

ううむ。なんか知らんがむちゃくちゃ面倒そうじゃないか。

「あと、とにかく好奇心を持って色々試しながら改良を加えて行く、という心構えで行くといいね。土に触れてみて、どれくらい湿っているか、植物の調子がいい時の土の具合はどんなものかを観察してみることだね。」

ありゃりゃ。思ったより息の長い学習が要求されるみたいだぞ。もうちょっと楽な道は無いもんかな。いつもの怠け心が頭をもたげ、YouTubeの「野菜栽培ハック」的なチャンネルをガンガン見始めました。そこで私の心を奪ったのが、「切り落とした人参の頭を使って再生栽培する方法」というもの。トップの周囲に三本の楊枝を刺し、水を注いだ小さなガラス瓶の上に浮かせるようにして設置(切断面を水に浸して根を生やさせるためですね)。ハイスピードカメラの映像で、緑の葉と茎がぐんぐん伸びて行く様子が流れます。おお、これならすぐに取り掛かれるじゃんか。さっそくやってみよう!意気込んで冷蔵庫から人参を取り出します。トップを切り落として水栽培セットを六本作製し、キッチンの出窓に並べました。するとびっくり、三日もしないうちに根と芽が現れ、一週間で緑の茎が一センチほど伸びたのです。こ~れは楽しい!

さて、話変わって木曜日のこと。新しいボスのカレンと、彼女のもうひとりの部下であるアリーナとの電話会議がありました。

「正直、今回のスティーブのアナウンスには意表を突かれたわ。」

とカレン。

「会社の冷血な意思決定を長年見続けて来た私としては、もう間違いなく大量解雇に打って出るだろうと踏んでたのよ。それがなんと、皆で一緒にピンチを乗り越えましょうなんて言い出すとは。ちょっと気味が悪くなったわ。」

「給料ゼロよりは9割の方がずっとましだものね。」

カレンの皮肉なコメントには付き合わず、安堵の声を漏らすアリーナ。

“Let’s put it in perspective.”

とカレンが続け、

「航空業界、ホテル業界、レストラン業界が経験してる痛みを考えたら、報酬の一割削減なんて、ラッキー過ぎるお話じゃない。」

と締めます。おお、今のフレーズしょっちゅう聞くし、意味も何となく分かるけど、そもそもPerspective(パースペクティブ)って何だっけ?それに何故、 a とかtheとかの冠詞が付かないんだ?そんな疑問が湧いたので、さっそくネットで調べてみました。

Perspective= 透視画法、遠近図

つまり、二次元である紙の上に遠近法を使って三次元的に描かれた世界を示す名詞ですね。

“Paint in perspective.”
「遠近法で描く」

というように画法の話をしているので、冠詞が付かないのも頷けます。

“Let’s put it in perspective.”

を直訳すれば、

「遠近法で見てみましょう。」

となるわけですが、これは対象を三次元で、つまり広がりや奥行きも合わせて見てみよう、という話。全体像を捉えてみよう、広い視野で見てみよう、という訳が一般的みたいです。私の意訳はこれ。

“Let’s put it in perspective.”
「ちょっと引いて考えてみましょう。」

暫しの静寂の後、アリーナが静かな口調で語り始めました。

「私の家族は全員ロシアに住んでるの。四月一杯は外出禁止になったらしいんだけど、あっちはそもそも在宅勤務が出来るようなインフラが整っていないのね。事実上の集団失業よ。事態がいつどう改善するか全く見えない状態で、皆すごく苦しんでる。アメリカじゃ失業者や収入が激減した人達への現金給付が検討されてるって話を聞いて、あんたは恵まれてるねって言われたわ。ロシア政府にはそんなこと期待出来ないから。」

なるほど。国や地域によって対応もバラバラなんだな。そんな風に全体像を捉えてみたら、確かに我々はまだまだ恵まれた立場にいると言えるでしょう。これ、精神衛生上非常に大事な考え方だと思います。

さて、人参の成長を観察するのが朝の習慣になった私は、今朝も起床とともにキッチンへ。順調な生育ぶりを確認した後、ふとこの先はどうしたらいいのかな、と疑問が湧きました。さっそくスマホで検索。

「水栽培で育つのは葉っぱのみ。実は出来ません。人参を育てたければ種から植えましょう。水栽培は、子供のための教育プロジェクトなどに最適です。」

ガ~ン!

食糧自給という高みを目指していたはずの私はこの二週間、お子様用実験に夢中で取り組んでいたのか。面倒くさがって近道を進んだばっかりに…。数秒間ショックで立ちすくんでしまいましたが、そのうち段々笑えて来ました。いやいや、これも植物栽培を楽しむようになるための、大事な一歩じゃないか、決して無駄にはならんぞ。

ちょっと引いて考えることを習得したお蔭で、スピーディーな立ち直りが果たせたのでした。


2020年3月27日金曜日

Uncharted Territory 未知の領域


一月に婚約してフロリダのペンサコーラへ引っ越した部下のブリトニーから、

「ちょっと話せる?」

とテキストが届きました。

「特に何もないんだけど、暫く話してないから近況報告したくって。」

「オッケー。じゃあ一時間後に。」

ドアを開けてキッチンに進み、紅茶を淹れようとポットの「再沸騰」スイッチを押します。

先週木曜にカリフォルニア州知事が「全州民外出禁止令」を出したことで、最後まで出勤組だった私も遂に自宅勤務をスタート。倉庫代わりに使っていた客間を片付け、折り畳みテーブルとキッチンデスクを持ち込んで簡易オフィスを設置。妻は職場から角度調整機能付きオフィスチェアと大画面モニターを運んで来て、ダイニングテーブルの隅に本格的な職務空間を作り上げました。コロラドから春休みで戻って来た息子は、次の学期一杯オンライン講座になることが正式に決定したため、期せずして一家三人の濃密なサンディエゴ暮らしが再開した格好になりました。

水泳部の厳しいトレーニングのおかげで全身筋肉になった18歳の息子は、まるである日突然座敷犬として飼われ始めた猟犬のように、膨大なエネルギーのやり場に困っています。仕事中に度々ノックしてはドアを開け、そっと入って来てiPhoneを差し出し、私の右耳にAirpodをはめ込んで面白動画を見せ、クスクス笑いながらこちらの反応を窺うティーンエイジャー。

「あのね、何度も言うけど一応仕事中なんだよ。」

「あ、ごめん。でも面白いでしょ、これ。」

社会に出てから三十余年、正式に自宅勤務を体験するのはこれが初めてです。通勤時間が無くなったのでその分余計に眠れるし、勤務体制はフレキシブルに調整出来る。その気になればシエスタなんかも挟み込める。そんなプラス面を数えていたのに、結局いつもより長時間働いていたりする私。

「ほら、私がリモートワークをしたいって申し出た時、いずれはそういうワークスタイルが標準になるだろうから、君がその先駆者としてノウハウを積み上げてチームメンバーと共有してくれって言ってたでしょ。」

電話の向こうでブリトニーが、過去の会話を再現します。あ、確かにそんな話したな、と薄っすら記憶が蘇ります。

「そんな未来が、意外に早く到来したなって考えてたの。」

私も含めて16名のチームが全員、自宅からテレワークをしている現実。これがあと数カ月続けば、今度は元に戻す時にストレスを感じるかもな、とふと思います。

前日に人事部のシャリーンがマネジャー達を集めて電話会議した際、

“This is an uncharted territory.”

という表現を使っていました。Uncharted は「海図の無い」という意味なので、

“This is an uncharted territory.”
「これは未知の領域よ。」

ということですね。コロナウィルスのために全世界が激震している現実を捉えてそう言ったのでしょうが、「無期限の総員自宅勤務」という事象ひとつとっても、未知の領域であるであることは間違いありません。ブリトニーの婚約者は空軍勤務なのですが、やはり自宅待機を命ぜられているとのこと。

「基本的には何もしてないの。なのに毎朝6時半に起きて、制服に着替えて7時の点呼に備えてるのよ。」

「え?でも出勤しないんでしょ。」

「そうなの。でもビデオ会議で全員顔を見せて、点呼を取るのよ。それが終わると制服脱いでまたパジャマになって、ベッドに戻るの。正直、馬鹿げてると私は思うんだけど。」

大笑いした私は、我慢できずにコメントします。

「そんなのさ、パジャマに上着羽織って前のボタンだけ締めときゃバレないでしょ。」

すると、待ってましたとばかりにブリトニーが応えます。

「もちろん私もそう言ったわよ。そしたら、いつ抜き打ちで立たされて全身チェックされるか分からないじゃないかって言うの。」

な~るほど~。ばっかばかしい~。軍人たちも、「未知の領域」でもがいてるんだなあ。