2020年5月9日土曜日

Exemplary human being 理想の人間像


コロナウィルスの影響で早々にコロラドから里帰りした18歳の息子は、自分の部屋で毎日オンラインクラスに参加しています。彼の大学はブロック制というシステムを採用していて、各三週間半のブロックを一年間に8コマ履修します。ブロック中は一教科のみを徹底的に学ぶので、マルチタスクの苦手な彼にはうってつけ。去年はアジア戦国史とラテン語にはまり、先月は哲学、今月は動物学、と様々な分野を楽しく学んでいる様子。

彼の大学選びの初期段階から、我が家は一貫して「リベラルアーツ・カレッジ推し」でした。「学び方を学ぶ」基本理念がいたく気に入ったので。専門分野を決める前に強固な土台を作っておけば、いつでも柔軟に方向修正が出来る。生涯通して学び続けることの出来る人間は、時代の急激な変化に遭っても慌てず怯まず、しなやかに、そしてにこやかに生きていける。

昨夜、腰にバスタオルを巻いてシャワールームから出てきた彼が、水泳で鍛えた逞しい上半身を見せびらかしつつ、こんなことを言いました。

「僕さ、将来子供が沢山出来たら、その子達が興味を持った分野についてはひとつ残らず、ちゃんと話が出来るような親になりたいんだ。たとえば木工細工やりたいって言い出したら、うまく作れるコツをさっと伝授したりね。新しいゲームの話をされても、ああもうそれやってみたよ、面白かったよ、一緒に遊ぼうか、とかさ。」

身体能力が高く、適度におしゃれでユーモアセンスもあり、愉快な仲間に囲まれ、人文系も理数系もバランス良く修めていて、オタク系の趣味もそこそこ楽しみ、さらに四ヶ国語くらいベラベラなのがいいな、と常々自分の将来像を語る若者。そりゃ楽しそうじゃないか。是非そうなってくれよ、と励ます私。

どんなに世の中が混沌としていてもお気楽に理想を語る、この「突き抜けた」楽観性。至らない点は多々あるものの、父親としてはひとまず安心なのでした(ちなみに私の理想は「高田純次のようなオヤジ」なのですが、これは妻から頗る評判が悪く、あまり言わないようにしています)。

話はさかのぼって、カリフォルニア州知事が外出禁止令を発令する前の週の水曜日。一階上で働く同僚リチャードが廊下の向こうから現れ、ゆっくりと近づいて来ました。ちょうど電話中だったので、「後でこっちから出向くから」と手でサインを出し、数分後に彼の席を訪ねます。

「実はさ、この会社とも今週でおさらばなんだ。」

周りの人にはギリギリ届かないけど、耳をそばだてたくなるほどあからさまな内緒話とも取れない、絶妙なトーンで打ち明けるリチャード。

「詳しい事情はいつかあらためて話すけど、金曜までここで働いて、それでおしまい。」

「ちょっと待ってよ、随分突然じゃないか。こんな簡単な会話でバイバイってのは駄目でしょ。送別会代わりにランチくらい行こうぜ。」

そんなわけで金曜の昼、二人で近くのレストランへ出かけました。席に着くや否や、退職を決意するまでの顛末を尋ねます。

彼が深く関わっていた上水道プロジェクトのPMは非常に攻撃的な性格で、クライアントとの喧嘩も辞さないところがある。過去に何度か衝突があり、その度にリチャードは上層部へ忠告を送っていた。しかし彼らは全く動こうとしない。このままだとプロジェクト半ばにして契約破棄されちゃいますよ、と文書で警告もしてみたが、やはり何も変わらない。そうこうしているうち遂にクライアントのPMがブチギれ、予想通り契約は打ち切り。リチャードの仕事は当然ごっそり減り、てんやわんやの忙しさから一転、低稼働率社員の仲間入り。この状況が続けばレイオフは時間の問題だ、さあどうしよう、と悩み始めた時、かつての同僚ジャックが声をかけてくれた。

「ジャックは自分が転職してから、一貫して気にかけてくれてたんだ。今よりもずっと良い条件で引き抜いてくれるって言うんだよね。」

「それを聞いて安心したよ。本当に良かった。ジャックのとこなら安心じゃない!」

「有難う。長年働いた会社をこういう形で去るのは、正直ちょっと残念だけどね。」

「そうだね。でも統廃合の連続で社員数が爆発的に増えて、オフィスの雰囲気は随分変わっちゃったでしょ。古くからの仲間だってもうほとんど残ってないし。今回のことは実はラッキーだったって思える日がいつか来るんじゃないかな。」

十五年前、まだよちよち歩きだったうちの息子をオフィスへ連れて行った時、仕事の手を休めて長いこと遊んでくれたっけ。他の独身男性社員たちとダウンタウンへ繰り出す度に、妻子持ちの僕も構わず誘ってくれたな。こんないい奴が長年尽くした会社で最後の日を迎えてるっていうのに、送別会を企画してくれる人が僕以外いないなんて、随分寂しい話じゃないか…。

「たまにはまた昔みたいに、焼き鳥食べに行ったりしようぜ。」

握手で別れてそれぞれのデスクに戻ります。金曜の午後ということもあり、私のフロアは既に人影まばら。仕事に没頭し始めて数時間後、リチャードからメールが届きました。ランチのお礼の後、こんなことが書かれていました。

“I really cherish our friendship and I hold you in the very highest regard.”
「この友達関係はとても大切に思ってるんだ。君のこと、最高に尊敬してるよ。」

そして、こんな文章で締めくくるのでした。

“You’re an exemplary human being.”

エグゼンプラリーなヒューマン・ビーイング?どういう意味だ?さっそくネットで調べます。

Exemplar というのは「模範」とか「手本」という意味らしく、Exemplaryはその形容詞で、「模範となる、称賛すべき、立派な」。リチャードの締めの一文は、こういう意味になりますね。

“You’re an exemplary human being.”
「君は模範的な人だよ。」

一瞬のためらいの後、がらんとしたオフィスでクスクス笑い出していた私。何を大げさな!送別会代わりにランチおごっただけなのに…。しかしその後すぐ、リチャードがお世辞や冗談で耳障りの良い褒め言葉を使うような薄っぺらい人間じゃないことを思い出し、じわっと感動していました。

その晩の食卓で息子に、Exemplary human beingの意味を知ってるか聞いてみました。

「人間の中で、最も神に近い人のことだよ。」

おお、そうなのか。だとすると、「理想の人間像」みたいなイメージだな。

「イスラムとかユダヤの一部の信者たちは、人類の中で最も優れたグループとして自分たちをそう呼んだりしてるよ。」

ううむ。それはどうなんだろう…。

「なんで?誰かにそう言われたの?」

「うん、実はリチャードとランチに行ってさ…。」

その日の経緯を説明し、彼との長い付き合いについても話しました。ちっちゃい頃にリチャードに遊んでもらったことを記憶しているか尋ねると、

「うん、覚えてるよ。それから何度も会ってるしね。」

「ずっと考えてるんだ。彼はなんでそんな大壮な言葉まで持ち出して褒めてくれたんだろうってね。」

すると妻と息子が間髪入れず、声を揃えてこう返したのでした。

「そりゃランチおごったからでしょ!」

おお、このスピード!鋭いツッコミ!理想的な家族だな、この二人は…。

9 件のコメント:

  1. 素晴らしいコメントをいただいたものですね。人はなかなかそうまで言ってはくれませんよ。持つべきは友。

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    1. ほんとですね。気軽に付き合っていた相手からシリアスな褒め言葉を聞かされるというのは、なんとも面映いものです。結局のところ、毎日楽しく生きられているのは素敵な人間関係のお陰だと思います。

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  2. 息子君の目指している万能選手は、日本の場合「謙虚さ」を兼ね備えていないと、一転して「イヤミな人」扱いされかねない傾向があるよね。米国ではどうなんだろう?

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    1. もしも日本の社会で成功するための謙虚さ対自信の比が6:4だとすると、アメリカのそれは3:7くらいかな、と経験上思います。あくまで僕の感覚だけど。

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  3. 近年、リュウグウノツカイが上がったというニュースは頻繁に聞くようになったが、これはかなり珍しいかも。
    https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1030337?f=y

    水族館の水槽で泳ぐのを鑑賞できる日が来るのはそう遠くないかもしれないね。最近大流行してるゲームで「あつまれ動物のあつまれ森」っていうシュミレーションソフトがあるのだが、浜辺で釣りをしてるとリュウグウノツカイが得物として掛かるパターンが結構あるみたい(アナザー・リチャードのところのE美ちゃんが見せてくれた)。天変地異の予兆でなければ良いのだが。。。。

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  4. ゲームの名前は「あつまれどうぶつの森」でした。
    https://wired.jp/2020/04/22/rave-animal-crossing-new-horizons/

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  5. 幻の深海魚のはずが水面近くをウロウロ…。しかも二匹並んで。恐ろしいことが起きないといいんだけど。

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  6. 映画にあるような「今週でおさらば」というけれど、「ブツっ」と切れてカイシャ(仕事)が回っていくから恐ろしい。あ、回らくて解約になったんだっけ?
    いずれにしても、日本よりははるかに流動性の高い状況でビジネスが機能していくというのが理解しづらいね。もっとも、首相がぼんぼこ変わっても二ホンがつぶれるわけでもないし、突然立ち行かなくなるわけでもないから、心配は無用というところかな。

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    1. これは僕の業界に限った話じゃないと思う。アメリカ企業の人材流動性には、時々唖然とさせられるよ。愛社精神みたいなものを持ち合わせている同僚と会ったことは、今のところゼロ。会社とプロ契約を結んでるアスリートみたいな感覚かな。先月までレアルでプレーしてたのに今月はバルセロナ、みたいな。それでも彼らは「チームやファンのために頑張ります」とか一応言うよね。僕ら、そんなふりさえもしない。こんなので良く回ってるよね、会社。

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