2020年2月2日日曜日

尊敬とストレス


先月初め、私の属する環境部門北米西部地区の組織改変が発表されました。これまでは、仕事量の多い南カリフォルニアとそれ以北(アラスカまで)の2ブロックに分けてオペレーションが進行していたのですが、本部からの指示で一つにまとめることになり、南ブロックを仕切っていたジェームスが全体を所管する運びに。北ブロックのリーダーだったカレンは、西海岸全体のビジネス・デベロップメント(営業)とプロジェクトコントロールを担当することになりました。

「ちょっと話せる?」

1月13日の朝、そのカレンが電話して来ました。プロジェクトコントロールを独立した部署として立ち上げることになった経緯、彼女が所管することになった理由などを説明した後、こう続けます。

「あなたに南カリフォルニアのプロジェクトコントロール・チームをまとめて欲しいの。」

サンディエゴ支社の隅でひっそりとチームの拡充を図っていた私に、他の支社に散らばる似た役割の社員7名をチームに加えてくれ、という依頼です。実現すれば、部下は総勢14名(しかも全員女性)まで膨らみます。

たった一人でオペレーション部門に飛び込んでから15年。遂にこの日が来たか…。いつまで経っても組織がプロジェクトコントロールの役割を正式に認知しないことに業を煮やした私は、数年前から勝手に独自の布教活動を進めて来ました。

「プロジェクトコントロールに興味のある人いらっしゃい。」と隔週でウェブ会議を開き、参加者達にクールな問題解決テクニックを教えます。スライドショーとストーリーテリングを駆使し、もはやYouTuber(ちなみに前回は、コスト管理と利益率のトリックをサスペンス・ストーリー仕立てで話しました)。気が付けば、全米各地の支社にファンが拡がり、チャンネル登録者(?)も80名まで増えました。コンテンツを作るのはとても骨が折れるのですが、「すごくためになった。次回がとても楽しみです。」などというコメントをもらうと、アドレナリンが噴き出します。

先週半ば、カレンからメールが入ります。

「新規加入候補のメンバー達と個別に話が出来たわ。シンスケのチームに入れることを、皆すごく喜んでた。」

ボスが替わるというのは誰にとっても不安なはずなので、この知らせにはほっとしました。カレンが続けます。

“You have garnered lots of respect.”
「あなたは尊敬をたくさんガーナーしたのね。」

おっと、Garnerってなんだっけ?急いで辞書を引くと、「集める、努力して獲得する、蓄積する」とあります。なるほど。「集めて貯めていく」感じの単語なんだな。つまり、カレンの言ってたのはこういうことですね。

“You have garnered lots of respect.”
「すごく尊敬を集めてるのね。」

こんなこと言われて、悪い気がする人はいないでしょう。YouTuberもどきの布教活動を続けて来て本当に良かったなあ、と幸せな気分に浸る私でした。

さて金曜の朝は、北ブロックのプロジェクトコントロール・チームをまとめることになったアリーナと、我々二人のボスになったカレンとで、最初の定例電話会議がありました。

「今週は本当に大変だったでしょう。有難う。」

と真っ先に労うカレン。え?何が?と私。

「だって今回の組織改変に加えて、一月期の締めがあったでしょ。それにPMツールの切り替え直前のトレーニングまでやってたじゃない。」

あ、そうか、確かに…。過去三年間使っていたPMツールが今週で終焉を迎え、月曜には以前のツールに戻る、という一大イベントがあるのです。この二週間はほぼ毎日、エンドユーザー向けのトレーニングにインストラクターとして駆り出されていました。カレンはそれを余分な苦労として捉えていたのでしょう。そっか、そもそも教えたがりの私にはこういう業務が大好物だということを、彼女はまだ知らないのですね。大変だなんてとんでもない。むしろ健康のため、やり過ぎないよう我慢してるくらいなのに。これ、分かってくれる人少ないんだよなあ…。

その日の午後、床屋の予約があったので早めに店じまいを始めていたところに、都市計画部門の社員ジェーンがやって来ました。若い頃のドリュー・バリモアが、アラレちゃん眼鏡をかけた感じのルックス。

「ちょっと話せない?」

恐縮している様子の彼女。普段はほとんど接点がなく、一昨年のホリデーパーティーでちょこっと会話を交わしたくらいの薄い関係なので、あれ?なんだろう?と思いました。新PMツールに関する質問かな?昨日トレーニングにも出席してたしな…。

「こんなに忙しくてストレスフルなタイミングで、本当に申し訳ないんだけど。」

またか。どうして人って、相手が忙しいとかストレス溜まってるとか勝手に決めつけるのかな…。

「いやいや全然。ストレスなんてゼロだから心配しないで。ここ暫く、ストレスなんて奴に会ったこともないし。」

と、笑いながら元気に応える私。

「あっちで話せる?」

微かに緊張を漂わせた笑顔でこれをスルーし、近くの小会議室へ移動を促すジェーン。え?なんだ?これはちょっと穏やかじゃないな…。

「今朝、サンディエゴ支社の都市計画部門全員が解雇通告を受けたの。」

着席と同時に、衝撃ニュースが飛び出します。

「え?一体どうして?」

「なんでかさっぱり分からないの。小さな部門だけど7人もいるのよ。向こう4年間分のプロジェクトを獲得したばかりだし、私もずっと稼働率高いし。」

会社というところは、時に理不尽な意思決定をします。しかしこれほどむごいレイオフの例は暫く聞いたことがない。

「二週間後の14日が正式解雇日で、それまでに内部で転属先が見つからなければ職を失うの。それで私、あちこちにポジションの空きが無いか聞いて回ってるのね。ちょっと前にあなたのチームが新規募集をかけてたのを思い出して、私を使ってもらえないかと考えたの。」

藁にも縋る思いでここへ来た彼女の気持ちを考えているうち、胸が苦しくなって来ました。

「まずはほんとにごめん。ストレスゼロなんて言っちゃって。」

素直に謝ります。

「君がそんな苦境に陥ってたなんて、夢にも思わなかった。」

「え?いいのよ、全然そんな。」

手を顔の前でひらひら降って、懺悔する私を慌ててなだめる彼女。そんなことより本題へ、という焦りも勝っていたのでしょう。

「私、レイオフされるの初めてなの。ショックで暫くは呆然としてたんだけど、とにかく動かなきゃと思ってこうして歩き回ってるの。」

「レジュメ(履歴書)送ってくれる?ボスと話してみるよ。」

「ほんと?有難う!」

「でも何の保証も出来ないから、あてにしないで。とにかくあちこち当たってみた方がいい。」

「分かった。やってみる。本当に有難う。」

帰宅して妻に、

「またやっちゃった。大失敗。」

と告白します。

「え?何やらかしたのよ?」

身構える彼女に、ことの顛末を伝えます。重度のストレスを抱えた人に「ストレス・ゼロだよ」なんて笑って言っちゃった、というくだりに、

「もういい加減にそういうのやめたら?」

と呆れ顔。過去に何度も同じ失敗を繰り返して来た私。その度に妻は反省を促して来ているのです。

「そうだよね。言う必要が全く無いセリフだもんね。」

常にポジティブであるという点は、私が尊敬を集めて来られた理由のひとつでしょう。しかし、すぐ調子に乗るところは直さないといけない。妻が畳みかけます。

「ストレスが無いなんてもう一生言わない、そう自分に誓ったら?」

「え~?う~ん、それはちょっと…。」

調子乗りのキャラをやめるというのは、想像しただけで息苦しいのです。

「駄目だ。そんなことしたらストレスたまっちゃう。」


2020年1月21日火曜日

Floppy フロッピー


今日の午後、トイレから戻ってみると、向かいの席でシャノンが大笑いしています。

「聞いてよ。カンチーがフロッピーディスク知らないっていうの。」

彼女の隣で、若いカンチーが当惑気味に笑っています。

「嘘だろ。見たことも無いの?」

「無いです。」

驚嘆して立ちすくむ私。

「それって何に使うものなの?」

と私の二つ隣から二十代半ばのテイラーが質問を投げかけます。

「USBスティックとかと同じ?」

「う~ん、まあ機能としては同じだけど、そもそもデータ容量が桁違いなんだよね。」

左隣の席では、最近24歳になったばかりのブリトニーが、全く話についていけない様子でただただキョトンとしています。

「おいおい本当かよ。君たち誰もフロッピーディスクを知らないっていうの?」

「じゃあレーザーディスクは?」

首を振りながら顔をしかめるカンチーを見て、再び大笑いのシャノン。

「世の中で売られてた物なんですか?」

「売られてたよ!高値でね。そいつで映画を観た時は高画質に感動したもんだ。」

「あ、これこれ。」

と、シャノンが自分のコンピュータ画面を指さしてカンチーに見せます。どうやら、話しながら画像検索していたようです。

「これがフロッピーディスク。コンピュータで仕事した後、データを入れて保管してたの。これよりちょっと前は、もっとサイズが大きかったんですって。」

シャノンもさすがに5インチ版を使った経験は無いのだと。

「いやあ、3.5インチ版が出た時は感動したよ。こんなに小さくなったのに容量が倍増したぞってね。」

三十年前に職場で目の当たりにした技術革新が活き活きと蘇り、感動を新たにした私。

「動画とか入れてたんですか?」

とカンチー。

「動画なんか無いよ!たとえあっても到底おさまらなかっただろうし。」

いやんなっちゃうなあ。なんだなんだこの激しいギャップは?滅茶苦茶年寄り気分にさせられるじゃないか。シャノンと顔を見合わせ、苦笑い。

「そうそう、大判だった時は手で簡単に曲げられる程柔らかかったのよ。それでフロッピーって呼ばれてたんだものね。」

え?あ、そうか、なるほどね。Flopはそもそも「バタバタ動く、揺れる」という動詞だから、Floppy(形容詞)は「柔らかい、ペラペラの」となる。初期のフロッピーディスクの性質を、端的に表現した英単語だったのですね。知らなかったぜぇ。というか、名前の意味をちゃんと考えてみたことすらなかった…。

「おぉ、おぉ、おお~~~~~っ!」

三十年の時を超えた(今じゃ全く役に立たない)新発見にじわじわと気持ちが高ぶって来て、思わず部下たちの前で声を上げてしまいました。心の中の「ガッテン」ボタンを、何度も繰り返し押しながら。


2020年1月18日土曜日

Lose luster ラスターを失う


先日、ロングビーチ支社のマークと数カ月ぶりに電話で話しました。彼とはもう15年近い付き合いですが、私が転属して以来、何年も顔を合わせていません。彼の担当プロジェクトの財務状況を月に一回チェックして、ただレポートをメールするだけの関係が続いています。

「随分長いこと喋ってないけど、どうしてた?」

この手の会話の端緒というのは、適当に調子を合わせて先へ進むための予定調和的なやりとりがお約束。しかしこの時、彼が意外なほどしっかり間を取ってからこうしみじみ答えたのです。

“I don’t know but I feel like everything has started losing its luster.”
「分かんないけど、なんだか何もかもがラスターを失い始めたような気がするんだよな。」

え?ラスター?なんだそれ?あまりにもシンプルな発音なのに、これまで一度も聞いた記憶の無い単語です。

「あ、ラスター、知らない?」

彼の説明によると、Lusterというのは「反射、光沢、輝き」を意味する言葉。つまり、彼が言いたかったのはこういうことですね。

“I don’t know but I feel like everything has started losing its luster.”
「分かんないけど、なんだか何もかもが輝きを失い始めたような気がするんだよな。」

ドキリとしました。

マークと私は同年代。一人息子もほぼ同い年だし、会社の中での位置づけも大して変わりありません。そんな旧友が、ここ数カ月間というもの私が心に抱いていたもやもやを、これ以上ない的確さで表現してくれたのです。

専門分野ではそれなりに経験を積み、ベテランの域に突入した。知識は増え、仕事のスピードも早くなり、効率よくどんどん毎日が進んで行く。時にはあまりに仕事が楽しくてドーパミンが大量分泌され、危険な程ハイな状態で長時間労働を続けてしまう。そんな暮らしを送るうち、日々の様々な出来事がまるで快速列車の車窓を猛スピードで飛び去って行く沿線の家々のように、濁った灰色のノイズと化していることに気付き始めたのです。

何かに不満があるわけじゃない。ただ脳のレセプターが劣化して来ていて、かつては興奮を覚えた対象にも大して反応出来なくなっているのだ。こんな傾向を看過していたらヤバいぞ。今の内にニューロンの活性化に励まなければ!そう激しく自分を戒めるのでした。

さて、マークとの会話の数時間後、コロラドにいる18歳の息子から私と妻に宛ててテキストが入ります。

「後で電話していい?」

さては何か事件か?と心配した妻が、大事な話だったら私が帰宅する8時以降にして、と返事。すると、

「お喋りだよ!今週はよく泳ぎよく遊んだから長い話がしたかったんだ。8時頃電話するね。」

と明るい返事が届きました。その晩、夫婦で遅い夕食を食べている最中に、息子から電話が入ります。

水泳部の厳しい特訓に耐えていること、飛び込みを改善してタイムをぐんと縮め、コーチから褒められたこと、チームメートがいい奴ばかりで毎日めちゃくちゃ楽しいこと。そして先週のフロリダ合宿の話。みなでシャワーを浴びている時、息子が壁を「どん、どん、どどどん」と叩いたのを合図に、全員が「しゃー、わー、みーてぃん!しゃー、わー、みーてぃん!」と声を揃えて歌い出したこと。中休みの週末には、チーム全員でキーウェストの浜辺に繰り出したこと(一月だというのに海で泳げるくらい温暖だそうです)。通りすがりのおばさんに集合写真の撮影を頼んだら、「あんたたち大学生?じゃあ皆一緒に言って。Beer(ビール)!」と全員を笑わせてからパチリ。「もう一枚撮るわね。More Beer(もっとビール)!」抜けるような青空の下、Tシャツ短パン姿の逞しい男子大学生たちがゲラゲラ笑いながら肩を組んだり両手を上げたりしている写真が、テキストで送られて来ます。

「ウォーカーがさあ、トファーの海パンにクラゲを突っ込んだの。そしたらタマを刺されて大騒ぎになって、その日はずっとベッドで横になってなきゃいけなかったんだよ。そしたらその写真をウォーカーがこっそり撮ってインスタに載せてさあ。もう大ウケ!」

妻と一緒に笑いながら、じわっと感動していた私。

いいなあ若者たち、キラキラ輝いてんな!

2019年12月22日日曜日

Hazing ヘイジング


先日、我が家のランドスケープを手掛けた会社のメンテナンス部門から若い担当者のデイヴに来てもらい、おかしな方向に成長を始めてしまった木々の手入れなどについて相談に乗ってもらいました。

「あ、そうだ。直接関係無いかも知れないんだけど、これ教えてくれる?」

裏庭の広範囲を覆うマルチ(製材の際に出る細かな木片)があちこちで無残に掘り返されて土が露出していることがあり、これが何者の仕業で何のためにこんな狼藉を働くのか、と数週間前から首を捻っていたのです。

「野良猫かなと思うんだけど…。」

「いや、それは違うね。ネコならまず間違いなく糞がしてあるから。」

とデイヴが即答します。じゃ、なんだと思う?と私。カラスの可能性も残しつつ、彼が出した答えがこれ。

「十中八九、スカンクだね。」

「え?スカンクがこんな住宅地にいるの?」

アメリカに来てから、運転中に路上の轢死体として彼らを目にすることは多々ありました。発見の数十秒前から凄まじい悪臭でそれと分かるのですが、生きて動いている姿は一度も確認したことがありません。

「この辺には結構いるよ。土を掘り返して好物の昆虫を食べるんだ。」

「フェンスもあるってのに、どうやってうちの庭に入って来たのかな。」

そう言いながら、あちこちに隙間の空いている我が家のフェンスを思い出し、ガードが甘かったなと悔やみます。

「どうしても嫌なら、コヨーテの尿を買って敷地の外周に撒いておくという方法もあるけど。」

強い敵の存在を感じると近づかない、ということですね。

「でも奴等はそもそも臆病だから、人間の姿を感じただけでさっさと逃げるんだ。だからこっちから刺激さえしなきゃ大した実害は無いよ。」

とデイヴ。掘り返された場所にマルチを戻しておけばいい話だから、と。なるほどね、ととりあえず安心しつつも、そんな危ない奴がやすやすと侵入して我が物顔でうちの庭の土を掘り起こしているということ自体が気持ち悪く、これは何か手を打たなければな、と思うのでした。

さて今週、大学一年生の息子が冬休みに入り、コロラドから戻って来ました。彼を夕方空港で拾うと、その足で親友二コラとの待ち合わせ場所に落とします。世界の頂点を争うアメリカとセルビアの男子水球チームの試合が地元の私立高校で行われるというので、二人で潜り込んで観戦しようという計画。アリゾナのB大で水球部に入った二コラは一足先にサンディエゴへ戻っており、ジェラート屋でバイトしながらうちの息子の帰省を今か今かと待っていたのでした。

ひとり自宅へ戻ると、大食漢の息子のために挽肉カレーを用意して待っていた妻が、

「二コラの運転で帰って来るんでしょ。うちで一緒に晩御飯食べて行きたいんじゃないかしら?」

と提案。九時過ぎに家の前で息子を降ろして運転席から手を振る二コラを呼び止めると、

「もちろんご馳走になるよ!」

と家に上がります。それから夜中の十二時過ぎまで、若者二人の話は止まりませんでした。ベンチプレスをどれだけ上げられるかの筋肉自慢、受験生の見学会がある日にはカフェテリアのメニューの質が跳ね上がるという情報を入手し、チームで押しかけて食べまくる話。缶飲料の側面に穴を開け、真空状態を利用して一秒で飲み干す凄技、など。

中でも一番盛り上がったのが、フラタニティ(fraternity)というクラブの話題でした。これは北米特有の活動らしく、日本の大学でいう「サークル」とはちょっと趣が異なるようです。そもそもがラテン語の「兄弟」から来ているようで、知らぬ同士が「兄弟の契りを交わして」作る組織。入部した人は何をするの?という私の質問に、

「そりゃパーティに決まってるでしょ!」

と二コラ。そのフラット(フラタニティ―の略)に属していなければ、どんなに大金を積んでも門前払いの完全会員制パーティなのだ、と。

「可愛い女子は無料で参加出来るけど、男たちはまずそのフラットのメンバーになった上で会費も払わないといけないんだ。」

自分のようなアスリートはフラットに入る必要は無い、水球部のパーティに行けるからね、と二コラ。運動部にも入らず、フラットにも属さない学生はどうなるの?と私。

「そりゃ孤独な四年間を過ごすことになるね。」

そのうち息子と二コラの英会話に、耳慣れない単語がちょこちょこ出て来ました。

「ちょっと待って。ヘイジングって何?」

と妻が会話を止めます。息子が、うちの大学はヘイジング禁止なんだよ、と発言したのです。

Hazingっていうのは、新入生に強いる無茶な苦行のことだよ。」

フラタニティへの入部を志願して来た者に対し、短時間に大量のアルコールを飲ませるとか、タバスコを唇に塗るとか、重いブロックを頭に載せて何時間も片脚で立たせる、とか常識では考えられないレベルのシゴキをHazingと呼ぶようです。つまり、

Hazing
新人洗礼しごきの儀式

って感じでしょうか。

しごく側の上級生がその恍惚感から行為をエスカレートさせていくためか、毎年のようにあちこちの大学で死人が出ているヘイジング。禁止する動きが広まってはいるのですが、一向に無くなる気配がありません。二コラの大学は全米でも有数の「パーティースクール」で、犯罪すれすれの蛮行で有名なフラタニティもあるそうです。運動部に入ったお蔭でそんな狂乱にも巻き込まれず、健康的な大学生活を楽しめている、という二人。ほんとに良かったね、と我々夫婦は彼らの選択を喜ぶのでした。

翌日息子とこの話題を振り返っていた時、

「水泳部にHazingは無かったけど、そのかわり最初の数週間は滅茶苦茶きつかった。」

と彼に言われ、ハッとしました。

「コーチはわざと過酷な泳ぎ込みを課して、そこで音を上げるような選手は篩い落とすつもりだったと思うよ。」

歯を食いしばって厳しい試練を乗り越えた者同志に生まれる強い連帯感。これがあったからチームがひとつになれているのだ、と。最初の対外試合でスタート台に立った時、残りの部員全員で一斉に地鳴りのような声援を送ってくれた。それが本当に嬉しかった、と息子。

そうなんだ。社会問題になりながらもフラタニティのヘイジングがいつまでも無くならないのは、大衆がどこかでそのプロセスに価値を認めているからなんだ。強いチームを築くためにはメンバー同士の信頼関係が不可欠で、そのためには「この組織の一員になるための厳しいテストにパスした」ことを証明する何らかの合格通知が必要なのだ。一見無意味で理不尽に思える儀式でも、逃げずに立ち向かったことでお互いを認め合える。「誰でもどうぞ」と敷居を下げた組織なんかに、チーム意識が生まれるはずもないじゃないか…。

よく考えてみれば、私の率いるプロジェクトコントロール・チームでも、採用面接で候補者にかなりストレスフルな試練を与えています。面接に臨んだ者のほとんどが目の前でみるみる自滅して行き、意気消沈の態で去って行くほど過酷なチャレンジですが、これに打ち克った者だけが得られる強い自信と同志たちからの信頼感は、チームの結束力の源だと自負している私。

木曜の午後、部下のシャノンと新年度のゴールを決めるためのミーティングがあったのですが、終了後に彼女がこんな話をし始めました。

「ティファニーの向かいに座ってるB、知ってるでしょ。」

Bというのは、ひと月ほど前に採用された新人男性。小太りの黒縁メガネで表情が暗く、誰とも目を合わせない「オタク」な外見。給湯エリアで鉢合わせしても言葉を交わさず、まるでこちらが透明人間であるかのように真っ直ぐな動線で立ち去って行く。Procurement(調達)部門が採用した社員なので私が口を出す話じゃないのですが、一体どんな採用基準で雇ったんだろう?と首を傾げざるを得ないほどの根暗人間です。

「カンチーやテイラーの背後に静かに接近して、耳元で突然話しかけるんですって。二人とも飛び上がって驚いたって言ってたわ。」

「え?彼ってしゃべるんだ。」

声を聞いたことがほとんど無いので、他の社員に話しかけるということ自体が意外でした。

「それがね、上司の悪口や会社への不満ばかりらしいのよ。」

「なんだそれ?」

自分はボスから何のサポートも受けていない、仕事の仕方も教わっていない。毎日つまらない、と愚痴をこぼすらしいのです。

「それより何よりティファニーが困ってるのは、Bが一日に何度もオナラをすることなの。」

「え?オナラ?仕事中に?」

「そう、それが物凄く臭いんですって。」

言われて思い出したけど、彼と入れ違いでトイレに入った時、頭がクラクラするほどの猛烈な悪臭に思わず足を止めたことがありました。

後でテイラーからも裏を取ってみたのですが、

「セシリアに聞いたんだけど、他の候補者より良さそうだったから採用したらしいの。落ちた候補者がどんな人たちだったのか、逆に興味をそそられちゃったわよ。」

と笑います。面接中、彼の変人ぶりに気付かなかったのだとしたら、面接官側の資質もヤバい気がするぞ…。

「ほんとにキモイの。ふわっと現れて後ろから急に話しかけて来て、早く今の部署を辞めたい、なんてことををくどくどと喋るのよ。こないだなんか、俺、プロジェクトコントロール・チームに転属しようかな、なんて言ってたわ。」

「何だと?」

これにはさすがにカチンと来ました。チームの長である私に挨拶もせず目を合わせようともしないような奴が、軽々しく「プロジェクトコントロールやりたいな」などと口にしたことに、無性に腹が立って来たのです。うちの縄張りにこそこそ入って来て仕事の邪魔をしやがって。お前みたいな奴を、誰が仲間に入れてやるか!

何か合法的なヘイジングをお見舞いしてやりたいという悪魔の心が、ムクムクと頭をもたげて来るのでした。

2019年12月15日日曜日

The Signs 不思議なお告げ



金曜の昼休み、部下のカンチーに誘われてランチに行きました。この二ヶ月間同居していたイタリア人の彼氏(ミラノ出身)が週末に帰国するというので、その前に会わせたいと言うのです。二人エレベーターで降りて行ったところ、ビルの足元で待っていたのは、俳優ハビエル・バルデムの青年時代を思わせる野性的なマスクの若者。学生時代、旅行先のバルセロナで衝撃の出会いをしてから十年。遠距離での友達関係をずっと保っていたが、数年前それぞれが交際相手との関係を解消してから急速に距離が縮まった。休みの度にどちらかがお互いの国に会いに行くようになり、今回はいよいよ短期間の同棲をすることになったのだ、という説明。

リトルイタリーのテラス付きイタリアンNONNAで窓際の四人掛けテーブルに着き、さっそく会話をスタートします。同居していたカンチーの両親が東海岸へ引っ越したので、その空きスペースを利用して働きながら彼女との生活を楽しむことになったフランク。主にデジタル・アニメーションのデザインをしていて、YouTubeの大会では二年連続世界一になったといいます。

最初の出会いから、これは何か絶対的な力が二人を結び付けようとしているという実感があった、とカンチー。それでも当時は「こんな離れたところに住んで文化も習慣も違う二人が真剣に交際出来るわけがない」と自分に言い聞かせて、連絡先も交換せず帰国した。ところがその後も偶然の出来事が重なって、関係は継続した。

“We saw a lot of signs.”
「沢山サインを見たの。」

とカンチー。The signs というのは「信号」とか「標識」とかの他に、神様や何かの「お告げ」という意味があるので、彼女が言いたかったのはこういうことですね。

“We saw a lot of signs.”
「何度も不思議なお告げがあったのよ。」

そのうちテクノロジーが進化して頻繁に連絡が取れるようになってみると、ひょっとしてこのまま結婚もアリか?という雰囲気になって来た。そんな矢先、同居していた両親が引っ越しを決め一人暮らしがスタートすることになったので、この機会に同棲してみたいね、という話になった。しかしイタリア人が旅行者として長期間アメリカに滞在するとなると、さすがにビザだとか旅行費用とかで実現は難しい。

「そこで、またしても奇跡が起きたんだ。」

と目を輝かせるイケメンのフランク。彼のクライアントの一人が、十一月にサンディエゴまで出張して二ヶ月ほど滞在出来ないか、と藪から棒に言い出したのだと。このタイミング、しかもピンポイントでサンディエゴを指定して来るかね!と驚嘆した二人。

「何かのお告げを感じざるを得なかったよね。」

と顔を見合わせて微笑む若いカップル。

「更にオチがついてるんだけど」

とフランク。

「そのクライアント、僕が到着する直前に出張が決まってさ。結局他の土地から遠隔でミーティングすることになった。つまり、直接会えもしないのに僕のサンディエゴ出張費を払ってくれることになったんだよ。これってすごくない?」

信心深い方じゃないけど、さすがにここまで偶然の出来事が重なると、素直に「お告げ」に耳を傾けてみようという気にさせられるよ、と笑うフランク。

「お告げと言えばさ、ついさっきエレベーターでカンチーと喋ってた話があるんだ。」

と私。

二週間前、テキサス州ヒューストンへ出張しました。この三年間、世界の全支社で使用して来たプロジェクトマネジメント・ツールEをお払い箱にし、その前まで使っていたツールAを改訂復刻させることが決まったのですが、この大転換プロジェクトをリードするために北南米各地から60人の「チャンピオン」が選抜され、真っ先にトレーニングを受けることになったのです。で、環境部門の南カリフォルニア地区を代表して派遣されたのが私。三年前のツールE使用開始に際しては、「ニンジャ」に選抜されて各地を飛び回り、オーストラリア出張まで果たしました。会社が新ツールの導入にかなりの金と人手をかけたことを肌身で感じていた私としては、たった三年でお釈迦にするとはどういうことだ?という不信感が拭えません。しかもあの頃、ツールAは「時代の遺物」とこき下ろされてたじゃないか。今さら棚から出してホコリを払ったところで、使い物になるのか?それより何より私の嫌悪感を煽っていたのが、このプロジェクトの先頭に立っているのが、飛ぶ鳥を落とす勢いで出世し短期間にアメリカ地区COOの右腕にまで上り詰めた、自らを「再建請負人」と称するR氏だということでした。就任当時、私のチームがやっている仕事を「そんなもんはプロジェクトコントロールじゃない」と鼻で笑った許し難い仇敵。あの野郎、きっと私利私欲のために権謀術数の限りを尽くしたに違いない…。

そんな不審感一杯で臨んだ出張でした。

ヒューストン支社の大会議室に到着すると、端っこに座っていたR氏が目に留まります。私の姿に気付くと笑顔になって立ち上がり、他の出席者たちをかきわけて、巨大な腹を震わせながら近づいて来ます。そして懐かしそうに私の手を握り、

「シンスケ、久しぶり!元気だったか?」

とまるでハグでも求めて来そうな勢い。え?この人こんな感じだったっけ?居心地悪くなり、適当に挨拶を交わして出来るだけ離れた席を確保します。ところがその後、ホテルのエレベーターに乗る度、ドアが開くとR氏が立っている、という偶然が重なります。う~む。話したくないんだけどなあ。三日間のトレーニングが終わって去る時も、会議室の隅でヘッドフォンをして真剣な表情で電話会議に参加している様子だったので、ジェスチャーで「お先に失礼」と遠くから挨拶をしたら、さっさとヘッドフォンを外しずんずん歩いて来て、更に硬い握手。その数時間後、今度は空港の待合所で彼を発見します。おいおい、これだけ巨大な空港で、しかも別の街に飛ぶのに何でターミナルが一緒なんだよ…。気づかれないようにそっとそこを離れ、ベーグルショップでペットボトルの水を買おうとしていたところ、またしてもR氏がやって来ます。さすがに今度は無視できず、また会ったね、と笑顔で握手して別れます。やれやれ…。

さて今週の水木は、オレンジ支社でスーパーユーザーを集めての二日間のトレーニング。私を含めた三人のチャンピオンは、会議室に並べられた最後列の机の背後、壁際のテーブルに並んで座り、必要に応じてサポートする体制。ところが開始間もなく、またしてもR氏が登場します。本社のリーダーとしてトレーニングに同席するかもしれない、という発言は前の週にヒューストンで聞いていました。予告通り現れた彼、あろうことか私の左隣に座席を確保。うわ、なんでだよ…。どんなに距離を保とうとしても、その努力をあざ笑うかのように二人を近づけようとする、何か不思議な力が働いている…。

初日の晩、地元のBBQレストランLucille’sでチームディナーが開催されました。駐車場からレストランへ向かう道を間違え、遅れ気味に到着した私。既にほとんどのメンバーが着席している大テーブルに案内されてみると、空いていた席はR氏の斜向かいのみ。またかよ、なんでだよ…。絶対宇宙のフォースが僕の背中を押しているに違いない。どうしても奴と話をしろというんだな?よし、もうこうなったらやるしかない。腹を決めた私は、彼としっかり目を合わせて会話することにしました。

「今回の顛末について色々聞きたいんだけど、いい?」

この後R氏が語ってくれた内容は、驚愕の連続でした。彼の言葉をまるまる信じるとすれば、今回の事件は至極納得の行く展開。そもそも前回のツール変更に彼は猛反対し、三ページに渡る上申書まで提出したのだそうです。

「どう考えてもうまく行くわけが無かったんだ。それでも当時のナンバー2は、頑として退かなかった。何故かCEOは彼を信頼してたからね、鵜呑みにしたんだな。」

その後起こった様々なトラブルは、最初から警告を発していた人間からしてみれば「そりゃそうだろ」と首を振るしかないほど予測可能なもので、愚かな意思決定をただただ恨むしかなかった。その張本人が会社を去った今、残されたのは「いつ見切りをつけるか」という問題だけだった…。R氏の口から、「そこまで赤裸々に語っちゃっていいの?」と戸惑うくらい際どいエピソードが次々に飛び出します。まるで居酒屋の隅っこで古い仲間に苦労話を暴露するかのように。この人、こっちが接触を避けて来たことなど露知らず、胸襟をぱっくり開き切っている…。

急に、これまでの自分の狭量さが恥ずかしくなって来ました。この二週間、何度も現れた不思議な「お告げ」は、私にこのことを教えようとしていたのかもしれない。そう思うのでした。相手が誰であれ、人を無闇に疎むなかれ、と。

トレーニング最終日の終盤、突然R氏が身を乗り出し、私の左耳に口を近づけます。そして左手で隠しながら何かごちょごちょ言い始めました。

「え?なんて言ったの?」

と聞き返すと、更に口を私の耳に近づけてこう言ったのでした。

「トレーニングのスタート時にさ、休憩時間以外はメールチェックとかしないようにって注意しといた方がいいよね。」

彼の視線の先に目をやると、最後列で講義を聞いていた女性社員のイヴォンヌが、ラップトップの画面にメールを開いていたのでした。ちゃんとトレーニングに集中しろよ、とイラついたものの直接指摘するまでの勇気は無かったのですね。

「そうだね。ほんとだね。」

と答える私。R氏はゆっくり身体を離しながら、私の目を見つめてちょっと口をすぼめつつ、小さく何度も頷くのでした。まるで私の表情から同意を読み取ろうとするかのように。

「ちゃんとお告げを聞き入れたおかげでそこまで親密な関係になれたのよ、きっと。」

とカンチー。自分達も素直にお告げに従って来たから、今こうして一緒にいられるのよね、とフランクと見つめ合います。ミラノとサンディエゴというとんでもない距離を隔て、十年間も絆を深めて来た二人。常識に囚われていたら、とっくの昔に関係を解消していたことでしょう。この先も無事障害を乗り越えて一緒に暮らせるようになるといいね、と願う私でした。

「でもさ、」

と心の中で呟く私。若い二人がゲットした甘い同棲生活に対して、今回僕の得たものが「左耳にかかるR氏の生暖かい吐息の記憶」というのは、なんか納得いかないんだよね。