カリフォルニア州の外出禁止令が出てから約二ヶ月。この二週間はほぼ毎日、チーム・メンバーひとりひとりと電話面談をしています。会社の会計年度が十月始まりで、四月には上半期のパフォーマンス評価をすることになっていたのですが、このゴタゴタで一ヶ月延びた、というわけ。14名の部下のうち七名は二月に移籍して来た新メンバーであるため、彼女たちが去年設定したゴール自体を見直さなければならない。軽いチェックで済ますわけにはいかず、それぞれ一時間かけてじっくり会話したのでした。その前後に受けた近況報告の内容は、実に十人十色。
オレンジ支社のヴァージニアは、幼い二人の子どもたちを自宅で世話しながら働くことの困難さを日々痛感しており、体力的にも精神的にも限界ギリギリだと言います。一方三年目の独身テイラーは、通勤が無くなった分エクササイズに割ける時間が増え、前より健康になったと嬉しそうに話します。ロス支社のベテラン社員カーラは、自宅アパートの椅子が仕事に適した高さに調整出来ず、脚が腫れて来たと言います。更にネットワーク・スピードの遅さで仕事が通常の倍近くかかるようになり、目が疲れて頭痛がひどい。一日も早くオフィスに戻りたい、と。サンタマリア支社のデボラはお孫さんもいる年齢で、一度引退してから復帰したベテラン社員。アパートで一人暮らしをしています。調子はどう?と尋ねると、
“I’m getting stir-crazy!”
「スター・クレイジーになって来たわよ!」
と笑います。一瞬、何と言ったのか聞き取れず、復唱してもらいました。
「え?知らない?ずっと部屋に籠もってるからもうたまらないのよ。」
「でも何でStir
なの?」
「あら、なんでかしら?子供の頃から聞き慣れてる表現だから、深く考えずに使ってたわ。」
Stirは鍋などを「かき混ぜる」という意味なので、何かそこに鍵があるのかな、と最初は思ったのですが、どうも腑に落ちません。後であらためて調査してみたところ、あるサイトに、「そもそもStir
はPrison(監獄)の俗語だった」とありました。だとすれば納得です。長期間収監された人が味わう狂気というのは今の我々の置かれた状況にぴったりだから。
19世紀のロンドンにNewgateという悪名高い監獄があり、このニックネームがStartだった。これがなまってStirになり、一般に監獄を指すようになった。この言葉が20世紀にアメリカへ渡り、囚人が発狂する様をStir-crazyと表現するようになった…。な~るほど。「早く娑婆の空気が吸いてえ!」という決まり文句が示すように、閉鎖空間で長期間過ごす人たちが味わう息苦しさを表すフレーズなのですね。
というわけで、デボラが言いたかったのはこういうことでしょう。
“I’m getting stir-crazy!”
「外に出たくて頭おかしくなりそうよ!」
一人暮らしで二ヶ月は確かにキツイだろうな、と同情しました。ただでさえ話好きなデボラは、サンタマリア支社で働く社員たちと毎日お喋りを楽しんでいたそうで、さすがにこの状況下でそんなことは出来ません。私は幸運にも妻子と毎日会話しているし、そこそこスキンシップも図れるため、デボラほどのイライラは感じずにいられます。とは言え、業務上のコミュニケーション効率の悪さ、ネット会議での微妙なタイムラグによる意図せぬ発言の衝突と気まずい譲り合い、ネットスピードの遅さによる待ち時間の増大など、心身の平安を揺るがす要因は無数にあります。「通勤」という切り替え装置の不在は勤務時間の増大を許し、何も対策を打たなければ肉体も精神もじわじわと蝕まれて行く。そこで私は、一月前からルーティンの微調整を始めました。
十分を超える長い休憩を仕事の合間にちょこちょこ取り、裏庭で植物の手入れをすること。毎日夕方に、心拍数をドカンと上げる運動をすること。就寝前に熱いシャワーや足湯で体を温め、じっくりストレッチしてからベッド入りし、快眠に取り組むこと(めちゃくちゃジジイっぽいですが)。これら全てを実施した上で、更に力を入れているのが呼吸法です。交感神経と副交感神経のバランスを整えるために、我々に出来る唯一の手段は呼吸を制御すること(我が家のホームドクター川尻先生の教え)。これをやってみて、そのパワーにあらためて驚嘆している私。
大学時代は合気道部で、稽古前に必ず呼吸法の練習をしていました。全部員が目をつぶって横一列で畳に正座し、主将が「呼吸法、始め!」と叫んで拍子木を打つ。息を15秒吐き続ける、拍子木カーン、息を15秒吸い続ける、拍子木カーン!これの繰り返し。ただただ自分の呼吸に意識を向けること数分間。気がつくと、何とも表現し難い不思議な場所にワープしているのです。明るくて暖かくて、とにかく静かな世界。「やめ!」の合図でゆっくり立ち上がる時には、まるでコンピュータのメモリが全消去され、デスクトップはスッキリ片付き、デフラグも終了してどんな作業でもサクサクこなせるような気分になっているのです。まさに「生まれ変わったような」体験。Stir-crazyになりそうな時は呼吸法で乗り越える。これしかない。何十年もの時を経て、その効用に唸らされるのでした。
さて、自宅で遠隔授業を受けている18歳の息子。ここのところしつこく、ねえ、「鬼滅の刃」読んでよ、と迫ってきます。今まで見た漫画で一番すごいんだよ。パパとじっくり感想を語り合いたいんだ、と。う~ん、漫画は好きな方だけど、さすがに現代少年漫画の話題で盛り上がるのはキツイ年齢になってんだよな…。
「鬼滅の刃(きめつのやいば)」とは、少年ジャンプ連載のメガヒット漫画で、アニメ化された際のアートワークがあまりにも素晴らしくて一気にバズった、という作品。舞台は大正時代。家族の命が無残に奪われ、妹も鬼に変えられてしまった主人公の少年炭治郎が、厳しい試練に耐えながら強くなっていき、恐ろしい鬼たちを倒して行くお話。ストーリーの中で肝となるのが「呼吸法」で、これをマスターしないと強くなれない。炭治郎が幼い頃、体が弱く普段は病の床についていた父親が雪の中、呼吸法を使って完璧な舞を長時間踊るシーンは圧巻です。「正しい呼吸を出来るようになれば炭治郎も舞えるよ。」というメッセージは、うちの愚息の心に焼き付いたみたい。
「炭治郎の頑張りに励まされたお陰で、吐きそうなほどキツイ水泳部の練習にも耐え抜けたんだよ。」と、架空の人物への感謝を真顔で口にする息子。呼吸法の凄さを説いたことがある私と炭治郎の父とを重ねているのか、この漫画はきっとパパも夢中になるはずだよ、と鼻息を荒くします。
その息子ですが、最近は私の姿を見るとエア大刀を闇雲に振り回して斬りかかって来て、やめろと突き放してもなかなか止めず、最後は首を撥ねる真似までするので非常に邪魔くさいです。毎日何時間も泳ぎこんでいた若者が突然二ヶ月も家に閉じ込められればStir
Crazyになるのも当然ですが、実に鬱陶しい。かくなる上は呼吸法を完全にマスターし、ヤツの攻撃を華麗にかわして格の違いを見せつけるしかないな。そうほくそ笑む、初老のオヤジでした。