2020年5月16日土曜日

Stir-Crazy スター・クレイジー


カリフォルニア州の外出禁止令が出てから約二ヶ月。この二週間はほぼ毎日、チーム・メンバーひとりひとりと電話面談をしています。会社の会計年度が十月始まりで、四月には上半期のパフォーマンス評価をすることになっていたのですが、このゴタゴタで一ヶ月延びた、というわけ。14名の部下のうち七名は二月に移籍して来た新メンバーであるため、彼女たちが去年設定したゴール自体を見直さなければならない。軽いチェックで済ますわけにはいかず、それぞれ一時間かけてじっくり会話したのでした。その前後に受けた近況報告の内容は、実に十人十色。

オレンジ支社のヴァージニアは、幼い二人の子どもたちを自宅で世話しながら働くことの困難さを日々痛感しており、体力的にも精神的にも限界ギリギリだと言います。一方三年目の独身テイラーは、通勤が無くなった分エクササイズに割ける時間が増え、前より健康になったと嬉しそうに話します。ロス支社のベテラン社員カーラは、自宅アパートの椅子が仕事に適した高さに調整出来ず、脚が腫れて来たと言います。更にネットワーク・スピードの遅さで仕事が通常の倍近くかかるようになり、目が疲れて頭痛がひどい。一日も早くオフィスに戻りたい、と。サンタマリア支社のデボラはお孫さんもいる年齢で、一度引退してから復帰したベテラン社員。アパートで一人暮らしをしています。調子はどう?と尋ねると、

“I’m getting stir-crazy!”
「スター・クレイジーになって来たわよ!」

と笑います。一瞬、何と言ったのか聞き取れず、復唱してもらいました。

「え?知らない?ずっと部屋に籠もってるからもうたまらないのよ。」

「でも何でStir なの?」

「あら、なんでかしら?子供の頃から聞き慣れてる表現だから、深く考えずに使ってたわ。」

Stirは鍋などを「かき混ぜる」という意味なので、何かそこに鍵があるのかな、と最初は思ったのですが、どうも腑に落ちません。後であらためて調査してみたところ、あるサイトに、「そもそもStir Prison(監獄)の俗語だった」とありました。だとすれば納得です。長期間収監された人が味わう狂気というのは今の我々の置かれた状況にぴったりだから。

19世紀のロンドンにNewgateという悪名高い監獄があり、このニックネームがStartだった。これがなまってStirになり、一般に監獄を指すようになった。この言葉が20世紀にアメリカへ渡り、囚人が発狂する様をStir-crazyと表現するようになった…。な~るほど。「早く娑婆の空気が吸いてえ!」という決まり文句が示すように、閉鎖空間で長期間過ごす人たちが味わう息苦しさを表すフレーズなのですね。

というわけで、デボラが言いたかったのはこういうことでしょう。

“I’m getting stir-crazy!”
「外に出たくて頭おかしくなりそうよ!」

一人暮らしで二ヶ月は確かにキツイだろうな、と同情しました。ただでさえ話好きなデボラは、サンタマリア支社で働く社員たちと毎日お喋りを楽しんでいたそうで、さすがにこの状況下でそんなことは出来ません。私は幸運にも妻子と毎日会話しているし、そこそこスキンシップも図れるため、デボラほどのイライラは感じずにいられます。とは言え、業務上のコミュニケーション効率の悪さ、ネット会議での微妙なタイムラグによる意図せぬ発言の衝突と気まずい譲り合い、ネットスピードの遅さによる待ち時間の増大など、心身の平安を揺るがす要因は無数にあります。「通勤」という切り替え装置の不在は勤務時間の増大を許し、何も対策を打たなければ肉体も精神もじわじわと蝕まれて行く。そこで私は、一月前からルーティンの微調整を始めました。

十分を超える長い休憩を仕事の合間にちょこちょこ取り、裏庭で植物の手入れをすること。毎日夕方に、心拍数をドカンと上げる運動をすること。就寝前に熱いシャワーや足湯で体を温め、じっくりストレッチしてからベッド入りし、快眠に取り組むこと(めちゃくちゃジジイっぽいですが)。これら全てを実施した上で、更に力を入れているのが呼吸法です。交感神経と副交感神経のバランスを整えるために、我々に出来る唯一の手段は呼吸を制御すること(我が家のホームドクター川尻先生の教え)。これをやってみて、そのパワーにあらためて驚嘆している私。

大学時代は合気道部で、稽古前に必ず呼吸法の練習をしていました。全部員が目をつぶって横一列で畳に正座し、主将が「呼吸法、始め!」と叫んで拍子木を打つ。息を15秒吐き続ける、拍子木カーン、息を15秒吸い続ける、拍子木カーン!これの繰り返し。ただただ自分の呼吸に意識を向けること数分間。気がつくと、何とも表現し難い不思議な場所にワープしているのです。明るくて暖かくて、とにかく静かな世界。「やめ!」の合図でゆっくり立ち上がる時には、まるでコンピュータのメモリが全消去され、デスクトップはスッキリ片付き、デフラグも終了してどんな作業でもサクサクこなせるような気分になっているのです。まさに「生まれ変わったような」体験。Stir-crazyになりそうな時は呼吸法で乗り越える。これしかない。何十年もの時を経て、その効用に唸らされるのでした。

さて、自宅で遠隔授業を受けている18歳の息子。ここのところしつこく、ねえ、「鬼滅の刃」読んでよ、と迫ってきます。今まで見た漫画で一番すごいんだよ。パパとじっくり感想を語り合いたいんだ、と。う~ん、漫画は好きな方だけど、さすがに現代少年漫画の話題で盛り上がるのはキツイ年齢になってんだよな…。

「鬼滅の刃(きめつのやいば)」とは、少年ジャンプ連載のメガヒット漫画で、アニメ化された際のアートワークがあまりにも素晴らしくて一気にバズった、という作品。舞台は大正時代。家族の命が無残に奪われ、妹も鬼に変えられてしまった主人公の少年炭治郎が、厳しい試練に耐えながら強くなっていき、恐ろしい鬼たちを倒して行くお話。ストーリーの中で肝となるのが「呼吸法」で、これをマスターしないと強くなれない。炭治郎が幼い頃、体が弱く普段は病の床についていた父親が雪の中、呼吸法を使って完璧な舞を長時間踊るシーンは圧巻です。「正しい呼吸を出来るようになれば炭治郎も舞えるよ。」というメッセージは、うちの愚息の心に焼き付いたみたい。

「炭治郎の頑張りに励まされたお陰で、吐きそうなほどキツイ水泳部の練習にも耐え抜けたんだよ。」と、架空の人物への感謝を真顔で口にする息子。呼吸法の凄さを説いたことがある私と炭治郎の父とを重ねているのか、この漫画はきっとパパも夢中になるはずだよ、と鼻息を荒くします。

その息子ですが、最近は私の姿を見るとエア大刀を闇雲に振り回して斬りかかって来て、やめろと突き放してもなかなか止めず、最後は首を撥ねる真似までするので非常に邪魔くさいです。毎日何時間も泳ぎこんでいた若者が突然二ヶ月も家に閉じ込められればStir Crazyになるのも当然ですが、実に鬱陶しい。かくなる上は呼吸法を完全にマスターし、ヤツの攻撃を華麗にかわして格の違いを見せつけるしかないな。そうほくそ笑む、初老のオヤジでした。

2020年5月9日土曜日

Exemplary human being 理想の人間像


コロナウィルスの影響で早々にコロラドから里帰りした18歳の息子は、自分の部屋で毎日オンラインクラスに参加しています。彼の大学はブロック制というシステムを採用していて、各三週間半のブロックを一年間に8コマ履修します。ブロック中は一教科のみを徹底的に学ぶので、マルチタスクの苦手な彼にはうってつけ。去年はアジア戦国史とラテン語にはまり、先月は哲学、今月は動物学、と様々な分野を楽しく学んでいる様子。

彼の大学選びの初期段階から、我が家は一貫して「リベラルアーツ・カレッジ推し」でした。「学び方を学ぶ」基本理念がいたく気に入ったので。専門分野を決める前に強固な土台を作っておけば、いつでも柔軟に方向修正が出来る。生涯通して学び続けることの出来る人間は、時代の急激な変化に遭っても慌てず怯まず、しなやかに、そしてにこやかに生きていける。

昨夜、腰にバスタオルを巻いてシャワールームから出てきた彼が、水泳で鍛えた逞しい上半身を見せびらかしつつ、こんなことを言いました。

「僕さ、将来子供が沢山出来たら、その子達が興味を持った分野についてはひとつ残らず、ちゃんと話が出来るような親になりたいんだ。たとえば木工細工やりたいって言い出したら、うまく作れるコツをさっと伝授したりね。新しいゲームの話をされても、ああもうそれやってみたよ、面白かったよ、一緒に遊ぼうか、とかさ。」

身体能力が高く、適度におしゃれでユーモアセンスもあり、愉快な仲間に囲まれ、人文系も理数系もバランス良く修めていて、オタク系の趣味もそこそこ楽しみ、さらに四ヶ国語くらいベラベラなのがいいな、と常々自分の将来像を語る若者。そりゃ楽しそうじゃないか。是非そうなってくれよ、と励ます私。

どんなに世の中が混沌としていてもお気楽に理想を語る、この「突き抜けた」楽観性。至らない点は多々あるものの、父親としてはひとまず安心なのでした(ちなみに私の理想は「高田純次のようなオヤジ」なのですが、これは妻から頗る評判が悪く、あまり言わないようにしています)。

話はさかのぼって、カリフォルニア州知事が外出禁止令を発令する前の週の水曜日。一階上で働く同僚リチャードが廊下の向こうから現れ、ゆっくりと近づいて来ました。ちょうど電話中だったので、「後でこっちから出向くから」と手でサインを出し、数分後に彼の席を訪ねます。

「実はさ、この会社とも今週でおさらばなんだ。」

周りの人にはギリギリ届かないけど、耳をそばだてたくなるほどあからさまな内緒話とも取れない、絶妙なトーンで打ち明けるリチャード。

「詳しい事情はいつかあらためて話すけど、金曜までここで働いて、それでおしまい。」

「ちょっと待ってよ、随分突然じゃないか。こんな簡単な会話でバイバイってのは駄目でしょ。送別会代わりにランチくらい行こうぜ。」

そんなわけで金曜の昼、二人で近くのレストランへ出かけました。席に着くや否や、退職を決意するまでの顛末を尋ねます。

彼が深く関わっていた上水道プロジェクトのPMは非常に攻撃的な性格で、クライアントとの喧嘩も辞さないところがある。過去に何度か衝突があり、その度にリチャードは上層部へ忠告を送っていた。しかし彼らは全く動こうとしない。このままだとプロジェクト半ばにして契約破棄されちゃいますよ、と文書で警告もしてみたが、やはり何も変わらない。そうこうしているうち遂にクライアントのPMがブチギれ、予想通り契約は打ち切り。リチャードの仕事は当然ごっそり減り、てんやわんやの忙しさから一転、低稼働率社員の仲間入り。この状況が続けばレイオフは時間の問題だ、さあどうしよう、と悩み始めた時、かつての同僚ジャックが声をかけてくれた。

「ジャックは自分が転職してから、一貫して気にかけてくれてたんだ。今よりもずっと良い条件で引き抜いてくれるって言うんだよね。」

「それを聞いて安心したよ。本当に良かった。ジャックのとこなら安心じゃない!」

「有難う。長年働いた会社をこういう形で去るのは、正直ちょっと残念だけどね。」

「そうだね。でも統廃合の連続で社員数が爆発的に増えて、オフィスの雰囲気は随分変わっちゃったでしょ。古くからの仲間だってもうほとんど残ってないし。今回のことは実はラッキーだったって思える日がいつか来るんじゃないかな。」

十五年前、まだよちよち歩きだったうちの息子をオフィスへ連れて行った時、仕事の手を休めて長いこと遊んでくれたっけ。他の独身男性社員たちとダウンタウンへ繰り出す度に、妻子持ちの僕も構わず誘ってくれたな。こんないい奴が長年尽くした会社で最後の日を迎えてるっていうのに、送別会を企画してくれる人が僕以外いないなんて、随分寂しい話じゃないか…。

「たまにはまた昔みたいに、焼き鳥食べに行ったりしようぜ。」

握手で別れてそれぞれのデスクに戻ります。金曜の午後ということもあり、私のフロアは既に人影まばら。仕事に没頭し始めて数時間後、リチャードからメールが届きました。ランチのお礼の後、こんなことが書かれていました。

“I really cherish our friendship and I hold you in the very highest regard.”
「この友達関係はとても大切に思ってるんだ。君のこと、最高に尊敬してるよ。」

そして、こんな文章で締めくくるのでした。

“You’re an exemplary human being.”

エグゼンプラリーなヒューマン・ビーイング?どういう意味だ?さっそくネットで調べます。

Exemplar というのは「模範」とか「手本」という意味らしく、Exemplaryはその形容詞で、「模範となる、称賛すべき、立派な」。リチャードの締めの一文は、こういう意味になりますね。

“You’re an exemplary human being.”
「君は模範的な人だよ。」

一瞬のためらいの後、がらんとしたオフィスでクスクス笑い出していた私。何を大げさな!送別会代わりにランチおごっただけなのに…。しかしその後すぐ、リチャードがお世辞や冗談で耳障りの良い褒め言葉を使うような薄っぺらい人間じゃないことを思い出し、じわっと感動していました。

その晩の食卓で息子に、Exemplary human beingの意味を知ってるか聞いてみました。

「人間の中で、最も神に近い人のことだよ。」

おお、そうなのか。だとすると、「理想の人間像」みたいなイメージだな。

「イスラムとかユダヤの一部の信者たちは、人類の中で最も優れたグループとして自分たちをそう呼んだりしてるよ。」

ううむ。それはどうなんだろう…。

「なんで?誰かにそう言われたの?」

「うん、実はリチャードとランチに行ってさ…。」

その日の経緯を説明し、彼との長い付き合いについても話しました。ちっちゃい頃にリチャードに遊んでもらったことを記憶しているか尋ねると、

「うん、覚えてるよ。それから何度も会ってるしね。」

「ずっと考えてるんだ。彼はなんでそんな大壮な言葉まで持ち出して褒めてくれたんだろうってね。」

すると妻と息子が間髪入れず、声を揃えてこう返したのでした。

「そりゃランチおごったからでしょ!」

おお、このスピード!鋭いツッコミ!理想的な家族だな、この二人は…。