金曜日のランチタイム、約三カ月ぶりに同僚ディックとリトル・イタリーのバーガー・ラウンジまで歩きました。先週病み上がりだった彼ですが、今じゃすっかり回復したようで、二月だというのに半袖Tシャツ姿。最近どうしてた?と道中問いかけたところ、
「先週末はほら、スーパーボールがあったろ。家で家族とゆったり鑑賞したよ。」
あ、そうだった。日曜日にはアメリカ人にとって一番大事なスポーツイベントがあったんだ。今年もまた見逃しちゃった(というか、あまり興味がない)。
「ハーフタイムショーはどうだった?」
と尋ねます。フットボールの試合そのものより、ゲーム中盤の休み時間に催されるミュージシャンのパフォーマンスの方が気になる私。
「あ、そのことじゃ、ちょっとばかし揉めたんだ。」
と苦笑いのディック。シェキーラとジェニファー・ロペスという二大ビッグ・ネームが肌を大きく露出し腰をくねらせ踊る姿に、奥さんが不快感を漏らしたというのです。
「女を性欲の対象として印象付けている、家族向けのイベントでこんな猥褻なショーを見せるなんて不謹慎だってね。俺はすかさず、ダンス・パフォーマンスというのはそもそも躍動する肉体の美しさを見せてうっとりさせるものなんだから、性的な要素を排除することは不可能だしむしろ本質に反すると言ったんだな。」
「うん、僕もそう思うな。」
「そしたらさ、じゃああなたはヴェロニカ(二人の娘さん)が将来あんなエロチックな踊りをするようになっても平気だって言うの?って挑みかかって来るんだよ。」
めんどくさいことになって来たな、と思いつつ、先を聞きます。
「純粋にその踊りが気に入ってて、セクシーさもパフォーマンスに必要不可欠な要素だったら仕方ないでしょ。そう冷静に答えたら、めちゃくちゃ不機嫌になっちゃってさ。」
家族団欒が音を立てて崩壊する瞬間ですね。
「昔からそうなんだ。対象が何であれ、ひとたび嫌悪感を抱いたら最後、どんなに論理的に説明しても議論そのものを受け付けなくなるんだよ。卑猥なダンスはイヤ、とにかくイヤ、そんなクレイジーなものを肯定する人は頭がどうかしてる、話したくもない、となる。」
「あ、そうだ。そういう場合にこのフレーズ使える?」
ふと思い出し、文脈を無視して質問をぶちこむ私。
“She’s a goody two shoes.”
「彼女はグッディ・トゥー・シューズだよ。」
この表現、水曜日にオレンジ支社へ出張した際に仕入れたものなのですが、意味は分かったもののイマイチ「使えるレベル」まで消化出来ずにいたのです。組織改変によりオレンジ支社のアリシアとアリサが私のチームに加わることになったため、顔合わせに出かけ、もともとのメンバーであるヴァージニアも交えて四人でランチに行った際、アリシアもアリサも大学卒業前後の年齢の息子さんがいる、という話題になりました。二人ともアリゾナにある有名なパーティー・スクールに行ったのだが、遊び呆けはしなかった、と。この時アリサが、うちの子は羽目を外さない方だし、私も学生時代からずっと真面目だった、というくだりでこう言ったのです。
“I was a goody two shoes.”
「私はグッディ・トゥー・シューズだったから。」
え?今何て言ったの?と慌てて聞き返す私。フレーズを復唱した後、
「トラブルに巻き込まれないよういつもちゃんとルールに従ってるって言いたかったのよ。」
と説明するアリサ。後でネット検索したところ、語源はこれ。
18世紀の子供向け小説の主人公マージェリーは、靴一足しか持たない貧しい孤児。様々な苦難にあいつつも慎ましく暮らしていて、金持ちから新しい靴を一足貰った時、「私、靴を二足(two shoes)も持ってるの」と嬉しそうに皆に語った。後に教師になり、裕福な男と結婚して幸せになりましたとさ、という話。
つまり、清く貧しく美しく生きたヒロインの物語から来ているフレーズなのですね。和訳を調べたところ、「いい子ちゃん」とか「ぶりっこ」と出ていましたが、なんかちょっとニュアンス違う気がするなあ…。そんな風に感じていたので、ディックに確認してみようと考えたのです。
彼によれば、「曲がった事をしない」だけでなく「リスクを取らない」という含みもあるようで、奥さんもその枠にハマるのだと。
「若い頃どうだったかは知らないけどね。」
とふざけて笑うディック。そんなわけで、不完全ながら私の訳はこうなります。
“I was a goody two shoes.”
「私は品行方正だったから。」
「もちろん、ただ男をそそることだけを目的にした服装やダンスを肯定しているわけじゃないとは何度も言ったんだけどさ、もう全然聞く耳持たずだよ。ま、結局俺が折れて機嫌を取るしかなくなるんだよな…。」
と、バーガーラウンジのパティオ席についたディックが、溜息をつきます。
「あ、それで思い出した。」
と、再び話の腰を折る私。
「昨日のエリックのプレゼン、出席しなかったでしょ。あれは良かったよ。」
毎月の第一木曜日、夕方4時半に開かれる社員持ち回りのプレゼン大会。今回は昆虫学科出身のエリックが、Evolution and Diversity of Sexual Reproduction aka Weird Animal Sex (生殖行為の進化と多様性、または動物たちの奇妙なセックス)というタイトルでスライドショーを披露したのです。観客の半数以上が女性社員。
「まず初めに、僕たちが今ここで生きているのは、セックスのおかげだということを言わせて下さい。あまり具体的なイメージは思い浮かべなくていいですが。」
そう前置きした後、様々な動物の生殖行為について写真や動画付きで説明して行きます。雄にも雌にもなれる魚、メスの身体に噛みついた後じわじわと同化して行き、最終的に生殖器としての役割のみが残る深海魚のオス、メスの背中をマッサージして気に入られたら生殖行為に移るオスの蜘蛛、ハーレムを作るサル、逆ハーレムを構成するミツバチ、などなど。
「それは是非参加したかったなあ。」
と笑うディック。
「それがさ、女子社員の方が積極的にツッコミ入れてたんだよ。ゲラゲラ笑いながら。女の側が冗談にする分には問題にならないテーマなんだな、とあらためて思ったよ。」
「そうなんだよな。下手に口滑らせて取り返しのつかないことになる危険は、男性の方にしかない。」
「なんだか不公平な気もするけど、この微妙な線は常に意識してないといかんぞ、とよく自分に言い聞かせてるよ。」
とそこまで話して、数か月前に部下のカンチーとランチに行った際に出た話題が蘇ります。
「The Accused(告発の行方)って映画憶えてる?ジョディ・フォスターの出てたやつ。」
「ああ、随分昔のだろ。」
「がらの悪そうな男ばかりがたむろする酒場で酔っぱらって、セクシーなダンスで挑発してたら大勢にレイプされちゃうって話。そもそもそんな場所にそんな格好で乗り込む方も悪いよねって軽い気持ちで言ったら、カンチーが猛然と反論して来たんだよ。」
「え?俺も、女の方が悪いくらいに思ってたけど。」
「カンチーに言わせればね、男たちに百パーセント非がある、ジョディ・フォスターの落ち度はゼロ・パーセントって言うんだ。」
「そりゃまた随分極端だな。」
「でしょ。僕も最初はそう思ったんだ。ところが彼女、こっちがぐうの音も出なくなるような理屈を持ち出して来たんだよ。」
「何なに?是非聞きたいな。」
カンチーは、こんなことを言って来たのです。
「すごくカラフルで、見ているだけでよだれが出そうなほど美味しそうなカップケーキがショーウインドウに並んでたとしても、勝手に手を伸ばして食べちゃったら犯罪でしょ。そもそもお金を払って買うものなんだから。それと同じよ。綺麗に着飾ってセクシーに振る舞う権利が女にはあるの。勝手にそそられてレイプしておいて、刺激して来たお前が悪いっていうのはどう考えてもおかしいわよ。」
「おお~、なるほど。それは反論できないな。感服した。カップケーキ・アナロジー、これから使わせてもらうよ。」
そう何度も深く頷くディックでした。
品行方正でもそうでなくても、女性は大事にしましょう。ということで…。