良く晴れた金曜日のランチタイム。部下のカンチーに誘われ、リトルイタリーにあるCivico 1845というイタリアン・レストランまで歩きました。
「すごく美味しくて、量はそれほどでもないのに結構お腹にたまるんですよ。」
濃い緑色の日除けを張り出した軒下の狭いテラス席に、向き合って座ります。何度も前を通り過ぎたことはあるけど、この店に来るのは初めて。緑の葉が茂る箱型プランターを連続して吊るした黒い鉄製フェンス越しの歩道には、連休直前ということもあってか、いつもより多めの家族連れやカップルが楽し気に行き過ぎます。カンチーはニョッキを、私はトマト・ベースのペスカトーレを注文。これがなかなかのクオリティだったのですが、最初にメニューを見た際に評価基準を上方修正せざるを得なかった私。ランチに一皿18ドルは、ちと高すぎるだろ…。独身貴族の店選びを若干恨みつつふと交差点の斜向かいに目をやると、私の選ぶイタリア料理店ベスト3にランク入りしているBencotto(ベンコット)のガラス張りエントランス。ここも順番待ちの客で溢れています。結構値が張る店だから結婚記念日くらいしか行かないけど、ここでこんなに払うくらいならあっちに行っときゃ良かったな…。あそこのイカ墨パスタは絶品なんだよな…。
「あ、そうだ。思い出した。」
突然ある話題が、脳の表層に湧き上がって来ました。
「ほら、先月さ、息子の大学見学でひとしきりあちこち旅してたでしょ。その一環で、フィラデルフィアのルイズバーグという街へ行ったんだ。」
夜9時以降は明かりを消して閉鎖してしまうほどさびれた空港から、更に2時間レンタカーを走らせてようやく到着するほどの田舎町。商店の並ぶ一角もわずか数ブロックしか無く、住民の外食オプションは極端に少なそう。サンディエゴだって東京に較べれば小さいけど、それでもこの街に較べれば巨大都市です。
当日朝一番の一般説明会は通り一遍で退屈だったこともあり、既にそれまでの大学見学ツアーでだいぶ疲れを溜めていた我々夫婦は、続く保護者向けセッションをぶっちぎり、息子を置いてキャンパスから脱出しました。美味しいコーヒーでも飲みに行こうよ、と冗談交じりにネットで検索したところ、歩いて7分のところに5段階で4.9という驚異の高評価を誇る喫茶店を発見。店名はAmami。え?あまみ?日本語か?到着してみると、行列が戸口から溢れ出しています。おいおいこれは期待出来るんじゃないの?と中へ入ると、大学のロゴ付きスポーツファッションの女子大生たちが奥のキッチンまでぎっしりと並んで辛抱強く順番を待っています。アジア人は我々夫婦のみ。
そこへ突然、奥から三十代くらいの白人男性が現れ、何故か妻に話しかけてました。
「今日のスペシャル見た?」
キッチンドアの左の壁、黒板にチョークで書かれたスペシャル・トースト・メニューを指さし、丁寧に説明する男。
「これホント、抜群にうまいよ。」
そうしてキッチンに戻って行ったのですが、男が何者なのか、そして何故彼が妻を狙い撃ちしてメニュー説明に時間を割いたのかは謎でした。果たして、15分ほど待った末にようやくありついたスペシャルメニューのCarciofo & Burrata Toast(アーティチョークとブラタチーズのトースト)は、思わず夫婦で顔を見合わせるほどの美味。どうしてこんな田舎町にこれほどのクオリティ?釈然としないまま、店を去ってキャンパスに戻ります。
その後数時間キャンパスを見て回り、別ルートでの見学を終えた息子と落ち合ってホテルに戻ろうとした時、我々が午前中に訪ねた喫茶店の話をしてやりました。すると、「僕も行きたい」と言い出したため、それなら、ともう一度訪問することに。両腕入れ墨だらけのぶっきらぼうな女性店員が、「四時で閉めるけど」と言いながら迎え入れてくれたのが、閉店5分前。彼女は他の男性店員と窓際の席について小声で話しながらまかない料理を食べ始め、我々はエスプレッソなどを注文。その後すぐに正面ドアの鍵が閉められたため、実質我が家の貸し切り状態となりました。
「昨日も来てくれたよね!」
いきなりキッチンから現れたさっきの男性が、我々を見て高い声で嬉しそうに叫びます。
「いや、今日の午前中なんだけど。」
「あれ、そうだっけ?忙し過ぎて時間の感覚が飛んじゃった。」
我々の席の横に立ち、調子よく喋り続ける男。その瞳の色は、宝石のようなアクアマリン。思わずまじまじと見入ってしまいます。
「大学見学でしょ。どこから来たの?」
「サンディエゴからだよ。」
ここで男性の顔が、パッと輝きます。
「僕も数年前まで、サンディエゴに住んでたんだよ!」
もともとミラノ出身で、バリ島への旅行中に覚えたサーフィンに取りつかれ、サンディエゴに渡った。パシフィック・ビーチのアパートに、日本人のサーファー仲間と暮らして毎日サーフィンに明け暮れていた、と興奮して語る男。結婚した相手の実家がこの街の近くなんで移って来て店を出したんだが、今でも年に何回かはサンディエゴを訪ねるんだ、と。
「叔父さんがサンディエゴに住んでてね。当時は彼の店を手伝ってたんだ。Piazzaって知ってる?」
「いや、行ったこと無いな。」
「すごく美味しいよ。行ってみて。あと、叔父さんの仲間がリトルイタリーに店を出す時も手伝ったな。知ってるかな、Bencottoって。」
「え?Bencottoだって?我が家の大のお気に入りじゃん!」
これですっかり意気投合し、閉店作業の邪魔になるのも顧みず、それから数十分話し込みます。挙句にみんなで記念写真まで撮るはしゃぎっぷり。男の名はダビデ。叔父さんの名はステファノだ、と教えてくれました。
サンディエゴに戻って二週間後の金曜日、さっそくラホヤにあるPiazzaに出かけてみました。席について注文を終えた時、妻が店員にダビデとの記念写真が映ったiPhoneを手渡し、店主に見せてあげてくれる?と頼みました。暫くすると、満面に笑みを浮かべたオーナーシェフのステファノが登場。おおそうか、甥っ子に会ったのか!ようこそ、一品おごらせてよ!と上機嫌。彼はそれから馴染み(らしい)客たちの席をひとつひとつ回って、子供の様な笑顔で話し込んでいました。
「随分人懐っこいオーナーだね。」
「あんなに歓待されたら嬉しくなって、また来ちゃうよね。」
と感心する我々。この後登場するガーリックたっぷりのペスカトーレ・フェットチーネは非の打ち所が無く、妻の飲んだ白ワインも近年まれに見る大ヒット。レストラン激戦区のラホヤで長年店を構えていられるわけに納得でした。帰宅して、ステファノとの笑顔溢れる記念写真をダビデに送る妻。何ともほんわかした気分に浸った夜でした。
「いい話ですね!」
と、テーブルを挟んで頷くカンチー。
「でしょ。世界は繋がっているんだなあって実感したよ。心を開いてどんどん人と話してみるべきだなって、あらためて思った。」
イタリア人特有の「とっつきやすさ」によって、またとない素敵な体験が出来た。「人と繋がって情報をシェアする」だけで、世の中の幸せは増殖する。これって損得勘定じゃなく、純粋に「愛」から来てる行為だよな。仕事への愛、食べ物への愛、家族愛、人への愛…。
「そうそう、こないだYouTubeで日本人のパスタ王がやってるチャンネル観てさ、そこで紹介されてたカルボナーラを作ってみたんだよ。そしたらこれが、驚愕のウマさだったんだ。今まで作ってたカルボナーラのレシピが偽物だったのかと疑いたくなる程の違い。妻子もびっくりしててさ。こんな風に、縁もゆかりも無い赤の他人がシェアした情報のお蔭で家族が幸せを味わうなんて、本当に素晴らしいことだなあって思ったよ。今の時代に生きてて良かったなあって。」
SNS世代のカンチーは、これに深く同意します。
「ところで僕もさ、そのうちYouTube チャンネル持ちたいなあなんて思ってんだ。」
と私。ウケるかと思ったら「いいじゃないですか!」と素直に乗っかって来る彼女に、そう思うに至ったきっかけを説明します。
「実は昨日、テキサスとコロラドから一人ずつ、僕らの定例会議に参加させて欲しいっていう依頼があったんだよ。」
水曜日の隔週定例会議で私が披露したプレゼンが好評だったことを、当日出席していたカンチーはもちろん知っていました。この会議はそもそもうちのチーム用にスタートしたものですが、南カリフォルニアの他支社の社員も参加したいという声に応え、サンディエゴの会議室でスクリーンに映している内容をWebExでオープンにし始めました。オレンジ、ロス、カマリヨ、サンタバーバラ、とじわじわ出席者の分布が拡がって来て、最近はアンカレッジやシアトルを含めた西海岸全般に拡大。三十名以上参加することもあります。構成としては。最初の20分間、私がプロジェクトコントロールのテクニックや最新ツール、失敗談、そして教訓などを喋り、残り10分は質疑応答と自由な情報交換に充てています。前回は、かなり複雑な会計処理のコンセプトをヘリコプター着陸プロセスになぞらえた可愛いアニメーションで解説したところ、これが大ウケ。ティファニーなどは、iPhoneを取り出してスクリーンの動画撮影を始める始末。
この会議にいつの間にかウェブで参加していたコロラドのサマンサという社員が私の動画プレゼンを気に入ったらしく、北米中部の各支社に拡がる十数名の同僚達に紹介メールを打ったようなのですね。それで、初耳の社員たちから参加申し込みが送られて来た、というわけ。まるでフォロワーが増えて行く気分。
「すごいじゃないですか。これからもっともっと拡がるかもしれませんね。」
と、嬉しそうなカンチー。一般の定例会議の趣旨が「与えらえた業務はちゃんと済ませたか?」と訊問調なのに対し、我々のは「共に学ぼう、シェアしよう。そして一緒に成長しよう。」です。そして「興味のある方はご自由においでませ」と謳っているので、垣根も低いのですね。
「やっぱ基本、愛だよね。」
常々チームにどや顔で説いている私。愛こそが人を惹きつけ、元気づけ、成長を助けるのだ、と。随分「イタい」おっさんだなあと思われてるかもしれませんが、そう本当に信じてるんだから仕方ない。今や、テクノロジーの進化がこの考えを地球規模でサポートしてくれている。自分が夢中で愛しているテーマを、SNSやYouTubeを通して世界中の人にシェア出来る。素晴らしいムーブメントが今、爆発的な勢いで進んでいるのだ。僕も貢献出来ないものかな、そうだ、うちの定例会議の延長上に何かあるんじゃないかな、と考えた末のYouTuberデビュー案だったのですね。
「どんな内容にするんですか?」
と身を乗り出すカンチー。
「プロジェクトマネジメント関係の面白エピソードかなあ。でも会社に勤めてる間は、情報漏洩の規制があるから難しいと思うんだよね。顔隠して身元を明かさなきゃ大丈夫かなあって気もするんだけど、そうなると今度は胡散臭いしねえ…。」
愛だけでは片付かない問題もあるのですね。
「17歳の息子にこのアイディア話したら、何て言ったと思う?路上でおばあさんとすれ違いざまにおならの音を出してびっくりさせるイタズラのチャンネルとかやめてよね、だってさ。」
「一体いつもどんなチャンネル見てるんですか?彼は。」
と、さすがにこれには突っ込むカンチーでした。
ちなみに、フィラデルフィアの大人気カフェの店名 Amami は、イタリア語。英語ではLove Me、日本語では「愛してね」でした。