毎週楽しみにしている事のひとつが、月曜午後一番の電話会議。現在私がサポートする中で最大級のプロジェクトの定例チームミーティングなのですが、会話中、ほぼ100パーセントの割合で初耳の英語表現が登場するのです。電話ヘッドセットをかけ、ノートを開いてペンを握りしめ、いつ姿を現すか分からない獲物を逃さぬよう神経を尖らす私。大量の議事が猛スピードで進んで行く中での聞き取りなので、それはまるでパラオの海を疾走するモーターボート上でカジキマグロを狙い身構える釣り師のよう。PMのアンジェラもプロジェクトディレクターのティムも、まるでジョークやイディオムを織り交ぜずに喋ると罰ゲームを食らうゲームに参加しているかのように、終始笑いを獲りながら会議を進めて行きます。
“Talk to the hand!”
「手と話して!」
とアンジェラ。これは「聞く耳持たないわよ」、つまり「絶対駄目よ」という意味になりますね。
“We should take the bull by the
horns.”
「角を掴んで牛を取り押さえないと。」
とティム。彼は「勇気をもって難事に当たるべきだ」と言いたかったのですね。この電話会議の一時間後、お偉方によるプロジェクト・レビューが予定されており、ここでアンジェラが出席者たちからのランダムな質問に適宜答える態で行くか、あるいは彼女がしょっぱなから議事進行役を買って出て流れをリードすべきか、という話題になったのです。出席者の素っ頓狂な発言をきっかけに議論がこじれにこじれる、というありがちなアクシデントを避けるため、ティムがアンジェラに司会の乗っ取りを勧めた際のイディオムがこれでした。
今週もなかなかの漁獲高だったぞ、とホクホクしながら電話会議を終える、「イディオム・ハンター」の私。アンジェラとティムとの会話は、トップクラスの漁場なのです。
翌日の昼飯時、ランチルームに現れたベテラン社員ビルに話しかけました。
「ねえビル、英語の質問していい?」
この人も、英語イディオムの宝庫なのです。
「昨日の電話会議で、ある人がこんなこと言ってたんだ。意味を教えてくれる?」
実は前日、プロジェクト・レビュー会議のさ中、品質管理部門の重鎮クリスが何か流暢に説明し始めたと思ったら、突然中断してこう言ったのです。
“Wax poetic.”
「ワックス・ポエティック。」
ポエティックが「詩的な」という形容詞であることは分かります。でもなぜワックス?
「ワックスと言っても、洗車の後にかけるやつのことじゃないよ。」
とビル。この時、通りすがりに我々の会話を耳にした同僚ジョナサンが足を止め、振り返ってこちらにやって来ます。そこにあった椅子の背を胸に抱えるようにして、大股で腰かけました。
「月の満ち欠けを表現するのにワックスとウェイン(Wax and Wane)って言うだろ。」
とビル。
「いや、知らないな。」
と私。
「ワックス・オン、ワックス・オフ!」
とすかさずジェスチャー付きで茶々を入れるジョナサン。映画「カラテ・キッド」で達人ミヤギ氏が、教え子ダニエルに空手の基本動作をマスターさせようと課したワックスがけの仕事を表現してたのですね。
「だから、そのワックスは違うんだって!」
とビル。
「イディオムなんて、使わないに越したことは無いんだよ。」
と対話の進行を妨害するジョナサン。
「相手に通じないかもしれない言い回しなんて、そもそも何の役にも立たないだろ?」
「でもイディオムを一切排除しちゃったら、会話が無味乾燥になるでしょ。そんなのつまんないよ。たとえ誤解の危険を孕んでいようと、僕は断然イディオム使用賛成派だな。」
大体、普段イディオムを巧みに取り入れた発言で周りを楽しませているネイティブのジョナサンが、ノンネイティヴの私に「使わない方がいい」なんて説得力無いんだよ。自分だけずるいでしょ。彼は私の知り合いの中でも、ずば抜けて当意即妙の受け答えに長けた男。心憎いまでに機転の利いた発言を、予想もしない角度から放り込んで来る現場に度々居合わせて来ました。それはまるでコマンドサンボの使い手が、完全な死角から左テンプルにロシアンフックをヒットさせるような芸術的美技なのです。
「日本にも慣用句はあるんだろ。会社の会議とかで使ってる?」
とビル。う~ん、どうかな。意識したことないぞ。社長さんが年始の挨拶スピーチで冒頭にかます奴はあるよな。
「勝って兜の緒を締めよと申しますが…。」
「捲土重来を期し、本年の事業発展に全力を…。」
だめだ。おっさんくさいフレーズしか思いつかん…。仕事上の会話をリッチにする日本語慣用句の事例が全く浮かんで来ないので、「年功序列と敬語が及ぼすコミュニケーションへの影響」の話題でお茶を濁します。それから再び、「ワックス・ポエティック」の解説を促す私。
「オールド・イングリッシュ(古英語)じゃ、ワックスってのはインクリース(増加)と同じ意味だったんだよ。」
とビル。ヨーロッパにおけるオールド・イングリッシュとラテン語の歴史、アメリカに渡って来た言語とそれ以前に全米各地で使われていた言葉との融合、そしてワックスという単語の使用法の変遷を説明した彼は、誰かがあるテーマを語るのに必要以上にカラフルな言葉を散りばめてどんどん饒舌になって行く様子を「ワックス・ポエティック」と言うのだ、と教えてくれました。
なるほど。レビュー会議でクリスの言いたかったのは、きっとこういうことでしょう。
“Wax poetic.”
「だらだらしゃべり過ぎだね。」
博覧強記ビルの緻密で濃厚な解説が終わるのを待ち、ジョナサンがぼそりとこう言いました。
“Case in point.”(ケース・イン・ポイント。)
「その好例だよ。」
会社の会議なんかでよく出てきそうな言い回し。
返信削除「三つ子の魂百まで」
「栴檀は双葉より芳しい」
「蛙の子は蛙」
「餅は餅屋」
「風が吹けば桶屋が儲かる」
etc、etc・・・割と単純な例えは結構使われそうな気がするゾ。
あんまり難しい慣用句や四文字熟語を多用する人は、自分に都合の悪い話をなんとなくウヤムヤにしてしまおうという魂胆があったりすることが多いよね。あと、言い回しが微妙に間違ってたり、例えが全然合ってなかったりすると、却ってカッコ悪いこともあるね。イデオムの名手であるジョナサン氏が指摘したかったのは、そういう事例なんじゃないかな。
ちなみに、コマンドサンボのくだりはヒョードルをイメージしてのことと思われるが、彼のロシアンフックはおそらく総合格闘技対策として習得したもので、コマンドサンボじゃないような気がするヨ(笑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AB
ありがと。「餅は餅屋」は使ったことあるな。確かに、生半可な知識で慣用句を使って間違いを指摘され赤面、というリスクはあるよね。ジョナサンの助言は「理解出来るようになっても使わないこと」、でした。
返信削除コマンドサンボはハリトーノフをイメージしてたんだけど、彼はロシアンフックの使い手じゃなかったっけ?
これは失敬。しかし、ハリトーノフとはまた通好みだねぇ。
返信削除ハリトーノフと聞いてオイラの脳裏に思い浮かんだのはコピィロフという選手。昔、有吉の深夜番組で取り上げられてたのが、なかなか面白かったんだよね。
http://芸能トレンドニュース.jp/sin3dai-kopyirofu-1941
https://www.youtube.com/watch?v=-fINkGQ809s
随分マニアックな映像を有難う。格闘技の奥深さを学んだよ。こういう世界を楽しむ人だけで集まって飲んだらさぞ楽しかろうね。
返信削除それはもう、朝まで語り尽くす勢いで盛り上がりますヨ(笑
返信削除オイラもさほど詳しくはないのだが、まだ総合格闘技というのがちゃんと確立されていなかった頃に前田日明が立ち上げたRINGSという団体が、世界中から様々な格闘技の選手を集めてきて試合をさせるという趣旨の興業を開催していたようで、その時期にこのコマンドサンボというジャンルが発掘されたみたい。黎明期のコマンドサンンボといえばヴォルグ・ハンらしいのだが、当時の衝撃は中々スゴかったみたいヨ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3
「スタンディング・アームロックで腕を極めた状態で後方へスープレックスで反り投げるという、非常に危険な隠し技を持っていた。」恐ろしい男だ。前田日明はあの意味不明の喋りでどうやってこの人をスカウト出来たんだろうね。
返信削除案外ロシア語はペラペラだったりして・・・
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