2018年1月28日日曜日

Pros and Cons プロコン

月曜の夕方、仕事から戻ると、いつものように16歳の息子が居間のちゃぶ台にノートパソコンを開き、座布団に正座してオンラインゲームのネット動画を楽しんでいます。ダイニングルームから現れた妻が、待ってましたとばかりに彼を睨みつけました。

「はい、パパに話さなきゃいけないことがあるのよね。」

おや?これはどうやら事件みたいだぞ…。私の帰宅を合図に座布団からお白洲へテレポーテーションした格好の息子は、正座のまま、すっかり観念した罪人のようにとつとつと語り始めます。

以前、水球仲間でクラスメートの親友二コラに誘われ、泊りがけの課外活動に参加申し込みをした。何度聞いても「日時や場所などの情報はまだもらってない」と言い張る息子に、そんなわけないでしょ、と今朝になって妻がメールの確認を強要したところ、彼が添付書類を見落としていたことが判明。慌てて開けてみて、二人で愕然とします。その日程が、今春家族で予定している一時帰国のスケジュール後半とガッツリ重なっていたのです。当然ながら、「どーすんのよ!」とキレる妻。日本滞在を早めに切り上げてひとりでサンディエゴに戻るか、あるいは参加をキャンセルするか。

「え?何の活動だって?」

と尋ねる私。

「モデル・ユーエヌよ。」

と妻。

「あ、それか。」

そういえば息子がそんなのに申し込んだって話してたなあ。うっすら蘇る記憶…。

Model UN(モデル・ユーエヌ)というのは、Model United Nations (モデル・ユナイテッド・ネイションズ)を縮めたもの。和訳すると「模擬国連」になりますね。青少年が大勢集まって国際会議のシミュレーションをするのが趣旨。参加者はそれぞれがどこかの国の大使を務め、その国の実態を調査した上で様々な話し合いをする、というもの。国際社会や政治についての深い理解をベースに、リサーチ力、作文力、プレゼン力、交渉力などが物を言うハードな企画です。親友二コラの、「地元で開催されるから移動時間や交通費の心配は要らないし、ここでの経験は大学受験の際、パンチの効いたエッセイ(小論文)を書くためのまたとない材料になる。」という売り文句に煽られ、それなら、と申し込んだようなのです。

「で、君はどうしたいの?」

と尋ねる私。息子が口を開く前に、

「パパが帰って来るまでに、旅行を切り上げて参加する場合とそのまま旅行を続ける場合のプロコンをリストアップしなさいって言ったわよね。やったの?」

と妻が割り込みます。

「やってない。」

「どうして?今まで何やってたのよ?」

「パパにどうすればいいか聞こうと思ってた。」

大きな溜息をつき、呆れかえった表情で私の顔を見る妻。ビジネスの場で良く使われるこのプロコン(Pros and Cons)。ぴったりした日本語訳は知りませんが、簡単に言えば、提示された選択肢に加えるプラスマイナスの分析評価のことですね。

もう16歳だし体もデカいし、これくらいのことはさっさと出来て然るべきでしょ、とプレッシャーをかける妻の前で、みるみる態度を硬化させていく息子。

「君はどうしたいの?」

と再び尋ねる私に、

「そりゃ旅行を取りやめたくなんかないよ。折角日本に行けるのにさ。」

「取りやめるなんて言ってないでしょ。最後の何日かを切り上げて一人でサンディエゴに戻るだけでしょうが。」

と妻。

「でも飛行機のチケットをもう一回買い直すと何百ドルも余計に払わなきゃいけないんでしょ。これは僕の責任だから、僕が貯金から出すことになるじゃない。だったらやだよ。」

「お金の心配を一旦置いといて、モデル・ユーエヌには参加したいと思ってるの?君にとっての価値はどのくらいあるの?」

「そりゃ面白そうだけど、日本にいられる時間を短くしてまで参加する価値があるとは思えないよ。」

「ちょっと待ちなさい。そもそもモデル・ユーエヌでどんなことをするかをきちんと調べたの?」

と妻。

「まだだけど、大体分かるよ。」

う~ん、こりゃ駄目だ。頭が熱くなっていて、とても冷静な分析が出来る状態じゃなさそうだ。

「紙とペンを持って来てごらん。」

ここから、家族でプロコンのリストアップが始まります。

「まずは、旅行を切り上げてモデル・ユーエヌに参加する場合のプロコンを考えてみようか。」

プロ:
またとない良い経験が出来るし、大学受験にも有利になる。

コン:
旅行を短くすることで、行けたはずのとこへ行けなくなる。会えたはずの人に会えなくなる。
飛行機代のキャンセル料を払わなきゃいけない。
一人ぼっちで日本から帰らなきゃいけない。
空港まで誰かに迎えに来てもらわないといけないし、両親が戻るまでの間の宿泊先を探さないといけない。

「じゃあ今度は、参加をキャンセルして旅行を続けた場合のプロコンを書いてみようか。」

実際には極めて字数の少ないリストでしたが、一応プロコンが埋まりました。

「このリストだと、圧倒的に旅行を続ける価値の方が高いことになっちゃうけど、そもそもモデル・ユーエヌの参加を通して何が得られるのかをちゃんと考えてみたの?」

「考えたよ。でもやっぱり僕は、日本旅行を優先するよ。」

一旦感情を切り捨てて客観的な視点を持たないと、意味のあるプロコンは作れません。すっかり頭に血が上っている息子に、そんな冷静な分析をせよというのは土台無理な要求だったのでしょう。

「じゃあモデル・ユーエヌはキャンセルだね。早速コーディネーターの人に、謝罪メールを書きなさい。」

と私。本当にそれでいいの?という顔でこちらを見た妻でしたが、ため息をひとつついた後、息子に釘を刺します。

「メールを出す前に、パパに見てもらいなさいよ。」

息子が外部の人にオフィシャルなメールを出す場合、私が文面のチェックをする役割になっていて、文法の間違いや無礼な表現を指摘して修正させます。これまでにも何度か日本語のメールを検閲していたのですが、彼の英文メールを見るのは久しぶりでした。

息子の十本の指がキーボードを叩き始め、わずか一分ほどでメールが完成。読み上げさせてみて、息を呑む私。なんと彼の文章は、冒頭から末尾まで、ほぼ隙の無い出来栄えだったのです。毎日百本以上ビジネス英文メールを書いている私ですら、ここまで簡にして要を得た文章はなかなか出て来ないぞ、と舌を巻くレベルでした。知らないうちに、ここまで成長していたのか。つくづく、知的レベルと精神的な成熟度のバランスが取れてないんだなあ…。

翌日、「それは残念ですが、旅行と重なっているなら仕方ありませんね。また来年参加すればいいじゃないですか」と先方から色よい返事を受け取った息子は、これですっきりと日本旅行を楽しめる、と胸をなでおろしたのでした。

「でも今回誘ってくれた二コラには、一言詫びを入れておくべきなんじゃないの?」

と私が言うと、そうだね、じゃあテキスト送っとくよ、と軽く答える彼。

ところがこの後、親友二コラが意外な行動に出ます。電話をかけて来た彼は、息子を猛然と説得し始めたのです。各地の高校から選抜されて来た秀才たちと、泊りがけで国際政治論を戦わせる。準備はすごく大変だろうが、我々にとって大きな成長の糧になることは間違いない。これほどのイベントが地元で行われるなんて、そうそう無いことだ。来年まで待ってたら、大学受験のエッセイ(小論文)のネタにするには手遅れだ。もうじき高校最後の学年がスタートするんだぞ。一年後には別々の道へ進む俺たちが、一緒に大きなイベントに取り組むのもこれで最後になる。たかだか三日や四日旅行を短縮したくないというだけで、こんなビッグチャンスをどぶに捨てるっていうのか?日本から戻ったら、イベント当日までうちに寝泊りすればいいじゃないか。

「やっぱり僕、モデル・ユーエヌに行くことにしたよ。」

ケロリとした笑顔で変心を告げる息子に、

「なんでそんな簡単に考えを変えられるのよ!」

と再び激しく呆れる妻でした。

うちの息子より11カ月ほど誕生日が早い二コラは、彼にとって兄貴のような存在。たとえ同じ内容でも、親にくどくど言われるより兄貴分の二コラから聞く方が、ずっと素直に受け取れるのでしょう。それにしても、二コラのプロコン分析力は素晴らしい。うちの子も、そのうちこうやって冷静に分析評価が出来るようになるのかなあ…。

さて昨日の朝8時、我が家から車で20分の距離にある高校でモデル・ユーエヌのオリエンテーションがあるというので、息子を連れて行きました。途中で拾った二コラが後部座席に座り、朝食がわりのクッキーを口に放り込みながら、助手席の息子にしきりに話しかけます。

「知ってるか?モデル・ユーエヌってのは、女の子と仲良くなれる絶好のチャンスなんだぜ。第一の理由。俺の調査によれば、参加者は6:4で女子が多いこと。第二は、そもそも共通の目的で集まっているから話が合う可能性が非常に高いし、話しかけるのも楽だということ。第三に、日中は三日間会議室に籠りきりだし、同じホテルで二泊するから接触機会も極端に多い。どうだ、こんな最高なイベント、またとないだろ!」

ぽか~んとした表情で二コラの演説に聞き入る息子をちらりと見ながら、プロコン分析能力以前の、歴然たる成熟度の差を感じる父親でした。


2018年1月21日日曜日

Wax poetic ワックス・ポエティック

毎週楽しみにしている事のひとつが、月曜午後一番の電話会議。現在私がサポートする中で最大級のプロジェクトの定例チームミーティングなのですが、会話中、ほぼ100パーセントの割合で初耳の英語表現が登場するのです。電話ヘッドセットをかけ、ノートを開いてペンを握りしめ、いつ姿を現すか分からない獲物を逃さぬよう神経を尖らす私。大量の議事が猛スピードで進んで行く中での聞き取りなので、それはまるでパラオの海を疾走するモーターボート上でカジキマグロを狙い身構える釣り師のよう。PMのアンジェラもプロジェクトディレクターのティムも、まるでジョークやイディオムを織り交ぜずに喋ると罰ゲームを食らうゲームに参加しているかのように、終始笑いを獲りながら会議を進めて行きます。

“Talk to the hand!”
「手と話して!」

とアンジェラ。これは「聞く耳持たないわよ」、つまり「絶対駄目よ」という意味になりますね。

“We should take the bull by the horns.”
「角を掴んで牛を取り押さえないと。」

とティム。彼は「勇気をもって難事に当たるべきだ」と言いたかったのですね。この電話会議の一時間後、お偉方によるプロジェクト・レビューが予定されており、ここでアンジェラが出席者たちからのランダムな質問に適宜答える態で行くか、あるいは彼女がしょっぱなから議事進行役を買って出て流れをリードすべきか、という話題になったのです。出席者の素っ頓狂な発言をきっかけに議論がこじれにこじれる、というありがちなアクシデントを避けるため、ティムがアンジェラに司会の乗っ取りを勧めた際のイディオムがこれでした。

今週もなかなかの漁獲高だったぞ、とホクホクしながら電話会議を終える、「イディオム・ハンター」の私。アンジェラとティムとの会話は、トップクラスの漁場なのです。

翌日の昼飯時、ランチルームに現れたベテラン社員ビルに話しかけました。

「ねえビル、英語の質問していい?」

この人も、英語イディオムの宝庫なのです。

「昨日の電話会議で、ある人がこんなこと言ってたんだ。意味を教えてくれる?」

実は前日、プロジェクト・レビュー会議のさ中、品質管理部門の重鎮クリスが何か流暢に説明し始めたと思ったら、突然中断してこう言ったのです。

“Wax poetic.”
「ワックス・ポエティック。」

ポエティックが「詩的な」という形容詞であることは分かります。でもなぜワックス?

「ワックスと言っても、洗車の後にかけるやつのことじゃないよ。」

とビル。この時、通りすがりに我々の会話を耳にした同僚ジョナサンが足を止め、振り返ってこちらにやって来ます。そこにあった椅子の背を胸に抱えるようにして、大股で腰かけました。

「月の満ち欠けを表現するのにワックスとウェイン(Wax and Wane)って言うだろ。」

とビル。

「いや、知らないな。」

と私。

「ワックス・オン、ワックス・オフ!」

とすかさずジェスチャー付きで茶々を入れるジョナサン。映画「カラテ・キッド」で達人ミヤギ氏が、教え子ダニエルに空手の基本動作をマスターさせようと課したワックスがけの仕事を表現してたのですね。

「だから、そのワックスは違うんだって!」

とビル。

「イディオムなんて、使わないに越したことは無いんだよ。」

と対話の進行を妨害するジョナサン。

「相手に通じないかもしれない言い回しなんて、そもそも何の役にも立たないだろ?」

「でもイディオムを一切排除しちゃったら、会話が無味乾燥になるでしょ。そんなのつまんないよ。たとえ誤解の危険を孕んでいようと、僕は断然イディオム使用賛成派だな。」

大体、普段イディオムを巧みに取り入れた発言で周りを楽しませているネイティブのジョナサンが、ノンネイティヴの私に「使わない方がいい」なんて説得力無いんだよ。自分だけずるいでしょ。彼は私の知り合いの中でも、ずば抜けて当意即妙の受け答えに長けた男。心憎いまでに機転の利いた発言を、予想もしない角度から放り込んで来る現場に度々居合わせて来ました。それはまるでコマンドサンボの使い手が、完全な死角から左テンプルにロシアンフックをヒットさせるような芸術的美技なのです。

「日本にも慣用句はあるんだろ。会社の会議とかで使ってる?」

とビル。う~ん、どうかな。意識したことないぞ。社長さんが年始の挨拶スピーチで冒頭にかます奴はあるよな。

「勝って兜の緒を締めよと申しますが…。」

「捲土重来を期し、本年の事業発展に全力を…。」

だめだ。おっさんくさいフレーズしか思いつかん…。仕事上の会話をリッチにする日本語慣用句の事例が全く浮かんで来ないので、「年功序列と敬語が及ぼすコミュニケーションへの影響」の話題でお茶を濁します。それから再び、「ワックス・ポエティック」の解説を促す私。

「オールド・イングリッシュ(古英語)じゃ、ワックスってのはインクリース(増加)と同じ意味だったんだよ。」

とビル。ヨーロッパにおけるオールド・イングリッシュとラテン語の歴史、アメリカに渡って来た言語とそれ以前に全米各地で使われていた言葉との融合、そしてワックスという単語の使用法の変遷を説明した彼は、誰かがあるテーマを語るのに必要以上にカラフルな言葉を散りばめてどんどん饒舌になって行く様子を「ワックス・ポエティック」と言うのだ、と教えてくれました。

なるほど。レビュー会議でクリスの言いたかったのは、きっとこういうことでしょう。

“Wax poetic.”
「だらだらしゃべり過ぎだね。」

博覧強記ビルの緻密で濃厚な解説が終わるのを待ち、ジョナサンがぼそりとこう言いました。

“Case in point.”(ケース・イン・ポイント。)
「その好例だよ。」


2018年1月13日土曜日

Don’t throw the baby out with the bathwater. 風呂の水と一緒に赤ん坊まで流すなよ。

木曜の夕方5時、どこからこんなに湧いて来たんだ?と思わず見回してしまうほど大勢の社員がランチルームに集まって来ました。今週一杯で総務のベスとヴィッキーが会社を去ることになったので、その引退パーティーが催されたのです。二人とも孫のいる年齢なので本来ならお祝い気分で送り出すべきところですが、主役たちと言葉を交わす人々の多くは目を潤ませていました。というのも、これは彼女達の意思に基づいたリタイアメントではなく、会社全体で大ナタが振り下ろされた結果だからなのです。

今週末に全米の総務系社員を一斉解雇し、派遣会社からの安い人材とすげ替える、という非情な決定。過去にIT系社員の大型リストラを経験しているだけに、避けられないトレンドとして受け止められる一方、この会社は一体どこまで無慈悲な首切りを続けるんだ?という嫌悪感が募ります。うちの支社は数百人の社員をわずか三人のベテラン総務社員が支えていて、既に限界ギリギリでした。これを新顔の派遣社員二名に引き継ぐというのだから、皆で顔を見合わせて静かに首を振るばかり。

翌朝、受付カウンターに座っていたヴィッキーに話しかけました。メークにもヘアスタイルにも80年代の名残りを感じさせる彼女は、ちょっぴり襟を立てたグリーンのブラウスにチャコールグレーのタイトスカート、というお馴染みのスタイルで立ち上がり、シアトルに住んでる娘の出産日が迫ってるので来週から赤ん坊の面倒を見に行くのよ、と屈託なく笑います。

「ここで働く最後の日なのに、やらなきゃいけないことがこんなにあるの、見て!」

と手書きのリストを差し出す彼女。

「性分だから仕方ないんだけど、中途半端な仕事が出来ないのよね、私。」

それから、この会社で働き始めた28年前の話になりました。総勢60名の支社に、自分を含めて9人の総務社員がいたこと。交換手としての仕事がメインで、多い時は六本ほどの受信を同時に捌いていたこと。留守番電話機能が登場する前だったので、伝言メモをカウンターに並べておいて社員がこれをチェックしに来るのが日常だったこと。ファックスだけが唯一のハイテク機器だったこと。

「歴史を見つめて来たんだねえ。」

「うん、ずっとずっと楽しかったわ。」

12時過ぎに再び受付へ戻ると、今回の一斉解雇を回避し間一髪でオペレーション部門への異動を果たしたヘザーが、ヴィッキーと話していました。忘れ物は無いか、引き継ぎし損ねたことは無いか、とひとしきり事務的なチェックが続いた後、花束を入れた大型のショッピングバッグを手に、ヴィッキーがエレベーターホールへと向かいます。ドアの前で私にハグし、続いてヘザーとハグを交わした後、ちょっと驚いたような顔になるヴィッキー。

「泣かないって言ったじゃない!」

私に背を向けて立っているヘザーを見つめながら、ヴィッキーの笑顔がみるみる歪んで行きます。こちらを振り向いたヘザーは紅潮した頬に大粒の涙をボロボロこぼし、助けを求めるような目で私を見やります。それからもう一度ヴィッキーを強く抱きしめ、泣き出した彼女をドアの外に押しやると、くるりと振り返って震えるしゃがれ声でこう言いました。

“I hate today!”
「今日って最低!」

この後、同僚ディックとランチを食べに行きました。良く晴れたダウンタウンを歩きながら、今回の人事について話し合いました。

「長年の間にベスとヴィッキーの頭に蓄積された知識や知恵の量は、計り知れないよ。どんなに頑張っても引き継ぎ出来ないようなことがあるっていうのに、そういうのを分かった上での決断なのか、トップに聞いてみたいよな。」

とディック。そう、組織の運営にとって大切なのは、仕事の手順など文書化可能な情報だけでなく、社員ひとりひとりの頭の中にある、簡単に言葉に出来ない「知恵」なのです。特に総務のベテランは「知恵の塊」ともいうべき存在。コストカットという名のもとに貴重な知的資産を切り捨てることで、どんなしっぺ返しが来るのか…。しかし末端の社員達は大いに影響を受けこそすれ、当の意思決定者たちは大して痛痒を感じないのが現実。このギャップが問題なんだよね、と二人で首を振ります。

「そうだ、こういうイディオム知ってる?」

と私。

“Don’t throw the baby out with the bathwater.”
「風呂の水と一緒に赤ん坊まで流すなよ。」

これは、最近覚えたてのフレーズ。ウィキペディアによれば最初に確認されたのは1512年、という古い表現で、真偽は定かでないものの、語源らしきエピソードがこれ。

昔、貴重な水を有効に使おうと家族全員が一人ずつ風呂桶(たらいのようなもの)で身体を洗うのが習わしで、順番としては赤ちゃんが最後だった。全員が使い終わる頃にはあまりにも水が濁っているため、赤ん坊の存在に気付かず一緒に流して捨てる人がいるかもしれない、気をつけなさいよ、という耳を疑うような忠告です。意訳するとこうなりますね。

“Don’t throw the baby out with the bathwater.”
「何かを捨てようとして大事なものまで一緒に失うなよ。」

ああ聞いたことあるよ、とディック。まさに今回の人事決定をした奴等に言ってやりたいフレーズだよな、と二人の意見が一致しました。

「この表現、ロスのジャックが使ってたんだ。ジャックって知ってる?」

いや、知らないな、とディック。

「もともと旧PMツールの開発とサポートを担当してたんだよ。IT部門の大型リストラと新PMツールの登場で一度失職の危機に立たされたんだけど、生き残りのためプライドを捨てて新PMツールのサポート・チームに入ったんだ。なのに火曜日に解雇されてね。彼が会社を去る際、お別れ一斉メールの中でこのイディオムを使ってたんだ。」

31年間真面目に働いて来た彼にとって、最後の最後に受けたこの仕打ちは余程腹に据えかねたと見え、普通なら「今まで有難う。感謝で一杯です。」など当たり障りない紋切口調が散りばめられがちな「さよならメール」に、なかなかスパイシーな文言が埋め込まれていたのです。

I have spent the last years in the Information Technology group. Personally I am a big fan of XXXX. I wish we had XXXX when I was supporting operations. But the baby was thrown out with the bath water and you now have YYYY (with ZZZ to support. Good Luck!!!)
ラスト数年間はITグループで過ごした。個人的には旧PMシステムが大好きだ。自分がオペレーション部門にいた時代に旧PMシステムがあったら良かったのにと思ってる。しかし赤ん坊は風呂の水と一緒に流され、新PMシステムのお出ましだ(ZZZ社のサポート付きでな。せいぜい頑張れよ!!!

よくぞ言った、ジャック!


2018年1月6日土曜日

善悪の線引き

昨日の晩は妻とその友人N子さんがカラオケに行くというので、娘のサラちゃんを我が家で数時間預かりました。日米ハーフの彼女は、もうすぐ高校を卒業する17歳。去年フィールドホッケーで地域のMVPを獲得した、バリバリのアスリートです。私のお手製しめじパスタで晩飯を済ませた後、さっさとひとり居間へ移動してネット動画を観始めた16歳の息子を放置し、サラちゃんと二人食卓を挟んで話し始めました。男兄弟で育った上に、ほぼ女子抜きの高校・大学生活を送った私。お年頃の女の子が普段何をしてどんなことを考えているのか、興味津々でした。

クラブでのライバル関係、別れた彼氏のこと、それに希望の職業、など様々なテーマで語ってくれたサラちゃん。思い切って、最近気になり始めたマリファナ(大麻)の話題を振ってみました。

「なんでみんなあんなものに手を出すのか分かんない。」

と首を振る彼女。彼女の高校では大麻を吸っている人がうじゃうじゃいて、隣の席の子は四六時中マリファナ臭を放ってる、というのです。

「これやってみなよって錠剤渡されたけど、要らないって断った。」

最近になって大麻の使用を合法化したカリフォルニア州ですが、そうなるずっと以前から広く出回っていて、高校生や大学生が簡単に入手出来る状況。合法とはいえ21歳までは使用禁止なので、捕まれば一応大問題です。サラちゃんの高校では、麻薬犬を連れた警官が時々抜き打ちでやって来て検査をする、とのこと。

実はつい先日も職場でのランチ中に大麻の話題が出て、それで気になっていたのです。若い部下のカンチーとテイラーは、大学時代にクラスメート達が当たり前のように吸ってたと言うし、気持ちが落ち着くのもあればハイになるものもあって、種類は様々なのよ、と使用経験を匂わせる発言。

「シンスケだって、六本までだったら自宅の庭で育ててもオッケーなのよ。」

と、UCサンタバーバラ校出身のテイラー。カンチーの通ったUCサンタクルーズ校では、毎年4月20日の「大麻の日」になると、キャンパスの真ん中で煙モクモクの大パーティーが開かれていたそうです。

「州が合法化したってことは、知事も賛成してるってことだよね。何だか不思議。日本でマリファナの使用が見つかったら、即逮捕なのにさ。」

と私が感想を漏らすと、少し離れた席でランチを食べながら話を聞いていた古参社員のビルが、

「あの知事は若い頃、ヒッピーみたいな奴だったんだ。歌手のリンダ・ロンシュタットと付き合ってたりしてさ。その頃は間違いなく吸ってたし、今でも絶対吸ってるね。」

と笑います。

その晩帰宅すると、妻がYouTubeで「バイキング」という番組を観ていました。刑期を終えて復帰した高樹沙耶が大麻所持の罪を反省したとかしてないとかで、司会の坂上忍ともめています。カリフォルニア州じゃ笑って済まされるようなことでも、日本の法律や世間は簡単に許してくれないんだなあ…。

さて、サラちゃんとの会話に戻ります。彼女が最近一番頭に来ていることは、YouTubeで注目を集めているローガン・ポールという若いアメリカ人俳優の狼藉ぶり。日本へ旅して青木ヶ原で生々しい映像を撮ったり、東京の路上で突然ズボンを脱いだり、築地市場内を忙しく行き来するターレットトラックに飛び乗って運転手を驚かせたり、生の魚を手に持って振り回しながら雑踏を歩いた挙句、タクシーのボンネットに置いて立ち去ったり、と、それはもうやりたい放題。一連の公開ビデオを私に見せながら、自分がこれほど大事に思ってる祖国を馬鹿にするような態度は許し難い、と憤りを露わにするサラちゃん。あんな奴、永久に入国禁止にすべきなのよ、と首を振ります。路上で職務質問をしていた警官にポケモンのぬいぐるみを投げつけてイラっとさせる映像では、

「なんでポリスなのに何もしないのかしら。アメリカだったら撃ち殺されるところよね。」

とコメント。う~ん、それはそれでコワいぞ。

かつて日本テレビの「電波少年」という番組で、アポなし取材と称して松本明子がアラファト議長を訪ね、ハンディカラオケ機で「テントウムシのサンバ」のデュエットを申し込む、という企画がありました。あれだって下手すりゃ国際問題レベルの暴挙でしょう。ここを超えたら罪になるぞ、というポイントは、状況によってグラグラなのかもしれません。何にしろ、ハーフのサラちゃんが日本のことをそんなに大事に思っているということが、ちょっぴり嬉しかったのでした。

さて、5年ぶりの一時帰国が間近に迫って来ました。そろそろスケジュールを詰めなければなりません。まずは久しぶりの日本で一番したいことが何かを妻とブレーンストームした結果、やはり「美味しい物が食べたい」に落ち着きました。滞在中は、出来るだけ安くてウマい物を楽しみたいよね。こないだグルメ番組で取り上げられてたあのレストランにも行ってみたいねえ、と話していた時、日本ではB級なお店ほど店内喫煙を許す傾向がある、ということに思い至り、二人で急速に元気を失って行きました。

カリフォルニアでは、建物内は元より歩道上でも禁煙なので、普段の生活で煙草の臭いを嗅ぐことがまずありません。知り合い全部を集めても、喫煙率は1パーセントに満たないでしょう。昔から、煙草の臭いには極度に敏感な私。飲食店の扉を開けた瞬間、たとえそれが残り香程度のレベルでも鼻がその粒子を感知すると、一気にテンションが下がるのですね。

「なんかブルーになって来た。」

と私。

大麻はオッケーなのに煙草禁止のカリフォルニアと、大麻所持者を社会的リンチにかける一方で喫煙者には甘い日本。善悪の境い目って、結構曖昧なものなんだなあ、としみじみ思うのでした。