2017年12月16日土曜日

Houston, we have a problem. ヒューストン、問題発生!

二週間ほど前のある朝、本社副社長のパットから「ちょっと話せる?」とテキストが入りました。あるパイロットテストに取り組もうとしているのだが、現場の人間の力添えが必要だ、とのこと。

「毎週月曜の朝、全米のPM達に向けてコストレポートのリンクを送るキャンペーンを始めようとしてるの。」

自分の担当プロジェクトに最近チャージされたコストを一覧出来るレポートは、既にシステムの中に組み込まれていて、皆いつでも閲覧出来ます。しかしPM達の多くはそのボタンの存在すら知らず、またたとえ知っていたとしても、多忙なため毎週チェックする者はほとんどいないのが現状。もしも毎週月曜の朝一番にメールが届いて、そこにリンクが貼られていれば、利用率は飛躍的に向上するだろう。しかし問題は、肝心のレポートがユーザーフレンドリーと言うには程遠い代物で、本当に知りたい情報を引き出すのに数ステップのボタン操作を経る必要があること。これでは逆に、PM達の不満をかき立てる結果になりかねない。さてどうするか?

「対象人数を絞ってパイロット・テストをやって、そこでの反応を見てから進め方を決めたいと思うんだけど、どうかしら?」

それは実に慎重なアプローチだね、と賛成し、さっそくサンディエゴ支社環境部門のPM26名をリストアップします。

「この人たちは全員、僕が日常的に会話している相手だから、きっとメールに書きにくいような本音でも直接聞き出せると思うよ。」

このちょっとした気遣いに感謝の言葉を述べた後、

「会社が契約しているITコンサルタントにこのテストを頼めることになったから、さっそく彼にリストを送るわね。」

と喜ぶパット。そして月曜日の早朝、一斉メールが送られたのをスマホで確認しました。文面の最後には、「パットとシンスケに宛ててこのメールサービスに対する意見を送って下さい。」とあります。あて名は全てBCCなので、受取人が誰なのかをこの時点では確認出来ませんでした。

その約30分後、オレンジ支社のクリスというPMから、こんなメールが届きます。

「あんたの名前は初耳だ。誤解だったら申し訳ないが、この手の不審メールに貼られたリンクを気軽にクリックするほど俺は馬鹿じゃないからな。」

よく見ると、クリスの返信はマティアスという人に宛てられ、パットと私の名前がCCに入っています。さっそくパットにテキスト。

「メールの出所が疑われちゃってるよ。なんでこんなことになったのかな?」

「仕事を任せたITコンサルタントのマティアスが、自分の会社のメールアドレスから発信しちゃったのよ。困ったわね。これじゃ、フィッシングメールと思われても仕方ないわ。」

「それにこのオレンジ支社のクリスって、僕のリストには入ってない名前だよ。どうして彼がメールを受け取ったんだろう?」

「え?そうなの?今回使われた送信先リストをマティアスに送ってもらうわね。」

そしてこの五分後、不信感を表明する同様のメールがシアトルやホノルルのPMから届きます。

「ねえパット、どうやら僕の作った26名のテスター・リストはどこかに消えちゃったみたいだよ。一体マティアスは、誰宛てに送信したのかな?」

すると暫くして、当のマティアスから今回の宛名リストが送られて来ました。ファイルを開いてみて、愕然とします。

「パット、このリストは北米西部にいる環境部門のPM全員だよ。400人以上の名前が載ってる!」

“Holy shit(なんてこと)!”

動揺を隠せない様子のパットが、こう続けます。

“Is this a Houston we have a problem –level issue?”
「これって、ヒューストン、問題発生!ってレベルのピンチかしら?」

「いやいや、そこまではいかないと思うよ。逆に、調査対象が広がったことでフィードバックが増えるかもしれないじゃない。」

と、冷静さを装ってパットをなだめる私でした。

“Houston, we have a problem.”というのは、アメリカ人の多くがジョークに使う引用句です。これはかつてアポロ13号が月に向かって航行中、機体の一部で爆発が起こり絶体絶命のピンチに陥った際、テキサス州ヒューストンの管制センターに向けて発した飛行士ジャック・スワイガートの第一声。この交信時点ではまだ問題の全容が不明で、爆発の衝撃とそれに続く警報サインにスワイガートが反応した形。事態はここから悪化の一途を辿り、電力や水の致命的不足等の苦難が次々に襲いかかります。一瞬の油断が命取りになる緊張感の中、知恵と体力を振り絞り、間一髪で地球への帰還を果たす飛行士たち。

今回あらためて調べてみて分かったのですが、このセリフ、オリジナルとは微妙にニュアンスが変わっています。

“Houston, we have a problem.”
「ヒューストン(管制センター)、問題発生。」

はいかにも緊急事態が進行中という感じですが、実際は、

“Okey, Houston, we’ve had a problem here.”
「オッケー、ヒューストン、(ちょっと前に)何か問題が起きた模様。」

と現在完了形が使われていて、やや呑気な語感。人類の宇宙飛行史の分岐点とも言えるこの世紀の大ピンチを象徴するセリフとしては、いささか緊迫感に欠けています。それを補おうと思ったのか、1974年にユニバーサル・テレビが手掛けたドラマチックなタッチのテレビ映画タイトルに使われたのが、「Houston, we have a problem. (ヒューストン、問題発生!)」でした。それ以来、こっちのフレーズが世に広く知られるようになってしまった、というお話。

日本で暮らしていた頃、立花隆がメインを務めた「アポロ13号奇跡の生還ドキュメンタリー」を観ました。番組中、立花氏が繰り返していたのが、船長のラベル、飛行士のスワイガートとヘイズは、極めて明るい性格だったということ。常人なら「もはやこれまで」と早々に諦めてしまうほどのハイペースで畳みかけて来るピンチを、ひとつひとつ落ち着いて切り抜けて行く。何千人という管制センターのサポートがあったとは言え、飛行士たちのあの陽気さがなかったらこの奇跡は起きなかっただろう、と。

「泣いたって喚いたって救助隊が駆けつけてくれるわけじゃない。やれることをこつこつやるしかないだろ?」

みたいなことを、後日のインタビューで船長のラベルが満面の笑顔で答えていたのが今でも強く印象に残っています。NASAで何年間もの過酷な訓練を経験した宇宙飛行士たち。その精鋭中の精鋭が、ずば抜けて強靭な精神力を備えているのは納得です。でもそういう人達が、ここまでネアカタイプだというのは意外でした。あの「元気があれば何でも出来る」アントニオ猪木氏の名言にも、こんなのがあります。

「ピンチっていうのはね、ひとつのものじゃなくて、いろんなヤッカイ事が“ダマ”になってやってくる。だからみんな負けちゃうんです。その“ダマ”をひとつずつ解きほぐして、ひとつずつやっつけていけば、ピンチってのは必ず乗り切れる!」

傍から見れば絶体絶命のピンチでも鮮やかに切り抜けてしまうこういう人たちのキャラクターは、ドラマの題材に使われる際、感動に飢えた観衆に合わせてつい「超人化」されてしまいがち。だからこそ、「ヒューストン、問題発生!」などという緊張感たっぷりのセリフが創作されてしまったのでしょう。でも実際は、ただただ辛抱強く問題を解決し続けているだけなのかもしれません。

さて、話はコストレポートのパイロットテストに戻ります。月曜日は一時的なお天気雨のようだったPM達からのメールが、火曜から次第に土砂降りの勢いでインボックスを埋め始めました。400名以上のPMに意見を求めたのですから、当然の結果でしょう。パットと手分けして返信を書き始めたのですが、翌日の午後から強烈な頭痛に見舞われ7日連続寝込んでしまった私は、メールを読むために目を開けることも出来ない「ブラックアウト」状態に突入。これでパットは、すっかり孤立無援となってしまいました。

体調が回復して一週間ぶりに出勤してみると、なんと彼女は百通近いメールにそれぞれ、目を疑うほど丁寧な返信をしていたのです。標準的な文章をコピペしてスピーディーに処理してしまおうとなどという姑息な発想は持ち合わせていないようで、一人一人の声に真摯に耳を傾け、心からの感謝を述べた後、その意見に対して自分はこれからどうするつもりかを具体的に説明している。ただでさえ超多忙な人なのに、個人個人とガッチリ向き合って対話しているのです。大きな負荷をかけてしまったことを申し訳なく思いつつも、彼女のこの丁寧な仕事ぶりにすっかり感心してしまった私でした。

「復帰おめでそう。今ちょっと話せる?」

と私の存在をシステムで確認したパットから、さっそくテキストが入ります。今回のテストで、約七割の人が自動送信メールのアイディアを好意的に受け入れている一方、残りの三割は拒絶反応を示している。こんなもの何の役にも立たない、と。フィードバックを読んでみて分かったのだが、このレポートを誰もが有効に使えるようになるためにはある程度の補足ガイダンスが必要だ、ということ。

「回答者の中に、レポート活用のための簡単なウェブトレーニングをやってもいいよって名乗り出てくれた人が複数いるの。アレックスって知ってる?彼と話してみて、任せられるなって思ったの。明日の朝、彼と作戦会議の予定があるんだけど、参加出来る?」

「もちろん喜んで!アレックスはうちのオフィスの凄腕PMだよ。彼ならきっと良いトレーニングをやってくれる。」

「私には優秀な人を見分ける才能があるの。それで、相手の方から協力させて欲しいと言うまで腕を捩じ上げちゃうのよ(twist their arms)。」

そして、

“sound familiar? LOL”
「よく知ってるわよね。笑笑。」

と締めくくります。私はここで、彼女の誠意に満ちた返信の数々を思い返し、賛辞を送らずにはいられませんでした。自分の意見をしっかり聞いてくれる人の力になりたいと思うのが人情というもので、あの心籠る文面は、きっと相手の心を揺り動かしたと思う、と。

「そうされた方は、きっと捩じ上げられた腕の痛みなんて全然感じてないね。魔法にかかったようにハイな気分になって、協力を申し出るんだと思う。我が社のリーダー達が全員、あなたのような才能を持った人なら良かったのに。」

「あら、有難う。」

「送信先リストの件では随分焦ったけど、結局はそれを逆手に取って良い結果を出しちゃったね。」

「本当に笑っちゃうわね!あの時は正直、すっごく不安になったのよ。」

「ヒューストンまで持ち出したもんね。」

からかうような調子でそう書いたところ、暫く返事が滞ります。それから一言、

「ヒューストン?」

と首を傾げている様子の返信。え?この人、自分の使用した引用句を忘れちゃってるみたいだぞ…。

「ほら、『これってヒューストン、問題発生ってレベルのピンチかしら』って言ってたじゃん。」

と私。

「あら、そうだったわね!lmao

ん?なんだ最後の四文字は?すぐにネットで検索したところ、これはLaugh My Ass Offの略で、「お尻が抜けて落ちるほど激しく笑っちゃう」という意味でした。

ずば抜けて優秀な人って底抜けに明るいよね、というお話でした。


2 件のコメント:

  1. プロレスマニアの中には少なからずいる【アントニオ猪木信者】。彼らの多くが主張するのは「アントニオ猪木の素晴らしい所は、考え方が完全に狂っている所なんだよね」
    曰く「大したスポーツ経験のないガリガリのもやしっ子が、同期入門した身長2mの元プロ野球選手を勝手にライバルだと思い込んでいた事」
    曰く「産廃になっているサトウキビの搾りかすから牛のエサを作り出したら、故郷ブラジルの貧困問題を解決できる!と思い立って、会社の利益をジャブジャブ注ぎ込んで事業を行い、危うく会社がツブしそうになった事」
    曰く「プロレスラーなどという胡散臭い商売を生業としているのに、国会議員になって俺がこの国を変えるんだ!と政治活動にのめりこんでいく事」
    曰く「外国人居住者を人質にとってアメリカとドンパチ始めようとしているイラクに対し、そんな卑怯なことはヤメロ!と単身乗り込んで行って、人質を取り返してきた事」etc
    彼のカリスマ性は奇跡を起こし続けるのだけれども、その陰ではサポートし続けて辛酸をなめてる人がどっさりいるんだけれどもね。。。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E9%96%93%E5%AF%BF

    でも、そこがステキなんだと(笑

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  2. 貴重な情報有難う。どんな分野であれ、ずば抜けて優秀な人ってどこかバランスが悪いんだよね。ま、猪木氏のは桁違いだけどさ。

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