月曜の朝10時半。私の手のひらには、まるでスーパーヒーローが念力で発生させた核融合のように、光の塊が圧倒的な熱量で燃え盛っていました。植物学者の同僚ジョナサンは、日曜大工で溶接作業の際に使っているというプロ仕様のマイ・ゴーグルを装着し、上空を見上げています。名前も知らない若手エンジニアの同僚は、方眼状に沢山のパンチホールを開けた大判コピー用紙を腰の高さに掲げ、整然と並んだ小粒な半月状の光を、まるでアートワークのようにパティオのウッドフロアへ投影しています。
そう、この日は北米大陸で五十数年ぶりに皆既日食が観測出来るというので、職場の皆で鑑賞会を催したのでした。残念ながら軌道はサンディエゴを僅かに外れていて、「白昼突然、街が闇に包まれる」現象までは体験出来なかったのですが、普段忙しい同僚達が大勢集まってお喋りしながら空を見上げるというのは、何とも心浮き立つイベントでした。どういうルートからか、文化財調査チームのクリスティがNASA公認のEclipse Glasses(日食観測用サングラス)を50個も仕入れていたので、参加者は漏れなく、太陽が月の陰に徐々に隠れて行く様子を鑑賞出来ました。私の手に映した日食は、生物学チームの同僚ブレナンが持ち込んだ天体望遠鏡の接眼レンズを下に向け、そこへ手をかざすことで出来たもの。「何となく誘われるままに」イベントに参加した私は、才能豊かな同僚達のこうしたユニークな発想や行動力に、あらためて感心しきりでした。
さて、木曜と金曜は数カ月ぶりに有給休暇を使い、家族三人でロサンゼルス近郊へ一泊。主目的は、15歳の息子のための大学見学でした。この夏休みが終わるとJunior(日本で言えば高2)になる彼は、そろそろ真剣に大学進学の準備を始めなければいけない時期に来ているのです。のんびりムードの学校に通って水球に精を出している息子に、そんな切迫感は微塵も感じられません。逆三角形の身体になって身長も180センチを超えましたが、口を開けばTVドラマのゲーム・オブ・スローンズか、ネットで見つけたジョークの話題。今朝も、アメリカ陸軍の小隊が行軍訓練中、深い草むらに身を伏せて敵から身を隠すトレーニングを実施していたところ、ひょこひょこ歩いて来たおばあちゃんが目の前でしゃがみ込み、野糞を始めてしまったという話を教えてくれました。
「隣の仲間と腕を噛み合って笑いを堪えたんだってさ。」
ネタが下品であればあるほど余計嬉しそうに話す息子。英語出典のストーリーを日本語で説明するというチャレンジは、彼がバイリンガルに成長するための良い訓練になると思い、敢えて遮らずに聞き入る私。そして必要に応じてミスを正します。
「あのさ、それ、ヤグソじゃなくて、ノグソって発音するんだよ。」
漢語の音訓を間違って記憶していることは頻繁にあるのですが、たとえうろ覚えでもその文脈において最適な表現だと思えば恐れずに言葉を使う心がけは見上げたものだ、と挑戦を奨励している我々夫婦。先日も、妻が食べ終わったアイスクリームの容器を奪い取り、底の溝や内壁についたカスをスプーンでこそげ落として舐め尽くそうとする息子に、
「やめなさい。そういうの何ていうか知ってる?」
と彼女が尋ねたところ、知ってるよ、と胸を張る息子。
「薄汚い、でしょ。」
「ううん、イジキタナイっていうのよ。」
こんな感じで、体格の割にはまだまだ幼い我が子。「早く受験準備をスタートしないと手遅れになるぞ」とまくし立てて危機感を煽っても無駄などころか逆効果。良い刺激を与えて自覚を促すのが親として出来る最良の策だろう、という考えの下に妻が企画したのが、今回の大学見学ツアーでした。
アメリカの大学受験には入学試験というものが無く、SATとかACTとか言われる(何度も受けられる)適性試験のスコアや内申書の他、小論文、紹介状などを提出して審査される形式です。ものすごく頭が良ければどこでも入れるというのではなく、まるで企業に採用される時のように、「あなたは我が校風にピッタリだ。是非うちに来て欲しい。」と思ってもらえるかどうかが鍵。大学それぞれに個性があり、建学の志や発展の方向性を良く理解した上で申請しないといけないのです。そのためには、現地まで足を運び、ボランティアの在校生がガイドを務めるキャンパス・ツアーやアドミッションズ・オフィス(入学事務を執行するオフィス)によるインフォメーション・セッションに出席するのが一番と言われています。
一日目は、「ワイドナショー」のコメンテーターでお馴染みの宮澤エマさんやオバマ前大統領が学んだという、Occidental College(オキシデンタル大学)を訪問。図書館の一角に設けられたオバマ・コーナーには、彼の若かりし頃の写真がありました。そうか、大統領にも学生時代ってものはあったんだよな。当時、自分がいずれアメリカでトップの座に就くなんてこと、想像してたんだろうか?いや彼ならきっと、どんな夢だって叶えられるって信じてたんだろうな。“Yes
we can!”とか言いながら…。
続いて、かつて天才物理学者リチャード・ファインマンも教壇に立ち、今や全米一合格の難しいCalifornia Institute of Technology(通称カルテック)へ。(うちの息子が特に優秀だからこういう学校を選んだのではなく、我が家から比較的近いところにある有名大学を見てみよう、という軽い気持ちでのチョイスです、念のため)。
二日目は、Claremont Colleges(クレアモント・カレッジズ)という、五つの大学と二つの大学院からなるコンソーシアム(大学連合)へ。朝一番で、1887年に創設されたというPomona College(ポモナ大学)を訪問します。毎年、全米大学ランキングでハーバードやスタンフォードと鎬を削る超難関校。アドミッションズ・オフィスのある建物は、創立当時から使われているというニューイングランド様式の木造建築。キャンパスを見渡すと、樹齢二百年以上はあろうかと思われる幹のゴツゴツした巨大な広葉樹の並木が、短く刈り込まれた緑の芝生や遊歩道の上に濃い影を落とし、涼風を生み出しています。抜けるような青空を背景に、パルテノン神殿調の円柱で前面を装った石造りの建造物や近代的なデザインの新しい校舎が、広大な芝生の中に距離を置いてぽつりぽつりと佇んでいます。植物園のように深い緑の中をリスが忙しく行き交い、木々の間で鮮やかに咲く赤やピンクの花の上を、蝶々やカナブンが舞っています。
「僕、ここ来たい!」
最初の十秒で惚れ込んでしまった息子。無理もないでしょう。我々夫婦もうっとりしていました。こんな素敵な大学で四年間も過ごせたら最高だなあ、と。
ランチを挟んで午後一時半、隣接する敷地にあるHarvey Mudd College(ハーヴィー・マッド大学)へ。ここも、全米で十番目に競争率が高い難関校。理工系に特化しており、ポモナ大学とはガラリと変わって質実剛健を絵に描いたようなキャンパス。建造物の輪郭は直線が多く、案内された実験室や研究室の多くは、外光が入り込まない地下空間にあります。廊下の壁には、過去の学生たちの研究成果が図表入りのポスターになって貼り出されている。もちろん内容はちんぷんかんぷん。童顔の学生ガイドに引率され、他の参加者達とそぞろ歩くうち、息子の表情がどんどん曇り始めました。
「この学校、100パーセント無いな。」
私の耳元で囁きます。おいおい、何様だと思ってんだよ。そもそも入れる確率は限りなくゼロに近いんだぞ。
「パパの大学も、こんな感じだった?」
「うん、すごく似てるね。」
理工系大学の土木工学科で学んだ私には、馴染みのある光景なのです。コンクリートの強度実験とか、水槽での造波実験とか、長時間室内に籠ることが多かったもんなあ。
「楽しかったの?」
「うん、すごくね。」
「パパが同い歳だったら友達になってないな。」
と笑う文系の息子。
地上に出た時、ガイドの学生が、うちの学校ではあまりスポーツが盛んじゃありません、と言います。ま、そうだろうね。
「でも運動はするんですよ。一番人気なのが、Tube Water Poloです。勉強のストレスを解消するには最高なんです。」
え?何それ?と囁くと、息子が振り向いて、浮輪を使って楽しむ水球のことだよ、と小声で説明し、目玉をぐるりと回しました。
最後に階段教室へ案内され、四十代後半と見られるスーツ姿の白人男性ピーターが、受験や入学プロセスの説明を始めました。一年生の最初の授業で特殊相対性理論を扱い、しょっぱなから偏微分方程式などの高等数学を使うので、入学前の夏までに準備をしておいた方が良い、と真顔で説明するピーター。全米はおろか世界各国から秀才が集まって来るので、そこそこイケてると自惚れている優等生は、出鼻を挫かれること請け合いです、と皮肉な薄笑い。
この時突然、体内に沸々とアドレナリンが湧き上がって来るのを感じ始めた私。何だろう、この感じ?ピーターの挑発に刺激され、「やってやろうじゃねえか!」と、まるで受験生時代に戻ったかのような若々しい戦闘意識が、急に鎌首をもたげたみたい。あの頃の自分は、どんなに難解な学問でも修められると思ってたもんなあ。世の中を知らないかわりに、余計な恐れも持たない。無限の可能性を信じてた時代があったのです。
ピーターが続けます。うちの大学は、Geek Marines(オタクの海兵隊)と呼ばれることもあります。自由な発想を奨励し、どんなにバカげた試みでも面白ければやらせる。例えば、学生たちが発明・製作した作品には、目を疑うようなものもある。自転車をテーマにした課題では、垂直方向に二台重ねて溶接し、操作の極めて難しい二人乗りに改造してしまった学生がいる。また、右へハンドルを切ると左へ進み、左へ切ると右へ進む自転車を作った者も。
“Why would you make such
a useless thing?”
「一体なんでそんな無用の長物を作るのかって?」
間髪入れず、階段教室の後ろの方から、参加者の一人が答案を放り込みます。ピーターが、「その通り」と満足げに頷いてから、解答をゆっくりとなぞります。
“Because you can.”
「なぜって、出来るからさ。」
サンディエゴへの帰途、スターバックスに寄って冷たい飲み物を頼み、涼を取ります。あんな大学は絶対無理だよ、と首を振る息子の横で、ワクワク感の余韻に浸っていた私。
「今からもう一度大学行きたいとか言い出さないでよね。」
と釘を刺す妻。私の上機嫌を素早く察知したみたいです。さすが鋭い!ま、大学再チャレンジは冗談としても、見学ツアーをきっかけに、何か新たな一歩を踏み出す意識がぐっと高まったのは事実です。
今回の小旅行の一日目、オレンジ郡に住む長年の友人K子さんと、ラグーナビーチにあるKitchen in the Cayonというレストランで朝食をご一緒しました。彼女も私と同様、留学をきっかけにアメリカに住み続けた口で、在米歴三十年前後になる大先輩。
「ここの店主って、30年間ファイナンシャルアドバイザーとして働いた後、このレストランを始めたんですって。」
と私。趣味が高じてビジネスに、というのは時々聞く話だけど、店の評判はこの界隈でも断トツ。料理教室まで開いており、そんじょそこらの脱サラとはわけが違うのです。ネットでのレビューも、堂々の星4つ半。私が注文したフレンチトーストは、文句なしの生涯第一位でした。
「いいじゃない!そういう話、わたし大好き!」
と感激するK子さん。そんな彼女も、「元気があれば何でも出来る」精神を持ち続けている人の代表格。つい最近、長年勤めた日系企業を早期退職し、ライフコーチとして第二のキャリアを築き始めた彼女。アメリカ人相手にコーチングして収入を得るなんて、私の想像を遥かに超えています。この人の英語は、普段の喋りだけじゃなく、相槌から間の取り方、ジェスチャーに至るまで、もうすっかりネイティブ。よくぞここまで習熟したもんだ。ま、そのかわりと言うべきか、ここぞという場面で適切な日本語が出て来ないことはしばしばで、微妙な言葉のチョイスにしょっちゅう笑わせてもらっているのですが…。
「彼みたいな人の話を聞くと、自分も新しいこと始めてみようっていう勇気が出ますよね。」
と話題を締めくくろうとした私に、何始めたいの?とすかさず聞き返す、ライフコーチのK子さん。あらら、この展開は予想してなかったぞ。反射的に、
「ギター買おうかな、とか思って。」
と答えます。
「いいじゃない!で、何するの?」
「いや、ま、その、シンガーソングライターでもやろうかと。」
すると、さらに興奮したK子さんが、
「いいわね!曲作ってYouTubeにアップしてみれば?」
いやいや、ここまで話を引っ張るつもりは無かったんだけど…。ところがさらにK子さん、嬉しそうにこう付け足したのです。
「炎上したりして!」
「炎上」という言葉の意味を、完全に誤解している彼女。発言者の意図はともかくとして、結果的には適切な単語のチョイスになったのでした。