2017年12月31日日曜日

アメリカで武者修行 第39話 いい奴ではいられない

アパートから海に向かってニ十分ほど車を走らせ、フリーウェイの高架をくぐると、青空をバックに無数の椰子の木が立ち並ぶ、パシフィックビーチという平らな街が開けます。碁盤状の通りに囲まれた閑静な住宅群の中、子連れの家族が次々に吸い込まれて行く一軒の建物。見た目にはごく普通の家屋なのですが、扉を開けると子供の泣き声や水の跳ねる音が反響しています。

ここはMurray Callan (マレイ・カラン)という名の、幼児・児童を対象にした水泳教室。塩素剤を使わない小型温水プールに、濃紺のスイムスーツに身を包んだ若い男女のインストラクターが五人ほど腹までつかって立っている。ここへまだオムツ姿の子供を連れ、沢山の親が入れ替わり立ち代わりやって来るのです。一体どんなトリックがあるのか、さっきまで建物中に奇声をこだまさせていた赤ちゃんも、両脇を抱えられてささっと二回ほど水をくぐらされると、ピタリと泣き止んで真顔になるのです。まるで予防接種前に見苦しく取り乱したものの大した痛みも感じず注射を終え、全てを無かったことにしようと平静を装う少年のように。そして通い始めて一年もすると、水中で両目をしっかり開けて記念写真を撮られるまでに成長する、というのが売りのようで、入り口付近の壁にはそんな愛くるしい写真が所狭しと飾られています。

この教室の情報をどこからか見つけて来た妻が、間もなく二歳になる息子を通わせようと提案し、彼のスイム・レッスンがスタートしたのでした。私も都合がつく限りレッスンに同行したのですが、若いインストラクター達は実に辛抱強く、子供一人一人の性格や身体能力を見極めつつ指導に当たっていました。毎週数組の親子とスケジュールが重なっていて、その中に車椅子で現れる4歳くらいの白人少年がいました。全身の筋肉が硬直する病気に罹っているようで、父親らしき人がプールサイドで見守る中、いかり肩の男性インストラクターに支えられて懸命に水を掻いています。その様子をぼんやり眺めながら、しみじみ感心していた私でした。単に泳ぎが得意だからというだけで、誰にでも身体障害者に水泳指導が出来るわけじゃないだろう。きっと彼らは特殊なトレーニングをみっちりと受けているに違いない。組織として積み上げて来た「知の資産」が、市場における強力な差別化要素になっている好例だなあ、と。

さて、PMP取得から一週間ほど経ったある朝、私のキュービクルにエリカが現れました。
「エドが私達を呼んでるの、すぐ来れる?」
二人でボスの部屋へ入ると、
「新年度に向けて、担当業務の振り分けを見直したいんだ。」
エドが横長の紙を我々に手渡しました。表中には、仕事のタイトルと詳細説明が列記されています。
「今から読み上げて行くから、担当したい項目が出た時に手を挙げてくれ。」

リスク・レビュー、イシュー・ログ、チェンジ・ログ、リスク・レジスターのガイドライン作成や既存文書の更新など、プロジェクトマネジメント関連の社内ルールを全て統一フォーマットで作り上げる、というのが新年度の目標だ、とエド。
「あ、これ、是非やらせて下さい。」
私が飛びついたのが、Lessons Learned (教訓集)作成の仕事でした。
「知識を蓄積して共有する仕組みって、うちの会社に有りませんよね。このテーマ、すごく興味あるんです。」
「同感だが、未だに存在しないってことは、それだけハードルが高いからかもしれないぞ。大丈夫か?」
「ビジネススクール時代、一番好きな科目がKnowledge Management (知識管理)だったんです。プロジェクトを通して毎日膨大な知識や知恵が産み出されているっていうのに、それが個々の社員の頭の中にだけ留まっているなんて、勿体ないじゃないですか。」

高速道路プロジェクトに携わっている間、毎日沢山の学びがありました。他のメンバーだって同様だったことでしょう。なのに結局それを誰とも共有することなく、チームは解散してしまいました。もしもこれが特異な事例でないとすれば、会社は日々、膨大な知的財産をどぶに捨てていると言わざるを得ないのです。
「よし分かった。来週中に行動計画書を作って提出してくれ。」

全項目の振り分けが終了し、エドの部屋を後にします。エリカのキュービクルへ行って担当作業のおさらいをしていた時、胃の辺りが苦しくなっているのに気付きました。情熱のままに「教訓集づくり」担当に立候補しちゃったけど、何から始めたらいいのか見当もつかないぞ。しかもこれ、よく考えたら全部英語でやんなきゃいけないんだ。エラいことに足を踏み入れちゃったな…。早くも弱音を吐き始めた私に、
「まずは経験豊富なPM達にインタビューしてみたらどうかしら。長年の仕事の中で、知識の共有ってテーマは間違いなく議論の対象になってると思うの。ベテランならきっと、何かしら方法論を編み出してるはずだわ。」
とエリカが提案します。
「確かにそうだね。有難う。知ってる中で一番キャリアが長いのは、ジョージだな。早速彼と話してみるよ。」
しかし、だいぶ前から非常勤扱いになっているジョージがいつ出社するのか、知る由もありません。
「シェリルに聞いてみたらどうかしら。きっとそういう情報、管理してると思うわよ。」
総務のシェリルは人事関係も所掌しているので、彼女のコンピュータにそういうデータがあるだろう、と推測するエリカ。

「あのね、ここだけの話なんだけど…。」
急に眉をひそめ、小声になる彼女。
「私、ジョージってすごく苦手なの。人を人とも思わない態度っていうか、特に女性蔑視がひどいのよね。彼のプロジェクトを一度サポートしたことがあるんだけど、その時もかなりぞんざいに扱われた印象が残ってるわ。」
滅多に人の悪口を言わないエリカから、これほどあからさまに辛辣なコメントが飛び出したのは意外でした。確かにジョージは常に殺気をギラつかせていて、そう簡単には懐へ入れません。ベトナム従軍を含めた長い海軍勤務で自然に沁みついた「凄み」がそうさせてるんだ、と私は解釈していました。でもだからと言って個人的に侮辱を受けた覚えは無いし、むしろ「プロフェッショナルはかくあるべし」とまで心酔していたのです。相手が男か女かで態度を変えるような人物じゃない、女性蔑視なんてするわけないよ…。私のジョージ観を素直に語ったところ、
「シンスケは男だから分からないのよ。」
と、あくまで主張を曲げないエリカ。その頑なさには何か、簡単に口に出来ないような辛い記憶の裏付けを窺わせるものがありました。よくよく考えてみれば、自分はジョージのことを何も知りません。どこに住んでいるのか、家族はいるのか、他の社員にどう接しているのか、本当に女性のことを見下しているのか…。それ以上エリカに反駁するための材料が見つからず、黙ってジョージを探すことにしました。

さっそく廊下を進んでシェリルのオフィスを覗いてみたのですが、彼女が出勤した形跡は在りません。今日現れるかどうかの手がかりがどこかに無いかと、そのまま戸口に立ってホワイトボードや壁掛けカレンダーを見回していたところ、背後に人の気配を感じます。
「シェリルは今日お休みよ。」
振り向くと、おかっぱ頭のシェインが立っています。
「お、いいところに現れたね!」

今では支社全体の経理を担当している彼女ですが、高速道路プロジェクトの現場で共に戦った同志。最近までジョージと残務整理を続けていたので、もしかしたら彼のスケジュールを抑えているかもしれない、と思ったのです。
「ジョージならちょうど今日の午後、オフィスの片づけに来るって言ってたわ。どうして?」
まだ連絡がつくうちに、彼の脳みそに蓄積された輝く英知を少々お譲り頂きたいのだ、と言うと、
「そのことなら、びっくりするような話があるのよ。」
と、遠くを見るような目になるシェイン。

高速道路プロジェクトが火の車になり、会社から新PMとして送り込まれたジョージ。その彼が就任早々、一人も首にすることなく毎週のコストを三分の一に減らした、というのです。俄然興味をそそられた私は、身を乗り出します。
「どんなマジックを使ったの?」
「それがね、聞いたらなあんだって拍子抜けするような話なの。」
「いいから早く教えてよ。彼は何をしたの?」
「ジョージ本人はほとんど何もしてないのよ。ただ私に、あることを頼んだだけ。」

彼がシェインに依頼したのは、チームの一人一人に「先週あなたはこのタスクに○時間チャージしたが、具体的にどんな成果を出したのか説明して欲しい。ジョージに報告しなければならないので。」というメールを出すこと。
「え?それだけ?」
「そうなの。そしたら次の週から、プロジェクトにチャージされる時間数が激減したのよ!」

なるほど。あの鬼司令官が自分の仕事ぶりを厳しくチェックしているとなれば、一時間で仕上げられるタスクに二時間チャージするわけにはいかない。自然と控えめな数字におさまるでしょう。
「でも、私が本当に驚いたのはそこじゃないの。」
チームから届いた最初の返信をまとめてシェインが報告に行ったところ、ジョージがこう言ったというのです。
「私がそれを読む必要は無い。ただ時々、同じ質問を皆に送りつけてくれ。」
つまり、あのジョージが目を光らせているぞ、というメッセージが伝われば充分で、その先までマイクロマネージするつもりは無い、ということですね。
「なるほど。勉強になったよ。とっておきのネタを有難う!」

午後三時頃、長い廊下沿いの一番奥の部屋から、光が漏れているのに気が付きました。もしかして、と慌てて灯りの方を目指します。果たして、デスクに山積みされた書籍やフォルダーの向こうで、ジョージが戸棚からファイルを取り出し頁をめくっているところでした。相変わらずの険しい表情。
「君か。入りたまえ。」
腹に響く大声で私を招き入れます。ドア脇の椅子に腰かけると、作業を続けながらこう言いました。
「この棚と机を片付けたら、もうここに来ることは無いだろう。完全に引退だ。」
こんな場面で一体何と言えばいいのか分からず一瞬戸惑ったのですが、リタイアメントへの祝辞とこれまでの指導に対するお礼を急いで述べました。そして、
「今、仕事から生まれた教訓集を作って全社で共有する仕組み作りに取り掛かっているんです。お知恵を拝借出来ればと思ってここへ来たんですが、お時間頂けますか?」

彼は厳しい表情を崩さず、分厚いファイルフォルダーを一冊棚から抜き取って左手の上で開き、親指をペロリと舐めて頁を何枚か捲った後、私に差し出しました。
「これは私が、海軍関係の建設プロジェクトを管理していた頃のファイルだ。日々チームメンバー達から上がって来た教訓をまとめたもので、毎朝全員にコピーを配布していたんだ。」
一見すると工事日誌のような体裁ですが、表の中には作業上の教訓が細かく書き綴られています。次のページも、また次のページも。
「これを毎日、ですか?」
「ああ、毎日必ず何か新しい学びはあるはずだ。そういう意識で取り組んでいなければ、良い仕事は出来んだろう。」
暫く懸命に字面を追っていた私ですが、専門用語満載の文章で、内容が全く理解出来ません。違うんだよな。こういうのじゃないんだよ僕が求めてるのは。全くの部外者が読んでも即役立つような、「秘訣」とか「極意」みたいなのを期待してたんだよ…。
「あの、私は何か、凝縮された知のエッセンス集のようなものをイメージしていたんですが。」
と、正直に感想を述べる私。
「例えば、PM心得五カ条、みたいなものでしょうか。」

笑っているのか不快なのか、どちらとも言えないしかめ面になったジョージが、
「プロジェクトごとに環境や条件が大きく異なるってことを忘れちゃいかん。教訓を誰の仕事にでも当てはまる金科玉条みたいな物まで煎じ詰めようとすれば、その過程で本当に有効な成分を搾りカスと誤って捨ててしまう危険性がある。些細な出来事の中にこそ、教訓は眠ってるもんだ。具体的に書かれていなければ、実戦に役立つ教訓にはならんだろう。」
あらためて、この大ベテランを敬う気持ちが湧きました。
「有難うございます。こんなお話の後で浅薄な質問をするのは気が引けますが、今後お会いする機会も少ないと思うので、恥を承知で聞かせて下さい。プロジェクトマネジャーとして働く上で、一番大事なことは何だとお考えですか?」
さすがに百戦錬磨のジョージでも、ここまで素朴な質問にはぐっと詰まって考え込むだろうと思いきや、表情も変えずにこう即答したのでした。
「君が誰かに何か仕事を頼むとしよう。その時、それがどんなに簡単なタスクだったとしても、必ず明確な締め切りを与えることだ。何月何日何時まで、と。相手が了解したら、目の前でそれを書き取る。そして後日、約束の時刻ぴったりに現れて成果を求める。もしもまだ出来ていないと言われれば、いつなら出来るのかを聞き、またその時刻に現れる。これを一度の例外も無く実行する。そのうち相手は君の言動に一貫性を認め、いい加減な対応をしなくなる。そして、君から頼まれた仕事は最優先で進めるようになるだろう。」

毎日彼の下で働いていた頃のことが、鮮やかに蘇って来ました。確かにジョージは、どんな仕事の指示書にも締め切りの日時を書き込んでいました。それを見る度に、じわりとプレッシャーを感じたものです。
「そうされた相手は、あまり愉快じゃないでしょうけどね。」
と冗談めかして笑う私に、彼が静かにこう締めくくったのでした。

“If you want to be good at management, you cannot be a good guy.”
「マネジメント職で成果を上げたかったら、いい奴ではいられんよ。」

翌日の午後、廊下の終わりまで行ってみると、彼のオフィスは空っぽになっており、入り口の名札も取り払われていました。

数カ月後の週末、妻と一緒に息子を連れて水泳教室へと続く歩道を歩いていたところ、前方で路肩に寄せてゆっくりと停まった車のドアが開き、老夫婦が降り立ちました。緑の格子縞ボタンダウンシャツにジーンズの男性。太い首、短く刈り込んだ銀髪。その後ろ姿に、ハッとします。
「ジョージ!」
反射的に早足になって追いかけると、振り向いた彼が小さく驚いて私の手を握ります。
「おおシンスケ、久しぶりだな!」
別人かと見紛う程の柔和な笑顔。相手を一瞬で凍り付かせるあの強烈な目力も消え、ただ涼し気に笑っているジョージ。息子を抱き上げ追いかけて来た妻を紹介すると、彼女とゆっくり握手を交わした後、横にいた老婦人の背中に優しく手を添え、
「ワイフのローズベリーだ。」
と微笑みます。たった今美容院から出て来たように、カールした白髪をアップにまとめた奥様は、どこかヨーロッパの皇族との血縁を思わせる、穏やかな佇まい。二人がお互いに交わす視線には、きっと半世紀は連れ添って来たに違いない、深く静かな絆が感じられました。
「君もこの水泳教室に来ているのか?」
「ええ、この子を通わせているんです。」
「そうか、うちも孫が習ってるんで、今日は様子を見に来たんだよ。」

もう少し話を続けたかったのですが、レッスン開始の時刻が迫っていたため、歩調を速めて一緒に扉をくぐり、またいつか、と慌ただしく挨拶を交わして別れました。妻と二人で息子を着替えさせ、担当インストラクターに引き渡してふと顔を上げたところ、プールを挟んで向かい側、例の車椅子少年がちょうどレッスン準備を整えたところでした。その横にはいつものように父親らしき男性が立っていたのですが、彼が話している相手に目をやると、なんと、さっき入り口でさよならを告げたジョージ夫妻だったのです。

そうか、彼の孫というのは、あの少年だったのか。

二十数人の子供たちの叫び声や水のはねる音が反響を重ねるプールの向こう側、息子さんや奥様と言葉を交わすジョージ。その表情には一片の険しさも認められず、かつて私を理詰めで追い込んだあの鬼司令官とはまるで別人です。「充実した老後を過ごす一人の男性」へと変貌を遂げた元上司の穏やかな笑顔を眺めながら、自分の直感は正しかったんだ、と嬉しくなりました。彼はプロとして、厳しいマネジャーを演じていたに過ぎない。周りに好かれることよりも、任務を遂行することを優先させただけなんだ。

レッスンを終えた息子を着替えさせ、再びジョージの方を見やります。プールサイドでお孫さんを囲み、家族で親密に話をしている様子だったので、声をかけるのを思いとどまった私。心の中で軽く会釈をし、そのまま水泳教室を後にしたのでした。

そしてこの日を最後に、ジョージと会うことは二度とありませんでした。


2017年12月23日土曜日

He’s such a ham! 彼ってほんとにハムなのよ。

「卒業式、どうだった?」

月曜の朝一番、出勤して来たシャノンがコンピュータを立ち上げるのを待って尋ねます。先週土曜日は、彼女の息子さんグラントの大学卒業式だったのです。ちょっと待って、とスマホを暫くいじった後、画面をこちらへ向けてスライドショーのように写真をコマ送りするシャノン。キャンパスの芝の上、サテン地の青いガウンを纏い同色の博士帽を被ったグラントが、サングラスをかけて二カッと笑い、おばあちゃんや両親、それに幾組かの友達と並んで何十枚もの記念写真に応じている。

「やっとだね。ほんとに良かったね。」

アメリカの卒業式は、5月から6月にかけて催されるのが一般的。12月卒業というのは若干中途半端なタイミングなのですが、これにはわけがあるのです。

息子さんのグラントは、幼い頃から高校卒業時までAnxiety Disorder(不安障害)という問題を抱えていたそうです。些細な不安が元でしょっちゅうパニックに陥るため、心理カウンセラーに通うなどしてさんざん苦労したのですが、大学進学後は嘘のように症状が消え、今度は一転して極端なのんびり屋に変貌。「ちっちゃいことは気にするな」とワカチコ平和に暮らすようになりました。そして今年の5月、家族全員で卒業祝いパーティーの準備を整えていた矢先、驚愕のニュースが舞い込みます。必要単位数の確認をミスってて、あと一学期通わないと卒業出来ないことが分かった、とグラント。一同騒然とする中、そんな大失態を気に病む素振りすら見せない息子。「別にいいじゃん、卒業式なんてどうだって。」と肩をすくめる彼に、

「あんたの学費に一体いくら注ぎ込んで来たと思ってんのよ!これはあんただけの卒業式じゃないのよ!」

とブチ切れるシャノン。それから彼は半年かけてようやく残りの単位を取得し、卒業資格をゲットしたのです。

「今回だってね、もうひどいのよ。」

数年前から友達数人と家賃を出し合ってアパート暮らしをしているグラントから、

「卒業式の会場まで、僕のガウンと帽子を持って来てくれる?」

と頼まれたシャノン。事前にしわ取りを依頼されていたので、注意深くガウンにスチームをかけ、ハンガーにかけて保管していたのですね。晴れの衣装を携え、家族全員でニ時間前に会場入りしたのですが、開始まであと45分という段になっても本人が現れません。訝しく思って電話をかけたところ、まだアパートで寝ていた様子の息子。一体何考えてるのよ!と怒りまくりますが、大丈夫、すぐ着くから、と悪びれる様子もない。式典スタート15分前にふらりと登場した彼は、母親から受け取ったコスチュームに素早く着替え、まるで何事も無かったかのように笑顔で卒業式に参加します。証書授与の列を渋滞させてまで長々と立ち止まり、家族のカメラに向けて写真用の笑顔を作るし、誰かの歓声を聞くや、緊張気味に着席しているクラスメート達の真ん中ですっくと立ち上がり高々と両手を挙げる。

「見てよ。とんでもなく目立ってるでしょ。」

言われてみれば、他の卒業生が全員背を向けている場面でもこっちを向いて、ひとり満面の笑顔を見せています。

“He’s such a ham.”
「彼ってほんとにハムなのよ。」

おっと、今なんて言った?息子のことを「ハム」と呼んだ?

「ちょっと待って。ハムって何?なんでグラントがハムなの?」

うーん、なんでしら。分からないけど、目立ちたがってよくふざける人のことをそういうのよ、と笑うシャノン。早速ネットで調べてみたところ、語源は19世紀にさかのぼるようです。「The Ham-Fat Man」という安っぽいコメディ調の歌が大流行したことがあり、以来プライドを捨ててただただ存在感を示すための雑な演技に走る役者を蔑み、Hamfatter」と呼ぶようになったのだとか。で、それがそのうちただの「ハム」に縮められ、今では注目を集めるために始終おちゃらけてるタイプの人を指すようになった、と。シャノンの言いたかったのは、こういうことですね。

“He’s such a ham.”
「あの子はほんとにお調子者なのよ。」

十数年間不安と戦って来た我が子が一転、人並外れたご陽気者に変身。何がどうなって振り子が逆に振れたのかは分からないけど、それって嬉しい展開だよね、とコメントする私。母親の立場ではそうそう手放しで喜べないんだけどね、とシャノンが笑います。

話変わって水曜日の朝。IT部門でロスのオフィスにいるジャックに電話をかけました。新PMシステムの問題がこじれていて、前の週にヘルプ・チケットを提出したところ、彼が担当になったのです。ジャックとは、かれこれ十年来の付き合い。そもそも旧PMシステム開発チームの一員だった彼は、エクセルやデータベースの達人で、しかもプロジェクトコントロールの経験も豊富な切れ者です。

去年オースティンで開催された新PMシステムのトレーニングに招かれた際も、彼がIT部門から参加するというので、空港で待ち合わせて二人でタクシーに乗った仲。60歳を悠に超えている白髪交じりのジャックは、口を開けばたちまち歯の隙間から皮肉や嘲笑がこぼれ出す、典型的な偏屈オヤジです。ホテル到着後も早速二人で近所のバーガー屋へ出かけたのですが、歩いている間もランチの間も、新PMシステムやその開発チームに対する文句を延々と垂れ続けていました。俺たちのチームが何年もかけて作り上げたシステムをコケにしやがって、しかも過去の経験から学ぼうとする姿勢も無い。新システムの開発チームから意見を求められたことは一度だって無いんだぜ。なのに完成直前になって、俺たちにサポートチームに加われって言って来やがって、馬鹿にするのもいい加減にしてくれよ。で、蓋を開いてみたら何だこのひでえシステムは。大体、財務データを扱うのに今回のプラットフォームは脆弱過ぎるんだよ。オラクルとの相性だって全然良くないし。データベースのことを何も分かってない連中がいくら額を寄せ合ったところで、ガラクタしか出来ないに決まってるんだ。今回のトレーニングでは、徹底的にアラを指摘してやる、と。

実際、トレーニング中に何度も立ち上がり、両手をズボンのポケットに入れたまま意地悪な質問を投げかけていました。うわあジャック、今更そんなこと言ったってもう手遅れだし、講師も出席者もみな眉をひそめてるぜ…。忠告しようかと何度も思ったのですが、今の職を守るためにプライドを呑み込んで新チームの軍門に下った彼の心中を察し、目を逸らすしかない私でした。

あれから一年経ち、新PMシステムのITサポート・チームの一員として定着しているジャックが、果たしてどんな心境の変化を遂げたのか?興味津々でした。

「随分ご無沙汰だけど、元気?」

と明るく投げかける私に対し、まるでたった今ややこしいイザコザに巻き込まれてうんざりしている人のように、長い溜息にのせて低い唸り声を上げるジャック。それから一呼吸置いて、ようやく彼の発した第一声がこれ。

“I’m happy as a pig in poop!”
「糞まみれのブタくらいハッピーだよ!」

え?何それ?どういう意味なの?と思わず吹き出しながら尋ねたところ、挨拶代りのイディオムなど解説に値しないとでも思ったのか、さっさと本題に入るジャック。今回のトラブルは、別プロジェクトの一員が契約書の金額を間違って入力してしまったためにシステムがエラーを起こした、というもの。その人に入力をキャンセルしてもらわないと問題は解決しない、というのです。なんで一プロジェクトのエラーが全然別のプロジェクトにまで影響を及ぼすのかって?そりゃシステム設計のミスとしか言いようがないだろ。とジャック。それから15分ほど、ため息交じりの罵詈雑言が続きました。

電話を切ってすぐ、ジャックの使ったフレーズをネットで調べてみたところ、これが

“Happy as a pig in mud”
「泥の中のブタくらいシアワセ」

というフレーズ中の「泥」を「糞」に置き換えたものであることが分かりました。真偽はどうあれ、豚というのは泥や糞にまみれているととにかく機嫌が良いことから、極度に幸せな状況を指すようになった、という話。例えば「大好物はスイーツ」という人が、アイスクリームとケーキとドーナツまとめて食べ放題、みたいな状況下で、この上なくハッピーと言えるわけですね。だとすれば、ジャックの挨拶はこう訳せるでしょう。

“I’m happy as a pig in poop!”
「何もかも最高だよ!」

しかしその後の長広舌が撒き散らした毒の量を考えると、額面通りに受け取るわけにはいかない私。夕方、いつも何でも丁寧に教えてくれる文化財チームのクリスティを訪ね、今朝のジャックのセリフの解説をしてもらいました。

「大抵はそのまんま最高にハッピーだっていう意味になるけど、今の話を聞いた限りでは皮肉の可能性が高いわよね。だって大きな溜息つきながら言ってたんでしょ?ネガティブな人って、世の中のことを何でもかんでも無理やり捻ってネガティブに変えちゃうからね。」

彼女の幼馴染にもシェリーという “Pathetically Negative”(悲惨なまでに陰気な)人がいて、フェイスブックに挙げるコメントが百パーセントネガティブなのだそうです。「大変なことになっちゃった」とか「ほんとに嫌になっちゃう」とか「もう駄目かも、あたし」みたいに説明不足の一言をこつこつアップするものだから、友達みんなでいちいち、「どうしたの?大丈夫?」とかまってあげなければいけないのだと。

「最近は私、もうめんどくさくなっちゃって放ってるの。」

と笑う。

「ネガティブさって感染性があるから、同じグループにそういう人がいると大変だよね。」

と私が言うと、

「そうなのよ。どんなにその人が優秀だったとしても、ネガティブさ一発で全て帳消しでしょ。」

ここで私はシャノンの息子グラントのエピソードを持ち出し、「ちょっといい加減だけど陽気な人と、きっちり仕事してくれるけど陰気な人。さてどっちがいい?」という「究極の選択」を突きつけました。二秒ほど宙を見つめて考えた後、二人同時にあっさり前者を選んだところで、なんとなく笑いが出ます。

「糞まみれのブタ」ジャックに「ハム」のグラントが勝利!というお話でした。


2017年12月16日土曜日

Houston, we have a problem. ヒューストン、問題発生!

二週間ほど前のある朝、本社副社長のパットから「ちょっと話せる?」とテキストが入りました。あるパイロットテストに取り組もうとしているのだが、現場の人間の力添えが必要だ、とのこと。

「毎週月曜の朝、全米のPM達に向けてコストレポートのリンクを送るキャンペーンを始めようとしてるの。」

自分の担当プロジェクトに最近チャージされたコストを一覧出来るレポートは、既にシステムの中に組み込まれていて、皆いつでも閲覧出来ます。しかしPM達の多くはそのボタンの存在すら知らず、またたとえ知っていたとしても、多忙なため毎週チェックする者はほとんどいないのが現状。もしも毎週月曜の朝一番にメールが届いて、そこにリンクが貼られていれば、利用率は飛躍的に向上するだろう。しかし問題は、肝心のレポートがユーザーフレンドリーと言うには程遠い代物で、本当に知りたい情報を引き出すのに数ステップのボタン操作を経る必要があること。これでは逆に、PM達の不満をかき立てる結果になりかねない。さてどうするか?

「対象人数を絞ってパイロット・テストをやって、そこでの反応を見てから進め方を決めたいと思うんだけど、どうかしら?」

それは実に慎重なアプローチだね、と賛成し、さっそくサンディエゴ支社環境部門のPM26名をリストアップします。

「この人たちは全員、僕が日常的に会話している相手だから、きっとメールに書きにくいような本音でも直接聞き出せると思うよ。」

このちょっとした気遣いに感謝の言葉を述べた後、

「会社が契約しているITコンサルタントにこのテストを頼めることになったから、さっそく彼にリストを送るわね。」

と喜ぶパット。そして月曜日の早朝、一斉メールが送られたのをスマホで確認しました。文面の最後には、「パットとシンスケに宛ててこのメールサービスに対する意見を送って下さい。」とあります。あて名は全てBCCなので、受取人が誰なのかをこの時点では確認出来ませんでした。

その約30分後、オレンジ支社のクリスというPMから、こんなメールが届きます。

「あんたの名前は初耳だ。誤解だったら申し訳ないが、この手の不審メールに貼られたリンクを気軽にクリックするほど俺は馬鹿じゃないからな。」

よく見ると、クリスの返信はマティアスという人に宛てられ、パットと私の名前がCCに入っています。さっそくパットにテキスト。

「メールの出所が疑われちゃってるよ。なんでこんなことになったのかな?」

「仕事を任せたITコンサルタントのマティアスが、自分の会社のメールアドレスから発信しちゃったのよ。困ったわね。これじゃ、フィッシングメールと思われても仕方ないわ。」

「それにこのオレンジ支社のクリスって、僕のリストには入ってない名前だよ。どうして彼がメールを受け取ったんだろう?」

「え?そうなの?今回使われた送信先リストをマティアスに送ってもらうわね。」

そしてこの五分後、不信感を表明する同様のメールがシアトルやホノルルのPMから届きます。

「ねえパット、どうやら僕の作った26名のテスター・リストはどこかに消えちゃったみたいだよ。一体マティアスは、誰宛てに送信したのかな?」

すると暫くして、当のマティアスから今回の宛名リストが送られて来ました。ファイルを開いてみて、愕然とします。

「パット、このリストは北米西部にいる環境部門のPM全員だよ。400人以上の名前が載ってる!」

“Holy shit(なんてこと)!”

動揺を隠せない様子のパットが、こう続けます。

“Is this a Houston we have a problem –level issue?”
「これって、ヒューストン、問題発生!ってレベルのピンチかしら?」

「いやいや、そこまではいかないと思うよ。逆に、調査対象が広がったことでフィードバックが増えるかもしれないじゃない。」

と、冷静さを装ってパットをなだめる私でした。

“Houston, we have a problem.”というのは、アメリカ人の多くがジョークに使う引用句です。これはかつてアポロ13号が月に向かって航行中、機体の一部で爆発が起こり絶体絶命のピンチに陥った際、テキサス州ヒューストンの管制センターに向けて発した飛行士ジャック・スワイガートの第一声。この交信時点ではまだ問題の全容が不明で、爆発の衝撃とそれに続く警報サインにスワイガートが反応した形。事態はここから悪化の一途を辿り、電力や水の致命的不足等の苦難が次々に襲いかかります。一瞬の油断が命取りになる緊張感の中、知恵と体力を振り絞り、間一髪で地球への帰還を果たす飛行士たち。

今回あらためて調べてみて分かったのですが、このセリフ、オリジナルとは微妙にニュアンスが変わっています。

“Houston, we have a problem.”
「ヒューストン(管制センター)、問題発生。」

はいかにも緊急事態が進行中という感じですが、実際は、

“Okey, Houston, we’ve had a problem here.”
「オッケー、ヒューストン、(ちょっと前に)何か問題が起きた模様。」

と現在完了形が使われていて、やや呑気な語感。人類の宇宙飛行史の分岐点とも言えるこの世紀の大ピンチを象徴するセリフとしては、いささか緊迫感に欠けています。それを補おうと思ったのか、1974年にユニバーサル・テレビが手掛けたドラマチックなタッチのテレビ映画タイトルに使われたのが、「Houston, we have a problem. (ヒューストン、問題発生!)」でした。それ以来、こっちのフレーズが世に広く知られるようになってしまった、というお話。

日本で暮らしていた頃、立花隆がメインを務めた「アポロ13号奇跡の生還ドキュメンタリー」を観ました。番組中、立花氏が繰り返していたのが、船長のラベル、飛行士のスワイガートとヘイズは、極めて明るい性格だったということ。常人なら「もはやこれまで」と早々に諦めてしまうほどのハイペースで畳みかけて来るピンチを、ひとつひとつ落ち着いて切り抜けて行く。何千人という管制センターのサポートがあったとは言え、飛行士たちのあの陽気さがなかったらこの奇跡は起きなかっただろう、と。

「泣いたって喚いたって救助隊が駆けつけてくれるわけじゃない。やれることをこつこつやるしかないだろ?」

みたいなことを、後日のインタビューで船長のラベルが満面の笑顔で答えていたのが今でも強く印象に残っています。NASAで何年間もの過酷な訓練を経験した宇宙飛行士たち。その精鋭中の精鋭が、ずば抜けて強靭な精神力を備えているのは納得です。でもそういう人達が、ここまでネアカタイプだというのは意外でした。あの「元気があれば何でも出来る」アントニオ猪木氏の名言にも、こんなのがあります。

「ピンチっていうのはね、ひとつのものじゃなくて、いろんなヤッカイ事が“ダマ”になってやってくる。だからみんな負けちゃうんです。その“ダマ”をひとつずつ解きほぐして、ひとつずつやっつけていけば、ピンチってのは必ず乗り切れる!」

傍から見れば絶体絶命のピンチでも鮮やかに切り抜けてしまうこういう人たちのキャラクターは、ドラマの題材に使われる際、感動に飢えた観衆に合わせてつい「超人化」されてしまいがち。だからこそ、「ヒューストン、問題発生!」などという緊張感たっぷりのセリフが創作されてしまったのでしょう。でも実際は、ただただ辛抱強く問題を解決し続けているだけなのかもしれません。

さて、話はコストレポートのパイロットテストに戻ります。月曜日は一時的なお天気雨のようだったPM達からのメールが、火曜から次第に土砂降りの勢いでインボックスを埋め始めました。400名以上のPMに意見を求めたのですから、当然の結果でしょう。パットと手分けして返信を書き始めたのですが、翌日の午後から強烈な頭痛に見舞われ7日連続寝込んでしまった私は、メールを読むために目を開けることも出来ない「ブラックアウト」状態に突入。これでパットは、すっかり孤立無援となってしまいました。

体調が回復して一週間ぶりに出勤してみると、なんと彼女は百通近いメールにそれぞれ、目を疑うほど丁寧な返信をしていたのです。標準的な文章をコピペしてスピーディーに処理してしまおうとなどという姑息な発想は持ち合わせていないようで、一人一人の声に真摯に耳を傾け、心からの感謝を述べた後、その意見に対して自分はこれからどうするつもりかを具体的に説明している。ただでさえ超多忙な人なのに、個人個人とガッチリ向き合って対話しているのです。大きな負荷をかけてしまったことを申し訳なく思いつつも、彼女のこの丁寧な仕事ぶりにすっかり感心してしまった私でした。

「復帰おめでそう。今ちょっと話せる?」

と私の存在をシステムで確認したパットから、さっそくテキストが入ります。今回のテストで、約七割の人が自動送信メールのアイディアを好意的に受け入れている一方、残りの三割は拒絶反応を示している。こんなもの何の役にも立たない、と。フィードバックを読んでみて分かったのだが、このレポートを誰もが有効に使えるようになるためにはある程度の補足ガイダンスが必要だ、ということ。

「回答者の中に、レポート活用のための簡単なウェブトレーニングをやってもいいよって名乗り出てくれた人が複数いるの。アレックスって知ってる?彼と話してみて、任せられるなって思ったの。明日の朝、彼と作戦会議の予定があるんだけど、参加出来る?」

「もちろん喜んで!アレックスはうちのオフィスの凄腕PMだよ。彼ならきっと良いトレーニングをやってくれる。」

「私には優秀な人を見分ける才能があるの。それで、相手の方から協力させて欲しいと言うまで腕を捩じ上げちゃうのよ(twist their arms)。」

そして、

“sound familiar? LOL”
「よく知ってるわよね。笑笑。」

と締めくくります。私はここで、彼女の誠意に満ちた返信の数々を思い返し、賛辞を送らずにはいられませんでした。自分の意見をしっかり聞いてくれる人の力になりたいと思うのが人情というもので、あの心籠る文面は、きっと相手の心を揺り動かしたと思う、と。

「そうされた方は、きっと捩じ上げられた腕の痛みなんて全然感じてないね。魔法にかかったようにハイな気分になって、協力を申し出るんだと思う。我が社のリーダー達が全員、あなたのような才能を持った人なら良かったのに。」

「あら、有難う。」

「送信先リストの件では随分焦ったけど、結局はそれを逆手に取って良い結果を出しちゃったね。」

「本当に笑っちゃうわね!あの時は正直、すっごく不安になったのよ。」

「ヒューストンまで持ち出したもんね。」

からかうような調子でそう書いたところ、暫く返事が滞ります。それから一言、

「ヒューストン?」

と首を傾げている様子の返信。え?この人、自分の使用した引用句を忘れちゃってるみたいだぞ…。

「ほら、『これってヒューストン、問題発生ってレベルのピンチかしら』って言ってたじゃん。」

と私。

「あら、そうだったわね!lmao

ん?なんだ最後の四文字は?すぐにネットで検索したところ、これはLaugh My Ass Offの略で、「お尻が抜けて落ちるほど激しく笑っちゃう」という意味でした。

ずば抜けて優秀な人って底抜けに明るいよね、というお話でした。


2017年12月10日日曜日

PTO ピーティーオー

先週水曜の出勤直後。背中にゾクっと悪寒が走りました。あ、ヤバいぞこれは…。かなり深刻なヤツだ。暫くして再びゾクり、そしてまたゾクリ。う~む。大至急早退してベッドに潜り込むべきレベルの発熱予告じゃないか。しかし午後一番でホノルル支社の社員を対象にウェブを使ったトレーニングを予定しており、しかも既に二度のスケジュール変更を経ていたため、ここで更にドタキャンするのは気が引ける。「早く帰った方がいい」という部下のシャノンやカンチーの声を制し、何とか3時まで乗り切ってから早退しようと決めたのが運の尽きでした。

帰宅早々、強烈な頭痛と下痢がスタート。目の奥の疝痛があまりにも厳しく、三秒とまぶたを開けていられない状態がそれから5日間続きます。食欲はゼロ、テレビもスマホも見たくない。更にはわずかな音も臭いも神経に障るので、寝室の扉を閉めてもらって全てのブラインドを下ろし、妻のマッサージとポカリスウェットで何とか生き延びます。ようやくおかゆを食べられるようになっても症状はほとんど改善せず、夜中に何度も猛烈な頭痛で目が覚めます。枕の位置や高さも変えてみたのですが、一向に変化が見られません。これだけ長期間大人しく寝てるっていうのに、どうして頭が痛くなるんだよ!とさすがに自分の身体に対して腹が立ってきました。これはきっと頸椎が歪んでるか何かが原因で、物理的な治療が必要に違いない、と意を決した私は、妻に頼んでBody Craftの川尻先生に予約を取ってもらいました。

この先生は私の駆け込み寺的存在であり、事実上の主治医です。鍼灸やカイロ、フィジカルトレーニングも含めてトータルな肉体のケアをして下さる。特に「痛み」の対処に関しては絶対の信頼を置いていて、どんなに深刻な腰痛であれ胃痛であれ、クスリも使わず鮮やかに消し去ってしまうというマジックを無数に体験して来ました。

「おそらくウィルスに感染しまして、過去5日間ずっと寝てました。下痢は治まって来たんですが、夜中に何度も頭痛で目が覚めちゃいまして。頭痛薬は全く効果なし。きっと頸椎が歪んでいるんだと思うんです。長く寝てる間にずれちゃったんですかね。」

と、首をさすりつつ自己流の診断を披露する私。

「いや、頸椎じゃないですね。」

私の首や肩に触れようともせず、患者の勝手な自己診断をあっさり撥ねつける川尻先生。私を横にならせ、微弱電流を身体に流しつつ、両手の親指と人差し指の股当たりにハリを打ち込みます。一時間の治療後、痛みが驚異的に和らいだのを実感してから、そもそもの原因は何だったのか、という謎解きに入りました。

「ま、簡単に言えば、脳が悲鳴を上げたんですね。」

「へっ?」

働き詰めに働いて、大量の情報が脳に殺到し続けて来た。だいぶ以前から、「頼むからスローダウンしてくれよ」という内なるメッセージを何度も受け取っていたはずなのに、それを無視してエンジン全開で突っ走って来た。もうさすがに限界だ、と音を上げた脳が「システム強制終了」を断行した、というわけ。横になって寝ているのに頭痛がおさまらないのは、自律神経が失調して睡眠中に横隔膜を上下できなくなっているためで、肺呼吸を助けようと首や肩の筋肉が緊急出動し、その緊張が頭痛を引き起こしているのだ。

「人生の優先順位を真剣に見直す必要がありますね。まずはとにかくボ~っとして下さい。」

これが、川尻先生の結論でした。

ウィルスや枕の高さは無関係。私の生き方こそが問題なのだ。これはショックでした。仕事は趣味に等しく、ストレス・ゼロの毎日を過ごしてると公言して来たけど、要はそうやって自分を欺いていただけのこと。本当はずっと以前からメーターが振り切っていた。意識して脳のスイッチを「オフ」にすることで副交感神経の活動を促し、肉体自体の制御能力を取り戻さないとヤバいことになる。だから今は、とにかくボ~っとするべし。

う~ん、ボ~っとねえ。…でも一体どうやって?やり方が分からんぞ…。手っ取り早く考えられるのは、休みを取ること。これまで、部下たちが心配げに「PTO取ったらどうですか?」と忠告して来たことは、一度や二度じゃありません(PTOというのはPaid Time Off、つまり有給休暇のこと)。毎週加算されて行くばかりで一向に消化しないため、遂に会社規定の「頭打ち」レベルに達してしまいました。日数にして約40日間。これ以上はもう増えません。本当は増えるはずの休みをみすみす無駄にするのは悔しいから、毎週金曜にPTOを一日分申請し、一応お休みの態で「のんびり働く」ことにしたよ、と言うと、若手のアンドリューが “You’re crazy.”(頭おかしいよ)とやや気色ばんで毒づきました。これには一瞬ムカッとしましたが、冷静に考えれば上司を気遣う部下として、当然の発言でしょう。

更には、同僚達とのディナーにたまたま参加した妻と息子が、私がPTOをたんまり貯め込んでいる事実を初めて知らされ、以来ことあるごとに、

「ピーティーオー!ピーティーオー!」

とデモ隊のシュプレヒコールさらながらに二人で有給消化を訴えるようになったのですが、それでも態度を改めようとしなかった私。

Body Craftから帰宅後、ダイニングの窓際に椅子を移動し、庭をぼんやり見つめながら、今までの自分を振り返ってみました。そしてゆっくりと、「もしかしたら、これまでの働き方は異常だったのかもしれない」と慎重に自己批判を始めました。僕は本当の意味で、人生を楽しんでいると言えるだろうか?PTOも取らずに仕事に打ち込む。楽しい楽しいと自分に言い聞かせる。大至急頼む、と就業時間外に助けを求められれば余計に燃えてサービス残業に励む。挙句の果てに、肉体が悲鳴を上げて全面ストライキを決行する。こんな人間が、息子に対して、そして部下たちに対して、果たして良いロールモデルと言えるだろうか? いや、駄目だ。直ちに方針転換しなければならない。さっそく行動開始だ!

翌朝8時半頃、妻の運転で息子を高校まで送った後、ラホヤの海岸沿いにある崖際の遊歩道の途中で降ろしてもらいました。いい風を吸って景色を楽しみつつ散歩する、それが目的でした。ところが歩き始めて間もなく、大腿筋と背筋が著しく萎えていることを悟り、たちまち疲労感に襲われます。大型のベンチに腰掛け、上体をねじって背もたれに右腕を掛け、ふと水平線に目をやって息を呑みました。

数時間前から無風状態が続いていたのか、朝の海はまるで巨大な盥に張った水のように静まり返っています。遥か遠くに船影が一隻認められるのみで、白波ひとつ立っていない。私の正面には大きくてまん丸い昼の月が、まるで浮力を使って水から飛び出して来ましたと言いたげに、青空の底にペタリと貼りついている。月面に描かれた灰色ウサギの模様をじっと見つめているうちに、小ぶりな赤い花をつけた遊歩道沿いの灌木に集う小鳥たちのさえずりが、徐々にボリュームアップして来ました。

この瞬間、「ボ~っとする」のがどういうことなのか、生まれて初めて理解出来たような気がしました。何もせず、ただただ水平線を眺め続ける。これ以上にボ~っとした行為があるだろうか?海と空とを十分ほど見つめた後、立ち上がってゆっくりと崖沿いの道を降り始めました。暫くするとさっと視界が開け、お気に入りのCaroline’s Café(キャロラインズ・カフェ)へ到着。平日の朝だけあって客足は鈍く、がらんとした店の一番奥に陣取って、カフェオレを味わいつつ妻を待ちます。

凪いだ海をガラス越しに30分程見つめていると、妻が友人とのウォーキングを終えて現れました。

「ねえ、カフェオレとカフェラテと、カプチーノの違い、知ってた?」

カウンターのところに説明書きがあったのよ、と彼女。

カフェオレは普通のコーヒーに温めたミルクを加えたもの。
カフェラテは、エスプレッソに温めたミルクを加えたもの。
カプチーノは、エスプレッソに泡状のミルクを加えたもの。

へえ、そういう定義だったのか。そいつは知らなかったな。

「これカフェラテ。飲んでみて。」

彼女の差し出したカップからすすった飲み物は、目の覚めるような美味さ。私の注文したカフェオレとは、似ても似つかぬ深みです。

「本当だ。全然味が違う。僕もカフェラテにすれば良かったな。」

昔からコーヒー好きだった私は、かつて銀座や原宿、表参道などで、カフェを訪ね歩くのが趣味でした。それが今では、会社のキッチンで魔法瓶入りの無料コーヒーを日に五回ほどマグカップに注ぎ、何の感動も伴わずに胃へ流し込んでいる。この殺伐とした「気づき」に、何か目の覚めるような思いがしました。

ボクハ、ジンセイヲタノシンデナイ。

極上のカフェラテを飲み終えて二人キャロライン・カフェを出ると、その足で旅行代理店の「3D’s Travel」へ向かいます。過去数ケ月検討を続けて来たのですが、3月最終週から4月第一週にかけて家族で一時帰国することをいよいよ最終決定したのです。そしてサンディエゴ・成田間の航空券を購入。これで、晴れてPTO12日間分の使用が決定です。

木曜日、一週間ぶりに出勤した私は、部下たちに宣言しました。

「これからはスローダウンして、人生楽しむことにした。仕事の割り振りが前よりキツくなるかもしれないけど、みんな協力頼むぜ。」

シャノンもカンチーもアンドリューもテイラーも、「もちろん!どんどん振って下さい」と、皆でこれを歓迎してくれました。ちょっとじわっと来ました。

この週末には、Nespressoのエスプレッソマシーンをネットで注文しました。早朝、明けて行く空を見ながらカフェラテを手に本を読む。これが私の描く、新しいライフスタイルの一部です。

よ~し、お楽しみはこれからだ!