2016年9月25日日曜日

北米頂上決戦

昨日の昼前、一週間の出張から戻りました。空港前の車寄せで拾ってくれた妻に「どうだった?」と尋ねられ、「正直、今回は結構キツかった」と答えました。

テキサス州ダラス支社6階にある、窓の無い重役用会議室。コの字型大テーブルに20人の社員が着席し、月曜から金曜までみっちりとトレーニングを受けました。本社から8名、残り12名は北米9地域(Region)を代表しての出席。カナダから2名、ニューヨークから3名、残り7地域からはそれぞれ一名ずつが参加。私は、南カリフォルニア・ハワイ・グアム地域の代表です。全員が同じホテルに泊まり、オフィスとの間はシャトルバスで行き来するため、実質的に缶詰状態の一週間でした。

新しいPMプログラムの北米一斉使用開始が来年2月に予定されているため、今後数カ月で約九千人の社員に対するトレーニングを終えなければなりません。そのためにはまず、百名前後のトレーナーを早急に育成する必要がある。今回の出張は、そういうトレーナーの養成を担当する「スーパートレーナー」を育てるためのトレーニングだったのです。参加者のほとんどは講師経験豊富で、肩書も副社長クラス。年齢は私と同じくらいですが、幾分若いメンバーもちらほら。ペーペーのアジア人は私一人です。各地域を代表しているのだから凄腕ぞろいなのは当然ですが、このアウェイ感はさすがにキツイ。今回私を苦しめた最大のポイントが、参加者たちのユーモア・レベル。講師側も受講側も、絶え間なくジョークを飛ばしながらトレーニングが進行して行きます。その騒々しさは、スタンドアップ・コメディーの舞台と観客席さながら。インストラクションを聞き取ってメモするのに精一杯の私は、時々皆の大笑いに付き合いながらも、その余裕綽々な態度に圧倒されっぱなしでした。

三日目の午後、インストラクターのジョシュが、「悪い講師の例」としてビデオクリップを流しました。高校の社会科教師が単調な声で授業を続けるのを、生徒がどんよりした目で見ている、というシーン。後で聞いたら、「フェリスはある朝突然に(Ferris Bueller’s Day Off)」という「アメリカ人なら誰でも知ってる」クラシック・コメディ映画の一場面だったのですが、ここで教師が繰り返す、
Anyone?(分かる人?)」というセリフに、全員揃って大笑い。

“Today, we have a similar debate over this. Anyone know what this is?
「昨今でも似たような議論があるが、これ分かる人?」

無反応で宙を見つめ続ける生徒たち。男性教師はこれに全く構わず、自分でさっさと答を言ってしまって先へ進みます。そしてすぐにまた、「Anyone?」と問いかける。

大笑いしながらも、こういう「アメリカ人の常識」を知らないと心から笑えないんだよなあ、と悔しい思いを噛みしめます。きっと最近日本で働き始めたアメリカ人達も、「誰でも知ってるギャグ」に反応出来ず、同じように戸惑っていることでしょう。

水曜日の夜は参加者全員でディナー。地元レストランの屋根付きパティオに20人が集合し、親交を深めます。私の右隣に座ったブランドンは、フランシスコ・フィリオと昔のジョージ・クルーニーとを合体したような、精悍で甘いルックス。彼は、リビア、サウジアラビア、カナダ、と様々な地域のプロジェクトで活躍し、今はニューヨークで要職に就いている若きスター社員。リビアでは、カダフィ大佐の死の後の大混乱でプロジェクトが打ち切りになり、命からがらヨーロッパに脱出したそうです。

私の向かいの席に座っていたワシントンDCのフィルは、ヴァンダレイ・シウバとエメーリヤエンコ・ヒョードルの合成みたいなコワモテ男。耳の下がすぐ肩、という偉丈夫ですが、リスク・マネジメント分野では社内屈指の専門家。数年前までは原子力潜水艦の乗組員だったと言います。

「最長でどのくらい潜航してたの?」

と問いかけるブランドンに、無表情で「70日」と答えるフィル。それほどの長期間外に出られなかったら、精神に異常を来すんじゃないか、という皆の質問に、

「そもそも適性テストにパスした人間しか勤務出来ないから」

と事も無げに応えるフィル。だからと言って、全員が平常ではいられないでしょ、と食い下がる我々に、

「そういえば一度指揮官が、退屈で死にそうな乗組員たちの集中力を取り戻すために、こういうチャレンジを投げかけたよ。」

と話し始めました。司令部の誰にも気づかれることなく、しかも潜水艦の航行に支障を来たすことなく原子炉を完全停止させ、再び稼働させることは可能なのか分析せよ。というお題。スタートの合図で皆一斉に計算を始めたとのこと。結果、それが可能であることを見事に証明してみせたフィルが優勝をかっさらったのだと。

「それで何時間潰せたの?」

と尋ねるブランドンに、クスリとも笑わずフィルが答えます。

「二時間。」

こんな調子で他の参加者のバックグラウンドを知れば知るほど、じわじわと気圧されて行く私。それなりに武者修行を積んで来たつもりの私でしたが、世の中にはびっくりするような猛者が山ほどいるのです。HERO’Sのリングに初めて上がった時の「闘うフリーター」所英男も、きっとこんな心境だったことでしょう(知らないけど)。

さて金曜日の午後はトレーニングの総括として、各員前に出て5分間ずつ疑似トレーニングをせよ、というお題を出されました。どのモジュールでも好きに選んで良しとのこと。後半でプレッシャーに押しつぶされる事態はどうしても避けたかった私は、ハイハイ!と激しく手を挙げて二番手をゲット。WBSとスケジュールを題材に選びました。ツールの標準設定の揚げ足を取り、

「カレンダー設定は世界共通になっているので、土日も祝日も考慮されていません。やろうと思えば、社員を無休で働かせ続けるようなスケジュールを組むことも可能なのです。」

と、無難に「ややウケ」を得て席に戻ります。振り返ってみると、この判断は正解でした。私の後にプレゼンした人たちは、皆どっかんどっかんと笑いを獲って行きます。本社のベッキーは「娘の結婚式プロジェクト」の予算を作り、コンティンジェンシーの大きさで爆笑ゲット。一番の伏兵だったのは、フィラデルフィアから来たベテランのティム。常に冷静沈着、インテリの権化ともいうべき風貌の彼は、最後の最後に登壇したのですが、

“Anyone? Anyone?”

という二日前のネタを再利用して見事に大爆笑をかっさらって行きました。あぶねえあぶねえ、この人の後だったら最悪だったぜ~!と胸をなでおろす私。

私の報告を全て聞き終えた妻が、不思議そうにこう尋ねました。

「なんか、どれだけ笑いが獲れるかっていう話ばっかりだけど、そういう趣旨だったの?」

う~ん、違うな。

でもこれって、更なる高みを目指す英語学習者の私には、とっても大事な関門なのだと思うのです。十月中旬にはメンバーが再集合してリハーサルが行われる予定なので、それまでにきっちりと「笑いを取り入れた」トレーニングを練り上げ、北米チャンピオンを目指そうと思います。


2016年9月17日土曜日

No news is good news 便りの無いのは良い便り

一ヶ月ほど前、同僚ディックと緊急案件のための打合せを予定していました。ところが当日の朝、彼からこんなメールを受け取ります。

「とてつもない食中毒にかかっちゃったみたいなので、今日は休む。明日には復帰出来ると思う。」

「オッケー、じゃあ明日に延期しとくね、お大事に。」

と日程をずらしたのですが、それから彼はパタリと職場に姿を現さなくなりました。毎朝会議スケジュールを変更して招待メールを送り直すのですが、それを開いた形跡すらありません。一週間経って、さすがにこれはおかしいと思い始めました。上層部からも、あの件はどうなってるんだ?と日々問い合わせが寄せられます。PMはディックなので、彼が出て来るまで答えられない、の一点張りで押し通します。私は段々、彼の病気は実は食中毒などではなく、何かもっと深刻な状況に陥っているのではないか、と勘繰り始めました。

実は過去二年ほど、彼がどんどん元気を失くして来ているのには気づいていました。会社が大きくなるにつれて自分の活躍の場が狭まっている、意思決定の権限が縮小するばかりで成長のチャンスが潰されている、と溜息混じりに語ることもしばしば。40代の彼にとって、このままこの会社でキャリアを積むことがプラスなのかどうかは大問題です。もともと巨漢の彼ですが、ストレスからかじわじわと体重を増して来ているのも気になっていました。目に力が無く、肌もカサカサ。持ち前のユーモアセンスで何とか持ちこたえている、という状態でした。

だからこそ私は、彼のこの突然の長期不在に気を揉んだのです。

“No news is good news”
「便りの無いのは良い便り」

という頻出フレーズがありますが、現実の世界にそんな場面があるだろうか?と思いました。「何か変わったことがあれば連絡があるものだから、何もないのは無事な証拠」という意味ですが、それって通信手段が毛筆の手紙に限られていた時代の考え方じゃないかな、と思いました。スマホでテキスト打てば数秒で連絡出来る今、このフレーズは死語に近いよなあ、と。

さて一昨日、四週間ぶりに復帰したディックとの打ち合わせがありました。目に生気が宿り、頬はほんのりピンク色。体重が16パウンド(約7キロ)落ちたよ、と微笑むディック。

「見違えるほど元気になったねえ。大学出たばかりの若者みたいだよ。」

56人から同じこと言われたよ。」

仕事の話は15分で済ませ、彼の不在にまつわる物語に聞き入ります。

四週間前、食中毒にかかったと踏んだ彼。強烈な腹痛に悶絶しつつ何とか救急外来に辿り着きます。そしていくつかの検査の後、おそらく便秘だろうと謎の診断を受けて帰宅します。その晩は不思議に病状が落ち着いたのですが、翌朝とんでもないぶり返しがやって来て、絶対便秘なんかじゃないと確信した彼は、別の病院を訪ねます。そして今度は、これが食中毒でも便秘でもなく、盲腸が破裂していたことが判明。そのまま入院しますが、体内に拡がった毒素を消すため、抗生物質の投与を暫く続けなければいけませんでした。それからようやく外科手術。退院後は三週間の自宅安静。十時間睡眠と正しい食事を重ね、仕事のことを全く考えない新しいライフスタイルを楽しむうち、心身共にエネルギーが満ちて来ました。そして満を持して職場復帰。

「なるべく人に任せることを心掛けてるよ。もちろん俺の性格上、ストレスからは逃れられないけどね。」

一ヶ月前は彼の笑顔も、どことなく寂しいような諦めたような翳りを帯びていたのですが、今は一点の曇りも無いスマイル。今回のお休みは、リゾート地でバカンスを過ごすよりも遥かに有意義だった、と言います。

「俺ってケチだから、金かけて旅行してるって考えるだけでストレスになるんだよね。自宅で好きな時に好きなことをして過ごすのが、最高にリラックス出来る方法なんだってことを今回学んだよ。」

「本当に良かったね。でも随分心配したんだぜ。」

「ごめんごめん。でもこの長期間、誰とも連絡取らないってことが俺には重要だったんだ。」

このドラマティックな復活劇。何か目に見えない運命の力が彼をどん底から救ってくれたのかもなあ、と静かな感動を覚えました。

さて翌日。食堂で同僚のビルに会いました。彼とは2カ月前、巨大プロジェクトのためのプロポーザル・チームの一員として一緒に働きました。

「あのプロポーザル、どうなったのか聞いてる?」

と尋ねる私。通常は一カ月ほどでプロジェクト獲得か落選かの報せを受けるのですが、私の耳には何も入って来ていません。30人以上の高給取りが何百時間もかけて提出したプロポーザル。会社がこれほど巨額の投資をしたプロポーザルの審査結果がまだ分からないというのは心配です。

「いや、何も聞いてないよ。」

と答えるビル。そして、こう付け足します。

“No news is bad news.”
「便りの無いのは悪い便りだぜ。」

プロポーザルの結果はともかく、このことわざに対する違和感を共有出来る人と出会ったことに、思わず感動。

「だよね~!!」

と、やや過剰な激しさで反応する私でした。


2016年9月11日日曜日

Cut from the same cloth 同じ生地で出来ている

火曜日の朝、久しぶりにオレンジ支社へ。きっかけは、南カリフォルニアの建築部門を束ねるリチャード(「スキンヘッド」リチャードの上役)から木曜の午後に受けた一本の電話でした。

「進行中の刑務所設計プロジェクトを担当していたトムが辞職したんだ。新しいPMをあてがったんだけど、この会社に来てまだ日が浅くてシステムに慣れてないんだよ。サポートを頼めないか?」

急遽、新PMチームのマークとドン、他数名のメンバーとオレンジ支社の会議室で初顔合わせです。私が金曜に作成し送付しておいた財務分析をネタに、今後のマネジメント方針について議論を重ねました。

12時過ぎに打合せを終えて会議室を出ると、重鎮PMのキースに呼び止められました。彼は空港プロジェクトがきっかけで知り合った、コンストラクション・マネジメントのエキスパート。現在、二年前に私が担当から外された地元刑務所プロジェクトのPMを務める一方、四年間の中断を挟み一月からの再スタートが決まったテキサスの刑務所プロジェクトを担当することになったというので、ここ数週間彼のサポートを続けているのです。

「何の会議だったの?」

と尋ねる彼に、

「今年三件目の刑務所プロジェクトに関わることになってね。初のチーム・ミーティングを終えたところ。なかなか刑務所から足を洗えないでいるよ。」

と冗談めかして答える私。

“You are a prisoner of prison jobs!”
「刑務所仕事の囚われ人だな!」

そう言ってキースが笑います。

この後彼は、先週私から受け取った財務分析を聞いた上層部が大騒ぎになっている様子を話してくれました。既に前任者が会社を去っているプロジェクトの蓋を開けてみたら火の車だった。これは実によくある話です。私の役目は、そういう状況を詳細に分析して改善のシナリオを提案することですが、どう考えても上層部が満足出来るようなシナリオを作るのは不可能だ、という場合は正直にそう告げるしかない。

キースはひとしきり愚痴に近い説明をした後、現在進行中の刑務所プロジェクトに話題を移しました。そして、クライアントから受け取った長文メールを私に見せ、深々と溜息をついたのです。

「またもや苦情の嵐だよ。うちの仕事に対するダメ出し満載のメールだ。事細かに、何故彼らが不満なのかを書き連ねてるんだな。」

そして、こうまとめます。

“They are all cut from the same cloth.”

直訳すれば、「彼らは皆、同じ布地で出来ているのさ。」ですね。色や形は様々でも、同じ布地から出来ている服は根本に共通の肌合いがある、という意味。

キースのこのうんざりした表情には、深いワケがあります。何度かのミーティング中、刑務所プロジェクトに限って何故それほどクライアントとのトラブルが多いのかを尋ねたことがあるのです。彼の説明が、これ。

1.そもそも刑務所の建設は、その土地で百年に一度あるかないかという稀な事業。発注担当者にとっては全てが初めてづくし。コンサルタントにどう指示を出すか、設計変更をどう処理するか、などというノウハウは誰も持ち合わせていない。プロのこちらが当然と思っている基本的手続きも、彼等にとってはちんぷんかんぷん。常識の隔たりの大きさゆえ、誤解によるトラブルが簡単に発生する。
2.刑務所勤務が長い担当者たちは、受注者が自分達の命令を従順に受け入れるのが当然と考えるきらいがある。法律上は対等な契約関係にあるはずなのに、権威を武器に無理な要求をごり押しして来る。たとえ純粋に彼等の気まぐれによる設計変更であっても、無報酬で実施するよう真顔で迫ってくる。こちらが抵抗すればこれを圧力でねじ伏せようとし、無抵抗でいれば新たに要求を積み重ねて来る。
3.刑務所担当者たちは、鼻っから人を疑ってかかる傾向がある。我々が真面目に成果品を提出しても、どこかで手を抜いて騙そう、誤魔化そうとしているんじゃないか、と常に身構えている。小さなミスを発見すると、鬼の首を取ったようにいつまでも責め立てるので、仕事が前に進まない。

「囚人相手の仕事を来る日も来る日も続けているんだから、そういう性格になっていくのも仕方無いと思うんだ。常に人を疑い、四の五の言わせず屈服させる。日々この繰り返しだからね。遠い知人で刑務所管理のポジションへ転職した人が複数いるんだけど、みな最終的に離婚や家庭崩壊を経験してるよ。生活面にも必ずその影響が及ぶからね。」

それがカリフォルニアであれテキサスであれ、刑務所建設プロジェクトに携わるPMは、まず間違いなくクライアントとのコミュニケーションから大きなストレスを受けるのだそうです。先ほどのキースの台詞は、こういう意味ですね。

“They are all cut from the same cloth.”
「(どのクライアントも)根っこのところはみんな同じなんだよ。」

さて金曜のランチタイム、食堂でカナダ出身の同僚ジェフと会いました。十数年前サンディエゴ支社への異動が決まり、レンタルトラックに荷物を載せて国境を渡った時の経験を話してくれました。意気揚々とアメリカ第一日目を迎えようとしたところ、入国管理官から執拗な尋問を受けて何時間も足止めを食らったのだと。

「仕事はいつスタートするのかと聞かれたから、会社の規定に従った健康診断を終えたらすぐ、と答えたんだ。そしたら、じゃあ本当に職があるかどうかまだ正式決定じゃないじゃないかって責めるんだな。それからずっと、本当は何か違法な物を持ち込もうとしてるんだろうって詰問されてね。」

ここでジェフに、キースから聞いた刑務所管理官たちの話をしたところ、彼がこう言いました。

「入国管理官も同じだよ。誰が相手でも、まずは疑ってかかるのが仕事だからね。」

とんだ入国一日目になっちゃったね。さぞかし不愉快な記憶でしょう、と私が同情を示したところ、彼が暫くキョトンとした表情になりました。そしてようやく私の発言の意図を理解したように、

「いやいや、あっちは単純に自分の仕事をしてただけだからね。」

と答えます。

「こないだテレビで、空港の入国審査官を巡るドキュメンタリーを放送してたんだけど、ごく平凡な外見をした旅行者が平然と違法な荷物の持ち込みをするのを次々と暴いて行くんだな。いちいち愕然としたよ。インドから来た子連れのおばさんが、スーツケース内に生の食品やフルーツはありますか?と聞かれて、ありませんってはっきり答えるんだ。で、開けてみたら、ビニール袋に包まれた肉やら果物やらが出るわ出るわ。巨大な生の鶏肉まで。そもそもインドから十数時間もかかるのに、その間ずっと生肉積んでて大丈夫なのかよ!って思ったけど、そのおばさんのしれっとした態度を見て、背筋が寒くなったよ。そういう人たちを毎日相手にしてたら、自然と人を疑ってかかるようにもなるってもんでしょ。」

在らぬ嫌疑をかけられて延々と足止めを食らったことに、ジェフは少しも怒っていない。むしろ、ネチネチと質問を繰り返して来た担当者に対して同情まで抱いている様子です。

確かにあらためて考えてみれば、自分だってもしもそういう仕事を選んでいたら、随分違う性格になっていたことでしょう。こちらの常識を根拠に相手の性格を責めたって仕方がない。ここは気持ちを綺麗に切り替えないといけません。

刑務所プロジェクトを担当する際は、クライアントの性格を責めたり恨んだりするのではなく、「コミュニケーションに倍負担がかかる」前提で予算とスケジュールを組むべし!


2016年9月5日月曜日

アメリカで武者修行 第36話 説得したわけじゃないんです。

ある日、老ジョージが私のキュービクルにやって来ました。
「来週から、非常勤の相談役のような立場になる。このオフィスに顔を出すこともほとんど無くなるだろうから、君にPMの座を引き継がないといけない。」
高速道路設計プロジェクトは訴訟状態にもつれこみ、未だに終結出来ずにいるのです。
「とは言っても、大物の課題はほぼ解決済みだから安心したまえ。PB社のケンがクラウディオの後を引き継いでいるから、JV側の業務は彼がほとんどやってくれる。やっかいなのは下請け契約の終結だが、そこは君の得意分野だろう。頼んだぞ。」

二年前、苦しい職探しの末にようやくこのプロジェクト・チームに潜り込んだ時点では、自分がいずれPMになるかもしれないなどと、想像もしませんでした。銃声が消えた焼野原の戦場を見渡し、所属部隊で生き残った兵は自分一人なのだと、ようやく気付いたような格好です。

数日後、ダウンタウンにあるPB社のケンを訪ねました。彼は韓国系アメリカ人。JVチームのプロジェクト・ディレクターという肩書です。髪に少し白い物が混じってはいますが、年齢は私とほとんど変わらないでしょう。終盤でいきなりプロジェクトに飛び込んで来た彼は、細かい経緯を知りません。私の持つ断片的な記憶と、彼がクラウディオから引き継いだ書類上の知識を寄せ集め、二人でプロジェクトの終結に取り組むことになったのです。

大会議室のテーブルに、まるでトランプの七並べのようにずらりと書類を並べ、つぶすべき大小百以上の課題を二人でひとつひとつ洗います。彼はリストを見ながら、一件ずつ内容のおさらいをして行きます。その中に、喉に刺さっていつまでも抜けない魚の小骨のような、悩ましい一件がありました。
「これは、どういう話だったっけ?」
と、手にしたリスト越しに、ケンが私の顔を覗き込みます。
「現場担当者から口頭で追加作業を頼まれたという測量業者に対し、文書による事前の合意が無いという理由で、6千ドルあまりの支払請求を拒否したんです。先方の担当者アンディが、下請けをイジメる酷いJVだ、州政府に訴えてやる、と、脅迫めいた手紙を寄越して来たため、当時私の上司だったフィルと一計を案じ、元請けのORGに対して追加請求をしました。ところがその後、元請けとの訴訟騒ぎになったため、この件は脇に追いやられてしまったんです。それで未だに下請け契約が閉じられない、というわけです。」

現場事務所の食堂で、テーブル越しにすがるような目で6千ドルの支払いを懇願するアンディの顔が蘇りました。
「払ってくれるまでは契約終結書にサインしない、と彼が言い張ったらどうしましょうか?」
「難しいね。シンスケはどう思うんだ?」
「個人的には、全額支払うべきだと思ってます。こっちはちゃんと成果品を受け取っているんですからね。なのに対価を払わないというのは、道義的に許されないでしょう。でも契約担当の立場で言えば、やはり突っぱねるべき話です。法的には、契約外の仕事に報酬を払う必要はないからです。我々自身も、同じ仕打ちをORGから嫌と言うほど受けて来ましたからね。」
元上司のリンダから「タフになりなさい」と日々どやしつけられて来たお蔭で、感情を捨ててビジネスマンとしての判断をする習慣が身についていました。とは言え、これは疑いようも無く理不尽な行為です。日本の公的機関で14年間も働いて来た私には、辛い葛藤でした。
「よく分かった。それじゃあ半額の3千ドルを譲歩の限界点としよう。それでも手を打たないと言い張るようだったら、一旦退いてくれ。」
ケンが妥協案を出してくれたことで、ほっとしていました。これで、「喧嘩両成敗」という理屈を持ち出して穏便に契約を閉じるオプションが出来たのです。

薄曇りの金曜日、住所を頼りにアンディのオフィスを訪ねました。鞄の中には、サイン欄に付箋を貼り付けた下請け契約終結書二通、それから三千ドルの小切手が入っています。土捨て場と見られる広大な空き地に面した、灰色の工業団地。舗装の無い駐車場で車を降り立つと、タイヤに巻き上げられた砂煙が霧のように立ち込めていました。数社の会社名がひしめく雑居ビルの入り口で、受付嬢と見られるブロンド女性に名前を告げます。彼女は暫くの間、ガムを噛みながら眠たげな目で私の顔を見つめた後、
「今呼んで来ます。」
と奥に引っ込みました。土埃でまだらに汚れた紺色のソファに浅く腰かけ、アンディを待ちます。段ボール箱やスコップ、錆びた測量道具などが乱雑に積み上げられた狭い待合室の壁には、ハクトウワシが力強く飛翔する写真がかけられていました。写真の下に、くっきりとした活字体で、SUCCESS (成功)と印字されています。額縁が右側に大きく傾げているのが気になり、立ち上がって水平に戻しました。

その時、ノーネクタイにYシャツ姿のアンディが元気良く現れました。
「ハーイ、シンスケ、よく来てくれたね。」
握手の手を差し伸べ、屈託なく歓迎の笑顔を浮かべます。遺恨のかけらも見せぬ明るい振る舞いに、まさかこちらの油断を誘っているのでは、と裏の意図を勘繰って反射的に身構える私。

小ぶりな会議室のドアを開けて私を招き入れたアンディが、会議机のパイプ椅子を引くと、そこに段ボール箱が載せられているのに気付きました。決まり悪そうにこれを床に下ろし、私の着席を促します。
「さっそくだけどアンディ、メールに書いた通り、今日は下請け契約を閉じるために来たんだよ。」
と単刀直入に切り出して、書類をテーブルに拡げる私。
「うん、分かってる。どこにサインすればいいんだい?」
とアンディは、書面に視線を走らせつつ、シャツの左胸ポケットに挿してあった万年筆を右手でひょいと取り上げます。まるで過去のいざこざなど、とうの昔に記憶から消し去ったとでもいうように。
「アンディ、わざわざ蒸し返すこともないかもしれないけど、追加業務の扱いについては、あらためてJV内部で話し合ったんだ。」
彼がペンを置いてさっと右手を上げ、セリフの続きを制します。
「シンスケ、今日は見せたいものがあるんだ。」
アンディはくるりと椅子を回すと、背後の棚に置いてあったクリップボードをつかみました。
「これを見てくれよ。」
書類のトップに書いてある太字のタイトルが、真っ先に目に飛び込みます。

Field Change Request Form
「現場変更要求書」

「六千ドルの件では、社長に散々絞られたよ。暫くは、君たちJVのやり口を恨んだもんだ。でもね、頭を冷やしてよく考えたら、追加業務を始める前に文書で確認を取らなかった僕らにも非があるんだな。そこで僕が作ったのが、この様式だ。あれ以来、現場に行く人間には必ずこれを持たせるようにしてる。作業中にクライアントから変更指示を受けた場合、これをパッと差し出してサインを貰ってるんだ。こいつのお蔭で、二度と痛い目には合わなくなった。六千ドルは高い授業料だったけど、今じゃ、あの一件があって良かったとさえ思ってるんだ。」
苦い経験を梃に、大幅な業務改善を成し遂げた。逆転ホームランをお見舞いしてやったぞ、という誇らしさが、光線のように彼の顔から放射しています。
「うん。これは素晴らしいね。こんな書類を差し出されれば、追加業務を頼む側も曖昧な指示が出来なくなるしね。」
参考にするから一枚持ち帰っていいか、と尋ねられるのを待つかのように私の顔を暫く見つめていたアンディは、それほどまでの賞賛を私から引き出すことは出来ないと悟りながらも、感心は本物であることを確認して満足したようで、二通の契約終結書に素早くサインしました。そしてにこやかに立ち上がると、さっと右手を差し出しました。
「これからも、末永くお付き合いを頼むよ、シンスケ。」
彼の手を握り返すまでのほんの一瞬、思考が目まぐるしく交錯しました。今ここで三千ドルの小切手を鞄から取り出せば、望外の出来事にアンディは感激するだろうか。いや、むしろプライドに輝いた彼の顔に、泥を塗ることになるかもしれない。いや待てよ、小切手を見せずとも、用意したオプションをほのめかして彼の反応を見るくらいはするべきじゃないか…。

砂煙越しに小さくなっていくアンディの姿をバックミラーの中におさめながら、ゆっくりと車を走らせる私。オフィスに戻って会議室の扉を内側から閉め、ケンに電話で首尾を報告しました。
「そうか。よくやったな。小切手は破棄しておいてくれ。こっちの帳簿からも消しておくから。それにしても、よく説得出来たな。」
「いえ、説得したわけじゃないんです。」
「まあいいよ。とにかくこれで一件落着だ。」

電話を切って椅子を回転させると、窓の外が刻々と夕暮色に染まって行くのを、暫く眺めていました。次に鞄のジッパーを開け、受け手を失った小切手を取り出して机の上に載せ、部屋がすっかり暗くなるまで見つめていました。


2016年9月4日日曜日

Please me プリーズ・ミー

先日の朝、総務のヘザーから一斉メールが届きました。内容は、「LGBT ミーティング」。LGBTというのは、「レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー」の略です。うちのオフィスには同性愛や両性愛といった性的指向をはっきり表明している社員が何名もいるのですが、今度その集会が開かれますよ、というお知らせ。発信人のダグラスからの元メールが底の方に表示されていたのですが、中身を注意深く読まずに閉じていました。

ダグラスは、大胸筋の著しく発達した逞しい白人男性ですが、会社のパーティーにも「ハズバンド」同伴で現れるほどの大っぴらなゲイです。どうやら彼が発起人となって、グループ集会を企画した様子。彼とは日頃から大変仲良くしているのですが、その性的指向に関しては何のコメントも加えたことがありませんでした。

午後になって、向かいの席からシャノンがさも可笑しそうに、「ヘザーのメール見た?」と尋ねて来たので、まさかその手の連絡を会社メールで転送したことを取り上げて面白がってるのかな?と疑ったのですが、

「ダグラスのメールが付いてたでしょ。あれ読んだ?」

と笑うのです。あらためて彼のメール部分を読み返してみたところ、こう結んでありました。

“If you have any questions, directly please me.”
「もしも何か質問があれば、僕をダイレクトに喜ばせてくれ。」

はぁ?なんだこれ?

Pleaseは「どうぞ、どうか」という意味の間投詞として使われるのが通常です。今回のように動詞として用いられると、「喜ばせる、楽しませる」という意味になるのですが、実際には「プリーズ・ミー」などという英語表現、聞いたことがありません。これは明らかにミスでしょう。

この後、たまたまダグラスとのミーティングがありました。会社のPMツールへのデータ打ち込み方法が良く分からないというので、ヘルプに行ったのです。打合せ冒頭、ヘザーのメールについて尋ねてみると、

「ああ、あれ?もういやんなっちゃうよ。僕のメールをヘザーがコピペした時に、へんてこな文章になっちゃったみたいなんだ。」

と顔を赤らめます。元の文章はこうだったのだそうです。

“If you have any questions, please directly contact me.”
「もしも何か質問があれば、直接僕にコンタクトして下さい。」

「そうだろうとは思ったよ。でも、テーマがテーマだけに笑えるミスだよね。」

とからかう私に、さらに顔を紅潮させるダグラス。自分の性的指向に関しては常に堂々と振る舞っている彼のこの恥じ入りようが意外で面白かったので、ミーティング終了後、さらに追い討ちをかける私。

「何か他に質問ある?あれば、ダイレクトに僕を喜ばせてね(directly please me)。」

悪い癖が出ました。


2016年9月3日土曜日

Ultimate Service 究極のサービス

2年前にスタートした建築部門の巨大プロジェクトが、いよいよラストスパートを迎えています。オレンジ支社の建築部門長でPMのリチャードと二人三脚でプロジェクトを進めて来ましたが、相手が上層部でも構わず慇懃に毒舌をかます彼は、気楽に軽口を楽しめる相手ではありません。滅多に無い笑顔の時でさえ口の端をわずかに歪める程度なので、機嫌が読めないのです。腹を抱えて笑い転げた経験なんか、生まれてこの方一度も無いんだろうな、と決めつけたくなるくらい気難しい。ただでさえ185センチはあろうかという上背と鋭い眼光で威圧感たっぷりなのに、ユル・ブリンナー張りの完璧なスキンヘッド。そんなパンチの利いた容貌で機関銃のようにまくしたてるので、気圧されないよう始終気を張っているのですが、

「あ、それってこういうことですね?」

と軽く合いの手を入れたつもりが、

「違う。黙って聞け。」

とぶっきらぼうに斬り返されることもしばしば。これまでに何度か、「あ、怒らせちゃったかな」と、ひやりとしたこともあります。しかしこつこつとサポートを続けるうち、少しずつ態度の軟化が進んで行きました。メールの返信も、Ta からThanks、そしてThank youへゆっくりと変化。こういうことに、仕事の喜びを見出している私。

常々、うちのチームメンバーに聞かせている言葉があります。

“We are not in project management business. We are in hospitality business.”
「我々はプロジェクトマネジメントのビジネスをしているんじゃない。ホスピタリティ(おもてなし)ビジネスをしてるんだ。」

やや極論なのですが、プロジェクトコントロールという仕事の本質はあくまでサポートであり、自分達が表舞台に出てはいけない、と伝えたいわけです。プロジェクトマネジメントに関する豊富な知識を土台に、PM達が日々快適に働けるようあらゆる角度から彼らを支えるのが我々の仕事なんだ、と。スケジュールやコスト管理の他にも、「書類をクライアントに大至急送らなきゃいけないんだけど、フェデックス様式への記入方法が分からない!」みたいな、職域外のヘルプ要請にもにっこり笑顔で応え、必ず「何とかして」しまう。

この「徹底して相手をサポートする」姿勢を学んだのは、20年前に日本で読んだ一冊の本がきっかけでした。

究極のサービス(原題Ultimate Service)」は、5つ星ホテルのコンシェルジュだったホリー・スティール(Holly Stiel)が著した、おもてなしの指南書。毎日怒涛のように襲い掛かるかぐや姫的無理難題を、鮮やかに解決していくコンシェルジュの仕事について書かれた本なのですが、ホテルと無関係の仕事をしていた私でさえ大きな衝撃を受け、その後の人生がすっかり一変しました。そこには、大抵の仕事に共通する「ピンチをどう切り抜けるか」というテーマに対する答えが満載なのです。

当時夢中で付箋を貼った箇所は今読んでも、ううむと唸らされます。たとえばこれ。

「正しいかどうかは問題外。」クレームを受けたら、このフレーズを繰り返してみましょう。(中略)たとえ自分が正しくてもそれがお客様に認められないという不条理は無数にあります。自分はいつでも正しくなければならないという考え方をあきらめたとき、精神的に大きく成長したと言えるでしょう。

それから、こんなのも。

昔の同僚はストレスがピークに達した時に大変役立つ方法を知っていました。マイケルは指を鳴らして、私に「ディスココンシェルジュの出番だ」と宣言し、それから二人でリクエストとストレスのラッシュを文字通り踊りぬくのです。

先日数カ月ぶりにオレンジ支社へ出張する用事が出来たので、早速リチャードとのミーティングを申し込みました。いつも電話だけなので、機会がある度に顔を合わせておかないと、と思ったのです。多忙な人なので、30分だけという約束ですが。彼は私に着席を促すと挨拶もそこそこに、コスト予測の積み上げと経営状況報告書の作成を早口で指示。それからわずかに微笑んでこう言いました。

「このまま順調に行けば、かなり大きな利益率でプロジェクトを終了出来そうだ。君のサポートに感謝してる。」

過去数千件のプロジェクトをサポートして来た私から見ても、彼のプロジェクトの利益率の高さは異例です。

「それは良かったですねえ。これほどの好成績でプロジェクトを締められれば、会社から表彰されてイントラネットのトップに顔がでかでかと載るかもしれませんよ。」

そう祝福する私に、急に表情を曇らせて素早く顔を左右に振りながら、リチャードがこう反応しました。

“No no no! That’s not me.”
「ノーノーノー!そんなの俺のスタイルじゃない。」

あ、ヤバい、これは地雷踏んだか?と思った次の瞬間、彼が無表情でこう続けました。

“My head is too shiny.”
「俺の頭はまぶし過ぎるだろ。」

彼とタッグを組んでから約二年、ようやく聞けた自虐ジョーク。ミーティング後しばらくの間、この仕事の醍醐味を静かに噛みしめる私でした。