2015年1月31日土曜日

Tree Hugger 環境オタク

火曜日の夕方、うちのオフィスビルの三階テラスで、Mixerイベントがありました。三支社が合体して出来た新組織なので、まだまだ知り合うチャンスの無い同僚も沢山います。要らぬ垣根は早いうちに取っ払ってしまおうということで、総務の女性陣が企画したイベントでした。

先週、「自分に関することで、皆にあまり知られていない情報を教えて下さい」という一斉メールがトレイシーから届きます。イベントのゲームに使うから、とのこと。自己紹介については以前苦い思いをしているので、今回はびしっとキメました。

「合気道の黒帯で、趣味は折り紙です。」

さて当日、夕闇迫る会場に若干遅れて到着したところ、ビル群の灯りにほんのり顔を照らされた50人近い同僚たちが、既に談笑しています。手にはビールやワインの小瓶。よく見ると皆何か、コピー用紙のようなものを持っています。何それ?とそこらにいた人たちに尋ねると、「人間ビンゴだよ」と答えます。

飲み物が冷やしてあるケースの横に積まれた紙の束から一枚つまんでみると、縦横四マスずつのマトリックスに短い文章が書かれています。

「腎臓のドナー経験者です。」
「一卵性双生児の兄弟がいます。」
229日生まれの子供がいます。」
「中国で一年間英語を教えたことがあります。」

私の自己紹介文も発見。要は、ひとつひとつ該当する人を探し出してマスを潰していくゲームなのだと。なるほど、それはいい考えだな、と感心しました。ビンゴを口実に、初対面の人に話しかけられるんだから。

陽がすっかり落ちてから、同僚ジェフがやって来ました。

「このビンゴの表に君のプロフィールは入ってる?」

と尋ねると、

「いや、申告しなかったよ。」

という返事。

「なんで?僕は若い頃お店で肉を買ったことがありませんでした、なんて書けたんじゃない?」

ジェフはカナダに住んでいるころ、週末になると猟に出かけ、アーチェリーで仕留めた獲物を捌いて食糧にしていたのです。彼の返答がこれ。

“I don’t want to upset tree huggers.”
「ツリーハガーの気分を害したくないからね。」

このTree Hugger ですが、一般には「環境保護論者」と訳されます。「木に抱き付く人」と直訳すれば、そう受け取られるのも当然ですが、この時のジェフの発言は明らかに皮肉混じり。

ジェフや私が所属していた旧オフィスの社員は大多数がエンジニアで、当然ながら男所帯。一方、元々ダウンタウンにオフィスを構えていた支社は3倍以上の社員数を抱えていて、ほとんどが環境保護の専門家です。しかもその過半数が女性社員。私はこの支社に行くたび、ほんわかした気分になったものです。エンジニアの社員が断定的な、時に攻撃的な物言いを得意とするのに対し、環境部門の人々は概ね「聞き上手」で、しかも笑顔を絶やさない。ジェフの言いたかったのは、統合後の支社の大多数を占める「環境に優しい人々」に、動物をじゃんじゃん殺して食ってたなんて話をしたらどんな目で見られるか分かったもんじゃない、という話ですね。

そんなわけで、私の訳はこれ。

“I don’t want to upset tree huggers.”
「環境オタクらの気分を害したくないからね。」

後でちょっと調べたところ、1730年にインドで起きた事件がこのフレーズの語源だという記事を発見。

王様の宮殿を建造するために木を伐りに来た人たちに対し、アムリタ・デヴィという女性が、この土地の木は伐採を禁じられているはずだと抵抗。木を切られたくなければ賄賂をよこせと言われ、代わりに私の命を取りなさい、と答える。彼らは彼女を斬首。アムリタの三人の娘たちも母にならい、次々に斬首されます。構わず伐採を続ける王の手下どもに対し、村人たちが手を繋ぎ、木々の周りを囲むようにして抵抗。計363名の村人が命を落としたところで、王様が伐採を止めさせた。

本当かどうかは分かりませんが、もしもこれが事実なら、恐ろしい語源です。軽はずみに使っちゃいかんな、と思ったのでした。

さて、ジェフと話をしている最中、エンジニアの若き同僚ジェイソンも加わりました。

「俺も申告しなかったからこれには載ってないよ。シンスケは?」

「この中にあるよ。探してごらん。」

私のマスを探し当てた彼らは、仰天。すかさず私がこう釘を刺します。

「僕にはちょっかい出さない方がいいよ。気づいた時には身体が宙を舞ってるからね。」

後ずさりしながらビビりまくるジェスチャーでおどける、ノリの良いジェフとジェイソン。

「ところでさ、ずっと気になってるプロフィールがあるんだけど、これ、どう思う?」

と私が二人に尋ねます。

“Had a pet turtle named Otto as a child, and released it into a pond.”
「子供の頃、オットーという名のペットの亀を池に放した。」

「他のプロフィールとだいぶ趣が違うでしょ、この文章。ダジャレになってるのかな、と思って。」

と私。ジェフもジェイソンも、顔をしかめて何度も文章を読み返します。

「なぞかけになってるんじゃないかな。」

とジェイソン。

「う~ん、俺には解読出来ないな。なんだろう、この自己紹介?」

とギブアップするジェフ。

そこへ環境部門のピーターがやってきたので、僕のプロフィールを当ててみてよ、と挑んだところ、

「シンスケが日本人だと分かってるだけにちょっとベタ過ぎるけど、合気道のやつ?」

と即答しました。その通り!と笑うと、

「この中で一番クールなプロフィールだね。」

と、優しい笑顔で褒めてくれました。

「で、ピーターのはどれ?」

彼は照れながら、ペットの亀のやつが自分のだ、と言います。

「君だったのか!あのさ、聞きたかったんだけど、これって何かダジャレとかなぞかけになってるの?」

怪訝な顔で首を振るピーター。

「いや、これがそのまんま僕のプロフィールだよ。飼ってた亀を池に放したことがあるって。」

私はあっけにとられ、暫く彼の顔を見つめてしまいました。我々エンジニア軍団は、完全に無駄な深読みをしていたわけです。ピーターはただ、子供の頃の切ない記憶を自己紹介に使っただけだったのですね。


ほんわ~かした気分になりました。


2015年1月25日日曜日

Nerves of steel 鋼鉄の神経?

建築部門の大出血プロジェクト10件に加え、終結を迎えた空港プロジェクトのPMを任されて以来、まるで「消防ホースから水を飲む (Drink from a firehose)」ような状態が続いています。毎日複数の副社長たちから問題プロジェクトの経営状況に関する質問が飛び込み、「経営改善策を大至急作成してくれ」などというリクエストを一日に何十本も受け取ります。当然、ほとんどのメールに返答する時間もないので、未解決の課題がみるみる山積されていく。

電話会議では出席者が総じてカリカリしており、中にはためらいも見せずに怒りをぶちまける人も。

「一体全体、なんでこんなことになったんだ?」

プロジェクト開始からだいぶ経った時点で引き継いでいるので、答えられない質問も多く、時に禅問答のようなやり取りが続きます。更にタイミング悪く、11月から大規模な組織改編が始まりました。上層部にも新顔がちらほら加わって来て、プロジェクトの背景を全く知らない彼らからすれば、いきなり火のついた爆弾を渡されたようなものです。パニックになって直接電話して来る副社長も。

PMのサポートというお気楽ポジションを10年以上楽しんで来た私ですが、人並みに「ストレス」を抱えるようになりました。誰よりも早く出社して誰よりも遅く退社する毎日。しかもその間、まともに呼吸した気がしないほどの猛烈なプレッシャーが続きます。

金曜の朝も、LA地区の建築部長に就任したばかりのジョン、北米の建築部門を代表する東海岸のリック、サンフランシスコからサンディ、それから私のプロジェクトのディレクターを務めるビバリーとの電話会議がありました。全員が副社長。ジョンはこのプロジェクトに一時関わっていたこともあり、私の出した数字に対して極度に苛立っています。

「去年の10月頃、各部門のリーダーが集まって作り上げたコスト予測はどこへ行ったんだ?

「ビバリーと私とで年末に作り直した予測を基にしたんですが。」

「それは断じて受け入れられないぞ。どれだけ時間をかけてあれを作ったと思ってるんだ?」

彼女も私も、比較的新しいプロジェクト・メンバーです。情報が不足しがちな中、模索しながら必死に取り組んでいるのですが、その努力がちっとも認められていないように感じました。

結局無数のダメ出しを浴びた後、月曜の朝一番までに書類を仕上げて再び会議で揉まれることになりました。これで週末出勤が正式決定です。電話を切ろうとした際、「ちょっと待った」とジョンが制します。正直、もういい加減にしてくれ、という心境だったのですが、彼が妙に落ち着いた声でこう言ったのです。

「この仕事を引き受けてくれて本当に感謝してる。色んな人と話したけど、誰もがシンスケのことを高く評価してるんだ。大変だけど、よろしく頼む。これを前から言いたかったんだけど、チャンスが無くてね。」

え?そんな展開?動揺する私。慌ててお礼を言うと、今度はビバリーがジョンに同調します。

「ジョン、その話を切り出してくれて有難う。私も同じ気持ちなの。」

おいおいなんなんだ?ふたりとも。気持ち悪いぞ。

「別の会議でもシンスケの話題になってね。皆にこう言ったの。Shinsuke has a very quiet demeanor, but he’s got nerves of steel.(シンスケってすごく静かな物腰だけど、鋼鉄の神経を持ってるのよ。)」

あれえ?なんだかものすごい勢いで褒められてるみたいだぞ。

「二人とも有難う。これで更にプレッシャーが増大したよ。」

と、ふざけながら切り返す私。

午後になって空港のオフィスに向かいながら、さっきのビバリーのセリフを思い返していました。なんなんだ?「鋼鉄の神経(nerves of steel)」って。図太いっていう意味か?だとすれば単純な褒め言葉じゃないかもしれないぞ。素直に喜び過ぎたかも。

オフィスに着いて、同僚の一人でシアトルから出張していたジョンに解釈を尋ねてみました。

「大丈夫。それは間違いなく褒め言葉だよ。」

「でもさ、神経が鉄で出来てるって言われたら、バカにされてるようにも感じるんだけど。たとえばどういう人のことを言うの?」

そうだな、と少し考えてから、彼がこう答えました。

「燃え盛るビルの中から助けを求める人に気が付いたら、迷いも無く飛び込めるような人だね。」

おお、それはスゴイ。強靭な精神力を備えた、勇敢な人のことですね。滅茶苦茶かっこいいじゃないか…。

帰宅して妻にそれを報告すると、

「日本人サラリーマンのすごさを見せつけてやったってわけね。」

確かに…。渡米するまで毎晩2時3時まで働いてタクシー帰りを繰り返していた彼女にとってみれば、今の私の働き方なんてちょろいもんです。実はちょっとだけ「心が折れそう」になっていた私。これでシャキッとしました。

2015年1月15日木曜日

Think of England イングランドのことを考えなさい

先日サンディエゴ支社の会議室で、環境部門のドンであるテリー、それに私の部下のシャノンと三人で会議をした際、プロジェクト予算におけるコンティンジェンシー・リザーブ(「かもしれない」予算)が話題に上りました。

これはまさかに備えて積んでおく予算ですが、最初から意識的に膨らませておき、プロジェクト終了間際にドーンと放出することも可能です。当初の約束より高い利益率を弾き出してハッピーエンドを演じる、というテクニックなのですが、これに目を光らせているのが財務部門。彼らは、毎月のように魔女狩りならぬ「コンティンジェンシー狩り」を敢行し、何故それだけの額が必要なのかをPMが明確に説明出来なければ、容赦なく没収して行きます。

財務部門にとっては、日夜プロジェクトを運営している社員よりもウォール街の方がはるかに大事。毎期の目標利益率を達成して株主の皆さんを満足させることが、彼らの何よりの喜びなのです。期末が近づき、いよいよ目標達成が困難になってくると、なりふり構わずコンティンジェンシー・リザーブを奪い取りにやって来ます。たとえ正当な理由と計算式を示しても、「株主利益の最大化」という錦の御旗の下、有無を言わさず根こそぎ持っていくことさえある。後になって本当に想定外の事態が起こった場合、当初用意していたコンティンジェンシー・リザーブがゼロになっているので、損失を計上する羽目になります。すると己の過去の蛮行など記憶から抹消したかのように、「なんで予算をオーバーしたんだ?」と食って掛かる。

「結局さ、我々PMの最大の敵は財務部門という構図になってるよね。」

と私。

「どっちにより大きな発言権があるかと言えば、やっぱり財務部門でしょ。最終的には彼らの好きなようにされるしかないんだから、抵抗しても無駄なのよ。」

とテリー。そこで彼女が思い出したようにくすっと笑い、私とシャノンに向かってこう尋ねました。

Think of Englandってフレーズ聞いたことある?」

私とシャノンは顔を見合わせて首を傾げます。二人とも初耳であることを告げると、

「セクハラ・トレーニングを受けたばっかりでこんな発言もどうかと思うけど…。」

と顔を赤らめながら説明してくれました。

“Close your eyes and think of England.”
「目を閉じてイングランドのことを考えなさい。」

というのがそのロングバージョンだそうで、どうやら夫婦の夜の営みに関する話らしい。テリーが照れながら早口で解説したためか、私には意味が分からず、帰宅してからネットで調べてみました。

これは、夜の行為に乗り気でない妻が、ベッドで夫を迎える際の心得なのだと。

イングランドには「緑豊かな土地」というイメージがあるようで、つまり「ちょっとの間、素敵なことを考えてやり過ごしなさい」という意味ですね。テリーはこのフレーズを使って、「目をつぶって財務部門の好きなようにさせるしかない」と言いたかったわけです。

この日のお昼に同僚ディックとランチを食べた時点では、イングランドを「飯のまずい退屈な場所」というイメージで捉えていた私。彼にこのフレーズの意味を尋ねたところ、

「いや、そんなの聞いたことないな。テリーはどういう文脈で使ってた?」

と首を傾げます。

「うん、財務部門の横暴エピソードには繋がらないんだけどさ、おそらく、少しでも長持ちさせようとする夫の努力を表現してるんじゃないかと思うんだよね。」

ま、完全に誤解してたわけです。

「なるほど。イングランドのことを考えたらそりゃ長持ちしそうだな。他にも色々方法はあるよ。自分のプロジェクトのことを考えるとかね。」

アイディアを列挙し始めるディック。私も調子に乗って、こう言いました。

Prime number (素数)を下から順番に数えてみるとかね。」

するとディックが、くすっと笑ってからこう返しました。

“That might be too effective.”
「そりゃ効果あり過ぎかも。」


2015年1月10日土曜日

Don’t bury your head in the sand! 恐ろしい現実から目を背けるな!

毎週水曜にはオフィスの近所までフードトラックがやって来るという話を聞いたので、さっそく同僚ディックと出かけてみました。細い裏通りの片側車線を通行止めにし、5台くらいのトラックが縦列駐車で営業しています。我々は暫く品定めした後、ニューオーリンズ風の能天気なデザインのトラックを選びました。プレイボーイ誌のグラビアから抜け出たみたいな金髪女性店員が、スリムな赤Tシャツ姿で頭上からサンドイッチを手渡してくれます。オフィスのビルに戻り、三階のオープンテラスに陣取って、お日様を浴びながらランチを楽しむ野郎二人。

新しいオフィスビルに移って約一か月。三支社が統合して一気に社員数が増えたこと、個室ゼロ、おまけに間仕切りが撤廃されてプライバシーが一切無くなったこと、私の席周辺は空調の調節が滅茶苦茶で、スキーヤーみたいな厳冬スタイルを余儀なくされていることなど、職場環境の劇的な変化の話題でひとしきり盛り上がりました。ディックの席は受付から目と鼻の先なので、社外から訪ねて来た人から丸見えです。居留守を使うことはほぼ不可能。これは大誤算だった、と。ディック。

「ま、そのうちこういうのにも慣れて行くんだよね。」

と私。

「そういうば昨日、チームリーダー会議があったんだ。そこでステイシーが、さり気無く爆弾発言をしたんだよ。」

顔を動かさずに、ちらりと隣のテーブルへ目配せするディック。当のステイシーが、ランチを終えて他の同僚達と談笑しています。

「三つの支社が統合した上、来週あたりには去年買収した会社の社員たちもごっそり移ってくる。従来のメンバーだけでチームリーダー会議を続けてて良いものなんだろうかってね。」

「うわぁ、それはどえらい爆弾をぶちこんだね。」

「そうなんだ。俺とあと二人くらいはその疑問に同調したんだけど、残りの大多数は全くの無反応だった。まるで彼女の発言は聞こえなかったとでも言うようにね。これにはイラッとしたよ。大きな変化の波が立て続けに押し寄せてるっていうのに、気付かぬふりをしてるんだよ。」

この時ディックが使ったフレーズが、これ。

“You are burying your head in the sand.”

直訳すれば、「頭を砂に埋めてるんだよ。」ですね。

ちょっと待った、と話を止める私。

「それ、どういう意味?なんで砂なの?」

あはは、と笑うディック。

「本当かどうかはともかく、語源はこうだと思うよ。ダチョウは敵が近づくと、恐怖のあまり顔を砂に埋めてしまうって。幼児が自分の顔を手で覆うのと一緒。自分から見えなければ相手も自分を見えないだろうって発想だね。」

「なるほど。要するに、恐ろしい現実から目を背けるばかりで何も対策を講じないって話だね。」

「その通り。」

「あ、それで思い出した。」

その日の朝一番、同僚ヘザーが訪ねて来たのです。彼女は先月の三支社統合まで、前の支社のオフィス・マネジャーを任されていたのですが、新オフィスではトレイシーにポジションを奪われ、マーケティング部門の見習いみたいな部署に回されたのだと言います。

「これまではずっとオフィス全体を仕切ってたじゃない。それがいきなりの格下げでしょ。打ちのめされたわよ。職があるだけましだって言いたいところだけど、正直かなりこたえたわ。」

彼女の得意部門は、オフィス環境を改善しつつ社員をサポートすることです。それが今度の仕事は、表の作成ばかり。ほとんど誰とも話すことなくコンピュータに向かいます。しかも、することが何も無い手持無沙汰の時間が長く、常に忙しく立ち回って来た彼女にとっては拷問です。しかも、このままではいつ失職するか分かったもんじゃない。過去三週間、鬱々と毎日を送っていたのだと。

「そこへ、シンスケがプロジェクト・コントロール・チームの増員を目論んで動いてるって聞いたの。私にやれることがあるかしら、と思って。」

完璧主義者ヘザーの仕事ぶりには、常々感心していた私。話し合いの結果、チームに加わってもらうことになりました。彼女は顔を輝かせ、何度もお礼を言います。いやいや、感謝したいのはこっちの方だよ、だって僕はここんところ、完全なオーバーワークで青息吐息なんだから。

Chef(シェフ)って映画観た?」

と私。いいえ、と首を振るヘザー。

この作品、私がここ数年鑑賞して来た映画の中では断トツの一位です。人気レストランのトップシェフの座を失ってどん底に陥った中年男が、離婚した妻による「内助の功」で、小さなフードトラックを始めます。同時に、疎遠になっていた10歳の息子との触れ合いも復活。マイアミからニューオーリンズ、オースティン、そしてロサンゼルスまでの道中、美味しい料理を作って人に味わってもらうシンプルな喜びが、抜け殻のようだった彼にじわじわとエネルギーを吹き込んで行きます。仕事に対する愛、友の支え、家族との絆をベースに、男の人生後半戦は大きな歓喜に包まれて行くのです。

「この映画を観てね、何かを失った時って実はチャンスの到来なのかもしれないなって思ったんだ。もしかしたら、君の人生にとっての素晴らしい転機が、今訪れているのかもしれないよ。」

目を潤ませて、大きく頷くヘザー。さっそく金曜の朝一時間半かけて、プロジェクト・セットアップの基本を教えます。懸命にメモを取りながら質問する彼女に、ちょうどロングビーチ支社のマークからセットアップを頼まれていた最新のプロジェクトを任せました。終業時間直前に仕上げてメールして来た彼女に、よく出来てるよ、と褒めた後、二、三の手直しをお願いします。返信は五時半を回っていたので、月曜に仕上げてくれることを期待しながら。

ところが翌土曜日の朝、「修正したわ。もう一回チェックしてくれる?」というメールが届きます。おお、休みなのに仕事してる!

強力なチーム・メンバーが、こうして一人加わったのでした。