2019年12月22日日曜日

Hazing ヘイジング


先日、我が家のランドスケープを手掛けた会社のメンテナンス部門から若い担当者のデイヴに来てもらい、おかしな方向に成長を始めてしまった木々の手入れなどについて相談に乗ってもらいました。

「あ、そうだ。直接関係無いかも知れないんだけど、これ教えてくれる?」

裏庭の広範囲を覆うマルチ(製材の際に出る細かな木片)があちこちで無残に掘り返されて土が露出していることがあり、これが何者の仕業で何のためにこんな狼藉を働くのか、と数週間前から首を捻っていたのです。

「野良猫かなと思うんだけど…。」

「いや、それは違うね。ネコならまず間違いなく糞がしてあるから。」

とデイヴが即答します。じゃ、なんだと思う?と私。カラスの可能性も残しつつ、彼が出した答えがこれ。

「十中八九、スカンクだね。」

「え?スカンクがこんな住宅地にいるの?」

アメリカに来てから、運転中に路上の轢死体として彼らを目にすることは多々ありました。発見の数十秒前から凄まじい悪臭でそれと分かるのですが、生きて動いている姿は一度も確認したことがありません。

「この辺には結構いるよ。土を掘り返して好物の昆虫を食べるんだ。」

「フェンスもあるってのに、どうやってうちの庭に入って来たのかな。」

そう言いながら、あちこちに隙間の空いている我が家のフェンスを思い出し、ガードが甘かったなと悔やみます。

「どうしても嫌なら、コヨーテの尿を買って敷地の外周に撒いておくという方法もあるけど。」

強い敵の存在を感じると近づかない、ということですね。

「でも奴等はそもそも臆病だから、人間の姿を感じただけでさっさと逃げるんだ。だからこっちから刺激さえしなきゃ大した実害は無いよ。」

とデイヴ。掘り返された場所にマルチを戻しておけばいい話だから、と。なるほどね、ととりあえず安心しつつも、そんな危ない奴がやすやすと侵入して我が物顔でうちの庭の土を掘り起こしているということ自体が気持ち悪く、これは何か手を打たなければな、と思うのでした。

さて今週、大学一年生の息子が冬休みに入り、コロラドから戻って来ました。彼を夕方空港で拾うと、その足で親友二コラとの待ち合わせ場所に落とします。世界の頂点を争うアメリカとセルビアの男子水球チームの試合が地元の私立高校で行われるというので、二人で潜り込んで観戦しようという計画。アリゾナのB大で水球部に入った二コラは一足先にサンディエゴへ戻っており、ジェラート屋でバイトしながらうちの息子の帰省を今か今かと待っていたのでした。

ひとり自宅へ戻ると、大食漢の息子のために挽肉カレーを用意して待っていた妻が、

「二コラの運転で帰って来るんでしょ。うちで一緒に晩御飯食べて行きたいんじゃないかしら?」

と提案。九時過ぎに家の前で息子を降ろして運転席から手を振る二コラを呼び止めると、

「もちろんご馳走になるよ!」

と家に上がります。それから夜中の十二時過ぎまで、若者二人の話は止まりませんでした。ベンチプレスをどれだけ上げられるかの筋肉自慢、受験生の見学会がある日にはカフェテリアのメニューの質が跳ね上がるという情報を入手し、チームで押しかけて食べまくる話。缶飲料の側面に穴を開け、真空状態を利用して一秒で飲み干す凄技、など。

中でも一番盛り上がったのが、フラタニティ(fraternity)というクラブの話題でした。これは北米特有の活動らしく、日本の大学でいう「サークル」とはちょっと趣が異なるようです。そもそもがラテン語の「兄弟」から来ているようで、知らぬ同士が「兄弟の契りを交わして」作る組織。入部した人は何をするの?という私の質問に、

「そりゃパーティに決まってるでしょ!」

と二コラ。そのフラット(フラタニティ―の略)に属していなければ、どんなに大金を積んでも門前払いの完全会員制パーティなのだ、と。

「可愛い女子は無料で参加出来るけど、男たちはまずそのフラットのメンバーになった上で会費も払わないといけないんだ。」

自分のようなアスリートはフラットに入る必要は無い、水球部のパーティに行けるからね、と二コラ。運動部にも入らず、フラットにも属さない学生はどうなるの?と私。

「そりゃ孤独な四年間を過ごすことになるね。」

そのうち息子と二コラの英会話に、耳慣れない単語がちょこちょこ出て来ました。

「ちょっと待って。ヘイジングって何?」

と妻が会話を止めます。息子が、うちの大学はヘイジング禁止なんだよ、と発言したのです。

Hazingっていうのは、新入生に強いる無茶な苦行のことだよ。」

フラタニティへの入部を志願して来た者に対し、短時間に大量のアルコールを飲ませるとか、タバスコを唇に塗るとか、重いブロックを頭に載せて何時間も片脚で立たせる、とか常識では考えられないレベルのシゴキをHazingと呼ぶようです。つまり、

Hazing
新人洗礼しごきの儀式

って感じでしょうか。

しごく側の上級生がその恍惚感から行為をエスカレートさせていくためか、毎年のようにあちこちの大学で死人が出ているヘイジング。禁止する動きが広まってはいるのですが、一向に無くなる気配がありません。二コラの大学は全米でも有数の「パーティースクール」で、犯罪すれすれの蛮行で有名なフラタニティもあるそうです。運動部に入ったお蔭でそんな狂乱にも巻き込まれず、健康的な大学生活を楽しめている、という二人。ほんとに良かったね、と我々夫婦は彼らの選択を喜ぶのでした。

翌日息子とこの話題を振り返っていた時、

「水泳部にHazingは無かったけど、そのかわり最初の数週間は滅茶苦茶きつかった。」

と彼に言われ、ハッとしました。

「コーチはわざと過酷な泳ぎ込みを課して、そこで音を上げるような選手は篩い落とすつもりだったと思うよ。」

歯を食いしばって厳しい試練を乗り越えた者同志に生まれる強い連帯感。これがあったからチームがひとつになれているのだ、と。最初の対外試合でスタート台に立った時、残りの部員全員で一斉に地鳴りのような声援を送ってくれた。それが本当に嬉しかった、と息子。

そうなんだ。社会問題になりながらもフラタニティのヘイジングがいつまでも無くならないのは、大衆がどこかでそのプロセスに価値を認めているからなんだ。強いチームを築くためにはメンバー同士の信頼関係が不可欠で、そのためには「この組織の一員になるための厳しいテストにパスした」ことを証明する何らかの合格通知が必要なのだ。一見無意味で理不尽に思える儀式でも、逃げずに立ち向かったことでお互いを認め合える。「誰でもどうぞ」と敷居を下げた組織なんかに、チーム意識が生まれるはずもないじゃないか…。

よく考えてみれば、私の率いるプロジェクトコントロール・チームでも、採用面接で候補者にかなりストレスフルな試練を与えています。面接に臨んだ者のほとんどが目の前でみるみる自滅して行き、意気消沈の態で去って行くほど過酷なチャレンジですが、これに打ち克った者だけが得られる強い自信と同志たちからの信頼感は、チームの結束力の源だと自負している私。

木曜の午後、部下のシャノンと新年度のゴールを決めるためのミーティングがあったのですが、終了後に彼女がこんな話をし始めました。

「ティファニーの向かいに座ってるB、知ってるでしょ。」

Bというのは、ひと月ほど前に採用された新人男性。小太りの黒縁メガネで表情が暗く、誰とも目を合わせない「オタク」な外見。給湯エリアで鉢合わせしても言葉を交わさず、まるでこちらが透明人間であるかのように真っ直ぐな動線で立ち去って行く。Procurement(調達)部門が採用した社員なので私が口を出す話じゃないのですが、一体どんな採用基準で雇ったんだろう?と首を傾げざるを得ないほどの根暗人間です。

「カンチーやテイラーの背後に静かに接近して、耳元で突然話しかけるんですって。二人とも飛び上がって驚いたって言ってたわ。」

「え?彼ってしゃべるんだ。」

声を聞いたことがほとんど無いので、他の社員に話しかけるということ自体が意外でした。

「それがね、上司の悪口や会社への不満ばかりらしいのよ。」

「なんだそれ?」

自分はボスから何のサポートも受けていない、仕事の仕方も教わっていない。毎日つまらない、と愚痴をこぼすらしいのです。

「それより何よりティファニーが困ってるのは、Bが一日に何度もオナラをすることなの。」

「え?オナラ?仕事中に?」

「そう、それが物凄く臭いんですって。」

言われて思い出したけど、彼と入れ違いでトイレに入った時、頭がクラクラするほどの猛烈な悪臭に思わず足を止めたことがありました。

後でテイラーからも裏を取ってみたのですが、

「セシリアに聞いたんだけど、他の候補者より良さそうだったから採用したらしいの。落ちた候補者がどんな人たちだったのか、逆に興味をそそられちゃったわよ。」

と笑います。面接中、彼の変人ぶりに気付かなかったのだとしたら、面接官側の資質もヤバい気がするぞ…。

「ほんとにキモイの。ふわっと現れて後ろから急に話しかけて来て、早く今の部署を辞めたい、なんてことををくどくどと喋るのよ。こないだなんか、俺、プロジェクトコントロール・チームに転属しようかな、なんて言ってたわ。」

「何だと?」

これにはさすがにカチンと来ました。チームの長である私に挨拶もせず目を合わせようともしないような奴が、軽々しく「プロジェクトコントロールやりたいな」などと口にしたことに、無性に腹が立って来たのです。うちの縄張りにこそこそ入って来て仕事の邪魔をしやがって。お前みたいな奴を、誰が仲間に入れてやるか!

何か合法的なヘイジングをお見舞いしてやりたいという悪魔の心が、ムクムクと頭をもたげて来るのでした。

2019年12月15日日曜日

The Signs 不思議なお告げ



金曜の昼休み、部下のカンチーに誘われてランチに行きました。この二ヶ月間同居していたイタリア人の彼氏(ミラノ出身)が週末に帰国するというので、その前に会わせたいと言うのです。二人エレベーターで降りて行ったところ、ビルの足元で待っていたのは、俳優ハビエル・バルデムの青年時代を思わせる野性的なマスクの若者。学生時代、旅行先のバルセロナで衝撃の出会いをしてから十年。遠距離での友達関係をずっと保っていたが、数年前それぞれが交際相手との関係を解消してから急速に距離が縮まった。休みの度にどちらかがお互いの国に会いに行くようになり、今回はいよいよ短期間の同棲をすることになったのだ、という説明。

リトルイタリーのテラス付きイタリアンNONNAで窓際の四人掛けテーブルに着き、さっそく会話をスタートします。同居していたカンチーの両親が東海岸へ引っ越したので、その空きスペースを利用して働きながら彼女との生活を楽しむことになったフランク。主にデジタル・アニメーションのデザインをしていて、YouTubeの大会では二年連続世界一になったといいます。

最初の出会いから、これは何か絶対的な力が二人を結び付けようとしているという実感があった、とカンチー。それでも当時は「こんな離れたところに住んで文化も習慣も違う二人が真剣に交際出来るわけがない」と自分に言い聞かせて、連絡先も交換せず帰国した。ところがその後も偶然の出来事が重なって、関係は継続した。

“We saw a lot of signs.”
「沢山サインを見たの。」

とカンチー。The signs というのは「信号」とか「標識」とかの他に、神様や何かの「お告げ」という意味があるので、彼女が言いたかったのはこういうことですね。

“We saw a lot of signs.”
「何度も不思議なお告げがあったのよ。」

そのうちテクノロジーが進化して頻繁に連絡が取れるようになってみると、ひょっとしてこのまま結婚もアリか?という雰囲気になって来た。そんな矢先、同居していた両親が引っ越しを決め一人暮らしがスタートすることになったので、この機会に同棲してみたいね、という話になった。しかしイタリア人が旅行者として長期間アメリカに滞在するとなると、さすがにビザだとか旅行費用とかで実現は難しい。

「そこで、またしても奇跡が起きたんだ。」

と目を輝かせるイケメンのフランク。彼のクライアントの一人が、十一月にサンディエゴまで出張して二ヶ月ほど滞在出来ないか、と藪から棒に言い出したのだと。このタイミング、しかもピンポイントでサンディエゴを指定して来るかね!と驚嘆した二人。

「何かのお告げを感じざるを得なかったよね。」

と顔を見合わせて微笑む若いカップル。

「更にオチがついてるんだけど」

とフランク。

「そのクライアント、僕が到着する直前に出張が決まってさ。結局他の土地から遠隔でミーティングすることになった。つまり、直接会えもしないのに僕のサンディエゴ出張費を払ってくれることになったんだよ。これってすごくない?」

信心深い方じゃないけど、さすがにここまで偶然の出来事が重なると、素直に「お告げ」に耳を傾けてみようという気にさせられるよ、と笑うフランク。

「お告げと言えばさ、ついさっきエレベーターでカンチーと喋ってた話があるんだ。」

と私。

二週間前、テキサス州ヒューストンへ出張しました。この三年間、世界の全支社で使用して来たプロジェクトマネジメント・ツールEをお払い箱にし、その前まで使っていたツールAを改訂復刻させることが決まったのですが、この大転換プロジェクトをリードするために北南米各地から60人の「チャンピオン」が選抜され、真っ先にトレーニングを受けることになったのです。で、環境部門の南カリフォルニア地区を代表して派遣されたのが私。三年前のツールE使用開始に際しては、「ニンジャ」に選抜されて各地を飛び回り、オーストラリア出張まで果たしました。会社が新ツールの導入にかなりの金と人手をかけたことを肌身で感じていた私としては、たった三年でお釈迦にするとはどういうことだ?という不信感が拭えません。しかもあの頃、ツールAは「時代の遺物」とこき下ろされてたじゃないか。今さら棚から出してホコリを払ったところで、使い物になるのか?それより何より私の嫌悪感を煽っていたのが、このプロジェクトの先頭に立っているのが、飛ぶ鳥を落とす勢いで出世し短期間にアメリカ地区COOの右腕にまで上り詰めた、自らを「再建請負人」と称するR氏だということでした。就任当時、私のチームがやっている仕事を「そんなもんはプロジェクトコントロールじゃない」と鼻で笑った許し難い仇敵。あの野郎、きっと私利私欲のために権謀術数の限りを尽くしたに違いない…。

そんな不審感一杯で臨んだ出張でした。

ヒューストン支社の大会議室に到着すると、端っこに座っていたR氏が目に留まります。私の姿に気付くと笑顔になって立ち上がり、他の出席者たちをかきわけて、巨大な腹を震わせながら近づいて来ます。そして懐かしそうに私の手を握り、

「シンスケ、久しぶり!元気だったか?」

とまるでハグでも求めて来そうな勢い。え?この人こんな感じだったっけ?居心地悪くなり、適当に挨拶を交わして出来るだけ離れた席を確保します。ところがその後、ホテルのエレベーターに乗る度、ドアが開くとR氏が立っている、という偶然が重なります。う~む。話したくないんだけどなあ。三日間のトレーニングが終わって去る時も、会議室の隅でヘッドフォンをして真剣な表情で電話会議に参加している様子だったので、ジェスチャーで「お先に失礼」と遠くから挨拶をしたら、さっさとヘッドフォンを外しずんずん歩いて来て、更に硬い握手。その数時間後、今度は空港の待合所で彼を発見します。おいおい、これだけ巨大な空港で、しかも別の街に飛ぶのに何でターミナルが一緒なんだよ…。気づかれないようにそっとそこを離れ、ベーグルショップでペットボトルの水を買おうとしていたところ、またしてもR氏がやって来ます。さすがに今度は無視できず、また会ったね、と笑顔で握手して別れます。やれやれ…。

さて今週の水木は、オレンジ支社でスーパーユーザーを集めての二日間のトレーニング。私を含めた三人のチャンピオンは、会議室に並べられた最後列の机の背後、壁際のテーブルに並んで座り、必要に応じてサポートする体制。ところが開始間もなく、またしてもR氏が登場します。本社のリーダーとしてトレーニングに同席するかもしれない、という発言は前の週にヒューストンで聞いていました。予告通り現れた彼、あろうことか私の左隣に座席を確保。うわ、なんでだよ…。どんなに距離を保とうとしても、その努力をあざ笑うかのように二人を近づけようとする、何か不思議な力が働いている…。

初日の晩、地元のBBQレストランLucille’sでチームディナーが開催されました。駐車場からレストランへ向かう道を間違え、遅れ気味に到着した私。既にほとんどのメンバーが着席している大テーブルに案内されてみると、空いていた席はR氏の斜向かいのみ。またかよ、なんでだよ…。絶対宇宙のフォースが僕の背中を押しているに違いない。どうしても奴と話をしろというんだな?よし、もうこうなったらやるしかない。腹を決めた私は、彼としっかり目を合わせて会話することにしました。

「今回の顛末について色々聞きたいんだけど、いい?」

この後R氏が語ってくれた内容は、驚愕の連続でした。彼の言葉をまるまる信じるとすれば、今回の事件は至極納得の行く展開。そもそも前回のツール変更に彼は猛反対し、三ページに渡る上申書まで提出したのだそうです。

「どう考えてもうまく行くわけが無かったんだ。それでも当時のナンバー2は、頑として退かなかった。何故かCEOは彼を信頼してたからね、鵜呑みにしたんだな。」

その後起こった様々なトラブルは、最初から警告を発していた人間からしてみれば「そりゃそうだろ」と首を振るしかないほど予測可能なもので、愚かな意思決定をただただ恨むしかなかった。その張本人が会社を去った今、残されたのは「いつ見切りをつけるか」という問題だけだった…。R氏の口から、「そこまで赤裸々に語っちゃっていいの?」と戸惑うくらい際どいエピソードが次々に飛び出します。まるで居酒屋の隅っこで古い仲間に苦労話を暴露するかのように。この人、こっちが接触を避けて来たことなど露知らず、胸襟をぱっくり開き切っている…。

急に、これまでの自分の狭量さが恥ずかしくなって来ました。この二週間、何度も現れた不思議な「お告げ」は、私にこのことを教えようとしていたのかもしれない。そう思うのでした。相手が誰であれ、人を無闇に疎むなかれ、と。

トレーニング最終日の終盤、突然R氏が身を乗り出し、私の左耳に口を近づけます。そして左手で隠しながら何かごちょごちょ言い始めました。

「え?なんて言ったの?」

と聞き返すと、更に口を私の耳に近づけてこう言ったのでした。

「トレーニングのスタート時にさ、休憩時間以外はメールチェックとかしないようにって注意しといた方がいいよね。」

彼の視線の先に目をやると、最後列で講義を聞いていた女性社員のイヴォンヌが、ラップトップの画面にメールを開いていたのでした。ちゃんとトレーニングに集中しろよ、とイラついたものの直接指摘するまでの勇気は無かったのですね。

「そうだね。ほんとだね。」

と答える私。R氏はゆっくり身体を離しながら、私の目を見つめてちょっと口をすぼめつつ、小さく何度も頷くのでした。まるで私の表情から同意を読み取ろうとするかのように。

「ちゃんとお告げを聞き入れたおかげでそこまで親密な関係になれたのよ、きっと。」

とカンチー。自分達も素直にお告げに従って来たから、今こうして一緒にいられるのよね、とフランクと見つめ合います。ミラノとサンディエゴというとんでもない距離を隔て、十年間も絆を深めて来た二人。常識に囚われていたら、とっくの昔に関係を解消していたことでしょう。この先も無事障害を乗り越えて一緒に暮らせるようになるといいね、と願う私でした。

「でもさ、」

と心の中で呟く私。若い二人がゲットした甘い同棲生活に対して、今回僕の得たものが「左耳にかかるR氏の生暖かい吐息の記憶」というのは、なんか納得いかないんだよね。