先日、我が家のランドスケープを手掛けた会社のメンテナンス部門から若い担当者のデイヴに来てもらい、おかしな方向に成長を始めてしまった木々の手入れなどについて相談に乗ってもらいました。
「あ、そうだ。直接関係無いかも知れないんだけど、これ教えてくれる?」
裏庭の広範囲を覆うマルチ(製材の際に出る細かな木片)があちこちで無残に掘り返されて土が露出していることがあり、これが何者の仕業で何のためにこんな狼藉を働くのか、と数週間前から首を捻っていたのです。
「野良猫かなと思うんだけど…。」
「いや、それは違うね。ネコならまず間違いなく糞がしてあるから。」
とデイヴが即答します。じゃ、なんだと思う?と私。カラスの可能性も残しつつ、彼が出した答えがこれ。
「十中八九、スカンクだね。」
「え?スカンクがこんな住宅地にいるの?」
アメリカに来てから、運転中に路上の轢死体として彼らを目にすることは多々ありました。発見の数十秒前から凄まじい悪臭でそれと分かるのですが、生きて動いている姿は一度も確認したことがありません。
「この辺には結構いるよ。土を掘り返して好物の昆虫を食べるんだ。」
「フェンスもあるってのに、どうやってうちの庭に入って来たのかな。」
そう言いながら、あちこちに隙間の空いている我が家のフェンスを思い出し、ガードが甘かったなと悔やみます。
「どうしても嫌なら、コヨーテの尿を買って敷地の外周に撒いておくという方法もあるけど。」
強い敵の存在を感じると近づかない、ということですね。
「でも奴等はそもそも臆病だから、人間の姿を感じただけでさっさと逃げるんだ。だからこっちから刺激さえしなきゃ大した実害は無いよ。」
とデイヴ。掘り返された場所にマルチを戻しておけばいい話だから、と。なるほどね、ととりあえず安心しつつも、そんな危ない奴がやすやすと侵入して我が物顔でうちの庭の土を掘り起こしているということ自体が気持ち悪く、これは何か手を打たなければな、と思うのでした。
さて今週、大学一年生の息子が冬休みに入り、コロラドから戻って来ました。彼を夕方空港で拾うと、その足で親友二コラとの待ち合わせ場所に落とします。世界の頂点を争うアメリカとセルビアの男子水球チームの試合が地元の私立高校で行われるというので、二人で潜り込んで観戦しようという計画。アリゾナのB大で水球部に入った二コラは一足先にサンディエゴへ戻っており、ジェラート屋でバイトしながらうちの息子の帰省を今か今かと待っていたのでした。
ひとり自宅へ戻ると、大食漢の息子のために挽肉カレーを用意して待っていた妻が、
「二コラの運転で帰って来るんでしょ。うちで一緒に晩御飯食べて行きたいんじゃないかしら?」
と提案。九時過ぎに家の前で息子を降ろして運転席から手を振る二コラを呼び止めると、
「もちろんご馳走になるよ!」
と家に上がります。それから夜中の十二時過ぎまで、若者二人の話は止まりませんでした。ベンチプレスをどれだけ上げられるかの筋肉自慢、受験生の見学会がある日にはカフェテリアのメニューの質が跳ね上がるという情報を入手し、チームで押しかけて食べまくる話。缶飲料の側面に穴を開け、真空状態を利用して一秒で飲み干す凄技、など。
中でも一番盛り上がったのが、フラタニティ(fraternity)というクラブの話題でした。これは北米特有の活動らしく、日本の大学でいう「サークル」とはちょっと趣が異なるようです。そもそもがラテン語の「兄弟」から来ているようで、知らぬ同士が「兄弟の契りを交わして」作る組織。入部した人は何をするの?という私の質問に、
「そりゃパーティに決まってるでしょ!」
と二コラ。そのフラット(フラタニティ―の略)に属していなければ、どんなに大金を積んでも門前払いの完全会員制パーティなのだ、と。
「可愛い女子は無料で参加出来るけど、男たちはまずそのフラットのメンバーになった上で会費も払わないといけないんだ。」
自分のようなアスリートはフラットに入る必要は無い、水球部のパーティに行けるからね、と二コラ。運動部にも入らず、フラットにも属さない学生はどうなるの?と私。
「そりゃ孤独な四年間を過ごすことになるね。」
そのうち息子と二コラの英会話に、耳慣れない単語がちょこちょこ出て来ました。
「ちょっと待って。ヘイジングって何?」
と妻が会話を止めます。息子が、うちの大学はヘイジング禁止なんだよ、と発言したのです。
「Hazingっていうのは、新入生に強いる無茶な苦行のことだよ。」
フラタニティへの入部を志願して来た者に対し、短時間に大量のアルコールを飲ませるとか、タバスコを唇に塗るとか、重いブロックを頭に載せて何時間も片脚で立たせる、とか常識では考えられないレベルのシゴキをHazingと呼ぶようです。つまり、
Hazing
新人洗礼しごきの儀式
って感じでしょうか。
しごく側の上級生がその恍惚感から行為をエスカレートさせていくためか、毎年のようにあちこちの大学で死人が出ているヘイジング。禁止する動きが広まってはいるのですが、一向に無くなる気配がありません。二コラの大学は全米でも有数の「パーティースクール」で、犯罪すれすれの蛮行で有名なフラタニティもあるそうです。運動部に入ったお蔭でそんな狂乱にも巻き込まれず、健康的な大学生活を楽しめている、という二人。ほんとに良かったね、と我々夫婦は彼らの選択を喜ぶのでした。
翌日息子とこの話題を振り返っていた時、
「水泳部にHazingは無かったけど、そのかわり最初の数週間は滅茶苦茶きつかった。」
と彼に言われ、ハッとしました。
「コーチはわざと過酷な泳ぎ込みを課して、そこで音を上げるような選手は篩い落とすつもりだったと思うよ。」
歯を食いしばって厳しい試練を乗り越えた者同志に生まれる強い連帯感。これがあったからチームがひとつになれているのだ、と。最初の対外試合でスタート台に立った時、残りの部員全員で一斉に地鳴りのような声援を送ってくれた。それが本当に嬉しかった、と息子。
そうなんだ。社会問題になりながらもフラタニティのヘイジングがいつまでも無くならないのは、大衆がどこかでそのプロセスに価値を認めているからなんだ。強いチームを築くためにはメンバー同士の信頼関係が不可欠で、そのためには「この組織の一員になるための厳しいテストにパスした」ことを証明する何らかの合格通知が必要なのだ。一見無意味で理不尽に思える儀式でも、逃げずに立ち向かったことでお互いを認め合える。「誰でもどうぞ」と敷居を下げた組織なんかに、チーム意識が生まれるはずもないじゃないか…。
よく考えてみれば、私の率いるプロジェクトコントロール・チームでも、採用面接で候補者にかなりストレスフルな試練を与えています。面接に臨んだ者のほとんどが目の前でみるみる自滅して行き、意気消沈の態で去って行くほど過酷なチャレンジですが、これに打ち克った者だけが得られる強い自信と同志たちからの信頼感は、チームの結束力の源だと自負している私。
木曜の午後、部下のシャノンと新年度のゴールを決めるためのミーティングがあったのですが、終了後に彼女がこんな話をし始めました。
「ティファニーの向かいに座ってるB、知ってるでしょ。」
Bというのは、ひと月ほど前に採用された新人男性。小太りの黒縁メガネで表情が暗く、誰とも目を合わせない「オタク」な外見。給湯エリアで鉢合わせしても言葉を交わさず、まるでこちらが透明人間であるかのように真っ直ぐな動線で立ち去って行く。Procurement(調達)部門が採用した社員なので私が口を出す話じゃないのですが、一体どんな採用基準で雇ったんだろう?と首を傾げざるを得ないほどの根暗人間です。
「カンチーやテイラーの背後に静かに接近して、耳元で突然話しかけるんですって。二人とも飛び上がって驚いたって言ってたわ。」
「え?彼ってしゃべるんだ。」
声を聞いたことがほとんど無いので、他の社員に話しかけるということ自体が意外でした。
「それがね、上司の悪口や会社への不満ばかりらしいのよ。」
「なんだそれ?」
自分はボスから何のサポートも受けていない、仕事の仕方も教わっていない。毎日つまらない、と愚痴をこぼすらしいのです。
「それより何よりティファニーが困ってるのは、Bが一日に何度もオナラをすることなの。」
「え?オナラ?仕事中に?」
「そう、それが物凄く臭いんですって。」
言われて思い出したけど、彼と入れ違いでトイレに入った時、頭がクラクラするほどの猛烈な悪臭に思わず足を止めたことがありました。
後でテイラーからも裏を取ってみたのですが、
「セシリアに聞いたんだけど、他の候補者より良さそうだったから採用したらしいの。落ちた候補者がどんな人たちだったのか、逆に興味をそそられちゃったわよ。」
と笑います。面接中、彼の変人ぶりに気付かなかったのだとしたら、面接官側の資質もヤバい気がするぞ…。
「ほんとにキモイの。ふわっと現れて後ろから急に話しかけて来て、早く今の部署を辞めたい、なんてことををくどくどと喋るのよ。こないだなんか、俺、プロジェクトコントロール・チームに転属しようかな、なんて言ってたわ。」
「何だと?」
これにはさすがにカチンと来ました。チームの長である私に挨拶もせず目を合わせようともしないような奴が、軽々しく「プロジェクトコントロールやりたいな」などと口にしたことに、無性に腹が立って来たのです。うちの縄張りにこそこそ入って来て仕事の邪魔をしやがって。お前みたいな奴を、誰が仲間に入れてやるか!
何か合法的なヘイジングをお見舞いしてやりたいという悪魔の心が、ムクムクと頭をもたげて来るのでした。