木曜の12時は、ランチ・デリバリー付きのチーム・リーダー会議でした。数か月前に部門長へ昇格したセシリアが司会進行する隔週ミーティング。サンディエゴ支社環境部門のマネジャーが集まって情報交換をするのが主目的です。この会議に参加するたび、うちの職場の女性優位を意識させられる私。この日もセシリアの他、クリスティー、ヴァレリー、リンジー、そして特別参加のテリー(セシリアの前任)、と女性ばかり。いつもはここにジャクリンとヤラ(もちろん女性)も加わるのですが、この日は欠席。しかしそれでも圧倒的なアウェー感に変わりありません。
「みんな、サーベイ・レポート持って来た?」
とセシリア。最近、会社が去年行った社員意識調査(Engagement
Survey)の結果が出て、チームごとのレポートが作成されていたのです。これを持ち寄って皆で意見交換をしましょう、と呼びかけていた彼女。壁の大型スクリーンに自分のレポートを映し出し、ディスカッションをスタートするセシリアですが、私はちょっと居心地の悪い思いでいました。
調査結果は八項目に分かれていて、それぞれ五点満点での点数が記されています。画面に表れているレポートは、セシリアを上司に持つ(私を含めた)社員の出した答えの集計結果なのです。直接的ではないにしろ、彼女に対する部下からの評価が色濃く反映されているはず。それをあからさまにさらけ出すなんて、随分な度胸だなあ…。
「みんな、一番点数の高かった項目と最低点だった項目を教えて。」
ヴァレリーが自分のチームの調査結果を述べ、私の順番が来たので正直に報告します。
「ええと、第五問のMy teammates
have my back(チームメンバーが常にサポートしてくれている)と第八問のIn my work I am always challenged to grow(業務は常にチャレンジングで私を成長させてくれている)が最高点で…。」
すると横でサラダを食べながら話を聞いていた元ボスのテリーが、私の手元のプリントを躊躇なく覗き込み、感嘆の声を上げました。
「あら、その二つとも満点じゃない。しかも他に二問、4.75ってほぼ満点なのもあるわ。すごいじゃない!」
そう、どうやら私のチームの調査結果は、他と比較して断トツの高得点だったのですね。
「素晴らしいわ。シンスケのチームは本当にまとまってるし士気も高いわよね。」
と手放しで褒めるセシリア。う~む、これはこれで決まりが悪いぞ。
議題が変わり、今度は「社員トレーニングをどうやって全員に受けさせるか」というテーマになりました。我が社では、「安全行動トレーニング」や「セクハラ対策トレーニング」など、全社員が必ず受けなければならないオンライン・トレーニングがあるのです。期限までに終わらせない社員が毎年必ずいて、これがマネジメントにとって頭痛の種になっています。
「ちょっとしたアイディアなんだけどさ、チームで競わせるっていうのはどう?」
と私。皆忙しいので、この種のトレーニングはなかなか優先順位の上位に入って来ません。個人に委ねていると、どうしても後回しになってしまう。ならばメンバー全員が終了した時点でそのチームはゴールイン、というルールを作って社内で競争すればいいんじゃないか、という提案でした。チームの結束を強めることにもなるしね、と。
その時突然テリーが大声を上げて笑い、こう言ったのです。
“Wow, Shinsuke is throwing down!”
「あらあら、シンスケがthrow downしてるわよ!」
他の女性たちも、つられたように一斉に笑い出します。ほんの一瞬怯んだ私ですが、すぐにあっはっはと笑いに加わるのでした。
ミーティング後、さっそく物知りの同僚ジョナサンを訪ねます。二つのモニターとラップトップの画面を駆使し、データ分析に集中している様子。私の気配に気付き、にこやかに振り返ります。
「あのさ、今ちょっといい?会議でテリーにShinsuke is
throwing downって言われたんだけど、どういう意味か教えてくれる?」
実はこの時、久しぶりに若干ローになっていた私でした。Throw Downを字義通り「投げおろす」と解釈したため、テリーのコメントは全くの意味不明でした。シンスケが投げおろしてるわよってどういうことだ?と。それなのについ調子を合わせて笑ってしまった私。新しい英語表現が理解出来ない場合は落ち着いてやり過ごすか、間髪入れず「え?どういう意味?」と尋ねようとずっと心に決めていたのに、大勢で笑う女性陣のプレッシャーに耐えきれず、ごまかし笑いをしてしまったのです。つまり、敵前逃亡をしたわけですね。くそっ、なんて情けない…。胃の辺りに、いや~な気分が拡がります。
「Throwing up じゃなくて?」
すかさず茶化すジョナサン。
「いや、そっちの表現は知ってるよ。」
と私。Throw up は「(げろ)を吐く」ですね。
「文脈から判断するに、それはThrow down
the gauntlet の短縮形だね。」
とジョナサン。
「え?gauntlet(ゴーントレット)ってあの、running the gauntletでおなじみの?」
「いや、それはまた別の慣用表現なんだ。gauntletってのは甲冑の手袋部分のことだよ。」
「あ、そうなの?じゃあThrow down
the gauntletっていうのは?」
「ほら中世でさ、決闘を申し込む時に手袋を地面に叩きつける風習があったろ。だからthrow down the gauntletで、闘いを挑むっていう意味になるんだ。後半は言うまでもないからって省略しちゃう人が多いね。」
つまりテリーは私の提案を受け、「シンスケが自分の超強力チームを率いて他チームを打倒しようとしてる」とからかったのですね。
“Wow, Shinsuke is throwing down!”
「あらあら、シンスケが戦いを挑んでるわよ!」
毎度のことですが、throw やdownみたいなごくごく基礎的な単語でも、結合させるやいなやとんでもない破壊力を発揮する今回のようなケースに出くわす度、英語学習の道のりの長さに愕然としてしまう私です。それにしてもジョナサンは、いつ何時どんな挑戦でも受けてくれるなあ、と感謝の気持ちを新たにしました。
「いつもいつも仕事中に悪いね。おかげですごく勉強になってるよ。有難う。」
彼の席を後にする私。するとその背中を追いかけるように、彼がこう言ったのです。
“I enjoy our jousting matches.“
「こっちもジャウスティングの闘いを楽しませてもらってるよ。」
はたと足を止め、くるりと振り返る私。
「え?今なんて?」
「ジャウスティング、知らない?」
とジョナサン。
「ほら、甲冑を身にまとった男たちが槍を持って馬に乗り、両側から走って来て一騎討ちっていう中世の競技があるでしょ。」
「あ、それ見たことある!ジャウスティングって呼ぶのか。知らなかった。有難う。」
予測不能な質問を抱えて突き進んで来る私を敵対する騎士と見なし、「丁寧で簡潔な回答」という槍で突き返す自分を馬上の戦士に見立てたわけですね。私の質問した英語表現が中世に起源を持つものだったことから、さっそく「中世繋がり」の言い回しでコメントを加えるという、どこまでも心憎い機転の利かせぶり。
まいりました。完敗です。