2019年6月30日日曜日

Boyhood ボーイフッド


金曜の午後六時過ぎ。息子の級友二コラがその両親クセニアとデジャンに伴われ、我が家を訪問しました。

「え?ゲスト、俺んちだけなの?」

お祝い品の入った手提げ袋を息子に渡しながら、小声で尋ねる二コラ。床屋に行って来たばかりらしく、栗色の髪が丁寧に七三分けされています。

「うん、ひと家族だけだよ。」

と息子。そう、この日は若者たちの門出を祝うホームパーティーだったのです。先週土曜日には彼等の高校の卒業式があり、大学スタートまで約一カ月半の夏休みに突入したところ。妻は前の晩から、掃除や料理にかかりきりでした。紅茶ブタのサラダ、生タマネギのピリリと効いた特製ポテトサラダ、豚ひき肉とインゲンのカレー風味炒め、そしてデザートの自家製バームクーヘン。このバームクーヘンは極めて手のかかるオーブン料理で、夜中までかかってコツコツ焼いていた彼女。反復プロセスと作業中身体に浴びる熱量の多さゆえ、オリンピックと同じような頻度でしか取り掛かる気になれないという大仕事ですが、このパーティーは彼女にとって、それほどの意気込みを持って臨むべきイベントだったのです。

実はこの日の朝、一ヶ月に及んだ我が家のランドスケープ工事が完成し、造園会社のPMマイクが最終確認のためにやって来ました。ドリップ式スプリンクラーや夜間照明のタイマーセットなどについて、丁寧に説明します。「なんとかホームパーティまでに間に合わせたい」という妻の願いを叶えるべく数々の障害を乗り越え、無事プロジェクトを期日通り完了させてくれたマイク。フロントヤードには小ぶりなオリーブの樹が植わり、バックヤードにはコンクリートと青い玉砂利のパティオ、ファイヤーピットを囲む広場、そして丈の低いオレンジやグレープフルーツの並ぶミニ果樹園へと続きます。一面に生い茂る雑草群の先に落ち武者が棲みついていそうなボロ倉庫の佇む醜い庭が、遂に美しく生まれ変わったのです。パティオには、ライトグレーのラグの上にエスプレッソと抹茶色のベンチと椅子セット。そこへグレーのカンチレバー式パラソルが影を落としています。あとは、フェデックスの配送車で向かっているという円形ファイヤーピットの到着を待つのみになりました。

「ところで二コラ、君の夏休みのスケジュールを教えてよ。」

乾杯の後、さっそく話題を振る私。

「さて、ちゃんと正確に説明出来るかしらね。」

試験監督のように横目で意地悪な視線を送る、母親のクセニア。この挑発に奮い立ったのか微かに顎を突き出し、顔をほんのり紅潮させて語り始める二コラ。

「今度の日曜に出発して、まずはイギリスに飛ぶんだ。ロンドンで三日くらい過ごして、それからドイツに渡って…。」

親戚や友達の家を渡り歩き、一ヶ月半かけてヨーロッパ十か国以上を一人で旅するという二コラ。大人びた話し方ゆえすんなり受け入れたものの、よく考えればまだ弱冠18歳。大した度胸です。心配だけど「可愛い子には…」という、ご両親の思い切った決断にも感心しきりでした。一方、ほぼ一歳下の我が家の息子は、二コラに尻を叩かれる形でようやく最近バイトを始め、ラーメン屋で皿洗いをしています。キツい割りには時給が安すぎるよとボヤく彼に、

「働くというのはそういうもんだ。世の中の仕事は等しく厳しいんだよ。大体君は、これといってスキルも経験も無い。そんな人間に、誰が高い給料を払う?」

などと、したり顔で説く二コラ。まるで歳の離れた兄貴の貫禄です。

夜9時近くなり、メインの一部として私が料理したカルボナーラを皆が食べ終わった頃、二コラと息子に相談を持ちかける私。

「ところで給料は出せないんだけど、若い諸君にひとつ仕事を頼めないかな?」

え?何?と反応する二人。

「実は今、玄関開けたらフロントポーチにファイヤーピットと見られる段ボール箱があったんだ。今からセットアップしてもらえたら皆で今晩使えるんだけど…。」

「え?届いたの?良かった、間に合ったのね!」

と安堵する妻。二人の若者たちは同時に勢いよく椅子から飛びあがり、先を争うように外へ出て巨大な箱をパティオへ運び入れ、スマホのライトで説明書を照らしつつテキパキと荷解きを開始しました。ダイニングルームに残った我々親たちは、フレンチドアの窓越しに暗がりで働く若者たちの姿を眺めながら、そもそもなんであの二人は仲良しなのかな、と話し合いました。

「幼稚園で一緒だった頃、ほぼ一歳上の二コラは背も大きくてお兄ちゃんぽくて、親しくなるなんて想像も出来なかったわ。高校に編入して来た時だって、あまりにも性格が違ったから、まさかここまで近い存在になるとは考えもしなかった。」

と妻。

「極端に社交的な二コラとやや内向的なおたくの息子さんは、complement each other (お互いに補い合う関係)なんだと思うよ。人間って、似た性格だから上手く行くってわけでもないからね。」

とデジャン。

「二コラに出会ったお蔭でうちの子、随分人生が変わったのよ。こんなに一生懸命水球やってるのだって彼の影響だし。大学に行っても、二コラみたいな友達が出来るといいんだけど…。」

と言う妻に、

「そんな嬉しくなること言わないでよ。」

と、目を潤ませるクセニア。それからひとしきり、子供たちの成長ぶりやその将来について語り合いました。我々世代と今の親子関係の違いに話題が至った時は、私とデジャンが激しく共鳴しました。息子にとって父親という存在は、断じて友達の延長じゃなかった。子供は常に指導の対象であり、仲良く腹を割って話すという甘い関係は築き得なかった。父親というのは、とにかくおっかない存在だった。生意気な口をきくなんて有り得なかった。何を偉そうなことを、と腹の立つこともあるけど、どっちかと言えば現代の親子関係の方がいいよね、と。

「出来たよ!」

若者たちがファイヤーピットのセットアップ完了を告げに戻って来た時、「私達はそろそろ…」とクセニアとデジャンが帰り支度を始めたため、慌てて引き止めます。孫の卒業式に出席するためわざわざセルビアから来ていたクセニアのお母さんが明日の便で帰るので、荷造りを手伝わないといけない、と言うのです。

「デザートのバームクーヘン、まだ出してないから!」

彼等の持って来たチョコレートケーキも冷蔵庫にしまったままだったのです。急いでエスプレッソを淹れてパティオで食べましょう、という話になり、妻がバームクーヘンを切り分けます。こんなケーキ初めてよ、というクセニアに、作り方を説明する妻。長時間オーブンの前で待ち構えて何度も出し入れしながら、少しずつ少しずつ塗りを重ねて行く作業について解説し、

「何層出来てるかが、愛情の量を表すのよ。」

と笑います。ナイフを入れてその断面を指さしながら数えた後、

「あら、たった十層。これしか塗らなかったかしら?」

と困惑する妻に二コラがすかさず、

「十点満点中の十点ってことでしょ。だったら最高じゃん。」

と絶妙なフォローをします。

ケーキを堪能し記念写真を撮った後、泊まっていくという二コラを残し、「子供たちが大学へ行っても時々会おうね」と約束してクセニアとデジャンが去りました。残った四人はファイヤーピットの周りに集めた椅子に座り、揺れる炎で下から照らされた顔を見合わせながら話します。

今も記憶に残る水球名勝負の数々、うちの息子にいつまでたってもガールフレンドが出来ない件、ベンチュラビーチからサンディエゴまで四日かけて自転車で走った課外活動の思い出、そして大学進学の話。名門UCバークレーに受かった時は涙が出た、と二コラ。

「コンピュータ画面に紙吹雪付きの合格通知が現れて、暫く呆然としちゃった。そばでビデオゲームしてた弟に、おいバークレーに受かったぞって言ったら、ハイハイそうですか良かったねって全く本気にしてくれなくってさ。」

それでも色々悩んだ末、特別待遇で迎えてくれるというアリゾナのB大へ進学することを決めた二コラ。うちの息子も彼と一緒にB大へ行くという選択肢をギリギリまで温存していたのですが、結局コロラドのC大への進学を決めたのです。

「ほんと、二人で一緒に行けたら良かったのにな。一年間C大に通ってうまく行かなかったら、B大に編入して来いよ。それでまた一緒に水球やろうぜ!」          

と、炎でオレンジ色の陰影がついた顔で笑う二コラ。

翌朝、友達とのウォーキングを約束していた妻は早めに家を出ます。私は8時半近くまで待って、息子を起こしに行きました。リビングのちゃぶ台に残された食器の湿り具合から判断してかなりの夜更かしをしたに違いなく、ベッドの中の息子も、そして床に敷いた空気ベッドに寝ている二コラも、泥のように眠っています。

「ほら起きなさい。今日はちゃんと行くって約束だろ。」

この日は土曜日で、息子が12年間ほぼ毎週通った日本語補習校の最終日だったのです。他の学年は三月まで授業があるのですが、高校三年生は現地校を6月に卒業するため、それに合わせる形で修了となるのです。

「朝礼には遅れないで行きなさい。寝不足なのは分かるししんどいだろうけど、最後くらいはきちんとしなきゃ。」

耳慣れない日本語の会話が気になったのか二コラも目を覚まし、ゆっくりして行きなよと止める私に「おばあちゃんの見送りもあるから」と、身支度を始めます。そしてさっさと歯磨きを終えると、キッチンの簡易テーブルで納豆ご飯をかき込み始めていた息子のところへ行き、

「じゃあな。また会おう。元気でな!」

と握手の手を差し出します。それからなんと私の目の前で、十ステップくらいあるシークレット・ハンドシェイクが展開したのです。え?こんな複雑なの初めて見たぞ。長いお別れ用の正式なヤツなのかな…。

それから二コラは自分の車で走り去り、朝食を終えた息子も妻の用意した弁当を携え、私の車を運転して日本語補習校へと向かいました。私はひとり、がらんとしたキッチンで洗い物を済ませた後コーヒーを淹れ、パティオへ出ます。遠く西の海岸からやってくる風は僅かな湿り気と冷気を含み、コンクリート上で生ぬるく淀んでいた空気を軽快に蹴散らして行きます。私はパラソルの下で陰になった長椅子の端に腰かけ、二軒先の家の庭にそびえ立つ巨大な二本の椰子の樹と青空とのコントラストを長いこと楽しんでいました。近隣の木々から届く何百という鳥のさえずりと、遥か彼方を飛んでいるのであろう姿の見えない飛行機の長く微かな低音が重なって、まるで睡眠誘導BGMのように私をうたた寝へと誘います。

そこへウォーキングから戻った妻が、「ハーゲンダッツ買って来たよ。」と合流します。パティオの長椅子に並んで腰かけ、小鉢に盛ったバニラアイスをスプーンで口に運びます。ぼんやりと空を眺めた後、

「終わったね。」

と妻。

「お疲れ様。」

と私。

「なんだか眠くなって来ちゃった。ここで寝ていい?」

背もたれ用のクッションを枕に、両膝を抱えるようにして右を下にした妻は、十秒もしないうちに深い眠りに落ちていました。日差しが徐々に強くなる中、風が頭上のパラソルを揺らし、妻の身体に落ちた濃い影もふわふわと揺れ動くのでした。


2019年6月1日土曜日

Be observant 周囲の観察を怠るな


木曜日のチームリーダー会議で同僚ヴァレリーが、部下たちの挙動に注意を払うことの重要さについて話しました。口で何を言っているかよりも、その時どんな表情をしているか、そして何気なく見せるちょっとした仕草などに目を配っておけば、危険信号を早めに察知出来るものだ、と。

「子供の頃から、うちのおばあちゃんによく言われてたのよ。」

 “Be observant.”

動詞のObserveが「観察する」で、Observantは「観察が鋭い」という形容詞。Be observant は、「周囲の観察を怠るな」という意味ですね。

「一緒に歩いてる時、さっき花壇を通り過ぎたけど何色の花が何本植わってた?なんて聞いて来るのよ。こっちはただぼんやり、お花があったな、くらいの記憶しか無いじゃない。もちろん色も数も、全然覚えてないわよ。そしたらおばあちゃん、常に周囲をしっかり観察する癖をつけておきなさいっていつものお説教を始めるの。」

ヴァレリーはサンディエゴ支社のコミュニケーション担当をボランティアでやっていて、本社の誰々がいつうちのオフィスを訪問する予定だ、とか近隣で午後遅くデモがあるから帰りの時間はそこを避けた方がいい、とか大雨が降りそうだから高速道路の運転に気を付けて、などというちょっとしたニュースや注意勧告を一斉メールで支社全体に流してくれています。おばあちゃんに鍛えられた「捨て目」で常に世界を観察しているからこその、ハマり役なのですね。

数か月前、上階から降りて来た彼女が廊下を急ぎ足で通り過ぎる私を見て、膝下しか見えない角度だったにもかかわらず、「靴ですぐにシンスケだって分かったわ」と笑ったのです。え?僕の履いてる靴を憶えてんの?と驚愕した記憶が蘇ります。今回のおばあちゃんのエピソードで、ようやく合点が行ったのでした。

さて金曜の朝は、我が家の庭の整備を頼んでいる会社のPMマイクと、ダイニングテーブルで打合せしました。先週木曜から工事を開始し、雑草処理が終了。今週は一次整地に雨水処理、そして灌漑設備の敷設が進んでいます。翌週はコンクリート打設とハードスケープ工事、その翌週は造園、という工程。

マイクに妻が説明します。

「果物の樹を選びに園芸ショップへ行ってみたんだけど、値段がまちまちなのよ。」

裏庭の塀際にフルーツの樹を数本設える予定で、我々が自ら購入して来た苗木をマイク達が植えてくれる段取り。15ガロンという鉢のサイズを指定されているのですが、店によって値段が全然違うのですね。

「同じオレンジでも、HomeDepotで売られてるのは格段に安かったりして。なんでそんなに違うのか、さっぱり見当がつかないの。」

するとマイクが、こんな解説を始めました。

「店によっては、5ガロンの鉢で育てるべき苗木を早々に15ガロンの鉢に植え替えて15ガロンの値段で売る、というずる賢い商売をしてるんだ。どのくらいの大きさの苗だった?」

えっ?と思わず顔を見合わせる妻と私。なんだそのシンプルなからくりは?市販のマジック・セットを購入して説明書を読み、トリックのあまりの単純さに愕然とする、という体験に似たショックでした。対象を丹念に観察していたつもりでも、実は本質的な要素を見落としていたのですね。値段の比較検討ばかりに気を取られ、肝心な苗木の大きさには注意を払っていなかった…。

マイクとの打合せを終え、息子と一緒に家を出ます。高校最終学期をインターンシップで終えるというカリキュラムに則り、去年から始めた博物館での仕事に戻った彼。私をダウンタウンに落としてから車で職場へ行く、という毎日。上司のジムがバハ・カリフォルニアで採取して来た微小な昆虫の山を、顕微鏡を覗きながら仕分けする、という仕事です。虫の種類というのは今でもまだ増え続けていているそうで、最近ジムが新種を発見して自分の名前をつけたんだよ、と誇らしげに話す息子。

この話を、ランチルームで会った同僚ジョナサンにしたところ、俺もかつて博物館で仕事してたんだよ、と話してくれました。植物学が専門の彼は、ありとあらゆる草木の名称や特徴を知っていて、聞けば何でもすぐ教えてくれます。

「そういえば以前、こんな話をしてくれたよね。車で走っている時、街路樹の一本一本が粒だって見えるって。僕みたいな素人には、ただ木が沢山植わってるとしか映らないでしょ。それぞれの樹の学名や俗称、それに植生が分かるってことは、雑踏を行き交う人たちの個人情報が視界の中で次々にポップアップし続けるような体験だよね。」

と私。

「そうなんだ。だからあまり見ないようにしてるんだけど、どうしても見えちゃうんだよね。その葛藤をよく経験するのが映画鑑賞中なんだ。」

とジョナサン。舞台設定とロケ地が全く離れている場合、背景に映り込んだ植物の違和感に興醒めしてしまうのだと。

「そこ絶対ヨーロッパじゃないだろ!って突っ込んだりね。」

南カリフォルニアでしか生えない雑草が東欧設定のドラマに現れたりすると、それだけで物語に没入出来なくなってしまうのだそうです。

「すごいね。同じ映画でも、大多数の人に見えないものが見えてるってことでしょ。」

と感心する私。

「いや、それはどんなことにも言えると思うよ。同じものでも、その人の注目するポイントによって見え方は変わって来るでしょ。建築家は建築家にしか見えない要素をどうしても観察してしまうだろうし。」

なるほどね、確かに朝のマイクとのミーティングでも、土木工学科出身の私が庭の排水処理にばかり気を取られている一方、妻は植栽の色合いにこだわっていました。

「十年くらい前、同僚のフレッドとサンクレメンテ島へフィールドワークに行ったんだ。」

とジョナサン。起伏に富んだ現場で、丈の高い雑草が一面に生い茂っています。ちょうど海軍のスナイパー部隊が訓練に使っているところで、
挨拶に来た隊長が二人に対して誇らしげにこう言ったのだと。

「実は既に七人のトップ・スナイパー達が隠れているんだ。巧妙にカモフラージュしてるのでお二人には見えないだろうが、彼等からはこっちがバッチリ見えてるんだよ。」

これを聞いた同僚フレッドが、事も無げに手を伸ばして人差指を向け、片っ端からスナイパー達の居場所を言い当てて行きました。七人全員の位置を数秒で特定され、隊長は呆然と立ちすくんでたよ、とジョナサン。

「だってスナイパー達が使ってるカモフラージュって、あの地域に自生する雑草としては在りえない色なんだぜ。毎日そういう雑草と付き合ってる我々からすれば、蛍光マーカーでマル付けたみたいに浮きあがって見えるんだ。当然のことだよ。」

皮肉な笑みを浮かべるジョナサン。

「たとえその道の専門家じゃなくたって、注意深く周りを観察していれば、視覚情報から色々なことが読み取れると思うな。以前ヨーロッパを一人で旅した時、カフェで隣に座った男が、アメリカから来たんだろって話しかけて来たんだ。なんで分かった?と聞くと、ナイキのスニーカー履いてるじゃないかって。この国じゃ、高くて誰も買えないよってね。」

以前本で読んだFBI捜査官の「プロファイリング」も、まさにこの延長線上にあるテクニックでしょう。訓練を積み分析力を高めることによって、他の人に見えないものがどんどん「見える」ようになって行く…。「ものを見る」行為って、実はとても奥深いものなんだな、とひとり頷く私でした。ヴァレリーのおばあちゃんの教え「Be observant」は観察眼を養うものですが、ここでさらに、「対象への理解を深め、分析する」というステップが加われば、視覚情報から膨大な情報が読み取れる。素晴らしいじゃないか。これは訓練するしかないでしょ!

一念発起した私はさっそく今朝から、観察トレーニングを開始しました。納豆ご飯に舌鼓を打ちつつ、味付け海苔のパッケージをしげしげと眺めます。ほほう、こんなデザインだったのか。色は赤、黄、青を使用か。一番下に「ミシン目入り」という注意書きが添えてあるぞ。お、ちょっと待てよ。「白子のり」という会社名の下に「おかずのり」という商品名、その下に「味のり」という種別の記載がある。ひとつのパッケージに「のり」を三回畳みかけることで、イメージが強化されるな…。ふむふむ。

こうしてセルフ・トレーニングをひとしきり済ませた後、ふと我に返るのでした。

これ、将来何かの役に立つか?