2019年3月2日土曜日

Hangover 二日酔い


先週の火曜日、ランチルームでひとり弁当をむさぼっていたところ、同僚マリアが現れました。オフィスで顔を見るのは数カ月ぶりです。

「やっと会えた!ずっと探してたのよ。」

私の隣に座り込むや否や、まだリチャードとエドにしか話してないんだけどね、と前置きをしてから急に小声になる彼女。

「三月一杯でサンディエゴを引き払うことに決めたの。」

80歳超えの母親をはじめとした親戚一同の住むシカゴに戻ることにした。そもそもサンディエゴには何の身寄りも無かったし、長く身を置いて来た組織が解体され、今の上司は遠くフェニックスにいる。どのみち南米担当だし、どこにいようが仕事のクオリティに差は出ない。良き相談相手である元ボスのエドも去年から完全自宅勤務になり、この支社に出勤し続ける意味が希薄になっている。去年の夏シカゴに出張した際、支社の人たちに状況を話してみたら、是非移っておいでよと気持ちよく引き受け態勢を敷いてくれた。だから四月一日に引っ越すことに決めたのよ、と。

「それは良かったじゃん。さっそく壮行会を企画しなくちゃね。」

と私。その午後、エド、リチャード、そしてマリアに宛て、三月末のお別れランチ会招待メールを発送しました。三人から即出席の返信が届き、マリアは

「企画してくれてありがと!」

と喜んでくれました。

その翌朝、二年半ぶりのハワイ出張へ向けて旅立った私。今回の主目的は、「エクセルを使ったコスト管理法」をホノルル支社の皆さんにプレゼンする、というもの。過去一年半ほどサポートして来た劇場設計プロジェクトが間もなく終結を迎えるのですが、その成功に私の開発した方法論が一役買ったということで、他の社員達にも是非教授して欲しいとPMチームから直々にお招き頂いたのです。

オアフ島に到着したのは夕方四時半。レンタカーでワイキキのコートヤードホテルへ。一旦チェックインしてシャワーを浴びてからウーバーを呼び、オフィス街の外れにあるパシフィックリム料理レストラン「シェフ・チャイ」で開かれる歓迎ディナーへと向かいます。これが、PMのクリステン、それからディレクターのマーティンとの初顔合わせでした。二人とも日本名の苗字なので、バリバリの日本人顔をイメージしていたのですが、見事に予想を裏切られます。マーティンは「グレート義太夫」を彷彿とさせる髭と体格のサモア系、クリステンは十二ひとえが似合いそうな色白垂れ目のロングヘア―で、韓国系(旦那が日系アメリカ人)。過去一年以上、電話やメールでほぼ毎週会話して来たので、勝手に頭の中で見た目の想像が膨らんでいたのですね。食事の間中、イメージの微調整を続けざるを得ませんでした。この二人に加え、カッコよく日焼けしたローカルサーファーのランディ、十数年前から何度も出張先で会っているイギリス出身で財務のプロ、テリー、そして前回の出張で知り合った引退間近のベテランPM、アン。この五人と絶品料理に舌鼓を打ちつつ、プロジェクトの裏話などで盛り上がります。暫くして私は、ふとあることに気付きました。

「あのさ、皆それぞれ所属部門が違うでしょ。部門の垣根を超えてプロジェクトに取り組むことってよくあるの?」

マーティンは交通部、ランディとクリステンは建築部。テリーは環境部。アンは上下水道部の社員です。私の質問を受け、五人とも一瞬、戸惑いを見せます。そして顔を見合わせると、ほぼ全員で「しょっちゅうだよ」と答えました。

ホノルル支社には百名ちょっとしか社員がいない上、プロジェクト・サイトはハワイ四島全部に拡がっています。どの部門に所属していようが、使える人材はどんどん使わないと仕事は回らない。部門や肩書なんてものに囚われてる人はいないよ、とマーティン。これを聞いて急に、我が社がまだ数千人規模だった時代の記憶が蘇って来ました。あの頃は、事務所ひとつひとつがまるで田舎の集落のようなまとまりを見せていたなあ、と。会社が吸収合併による膨張を続け、全社規模での部門採算性を追求するようになった結果、横の付き合いは軽んじられるようになりました。更には極端な人員削減やランチタイムにセットされる会議やトレーニングなどによって、社員は恒常的なオーバーワーク状態。職場の仲間との飲み会はおろか、ランチも、更には世間話に費やす時間すら激減しています。そういえば、同僚達との「日本食の夕べ」を最後に企画したのはいつだったかも思い出せません。ハワイの社員達はその小さな所帯ゆえに、緊密な連帯感を維持出来てるんだなあ、とホンワカした気分になりました。

夜9時を過ぎ、ウェルカム・ディナーはお開きになりました。店を出ると、2月の夜だというのに半袖でもいられる暖かさ。アンはテリーの運転するSUVで走り去り、私はウーバーを呼んで残りの三人にさよならを言ってからホテルへ戻りました。

翌朝ホノルル支社に到着すると、一緒にプレゼン準備をする約束だったクリステンの姿が見当たりません。テキストを打ったのですが、返事もありません。不審に思っていたところ、間もなく彼女から「ちょっと遅れる」というテキストが入ります。仕方ないので無人キュービクルでラップトップを開き、暫く別の仕事に集中していたところ、後ろからトントンと肩を突かれました。振り返ると、そこに魂の抜けがらのようなクリステンが突っ立っていました。肌が荒れて化粧は剥がれ落ち、目はどんよりとし、口が開いて下顎がだらしなく落ちています。

「一体どうしちゃったの?」

女性の顔を見た途端にこんな不躾な質問をすることなど普段は絶対ないのだけれど、思わず口を突いて出てしまいました。

“It’s really a bad hangover.”
「ひどい二日酔いなのよ。」

浅く息を吸って慎重にゆっくり吐き出しながら、やっと答える低音のクリステン。僅かな身体の揺れにも反応して作動する爆弾を胴に括りつけられた人のように、微動だにせずそこに立ち尽くしています。昨夜は私が去った後、ランディやマーティンと連れ立って別の店で飲み直した、と彼女。だいぶ遅くなったので、もう一軒行くと言い張るマーティンを残し、ランディと一緒に最初のレストランに戻ります。彼女は自家用車をこの店の立体駐車場に停めていたのですね。ところが既に閉店作業が始まっていて、車庫係の従業員たちはゲート前でわいわいマリファナを吸っていた。車の鍵はどこにあるのか、駐車場には入れないのかと尋ねたのだが、一向に埒が明かない。あきらめて別の場所に停めてあったランディの車に乗せてもらい自宅に戻るが、途中でスペアキーの存在に気付く。家の前にランディを待たせ、鍵をひっつかんでもう一度ダウンタウンに引き返してもらった彼女。すると従業員が店の照明を落としドアに施錠しているところに出くわす。「車の鍵ならカウンターの上にあるよ」と言うので、ドアを開けてもらって店に入り、遂に自分のメインキーをゲット。そして立体駐車場でマイカーに乗り込み、深夜に帰宅してようやく眠りにつく。

「猛烈な頭痛で目が覚めたんだけど」

とクリステン。旦那がバタバタと出かけて行くのを見送ると、起きて来た三人の子供(五歳、三歳、一歳)に朝食を与え、幼稚園と保育園にそれぞれ送ってから出社した。

「私は何も食べてないし、とても食べられない。」

気の毒さよりも面白さの方が勝ってしまい、ゲラゲラ笑いだす私。これほどベタな二日酔いの人を職場で見るのって、何年ぶりだろう?そもそも夕食後に「飲み直す」という行為自体、すっかりご無沙汰だぞ。日本にいた頃は当たり前に皆やってたのに…。よく考えてみると、他部門の人達と集まって深酔いするほど飲むなんて、少なくとも今の私の職場では想像もつかないことです。自分は会社でどれだけ親密な人間関係を築けているんだろう?と自問せざるを得ませんでした。

口を半開きにしたまま苦し気に息を吐きつつ話し続けるクリステンの顔を眺めながら、なんだかちょっと羨ましく思っている自分がいたのでした。

さて、プレゼンの方は大好評を頂き、出席者たちからの「私のプロジェクトもサポートして欲しい」という依頼も数件頂きました。帰宅日の土曜はフライトまでに数時間あったので、ホノルル支社の人々やウーバー運転手たちからのおすすめ情報をもとに、オアフ島の東海岸をレンタカーでのんびり北上する旅に使いました。

途中、日の出を見たり、有名なシュリンプ・トラックやかき氷店に立ち寄ったり、秘境の滝を訪れたりしました。異常に低い制限速度の道路、高く広い青空、ぬるい風、澄んだ海、深く豊かな緑、鮮やかな赤やピンクやオレンジの花、賑やかな鳥のさえずり、そして地元の人々の穏やかな笑顔。「ハワイ大好き!」という人の多い理由が、とてもよく理解出来た気のする半日でした。

帰宅翌日の日曜日、この「のんびりハワイ」の記憶は、まるで二日酔いのように私の脳に沈殿し続けました。そして何度も、口を半開きにしてぼんやりしている自分に気付くのでした。

ところがその日の夕方、突如とんでもなく激しい後悔に襲われます。慌てて同僚リチャードにテキストを送る私。

「マリアの壮行会だけど、ランチじゃなくてディナーの方がいいと思わない?」

15年近い付き合いのマリアが遠く離れてしまうというのに、たった一時間のランチ会で壮行会を済ませようとしていた私。まるで仕事の打ち合わせみたいに、予定を機械的にカレンダーに組み込む「作業」としてこの件を扱っていた。おい、一体何を考えてたんだ?あのマリアがいなくなっちゃうんだぞ!もうこれで一生会えなくなるかもしれないんだぞ!

「そうだね、きっと彼女もその方が喜ぶと思うよ。」

リチャードから返信が届きます。彼も内心は、なんでランチなんかであっさり済ませようとしてるんだろうって不審に思ってたのかもな、という疑いが初めて頭をもたげます。忙しさにかまけ、友達との人間関係をずっと疎かにしていた私。図らずも、今回の一件でそのことが露呈してしまったのです。すぐにマリアにもテキストを送ります。

「壮行会はやっぱりディナーにしたいんだけど、大丈夫?」

すると彼女からすぐに返信が届きます。

“I would love to do dinner.”
「ディナーいいわね。」

日本食レストランに行きたいな、とマリア。シカゴに行ったら良いところが見つかるかどうか分からないし、そもそもシンスケみたいなベスト・ガイドがもうそばにいないじゃない。あ、そうだ、奥さんや息子さんとも最後にもう一度会いたいな。来れるようだったら連れて来てね!

クリステンのひどい二日酔い顔のお蔭で、人生で本当に大事なことをひとつ思い出せたのでした。

4 件のコメント:

  1. アメリカでは酔っ払い運転の社会的評価はまだユルい感じなのかな。日本では20年前くらいまでは、結構飲んだ後の運転なんてのは頻繁にあって、郊外の居酒屋は駐車場完備だったりしたし。別のリチャード氏はパーティの後にかなりのロングドライブしてたよね、オイラも他人事じゃなかったケド・・・今の日本では相当厳しくなって、地方の人は宴会するのも一苦労、酒気帯び運転が判明したら、会社では懲戒・・・ヘタすると頸なんてこともありそうな雰囲気ダヨ。

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    1. ハワイはその土地柄か、規制が緩いのかもね。アメリカ本土ではさすがにそうはいかないよ。最近じゃUberの登場で皆心置きなく飲めるようになったけど、それまでは皆随分控えてたな。

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  2. 「深夜特急」の文庫本の巻末に、高倉健と沢木耕太郎の対談が出てたけど、二人とも一番好きな外国の場所はハワイだって言ってたよね。確かにハワイはイイ所だけど、貧乏旅行で行くと本当の楽しさは味わえないとカミさんは言っていたナ

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    1. 確かにある程度金持ってないと楽しみは制限されるね、ホノルル界隈は。物価もやたら高いし。それよりなにより、日本人比率が尋常じゃないぞ。街中どこへ行っても日本人だらけ。レストランも日本語メニュー当たり前。一時期の銀座が中国語だらけだったのに似てるな。

      それにしてもあの二人がハワイ好きだったとはね。意外。何か、名高いジャズ評論家たちが二人で「聖子ちゃんサイコー」って盛り上がってるのに近い感覚。

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